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豊岡真澄 エピソード&プロフィール

豊岡 真澄(とよおか ますみ、1983年1月25日 - )は、日本の女性タレント。埼玉県出身。身長147cm、血液型はB。ホリプロ所属。女性(特にヤングアイドル)には稀な、鉄道に関しての見識の深さで注目されている。


【人物】
■1999年に雑誌のオーディションに合格し、ホリプロが身長150p以下の女の子3人(瀧上夕佳・小林美香)で結成したアイドルユニットP-chicksの一員として芸能界入り。

■P-chicks解散後はソロでの活動を始めており、バラエティ番組、ドラマ、映画など幅広く活動している。また映画への造詣も深く、雑誌に評論を寄稿している。

■豊岡のマネージャーである南田裕介は大の鉄道マニアであり、『タモリ倶楽部』(テレビ朝日系)の鉄道企画にも出ていたが、事務所の上司からタレント抜きで出るとは何事かと怒られてからは必ず2人セットで出演するようになった。また、雑誌「アップトゥボーイ」では南田の監修による「美少女鉄道 featuring豊岡真澄」が連載されている。

■豊岡自身は芸能界に入るまで鉄道に関しては全く関心が無かった。マネージャーの南田は豊岡に芸能活動に関することをほとんど教えず、鉄道知識だけをたたき込ませた。結果、豊岡は『タモリ倶楽部』にて「好きな列車は北斗星」と言えるまでに成長した。『個人授業(プライベートレッスン)〜正しい和田アキ子の作り方〜』(TBS系)では「東武鉄道の手描きのダイヤグラムをもらったのでこれで人生が終わってもいいくらい幸せ」と言った。現地リポートのVTRで見せた恍惚の表情は、鉄道ファン以外の視聴者が見ても幸福感に満ち溢れた微笑ましい姿で、鉄道への愛情に満ち溢れた授業であった。

■南田曰く、豊岡真澄を鉄道車両に例えると「タンゴディスカバリー」(北近畿タンゴ鉄道・略称はKTR)で、その理由は「コンパクトなところが似ている」からだという。

■女性鉄道ファンと言う希有な存在のお陰でTBSの鉄道ネタを絡ませたドラマに出演している。BS-jの鉄道模型番組でもコーナーレポートを任されている。その紹介キャプションには『鉄道歴6年(2007年4月現在)』とあったが、タモリ倶楽部での鉄子の初申告は2005年下半期であって、それ以前の出演(VTRも含めて)にはその旨が語られる事が無かった。鉄の道に引き込むのに6年を費やしたと南田がインタビューで答えているので、6年とは鉄道アイドルへのレッスン期間を差していると思われる。

■ナイナイサイズ(日本テレビ系)で、鉄道歴は、2005年4月からだと、はっきりと言っている。

■作者菊池直恵・案内人横見浩彦の実録鉄道漫画『鉄子の旅』でも、第34旅・第35旅で南田と共に道連れゲストとして登場した。横見曰く、「真のレールクイーンはここにいた!!」である。

■同じ事務所の水崎綾女、番組で共演したことのある浅香友紀、りりあんとは仲がよく、本人のブログによく登場する。

■自身の好きな車両は東京地下鉄10000系電車とテレビ雑誌で公言していた。

■鉄道以前から好きだったモノはお城めぐりとガンプラだと「鉄子の旅」作中で述べている。

■2007年7月-9月に開催された大鉄道博覧のイベント、戦隊アトラクションショーでは『スケバンデカ』のパロディ『スケバンデハ』で助っ人として登場して、セーラー服姿を披露している。

■2007年10月10日、東京都の会社員と11月3日に結婚することを発表した。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20071010-00000005-maiall-ent

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松山ケンイチ エピソード&プロフィール

松山 ケンイチ(まつやま けんいち、本名:松山研一(読みは同じ)、1985年3月5日 - )は、青森県むつ市出身の俳優・モデル。大湊高校→東京都立代々木高等学校出身。血液型はB型。所属事務所はホリプロ。身長180cm、体重60kg、B86cm W73cm H83cm S28cm。

『NANA』『男たちの大和/YAMATO』『デスノート』シリーズなどの出演作で知られる。

特技は棒高跳び(中学時代東北大会4位)、車いすバスケットボール。

公式サイトで使われている略称は「松ケン」。


【略歴】
■2001年
・HORIPRO×Boon×PARCOの共同企画ホリプロ男性オーディション「New Style Audition」で16,572人の中からグランプリ受賞。PARCO
2001年「Looking for a new “NEW”」キャンペーンでモデルデビュー。

■2003年
・『アカルイミライ』で映画デビューを果たす。

■2005年
・『男たちの大和/YAMATO』オーディションにおいて、角川春樹に見初められ年少兵メイン神尾克己役に抜擢される。その際「薬師丸ひろ子や原田知世を発見した時より震えた」と言わしめ、続く『蒼き狼〜地果て海尽きるまで〜』『椿三十郎』と、新生角川春樹プロデュース映画に三作連続で起用されることとなった。

■2006年
・『デスノート』『デスノート the Last name』のL役を魅力的に演じ、一躍注目を浴びる。映画の大ヒットに伴い2007年にはLを主人公としたスピンオフ映画のクランクインが予定されている。公開は2008年2月の予定。

■2007年
・日本テレビ系ドラマ『セクシーボイスアンドロボ』で連続ドラマ初主演を果たす。


【人物】
■2007年より雑誌などの連載で対談や自身の言葉で綴った文章を発表しており、彼自身の考えに注目するファンも急増している。俳優としてだけではなく、若い世代に影響を与える人物として、特異な存在感を放っている。(参考:日本の新世代男優図鑑)

■戦争と平和について強く考えるきっかけとなり、一番印象に残る出演作として『男たちの大和』をインタビューなどでよく挙げる。

■音楽映画『神童』の撮影をきっかけにピアニストの清塚信也と仲がいい。

■兄弟は弟と妹がいる。

■演技では出ないが、普段は喋りに訛りがある。一人称は下北弁で「わい」(ただし、テレビ出演などで「僕」や「俺」も使う)。「東京に負けない」為にも訛りを直すつもりはないと熱く語る。「ずっと南部弁かと思ってたが、下北半島の下北弁」だったことが判明。

■絵本を読むのが好きで、戦争をテーマにしたものを書きたいと思っている。

■沖縄で手作りのハリガネアクセサリーに感動してから、ハリガネアクセサリー作りが趣味。


《俳優として》
■作品ごとに雰囲気が変わり、自身のイメージを固定させないことから、「カメレオン俳優」と呼ばれる。

■撮影現場では細部こだわったアイデアを監督に出し続けるなど、役作りに対してこだわりが人一倍強い。しかし同時に「俳優は監督の駒」と言い、多くの監督に愛されている。

■「(映画については)新しい視点を見せてくれる点では、それを反抗といってもいいと僕は思います。」「(演じる役については)全部自分に近い感じもするし、遠い感じもする。ただ、自分自身の生き方や考え方が役に影響を及ぼし、逆に役が自分に影響を与えているのは間違いないと思います。」などと、独自の考えを持っている。

■尊敬する俳優はゲイリー・オールドマンと中村獅童。ただ、CUT7月号(2007)では「モデルとしている俳優はいません」と話す。


《エピソード》
■芸能界デビューは、親の薦めによるが、本人は興味がなかったと話す。

■映画『NANA』に出演する際、ベースを一晩でマスターした。

■映画『デスノート』のLの登場シーンの「バーン」と銃を撃つ演技は、脚本では1回だったものを人数分撃つようにしたのは松山の案。同様にひょっとこのお面や、お供えを食べるのも彼のアイデアによる。

■体は硬いが、(ユメ十夜のアクション監督をした小原剛によると)かなり動けて、バク宙やバク転をさくさくやってしまうらしい。

■沖縄に行った際にオフで「ひめゆりの塔」へ行くも、「見ている途中でいろんな思いが込み上げて胸が苦しくなり、全部みることができなかった」ので、また行きたいと話す。

■映画監督・前田哲によれば、「普段、ぼそっとすごく面白いことをよく言う」らしい。

■上京してゴキブリを初めて見たときは、飛び上がった。(『メレンゲの気持ち』)

■『親指さがし』に出演した事により、親指を立てるのが癖になってしまった。映画『蒼き狼』の撮影現場にて振り向くシーンを撮る際「松山、振り向くと親指が立ってるぞ」と反町隆史に言われ、何度か撮りなおしたもののなぜか親指が動いてしまい、撮影終了後に共演者からからかわれる。

■『セクシーボイスアンドロボ』出演に伴い、ロボットアニメを見直したりその主題歌を聞くなどして役作りを行う。特に小学校高学年〜中学1年生の頃視聴していた『勇者王ガオガイガー』を見直した際、劇中の敵がストレスを持つ人々を選んで怪物化させているという内容を指し、奥が深いと述べている。

■小学生のころからあだ名が「まつけん」だが、マツケンサンバが流行っていたときは「サンバ」と呼ばれたこともあったらしい。

■本名の名前は漢字だが、画数が悪いと言われてカタカナに変えられた。しかしいつかは漢字に戻したいらしい。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20071009-00000009-oric-ent

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梨花 エピソード&プロフィール

梨花(りんか、1973年5月21日 - )は日本のファッションモデル、女性タレント、歌手。 本名:根中 千恵子(ねなか ちえこ)、東京都墨田区出身。 血液型はO型。所属事務所はスターダストプロモーション。 東京女子学園高等学校卒業。


【来歴とエピソード】
■身長165cm、体重42kg。

■祖父はポーランド系オーストラリア人(情報源:従兄弟の根中大弐氏。祖母が「フランス人のクォーター」という噂もある。)

■実妹は元タレント(引退)の中山史奈。

■1993年、ファッション誌『JJ』や『CanCam』などに登場しデビュー。以来現在に至るまでファッション誌でのモデル活動を展開し続けている。

■芸名「梨花」は事務所の社長による命名。

■ゴリラというあだ名がある。

■数々の恋愛経験やスキャンダルを乗り越え、今やバラエティ番組に欠かせない存在となっている。

■テレビ朝日のバラエティ番組「ロンドンハーツ」内の企画「格付けし合う女たち」で、「A・B・C・D・Eカップ♡」や「乳首クンピ♡」、「ありえない²」等々の数々のギャグを連発し、芸人と言われる程にもなった。 同番組に共演する青木さやかは梨花に対し芸人としての憧れを抱き、田丸麻紀は「モデルから芸人になった人は珍しい」と発言、以上の様な経緯を経て確実に「芸人」と言う地位を手に入れたと言える。 本人は今でも「カリスマモデルです!」と主張するものの、同番組内のファッションチェックコーナー等では「元カリスマモデル」とのスーパー (映像編集)が使用されている。 この事に関して、本人は「『元カリスマ』モデルであり、これは現在はカリスマではないがモデルである」という意味と解釈して納得している。

■上記の様な状況の一方で、自ら面白ギャグを連発したり意味不明な発言をしたりしているのも事実で、2004年上半期からは1週間に1回以上はバラエティ番組に出演している。

■三十路を迎えて以降は、自分のおっぱいをアピールしたり、「明日、脱毛するの♥」とコメントしたり、陰毛に関するトークをしたりと、大好きな下ネタトークも好調である。 又貧乳疑惑を受けて、番組収録中に共演の女性タレント達におっぱいを見せて確認させた事も有り、その様子はそのままオンエアされた。 誠に作りや嫌味の無いキャラが浸透して来て、益々好感度上昇中である。

■大阪でのイベントの際、5歳ほどの女の子から「いつも格付けし合う女達見てます」と書いたお手紙とお花を貰うと同時に、「将来は梨花さんみたいなカリスマモデルになりたいです」と言われた事を心の支えにしていると発言し、手紙は持ち歩いている。

■料理はあまり得意ではなく、『愛のエプロン』では出演する度に数々の迷料理・珍料理でほぼ確実にジャッジマンを苦しめる。 ワーストエプロン大賞のグランプリを2度受賞した事も有り、本人も自作の料理を食べ苦しんだ経験が有る。 一方、極たまに奇跡的とも言える旨い料理を作る事も有り、その料理で誉めて貰って嬉し涙を流した事が有る。

■2005年8月23日放送の『徹子の部屋』で黒柳徹子に「今でもモデルやっているの?」と聞かれたが、お約束通り「現役モデルです!」とアピール。

■2005年4月9日放送の『めちゃ²イケてるッ!』SP「め茶の水女子校期末テスト第2弾」で、理科のテストでアメーバを「ケボウミ」、社会のテストで万里の長城を「マザー牧場」と答える等の珍解答を連発し、「ウルトラのバカ」に認定された。 この時に残した、Catherine(キャサリン)を「かざらない」とした和訳(「What a beautiful woman Catherine is!」という英文を「かざらない女性こそ美しい」と和訳した)は、シリーズでも屈指の名解答として名高い。又、別番組でフランスは何処かと言う問題に対してニュージーランドを指したり、佐賀県は何処かと言う問題に対しては小豆島を指したり、「自民党の正式名称は何」と聞かれた時に「自由民主主義人民共和国」と答えたり、鎌倉幕府が始まったのは1992年と答えたり、勉強や一般常識は「かなり」苦手な様である。

■前述のフランスを間違えるミスは、クイズ!ヘキサゴンIIでも犯してしまい、司会者島田紳助にイジられた。

■又『行列のできる法律相談所』でも、過去に交際した男性タレントやスポーツ選手らが皆不幸になっていた事実を指摘され、同じく島田紳助から「芸能界一のさげまん」と酷評された。

■最近ではアーティスト『Rinka』として活動を始め、シングル「XXX(Millions Kisses)」をリリースした。

■田波涼子、小泉里子、真山景子と4人でセレブ会という集まりを開いている。その時は出来るだけ綺麗な格好をして行くらしい。しかし話によると、「ちょっと失礼しま〜す♥」と言って、下着を脱ぐときがあるらしい。

■2006年12月現在喫煙者である。健康情報系のバラエティ番組で一日30本程度の煙草を吸っていると申告している。

■タモリのジャポニカロゴスに出演した際、「根中」という苗字の件数が非常に少ないことを知る。

■口に自分の握りこぶしを入れることができる。

■ロンドンハーツには出演しなくなったが他の番組でロンドンブーツ1号2号との共演がある。

■カンロ「ピュレグミ」TV-CMソングとして「smile」(リリース未定)を5月中旬よりO.A.予定。

■ブログで、過去にnon-noのモデルオーディションに落ちたことがあることを告白している。

■バラエティ番組でブレイクした時はテレビ朝日の番組によく出演していたが、現在は日本テレビの番組が多く、テレビ朝日の番組には希に深夜枠(くりぃむナントカなど)で出演している程度である。

■2007年9月、レギュラー出演していた笑っていいとも!を卒業した。

■2007年10月8日、ブログで6年越しの恋人と破局したのを告白した。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20071008-00000001-oric-ent

神田うの エピソード&プロフィール

神田 うの(かんだ うの、本名同じ、1975年3月28日 - )は、川崎市出身の女優・タレント、ファッション・デザイナー。身長168センチ、体重43キロ。血液型O型。白鵬女子高等学校卒業。スペースクラフト所属。


【来歴・人物】
1975年、東京都目黒区に生まれる。本名でもある「うの」は、持統天皇の幼名「鵜野讃良皇女(うののさららのひめみこ)」が由来であり、幼い頃はこの「ひめみこ」をとって両親や祖母から「ヒメ」と呼ばれて育つ。東大卒かつ東大院修了で旧・通商産業省のキャリア官僚(技官)だった父親(神田淳)の仕事の関係で1歳のときにインドネシアのジャカルタに移住。4歳までインドネシアで過ごしたのち帰国、神奈川県川崎市中原区に居を移す。5歳のときにバレエをはじめる。谷桃子バレエ団に所属。

1990年には、東京新聞が主催するバレエコンクールに入賞。バレリーナとしての将来を期待され、ダメもとで受験した「アジア人はほとんどいない」と言われる、パリにある全寮制のバレエ学校(コンセルバドワール)に見事合格。だが、日本を離れ、フランスでひとり寮生活をおくることに耐えられず、先生たちの期待や希望にそむいて世界的プリマとなる夢は断念する。1992年、17歳で中部全日本バレエコンクールのジュニア部門1位を受賞、東京全日本バレエコンクール入賞。

2006年11月5日、うのが23歳のときに出会い、約8年の月日を経て現在の関係になったというパチンコチェーン店、不動産会社を経営する西村拓郎(日拓リアルエステート株式会社社長)と都内料亭にて結納を交わし、13日、報道陣に億単位の婚約指輪(5caratのdiamond)を披露した。

2人の弟がおり、その2人もまた芸能界に関わっている。上の弟・神田伸一郎は、東京農工大学大学院中退。ハマカーンというコンビを結成し現在NHK爆笑オンエアバトル等で活躍中。下の弟・昇二郎は、上智大学文学部哲学科卒。俳優希望でVシネマ等に出演。


《モデルからタレントに》
子どもの頃から街を歩くたびに芸能事務所からスカウトされ、何枚もの名刺をもらい続けるが、家族に反対され実現ならず。本人も「芸能」には興味がなかったが、当時からファッション好きだった彼女は、モデル事務所からのスカウトに興味を抱き、親を説得。1989年、14歳でモデルとしてのキャリアをスタートさせる。広告などのモデルを経て、3年後の17歳のときに雑誌『プチセブン』(小学館刊)のモデルに。


《クリエイターとして》
1999年、毛皮メーカーとのコラボレーションで「コスタ・モーダ・ウノ」ブランドを発表、その後サングラスブランド「U-NO」を発表し、現在ではストッキング・下着(トゥシェ・ウノコレクション)、ウエディングドレス(シェーナ・ドゥーノ)、ジュエリー(デュノア)、の3つの自己ブランドのデザイナーとして活躍中。

2005年春には南青山に推定5億円ともいわれる豪邸(通称・パンスト御殿)を建てたことで話題になった。2004年にデザイナーとしてパリコレデビューを果たし、2006年10月にはN.Y.コレクションデビューも果たした。


【エピソード】
■血液型は公式ページにもあるとおり「O型」であるが、デビュー間もない頃の自由奔放なキャラクターもあってか、(血液型性格分類を信じる人々から)「B型」に間違えられることが少なくなかった。デビュー当時のプロフィールに「B型」と掲載されていた時期もあったが、これは単なる誤植で、ほどなく訂正されている。ちなみに2人の弟も、うの同様O型である。

■胃下垂なので、痩せる為だけの食事制限=ダイエットをした事がないと発言している。

■リアルファーを中心としたブランドをプロデュースしたことで、女優のブリジット・バルドーら動物愛護運動家や動物愛護団体等から抗議を受けた。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20071008-00000000-oric-ent

高木美保 エピソード&プロフィール

高木美保(たかぎ みほ、1962年7月29日 - )は、女優。現在は、コメンテーター、エッセイスト、タレント。東京都葛飾区出身。和洋女子大学中退。血液型はA型。


【来歴・人物】
1984年、映画『Wの悲劇』出演で女優としてデビュー。その後、東海テレビの昼の帯ドラマ『華の嵐』『夏の嵐』などの、俗に言う『嵐シリーズ(グランドロマン)』に出演して、女優として人気を集めた。しかし、女優業は自分に合わないと痛感し、タレントに転向、活躍の舞台をバラエティー番組・テレビコメンテーターに移す。1998年、パニック障害の治療をかねて栃木県那須に移住。タレント活動を行いながら農業を営み、農業体験をまとめたエッセー集も執筆している。未婚。本人曰く、男性への嗜好はかなりの面食い、かつ「好きな男性の前ではめちゃめちゃM」(ココリコミラクルタイプ出演時の発言)だそうである。トレードマークとも言える眼鏡を常にかけるようになったのは2001年頃からで、本人曰く近視や老眼ではなく、遠視になったからとのこと。農業を営んでいる事もあり、愛車は軽トラックのスズキ・キャリィ。

本人曰く「マトリックスは200回以上見た」ほどの大のキアヌ・リーブスファン。2005年4月、出演している『とくダネ!』の企画で独占インタビューに成功した。実は同年2月にもインタビューのチャンスがあったのだが、この時はスケジュールが合わず断念し、質問を代理人に託すこととなったので、2ヶ月越しのインタビュー成功となった。

2006年11月22日O.Aの「クイズ!ヘキサゴンII」で来年は子作りをすると宣言した。 また、2007年2月16日O.Aの『ごきげんよう』に出演した際、「イル・ディーヴォを生で見てから周りの男性が里芋にしか見えない」と発言し司会者、共演者に「どうせ里芋ですよ」といわれた。

2007年4月22日O.Aの「たかじんのそこまで言って委員会」では「気取った女優」に「お前バカだろう」トラップをかけたいと、「楽屋に犬を連れてくる、男性経験、恋愛経験で何でも語る」女優への嫌悪を露わにする。 またそのことを司会者の辛坊治郎に指摘されて、「あんた」と呼んで反論していた。 (番組冒頭でも、あくまでも演出としてではあるが、自己のプロフィール「芸農人」を「覚えておけ」と言い捨てる、敬語を使わずに話すなど言葉遣いを悪くして自分を演出した。) 同番組内で「本物の解る男」と出会いたいと主張。司会のやしきたかじんなどに妄想と揶揄される。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20071003-00000159-sph-ent

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アグネス・チャン エピソード&プロフィール

アグネス・チャン(Agnes Miling Kaneko Chan、中国名:陳美齡(チャン・メイリン)、日本名:金子 陳美齢(かねこ チャンメイリン)、1955年8月20日 - )は、イギリス領香港(当時)生まれの歌手、大学教授、エッセイスト、小説家、日本ユニセフ協会大使。カトリック信者で、洗礼名が「アグネス」、苗字が「陳」(チャン)。教育学博士の学位を持つ。血液型AB型。


【経歴】
■中学生の時に始めたボランティア活動で、ギターを手に募金を集めた。これが噂になり、香港のフォーク歌手のオムニバスアルバムへのレコーディングの話が出た。

■1971年にこの『Second Folk Album』と題するオムニバスアルバムで、姉のアイリーン・チャンと共にジョニ・ミッチェル作の「The Circle Game」をカバーした結果、評判が良く、シングル化もされて大ヒットした。この時期、アイリーンは香港の映画界で人気を得、日本でもテレビドラマ出演などを果たしたが、日本の芸能界では妹アグネスほどの成功は収めていない。

■1972年には姉のアイリーン・チャンらと張徹監督の映画『年輕人』『反叛』に出演、映画が配給されたマレーシア、タイなどの東南アジアでも人気がでるようになった。

■香港のテレビ番組で知り合った平尾昌晃によって日本に紹介され、1972年11月25日にワーナーパイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン)より「ひなげしの花」で日本デビュー。当時は大活躍の影で、楽屋には殆ど中華丼ばかりが用意され、「中国系の子だから中華丼で間違い無いでしょう」というスタッフの配慮による辛い思いを番組で語っていた。

■1973年「草原の輝き」で日本レコード大賞新人賞を受賞するなど、高く澄んだ歌声と、愛くるしいルックス、たどたどしい日本語が受けて、人気アイドルとなった。

■1973年の「小さな恋の物語」が大ヒットし、オリコンチャート1位を獲得。だが、前作の「草原の輝き」の印象が強烈すぎるせいか、この曲は世間一般での印象が薄く、テレビの懐メロ番組でも歌われることは少ない。

■1974年、「草原の輝き」が春の選抜高等学校野球大会の入場行進曲に選ばれる。また、ブロマイドの売上成績第1位に輝く。この頃、コンサートのバックバンドとして鈴木慶一とムーンライダーズを起用、司会は植田芳暁。上智大学国際学部に入学したが、父の勧めもあって、
1976年に芸能活動を休んでカナダのトロント大学へ留学し社会児童心理学科に入ったが、父は翌1977年に他界し、卒業する姿を見せることができなかった。1976年のさよならコンサートの前からホットケーキがコンサートに参加。

■1978年にトロント大学を卒業後、8月に日本に戻り、吉田拓郎作曲の歌「アゲイン」で芸能活動を再開。復帰コンサートツアーのひとつとして、中国人歌手としては初となる日本武道館でのコンサートも行った。レコード会社は次の「やさしさ知らず」からSMSに移籍。

■1979年に香港で、初の広東語アルバム『雨中康乃馨』を発売。日本ではゴダイゴとのコラボレーションアルバム『AGNES IN WONDERLAND 不思議の国のアグネス』と『ABC Agnes』を発売。

■1984年国際青年年記念平和論文に応募し、特別賞を受賞。フジテレビ『なるほど!ザ・ワールド』の主題曲「愛のハーモニー」から徳間ジャパンにレコード会社を移籍。

■1985年、芸能活動のみでなく、ボランティア活動を再開するようになった。4月、北京首都体育館で5万4千人を動員して宋慶齢基金会チャリティーコンサートを開催、中国で記念のベスト盤カセットテープが販売された。

■同年、日本テレビの『24時間テレビ』のために、旱魃による食料不足状態にあったエチオピアを取材。単に悲惨な情況を伝えるだけでなく、「ロンドン橋落ちた」の替え歌をアムハラ語で歌って現地の子供と交流する様子も伝えられた。

■1986年、元マネージャーの金子力(現所属事務所社長)と結婚し、カナダで長男を出産した。翌年子連れでの仕事を再開したことについて、林真理子が論評『いい加減にしてよ、アグネス』で批判した。これを端初にアグネス論争が起き、「アグネス」が新語・流行語大賞大衆賞を受賞するほどの社会的論争となり、日本の働く母親、女性の立場を再考させるきっかけとなった。

■1988年、飛鳥涼(現ASKA)作詞・作曲の歌「LIFE」でポニーキャニオンに移籍。

■1989年には米国スタンフォード大学教育学部博士課程に留学、現地で次男を出産。東京大学とスタンフォード大学の卒業生の10年後の姿を調査し、日米両国の男女間格差の実態をまとめ、1994年教育学博士号(Ph.D.)を取得した。

■1992年前後、フジテレビ系「たけし・逸見の平成教育委員会」に生徒役として数回ゲスト出演。国語の問題に関しては「中国語ではこう言いますよ。」等の珍答で、北野武先生や逸見政孝に「国語の授業って言っても、ここは日本なんだから、日本の国語で答えて下さいよ。(要旨)」等の「突っ込み」を入れられ、番組を盛り上げた。

■1996年、香港にて三男を出産。その後もエッセイスト、共栄大学客員教授として日本全国で講演を続けた。

■1998年には初代財団法人日本ユニセフ協会大使(黒柳徹子らが務めるユニセフ(国際連合児童基金)の親善大使ではない)に就任した。就任後、これまでに、大使としてタイ、スーダン、東ティモール、フィリピン、イラク、モルドバ、レソト、インドを公式訪問し、現地で目にした子どもたちの窮状を伝えるほか、『わたしが愛する日本』などの著作で、平和を目指す提言を行っている。

■2000年には日本クラウンに移籍し、ロングヘアをやめてイメージチェンジして、「この身がちぎれるほどに」を歌うなど、ムード歌謡の分野で歌手活動に力を入れるようになった。8月に台場小香港に香港雑貨店「CHAN'S」を出店(現在はネット通販のみ)。

■2002年には小説『パーフェクト・カップル』、『銃弾の指輪』を出版し、作家活動も開始した。翌年には月刊『すばる』に短編小説の連載もしている。

■2005年にリリースした、初のセルフカバー曲『草原の輝き2005』はアサヒ飲料十六茶のコマーシャルに使われた。9月に発売された『しあわせの花』は、手話を取り入れた振り付けで歌った。10月には広島大学の主宰する「ペスタロッチー教育賞」の14回目を受賞。

■2006年2月、ジャッキー・チェンとのデュエット曲を含む英語盤CD『 Forget Yourself』をアメリカで発売した。12月には日本デビュー35周年を記念するコンサートの第一弾が行われた。年末に香港で唾液腺腫瘍の摘出手術を受けたが、無事成功し、早くも年明けから活動を再開した。

■2007年には平和をテーマにした自作曲など3作のシングルとアルバム、それに著作の発売が予定され、日本各地で日本デビュー35周年のコンサートツアーが予定されているほか、9月には北京の人民大会堂でも公演の予定がある。

■平和をテーマにした曲の第一弾は、自らピアノを弾きながら、山本伸一の詞にメロディーを付けた『そこには幸せがもう生まれているから』。カップリング曲の『みんな地球に生きるひと』は歌詞も自作である。最新曲である、第二弾も、山本伸一作詞の『ピースフルワールド』。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20071003-00000074-mai-soci

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花田勝 エピソード&プロフィール

花田 勝(はなだ まさる、1971年1月20日 - )は、実業家、タレント、スポーツキャスター、元大相撲力士(第66代横綱)、アメリカンフットボーラー。東京都中野区出身。力士時代の四股名は若乃花 勝(わかのはな まさる)。父は元大関・貴ノ花利彰(本名・花田満)、母は女優の藤田憲子、弟は第65代横綱・貴乃花光司。義妹(弟の妻)に元フジテレビアナウンサーの河野景子、親戚に米米CLUBの石井竜也・金子美奈子兄妹がいる。得意料理はナスの浅漬け。


【来歴】
上背はなかったものの、強靭で巧みな足さばきを生かして多彩な技を繰り出し、技能派の名人力士として知られた。また人当たりのよい性格で話術にも長け、力士時代から「お兄ちゃん」の愛称で親しまれる。容姿や相撲の内容は実父・貴ノ花健士よりも伯父の初代・若乃花を髣髴とさせた。

1988年3月場所初土俵。弟の貴花田光司(貴乃花)と共に順調に出世し、1990年3月場所新十両。同年9月には新入幕を果たした。入幕して最初の頃は天性の勝負勘と強靭な足腰で相手の攻撃を凌いで技を繰り出して勝つという勝ち方が多かったが、1992年後半頃からおっつけに磨きがかかるようになり、成績も伸びていった。そして1993年3月場所に小結で初優勝。同年7月場所には13勝2敗で曙、貴乃花と共に優勝決定巴戦に出場。優勝は逃したものの、場所後大関に昇進した。

大関昇進後も順調に土俵を務めていたが、1994年11月場所前に右腰を痛めてからしばらく低迷する事になる。この間曙を倒して弟貴乃花の優勝の援護射撃をするという場面は見られたものの、自身が優勝を果たすまでにはいかなかった。1995年11月場所に弟貴乃花との優勝決定戦を制して漸く2回目の優勝を果たすが、翌場所は不調で一つも勝てずに途中休場してしまい、周囲をヤキモキさせた。しかし1996年中盤頃から復調の兆しが見え、1997年1月場所は初日から完璧な相撲で14連勝して14日目に3回目の優勝を決めた。千秋楽は武蔵丸に敗れて全勝優勝はならなかったものの、若乃花の土俵人生の中で最高の相撲を見せた場所となった。綱取りが大いに期待され、その期待に応えるように翌3月場所も絶好調だった。しかし3日目の旭鷲山戦で右大腿二頭筋を断裂し、途中休場で綱取りは全くの白紙となってしまった。しかも全治3か月の重傷で、7月場所に復帰したものの、序盤に3連敗する等、絶不調で引退を囁かれるまでになってしまった。

この場所は何とか勝ち越して引退の危機は乗り切ったが、怪我の箇所を考えると「もう上は望めないのではないか」と言われるまでになってしまった。しかし、1998年3月場所、突如爆発するかのように、初日から完璧な相撲を取り、14勝1敗で4回目の優勝。翌5月場所も中盤苦戦したものの、千秋楽に武蔵丸を破って何とか連続優勝を果たし、横綱昇進を決めた。12勝という低いレベルでの優勝だった為、「もう一場所見るべきではないか」という声もあったが、横綱審議委員会で反対論は全く出ずに、あっさり決まった。横綱土俵入りでは「短命」のジンクスと言われる不知火型を選択。隆の里が中心となって、琴櫻や初代若乃花までが登場して土俵入りを指導した。若乃花らしい切れのあるきびきびとした土俵入りであった(当初は弟貴乃花が土俵入りを指導するものと思われていたが、貴乃花は姿を見せなかった。そしてこの頃から二人の確執が噂されるようになり、これが明らかになるのは1998年9月場所前の事である)。

史上初の兄弟横綱として多くのファンに活躍を期待されたが、一方で約5年間の大関在位で多くの怪我に苦しんだ事も有り、また不知火型のジンクス通りに短命になるのではないかという懸念の声も聞かれ、その悪い予想は的中してしまう事になる。1998年9月場所と1999年1月場所は最後まで優勝を争ったが、それ以外の場所は故障等でガタガタで、1999年3月場所以降3場所連続休場する事になる。復帰した9月場所は10日目に左足の肉離れを起こしてしまい、周囲の休場勧告を無視して強行出場、結局7勝3敗から終盤5連敗して負け越した。横綱の皆勤負け越しは15日制が定着してからは史上2人目(大乃国以来10年ぶり)の不名誉な記録で、この場所限りでの引退を勧告する声もあったが、本人は現役続行を志願し、翌場所から2場所連続休場して再起を図った。そして2000年3月場所に復帰したものの、満足な相撲が取れず、5日目に栃東に敗れたのを最後に遂に引退を発表した。年寄藤島を襲名し、当初は後進の育成に専念するような発言をしていたが、引退相撲を終えて間もない2000年12月18日に突如日本相撲協会を退職し、タレントに転身した。

横綱時代は休場の方が多く十分にその役目を果たせなかったが、大関時代は大型力士が台頭する中で小兵の若乃花は下手をすると大負けしかねない状況だったが、休場明け等の場所を除いた場所では概ね二桁以上の成績を上げており、大関としては強かったと言える。その為に一部で「横綱に上がらなければ名大関として名を残せた」という声もある。また、力士生命にとって致命的になった足の怪我の容態は引退後も回復しておらず、後にテレビ番組において「将来、車椅子の生活になる事は避けられない」と医師から告げられた事を告白している。また、長男誕生直後に出演した『おしゃれカンケイ』(日本テレビ系)の中で、産まれて間もない長男とゲスト出演し「息子はお相撲さんには絶対させません」と笑っていたが、目は真剣そのものだった。

この若乃花の昇進を最後に日本生まれの横綱は誕生していない(2007年3月場所時点)。この間魁皇・千代大海・栃東が綱取りに挑戦しているが、いずれも失敗している。横綱昇進後は実弟・貴乃花光司との不仲や離婚問題等ワイドショーを賑わす騒動に巻き込まれることが多かったが、本人によると「(ワイドショーで)騒がれた場所ほどかえって相撲に集中出来た」らしく、実際に騒がれた場所は好成績を残している(1998年9月場所12勝3敗・準優勝、1999年1月場所13勝2敗・優勝同点)。

日本相撲協会退職後はスポーツキャスター、タレントとして活動するとともに、全国に店舗展開する「Chanko Dining 若」、さらに「Korean Dining 66亭」、「&kitchen」、「Onii Chan and Kitchen(おにいちゃん&キッチン)」をプロデュースし、運営母体ドリームアーク社の代表取締役として実業家として成功している。


【プロフィール】
■東京文化小学校卒。1988年3月 - 明治大学付属中野高等学校を中退し、藤島部屋(のちの二子山部屋、現在の貴乃花部屋)に弟の光司と同期入門、四股名は若花田 勝(わかはなだ まさる)。ほかに同期の力士は曙太郎、魁皇博之ら。名前は父で師匠の藤島親方が兄の勝治(伯父)にちなんで「勝」と名づけた。

■1990年3月 - 十両昇進

■1990年9月 - 幕内昇進

■1991年11月 - 小結昇進

■1993年1月 - 初の幕内最高優勝

■1993年5月 - 関脇昇進、四股名を若ノ花 勝(わかのはな -)に改める。

■1993年9月 - 大関昇進、伝達式口上で「一意専心の気持ちを忘れず相撲道に精進する」と述べる。

■1994年6月 - 元ファッションモデルで日本航空客室乗務員の栗尾美恵子と結婚。

■1994年11月 - 四股名を若乃花 勝(わかのはな - )に改める。

■1995年11月26日 - 十一月場所千秋楽、史上初の兄弟による優勝決定戦で、弟貴乃花を破り幕内最高優勝を果たす。

■1998年7月 - 横綱に昇進、史上初の兄弟同時横綱が実現する。横綱土俵入りは不知火型を選択。伝達式口上で「堅忍不抜の精神で精進していく」と述べる(この際、綱取りのかかった場所で12勝3敗という成績が昇進に値するかどうかで議論され、「全勝優勝を求めるべし」と昇進を見送る意見もあった)。

■1999年1月 - 千秋楽まで単独首位であったが、本割と優勝決定戦で関脇・千代大海に敗れ、横綱初優勝ならず。

■1999年9月 - 十日目の闘牙戦で、左太腿の肉離れを起こす。協会からの休場勧告を無視して千秋楽まで出場するも、7勝8敗で負け越し(横綱が皆勤しての負け越しは史上4人目(5例目)、15日制が定着してからは大乃国に次いで2人目)。

■2000年3月16日 - 三月場所5日目に現役引退を表明、年寄藤島を襲名する。最後の対戦相手* 2005年7月7日 は、奇しくも明大中野高校の後輩でもある、関脇(当時・のち大関)の栃東大裕だった。本人は高校の後輩として面倒を見ていた栃東ならば、最後の対戦相手として不足はない、と考えていたという。実際、現役最後の白星となった4日目玉春日戦の取組後、翌日の対戦相手が栃東と決定した時に、女将(当時)で実母の憲子から電話で「明日栃東でしょう。良かったわね」と話すと、若乃花も「そう。よかったよ、ダイスケで」と喜んだ。しかし、この電話で二人は「栃東戦が最後の相撲」と、通じ合っていたという。

■2000年9月23日 - 断髪式。若乃花最後の横綱土俵入りには太刀持ちに曙、露払いに貴乃花と両横綱が務めた。日本テレビ系列での中継は関東地区22.6%、関西地区25.6%(ビデオリサーチ調べ)の高視聴率を記録する。実弟、光司が鋏を入れた後、そっと勝の肩に手を掛けるシーンが涙を誘う。

■2000年12月18日 - 日本相撲協会を退職。

■以降、アメリカンフットボール選手を目指し渡米、さらに本名の花田 勝でタレント・スポーツキャスターとして活動を行う。

■2005年5月30日 - 実父で師匠の二子山親方(花田満、元大関貴ノ花)死去。6月2日に東京都港区の青山葬儀所で行われた告別式で喪主を務めた。その頃、弟の貴乃花親方との確執が再び明らかとなった。この一件では、貴乃花親方が一種の舌禍騒動の様な状態に陥ったのとは対照的に、何を言われても頑なに沈黙をつらぬいた。

■現在は東京都、大阪府、愛知県などでちゃんこ料理屋「Chanko Dining 若」を経営し、大相撲の本場所では懸賞の提供企業にもなっている。このちゃんこ屋は2006年8月現在兵庫県姫路市や岡山県、京都府、神奈川県などに進出し、遂には韓国にも出店した事で店舗数は23店舗。また、最近は「Korean Dining 焼肉66亭」「WAKAS' GRILL AND SEAFOOD」をオープンし、テレビのキー局でもコマーシャルを打つ程に至って盛業であり、自身のタレント活動も含めて、角界出身の実業家としては実に大谷米太郎以来の大成功とまで言われている。

■2005年7月7日 「Chanko Dining 若」が新宿にもオープン、それと同時に父の遺産の放棄を宣言している。遺産放棄の理由は明らかにされていないが、彼のタニマチによれば、「現在は実業家として、父親より稼いでいるから放棄した」と言われている。

■2007年10月2日 美恵子夫人と離婚。「正式に書面を提出し離婚という道を選ぶ事になりました。2人で時間をかけて話し合い、このような結果となりました。出逢えたこと、4人の子供を授かったことなど13年間の結婚生活に感謝しています。これからも2人を温かく見守って頂けると嬉しく思います」と所属事務所を通じてFAXでコメントしている。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20071003-00000002-oric-ent

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吉田美和 エピソード&プロフィール

吉田 美和(よしだ みわ、1965年5月6日 - )はDREAMS COME TRUEのヴォーカルを務める北海道中川郡池田町出身のシンガーソングライター。DREAMS COME TRUEの全ての作詞と数多くの作曲を手がけている。 身長162cm。


【人物】
池田町立池田小学校、同池田中学校卒業。中学時代に学校祭でバンドを結成、自作の曲を発表。また、この頃は常に成績オール5をとるなど、優秀な生徒だった。北海道帯広柏葉高等学校進学後、高校時代の文集では、「将来bigになる」と記していた。元DREAMS COME TRUEの西川隆宏とは高校時代に出会う。中村正人と初めて会った時、彼に名曲「うれしはずかし朝帰り」「週に一度の恋人」を歌って聴かせたというのは、有名な話である。その後、小泉今日子や中山美穂のバックボーカルや、中村正人と共にとんねるずなどのバックバンドに参加しながら、DREAMS COME TRUEの前身と言える「CHA-CHA & AUDREY's PROJECT」を結成、ライブ活動を行う。

1995年にはアルバム「beauty and harmony」でソロデビュー。アルバムの題名は名前の「美」と「和」を英訳したところから名づけられた。ニューヨーク・LAで活躍するマイケル・ブレッカーやデイヴィッド・T・ウォーカー、ラルフ・マクドナルド、チャック・レイニー、ハービー・メイソン、グレッグ・アダムスらのトップミュージシャン達と共演を果たし、マリーナ・ショウの名盤「フー・イズ・ディス・ビッチ・エニウェイ」とほぼ同じバックが固める。ほぼレコーディング時のメンバーと共に全国ツアーを行った。

2004年5月に9歳年下の映像ディレクター末田健と結婚。交際期間中から末田氏が一児を持つ既婚者であった為、不倫の末の略奪婚として耳目を集めた。2007年9月26日、末田が胚細胞腫瘍で逝去。婚姻届は出さない事実婚だった。

2004年12月公開の映画「アマレット」を自主制作し、中村正人とともに初の原案・主演を果たす。

公式には認めていないが、FUNK THE PEANUTSのFUN・P2号や、中村正人のラジオの企画で結成したユニット「アンドレ中村とオホーツクボーイズ」の岡リーナの正体が彼女であることは公然の事実。また他のアーティストへ歌詞を提供する際には「観音崎すみれ」のペンネームを使用することがある(「アマレット」における彼女の役名でもある)。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20071001-00000001-dal-ent

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柴咲コウ エピソード&プロフィール

柴咲 コウ(しばさき こう、1981年8月5日 - )は、女優、歌手。東京都豊島区出身。スターダストプロモーション所属。血液型はB型、身長は約160cm。最終学歴は東京都立板橋高等学校中退。芸名は、かわかみじゅんこの漫画『GOLDEN DELICIOUS APPLE SHERBET』(短編集『少女ケニヤ』収録)の登場人物・柴崎紅が由来。


【経歴・特徴】
■デビューは1998年に放送された番宣番組『倶楽部6』(TBS)。1999年放送の日本リーバ(現ユニリーバ・ジャパン)の「ポンズ・ダブルホワイト」のCMでブレイク。以後は映画『バトル・ロワイアル』や
『GO』での演技が評価され、数々のドラマや映画に出演した。

■『GO』での演技が認められ、数々の賞を受賞し女優としての地位を確立した。

■主な出演映画代表作は、『黄泉がえり』(03年)、『世界の中心で、愛をさけぶ』(04年)、『メゾン・ド・ヒミコ』(05年)、『日本沈没』『県庁の星』(06年)など。柴咲が出演したほとんどの映画は大ヒットを記録している。
2007年には、妻夫木聡とダブル主演を努める『どろろ』、堤真一・阿部サダヲとトリプル主演を務める『舞妓Haaaan!!!』の公開が控えている。

■おもな主演ドラマ代表作は『GOOD LUCK!!』(03年)、『オレンジデイズ』(04年)、『Dr.コトー診療所』(03年,04年,06年)など。いずれも高視聴率を記録した。特に『GOOD LUCK!!』は最高視聴率37%を記録し、柴咲の影響で整備士を志願する女性が急増した。

■歌手として、ユニバーサルミュージックから2002年にシングル「Trust my feelings」でデビュー。2003年、RUI(ルイ)の名義でリリースした映画『黄泉がえり』の主題歌「月のしずく」が100万枚を超える大ヒットとなる。オリコンチャートでは最高位1位、年間チャートでも3位を記録した。翌2004年には、ドラマ『世界の中心で、愛をさけぶ』の主題歌「かたち あるもの」(最高位2位)が60万枚を超える大ヒットを記録し、年間チャートでもトップ10入りした。ほとんどの作品は柴咲自身が作詞を担当しており、2006年のドラマ『白夜行』の主題歌「影」(最高位2位)や『タイヨウのうた』主題歌「invitation」など、本人による歌詞は原作の内容をよく理解して作られており、作詞に関する評価も得ている。しかし本人は女優活動を重視しており、歌手として歌番組に出る事は滅多にない。

■髪型はかつてロングヘアーだったが、現在はショートカット。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20071001-00000031-nks-ent

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布袋寅泰 エピソード&プロフィール

布袋 寅泰(ほてい ともやす、1962年2月1日 - )は、群馬県高崎市出身のミュージシャン、ギタリスト。

IRc2 CORPORATION所属。身長187cm。血液型はB型。


【活動概観】
キリスト教の新島学園高校中退。卒業直前での退学のため卒業生名簿には名前が載っている。この中退というのは学校側から髪型を指摘されたことが原因によるものである。その際、教師に向けて言い放った「イエス様の方が僕より長い。」の台詞はファンの間であまりにも有名。

1981年、BOØWYのギタリストとしてデビューし、BOØWYでの活躍でギタリストとしての地位を確立する。BOØWY解散後はソロ活動の他、COMPLEX(吉川晃司とのユニット)、他ミュージシャンへの楽曲提供など幅広い活動をしている。また、レコーディングではギターだけでなく、ベース、ドラムス、キーボードも演奏する。ソロ作品の代表曲は『さらば青春の光』、『POISON』、『スリル』など。

また、海外ではHOTEI名義で、イギリス、ドイツなどでアルバムをリリースしている。イギリスのロックバンド、ジーザス・ジョーンズと親交があり、双方がライブ演奏のゲストに招いている。近年は映画やCMへの出演等、俳優としての活動も行っている。

3歳年上の歌手、山下久美子と結婚していたが、離婚。その後1歳下の女優・歌手、今井美樹と再婚して、一人娘がいる。

「最新のHOTEIが最高のHOTEI」がモットー。ポルシェ社のキャッチコピーから。現在の愛車はベントレーのアルナージT、AMGのE63T、シボレーのエクスプレスバン。


【人物】
幼少時代にピアノを始める。14歳の時、マーク・ボランのポスターを見て感銘を受けギターを始める。初めて買ったギターはストラトキャスタータイプで、この時の資金は母親の財布から失敬した一万円だったという。

A-ROCK本選会アイデア賞を受賞し、17歳(高校3年時に中退後)の時上京。

1981年に氷室京介らと共に暴威(後に「BOØWY」と改名)というバンドを結成。翌1982年にリリースしたアルバム『MORAL』にてプロデビューする。バンド時代は彼自身のスタイル(『8ビート』の『カッティング』など)が確立されていった時期であるといえる。『B・BLUE』、『ONLY YOU』、『MARIONETTE』などその過程においてBOØWYの代表曲となる作品が多数生まれている。BOØWYは1987年12月24日渋谷公会堂で解散し、翌1988年4月に行われた東京ドームでのライブをもって活動に終止符を打つ。

BOØWY時代から現在に至るまで愛用されている白黒の幾何学模様のテレキャスターは市販されている数あるアーティストモデルのギターの中でも特に有名である。ちなみにあの模様は酒を呑んで酔っ払った勢いで「あっみだくじぃ〜」と口ずさみながら書いたらしい。

初期の活動と平行して、演劇型アプローチのロックバンド、AUTO-MOD(他に、高橋まこと、PERSONZの渡邉貢らが在籍)に在籍していたり、またその個性的なギタースタイルから他のアーティストのレコーディングに呼ばれる事も多く、鈴木雅之のソロデビュー曲『ガラス越しに消えた夏』をはじめ、吉川晃司・中島みゆき(後藤次利プロデュース)、『風の谷のナウシカ』サウンドトラック、山下久美子(吉田建プロデュース)などのアルバムに参加している。

BOØWYでの活動を終えて、氷室京介が1988年7月21日にソロデビューしたのに続き、半年後の同年10月にソロ1stアルバム『GUITARHYTHM』をリリースし、ソロ活動を開始。藤井丈司・ホッピー神山とのコラボレーションによるギターとコンピュータの融合で歴史に残る斬新なアルバムとして注目された。イギリスにおいてシングルを発表するも注目されることはなく、同年12月に吉川晃司とCOMPLEXを結成し、シングル『BE MY BABY』でデビュー。2枚のアルバムを発表したが、音楽性の違いで吉川と対立し、1990年11月8日に行われた東京ドームでのライブをもって無期限活動休止に入る。

COMPLEX休止後は一貫してソロ活動に専念する。ミュージシャンであるだけでなく、音楽プロデューサーとして今井美樹、相川七瀬、TOKIO、藤井フミヤ、JILL(PERSONZ)や江角マキコなどのアーティストに楽曲を提供したり、『新・仁義なき戦い』や『KT』、『キル・ビル』などの映画音楽も手掛ける。また『新・仁義なき戦い』や『サムライ・フィクション』等では俳優としても活躍。その長身と強面を生かし、永瀬正敏とのコマーシャルにも出演。

1996年にはマイケル・ケイメンからのオファーでアトランタオリンピックの閉会式に出演。1994年の奈良東大寺でのイベント「AONIYOSHI」をきっかけに交流を深めたケイメンとギターとオーケストラとの融合作品『GUITAR CONCERTO』に参加したり、『THANK YOU & GOOD BYE』のプロデュースをケイメンに依頼した事もあった。

楽曲製作に関しては、作曲を優先(曲先)にする。ギターリフから作ったもの、ベースリフから作ったもの、メロディから作ったもの、リズムパターンから作ったものとバラエティに富んでいる。

BOØWYのライブで氷室にキスをされたことがある。


【活動履歴】
■1979年
・A'ROCK本選会に入賞し、上京する。その後、氷室京介らと共に暴威(BOØWY)を結成する。

■1981年
・5月11日 新宿ロフトにてBOØWYとして初のライブを行う。以後ここ拠点にライブ活動を開始。

■1982年
・3月21日 BOØWYのギタリストとしてアルバム『MORAL』でデビュー。

■1985年
・12月24日 渋谷公会堂公演のアンコールで、ロック歌手の山下久美子と結婚を発表。翌1986年1月に結婚。

■1988年
・4月4日・5日 『“LAST GIGS”』東京ドーム2daysでBOØWYとしての活動を終了。
・10月5日 アルバム『GUITARHYTHM』をリリースし、ソロデビュー(初登場2位)。
・10月26日 初のソロライブ『GUITARHYTHM LIVE』国立代々木競技場。
・11月15日 『GUITARHYTHM LIVE』大阪城ホール。
・12月 歌手の吉川晃司とのユニット、COMPLEXを結成する。

■1989年
・1月11日 VHS『GUITARHYTHM』リリース。
・4月8日 COMPLEXとしての1stシングル『BE MY BABY』リリース。以後、COMPLEXとして活動。

■1990年
・11月8日 『COMPLEX 19901108』東京ドームをもってCOMPLEXとしての活動を無期限停止。
・12月12日 マキシシングル『Déjà-Vu』リリース(初登場2位)。 以後、ソロとして本格的に活動。

■1991年
・6月29日 シングル『BEAT EMOTION』リリース。初登場1位。
・8月6日 『GUITARHYTHM REPRISE』富士急ハイランド。悪天候にも関わらず一万人を動員。
・9月27日 アルバム『GUITARHYTHM U』リリース。初登場1位。
・9月30日〜 『GUITARHYTHM active TOUR』スタート。
・12月4日 カットシングル『YOU』リリース。初登場12位。

■1992年
・3月25日 ライブVHS『GUITARHYTHM active tour'91-'92』リリース。
・4月8日 ライブアルバム『GUITARHYTHM active tour'91-'92』リリース。初登場2位。
・7月22日 シングル『LONELY★WILD』リリース。初登場5位。
・9月23日 アルバム『GUITARHYTHM V』リリース。初登場2位。
・10月12日〜 『GUITARHYTHM WILD TOUR』スタート。
・12月 右手骨折のため、ライブスケジュールを延期する。

■1993年
・2月25日〜 『GUITARHYTHM WILD TOUR』再開。
・4月28日 ライブアルバム『GUITARHYTHM WILD』リリース。初登場2位。
・6月16日 ライブVHS『GUITARHYTHM WILD』リリース。
・6月28日 ロンドンで行われたANC60周年記念イベントに出演。
・7月28日 シングル『さらば青春の光』リリース(初登場8位)。TBS系テレビドラマ『課長さんの厄年』の主題歌として使用され、初のタイアップとなる。

■1994年
・3月30日 シングル『サレンダー』リリース。初登場2位。
・5月21日・22日 奈良県の東大寺で行われたUNESCO世界文化発展の10年計画の公式イベント「GME'94 AONIYOSHI」に参加する。
・6月1日 アルバム『GUITARHYTHM W』リリース。初登場2位。
・6月10日〜 『GUITARHYTHM SERIOUS? TOUR』スタート。
・7月27日 VHS『SERIOUS CLIPS』リリース。
・9月20日〜 『TOMOYASU HOTEI vs JEJUS JONES W-HEAD LINE TOUR』5公演。
・11月21日〜 『GUITARHYTHM SERIOUS! CLIMAX ARENA TOUR』スタート。
・12月14日 カットシングル『薔薇と雨』リリース。初登場13位。

■1995年
・1月25日 シングル『POISON』リリース(初登場2位)。ブティックJOYのCMソングとして使用され、89万枚の大ヒットを記録。
・2月17日 ベストアルバム『GUITARHYTHM FOREVER』Vol.1&Vol. 2を同時リリース(初登場1位&2位)。この作品をもって「GUITARHYTHM」プロジェクトが終了。
・5月17日 ライブVHS『GUITARHYTHM SERIOUS! CLIMAX』リリース。
・7月4日 ヨージヤマモトプールオムの'96春夏パリコレクションにモデルとして出演する。
・10月18日 シングル『スリル』リリース。初登場1位。
・12月20日・21日 『TOKYO Inter-Live サイバーシティーは眠らない』横浜アリーナ2days。

■1996年
・1月24日 シングル『ラストシーン』リリース。初登場3位。
・2月28日 アルバム『King & Queen』リリース。初登場1位。オリジナルアルバムとしては89万枚という最大ヒットを記録。
・3月9日 『King & Queen TOUR』スタート。
・5月13日 リハーサル中 右鎖骨を骨折、5月の9公演を延期。
・5月24日 カットシングル『命は燃やしつくすためのもの』(初登場13位)、ライブVHS『サイバーシティーは眠らない』リリース。
・6月4日・5日 デビッド・ボウイのJAPAN TOUR オープニングアクトを務める。5日の公演のアンコールで、デビッド・ボウイと「ALL THE YOUNG DUTES」で競演。
・6月8日〜 『King & Queen TOUR』再開。
・8月4日 マイケル・ケイメンの依頼により、アトランタオリンピックの閉会式のセレモニーにてフロント・ギタリストを務める。
・10月9日 VHS『H』リリース。
・10月23日 シングル『CIRCUS』リリース。初登場3位。
・11月7日〜 『SPACE COWBOY TOUR』スタート。
・12月24日 マキシシングル『BATTLE ROYAL MIXES』リリース。初登場7位。

■1997年
・3月19日 ライブアルバム『HOTEI PRESENTS SPACE COWBOY SHOW』リリース。初登場3位。
・4月25日 ライブアルバム『HOTEI PRESENTS SPACE COWBOY SHOW ENCORE』(初登場8位)、ライブVHS『HOTEI PRESENTS SPACE COWBOY SHOW』リリース。
・5月28日 ライブDVD『HOTEI PRESENTS SPACE COWBOY SHOW』リリース。
・8月1日 シングル『CHANGE YOURSELF!』リリース(初登場6位)。日清食品のCMソングとして自身も初出演。
・10月14日 ギタリストコンピレーションアルバム『Merry Axemas』を全世界発売(10月22日 国内盤リリース)。日本人としてただ1人参加し、『Happy Christmas(War is over)』をカヴァー。
・11月 山下久美子と離婚。

■1998年
・1月28日 シングル『THANK YOU & GOOD BYE』リリース。初登場9位。
・4月29日 アルバム『SUPERSONIC GENERATION』リリース。初登場4位。
・5月9日〜 『SUPERSONIC GENERATION TOUR』スタート。
・5月21日 Play Stationソフト『Stolen Song』が発売される。
・6月1日 マイケル・ケイメンの壮大なオーケストラとのコラボレートアルバム『GUITAR CONCERTO』を全世界発売。
・6月23日 マキシシングル『BATTLE ROYAL MIXES U』リリース。初登場18位。
・7月18日 FNS27時間テレビ夢列島でSMAPの木村拓哉と共演。
・7月23日 アルバム『SF(SAMURAI FICTION)サウンドトラック』リリース。初登場29位。
・8月8日 シネアミューズにて初出演映画『SF(サムライフィクション)』が公開される。
・10月7日 ライブVHS『SSG LIVE "ROCK THE FUTURE"』リリース。

■1999年
・4月16日 シングル『バンビーナ』リリース。初登場2位。
・5月1日 故hideのトリビュート・アルバム『hide TRIBUTE SPIRITS』で『ROCKET DIVE』をカヴァー。
・5月12日 シングル『NOBODY IS PERFECT』リリース。初登場10位。
・6月6日 今井美樹と再婚。
・6月23日 ベストアルバム『GREATEST HITS 1990-1999』リリース(初登場1位)。111万枚を記録する大ヒットアルバムとなる。
・7月16日 VHS『GREATEST VIDEO 1994-1999』リリース。
・8月15日〜 『GREATEST HITS TOUR』スタート。

■2000年
・1月26日 アルバム『TONIGHT I'M YOURS / B-SIDE RENDEZ-VOUS』リリース。初登場4位。
・2月23日 ライブVHS『TONIGHT I'M YOURS』リリース。
・3月16日 ライブDVD『TONIGHT I'M YOURS』リリース。
・8月25日 シングル『VAMPIRE』リリース。初登場8位。
・10月25日 シングル『LOVE JUNKIE』リリース。初登場11位。
・11月25日 映画『新・仁義なき戦い』に豊川悦司とともに主演、音楽監督も担当する。
・11月29日 アルバム『fetish』リリース。初登場8位。
・11月29日 アルバム『新・仁義なき戦い/そしてその映画音楽』リリース。初登場41位。
・12月20日〜 『HOTEI ROCK THE FUTURE 2000-2001 "fetish"』スタート。

■2001年
・1月1日 シングル『BORN TO BE FREE』リリース。初登場14位。
・3月16日 ライブアルバム『ROCK THE FUTURE TOUR 2000-2001』リリース。初登場15位。
・3月23日 ライブVHS/DVD『ROCK THE FUTURE TOUR 2000-2001』リリース。
・7月25日 ライブDVD『HOTEI LIVE JUKEBOX』リリース。
・8月〜 サントリーBOSSのCMにシリーズ出演開始。永瀬正敏と共演。
・11月30日 大阪城ホールにて開催されたライブイベント『Act Against Aids』に出演。Charと初共演。

■2002年
・1月1日 ネットワークメンバーズサイト『hotei.com beat crazy』スタート。
・2月6日 シングル『RUSSIAN ROULETTE』リリース。初登場9位。
・3月6日 アルバム『SCORPIO RISING』リリース。初登場6位。
・5月 宮崎で転倒した際受けた頭部の怪我により、5月17日からのTOURを延期。
・5月22日 アルバム『KT ORIGINAL MOTION PICTURE SOUNDTRACK』リリース。
・7月26日 長女が誕生。
・8月16日〜 怪我で延期となっていた『HOTEI ROCK THE FUTURE 2002 SCORPIO RISING TOUR』がスタート。
・10月17日 シングル『DESTINIY ROSE』リリース。初登場8位。
・12月26日 ライブアルバム『ライブ in 武道館』リリース。初登場18位。

■2003年
・1月29日 ライブVHS/DVD『ライブ in 武道館』リリース。
・5月21日 ライブDVD『beat crazy presents live@AX』リリース。
・8月27日 シングル『NOCTURNE No.9』リリース。初登場13位。
・9月26日 アルバム『DOBERMAN』リリース。初登場9位。
・10月30日〜 『HOTEI ROCK THE FUTURE 2003-2004 DOBERMAN TOUR』スタート。
・12月3日 DVD『DOBERMAN DVD』リリース。

■2004年
・3月31日 インストアルバム『ELECTRIC SAMURAI』日本・韓国でリリース(国内盤〜 初登場24位)。(4月5日 イギリスでリリース。)
・6月30日 ライブDVD『THE LIVE!DOBERMAN』、カットシングル『アナザー・バトル』リリース(初登場17位)。(7月23日 アナログ盤リリース。)
・10月29日〜 『MIKI IMAI DREAM TOUR』スタート。COMPLEX以来、14年ぶりにギタリストとして参加。
・11月10日 井上陽水のトリビュート・アルバム『YOSUI TRIBUTE』で『東へ西へ』をカヴァー。

■2005年
・2005年、旧友であるブライアン・セッツァーとバンド結成する予定だったが、ブライアン側の都合で中止となる。そのためブライアン・プロジェクト用に空けていた2005年度のスケジュールが白紙になったため、ブライアン・プロジェクト用に書きためていた曲を含むオリジナルアルバム『MONSTER DRIVE』を急遽リリース、TOURを行う運びとなった。
・2月23日 シングル『IDENTITY』リリース。初登場21位。
・3月30日 DVD『Top Runner 完全版』リリース。
・4月27日 シングル『LIBERTY WINGS』リリース。初登場15位。
・6月15日 アルバム『MONSTER DRIVE』リリース。初登場10位。
・7月2日〜 『HOTEI ROCK THE FUTURE 2005 MONSTER DRIVE PARTY!!!』スタート。同TOURのオフィシャルブートを期間限定受注販売開始。
・9月2日 『HOTEI ROCK THE FUTURE 2005 MONSTER DRIVE BIG PARTY!!!』さいたまスーパーアリーナ。
・9月14日 ライブアルバム/DVD『MONSTER DRIVE PAERTY!!!』リリース。アルバム〜 初登場25位。
・12月7日 ベストアルバム『ALL TIME SUPER BEST』リリース。初登場5位。

■2006年
・1月25日 HOTEI vs RIP SLYMEでシングル『BATTLE FUNKASTIC』リリース。初登場8位。
・2月18日〜 『HOTEI 25th Anniversary ALL TIME SUPER BEST TOUR』スタート。同TOURのオフィシャルブートを期間限定受注販売開始。
・3月26日 DVD『ALL TIME SUPER CLIPS』リリース。
・6月28日 ライブDVD『ALL TIME SUPER BEST TOUR』リリース。
・8月23日 BRIAN SETZER vs HOTEIでシングル『BACK STREETS OF TOKYO』リリース。初登場19位。
・11月8日 Hotei vs Charでシングル『Stereocaster』リリース。初登場17位。
・12月6日 アルバム『SOUL SESSIONS』リリース。初登場15位。
・12月31日 『第57回NHK紅白歌合戦』に初選出された今井美樹のサポートギタリストとして出演。テレビ初の夫婦共演を果たす。

■2007年
・1月14日・20日・21日 『HOTEI presents "SUPER SOUL SESSIONS" BRIAN SETZER vs HOTEI vs CHAR』3公演。布袋、Char、ブライアン・セッツァーの3人が競演。
・6月18日 同月13日、芥川賞作家でロック歌手の町田康が千葉県富津市内の布袋の別荘に行き、車に同乗して東京に戻る途中布袋に殴りかかられたとして、顔や上半身に2週間の怪我を負ったという内容の診断書を添えて、千葉県警君津署に被害届を提出。
・6月27日 ライブDVD『HOTEI presents "SUPER SOUL SESSIONS" BRIAN SETZER vs HOTEI vs CHAR』、ライブアルバム/DVD『MTV UNPLUGGED』3タイトル同時リリース。
・8月7日 上記の件で千葉県警が届を受理し、傷害容疑で書類送検される。
・10月1日、傷害罪で罰金30万円の略式命令。


【備考】
■自身による著書「秘密」によると、父親は韓国人で、韓国にも家庭があり、母は日本での妻という立場だったとのこと。また、母親はロシア(樺太)生まれの日本人とロシア人とのハーフで日本国籍とのこと。

■BOØWY加入について「氷室京介は当時地元で有名な不良少年で、怖くて断れなかった」らしい。その一方、氷室がテレビ出演をあまりしないことについて不満を述べることもある。氷室とは対照的に布袋は、特にここ数年テレビ番組にも積極的に出演しており、特に「HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP」では、ダウンタウンとの掛け合いトークは強面とは対照的なユーモアあふれる内容で、新しい布袋の一面を見せた。これがきっかけとなり、コミカルなTVCF等にも出るようになった。ダウンタウンとの掛け合いはファンの間でも好評である。

■強面とは裏腹の明快な人物で、NHK-FM『ミュージック・スクエア』木曜日分のパーソナリティを務めた(1990年-1993年)際などは、自分の好きな古今東西の音楽(ジャンルはロックに留まらない)を流れるようなトークを合間にはさみつつかけ続けるスタイルで、多くのリスナーを獲得した。またCM出演もイメージ通りのハードなものからどこか自分を茶化しているようなコミカルなものまで様々である。

■BOØWY解散後、氷室京介と直接会話したのはGUITARHYTHMU完成時。布袋が作品を持って行くと氷室は聴いたよと答え、感想として「なげーよ」とコメントしたという。「いいけど長い」「長いのつくりたかったんだからいいんじゃない?」と氷室は答え、率直な感想をもらえたとして布袋はうれしかったとコメントしている。なお、布袋と氷室はGUITARHYTHMU完成より前に、偶然、横浜の中華街の店で遭遇し布袋は「何かこっちは緊張したね」とミュージック・スクエアで話していた。

■1996年 デヴィッド・ボウイが来日した際、共演するためにデヴィッド・ボウイへ想いを綴った手紙を渡している(ホテルのドアの隙間から差し入れた)。この共演時の曲は『ALL THE YOUNG DUTES』。

■『スリル』がすっかり江頭2:50が登場する際のテーマソングになっている。きっかけは矢部浩之が『笑っていいとも!特大号』のモノマネ歌合戦に登場した際に布袋の『スリル』をBGMに江頭のモノマネをやったところ好評で、そのまま江頭本人も自身のTV出演の際に『スリル』で登場するようになったためである。ちなみに、『イケてるCDTV』のコーナーで、布袋のシングル『CIRCUS』のPVのパロディーが、アーティスト『布袋2:50』の名で披露されている。後に布袋は江頭を自身の横浜アリーナでのコンサートに招待したが、その席で「俺のイメージがボロボロだぁ…。」と冗談ぽく言ったらしい(尾ひれが付いて、胸倉を掴んだり、暴言を吐いたりなどの噂はあるが、実際にはそのような事はなかったらしい)。

■ミュージックステーション(テレビ朝日系列)で、入社したてだったアシスタントの堂真理子アナウンサーが、名前を読み間違えたことで彼のファンからクレームが殺到したが、布袋は、自身のHPでそのことをフォローした。

■「NOCTURNE NO.9」「RUSSIAN ROULETTE」「バンビーナ」はプレイステーション2ソフト『GuitarFreaks&DrumMania』シリーズに収録されている。

■『MTV TOYOTA MASH UP PROJECT』で、RIP SLYMEとのコラボレーションが実現された。布袋の「BATTLE WITHOUT HONOR OR HUMANITY」とRIP SLYMEの「FUNKASTIC」を、マッシュアップと呼ばれる手法で互いの楽曲を混ぜ、HOTEI vs RIP SLYME名義で「BATTLE FUNKASTIC」を2006年1月25日にシングルとして発売した。また、別バージョンとして、RIP SLYME vs HOTEI名義で「FUNKASTIC BATTLE」を同日発売のシングル「Hot chocolate」のカップリング曲として収録。この楽曲はトヨタ自動車のコンパクトカー・bBのCMソングとして起用された。

■永瀬正敏とのコラボレーションCFは布袋が永瀬をひたすら追っかけるが、その対象のCF会社がだんだん変わっていくと言う当時としては極めて斬新な内容だった。このCFの収録は月一回のペースで行われたが、布袋自身も楽しんで収録していたらしく、特にフジカラーの時は、岸本加代子・木稀樹林とも競演し、往年の名シーン「お正月を写そう・・・」の再現が行われた。後に布袋は「この収録が一番楽しかった。本物の「お正月を…」も聞けたし。と語っている。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20071001-00000925-san-ent

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