Google
 

野口五郎 エピソード&プロフィール

野口 五郎(のぐち ごろう、 本名:佐藤 靖 さとう やすし、1956年2月23日 - )は岐阜県美濃市出身の歌手・俳優で、新御三家の一人として1970年代の日本を代表し、歌の上手さと人柄の良さをアピールして活躍した男性アイドルである。妻は三井ゆり。子供は一女一男。実兄は作曲家の佐藤寛。歌うギタリストとして絶大な評価を得て、現在は「Gプロデュース」の代表として会社経営をこなしている。


【生い立ち】
■本来、家族会議で「直樹」と命名するつもりだったが、父親が許可を得ずに「靖」という名前で、出生届けを出したという。血液型はA型。

■3歳から歌い始め、1966年10月にフジテレビの「ちびっこのどじまん」で、荒木一郎の『今夜は踊ろう』を歌い、優勝する。

■幾つもの、ちびっこのど自慢大会に参加する中で、幼い頃ライバルとして一目置いていたのが現在の天童よしみであるという。

■中部日本放送の「どんぐり音楽会」に出演し、ザ・ワイルド・ワンズの『青空のある限り』を歌い、1位に輝いた。のちにプロを目指し実母とともに上京、芸能事務所NPプロダクションに所属する。

■芸名は飛騨山脈の野口五郎岳に由来し、名付け親はポリドールレコードのディレクターといわれている。なお、黒部五郎岳にちなんだ「黒部五郎」も芸名の候補の中にあった。現在では、山の名前が歌手にちなんで付けられたと誤解している人さえいる。


【経歴】
■1971年5月1日に『博多みれん』で演歌歌手としてデビューしたが全く売れず、2曲目の『青いリンゴ』からポップス歌手に転向すると、甘いマスクとナイーブな性格が若い女性ファンの人気を獲得し、後にデビューした西城秀樹、郷ひろみと共に新御三家と呼ばれて、一躍スーパーアイドルとなる。

■非凡な才能が有望視され、1972年のNHK紅白歌合戦で異例となる最年少・初出場歌手に大抜擢される。

■オリコンのヒットチャートでは、1973年に『オレンジの雨』で初のベストテン入りを果たすと、続く『君が美しすぎて』が第3位にランクされる。そして1974年には『甘い生活』で遂に念願の第1位を獲得する。

■明けて1975年、実兄(佐藤寛)作曲による『私鉄沿線』が有線放送から火がつき、連続してオリコンのヒットチャートの第1位に輝く。日本有線大賞のグランプリ、日本レコード大賞の歌唱賞、日本歌謡大賞の放送音楽賞など、その年の各音楽賞を総なめし、一躍トップスターとして、脚光をあびる。以来、しっとりとして伸びのある歌声と技巧的な歌唱法には定評があり、「新御三家の中で一番歌が上手い」と言われ、日本歌謡大賞の放送音楽賞を5年連続受賞するなど、毎年の各音楽賞の常連となり、地味ではあるが息の長い大人の歌手として活躍する。

■2001年に三井ゆりと結婚し、2004年5月2日に2994グラムの第二子となる男児が誕生した。

■近年は六本木STBにおけるライブがゴールデンウィークの恒例となっている。

●ギタリストとして
■ギタリストとしても、卓越した音楽センスを披露した1982年と1993年のインスト・アルバムは高い評価を得ている。

■四人囃子から森園勝敏が脱退した際、その後任候補と噂された事もある。

■2005年にはヘヴィメタル専門番組ヘビメタさんに出演。元メガデスのマーティ・フリードマンと競演する。

●タレントとして
■『カックラキン大放送』では自身の短足を誇張した、当時のアイドルとしては珍しい捨て身のギャグが定番だった。

■バラエティ番組等ではダジャレ好きなタレントとして、歌手活動とは違った魅力を見せている。

■火曜ワイドスペシャルで放送された芸能人野球大会に投手として出場したことがあり、その時の背番号は560番だった。

■もはや本来の野口五郎のイメージとはかけ離れ、オーバーに脚色されて、一人歩きしつつあるものまねをして有名になったコロッケに対して、怒るどころか軽妙にトークする懐の大きさを披露し、人柄の良さを窺わせている。

■2006年、ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!にも時々出演し、コミカルな一面を披露している。

●俳優として
■俳優としても独自のポジションを確保しており、『カックラキン大放送』で既にその片鱗が見られる。

■1999年に放送された『ケイゾク』での怪演は記憶に新しい。

■2002年に放送されたNHKの連続テレビ小説『さくら』では、ヒロイン・さくら先生(演:高野志穂)の赴任先となる中学校の英語担当教師を熱演していた。

●音楽プロデューサーとして
■音楽プロデューサーとして、2005年に音楽映像配信サイト『音コレ』(2006年7月20日、『Gプロデュース』と改名)を立ち上げ、ものまね、インディーズ、オリジナル楽曲をプロデュース。網野泰寛などもプロデュースしている。NTTドコモの公式サイトにおいても、「音コレものまねMIX」として着うた、着モーションなどを配信中。

(出典:Wikipedia)

ウエンツ瑛士 エピソード&プロフィール

ウエンツ 瑛士(ウエンツ えいじ、Wentz Eiji、本名:同じ 1985年10月8日 - )は、日本の俳優、タレント、ミュージシャンである。東京都武蔵野市出身。てんびん座、O型。学校法人武蔵野東学園武蔵野東小学校-武蔵野東中学校卒業。日本大学櫻丘高等学校卒業。バーニングプロダクション所属。

小池徹平とのデュオ「WaT」のメンバー。


【略歴】
■1989年
・モデルデビュー(当時4歳)。天使系美少年と呼ばれ、以降数々の雑誌・CMなどで活躍。

■1995年
・劇団四季のミュージカル 『美女と野獣』 のチップ役で役者デビュー(当時9歳)。

・NHKの子ども番組 『天才てれびくん』『天才てれびくんワイド』にレギュラー出演。

・第46回 『NHK紅白歌合戦』 に森高千里のバックダンサーとして出演。

■1998年
・第49回 『NHK紅白歌合戦』 に西田ひかるのバックダンサーとして出演。

■2000年
・5年間に渡りレギュラー出演した『天才てれびくん』を卒業。
・CM 『森の水だより〜美少年編』 (コカ・コーラ社)で注目を集める。
・芸能界から一時引退。

■2001年
・日本大学櫻丘高等学校入学。芸能界に復帰。

■2002年
・NHK大河ドラマ 『利家とまつ』 で森蘭丸役を演じる。この頃からバラエティ番組に進出。(当時16歳)

・小池徹平とシンガーソングライター・デュオを結成。路上ライブを始める。

■2004年
・日本大学櫻丘高等学校を卒業。シングル 『卒業TIME』 でインディーズCDデビュー(WaT)。

・バラエティ番組 『プリティ・キッズ』(テレビ東京系)で初メイン司会を務める(2005年3月終了)。

■2005年
・愛の劇場 『正しい恋愛のススメ』 (昼ドラ)でドラマ初主演。熟女や男性とのラブシーンが話題に。

・シングル 『僕のキモチ』 でユニバーサルミュージックからメジャーデビュー(WaT)。

・第56回 『NHK紅白歌合戦』 にWaTとして初出場、メジャーデビューから2ヵ月という史上最短での出場となる。

■2006年
・『あいのり』『ポンキッキ』(フジテレビ系)など有名番組のメインレギュラーに抜擢(その他レギュラー増加)。

・フランスの高級ファッション誌 『Jalouse(ジャルーズ)』 からスカウトされ本誌に登場。

・『2006 バレーボール世界選手権』オフィシャルサポーターを勤める。(WaT)

・第43回 『ゴールデン・アロー賞』 新人賞受賞(WaT)

・第20回 『日本ゴールドディスク大賞』 ニューアーティスト・オブ・ザ・イヤー受賞(WaT)

・第39回 『ベストヒット歌謡祭2006』 最優秀新人賞受賞(WaT)

・第39回 『日本有線大賞』 特別賞受賞(WaT)

・第48回 『日本レコード大賞』 新人賞受賞(WaT)

・第57回 『NHK紅白歌合戦』 2年連続出場。(WaT)

■2007年
・初主演映画 『キャプテントキオ』 公開。

・プロ野球・パ・リーグ開幕戦「西武 VS 楽天」の始球式を務める。

・主演映画 『ゲゲゲの鬼太郎』 公開。

・シングル 『Awaking Emotion 8/5』 (映画「ゲゲゲの鬼太郎」主題歌)でソロデビュー。


【人物】
■ドイツ系アメリカ人の父と日本人の母を持つハーフ(ミックス)。肌は白く、瞳の色はヘーゼル・グリーン(薄茶・緑・灰・青など)。しかし、中身は日本生まれ日本育ちの日本語一筋なため、西洋的な容姿にコンプレックスを感じている。また密かに乳首がピンク色なことを気にしている。

■「笑い」に対して貪欲な姿勢を見せる。

■笑いと喋りが大好きだが、基本的にネガティブ思考。褒められることが大の苦手でかなりの恥ずかしがりである。デュオを組む小池はウエンツについて「よく喋る、真面目で大人、すごくシャイ」と語っている。製作人や共演者談の多くでは「礼儀正しい」「真面目」「賢い」など、ストイックな一面を持つと語られている。番組で共演した美輪明宏には「バカのふりしてるけど、本当は頭がいい。只者じゃないわ」と言われた。

■小池曰く、本人は無意識だが「奇跡は偶然じゃない」とよく言う。世界バレーのオフィシャルテーマソング「Ready Go!」にも「奇跡はきっと偶然なんかじゃない」というフレーズを入れている。曰く「努力したからこそ、奇跡が起きる」「努力しない人に奇跡は起きない、努力しない人にラッキーはない」という信念があり、確かにテレビ番組や連載していたコラムなどでもそのような話をしている。

■小学5年生の頃からお灸をたしなんでいる。本を読むことが好きで、いつもカバンに入れ持ち歩いている。また、ドラゴンボールマニアで漫画本やアニメDVDなどをコレクションしており、台詞や設定などの多くを記憶している。

■野球好きで大の西武ライオンズファンとして有名。2007年のプロ野球・パ・リーグ開幕戦、グッドウィルドームで行われた「西武 VS 楽天」で念願の始球式を勤める。中学生時代から当時の西武球場に足しげく通っており、始球式で西武のユニフォームに記した背番号「230」は当時住んでいた家から球場までの片道電車賃である。

■NBA選手に憧れ小・中・高とバスケットボール部に所属。中学時代には東京都代表選手に選ばれる。高校では芸能活動と部活動の両立が難しくすぐに辞めなければならなかったが、その後は地元のクラブチームに入っていた。また小学生時代からスキー・スノーボードを始め、器械体操と野球のクラブ活動もしていたことがある。スポーツ全般が好きで大相撲などもチェックしている。

■子どもと動物が好きで、自宅では犬と猫を飼っている。

■呼称として「ウエンツ」「ウエンツ君」の他に、親しい人物やファンには「瑛ちゃん」、『あいのり』では「ウェンティー」、『うたばん』では「ホラッチョ」といったあだ名がある。

■家族構成は父・母・5歳上の兄・ウエンツの4人。ウエンツ以外は全員英語が話せる。母親はECCで優秀賞を受賞するほどの腕前。兄も英語が堪能でアメリカの大学へ留学経験もある。幼い頃から非常に兄弟仲が良い。父親は叱るときなど感情が高ぶると英語が出るので、そういう時はひたすら「Yes… Yes…」でごまかす。両親は共働きなため、子供の頃は母方の祖父母の家で過ごすことが多かった。


【少年時代】
■1985年10月8日誕生。生まれた時は白に近い金髪で、大人になるにつれて徐々に色素が濃くなった。子どもの頃は金髪だったこともあり「金髪」「外人」などとからかわれ指を指されたり、仕事や外見による偏見で辛い経験をしてきている。英語が話せないことも含め、外見と中身の相違に強いコンプレックスを抱いてきた。自分の容姿や瞳の色が好きだと思えるようになったのは高校に入学してからである。これらのことに関して自ら多くを語ることはなく、話を振られても「こういう性格だから気にしませんでしたね」と明るく返す場合が多いが、19歳当時「なぜ顔を褒められることが苦手なのか?」という質問に「どうしても外見で判断されることってある、それをどう覆していくか…考えていた時期もあります。内面を磨いた方がいい。」と発言している。

■幼い頃、美味しくはないが癖になるという理由で蛍を食べていた。それを見た父親がビックリして叱るが、「エイジ、ホタル、タベタ!」とカタコトだったため理解できず。

■兄には厳しく、ウエンツはわりと放任主義で育てられた。幼い頃親に怒られ兄と共に家の外に締め出された時、何を思ったのか傍にあったおもちゃで窓ガラスを割り、家に入った。「この子はちょっとおかしい」と唖然とした親はさらに叱らなくなったらしい。また、小学5年生の時には、試験が嫌で教室を抜け出し逃走したことがあり、学校側から仕事先の母親の元に「誘拐された!」と連絡が行き騒動になる。小学校時代のあだ名はシタンツ。(他ウエンツスターソースなど)。野球の試合で、レギュラーではなかったのでベンチにいると、相手チームに「助っ人外人選手を入れてる」と勘違いされ、試合に出ていないのは最後の切り札であるためかと恐れられていた。

■高校1年生の時「痔」を発症。原因は不明で、本人曰く「5時の方向に切れている」。また、ベッドと壁の隙間に挟まることが好きだった。

●仕事、学業
■4歳でモデルデビュー、芸能活動を開始(詳しくは「モデル」「俳優」参照)。Suger & Spice所属。多くの雑誌・CMを始め、NHKの人気子ども番組『天才てれびくん』『天才てれびくんMAX』に5年間に渡りレギュラー出演。母親は俗に言うステージママではないので、1人で電車に乗り仕事に行くことも多かった。

■小学4年から5年間レギュラー出演したNHK『天才てれびくん』では、歴代の司会であるダチョウ倶楽部、キャイ〜ン、山崎邦正らと共演。天才てれびくん時代のウエンツは、お笑いキャラではなくどちらかと言うとクールな二枚目キャラで子ども達から大きな人気を集めており、小学生ながらに出待ちがいるほどだった。しかし、たまに驚くほど冷静にシュールな発言をする変わった子どもであったらしく、共演していた山崎邦正は当時のウエンツについて「子どもながらに(全体を)客観的に見てた」と語っている。

■『天才てれびくん』卒業後(14歳)、すぐにジャニーズ事務所からスカウトがあったが「お笑いが好きだから」という理由で断った。また、それまで所属していた事務所も辞め一時芸能界を引退。約1年半、普通の生活をしていた。その後、高校1年生(15歳)で現在の事務所から芸能界に復帰。ちなみに現在所属しているバーニングプロダクションへは、それまでの彼の活動に注目した郷ひろみが事務所側に推薦したことによりスカウトされて入った。

■馬が好きで、真面目に競馬学校への進学を考えていた(小学校の卒業文集には「騎手になりたい」と書いている)。しかし中学の3年間で身長が30cmも伸びたため断念。高校(日本大学櫻丘高等学校)のテストでは学年約400名中8位になったことがあり、また自身が高校受験の際に通っていた個人塾で小学生に国語や数学を教える塾講師のアルバイトをしていたことがある。

■自身で考えた勉強法として、「いつ家族が起きてくるかわからない緊張感」「冬は寒くて眠れない」という理由から夜中にリビングで全裸になり勉強していた。(当時17歳『踊る!さんま御殿!!』より)


【お笑い】
■ハーフの美形でありながら、笑いのためならケツも出すという程の芸人根性の持ち主であり、男性タレントで10代後半にして芸人に混ざりひな壇の常連になるなど、これまで前例が無いと言われる独自の路線を切り開いている。

■主にバラエティ番組でのトークに定評があり、ヘタレキャラや自虐ネタをベースとした泣き芸・キレ芸・リアクション芸、たまにそのシュールな思考回路を披露する。

■高校一年生で芸能界復帰後、NHKの大河ドラマ等に出演しつつ即バラエティ番組にも進出(マネージャーの勧めにより)。その後着実に出演本数を増やしていく。17歳頃には『踊る!さんま御殿!!』の常連になっており、さんま御殿史上で新人イケメン俳優として出演したにも拘らずそのまま常連になった例は無く、現役高校生(17歳)で常連になった例もウエンツ以外に存在しない。それについてさんまは、「あいつは毎回ちゃんとネタ用意してくるから、偉い」と発言している。

■高校卒業以降には年間100本以上のバラエティ番組に出演。パンツ一丁でクワガタに鼻と乳首を挟まれるなど、身体を張った芸にも力を入れだす。成人以降は『あいのり』などレギュラー出演番組が増えるが、WaTでの音楽活動やドラマ・映画への出演といった俳優として活動が急増し、バラエティ番組へのゲスト出演(ひな壇など)は減ってきている。

■笑いに対する貪欲さと勉強量は半端ではなく、その熱心さについては明石家さんま・関根勤・今田耕司など多くの芸人らからも語られている。また関根は「ウエンツをライバル視している」と度々発言しており、「ボケが速い」「心意気が怖い」「あいつには脅威すら感じる」と語っている。

■尊敬する人は「山崎邦正」。お笑い芸人の山崎邦正とは師弟関係にある。NHK『天才てれびくん』での共演がきっかけで知り合い、多大な影響を受けその当時からずっと慕い続けている。本人曰く、芸能活動を一時辞めている時に一緒に訪れた花火大会で言われた「お前は俺の息子みたいなもんやから」という言葉に感動して芸能界への復帰を決意したらしく、「師匠がいなければ今の俺はいない」と語っている。

■師匠からの教えは『困ったら大声を出せ』(他、「つまったら歌を歌え」など)。しかし、ウエンツにとって師匠は「神的存在」であるため、直接教えを請うのは今田耕司、宮迫博之、品川祐などお笑いの先生である。


【俳優】
■9歳の時、劇団四季のミュージカル『美女と野獣』のチップ役で役者デビュー。記念すべき初演のメンバーであり、ミュージカルでは日本初の国内2都市同時ロングランを実現し半年間公演した。また、現在でもウエンツは劇団四季が好きでほとんどの公演を観ている。

■16歳の時、NHK大河ドラマ『利家とまつ』に森蘭丸役で出演。大河ドラマの重要な役に無名の新人が抜擢されるのは異例のことだが、出演シーンは少なかいものの歴代の蘭丸の中でも人気は高い。撮影の際は黒のカラーコンタクトを着用し、濃い目のドーランで白い肌を隠した。しかし、この頃既に俳優としてはハーフ特有の顔立ちのせいで役どころが制限され、役者としてやっていくのに限界を感じていた。

■人気特撮ヒーロー「仮面ライダー」になりたくて2度オーディションを受けたが、2度とも落選。しかし、2005年公開の劇場版『仮面ライダー THE FIRST』で念願の出演を果たす。非常に重要な役であるがやはりライダーではない。また同年には愛の劇場『正しい恋愛のススメ』でドラマ初主演。男とのキス、母親ほどの熟女とのラブシーンなどで精神的に一回り成長する。

■2006年公開の小池徹平主演映画『ラブ★コン』に1カットのみ出演し、チアガールに紛れて乙女メイクに全身ピンクで登場。エンディングロールでは「ウエンツ瑛士(ドゲザ出演)」と表示される。

■2007年公開の映画『キャプテントキオ』で映画初主演(21歳)。

■2007年公開の実写化映画『ゲゲゲの鬼太郎』で主演の鬼太郎役に抜擢される。


【モデル】
■4歳の時、幼稚園の友達の誘いでモデルデビュー。天使系美少年と呼ばれ活躍し、数多くの雑誌や「ティンカーベル子供服」「森の水だより」などの有名CMをはじめ、LUNA SEAの「IN SILENCE」などのPVにも出演。

■14歳の時出演した、清涼飲料水「森の水だより」のCM『森の水だより〜美少年編』で注目され、テレビ・雑誌等で取り上げられる。ちなみにこのオーディションは上海、香港、北京、日本で行われ、候補者達の中から「瞳が印象的」という理由で選出された。

■2006年(20歳)、声優を務めたアニメ映画『ブレイブストーリー』のPRでカンヌ映画祭を訪問。そこで出席したパーティの帰り際に、フランスを代表する高級ファッション誌『Jalouse(ジャルーズ)』の編集者からスカウトされる。発売された同誌には、海外では無名の存在にも関わらず4ページにわたり掲載されるなど異例の扱いを受けた(ちなみにウエンツの隣ページはハリウッド女優の菊池凛子)。


【音楽】
■シンガーソングライター・デュオ「WaT」として小池徹平と音楽活動をしている。2002年に代々木公園近辺で路上ライブを始め、2003年12月には当初0人だった観客が1000人を越え路上ライブを休止。2004年に「WaT」(Wentz and Teppeiの略)として、シングル「卒業TIME」でインディーズデビューする。2005年にはメジャーデビューを果たし、デビューシングル「僕のキモチ」はオリコンランキングで初登場2位を獲得。

■WaTで主に担当する楽器は、ギター、ベース、キーボード・ピアノ、タンバリンなど。

■7歳からピアノを(しかしすぐに辞め高校時代に再開するまではキーボードを愛用)、10歳からベースを弾き始める。路上ライブでは主にアコースティック・ベースとキーボードを担当していた。ギターは17歳頃から始める。WaTの4thシングル、「ボクラノ Love Story」ではピアノの弾き語りを披露している。

■作曲はピアノ(キーボ−ド)で、作詞は主にトイレですることが多い。アルバム「卒業TIME〜僕らのはじまり〜」収録の『オトナシ』などはトイレで一気に書き上げた。

■「Mr.Children」「THE YELLOW MONKEY」の大ファンで、吉井和哉を崇拝している。バンド系の音楽が好きで、十代の頃などはよくライブハウスにも通っていたらしく、ラジオ番組レコメン!のパーソナリティであるK太郎が「毎週のようにライブハウスで見かけてた」と語っている。

■iPodを持っているのに、MDプレーヤーを愛用し続けている。

■ウエンツ瑛士&ガチャピン&ムックで、レギュラー出演していた「ポンキッキ」のコーナーソング、『ラッキーでハッピー』を子ども達と共に歌い踊る。ちなみに振り付けはラッキィ池田が担当。

■2007年4月25日、自身が主役を勤める映画「ゲゲゲの鬼太郎」の主題歌『Awaking Emotion 8/5』でソロデビュー。


【交友関係】
■ウエンツが友人として挙げる芸能人の多くはウエンツより一回り以上年上で、ほとんどがお笑い芸人である。特に親交の深い芸能人としては、今田耕司、品川祐(品川庄司)、山崎邦正、藤本敏史(FUJIWARA)、末高斗夢、大泉洋、小倉智昭などを挙げている。また、ボストン・レッドソックスの松坂大輔とはメール交換をする仲である。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070429-00000003-maia-ent

優香 エピソード&プロフィール

優香(ゆうか、1980年6月27日 - )は日本の女性タレント、女優で元グラビアアイドル。本名は岡部 広子(おかべ ひろこ)。東京都あきる野市出身、日出女子学園高校卒業。身長は157cm。血液型はO型。特技はフェンシング(中学時代の部活動)、バドミントン。趣味はお香、ドライブ、絵本を読むこと、ホリプロ所属。


【プロフィール】
愛称: ゆうかっち
ユッピー(グータンヌーボ)
生年月日: 1980年6月27日
現年齢: 26歳
出身地: 日本・東京都あきる野市
公称サイズ(出典不明)
身長 / 体重: 157 cm / ― kg
スリーサイズ: 87 - 59 - 85 cm
ブラのサイズ: F
靴のサイズ: 23.0 cm


【略歴】
■東京・池袋のピーダッシュパルコ前でスカウトされデビュー。芸名を雑誌『週刊プレイボーイ』とインターネットなどで一般公募し『優香』となった。由来は、当時の若者言葉「って、言(ゆ)うか」、及び「お香」が趣味だったこともあり「優しく香る」との意味も込めた。なお、「徹子の部屋」に出演した際の本人の言によれば、公募では「優香」という文字での応募は一通だけであり、「ゆうか」の読みでは「優花」「優華」などが散見されていたようである。なお、当初は「優奈」という案も多かったようだ。

■1997年のデビュー当初は、大手芸能事務所のホリプロが初のグラビアアイドルをプロデュースしたとして話題となった。デビュー後間もなくから各種雑誌の表紙などを席巻し、グラビアクイーンとして人気者になる。優香の成功により、イエローキャブの全盛期であったグラドル界に新風が吹き込み、これをきっかけとして他の芸能事務所もグラビアアイドルを育てる流れが生まれた。ホリプロも、優香の妹分として堀越のりをデビューさせるなど攻勢を続け、近年は積極的にグラビアアイドルを売り出すようになっている。

■1998年、当時のホリプロ所属のアイドル達でHIPというユニットが結成された。優香は初代メンバーとして参加し、後に2代目リーダーとなり、2002年8月にメンバーを卒業した。

■1999年春には、堀越のり、吉井怜、唐沢美帆との1ヵ月の期間限定音楽ユニット『NITRO』で活動していた。

■初CMは1998年に出演したマツモトキヨシ。翌1999年秋に飯島直子と共演した缶コーヒー『ジョージア』のCMなどで国民的にブレイクした。そして『癒し系』という言葉が世間に浸透し、癒しブームの先駆けと言われている。これがターニングポイントとなり、以降はテレビのバラエティ番組やCM中心の仕事にシフトチェンジしていった。そして他のグラビアアイドルもこれを追うようにCMに進出していく流れが生まれた。

■2000年からはマルチタレントとして活動、自然体で明るい性格を生かして番組の司会やコントをこなす。そして女優としての活動の場も広げている。

■2004年に放送されたNHK大河ドラマ『新選組!』では、ヒロイン役に抜擢され1人2役(深雪太夫、お孝(深雪太夫の妹))を演じた。

■2005年舞台版『電車男』にヒロイン・エルメス役の声のみの形で舞台に初出演。

■2006年1月7日から主演ホラー映画の『輪廻』が公開され主人公の杉浦渚を好演し演技の評価を高めた。同年1月13日から7年目になる『ぐるぐるナインティナイン』の恒例コーナー『グルメチキンレース・ゴチになります!』では、2005年の第6回大会で年間最多自腹を払いゴチをクビとなった中島知子に替わり新メンバーとして登場。女性レギュラーとしては中島に次いで2人目だったが、12月22日放送で最下位に沈み、レギュラーの座を失った。優香本人は「またリベンジしたい」と言っている。


【エピソード・特徴】
■芸名については最終候補は、「優香」か「優奈」かで迷ったらしいが、「優香」のほうが響きが強い感じがするので(本人談)「優香」に決定した。応募が17000通もあったので中には面白い名前もあり、「パンサー舞」という女子プロレスラーみたいな名前があった事は本人がよくネタにしている。また名付け親に選ばれた人の特権は、優香と一日デートができる(といっても近くにスタッフ付きで)であった。

■以前は本名を公式プロフィールで公表していたが、2007年現在は公表はされていない。しかし、彼女が『空飛ぶグータン〜自分探しバラエティ〜』を含む各種バラエティ番組で自ら本名を名乗ったり、コント上の役名として本名を使うなどしているので、他の芸名を使っているタレントよりも、本名が知られている。

■元祖「癒し系」として有名だが、最近のグラビアアイドルのように、最初から「癒し系」として売り出した訳ではなかった。「癒し系」と呼ばれるようになったのは、ジョージアのCMの影響が大きく、水着グラビアを卒業する頃とほぼ重なっている。したがってグラビア時代を知るファンは「癒し系」に違和感があるという向きも少なくないようである。また最近では「癒し系」というより「天真爛漫」なイメージを云う向きもある。優香自身は「癒し系」と云われる事については、まったくこだわっていないとのこと(本人談)。なお、今でもグラビアのイメージを云う人がいるが、実際に水着グラビアで活躍していたのは1997年冬から2000年春までという比較的短い期間。

■愛犬家として有名で、「エアー」という名前のダックスフンドの一種でカニンヘンダックスという種類の犬を飼っており、このペットを主人公とした絵本『エアー』を発表している。優香の2006年度のカレンダーでも「エアー」と一緒に写っているページがある。

■お笑い好きとしても有名で、テレビはいつもバラエティ番組を中心に見るという(本人談)。志村けんとはデビュー直後の17歳の時から一緒にコントをやっており(フジテレビ系で放送される『志村けんのバカ殿様』で演じる優香姫などが有名)、今では「志村ファミリー」の一員と呼ばれている。関根勤にもデビュー時から可愛がられている。それゆえ他の芸人に対しても詳しい知識があるようだ。

■音楽はMr.Childrenやaikoの大ファンで、aikoとはプライベートでも親交が深い。そして相川七瀬とは家族ぐるみの付き合いをしている親友である。Mr.Childrenに関してはインタビューなどで理想のタイプとして桜井和寿と名前を挙げるほどのファンである。優香自身も、歌が上手いとは言い難いがカラオケ好きである。

■近視のため視力が悪く、コンタクトレンズを使用している。

■食べ物は辛いものが苦手であり、今でも唐辛子、わさびなどは食べられないらしい(本人談)。番組『空飛ぶグータン〜自分探しバラエティ〜』で寿司を食べた時もサビ抜きを頼んでいた。

■シンガーソングライターの稲田光穂に『この恋届きますように』という楽曲の詞を提供している。

■レギュラー番組である『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』で、高所恐怖症の青木さやかが「お仕置きQ」としてスカイダイビングで空を飛ばされた時、トイレの洗面所で青木さやかが落ち込んでいると、偶然入ってきた優香がその姿を見て「青木さんつらかったのよね」と言って2人でトイレで泣いた、というエピソードを青木が番組で話した。

■声優やナレーションと言った声だけの仕事が多いのも特徴。アニメ映画などの声優や、舞台版『電車男』のエルメス役の声だけの出演などの仕事に加え、『ポケットモンスター』の映画のナレーションや、『ニュースステーション』のドキュメント映像のナレーションの仕事も経験している。

■グラビアアイドルとしての活躍は高校時代からだが、スカウトされた当時に在学していた学校は芸能活動を許しておらず、2年次の途中にタレント活動専念のため日出女子高校に転校している。多忙のため単位が取れず補習を受ける事も多く、それは卒業式の直前まで続いたという。そのため、体育の授業は中学生と一緒のこともあったとファン向けのイベントで告白している。卒業式当日には日出女子高の屋上で単独記者会見を開いた。

■素人時代、都心近くに住んでいたボーイフレンドに、自分の実家があるあきる野市が田舎だと思われるのが恥ずかしかったようで、その彼に出身地を聞かれた時には立川と答えた事があったという(ちなみに生まれた場所は立川)。近年では、「もちろん、あきる野市が大好きです。」と公言している(『グータンヌーボ』より)。

■2007年1月23日放送の『ロンドンハーツ』(テレビ朝日)にて、ロンドンブーツ1号2号の田村淳に「初恋はいつ?」と話題を振られ「中3」と答えた。さらに、その初恋の相手とあきる野駅のホームで「ファーストキス」をしたことも語った。

■デビューして約10年だが、安定した人気を保っている。その理由はファン層の広さにあると言われ、司会から、コント、女優、グラビアなど幅広い仕事の影響で子供から中高年までファンがいる。視聴率で有名なビデオリサーチ社の年2回行われる『好きなタレントランキング』は、ランキング上位の常連である。

■優香ファンを公言する大物著名人も数多く、特に「俺は優香は好きなんかじゃない、大好物なんだ!」発言の作家、リリーフランキーや、『ホントコ』(TBS)で未来日記の主題歌を頼む際、見返りに優香の写真集を要求したアーティスト、桑田佳祐、アナウンサーの大塚範一、元来ファンで大河ドラマ『新選組!』のヒロインに抜擢したという脚本家の三谷幸喜、ドラマなどで度々共演するスーパーアイドルSMAPの香取慎吾や『情熱大陸』(TBS)で「一番撮ってみたい人は優香」と即答し撮影した写真家の梅佳代、オリンピック男子マラソンでメダリストのエリック・ワイナイナなどは有名である。

■2年に1度、世界のトップスイマーが一堂に会して開催される世界水泳では2001年の福岡を筆頭に2003年のバルセロナ、2005年のモントリオールそして2007年のメルボルン大会と4大会連続で日本勢の応援サポーター(キャスター)として出演している。オーストラリアが誇る競泳界のスーパースターのイアン・ソープには、最初の福岡大会では東京のスタジオ担当だったため一度も面識がなかったのだが、後に特番のオーストラリアロケで初対面した。キャスターとしての取材活動もしており、GetSports(テレビ朝日)ではシンクロナイズドスイミングのヴィルジニー・デデュー選手にインタビュー取材も行っている。福岡大会で銅メダルを獲得した、女子シンクロ飛び込みの大槻枝美選手は中学時代の同級生。(中継での掛け合いで、優香の中学時代のニックネームは「岡部ちゃん」だったことも判明した)

(出典:Wikipedia)

次長課長 エピソード&プロフィール

次長課長(じちょうかちょう)は、東京吉本興業所属のお笑いコンビである。略称次課長(じかちょう)。2人とも大阪NSC(吉本総合芸能学院)13期生。1994年4月結成。当初はトリオだったため、グループ名は「次長課長社長」であった。コンビ名の由来は2人がバイトしていた居酒屋で、社員だった次長さんと課長さんにお金をもらい、励まされたから。

【メンバー】
■河本準一(こうもと じゅんいち 1975年4月7日 - )
ボケ(トーク、一部のネタではツッコミ担当)。岡山県岡山市奉還町出身(生まれは愛知県名古屋市緑区有松町)。 市立京山中学校、県立東岡山工業高校卒業。身長162cm、血液型AB型。

■井上聡(いのうえ さとし 1976年2月2日 - )
ツッコミ(トーク、一部のネタではボケ担当)。岡山県岡山市奉還町出身(生まれは熊本県玉名市)。市立京山中学校、森教育学園岡山学芸館高校卒業。身長175cm、血液型B型。


【略歴・概要】
●中学・高校時代
・岡山市立京山中学時代に、野球部で知り合う。遅れて入部した河本が初めて練習に参加した日に、1人だけバットを持ってフルスイングしていた井上に話しかけ、一緒にキャッチボールをしたのが2人の出会いである。それからは毎日のように一緒に遊ぶ仲になる。
 ・2人はこの中学1年のときに出会って以来、今まで一回もケンカをしたことがない。
 ・幼馴染ということもあり、徹子の部屋では「二人は仲がいい」と好評された。

・中学1年生の時に2人は同じクラスで、2人そろって担任の先生によくイタズラをして揉み上げを引っ張られていた。

・2人は同じ塾に通っていたことがある。しかしそこの塾は、お菓子を食べて遊んでいるだけだったので、逆に成績が落ちてしまったらしい。

・2人とも勉強が苦手で、中学時代に岡山県の中学生約8000人が受けたテストでは河本が7980位、井上が7982位だった。そのため、井上が先生に高校に行きたいと進路を話しても「夢を見るな」と言われた。(当時の偏差値は河本23、井上21。)
 ・結局井上は一般受験はせず、野球のスポーツ推薦で岡山学芸館高等学校へ入学した。

・高校はそれぞれ違う高校に進学したため一時期疎遠となったが、高校2年生の時に河本が井上宅に遊びに行き再会。再び交流が深まる。

・河本は小学校から9年間サッカーをやっており、高校時代はチームのキャプテンを務め、国体の岡山県選抜メンバーにも選ばれた。夢はJリーガーだったが、高校2年秋に素人名人会という番組で敢闘賞を貰い吉本興業入りを決意。選抜に選ばれるほどの実力の持ち主だったが、Jリーグからのオファーは全く無かった。

・高校卒業後、井上は親戚が営んでいたガラスサッシの枠を作る会社に就職が決まりかけていた。しかし河本から「吉本に入ろう!ジャッキー・チェンに会えるで!!」と誘われ、そのまま現在に至る。井上を誘った理由は「友達の中で、井上が1番おもしろかったから」。

●大阪時代
・2人はNSCに入学するため、18歳で地元岡山から大阪へ。
 ・NSCの面接試験の際に、河本は笑いに対する想いを熱く語って合格したが、井上は指されずに何も発言しなかったにもかかわらず受かってしまった。(NSCは黙って話を聞いていれば合格できるらしい。〈陣内智則〉談)

・1994年4月結成。NSC在学中は河本準一・井上聡・山下正人のトリオで「次長課長社長」だったが、わずか1年程で社長の山下が「岡山に帰ります」という置き手紙を残して居なくなってしまい、脱退してコンビとなった。
 ・社長(山下)は現在、東京の新宿で美容師をしている(実際に「カミングダウト」2005年3月22日放送分の中で判明)。そのため、2人は山下に髪を切ってもらいたいのだが、料金はきちんと取ると言われているので頼んでいない。しかし今でも交流は続いており、テレフォンショッキングに初登場したときには電報を送ってくれたり、時々ルミネtheよしもとにネタを見に来るなど、誰よりも次長課長を応援している。

・NSCの同期には同事務所の野性爆弾、ブラックマヨネーズ、徳井義実(チュートリアル)、増田裕之(ルート33)、現在は俳優の三浦誠巳がいる。また吉本外に移籍した者では藤井宏和(飛石連休)、くわばたりえ(クワバタオハラ)、超新塾、諸岡立身、チャンス大城らがいる。この世代は「花の13期生」とも呼ばれる。

・ほぼ同期にはシャンプーハット、タカアンドトシなどがいる。また、半年後輩にはガレッジセール、フットボールアワー、1年先輩にはロンドンブーツ1号2号、DonDokoDon、ペナルティなどがいる。年齢が上である品川庄司(品川は3歳上で庄司は同学年)は1年後輩にあたる。

・河本は大阪に出てきた当時、何度も岡山に帰ることも考えたが、相方井上の存在が踏みとどまらせた。「自分がこの世界に引きずり込んで、あいつの人生を狂わしたのに、俺が帰ったらあいつはどうなる」と男気を語る。

・河本は19歳の時、ホストの経験をした事がある。度々披露しているタンバリン芸は、このホスト時代に覚えたものである。また、働いていたホストクラブでNO.3だったと言い張っているが、実はその店にはホストが4人しかいなかった。

・1995年、心斎橋筋2丁目劇場よりデビュー。2丁目劇場閉鎖後は、1999年オープンしたbaseよしもとの主力メンバーとして活躍。単独ライブのタイトルに東京23区の区名をつけ、全23回開催。2002年9月23日の「中央次課長」をもって、本人達の意向によりbaseよしもとを卒業。
 ・卒業ライブでは407人というbaseよしもと観客動員記録を作る。(この記録は未だに破られていない。)

・東京23区ライブシリーズには、フットボールアワー、ストリーク、レギュラー(7区目〜)らが毎回出演していた。
 ・レギュラーの「気絶」ネタは次長課長が考えたものであり、松本康太は井上の家に半年間、河本の家に1年間居候していたことがある。

・河本が椎間板ヘルニアで入院した際、井上は師弟関係にあるケンドーコバヤシと乙女丼というコンビを組む。一緒に学園祭などの仕事を行っていた。ツッコミなしで、ボケにボケを重ねる形のネタを披露し、非常にうけて好評だったらしい。
 ・しかし、河本が退院した直後に行われた次長課長単独の復帰ライブはだだすべり。劇場の三階にある本屋のレジの「チーン」という音が聞こえるほどのスベりようで、劇場の伝説になっている。

・大阪時代の作家は前期が柳しゅうへい、後期が柳からバトンタッチした倉敷ユウ作(くらやん)。

・当初は井上がボケ・河本がツッコミだったが入れ替わった。舞台やネタ番組ではコントが主だが漫才をやることもある。さらに極一部のネタでは今も井上がボケを行うネタがある。(井上がボケて河本にモノマネを振り、河本がモノマネを披露してからノリツッコミするもの)

・チャイルドマシーン(解散)が東京に行く際、カラオケで号泣しながら(シャ乱Qの上京物語)歌って彼らを送った。

●東京進出後
・2002年10月、東京進出。ルミネtheよしもとの舞台などに出演。

・東京ではしばらく芽が出なかったが、2004年頃からマニアックなものまねが注目され始めた。舞台やネタ番組ではロングコントも披露するが、その際も河本がマニアックなものまねや特異なキャラを使ってボケることが多い。

・2003年秋から、TBSの深夜番組「U-CDTV」でネタ見せのコーナー「お笑いCDTV」ライブが始まり、次長課長だけが毎月必ず出演。東京では珍しく、いくつかの代表的なネタが完全放送された。この番組をきっかけとして、次長課長が、東京のテレビ関係者に認知されはじめたらしい。(この時、マニアックモノマネの「Vシネマ」(当時のタイトルは「ヤクザのセックス」)なども完全に放送された。)TBSに関しては、「お笑いCDTV」終了後、「Goro's Bar」での東京初レギュラー出演につながり、さらに、「うたばん」出演や単独冠番組「次長課長のヨイショ!」などへとつながった

・マニアックなモノマネは、大阪時代、楽屋で中川家と一緒だったとき「こんな人おるな」という細かいモノマネを競い合ったことから生まれたもので、いわば中川家と共同開発したネタである。今でも中川家と同じ楽屋のときは、楽屋内4人で即興コントをすることが多い。
 ・中川家に礼儀から芸事まですべて教え込んでもらったため、「身近だけど神様みたいな存在」だと2人は語る。

・他事務所の先輩ではくりぃむしちゅーと仲が良く、番組でも頻繁に共演している。

・河本のキャラで特に代表的なのは「とんねるずのみなさんのおかげでした」に出た際にジャッキー・チェンの映画に出てくる脇役の真似で「お前(オメェ)に食わせるタンメンはねぇ!」がよく知られている(初めて出た時は「お前に“食べさす”タンメンはねぇ!」であったが)。ちなみにこのフレーズは河本がアドリブで考えたもので、本当は「そうは酢豚の天津丼だ!」だった。

・あくまでコンビ名なのでどちらが次長でどちらが課長というわけではない。だが、ごくまれにバラエティ番組で「次長 河本」「課長 井上」という設定になることもある(タモリ倶楽部に出演した際には「吉本工業 Yoshimoto Industry」という名刺を出したことがある)。
 ・「めちゃイケ」内のコーナー『恋のかま騒ぎ』では次長子の彼が河本、課長子の彼が井上という設定である。

・ズバリ言うわよ!(2005年3月8日放送)で細木数子に「このコンビ名だと井上が貧乏になる」と指摘され、本気で改名をするか迷ったがとりあえず改名は拒否した。その後、逆に大ブレークが続いている。

・コントのネタ作り以外は、相方である井上をこの世界に誘ったのは河本。東京行きを決めたのも河本。ゆえに2005年10月31日放送の『めざましテレビ』の広人苑IIでは「ネタ作りの主導権は井上、人生の主導権は河本」と語る。

・2005年以前、TBS系列『さんまのSUPERからくりTV』の前説を担当していた。2005年12月18日、同番組にゲストとして初出演。長年続いている長寿番組だが、前説を行っていた芸人がゲストとして出演するのは初めてであった。

・井上は「マンスリーよしもと」が毎年恒例に行っている吉本男前ランキングで2006年度、2位に倍以上の得票差をつけてダントツの1位に輝いた(ルミネtheよしもとのお客さんに聞いた「抱かれたい芸人ランキング」でも初の1位を獲得。また「子供にしたい芸人」では7位)。河本は「吉本ブサイクランキング」の8位、「お父さんになってほしい芸人」3位にランクイン。
 ・2007年度も井上は大差で吉本男前ランキング1位。河本は吉本ブサイクランキングの10位。

・品川庄司・品川曰く、(芸人の中で)日本一格好悪い人(河本)と日本一格好いい人(井上)のコンビ。

・2006年3月28日に放送された「祝!ズバリ言うわよ!細木数子誕生祭!2週連続2時間スペシャル第1夜!!」にて、井上が芸能界に入るきっかけとなった人物であり、河本も大ファンのジャッキー・チェンとの共演を果たした。井上は『プロジェクトA』のワンシーン「テーブルの上で歌う人のまね」、河本は「オメェに食わせるタンメンはねぇ!」をそれぞれジャッキー本人の前で披露した。

・「晴れる道 〜宇宙人(オメェら)に合わせる顔がねぇ!〜」でCDデビュー(2006年5月31日発売、R and C)。JK名義で出しており、テレビ東京系アニメ『ケロロ軍曹』の4代目オープニングテーマとして2006年4月〜9月に放送された。作詞も手がけており、プロデュースは小室哲哉である。

・大阪時代は必死で覚えた岡山訛りの関西弁で話していたが、東京進出後は標準語を使う事が多い。

・数々の大物特番で大役を任せられるようになる。2006年8月26日に放送された24時間テレビでは「日本列島ダーツの旅的全国1億人インタビュー」のゲストダーツの旅人として出演。
 ・同番組の企画の一つである「24時間開催中!絆写真で作る巨大フォトモザイクアート展」の企画MCを務め、中継を担当した。
 ・また、本部(ステージ)でもサブ司会のくりぃむしちゅーやメインゲストのKAT-TUNらと共に翼をくださいなどを熱唱した。
 ・2007年元日に放送された爆笑ヒットパレードでは毎年恒例の中継を担当した。

・2006年8月28日放送の徹子の部屋に出演のさい、テレビ朝日が調査した若い男女の好感度第1位だと知らされた。また、全ての年齢層での好感度アンケート結果では総合で10位との事。

・井上は注射が大嫌いである。2007年3月9日に放送されたぐるぐるナインティナインの「人間ドッグで不健康対決」で井上は『血液検査をするなら死ぬ!』と言い切った。ちなみにこの企画で河本はメタボリックシンドロームである事が判明し優勝する羽目になった。

・2007年2月21日放送の世界バリバリバリューの次長課長の香港のスーパーマダムを捜せ!で、井上は日本語を勉強している中国人セレブ女性に、「ひらがな、書けますか?」と聞くと、「少しだけ」と答えたため、「漢字は、書けますか?」と聞いてしまった。

(出典:Wikipedia)

細木数子 エピソード&プロフィール

細木数子(ほそき かずこ、1938年4月4日 - )は日本の作家・タレント。テレビ出演の際の肩書きは心照学研究家・人間学研究家などと称する場合もある。下記のようにかつては実業家でもあった。東京都渋谷区出身。東京成徳高等学校中退。


【人物】
高校を中退し、17歳でコーヒー店を経営し、20歳で銀座にクラブを開くなど、若い頃から実業家として活躍していた。21歳の時に結婚し、主婦業の傍ら子ども洋服店を開店。たが、その後間もなく離婚。

1970年には不動産詐欺にひっかかり、10億の借金を抱えたが、赤坂のクラブの経営が成功し、1975年には借金に目途をつけ、ディスコをオープンし大いに儲ける。 1977年には、借金の連帯保証人になっていた人物の失踪により、数億もの借金を抱えることになった人気歌手島倉千代子の後見人となり、島倉の個人事務所を設立し、3年間で借金完済させたことで、"島倉の命の恩人"とマスコミで話題となる。[1]

そのような波乱万丈の人生を経て、1982年に、独自の研究で編み出したとされる“六星占術”という占いに関する本を出版。1985年に出した『運命を読む六星占術入門』がベストセラーとなり、以降、「六星占術」に関する著作を次々に発表、「六星占術」の一大ブームを巻き起こし、一躍人気占い師となる。

銀座でクラブのママだった時代に(1983年)に、政財界の陰の指南役として知られる陽明学者の安岡正篤と知り合い、結婚の約束を取り交わす。安岡の親族が猛反対する中で、安岡と交わした「結婚誓約書」なるものをもとに単独で婚姻届を提出し、受理されたが、当時、安岡は85歳と高齢であり、入院先の病院での検査では認知症の症状があったとも言われ[2](細木はわざとボケたフリをしていると反論[3])、安岡の親族が「婚姻の無効」の調停申し立てを行った翌月、安岡は他界した。調停により、婚姻は無効であるとした和解が成立し、初七日には籍を抜くこととなった。

また細木が相談者に勧めていたお墓に関する先祖供養に対して、1993年には「人の不幸、不安につけんで不当に高額な墓を買わされた」と損害賠償を求める訴訟が起こった[4]ことなどから1990年代にはテレビに出ることはなくなった。

その後、2003年頃から、細木が人生相談を行う特別番組が20%前後の高視聴率を挙げるようになったことから、各局が争奪戦を繰り広げ、多くのレギュラー番組を持つようになり、「視聴率の女王」とまで呼ばれるようになった。そして野村沙知代・デヴィ・スカルノらに代わって、熟女タレントの代表的存在とされるようになった。

その著書は今日まで100冊以上に上り、その売り上げは総計6500万部以上(KKベストセラーズ発表による)と言われ、「占いの本を世界一売った人」としてギネスブックにも掲載されている。

京都府内に豪邸があり、多数の高価な骨董品等を『ウンナンの気分は上々。』等のテレビ番組で紹介されている。

K-1ファイターの魔裟斗と仲がよく、魔裟斗からは「カズー」と呼ばれている。他にも横綱の朝青龍関、元プロ野球選手の佐々木主浩とも親しい。


●テレビ出演
番組に共通する特徴として、ウッチャンナンチャン・くりぃむしちゅー・ネプチューン・雨上がり決死隊といったお笑いタレントが司会を担当していることが挙げられる。

2004年後半にはブームのピークを迎え、8月には『ズバリ言うわよ!』(TBS系)、10月には『幸せって何だっけ〜カズカズの宝話〜』(フジテレビ系)と2本のレギュラー番組が始まった。出演タレントはくりぃむしちゅー、ネプチューン等。

タレントなどに対して改名を促すことでも度々話題となる。改名については、丁半コロコロや緑友利恵のように成功例もある一方で、テレビ番組やインタビューなどで「すぐにでも名前を元に戻したい」と発言していたモンキッキーや、ハッピハッピー。、映画「ゴーストシャウト」など、改名してもその後の進展があまりないものもあることから、賛否両論の声がある。また、突飛な発言についても注目される。その歯に衣着せない余りに率直過ぎる発言は毒舌と非難されることも多い。主な発言としては「地獄に堕ちる(地獄に行く)」「私を誰だと思ってる」など。

番組ではしばしば、男女の性差についての発言をしている。男性については、「女子供を養うことは当然の義務」と論じ、女性については、「女は男に尽くすべき」「女は料理ができなければいけない」など昭和期までによく見られた、いわゆる古い家庭像を論じる亭主関白支持者である。また、男女同権ではあるが男女同質ではないと説き、独身女性に結婚を促す発言もしている。

仏教思想も重視しており、仏教の教えや正しい先祖供養の方法なども同時に説いている。


●共演者の傾向
演歌歌手をゲストに呼ぶことが非常に多く、細木がゲストに対してアカペラで歌わせることも恒例になってきている。お笑い芸人も共演することが多いが、若手には「面白くない」と厳しくダメ出しするのがほとんどで、逆に加藤茶、月亭八方、島田洋七などのベテラン芸人には絶賛する傾向がある。

基本的に、細木より年上の有名人をゲストに迎えることはない。(例外として、日本テレビの特番で石原慎太郎をゲストに迎えて鑑定したことがある)

ホリプロの所属タレントと共演することが多く、特に「ズバリ言うわよ!」では井森美幸が準レギュラーで出演しており、運命のカルテなどのコーナーでもホリプロのタレントが多く出演している。吉本興業の所属タレントも共演が多いものの、若手芸人か関西を拠点に置くベテラン芸人がほとんどで、逆に明石家さんま、ダウンタウン、ココリコなどは一度も共演したことがない。

一方、スターダストプロモーション、アップフロントエージェンシー、サンズエンターテイメントなどの所属タレントとはあまり共演しない傾向が強い。スターダストに関しては、坂東英二と野々村真ぐらいしか共演がなく、女性タレントでは「めちゃ×2イケてるッ!」で梨花と一度共演したのみである。アップフロントに関しても、林マヤとソニンしか共演がなく、モーニング娘。やつんくとは一度も共演したことがない。サンズに関しても、雛形あきこと一度共演したぐらいである。

「ズバリ!言うわよ」の裏番組「ロンドンハーツ」のレギュラー出演者の中で、国生さゆり、山口もえ、安めぐみ、青田典子とは細木と一度も共演がない。


【主なエピソード】
■2004年1月2日に放送されたクイズ$ミリオネアスペシャルに初挑戦し1000万円がかかった15問目で失敗するも、2度目の挑戦となる2004年12月30日放送の回で1000万円を獲得し、新潟県中越地震の義援金として全額寄付した。

■TBS系Mr.マリック対芸能人大スター軍団で、Mr.マリックの超魔術のトリックを見破り、その賞金200万円を全額寄付した。

■2005年4月9日に放送されたフジテレビ系めちゃ2イケてるッ!の「め茶の水女学園」の抜き打ち期末テストでは、モアイをへモア、メロスをメディスなどの珍解答を出した。この時の細木の成績は6位であった。

■2005年9月5日に第44回衆議院議員総選挙自民党公認の比例近畿ブロック候補柳本卓治へ自ら志願して行った応援演説の際には「私と握手した人が自民党に入れないと交通事故を起こす」と発言した。

■2005年9月27日(火)18時55分〜22時54分の『いつもよりズバリ言うわよ!細木数子vs教育問題女子高生&男子高生&現役教師総勢300人!メッタ斬りスペシャル!!』では、細木は泉谷しげるのアウトローな言動に激怒し途中退出した。その後、その他のゲスト小川直也、蛭子能収、パク・ソルミは予定通りオンエアーされたが、泉谷しげるだけはオンエアーが無かった。

■2006年5月1日にフジテレビ系列にて放送されたドラマ『トップキャスター』の第3話に高圧的なインチキ占い師が登場する話があり、これに対して自分をモデルにしているとの抗議を行った。フジテレビ側はこの話をDVDボックスから削除した。

■レイザーラモンHG(住谷正樹)のハードゲイの芸(細木の前で自らの下腹部を前後運動させるもの)に激怒し、自ら鑑定拒否した。

■ヒロシのネタに対して「みっともないからポケットから手を出してネタをやりなさい」と促した。

■弟の久慶はかつて新自由クラブ推薦やスポーツ平和党公認で衆議院選挙に数回立候補し、数子も支援したが落選した。

■料理番組愛のエプロンでは、その腕前をジャッジマンから「最高だ」と評価された。

■2006年9月12日放送のズバリ言うわよ!で「占い師ではない」と発言した。

■2006年12月のズバリ言うわよ!で、「大殺界だから、レギュラーは2本しか持っていない」と大殺界中であることを告白した。

■嫌いな食べ物はリゾットとスッポン。『SMAP×SMAP』でよりにもよって香取&稲垣ペアと木村&草なぎペアがそれぞれを出してきたため、「よくも私が食べられないものを当ててきたわね。」と呆れていた。この放送には、負けた香取が(いつもの扮装で)細木に化けた状態で細木をキス攻めにし、「額は残っているね。」と中居が突っ込んだ所、「ここは吾郎ちゃんに残しているの。」と答えた瞬間、香取に額を思いっきりキスされる、というオチが付いた。


【的中した占いの例】
2004年1月に放送した『史上最強占いバトル』で「プロ野球の優勝チームは西武」と占い、的中させた。

また、アテネオリンピック水泳日本代表の北島康介を「金メダルの可能性大」と占い、的中させた。


【ズバリ的中しなかった占いの例】
昭和64年に株が大暴落すると占ったが、昭和64年はわずか7日しかなく、その期間に大きな値動きは起きていない。

2004年1月に放送した『史上最強占いバトル』で、アテネオリンピック柔道日本代表の谷亮子を「相当努力しなければメダル獲得は無理」と占ったが、谷は金メダルを獲得した。

2005年7月に行われた川嶋勝重対徳山昌守のタイトルマッチの勝者を川嶋と占ったが、徳山が勝利した。

ライブドア元社長・堀江貴文と2006年1月のテレビで競演した際、ライブドアの株価について「これから5倍に上がる」と予言し、堀江のパイオニア精神を賞賛したが(人間性については批判している)、また『女性関係に気を付けないとスッテンテンになる』と助言した。後に堀江は逮捕されライブドアは上場廃止となった。また、ライブドア・ショックの際に細木数子の予測でライブドア株を購入したと発言した人もおり、「風説の流布」に当たるのではないか?との指摘があった。

内閣が第89代小泉純一郎内閣から次期内閣へと移る際、武部勤を次期内閣総理大臣になると2度に渡って占ったが、実際には武部勤は立候補すらせず、安倍晋三が第90代内閣総理大臣となった。安部の総理就任後に収録された幸せって何だっけ〜カズカズの宝話〜では「安倍さんは種子だから運気がいい」と自らの2度に渡って発言した内容を事実上覆す発言している。

2006年1月にその年のペナントレースを予想。セ・リーグについて「中日(の優勝)はないね」と占ったが、中日がリーグ優勝した。

くりぃむしちゅーを「ブルー&ピンク」への改名をしないとコンビ解散となると占ったが、現在でもレギュラーを多数抱えておりコンビ解散の危機もささやかれていない。

結婚出来ないと占われたが実際には結婚出来た主な芸能人:細川直美・セイン・カミュ・出川哲朗・渡辺満里奈・だいたひかる・神田うの

モンキッキーを旧芸名の「おさる」から現芸名へ改名することで「人気が出て1、2年で冠番組が持てる」と占ったが改名を行った2004年から2007年にかけた現在でも冠番組は持てていない。細木は後に「ズバリ言うわよ!」にモンキッキーが出演した際に、結婚したことを引き合いに出して「改名したことが功を奏した」というような発言をしているが、これは論点のすり替えであり占いを的中させることは出来ていない。


【批判】
細木に対しては過去の経歴やメデイアでの言動に多くの賛否がある。以下はその主な批判の例。

■安岡正篤と結婚しようとした時期は、細木自身が新しいことを始めるのはよくないと説明している六星占術における「大殺界」の真っ最中であったことから、細木自身が六星占術のタブーを守っていないとの批判がある。

■かねてから細木の勧める先祖供養に対し、墓石業者や仏壇業者と組んだ“霊感商法”的な商売ではないかという批判があるが、細木は自著で、業者と組んでいるわけではないと否定し、「そうした疑問を抱く方もときおりおられますが、心が曲がっていることを残念に思います」と述べている。[5]

■月刊誌 『サイゾー』 は島倉千代子との過去や、占い師業界の中での評価を理由に批判を行っている。

■2005年の11月に番組内で養鶏産業について触れ、「現在の養鶏場は24時間明かりをつけて夜をなくし、鶏1羽につき1日に2〜3個もの卵を産ませている」「鶏卵を含め、ほとんどの食品が薬でつくられている」などの誤った内容の発言をし、養鶏協会から抗議を受けた。フジテレビは「事実誤認や、誤解を招く可能性のある表現があった」として陳謝し、翌年1月の放送で訂正放送をおこなうと共に、細木自身が養鶏業者を訪れて実際の現状を確認した。

■2006年5月から、暴力団を初め、タブー視されるものに関する著作で知られるフリージャーナリストの溝口敦が『週刊現代』で「魔女の履歴書」と題した細木の半生を批判的に綴ったルポの連載を始め、暴力団との深い関係や過去の売春斡旋疑惑や占い盗作疑惑などを指摘した。細木は『週刊文春』誌上で反論したが、溝口はこれに対する反論を行った。細木は、溝口がこの連載を止めさせるために細木が暴力団を介して圧力をかけたと書いた記事を「事実無根」として、名誉毀損で6億円余の損害賠償を起こしたが、相手は講談社で、筆者の溝口は被告には含めなかった。

■2006年11月10日、自身の番組内で、「世界を取った後に『もういいや』と辞めたのが悪い。」と、ゲストの竹原慎二を批判したが、竹原が引退した理由は世界チャンピオンになったからではなく網膜剥離であったため、ボクシングファンから批判された。

■『細木数子の参拝作法』などで放送した、神社の参拝の方法が間違っている(音を立てないように拍手を打つなど)として、全国の神社・氏子などから苦情が寄せられ、東京練馬・石神井の「氷川神社」のホームページのトップには、2007年2月現在、「ある占い師が、間違った方法を教えたために、葬儀用方法で柏手を打つ人が増えている」という内容の文章を記載している。また神社本庁はJ-CASTニュース[1]の取材に対し、「間違った参拝作法をテレビで公言している。(細木さんサイドに)指導してほしい、という苦情がかなりきています」 とあかしている。

■以上のように、個人・団体・業界に関しての認識不足が多々あるにも関わらず、本人から謝罪のコメントが出る事は殆ど無い。

また、細木に限った事ではないが、数多くのテレビ番組に出演して占いをしていることについても疑問の声がある。ちなみに日本民間放送連盟の定める放送基準には「占い、運勢判断およびこれに類するものは、断定したり、無理に信じさせたりするような取り扱いはしない」とある。

(出典:Wikipedia)

鈴木杏 エピソード&プロフィール

鈴木 杏(すずき あん、1987年4月27日 - )は、東京都世田谷区出身の女優である。フォスター所属。身長163p、靴のサイズ24.5p、血液型B型。堀越高等学校卒業、和光大学人間関係学部在学中。

7歳年下の妹がいる。


【来歴】
小学生の頃から子役として芸能活動をしており、同年代の芸能人に比べると比較的芸歴は長く、実力派の女優として知られている。一般には、ローソンや大塚製薬の「ポカリスエット」のCMで、注目されるようになった。

堀越高等学校を2006年卒業。長澤まさみ、黒川芽以と同級生だった。

なお、「杏」のアルファベットのスペルは「Anne」としている(本来はAnである)。 舞台、映画など幅広く活躍し、その演技力は高く評価されいる。 ドラマで共演した錦戸亮は彼女のことを心から尊敬しているとラジオで公言している。

dreamの高本彩とは親友。東京出身の鈴木が、時に関西弁を発するのは彼女の影響とのこと。 ドラマや映画などでは、常に気配りを忘れずに接しているため、スタッフや共演者に好かれる。

小学校低学年時から眼鏡を使用しており裸眼視力が極端に悪く、普段はコンタクトレンズを装用している。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070426-00000020-oric-ent
タグ:鈴木杏 女優

寺島しのぶ エピソード&プロフィール

寺島 しのぶ(てらじま しのぶ、本名:寺島 グナシア 忍、1972年12月28日 - )は、京都府京都市出身の女優。青山学院大学文学部卒業。ユマニテ所属。血液型B型。


【プロフィール】
生年月日: 1972年12月28日
現年齢: 34歳
出身地: 京都府京都市
血液型: B
公称サイズ(出典不明)
身長 / 体重: 163 cm / ― kg
スリーサイズ: 80 - 60 - 83 cm
靴のサイズ: 22.5 cm


【来歴・人物】
父は歌舞伎役者の尾上菊五郎、母は女優の富司純子(藤純子→寺島純子)、父方の祖父は尾上梅幸(故人)、母方の祖父は東映の俊藤浩滋プロデューサー(故人)、弟は歌舞伎役者の尾上菊之助という演劇・俳優一家に生を受け、大学在学中より舞台、テレビドラマを中心に活躍。

渋谷・松濤幼稚園を経て、青山学院出身。1992年に文学座に入団。「将来の文学座の看板女優候補」と言われ、晩年の杉村春子にも目をかけられたが、1996年に退団。その後も、蜷川幸雄、江守徹、久世光彦といった演劇界の所謂大御所に度々起用され、着実に演技の幅を広げ、それに伴う数多くの演劇賞を受賞した。

高校時代はハンドボール部に所属しており、エースを務めるなどで活躍した。また同い年である二代目中村獅童とは学生時代からの交友がある。

2003年に公開された映画『赤目四十八瀧心中未遂』と『ヴァイブレータ』の熱演が認められ、国内外問わず10以上の映画賞を受賞。結婚間近と目されていた市川染五郎との突然の破局などの話題も相まって全国的な知名度も得た。大胆なラブシーン(母の純子から猛反対を受け絶縁寸前まで追い込まれた)など、役作りに徹底的に拘る姿勢に対し一定の評価を受け、実力派女優の地歩を固めつつある。

動物占いは「オオカミ」である。

2007年2月26日に日本在住のフランス人アートディレクター、ローラン・グナシア氏と国際結婚した。夫婦の共通の言語は「シングリッシュ」。寺島が作った造語で、「心と心で伝わる英語」とのこと。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070426-00000030-dal-ent

ドリュー・バリモア エピソード&プロフィール

ドリュー・バリモア(Drew Barrymore, 本名 Drew Blythe Barrymore, 1975年2月22日 - )は、アメリカ合衆国の女優。


【来歴】
ロサンゼルス出身。舞台俳優のジョン・バリモアは祖父。大伯父はライオネル・バリモア、大伯母はエセル・バリモア、両親共に俳優という一家に生まれる。

生後11ヶ月からコマーシャルに出演。7歳のときにスピルバーグの『E.T.』に、主人公エリオットの妹役で出演、その愛らしさで一躍天才子役として注目される。一夜にしてスターとなった彼女だが、私生活は荒んでいき、9歳から飲酒を、10歳でマリファナを、12歳の時にはコカインを使用するようになったという。笑顔が可愛らしく愛嬌のある役が多いが10代から20代のはじめには"Bad Girl"として有名で、1995年には『プレイボーイ』誌でヌードにもなっている。

20代半ばからはヒット作に恵まれ、また自身の映画製作会社を興してプロデュース業にも携わっている。

プライベートでは1994年にバーのオーナーの男性と結婚したが1年後に離婚。2001年にはコメディアンのトム・グリーンと結婚したが、1年と少しで離婚している。

2007年4月、タイム・ワーナー社の刊行している雑誌『People(英語)』の『モスト・ビューティフル・ピープル2007』で第1位に選ばれた。


【主な出演作】
・E.T. E.T. the Extra-Terrestrial (1982)
・炎の少女チャーリー Firestarter (1984)
・世にも不思議なアメージング・ストーリー Amazing Stories (1985)
・プワゾンの香り The Amy Fisher Story (1993)
・ボーイズ・オン・ザ・サイド Boys on the Side (1995)
・バットマン・フォーエヴァー Batman Forever (1995)
・スクリーム Scream (1996)
・世界中がアイ・ラヴ・ユー Everyone Says I Love You (1996)
・エバー・アフター Ever After (1998)
・ウェディング・シンガー The Wedding Singer (1998)
・25年目のキス Never Been Kissed (1999)
・チャーリーズ・エンジェル Charlie's Angels (2000)
・ザ・シンプソンズ The Simpsons (2000) 声の出演
・ドニー・ダーコ Donnie Darko (2001)
・サンキュー、ボーイズRiding in Cars with Boys (2001)
・コンフェッション Confessions of a Dangerous Mind (2002)
・チャーリーズ・エンジェル フルスロットル(2003)
・おまけつき新婚生活 Duplex (2003)
・50回目のファースト・キス 50 First Dates (2004)
・2番目のキス Fever Pitch (2005)

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070426-00000107-jij-ent

土岐田麗子 エピソード&プロフィール

土岐田麗子(ときた れいこ、1984年5月31日 - )は、千葉県生まれのファッションモデル。ディスカバリー・エンターテインメント所属。血液型はA型。趣味はショッピング。愛称はトッキー。


【プロフィール】
愛称: トッキー
生年月日: 1984年5月31日
現年齢: 22歳
出身地: 日本・千葉県
血液型: A型
公称サイズ(2005年時点)
身長 / 体重: 157 cm / ― kg
スリーサイズ: 80 - 56 - 80 cm
靴のサイズ: 23.0 cm


【経歴】
■『Cawaii!』にてモデルデビュー。なお『Cawaii!』では毎年2月号で、その年に成人式を迎える「Cawaii! Girls」がそろって振袖を着て表紙を飾るのが恒例になっている。2005年2月号では、大石里紗と共に振袖姿で表紙を飾っている。彼女達はこの号をもって『Cawaii!』を卒業した。

■現在は『JJ』誌上にてモデルとして活躍中。


【エピソード】
■2006年10月17日放送分の『踊る!さんま御殿!!』(日本テレビ系列)に出演した際、インパルスの堤下敦に突然、「好きです」と告白をしスタジオを驚かせた。

■2007年4月22日、日刊スポーツによると堤下敦と年内にも結婚する見込みだと発表。尚、現在も堤下との交際は順調の様で、日刊スポーツによれば年内にも結婚、今秋にも挙式・披露宴を行いたい意向で日程の最終調整に入っているとのことである。

■無料パソコンテレビGyaOにて配信中の『キムサウンドストーリー』でアニメ化された姿で出演中(声も本人によるものである)のほか、「うたブロ」でも熱唱中。

■同じくGyaOで配信された『道徳女子短大 エコ研』や、Dohhh UP!で配信された『おじぎ30度』などで高橋愛や道重さゆみらと共演している。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070425-00000031-nks-ent

蒼井優 エピソード&プロフィール

蒼井 優(あおい ゆう、本名非公開 1985年8月17日 - )は、日本の女優。

福岡県出身。イトーカンパニー所属。堀越高等学校卒業。日本大学芸術学部演劇学科中退。

血液型はA型、身長160cm。


【略歴】
■小学生の頃から地元のモデル事務所に所属してCMや広告に出演。

■1999年、約1万人の中からミュージカル『アニー』のポリー役に選ばれデビュー。

■1999年夏、オーディション情報誌『月刊デ・ビュー』(オリコン・エンタテインメント刊)の「夏の特別オーディション」企画に掲載されていたタレント募集の中から現事務所に応募し、以来所属。

■2001年、岩井俊二監督の『リリイ・シュシュのすべて』で映画初出演。

■2002年、三井のリハウスの10代目リハウスガールに選ばれる。

■2003年、『高校教師』で初めて連続ドラマにレギュラー出演する。

■2004年、『花とアリス』で訪れた第9回釜山国際映画祭で、韓国での映画の熱狂ぶりと日本映画の認知度の低さに驚き、日本映画にもっと深く関わっていきたいと思うようになる。

■2005年、7本の映画出演作が公開され、『ニライカナイからの手紙』で単独初主演を果たした。

■2006年、第11回釜山国際映画祭にて行われたスターサミットアジア2006に参加し、これからアジアの映画を担っていく女優として市原隼人、香椎由宇らと共にカーテンコールの1人に選ばれる。

■2006年度、『フラガール』などでの好演が認められ、第30回日本アカデミー賞最優秀助演女優賞、第49回ブルーリボン賞主演女優賞をはじめ、多くの映画賞を受賞した。


【特徴・その他】
■ナチュラルで透明感のある演技が魅力。特に、2001年公開の映画『リリイ・シュシュのすべて』(岩井俊二監督)では比較的少ない出演時間でありながら、その儚く切ない存在感は観た人に最も強い印象を残している。また同岩井監督作品『花とアリス』では前作とは違った、明るいが孤独を持った小悪魔的な少女の演技と、2歳から続けていたというバレエで観るものを魅了する。

■本人曰く「自分は個性がないところが個性だ」。

■宮崎あおいとは仲が良い。映画『害虫』やドラマ『青と白で水色』、CM『ファイブミニ』、雑誌で多く共演しており、お互いを「あおい」、「優」と呼び合う。

■ときおり右の頬に片えくぼが現れることがあり、チャームポイントの一つとなっている。

■一人称は「優」。

■新潮社『ニコラ』では本名で読者モデルオーディションを受けたが、その後すぐ現在の事務所に所属になり、蒼井優としてモデル活動を始めた。

■食べることが好きで、サバの味噌煮、筑前煮などを好む。また、カキ氷は週に5日は食べるという。

■2005年の『クレヨンしんちゃん』冬SPでは彼女の名をもじった赤井優というキャラが登場した。

■ゲームソフト『ポケットモンスター』シリーズのファンであり、2006年には『ポケットモンスター ダイヤモンド・パール』CMに出演した他、ゲーム雑誌『CONTINUE』(太田出版)Vol.31の表紙を飾ると共にインタビューが掲載されている。

■『僕らの音楽』(2007年3月30日)で、レミオロメンの藤巻亮太と対談。その中で、レミオロメンの曲に出合ったきっかけは嵐の二宮和也と舞台で共演した時、二宮の楽屋から『3月9日』が聞こえてきて、その後、二宮から曲のことを聞いたことだという。

■『クワイエットルームにようこそ』では、摂食障害の役のため、役作りで体重を7kg落としたという。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070425-00000015-flix-movi

後藤真希 エピソード&プロフィール

後藤 真希(ごとう まき、1985年9月23日 - )は、日本の歌手、女優である。ハロー!プロジェクトの一員で、元モーニング娘。のメンバー。日出女子学園高等学校中退(普通科中退→通信制編入→中退)。アップフロントエージェンシー所属。東京都江戸川区出身。血液型はO型。身長は158.8cm(本人談)。愛称はごっちん、ごっつぁん、ごまちゃん。


【人物・エピソード】
■ハロー!プロジェクトメンバーの中でも「スタイルが良い」と評されることが多く、写真集等のグラビア媒体でも活躍している。二十歳(はたち)を過ぎてからはセクシー路線を打ち出している。

■モーニング娘。加入当時は金髪だったが、本人いわく「学校が夏休みだったから金髪に染めた」と言う。その後、グループ黄金期の中心格メンバーとなったこともあり、象徴色として金色(ゴールド)が使われていた(#アルバム・#コンサートのタイトルを参照。ただし後述の「可愛らしい一面」を大事に考えるファンからは支持されない場合がある)。

■モーニング娘。に加入した当初、「教育係」として市井紗耶香が就いた。ちなみに、これが初の「教育係」であった。翌年の次の新メンバー加入時には一人一人に教育係が就くことになり、後藤は早くも加護亜依の教育係に指名された。

■歌う時のマイクの持ち方が特徴的で、ほとんどの場合、左手の小指をマイクに沿わして平行に伸ばして持つ。松浦亜弥によれば、ごまっとうでこの持ち方に合わせる事になったため、苦労したとの事。ちなみに、田中れいなも同じ持ち方をしている。

■マスコミや一般人から「ゴマキ」と呼ばれることが多いが、かつて後藤久美子が「ゴクミ」と呼ばれることを快く思っていなかったのと同じく、後藤本人も「ごっちん」「ごっつぁん」と呼んで欲しいと語っており、ファンも「ゴクミ」をもじって造られた呼称である「ゴマキ」とは呼ばない。ただ、後藤本人や事務所の意向をかなり尊重しているものの、ハロー!モーニング。のキャラクターで「ゴマキペンギン」「ゴマキスズメ」の様に使われることがある。なお、本人は自分のことを「後藤」と言う。

■ハロー!プロジェクトの中でもトップクラスの運動神経の良さを持ち、ハロー!モーニング。での運動神経テストではパーフェクトの数値を記録したことがある。

■腕相撲は辻希美と1・2位を争う強さを誇り、矢口真里が両腕でやっても勝てないほどである。ライブ等でも筋肉質の鍛えられた肢体を披露しているが、本人はむしろ女性らしい体型を望んでおり、筋肉がつくことを嫌がっている。

■デビュー時の印象や外見から、クールで大人っぽいという一般的なイメージがあるが、それとは裏腹に、無邪気な言動や料理やお菓子作りが趣味というかわいらしい一面がインタビューやラジオ番組などで明らかにされている。

■他にメジャーな愛称があるハロー!プロジェクトのメンバーを独特の愛称で呼ぶ傾向がある。例えば、松浦亜弥(「あやや」)を「まっつー」(この愛称は、安倍なつみも使用していることから、「後浦なつみ」内での共通の愛称であると推察される。)、吉澤ひとみ(「よっすぃ〜」)を「よし子」、新垣里沙(「豆」「ガキさん」)を「ニイニイ」、道重さゆみ(「さゆ」「しげさん」)を「ミッチー」と呼んだりしている。

■ソロデビュー曲「愛のバカやろう」によって、オリコン初登場1位最年少記録(15歳6ヶ月)保持者となった。

■視力は両眼とも2.0。カラーコンタクトを着用しているのはオシャレのため。

■アナゴのにぎりが苦手。とんねるずのみなさんのおかげでしたの食わず嫌い王決定戦に出演した際に判明した。

■イグアナを3匹飼っている(ただし、2007年2月現在は家族に子供がいるため預けている)。名前はパパ(雄)、ママ(雌)、アベちゃん(雄)。アベちゃんはうたばんの企画でプレゼントされた、後藤真希と同じくらいの身長のグリーンイグアナで、名前は番組プロデューサーの阿部龍二郎から。散歩に連れて行ったり、テレビ番組やコンサートでイグアナのかわいさを熱弁したりするイグアナ好きだが、イグアナ以外の爬虫類は特に好きではなく、ヘビなどは苦手。


【略歴】
●1999年
・8月 -モーニング娘。第2回追加オーディションに合格してモーニング娘。第3期メンバーになる。
本来2人追加される予定だった(1999年9月9日に9人になると発表された)が、つんく♂曰く「10年に1人の逸材」「才能が飛び抜けていた」と言う理由で後藤1人が合格した。

・9月 - 加入直後にリリースされたシングル「LOVEマシーン」で、いきなりグループのセンターポジションを担当。

・11月 - 保田圭・市井紗耶香と3人でグループ内ユニット「プッチモニ」としてもデビュー。シングル「ちょこっとLOVE」は110万枚の売上げを記録。

●2000年
・4月 - テレビ東京系列にて「ハロー!モーニング。」スタート。初代司会者に就任。

●2001年
・3月 - シングル「愛のバカやろう」でソロデビュー。オリコン初登場1位。

・7〜9月 - 連続テレビドラマ初出演「マリア」(TBS系)で、4姉妹の末っ子の役を担当。

●2002年
・9月23日 - 17歳の誕生日にモーニング娘。を卒業。前日の9月22日にはテレビ東京系列にて「生中継!後藤真希・モーニング娘。卒業!ファイナルステージ」という特別番組が組まれた。中山秀征・中澤裕子の2人を司会に据え、更に夏まゆみ・市井紗耶香の2人をゲストに迎えて13人での最後のテレビ出演を無観客状態の横浜アリーナから生中継で行なった。

・11月 - 松浦亜弥・藤本美貴とユニット「ごまっとう」を結成。シングル「Shall We Love?」をリリース。

●2003年
・ミュージカル「けん&メリーのメリケン粉オンステージ!」、映画「青春ばかちん料理塾」でそれぞれ初主演。

・12月31日 - ソロとして「第54回NHK紅白歌合戦」初出場。

●2004年
・10月 - 安倍なつみ、松浦亜弥と、ユニット「後浦なつみ」を結成。シングル「恋愛戦隊シツレンジャー」をリリース。

・10月、12月 - テレビ朝日の音楽特番で特捜戦隊デカレンジャーとの夢の競演を安倍なつみと松浦亜弥とで果たす。

・12月31日 - 「後藤真希&松浦亜弥」として「第55回NHK紅白歌合戦」に出場。2回連続の出場を果たす。

●2005年
・大河ドラマ「義経」出演(能子役)。

・1月10日 - 「110番の日」、警視庁にて一日通信指令センター長を務める。110番通報を受けるデモンストレーションを行う。

・10月 - 安倍なつみ、松浦亜弥、石川梨華と共に「DEF.DIVA」を結成、シングル「好きすぎて バカみたい」を発売。オリコン初登場1位(5つの名義での首位獲得を達成)。しかし、このユニット名で「義経」の裏番組「歌笑HOTヒット10」に出演した。

・12月31日 - 「DEF.DIVA」及び「モーニング娘。ドリームチーム」として3回連続のNHK紅白歌合戦出場。

●2006年
・2月 - 急性腸炎を発症し、舞台「ハロ☆プロ オンステージ!」(2月15〜19日)を降板して休養。同21日に復帰。

・6月 - 「後藤真希シークレットライブ」(シングル「ガラスのパンプス」購入者特典イベント)において、初めてライブハウスでのソロライブを行なった。

・9月 - 韓国で現地のファン1200人とイベントを行なった。併せて韓国で発売するベストアルバムのプロモーション活動を実施。

・11月 - 韓国で自身初の海外ライブを行なった。

・12月 - SanDisk(デジタルオーディオプレーヤーSansa、フラッシュメモリ製品)のイメージキャラクターに起用された。

●2007年
・1月24日 - モーニング娘。結成10周年を記念するユニット「モーニング娘。誕生10年記念隊」に3期メンバーとして参加、シングル『僕らが生きる MY ASIA』をリリース。

・3月13日 - 北京で行われた「日中スーパーライブ」(日中国交正常化35周年を記念する「日中文化・スポーツ交流年」の開幕イベント)に参加した。

・4月11日 - 総理大臣官邸で行われた中国の温家宝首相来日の歓迎夕食会に参加し、温家宝首相や安倍晋三首相の前で『僕らが生きる MY ASIA』をソロで披露した。


【紅白との数奇な縁】
■1999年 - 2001年
デビュー以来、モーニング娘。として『NHK紅白歌合戦』(以下『紅白』)に連続出場した。

■2002年
9月23日の誕生日を期にモーニング娘。を「卒業」した後、ソロ第1弾として予定されていたシングルリリース予定をキャンセルして「ごまっとう」を急遽結成、「Shall We LOVE?」をリリース。これは俗に「紅白出場必勝体勢」と噂された。しかし結局、ハロープロジェクトとしては、藤本美貴がソロとして、モーニング娘。・松浦亜弥とともに紅白初出場となり、この年は出場を逃す結果となった。

■2003年
「後藤真希」名義での初出場。ただし、オリジナル曲ではなく杏里の往年のヒット曲「オリビアを聴きながら」を歌う。この曲選択はモーニング娘。のオーディションで歌った曲ということで「本人の意向」とされている。後に,ベストアルバム「後藤真希プレミアムベスト1」にてCD化された。イントロには「LOVEマシーン」を彷彿とさせるアレンジを用い、曲中の衣装替え(黒子として安倍なつみらモーニング娘。のメンバーを従えて衣装を脱ぐパフォーマンスを行った)は、モーニング娘。からの「卒業」が暗示されていると見られる。

■2004年
後浦なつみで出場決定。しかし決定直後の11月下旬になって安倍なつみの活動自粛が決定し、安倍は出演辞退、後浦なつみ名義は取り消され、「後藤真希&松浦亜弥」として出場。この時の歌は童謡と二人それぞれの持ち歌である「手を握って歩きたい」「奇跡の香りダンス。」をメドレーにして歌った。結果的に、ソロの持ち歌を初披露することとなった。事件の顛末としての話題性もあったせいか、毎分視聴率でこの年の紅白としては非常に高い数字を叩き出した。

■2005年
DEF.DIVAとしての出場が決定。3回目の「初出場」となり、「紅白最多初出場」のタイ記録と言う珍記録を達成した(女性では新記録。前年の松浦とのコンビがユニットとして認定されていれば全体の新記録であった)。さらに、モーニング娘。卒業メンバーとして、総勢19人での「LOVEマシーン」に参加した。

(出典:Wikipedia)


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070505-00000027-dal-ent

岩崎ひろみ エピソード&プロフィール

岩崎ひろみ(いわさき ひろみ、1976年11月23日 - )は、千葉県八千代市出身のタレント、女優。スターダストプロモーション所属。学習院女子短期大学文科国語専攻卒業。本名は同じ。


【来歴】
歌手の岩崎宏美と全く同じ読みの名前だが、生まれた当時、岩崎宏美が人気絶頂だったことから名づけられたらしい。

劇団若草在籍中、ミュージカル「アニー」、「木村家の人々」で話題の子役となる。(※通常芸能界では名前及び読みが同じ場合は後にデビューした方が違う芸名にするのが一般的だが、歌手の岩崎宏美は当時は婚姻中の「益田宏美」を名乗っていた為そういう事にはならず、離婚して「岩崎宏美」に戻した際も変更は無かった。)1996年放送のNHK「連続テレビ小説 ふたりっ子」で、双子のヒロインの一人・香子役を務める。

その後はバラエティー番組に多く出演しているが、その中でもよみうりテレビ「ひろみっ」(関西ローカル)では永田杏奈、羽田実加との共演でメインパーソナリティーを勤め、2001年4月からは元フジテレビアナウンサーの近藤サトとともに、TBSラジオで「ラ・ラ・ラ♪日ようび」のパーソナリティをつとめた。

2007年4月15日には、劇団☆新感線の吉田メタルと結婚した。

麻雀を打つ。千葉の実家(県内ではかなり有名なラーメン屋、八千代台駅前「パンケ」を経営)には全自動麻雀卓があり、家族の影響と思われる。

一度観た芝居の台詞を、全部覚える事が出来るという特技を持っている。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070425-00000033-nks-ent

戸田恵子 エピソード&プロフィール

戸田 恵子(とだ けいこ、本名;井上 恵子、旧芸名;あゆ 朱美、1957年9月12日 - )は、愛知県春日井市出身の声優、女優。血液型はO型。グランパパプロダクション所属。駒沢学園女子高等学校卒業(後輩は女優の常盤貴子)。

声優としては『ゲゲゲの鬼太郎(3作目)』(鬼太郎役)、『きかんしゃトーマス』(トーマス役)、『キャッツアイ』(来生瞳役)、『それいけ!アンパンマン』(アンパンマン)など、女優としては『ショムニ』などへの出演が知られている。


【経歴・人物】
小学5年からNHK名古屋放送児童劇団に在籍し、『中学生日記』で女優としてデビュー。上京し、あゆ朱美の芸名でアイドル演歌歌手としてもデビューした。しかし、歌手としては成功せず、挫折していたところを野沢那智に声を掛けられる。所属していたプロダクションが解散となり、野沢主宰の「劇団薔薇座」へ入団。本格的に演技の勉強を始め、劇団の看板女優として活躍した。退団後の1989年には舞台『渾・身・愛』で第24回紀伊國屋演劇賞個人賞を受賞。

『無敵鋼人ダイターン3』への出演で声優デビュー。続けて出演した『機動戦士ガンダム』で声優として認知される。当初は『伝説巨神イデオン』、『子鹿物語』など歌手としての色彩が強い出演作品が多かったが、次第に声優に軸足を移してゆく。

『キャッツ♥アイ』の瞳、『きかんしゃトーマス』のトーマスなどの声をあてて人気を集める。洋画の吹き替えも多く担当しており、ジュリア・ロバーツの出演作では殆どをこなしている他、『X-ファイル』のスカリー捜査官なども有名。

金子修介監督の映画『毎日が夏休み』で本格的に映画に出演。その後、三谷幸喜が脚本を手がけた『総理と呼ばないで』、『ラヂオの時間』(日本アカデミー賞優秀助演女優賞を受賞)、『HR』に出演し、三谷作品の常連となる。他にも『ちゅらさん』、『天才柳沢教授の生活』などに出演。舞台には『オケピ!』、『なにわバタフライ』、岸野幸正率いる「劇団岸野組」の公演などに出演。『歌わせたい男たち』では第13回読売演劇大賞最優秀女優賞を受賞した。


【エピソード】
■アイドルから声優に転向して成功した先駆けとも言われ、小山茉美や潘恵子と並ぶ人気だった。池田秀一と結婚するが後に離婚し、その後、俳優の井上純一と再婚した。子供はいない。

■ラスベガスは、一般には「ベガス」と呼ぶのが普通だが、戸田は「ラスベ」と呼ぶことが多い。小堺一機や三宅恵介プロデューサーらと現地を訪れた際も、「ラスベに行くべツアー」と称した(そこで絶叫マシーンに強引に全員を連れて行った上、顔を引きつらせる彼らに対し、彼女は平然と笑みを浮かべ「へぇ、こうなってるのね」とだけ言った)。

■アイドル時代、気球からのリポート撮影で墜落事故にあった経験もある。

■さだまさしの『一人占い』(グレープ時代の作品である)をレコードで発売しているが、全く売れなかった。また三ツ矢雄二とは児童劇団時代からの腐れ縁(全て本人談)。

(出典:Wikipedia)

陣内智則 エピソード&プロフィール

陣内 智則(じんない とものり、本名同じ、1974年2月22日-)は、日本のお笑い芸人であり、ピン芸人である。兵庫県加古川市出身。兵庫県立高砂南高等学校卒。身長168 cm。血液型A型。 1人コント形式で音声や映像に対してツッコミを入れるという独特なスタイルに定評がある。あだ名は「ジンくん」「ジンさん」、一時期はヨン様にあやかって「ジン様」と呼ばれて(呼ばせて?)いたこともあった。「とものり」の由来は「丸美屋」の「のりたま」から「のりとも」、「とものり」となったということをコントのネタにしていた。妻は女優の藤原紀香。義弟がいる。


【人物】
吉本興業大阪本社所属。大阪NSC11期生。同期には中川家、たむらけんじ、ケンドーコバヤシ、ハリガネロック、ルート33堂土、吉本新喜劇の烏川耕一などがいる。

尚、ココリコ・藤井隆らはデビュー年は一緒ながら、こちらがわずかに先であるため陣内側が後輩扱いとなる(学年的にも陣内の方が2つ下)。

クリエイターの原田専門家(彼も同じくNSC11期生)と共に作った映像や音声を駆使したネタにツッコミを入れるという、ピン芸人として今までに無いスタイルを確立。

3人兄弟の末っ子(兄と姉がいる)。

視力が悪く(両眼共に0.05であった)、以前はコンタクトレンズ・メガネを使用していたが、2007年4月にレーシックの施術により視力が両眼とも1.5にまでなった。


●タイガースファン? (角淳一との舌戦)
『ちちんぷいぷい』の司会者である角淳一とはいつも舌戦を繰り広げていた。プロ野球阪神応援番組『週刊トラトラタイガース』(読売テレビ)の司会に抜擢されるも、実は巨人ファンとの噂もある。本人は阪神ファンだと主張しているが、阪神に関する知識に曖昧な点も多く、松村邦洋やダンカンは陣内は本当は巨人ファンだと主張している。もっとも、この主張に関しては自分達の阪神キャラとしての地位を陣内に奪われるのではないかという危機感によるものとの声もある。私生活で赤星憲広、浅井良や阪神タイガースの若手選手との交流があり、元関西テレビアナウンサーの梅田淳の話によれば、陣内の結婚話が噂になった当日、梅田が阪神の赤星憲広に知らせたところ、赤星は「私、相当前から知ってましたよ」との返事が返ってきた。


●苗字について
名前の良く似た俳優の陣内孝則や、元バドミントン選手の陣内貴美子らとの血縁関係はないが、彼自身の実兄が"たかのり"という名前で、漢字では陣内孝則と一文字違いである(関西のラジオ番組では定番ネタで、日本テレビのバラエティ番組『カミングダウト』などで全国的に明らかに)。また、智則・孝則・貴美子の三人で、関西テレビの『陣内家』という単発番組で共演を果たしている。また、陣内の祖母が死に際に「うちの親戚には役者がいる」と陣内孝則との血縁関係がある主旨の発言をしたという噂があるが、陣内の祖母は生きている。


【経歴】
●NSC入学から「リミテッド」時代
地元の同級生と一緒にNSC大阪校の11期生として入学。同期は、中川家・ケンドーコバヤシ・たむらけんじ・ハリガネロック等。卒業後、その同級生と2人で「リミテッド」と言うコンビを結成(このコンビ名は陣内が「限界」という意味の「リミット」と間違って名付けたものである。「リミテッド」は「制限された」「わずかな」という意味の言葉であるが、本人は指摘されるまでこの勘違いに気付かなかったという)。心斎橋筋2丁目劇場を中心に活動をスタートさせる。しかし当時の「リミテッド」は「2丁目劇場で一番おもんないコンビ」と言われ、余りのつまらなさに一時期はファンの間で「リミテッドを見ると不幸になる」とまで言われた。(しかし、そうは言われながらもファンの間では愛されていたという)結果コンビは、結成3年後の1995年9月に解散。相方は芸能界自体をも引退してしまった為、陣内自身はピン芸人への転向を余儀なくされる。


●ピン芸人としての再出発
リミテッド解散時、年末の若手ネタ番組「オールザッツ漫才」出演。若手芸人のトーナメント戦で欠員が出た為(相方の突然の不参加による)、陣内が急遽、進行役のオール巨人との協議の結果、1人でネタを披露するという場面があった。センターマイク前に1人で立ち、一発ネタを1人でただしゃべるだけだったが、なぜかウケにウケまくり、3回戦まで進出してしまった。しかし「リミテッド」解散のショックからなかなか立ち直れないでいたなか、ある日吉本側から「次のイベントでスベったら芸人を辞めろ」と、ついに“最期通告”を受ける。プレッシャーからネタ作りもままならず、開演数分前にようやく完成。そのイベントで今までに無いぐらい評判が良かったため、会社の彼に対する評価も一変。次々と仕事が舞い込むようになる。しかし「ネタは面白いのにしゃべりは絶望的」など批判も多かった。1999年10月スタートの情報番組「ちちんぷいぷい」(毎日放送)の月曜レギュラーに抜擢され、同曜日のかつての人気企画「クイズ私鉄沿線」で関西のおばちゃん層への知名度も徐々にアップ。深夜のバラエティ番組「クヮンガクッ」(同)での"レシートすごろく"(梅田をスタート、難波の高島屋をゴールに設定し(その距離はわずか数キロ)、道行く人にレシートを見せてもらい、そのレシートのお店へ行かなければならない。すぐ終わると思いきや日本のあちこちに飛ばされた。ロケ期間約5カ月、その距離15000km以上。東京から北九州を経て沖縄へ飛ばされ、ようやく大阪に帰ってきたと思いきや、次の人に北海道・千歳空港内の店のレシートを渡されたり、カナダの店のチケットを渡されるなど(これはプロデューサー会議の末、予算の都合で無効となった)、予測不能のハプニングが相次いだが、そのおかげで番組の人気コーナーとなる。ゴールは大歓声をもって迎えられた)は、その後「ノブナガ」(中部日本放送)で人気となったコーナー「地名しりとり」をはじめ、各局で類似の番組が多く制作されている伝説的企画となった。


●baseよしもと時代
1999年にbaseよしもとがオープン。FUJIWARA、シャンプーハットらとともに後輩らをまとめる役を買って出ることに。また、この頃から番組やイベントなどでの司会を任されるようになるが、そのなかでも圧倒的に毎日放送での仕事が多い時期があった。そのため、彼は「MBSの若獅子」「MBSと言えば陣内智則」と言われ、ケンドーコバヤシには「(当時同局アナウンサーの角淳一に媚びているのではないかという冷やかしで)角智則に改名しろ」と言わしめたほどであった。

また、2ちゃんねらーから「陣内志ね!(「死ね」ではない。「志」は、「氏」など"し"の読みをする他の漢字に変わることもある)」という"称号"を頂くようになった。これは、過去にオールザッツ漫才やbaseよしもとのイベントなどで、たむらけんじやケンドーコバヤシらが自分に比べて"売れている"陣内のことを「陣内死ね」と揶揄したことを半ば悪ふざけで使っているものであり、決して忌み嫌われているわけではなく、寧ろ陣内に対し好意的なイメージを持っている場合に使われる。


●base卒業後
現在はbaseよしもとを卒業し、うめだ花月やルミネtheよしもとなどで活動。また、2003年に「エンタの神様」(日本テレビ)に出演して以来、東京での仕事も増えているが、現在の彼の活動は平日は大阪で仕事をし、木曜日に「なるトモ!」の生放送と同番組の金曜分の収録が終わるやいなや、午後から新幹線や飛行機で移動し東京で番組収録(「エンタの神様」など多数)や、ルミネtheよしもとの公演をこなしている。また、朝日放送の日曜正午枠の「日曜笑劇場」には、『開運コメディ 今日も大吉!パンパンパン』からフットボールアワーらとともにレギュラー出演(主演)するようになり、『なにわ人情コメディ 横丁へよ〜こちょ!』にも、引き続きフットボールアワーらとともにレギュラー出演(主演)している。

2004年からは、声優など他の仕事も舞い込むようになった。 映画「犬夜叉 紅蓮の蓬莱島」(2004年12月23日公開)では声優デビューを果たす。が、本人は原作を「読んだことがない」「犬が戦うマンガ?」とラジオで発言してしまう。また、実写では2005年に公開された映画「ビートキッズ」(HUNGRY DAYS、相武紗季ほか出演)に、半ば無理やり"大学生D"というエキストラで出演。テレビコマーシャルでは、兼ねてから好きだと公言していたゲームソフト「桃太郎電鉄」(ハドソン)の新シリーズ、「桃太郎電鉄USA」のコマーシャルに出演(若槻千夏、Psycho le Cemuと共演)。これが自身初のCMとなった。2005年4月4日、5年2ヵ月レギュラー出演していた関西ローカルの情報番組、「ちちんぷいぷい」を卒業した。 その後すぐ、日本テレビ系列の番組「ミンナのテレビ」・「世界!超マネー研究所」でレギュラー出演が決定。 両番組は2005年4月から9月まで放送されたが、それ以来、陣内は司会の立場で、全国区や関西ローカルのテレビに出演することが多くなってきている。また、関西ローカルで放送されている「なるトモ!」が2005年10月3日から日本テレビ、中京テレビ、広島テレビ、熊本県民テレビでもネットされるようになった。 2005年12月、映画「ブラック・ジャック ふたりの黒い医者」の声優も務めた。 爆笑オンエアバトルでは初出場にして、元番組最高記録537KB(満点で545KB)をたたきだした。(後にますだおかだが満点で記録更新。)その後16戦16勝という高記録でゴールドバトラーにのぼりつめた。

また、2005年12月31日開催の「輝け!ネタのグランプリ」で優勝し賞金1000万円を獲得した。このことから関西番組を中心に1000万取ったことでイジられることが増えている。

2006年1月19日放送の「なるトモ!」で番組開始から約1時間の遅刻をしてしまう。「陣内智則のひとり番長」生放送終了後、東京から大阪へ向かう新幹線で熟睡、下車する新大阪駅を乗り過ごしたことが直接の原因。この一件は大阪版スポーツ紙などでも報道された。


●藤原紀香との出会い・結婚
2006年4月に、日本テレビ系DRAMA COMPLEX「59番目のプロポーズ」にて陣内は、藤原紀香と出会うことになる。 ドラマ収録後の打ち上げの席で、陣内は藤原に手紙を渡し、そこから二人のお付き合いが始まる。

7月14日のヨシモト∞で、急性扁桃炎にかかっていると告白。声が出なかったためエンタの神様のスタッフに病院に連れて行かれ、ステロイド注射を打ったという。しかし、結局声は出ず「2年間ずっと眠い」という注射の副作用だけが残ることになった。なおこの日に藤原が渋谷∞ホールまで自分の料理したサムゲタンを届け扁桃炎で弱った陣内を元気付けた。(「恋のかま騒ぎ」より)

2006年末になって藤原との結婚の話でメディアに注目され、12月10日神戸市内の生田神社で結納を交わし、2007年2月17日に同神社で挙式(結婚式には、同期のケンドーコバヤシ・たむらけんじやなるトモ!で共演するなるみ・海原やすよ・ともこ・シャンプーハット小出水らが出席した)。この挙式の模様は、同日16:20-16:55によみうりテレビが放送(他には熊本県民テレビ(KKT)がネット)し、関西で18.2%という高視聴率を挙げた。交際をするにあたり、なるトモ!に出演している芸能リポーター駒井千佳子に相談していた。翌日に出演した「ルミネtheよしもと」では、生田神社の様な規制(但しコント出演中の写真撮影禁止)もなく、素でコントをしている所が見れたり、「ルミネtheよしもと」と「映画の試写会」では、「おめでとう」を言う人が多かった。また、結婚により藤原紀香の本名が「陣内紀香」となったが、藤原の方が全国的な知名度が高いため、テレビ等のネタで「藤原智則さん」と呼ばれたり、「いつ藤原姓になるの?」などと言われている。また、結婚を機に東京の藤原の部屋に引っ越し、「なるトモ!」の放送及び収録がある毎週月曜〜木曜は片道3時間にもわたる新幹線通勤を試行している。

2007年4月10日、陣内智則と藤原紀香は加古川市役所にて婚姻届を提出し正式に夫婦となった。


【出来事】
■2005年6月13日放送の行列の出来る法律相談所で、女優・田丸麻紀と交際宣言をしメールアドレスの交換も済ませニュースでも話題になったが、田丸からの返事はいつもそっけない返事ばかりだった。ある日ワイドショーに出演していた田丸に報道陣が「陣内さんと恋なんてことは?」と聞くと「それはないですね」と発言し、それをテレビで見ていた陣内は同法律番組で自身が相談者となって慰謝料を請求した。(これは陣内が田丸と交際するために、その頃交際していた彼女をテレビであっさり振ったところ、ファンやめますというファンレターが大量に届いたり、ライブを開いても空席だらけであったため。)※詳細は外部リンク

■生来の「天然」のせいで、2丁目時代には同事務所の千原兄弟、サバンナなど先輩・後輩問わずいじられまくっていた。特に親友のケンドーコバヤシは、陣内の家に泊まりに行って、「朝起きたらメガネを台所で炒める(それを見た陣内はメガネが炒められていることではなく、「お前かってに火を使うな!」と、かってにコンロを使っていることに怒った)」「メガネをマジックで真っ黒に塗る(その眼鏡をかけて陣内が最初に言った言葉は「世界終わった!!」)」「真夏に暖房をつけて寝ている陣内が出られないように外から玄関を封鎖する」などいじられっぷりは類を見ない。

■尾崎豊の大ファンだが、歌唱力はシャンプーハットのてつじや山田花子と同様、ひどいものである。

■営業などにおいては、一時期、コンビでもないのに同期のケンドーコバヤシとのセットが多く、周りもコンビと見紛うほどであった。彼とはプライベートでも息がピッタリ合っている。

■ある特番の収録中にツッコミのつもりでガッツ石松の頭をたたいたところ、ガッツは怒ってしまった。その後ガッツに謝罪して和解が成立したが、今でもガッツには頭が上がらないようである。

■ネタ番組「すんげー!Best10」で千原ジュニア、山下しげのりとともに披露した、「メガネ部」は、吉本興業の事務所スタッフ内でも伝説となっている。

■「すんげー!Best10」の中でしましまんずの池山心が、当時ピン芸人として瀬戸際に立たされていた陣内をネタに歌を作り、これが大うけしたことがある。歌詞は以下の通り。
♪ 陣内、君は支配人に「辞めろ」って言われたね。
だけど君は、その後こう言っていた。「支配人の方が辞めればいいのに」って。
負けるな陣内 君なら絶対できる 絶対できるよ、サラリーマン
負けるな陣内 君なら絶対売れる 絶対売れるよ ジャリズムが
ABCDEFじんな〜い

■東京に引っ越すまでは、よくチュートリアル徳井の自宅(同じマンション)に勝手に入って「桃太郎電鉄」をやっていたらしい。

■ロンドンハーツで陣内は携帯電話の電話帳で藤原紀香の事を「姫」と登録している事が分かった。

■2006年9月17日放送の「陣内智則のイケメン5in豪州」という番組で、後輩芸人のチュートリアル徳井がゲームに負けて、高さ50mからのバンジージャンプを飛ぶことになったが、徳井は恐怖で飛ぶことができず、番組成立のため自ら名乗り出て代わりにバンジーを飛んだ。また同日行われた、仲の良い後輩芸人ビッキーズ須知のために彼の結婚式の披露宴の司会を行った。

■2006年11月26日にはレイザーラモンHGの結婚式の披露宴の司会を行った。

(出典:Wikipedia)

水野美紀 エピソード&プロフィール

水野 美紀(みずの みき、1974年6月28日 - )は、アクション女優。血液型B型。本名は同じ。日出高等学校、明治学院大学社会学部中退。(正確には除籍。本人が2000年に「JUNON」インタビューで語っている)


【来歴・特徴】
■香川県高松市生まれ。三重県四日市市育ち。父親の転勤により各所を転々とし、デビュー直前は福岡市城南区に住んでいた。

■麻田華子が優勝した第2回東鳩オールレーズンプリンセスコンテストで準優勝し、それをきっかけに福岡から上京。グリーンプロモーションにスカウトされ芸能界入り。1987年に雑誌モデルとしてデビュー。その後、女優に転身し、多くのドラマ、映画、CMに出演。

■鶴屋華丸・亀屋大吉(現・博多華丸・大吉)が司会をする福岡のトーク番組に出演したとき、子供の頃は野山を駆け巡って育ち、虫を捕まえて生で食べる野生児だったとの話をし、司会の2人を驚かせていた。

■2007年1月18日の「スタジオパークからこんにちは」に出演した折、小学生の時に美内すずえの「ガラスの仮面」を読み、舞台の持つ華やかさと、その背後にある厳しさの両方に惹かれ、ずっと舞台に憧れていたと語った。

■中学生の頃に少林寺拳法を習い、デビュー後は「倉田アクションクラブ」で本格的にアクションの修行を積む。その経歴を活かして、アクションものにも積極的に出演。立ち回りシーンを吹き替えなしで演じられる稀有な女優である。

■1992年 俳優の唐沢寿明と共演した「チューして」の台詞が印象的な化粧品「コーセー ルシェリ」のCMが話題に。事務所は実際にキスシーンがあるとは知らされておらず、CMスタッフとしてははじめから事後承諾で押し切るつもりだったようである。水野は当時を振り返り「現場に入るとスタッフがみんな薄ら笑いを浮かべていて、詳細を知らされ驚いたがとりあえずそのまま撮影に臨み、後で事務所に怒られた」と述懐している。曰く付きの仕事ではあったが結果的には水野の知名度が上がるきっかけとなった。同時にキングレコードより「素敵な身勝手/瞬間KISS」で歌手としてもCDデビュー。数枚シングルを出す。

■スーパーファミコンソフト『ストリートファイターII』CMで春麗役としてコスプレをしていたこともある。

■1994年 (バーニングプロダクション)に移籍。連ドラ、踊る大捜査線などの人気作品に数々出演し、女子アナ。で連ドラ初主演を果たす。 

■英会話イーオンCMで坂口憲二と、ソニー·DVDレコーダー「スゴ録」CMで田村正和と共演。

■「クイズ!ヘキサゴン」にて番組史上初の正解率100%で優勝。セーブくずしも2回。

■普通自動二輪免許を所持。趣味は写真。特技はアクション、英語。

■2005年11月28日 公式サイト「SUNNY-day Miki mizuno Official Site」(1999年11月1日開設)が所属していた事務所(バーニングプロダクション)からの独立により閉鎖。このサイトは本人の日記、掲示板、チャット等からなり、掲示板やチャットに日夜集うファンは自らを「サニラー」と称した。

■2005年12月1日 新たな公式サイト「628DRIVE 水野美紀オフィシャルサイト」がオープンする。628は水野自身の誕生日6月28日にちなんだものと思われる。かつてはCMやテレビドラマの仕事が中心であったが、現在では舞台演劇への出演を増やしており、さらには雑誌コラムやブログの執筆にも挑むなど多方面に活動の場を広げている。

■2007年1月30日 TBSのバラエティ番組「リンカーン」でおぎやはぎの矢作兼と40回キスをした。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070428-00000002-gen-ent

成海璃子 エピソード&プロフィール

成海 璃子(なるみ りこ、本名:塚本璃子1992年8月18日 - )は、神奈川県出身の女優、ファッションモデル。研音所属。

血液型O型。趣味は読書、特技はピアノ・三線。


【略歴】
■1997年(平成9年) セントラル子供劇団に入団。

■2000年(平成12年)7月 『TRICK』で少女時代の山田奈緒子役でドラマデビュー。2002年のトリック劇場版では、南川の娘琴美を演じている。

■2004年(平成16年) 研音に移籍。

■2005年(平成17年)4月 ドラマ『瑠璃の島』で初主演を果たす。

■2007年(平成19年)4月 『神童』で映画初主演を果たす。


【人物】
■デビュー当時は本名の「塚本」で活動していたが、現在は芸名である「成海」で活動している。

■演技を「キャッチボール」と捉え、「私の唯一の表現」と語っている。役に自分を重ね合わせることはないという。

■女優の他にモデルとしても活動し、様々な雑誌に出ている。

■各雑誌·映画の公式サイト等で「大人びている」と評価されることが多く、実年齢より年上の役を演じる事も多い。

■将来は「幅広い演技の出来る女優」を目指している。また「映画では海外の作品にも出たい」「舞台やコメディもやってみたい」などと、幅広い方向に興味を示している。

■幼い頃からピアノを習っているためピアノが上手い。しかし、彼女主演の映画『神童』では「小学生の時に辞めてしまったので、勘を取り戻すのには苦労した」と語っている。三線はドラマ『瑠璃の島』への出演がきっかけで習い憶えたものだが、2007年の『瑠璃の島 SPECIAL 2007』では、三線を弾きながら歌うシーンが見られるほど上達した。

■2007年1月5日の『ズームイン!!SUPER』で、初恋は「幼稚園の頃」、「好きな男性のタイプは?」との質問には、「今はジョニーデップが好き」と答えた。

■初主演のドラマ『瑠璃の島』の主題歌がコブクロの『ここにしか咲かない花』であったために、コブクロのライブにはよく行く。また、コブクロの『Million Films』を基にして作った同名の
ドラマにも主演している他、『桜』のCMに出演するなどコブクロとは縁がある。

■ラジオ、インタビューなどでは椎名林檎のファンである事をたびたび公言している。「カラオケでも林檎さんだけでずっと歌い続けられる」と言う程の熱狂的なファン。

■普段は運動不足であると言い、水泳も苦手である。

(出典:Wikipedia)


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070423-00000013-oric-ent

細川ふみえ エピソード&プロフィール

細川ふみえ(ほそかわ ふみえ、本名:細川 典江(ほそかわ ふみえ) 、1971年9月2日 - )は、日本のタレント、女優。愛称はフーミン。


【プロフィール】
愛称: フーミン
生年月日: 1971年9月2日
現年齢: 35歳
出身地: 青森県
血液型: O
公称サイズ(2007年4月時点)
身長 / 体重: 163 cm / ― kg
スリーサイズ: 90 - 59 - 87 cm


【来歴】
青森県むつ市田名部にて出生。父親が海上自衛官(防衛大学校卒、定年退職時は海将補)であったため転勤が多く、4歳までは広島県江田島で育ち、その後約1年をハワイ、中学生まで青森県むつ市大湊、千葉県我孫子市などを転々とした。我孫子市立湖北台中学校卒業。千葉県立柏南高等学校中退。

デビューは1990年12月。雑誌オーレの巻頭で、眼帯ブラと呼ばれたビキニ姿を披露。そのおびえきったような、困惑しきったような、たちすくんだような表情も男ごころに訴えた。デビュー時から野田義治氏が社長を務めていた当時のイエローキャブに所属していたが、2000年6月に個人事務所「ウェルメイド」を設立し独立。

デビュー後数年は、94cmのバストとあどけない表情を武器に、セクシーなアイドルタレントとして活動し、巨乳グラビアアイドルの草分けとされているが、独立の前後からバラエティー出演を減らし、舞台や映画などの女優業に専念している。

現在に至るまで未婚である。アメリカ人の大道芸人であるブライアン・ホルスとの交際が報じられたこともあった。


【エピソード】
■青森で一番長く育ったが、デビューからプロフィール上は千葉県出身とされ、以前のインタビューなどでは、広島やハワイにも住んだことがあるとは話していたが、青森に住んだことは隠しているようなところがあった。しかし近年は本人みずから「本当は青森県出身であり、故郷が青森県である(と思う)」という内容のことをTBS「アッコにおまかせ!」およびNHK「おーいニッポン 今日はとことん青森県」にゲスト出演した際に話している。

■2006年9月30日放送のTX「出没!アド街ック天国」の「下北大間」の回に下北出身者としてゲスト出演した際には、釜臥山を誇りに思う内容のことを述べている。出身中学である大湊中学校が釜臥山のふもとにあることから愛着があるようである。

■CX「ごきげんよう」で、「マンションの1階に住んでいた時、風呂からあがり、洗面台の前に立ってドライヤーで髪を乾かしていると、鏡越しに覗き魔と目が合った。風呂の設計上おそらく入浴中も覗かれていた」と語る。また、風呂に入っていると、風呂場にゴキブリが現れ、細川の体を足から肩にかけて這った。

■1995年、TBS「アッコにおまかせ!」で、電車内での痴漢撃退法を披露。嬉しそうに痴漢役を買って出た峰竜太を相手に、手を掴み「触っていいかどうか聞いてから触ってください」と注意。電車で痴漢によく遭うと話す。

(出典:Wikipedia)


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070428-00000001-gen-ent

ル・クプル エピソード&プロフィール

ル・クプル (Le Couple 仏:「夫婦」) は、藤田隆二・恵美夫妻(2007年2月離婚)による日本の音楽ユニットである。1990年結成。2005年活動休止。


【メンバー】
■藤田 恵美 (Emi) (ふじた えみ、1963年5月15日 - ): 東京都清瀬市出身、ヴォーカルと作詞担当 身長160cm、A型
■藤田 隆二(ふじた りゅうじ、1963年11月7日 - ): 東京都板橋区出身、ギター等と作曲担当 身長180cm、B型


【来歴】
藤田恵美は幼稚園の時に劇団ひまわりに入り、小学校の時からドラマの端役で出演するなど子役として芸能界で活動していた。1970年には「老人と子供のポルカ」という曲を歌い40万枚を売り上げた左卜全とひまわりキティーズでコーラスを務めている。中学生の時には父が『NHKのど自慢』に応募し出場したらそのままスカウトされ、中学生で演歌歌手としてデビューするが、1978年に一旦引退。中学卒業後、東京・新大塚で不動産屋に勤める傍ら、アマチュア歌手としてライブハウスで活動を続けた。

藤田隆二は中学2年の時にビートルズの影響を受けギタ−を始めた。高校卒業後、工科系専門学校に入学するもついていけず辞めてしまい、19歳の頃からカントリーバンドのベ−シストとして活動。 21歳の時、当時新宿にあったライブハウス「ウィッシュボン」の箱バン(※ライブハウス専属バンドのこと)のメンバーに加入。ここで藤田恵美と出会った。

1990年に結婚。結婚後、一時音楽活動を断念するが、3年ほどして夫婦の趣味として再開しオリジナル曲を作り始めた。都内のライブハウスに出演中の所を事務所のチーフマネージャーにスカウトされ、ル・クプルとしてデビューすることになった。

1994年にモコ・ビーバー・オリーブのカバー曲「海の底でうたう唄」でデビュー。1995年10月から3rdシングル「7月の感傷」のプロモーションの一環として全国の有線放送所をワゴン車で回るキャンペーンを敢行し、9ヶ月かけて全国631ヶ所の有線放送所を完全走破した。

1997年に発売した水野幸代作詞、日向敏文作曲・編曲の5thシングル「ひだまりの詩」は、テレビドラマ「ひとつ屋根の下2」の挿入歌になり、180万枚の大ヒットを記録。その年の紅白歌合戦にも出場した。メジャーの仲間入りをするかに見えたが、その後話題性を維持出来ずペースダウンした。そのこともあり、世間的には「ひだまりの詩」の一発屋という認識が広まる。2005年に一旦お互いの場所を持つためにル・クプルの活動を休止。

藤田恵美はソロ活動を行い、2001年11月に洋楽の名曲をカバーしたアルバム「camomile」をリリース。発売後、香港で口コミで広がりゴールドディスクを獲得。また香港でのヒットを受けて、2003年3月にリリースした台湾でも大ヒットを記録。アジアでは、香港、台湾、韓国、マレーシア、シンガポールでリリースされ、2003年10月には2ndアルバム「camomile blend」をアジア6ヶ国で同時発売。前作と並んでヒットした。また2004年10月にはシンガポール最大のコンサートホール「esplanade theatre on the bay」で日本人では初のワンマンコンサートを行っている。2005年、プロデューサーの森俊之、亀田誠治、佐橋佳幸らと結成した「Emi with 森亀橋」としても活動を始めた。現在、アジア10カ国で活動中、アルバムの中から韓国では9社のCMソングで使用されCM女王と呼ばれ、最近ではチャン・ドンゴンが出演する「サムスンカード」に使われた。

2006年11月にリリースした最新アルバム『camomile classcis』は香港HMVチャートで初登場から5週連続1位を獲得。その後15週連続でTOP10にランクインしている。ちなみにこのアルバムは、2006年5月にコンサートが行われた香港からの熱いラブコールがきっかけでレコーディングされた。他の発売国は台湾、シンガポール、マレーシア、韓国、フィリピン、タイ、インドネシアなどである。

2007年2月初旬に離婚届を提出した。このため、「夫婦」を意味するユニット名からも、事実上解散では、といわれるが、「またいつか、何かの形で一緒に出来る日の為(ため)に」解散ではなく、休止とした。 。離婚後の活動としては、恵美は同年5月16日に自ら作詞作曲した新曲「虹の橋」を発売する。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070423-00000001-ykf-ent

あみん エピソード&プロフィール

あみんは、岡村孝子(おかむら たかこ 1962年1月29日- 愛知県岡崎市出身)と、加藤晴子(かとう はるこ 1963年1月2日- 愛知県豊川市出身)の2人によるJ-POPのユニット。1980年代前半に活動し、シングル4枚とオリジナルアルバム2枚をリリースした。アルファベット表記は「Aming」。代表作となった「待つわ」は現在でも耳にする機会の多いスタンダードナンバーである。

歌うときは、向かって左側に岡村、右側に加藤が立つ。岡村の歌う主旋律に加藤がハモりを加える曲が多い。

2007年に再結成の予定(詳細後述)。


【来歴】
椙山女学園大学の同級生として出会った岡村と加藤が、意気投合しユニットを結成。

岡村は、愛知県立岡崎北高等学校を卒業して、一浪後に同大学に入学。加藤は、愛知県立小坂井高等学校を卒業後、同大学に入学。2人は1歳違いで、同級生である。

その出会いは、岡村孝子が大学の教室内で、履修届の書き方がわからなくて、前の席に座っていた加藤晴子の背中をペンでつついて尋ねたのが2人の出逢ったきっかけ。

ユニット名は、さだまさしの楽曲『パンプキン・パイとシナモン・ティー』(1979年、アルバム『夢供養』収録)に登場する喫茶店「安眠(あみん)」から取った。当初は「亜未夢」という漢字を当てていたものの「あくむ」などと誤読されることが多かったため、ひらがな表記に変えた(余談だが、さだまさしが喫茶店の名前にした「安眠(あみん)」の由来は、ウガンダの独裁者イディ・アミンである)。

1981年秋、第22回ヤマハポピュラーソングコンテスト(通称ポプコン)に「琥珀色の想い出」で出場し、中部北陸大会で優秀曲賞を受賞。だが本選(全国大会)へは進めずじまい。ちなみに、このとき同じブロックからアラジンの「完全無欠のロックンローラー」が本選に進みグランプリを獲得した。

1982年春、第23回ポプコンに「待つわ」で出場。5月16日の本選に進出、グランプリを獲得した。

1982年7月21日、「待つわ」でレコードデビュー。楽曲が多大なる共感を得て、デュエットによるハーモニーの新鮮さや清潔感と相まって同年のトップセールスを記録するほどの大ヒットとなる。あまりの有名さと分刻みのスケジュールで、大学の授業に出ると教授から「芸能人は来るな」と教室を追い出されるというエピソードもあった。1982年12月31日には第33回紅白歌合戦に出場。

1983年4月25日、ファーストアルバム「P.S.あなたへ…」をリリース。他のアーティストからの提供曲も歌わせたいというレコード会社側の意向と、できるだけ多く自作曲を歌いたいという当人の意向が衝突し、当初は前年の10月にリリースする予定だったものを延期して、あみん側の意向を通した。なお、このファーストアルバムがオリジナル曲中心だったのに対し、次作のアルバム「メモリアル」は全曲がヤマハ音楽振興会所属・出身アーティストによる既発表曲のカバーであった。

1983年5月から全国6か所で初ツアー。だが、この頃から活動をやめようという意見が出始める。当時は「多忙さに伴う学業との両立問題」が理由とされていたものの、本当の理由は違うところにあることが後年になって明かされた。2005年6月12日にBS2(NHK)で放映された岡村のライブ番組内で、加藤がインタビューに答えたところによると、「自分の才能のなさから、音楽業界は自分の居場所ではないと思うようになった」ことが動機で、ただ当時の岡村には言えなかったため、学業との両立を口実に休止を切り出したとのことである。

結局、1983年12月18日、愛知県勤労会館のコンサートが最後の活動となった。このコンサートがファイナルであることはあえて公表されず、翌々日の1983年12月20日にリリースしたアルバム「メモリアル」を以て休止ということになっている。


【休止期間中】
■岡村は大学を中退、ソロデビューして現在に至る。詳細は岡村孝子の項目を参照。なお、4枚のシングルを編曲した萩田光雄は岡村のソロ活動においてもずっと編曲を担当している。

■加藤は大学を卒業後、OLとして就職、のち結婚。一般人の主婦として生活を送る。

■岡村がソロデビューした後も、プライベートでは岡村・加藤の交流は続いていた。その後、次のような形で、加藤が岡村の音楽活動にかかわるようになる。

■2002年、岡村の依頼により、デビュー20周年記念シングル「天晴な青空」にコーラスとして加藤が参加する。

■2002年9月6日、渋谷公会堂でおこなわれた岡村のコンサート「DO MY BEST」ツアー最終日のアンコールに加藤が登場し、あみんを一夜限りで再結成して「待つわ」を歌う。ただし当時から半音下げたキーによる演奏だった。その模様は岡村のライブDVD「ENCORE V」に収録されている。

■2006年5月にリリースされた岡村のアルバム「四つ葉のクローバー」に収録されているうちの2曲で、再び加藤がコーラスとして参加。うち、先行シングル「銀色の少女」は、さだまさしが作詞を担当した。

■2006年12月16日、岡村のクリスマスコンサートのアンコールで加藤が飛び入り出演し、あみんとしての活動を2007年より再開することが発表された。


【活動再開】
活動内容としては、2007年6月20日付けでリリースのシングル「待つわ'07」(レコードデビュー曲の新録音)、7月のアルバムリリース、8月24日〜9月15日のコンサートツアーが予定されている。

(出典:Wikipedia)


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070423-00000004-sanspo-ent

嵐 エピソード&プロフィール

嵐(アラシ)は大野智、櫻井翔、相葉雅紀、二宮和也、松本潤から構成されるジャニーズ事務所所属の男性アイドルグループ。所属レコード会社は、ポニーキャニオンからジェイ・ストーム(プライベートレーベル)へ移った。


【メンバー】
■大野智(1980年11月26日- A型)愛称は大ちゃん/リーダー/キャプテン/おじさん
■櫻井翔(1982年1月25日- A型)愛称は翔くん/翔ちゃん/チェスト櫻井/嵐のお母さん
■相葉雅紀(1982年12月24日- AB型)愛称は相葉ちゃん/雅紀くん(海外では「アイバ、マーくん」らしい。)
■二宮和也(1983年6月17日- A型)愛称はニノ/にのみぃ/和/ニノちゃん
■松本潤(1983年8月30日- Rh-A型)愛称はマツジュン/潤くん/まっつん(平山あや談)/マイナースポーツ番長/ドS番長/松本さん


【名前の由来】
グループ名「嵐」の由来は「芸能界に嵐を起こす」という意味のほかに、頭文字が五十音でも最初の「あ」、アルファベットでも最初の「A」に来ることから「必ず一番になる」という意味が込められている。LOVE LOVEあいしてるで櫻井は、他にもいくつかあって嵐になったと発言している。「?(クエスチョンズ)」という候補もあった。名前の由来はかなり曖昧で、一時「Five」に仮決定していた。あまり知られていないが、ジャニー喜多川は「1年以内にデビューさせる。もう、どの子かも決まっている。やはり、5人ぐらいがグループとして丁度良いと思っている(光GENJIは、7人から5人へ、6人グループのSMAPが1996年、森且行が辞めたことも関係して)」と仲の良い記者に語っていた。名付け親が木村拓哉といわれるが、広く知られたガセネタである。これは木村自身がラジオ番組で明確に否定し、明らかになった(木村自身もそんなガセが出回っていることを知らなかった)。


【概要】
■1999年9月15日(日本時間では9月16日)ハワイ・ホノルル沖の船上にて“嵐”結成を発表。デビュー会見を行う。最初の構想では、メンバーは櫻井、二宮、松本の3人であったが、メンバー3人の意向により、大野、相葉の加入が決まり、現在のメンバー構成となった。このことは櫻井が、雑誌「H」の取材を受けた際のインタビューにて明らかになった。櫻井は、ジャニー喜多川から「ワールドカップのイメージキャラクターやらない?」と言われ、一時的なものだと思い、承諾。二宮と松本は、スタジオでジャニーズJr.のみんなでバレーをしている際、2人がたまたま最後までその場に残っていて、ジャニー喜多川の「Youたち、チョーうまいじゃん!」の一言で決定。大野は、Jr.内で1番歌がうまいことから、「レコーディングを手伝って欲しい」と言われて行ったら、いきなり自分のソロがあったらしい。相葉に至っては、ハワイでの記者会見の3日前に、ジャニー喜多川から「You、パスポートある?」と電話で言われ、「あります」と答えたところ、3日後にハワイに行って、そのまま記者発表になった。大野、櫻井、二宮は、「デビューする事を聞いてなかったから、聞いてたら断るつもりだった」と語っている(HEY!3MUSIC CHAMPより)。

■グループ内の年齢差が3歳以内というのはジャニーズ内でも珍しい。また、ジャニーズの中で、デビュー時の平均年齢が最年少。

■ジャニーズ内でもとても仲が良いグループである。(V6マネージャーや本人談)以前、TOKIOの松岡に「1回本気で殴り合いの喧嘩をしてみろ」と怒られたことがある程仲良しで、1回もメンバー同士でケンカをしたことがないらしい。プライベートで何回か旅行している。

■本人たち曰く「体育会系のノリじゃなくどっちかっていうと文系」(まごまご嵐)


【エピソード】
■結成当時、じゃんけんでリーダーを決められた大野智は、プレッシャーで、リーダーを1ヵ月交代でローテーションしようと言っていたという。(Mステでの本人談)

■HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMPで関ジャニ∞と仲が悪いと告白。櫻井翔が村上信五とオシャレな喫茶店でお茶していたら「マジでか〜!?」と大声で話し、目立って仕方なかったらしい。相葉雅紀曰く「横山裕は初対面からうさんくさいやつだった」。もちろん仲が悪いと言うのは彼らの冗談で、相葉雅紀は「これ見たら絶対お礼の電話かかってきますよ」と言っていたが、その後、相葉のほうから横山裕に電話を掛けたようである。

■嵐はメンバー同士で誕生日プレゼントを渡しているが、2005年大野はもらえなかったという。だが、2005年11月26日の大野智の誕生日は「まごまご嵐」ボート部の合宿中だったので、当日の夜バーベキューを終えた後メンバーとボート部コーチから舞台での役が描かれたバースデーケーキをもらい祝福された。このとき松本潤はドラマ撮影のためいなかった。

■最近(2006年)では、メンバー5人とジェイ・ストームのスタッフ数名とサッカー(フットサル)チームを作ろうとしている。

■実際につい最近、フットサルのチームが組まれ、練習をしたらしい。(ゲームニッキより)また、ユニフォームも作ったらしい。


【来歴】
■1999年11月3日、バレーボールワールドカップのイメージソング『A・RA・SHI』でデビュー。デビュー日前々日の11月1日に代々木で行った握手会(嵐大集会)では、約8万人のファンが殺到したとして話題になる。デビューシングル『A・RA・SHI』の初回出荷枚数は36万枚。曲が決定する以前から初回出荷枚数は決定済みであった。

■2001年春に行われたコンサートツアーの松山公演が、芸予地震により会場が損壊したため、中止となる。メンバーはこの中止を受け、その後このツアー最終日に行われた記者会見にて、「必ず借りは返します。」と発言。2年後の2003年夏に行われたツアーにて、松山公演を実施した。)

■2001年11月7日、ポニーキャニオンから自社レーベル ジェイ・ストームへ移籍。

■2002年4月16日、CD『ナイスな心意気』のキャンペーンでアラシ株式会社の入社式を行う(東芝EMI)。

■2002年秋にはメンバー5人全員での初主演映画『ピカ☆ンチ LIFE IS HARDだけどHAPPY』が公開、主題歌、挿入歌ともに嵐が担当(主題歌はPIKA☆NCHI)(挿入歌はPIKA☆NCHIカップリングの道)

■2004年8月には、日本テレビ系『24時間テレビ 愛は地球を救う』の第27代メインパーソナリティを務め上げる。その際、相葉がメンバーへの手紙を読む場面があり、大野、松本は号泣、櫻井、二宮も涙ぐんでいた。

■2006年1月2日(日本時間3日)に事務所の先輩東山紀之、森光子とともに相葉、二宮、松本がハワイ入りした。記者にインタビューされた時、東山にそそのかされた相葉が「先輩が走れって言うなら、走ります」とホノルルマラソン出場宣言をしている。だが、ラジオにて「そう言わない訳にはいかない。」と言っているので実際は分からない。

■同年1月14日、メンバー櫻井のソロコンサートが開幕(ソロでは初めて)。だがその最終日である2月4日の札幌公演は、天候が悪く中止に。その後雑誌で「最近悲しかったことは?」と聞かれ「札幌のコンサートができなかったこと」と答えていたため、相当悔しかったと思われる。

■同年1月29日、メンバー大野のソロコンサートが開幕(ソロでは初めて)。

■同年3月13日、二宮が、アメリカ・ハリウッドにてハリウッド映画『硫黄島からの手紙』の撮影を開始。4月25日、ハリウッドから帰国し、映画撮影が終了した。ちなみに、二宮の役は、西郷という役である。

■同年5月12日、『ピカ☆☆ンチ』以来3度目に5人が揃った、映画『黄色い涙』がクランクイン。

■同年7月9日より全国ツアー「嵐 SUMMER TOUR 2006 ARASHIC ARACHIC ARASICK Cool&Soul」がスタート。9月からは、初の海外公演も控えている。

■同年7月31日、タイ・台湾・韓国の3ヶ国をわずか一日で回り、9月からの初の海外公演を大々的にPRした。その際に使用したプライベートジェット機の名は「ジェットストーム」である。この1日に掛かった費用は約1億円。各国では、1000人〜1500人のファンが嵐を一目見ようと空港や会場に殺到。各国メディアのみならず国内メディアもこれを大きく扱い、国外での人気ぶりまでもが広く知れ渡るところとなった。尚その出発のわずか数時間前には、大阪でのコンサート(1日3回公演)を終えたばかりであった事にも驚かされる。

■しかし、10/7に開催される予定であったタイではクーデターの影響により今公演は中止が決定。

(出典:Wikipedia)


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070423-00000008-sanspo-ent

梶原雄太 エピソード&プロフィール

梶原 雄太(かじわら ゆうた、1980年8月7日 - )は、吉本興業所属のお笑い芸人。漫才コンビキングコングのボケ担当。


【プロフィール】
大阪府大阪市都島区出身。太成高等学校(現太成学院大学高等学校)卒業。身長は163cm。体重は54kg。血液型B型。主なアルバイト経験はマクドナルド、シェーキーズ。視力が悪く、コンタクトレンズを使用している。


【特技】
体を張った笑いを得意とし、漫才でも小柄な体を活かして動き回る。これは、梶原自身が「動いてないと面白くない」と言う程。運動神経抜群でサッカーやボクシングなどの経験がある。瞬発力には特に自信があり、本人曰く「5m走なら誰にも負けない」らしい。ダーツにハマっていた時期があり、芸能人ダーツ大会という企画で優勝するほどの腕前である。しかし、『関口宏の東京フレンドパークII』に出演した時、運動神経を求められるコーナーはクリア出来たにも拘わらず、ダーツコーナーで3発投げた矢が全て的に当たらなかった。

高校時代にビジュアル系ロックバンドのボーカル兼ドラマーをしていたことがあり、バンド名は「BELIEVE」(ビリーブ)主にGLAYやL’Arc~en~cielのコピーバンド(テレビ大阪 吉本超合金F「抜き打ち家庭訪問3」より)をしていた。ドラムの腕をテレビ番組や映画『ガキンチョ★ROCK』で披露している。またダンスやラップも得意とし、WEST SIDEでラップを担当した。「難波兄弟」というユニットでCDデビューを果たしたり、『音楽戦士 MUSIC FIGHTER』の企画で彼の母親を題材にしたラップ「おかん」でCDもリリースした。漫才でもラップを題材にしたネタがある。


【出来事】
家族は母と2人の兄で、両親は小学校1年生の時に離婚した。苦労した母を見ていたためかとても母親思いで、反抗期など一切無かったという。『はねるのトびら』では梶原が母を演じたコントもあった。関西ローカルのある番組の企画で2000万のマンションを購入して母にプレゼント、母を喜ばせた。しかし、それが原因で、当時弱冠21歳にして35年ローンを組むハメになり、払い終えるのは55歳だという。

2003年2月〜5月、ストレスによる病気で仕事を休養した。当時かなり精神的に参っており、電車にも乗れず、先輩であるFUJIWARAの藤本敏史が家に招いた(そのときはタクシーで移動)際、「本当に誰もいないですか?」と何度も訪ね、突然堰を切ったように号泣したかと思えば、おもむろに立ち上がりすべての部屋の戸を開け、人がいるのではないか、盗聴器が仕掛けられているのではないかと探し回った程。当時の口癖は、「死にたい、死にたい」。休業中、100回は自殺を考えたと、復帰後に本人が明かしている。復帰後、自殺願望はなくなったものの、マイナス思考は今も変わらず。当時は復帰する気は殆ど無く、相方が待っていると知った時も、「何で俺なんか待ってんねん?」と思ったという。そして、謝罪する為に西野の家へ入るや否や、泣きながら土下座し、謝り倒した。休業がきっかけで、その間彼を支えていた女性と交際しその後結婚。しかし、復帰の翌年(2004年4月)に離婚した。原因は彼の浮気である。これで母ともども“ばついち”となり、今でもことあるごとにイジられている。

2006年3月下旬、蜂窩織炎で入院。足がルーズソックスのようになり、右手首がボクシンググローブ並に腫れ上がっているのだとか。おはスタのレギュラー最終日に退院が間に合わず、電話で生出演した。本人が担当しているラジオ番組でも電話出演し、生放送中にも拘らず「ずぅーっとびっこ引いてますねん」と放送禁止用語を言ってしまい西野が番組中に謝罪した。入院中西野が見舞いに来た時に梶原も使った事のない溲瓶に西野が尿をした。梶原はそれに気付かず、数時間経って臭った為、部屋中を探したらその溲瓶が出てきた。

蜂窩織炎に加え血管浮腫という奇病にもかかっていた。症例が少なく、梶原が日本で38人目だという。でもまだ完全には治っていないのに、禁止されていた酒を飲んでしまい、ぶり返してしまった。

デビュー当時の体重は48kgだったが、2006年には10kg程度増加した。それ以降ジム通いなどでダイエットしている。

2007年4月12日発売の女性週刊誌「女性セブン」にて、2006年春から交際中の21歳の元読者モデルの女性と6月にもできちゃった結婚する見通しとスクープ報道される。相方の西野亮廣は同日に自身のブログで認めた。翌日の「笑っていいとも!」ではタモリにいじられたが、本人は否定も肯定もしなかった。さらに同月21日交際中の女性と6月23日に東京・港区白金のレストランで挙式・披露宴を行うことが分かった。テレビ局関係者、フジテレビ系のレギュラー番組「はねるのトびら」の共演者や友人など招待客を絞って行う予定だ。婚姻届は出産までに出す予定だ。


【天然伝説】
天然ボケなところがあり、相方の西野とネタ作りで揉めた時に、西野が「それで何のメリットがあるのか」と返すと、「メリット」という意味が分からず「メリットって何や〜!」と逆ギレ。西野がネタのことよりも「メリット」の意味を一から説明したというくらいである。また、飛行機で西野の前に座った梶原が座席のシートを倒し、もたれて寝るのかと思いきや、倒したシートを戻さず前のテーブルに突っ伏して寝ていた。その時西野が梶原の頭に水を少しずつかけてみたら、起きた梶原が何を勘違いしたのか、「やってもーた」と発言した、というエピソードも。他にも現在レギュラー出演している『メレンゲの気持ち(NTV)』に『はねるのトびら』で共演中のロバートがゲストとして出演し、山本博の秘密を暴露していたが、最後に山本の特技である「オカリナ」のことを「カナリヤ」と言ってしまい恥をかいた。


【人物・性格】
■いじられキャラでもあり、『笑っていいとも』でタモリによく「ピスタチオ」「茶碗蒸しに付いてる木のスプーン」「ムール貝」などの変なあだ名をつけられる。うたばんに出演したときに司会の中居正広の無茶振りで1人でネタをやらされ、恥をかいてしまうこともある。

■顔がDEPAPEPEの徳岡慶也に似ていると言われる。相方と青木さやかで司会を務める『音楽戦士 MUSIC FIGHTER(NTV)』で、散々言われた

■ラルクのファンでもあり、ライブに行った事もある。西野はその時ライブのスタッフをしていた。

■あまり知られていないが、喘息持ちである。最近それが酷くなり、激しい運動をしたりすると発作が出てしまうらしい。

■にんじん、トマト、グリーンピースが嫌い。

■高いところが苦手ではねるのトびらでヒロミとP−1で戦って走行中に転倒。負けてしまい、スカイダイビングをすることとなり周りの草をむしりながら逃げたことがある。

(出典:Wikipedia)


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070422-00000015-nks-ent

安田美沙子 エピソード&プロフィール

安田 美沙子(やすだ みさこ、1982年4月21日 - )は、日本のグラビアアイドル、女性タレント。

北海道生まれ。京都府宇治市出身。所属事務所はアーティストハウス・ピラミッド。血液型はO型。ニックネームは「みちゃ」、「みちゃこ」、「みーちゃん」、「やすみさ」など。


【プロフィール】
愛称: みちゃ
みちゃこ
みーちゃん
生年月日: 1982年4月21日
現年齢: 25歳
出身地: 日本・京都府宇治市
血液型: O型
公称サイズ(2006年時点)
身長 / 体重: 161 cm / ― kg
スリーサイズ: 82 - 60 - 85 cm
ブラのサイズ: D
靴のサイズ: 24 cm


【来歴】
京都府立東宇治高等学校卒業後、摂南大学に在学していたが、多忙になり中退。

大学在学中、京都駅前の伊勢丹でスカウトされる。2002年、「ミスマガジン2002」に於いて「ミスヤングマガジン」に選ばれる。

2003年、週刊プレイボーイ誌の第6回トレカ大賞で新人賞を受賞。又、この年から地元・京都に本社を構える消費者金融・アイフルのCMに出演し話題になる(その後アイフルに違法な高金利や取り立てなどの各種トラブルが存在する事が発覚し、2006年4月以降は放送が休止されているが、事実上の降板とも言える)。さらに、徳間プロモーションのe-niceレーベルより歌手デビューも果たした。

2004年、サントリービールキャンペーンガールに抜擢された。

2005年10月 - 12月に放送されたテレビ朝日のドラマ『熟年離婚』で連ドラ女優デビュー。また同年暮れ公開の「ルナハイツ」において初の映画出演を主演デビューで飾っている。

2006年3月には第43回ゴールデン・アロー賞“グラフ賞”を受賞。前年にミスマガジンの後輩・岩佐真悠子が同賞を受賞した際にも同賞の候補の一人に挙がっていた事もあり、満を持してといった感の受賞となった。


【人物・エピソード】
■二卵性双生児の弟がいる。バラエティ番組「カミングダウト」にて出演経験がある。

■中学・高校ではバスケットボール部に所属していた。テレビ朝日の番組『堂本剛の正直しんどい』では、堂本剛や山里亮太(南海キャンディーズ)らと共にママさん最強バスケチームと対戦。経験者だけあって良い動きで堂本らをフォローした。

■高校の先輩に坂下千里子がいる。親友には同事務所で同い歳のタレント熊田曜子、他に若槻千夏がいる。某クイズ番組では、風邪で出演出来ない熊田に代わり出演した。熊田はライバルだそうだが、普段は仲が良いとのこと。

■フォークデュオ・ゆずのファンである(いわゆる「ゆずっこ」)。以前に番組で共演する機会があり、その際2人に手作りのチーズケーキを振舞ったことがある。また、好きな男性のタイプに北川悠仁と答えている。

■藤崎奈々子、山口もえ、眞鍋かをり、小倉優子に続く「天然ボケキャラ」と呼ばれている一方で、井川遥、乙葉、吉岡美穂に続く「新・癒し系の女王」の呼び声も高い。また、番組のトークでは「うちは(私は)」や「めっちゃ」など関西弁(京言葉)を多用している。

■「ミスマガジン」出身ながら、「週刊少年マガジン」のグラビアに単独で登場したのは2005年が最初である。

■新幹線で移動中にビールなどを飲酒する事が多い。東京フレンドパークでは東海道新幹線で販売している弁当の種類の問題が出題された。

■かなりの沖縄好きで、自身のホームページにも、将来沖縄に住んでお菓子屋さんをしたいと掲載されている。

■好きな漫才師は笑い飯。2005年度のM-1グランプリにゲスト出演した際に、「笑い飯に頑張ってもらいたい。」とコメントした。

■最近「私、マゾ。」という発言や体験談などからドMということが発覚。

■出演番組「うまなで〜UMA to NADESHIKO〜」の関係で知った栗毛のGI馬・ダイワメジャーのファン。また、番組で栗東トレーニングセンターに取材をした時、皐月賞の共同記者会見でドリームジャーニーを管理する池江泰寿調教師に対して質問をした。

(出典:Wikipedia)


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070421-00000144-sph-ent

堤下敦 エピソード&プロフィール

堤下 敦(つつみした あつし、1977年9月9日 - )は、お笑い芸人でインパルスのツッコミ担当。吉本興業所属。東京NSC4期生。愛称は「つっつん」。


【プロフィール】
■血液型は非常に稀なRh(-)型。星座は乙女座。干支はへび年。

■神奈川県横浜市神奈川区出身。私立武相高等学校卒業。関東学院大学中退。

■高校時代は野球部に所属しており、キャプテンを務めていた。野球推薦で関東学院大学に入学したが、進学前からお笑いを志望し、大学に入ったのは相方を探す為だったという。

■因みに高校の先輩に出川哲朗やパンチ佐藤がいた。『はねるのトびら』「ABUCHANS」ではキャッチャーを務めているが、背番号上のネームは13文字(TSUTSUMISHITA)と、日本のプロ野球でもなかなかいない文字の多さである(現役プロ野球選手では横浜の堤内健投手が「TSUTSUMIUCHI」で最多(12文字)。引退した選手では元横浜の中野渡進「NAKANOWATARI」や源五郎丸洋「GENGOROUMARU」等がいる)。

■広島東洋カープの森笠繁は大学の一年先輩。

■同期の板倉俊之と1998年インパルスを結成。結成前は、別のNSC同期生とコンビ「プラス2トン」を組んでおり、当時はボケ担当だった。

■異常なほどの汗かきであり、テレビ番組等でいじられることが多い。

■母親がテレビに登場することが多い芸人の一人であり「デザインパーマ」と呼ばれる髪型について弄られる。

■顔が亀田史郎に似ている。また、メッセンジャーのあいはらにも似ている。

■やや珍しい苗字から、TBSテレビで放送された『DOORS 2006』では事務所の先輩でMCを務めていたナインティナインや司会の福澤朗に「腹包み」や「舌鼓」等と言われていた。『笑っていいとも!』ではタモリから「脇の下」と言われるのがお約束になっている。

■「ガチムチ」(ガッチリかつムッチリ)な体型から新宿二丁目界隈(つまりゲイ)に爆発的な人気があるという。そのためか出演番組では他の芸人に比べ裸になることが多い。ゲイ層をターゲットとした写真集「男写」を板倉がプロデュースした。携帯コンテンツとして公開され、2005年9月に写真集として出版された。

■内村光良と番組で共演する場合、必ず「(お前は)ブサイクだなぁ」と内村から言われ、それに対し激怒するというのがお約束となっている。内村に呼応したのか、最近では内村の相方・南原清隆も「ナンだ!?」に堤下がゲスト出演した際「お前ブサイクじゃん」と言ったことがあった。


【趣味・特技】
■献血が趣味(珍しい血液型のため)。

■好物はハンバーグ。自分で作るほか、行きつけのハンバーグ店もあり、一日に数件をハシゴすることすらある。一ヶ月にハンバーグを食べた回数が、一ヶ月の日数より多いこともある(ダウンタウンDXで明らかに)。

■コントでの演技には定評があり、主に板倉のボケに対する激しく鋭く重いツッコミが印象的でファンやスタッフ等からの評価が高い。

■それがきっかけで2004年10月に「ナースマンがゆく」でドラマ初出演を果たした。

■コントを見たビートたけしから、演技の高さを誉められ、機会があれば自分の映画に出演させたいと言われた。

■「ウンナン極限ネタバトル! ザ・イロモネア 笑わせたら100万円SP」では、普段ではめったに見せない一発芸やものまね(特にテディーベアー)などを披露し5人の観客を瞬時に笑わせて2回連続100万円獲得に結びつく活躍を見せた。

■AV男優キャラがあるらしいが、腰を振る芸はテレビではあまり披露出来ず、先輩のレイザーラモンHGが有名になってしまったので、見れる確率は更に減ってしまった。しかし、深夜にやっていた単発ドラマ「悪魔のエレベーター」にて、不倫相手と一夜を過ごすシーンがあった。


【エピソード】
■番組共演をきっかけに知り合ったある女優にアタックしたが振られたことを「はねるのトびら」で相方の板倉に暴露された。放送では名前が伏せられていたが、同番組のDVD Vol.4の隠し映像に実名入りの映像を収録されてしまった。

■中学校在学中に保健の教諭と交際していた。性的関係もあった。(テレビで堤下本人が発言)

■Qさま!!で、時速200キロのボールをキャッチしたことがある。大久保博元に「プロでやれる」と言わしめた。

■2006年10月17日放送分の『踊る!さんま御殿!!』で、土岐田麗子からマジ告白をされ、かなり汗だく状態になってしまった。その後、2007年1月9日放送分の同番組で友人として順調に交際していると語っていたが、2007年1月16日付けのサンスポで「正月バリ島旅行」をしていたと報じられた。婚前旅行とも書かれている。日刊スポーツによれば、年内にも結婚とのことで現在日程の最終調整に入っているとのことである。

■ラジオ番組では板倉に「お前はたぬきだ」といわれている。

■痛風を患っている。

(出典:Wikipedia)


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070422-00000000-oric-ent

吉岡美穂 エピソード&プロフィール

吉岡 美穂(よしおか みほ、本名・日根 美穂ひね みほ1980年2月3日 - )は日本のタレント、女優。

元レースクイーン。
元トリンプ下着キャンペーンガール。
大阪府東大阪市出身、大阪府立布施北高等学校卒業。身長169cm、スリーサイズはB85 W59 H87。靴のサイズは24.5p、血液型はA型。ワンエイトプロモーション所属。


【来歴とエピソード】
■2000年サントリーDハイ小町及び全日本GT選手権マリオレーシングチームのキャンペーンガールとなり業界入り。翌2001年はトリンプの下着キャンペーンガールを務めつつグラビア等で徐々に頭角を現し、2002年には「掛けてミホ!?」のキャッチフレーズと共にアデランスのCMでブレイク、ドラマに初主演するなど一気にスターダムを駆け昇った。ちなみに、B.V.D.のキャンペーンガールも務めており、男性用・女性用両方の下着販促に関わった事になる。

■デビュー当初はインリン、榎木らんと共に「ミイラン」と言う期間限定ユニットを組んで活動した。また、グラビア等が活動のメインであった初期はいわゆる「癒し系タレント」の一人に数えられたが、現在ではバラエティ番組での天然ボケキャラの方がより認知されている。また、女優としてはさほど癒しのイメージではなく、むしろ強気な役柄にキャスティングされる。

■東大阪市出身ではあるが、テレビ、ラジオなどで一般に視聴される限りにおいて全くと言っていいほど河内弁が使われることはなく、イントネーションについても標準との違和感を感じない。しかし、ゴチャ・まぜっ!金スペでは周りがよゐこ始め関西人に囲まれてるせいか、自然な関西弁がでることが多い。そのため、ゴチャ・まぜっ!金スペは吉岡の関西弁が聞ける貴重な番組でもある。

■毎日放送関西ローカルのミニドラマ「美穂日和」内での会話シーンでは河内弁が使われた。

■料理は得意で、毎週土曜日夕方、テレビ朝日関東ローカル番組「ごはんがすすむホットテーブル」(東京電力提供)で自らその腕を振るい、主婦層からの人気もあると言われる。*競馬番組「あしたのG」に出演時には、あまりにも予想を外す事から「吉岡予想の裏を行けば当たる」、「吉岡が本命に選んだ馬はほぼ確実に連対から外れる」といった状況となり、「逆女神」、「本命クラッシャー」との称号が存在した。以下などは吉岡が本命と予想したコスモバルク号の例である。

■ジャパンカップにて2着となり、GI連敗を16で止めた。

■皐月賞、日本ダービー、菊花賞、有馬記念のすべてで吉岡が本命と予想した事で、コスモバルク号は制覇を逃したとの声がある。
など。尚、番組終了後は講談社の写真週刊誌「フライデー」などで競馬予想を継続している。

■プライベートでは、乙葉、伊東美咲などとの交友が深い(2人とは「逮捕しちゃうぞ」で共演)。なお、乙葉とはジョージアのCMでも共演している。

■某クイズ番組で三角形の内角の和について聞かれた時真顔で「20度?」と発言し、周りがドン引きしたことがある。

■2006年07月01日「PRIDE無差別級グランプリ2006 2ndROUND」にゲストコメンテーターとして出演。番組中、フジテレビが中継していた頃のPRIDE(地上波?)を見ていたと言っていたが、実況の矢野武アナの振りの返しに困っていたため、格闘技を見たのは初めてに近いと思われる。同じくPRIDE観戦は初めてと思われる南明奈がフレッシュレポーターとして継続してPRIDE中継に出ているのに対し、吉岡はこの1回のみであった。

■ラジオ番組等座ってトークをする際によく片手、時には両手の人差し指を自分のほっぺにさしている。現在のラジオレギュラー番組ゴチャ・まぜっ!金スペ(GyaOのバラエティチャンネルで視聴可)でもしばしば見られることから、トークする時の癖だと思われる。

■福山雅治のGang★のPVで加藤晴彦と共演している。

■日本最大級の恋愛・結婚コミュニティーサイト「ピュアアイ」のイメージガールを務めた経験がある。

■2006年11月9日SHAZNAのIZAMとの結婚を報道された。報道時点で吉岡は妊娠3カ月という。

(出典:Wikipedia)

秋山莉奈 エピソード&プロフィール

秋山 莉奈(あきやま りな、1985年9月26日 - )は、日本のグラビアアイドル、女優、タレント。

東京都出身。キリンプロ所属。『仮面ライダーアギト』出演時には誰も予想しなかったが、お尻の美しさに定評があり「美尻の女王」との異名をとる。

『仮面ライダーアギト』にてヒロイン・風谷真魚役として出演し、6年後放送の『仮面ライダー電王』にてナオミ役として再び『仮面ライダーシリーズ』に出演を果たした。

血液型A型。特技はソフトテニス、陸上。

2007年04月08日 PRIDE.34より、フレッシュサポーターとして、PRIDEのコメンテーター&選手へのインタビュアーを務めている。

2007年5月9日、シングルCD『莉奈はオシリーナだから』で歌手デビュー予定。


【プロフィール】
愛称: オシリーナ
生年月日: 1985年9月26日
現年齢: 21歳
出身地: 日本・東京都
公称サイズ(2006年時点)
身長 / 体重: 164.5 cm / ― kg
スリーサイズ: 83 - 57 - 88 cm
靴のサイズ: 23.5 cm

(出典:Wikipedia)

KAT-TUN エピソード&プロフィール

KAT-TUN(カトゥーン)は、ジャニーズ事務所に所属する日本の6人組男性アイドルグループ。レコード会社はJ Storm内のKAT-TUNのCDデビューに合わせKAT-TUNの為に作ったレーベルJ-One Recordsに所属。2001年4月7日結成。

【メンバー】
K:亀梨和也(かめなし かずや、1986年2月23日 - )B型
A:赤西仁(あかにし じん、1984年7月4日 - )O型
T:田口淳之介(たぐち じゅんのすけ、1985年11月29日 - )AB型
T:田中聖(たなか こうき、1985年11月5日 - )B型
U:上田竜也(うえだ たつや、1983年10月4日 - )B型
N:中丸雄一(なかまる ゆういち、1983年9月4日 - )O型


【グループ名】
グループ名は彼らの名字の頭文字「K(亀梨)・A(赤西)・T(田口)・T(田中)・U(上田)・N(中丸)」をつなげたものだが、他にも『勝つ運』という意味が込められている。また、「KAT」と「TUN」の間にある「-」(ハイフン)は「ファンの皆様」を表すとも言われている。ファンの間では、「勝運」ともよばれている。

「カトゥーン」が正式な読みだが、この綴りでは本来の読みは「カッツン」である。


【来歴】
●2001年-2004年
■2001年3月16日、NHK『ポップジャム』の司会を当時務めていた堂本光一の専属バックユニットとして社長ジャニー喜多川の鶴の一声で結成された。そのため正式な結成日はあいまいである。だが4月7日という説が濃厚である。

■2002年8月10日〜11日、「お客様は神サマー Concert 55万人愛のリクエストに応えて!!」と題し、東京国際フォーラムにて初の単独コンサートを開催。タイトルの通り、当初4公演2万人で行なわれるコンサートに、55万人の人からチケットの申し込みがあった。それに伴い2公演を追加、2日間計6公演行われた。また8月26日-28日、大阪松竹座にてコンサートを開催。3日間で20公演行われ2日目には1日11回の公演を行い、同事務所の先輩であるTOKIOとV6が持っていた1日10回の日本記録を塗り替えた。

■2003年2月26日にはファーストコンサート(お客様は神サマー Concert 55万人愛のリクエストに応えて!!)の模様を収めたDVDが発売され、CDデビュー前のアーティストとしては初の、オリコンDVD・VHS・総合チャート1位の三冠を獲得。

■2003年8月8日〜28日、コンサートツアー「Ko年モ Ah Taiヘン Thank U Natsu」を、東京・名古屋・大阪にて開催。

■2003年8月12日〜20日、フジテレビジョン開局45周年記念イベント「お台場冒険王」企画の一環で「KAT-TUNの大冒険de SHOW」と題したイベントを、お台場にあるホテル・グランパシフィックメリディアン パレロワイヤルにて開催。

■2004年1月、帝国劇場で行われた滝沢秀明(タッキー&翼)主演の舞台『Dream Boy』に出演。又、同公演中に亀梨和也が主役として出演した「KAT-TUN&関ジャニ∞編」が開催。

■2004年8月にジャニーズ事務所の歴史を紐解くエンターテイメントショー『SUMMARY of Johnnys World』が原宿ビックトップで開催され、グループのNEWSと対決するという演出で共演した。

■2004年12月28日-2005年1月5日、コンサートツアー「KAT-TUN Live 海賊帆(かいぞくばん)」を、東名阪にて開催。1月5日2部、横浜公演ラストの回に、KAT-TUNとして100公演目を達成。観客動員数は延べ55万人を達成した。

●2005年
■2005年1月、メンバーの亀梨和也、赤西仁が生徒(小田切竜・矢吹隼人)役で出演したドラマ『ごくせん』(日本テレビ系)が、30%近くの高視聴率を記録した。続けて同年4月、赤西仁がドラマ『anego』(同)に新入社員(黒沢明彦)役で出演し若年層以外の層でも人気が急上昇した。

■2005年3月、横浜アリーナで2日間のスペシャルコンサート「Looking KAT-TUN 2005」を開催。

■2005年5月、先に出演した「Dream Boy」(共演:関ジャニ∞)を、『Hey! Say! Dream Boy』として梅田芸術劇場にて開催(主役は亀梨和也)。

■2005年5月3日、2枚組DVD『KAT-TUN Live 海賊帆(かいぞくばん)』を発売。初動売上枚数12.9万枚でオリコン音楽DVD初動売上枚数歴代3位。2度目のDVD総合チャート1位を記録。

■2005年6月、3月に行なわれたコンサートの追加公演として、初の全国ツアー(全5ヶ所)を開催。さらに8月には再追加公演として横浜アリーナで6公演行なわれ、異例のロングラン公演となった。

■2005年11月、『バレーボール・ワールドグランドチャンピオンズカップ2005』(日本テレビ系)のスペシャルサポーターに抜擢。バレーボールのサポーターとして参加した。

■2005年11月2日、亀梨和也がNEWSの山下智久と期間限定ユニット「修二と彰」として、ドラマ『野ブタ。をプロデュース』の主題歌『青春アミーゴ』でCDデビュー。哀愁を漂わせる楽曲として、中高年サラリーマンにも支持を受け発売してから4週間でミリオンセールスを達成。シングルのミリオン達成は2005年初であり、森山直太朗の『さくら(独唱)』以来1年7か月ぶりの快挙となった。

●2006年
■2006年1月3日-29日、2004年4月と2005年5月に行なわれたミュージカルを、改めて「Dream Boys」(共演:関ジャニ∞)として帝国劇場にて開催。この公演は2007年秋に再演が予定されている。

■2006年1月29日、東京プリンスホテル パークタワーで3月22日にシングル『Real Face』(作詞:スガシカオ 作曲:B'zの松本孝弘)でCDデビューすることを発表。

■同日にアルバム『Best of KAT-TUN』とDVD『Real Face Film』を発売することも決定。 これに伴い所属レコード会社は“すべてにおいてトップを目指す”という意味を立ち上げた“J-One Records”に決定した。

■『Real Face』は75.4万枚、『Best of KAT-TUN』は55.7万枚、『Real Face Film』は37.4万枚の初動売上を記録し、3冠を達成。

■3部門同時首位は、2000年10月9日の浜崎あゆみ以来、5年半ぶり史上2組目で、デビュー新人としては史上初である。また、USEN(有線)総合チャート・着うたダウンロードランキングをも合わせると5冠制覇した。 

■シングルは4/3付の初登場から3週連続となる首位を獲得。3週連続首位は、KinKi Kids『Anniversary』以来、1年3か月ぶり。デビューシングルによる達成はKinKi Kids『硝子の少年』以来8年8か月ぶりで、2000年以降デビューのアーティストとしては初である。

■DVDチャートでは、メンバーの亀梨和也と山下智久(特別出演)によるTVドラマ『野ブタ。をプロデュースDVD-BOX』が2.2万枚を売上げ、2位に初登場。これも国内の連続ドラマ作品では史上最高位。

■2006年3月17日、デビューをファンに報告する意味も込めて、東京ドームにてコンサートを開催した。

■尚、CDデビュー前に東京ドームにてコンサートをおこなった単体のグループとしては、ソロアーティストも含めて史上初である。また、3月28日からは全国ツアーを行い、追加公演を東京ドームにて2公演開催した。

■2006年4月3日、「You&J」というKAT-TUN、NEWS、関ジャニ∞の合同ファンクラブを発足。

■2006年5月23日、デビュー曲「Real Face」がミリオン達成。発売9週目にしての100万枚突破。

■また、年度内(前年12月初週日付-当年11月最終週付)での達成は、2003/3/24付のSMAP「世界に一つだけの花(シングル・ヴァージョン)」以来、3年2ヵ月ぶり、デビューシングルとしては2001/6/25付(登場15週目)のCHEMISTRY「PIECES OF A DREAM」以来約5年ぶりの快挙である。

■2006年7月19日、2ndシングル『SIGNAL』を発売。デイリー初登場1位に輝き、デビュー曲と同様に驚異の人気を誇る。初動売上が40万枚を超えた。

■2006年8月26日・27日、日本テレビの国民的番組『24時間テレビ「愛は地球を救う」』のメインパーソナリティに選ばれ、亀梨和也はスペシャルドラマ『ユウキ』で主演を務めた。定番のチャリTシャツの原案は、中丸がデザインしている。番組終盤では赤西がメンバー全員への手紙を読み、視聴者、出演者他、たくさんの人を感動させた。

■10月14日スタート 亀梨和也主演のドラマたったひとつの恋の主題歌『僕らの街で』(作詞・作曲は小田和正)を歌うことが決定した。

■10月12日、赤西仁が芸能活動を休止することが一部スポーツ紙で報道され、同日中にジャニーズ公式HP(Johnny's net及びJohnny's web)で、赤西仁が半年間語学留学し、暫くは5人で活動することが正式に発表された。そこには「本人が前々から留学を希望していたが、デビューしたばかりということもあって延期され、やっとのことで実現した」と書かれていた。

■12月7日、3rdシングル『僕らの街で』(作詞・作曲:小田和正)を発売。5人になってからの初のシングル曲発売。

■初動売上は41.0万枚で、初登場1位を獲得。同時に、デビューから3作連続での初動40万枚突破、及びアルバム・DVDも含めたデビュー年内5作目の首位獲得を達成し、双方は共に史上初の快挙である。また2006年シングル初動売上記録は、自身の持つ前2作品と併せてTOP3を独占した。

■12月21日、『第39回オリコン年間ランキング2006』が発表され、デビューシングル『Real Face』がシングル部門1位を獲得。
デビュー年の1位獲得とミリオンセラーの同時達成は、24年ぶりの快挙であった。また亀梨和也にとって去年修二と彰として出した『青春アミーゴ』に続いて2年連続で年間シングル売上ランキング1位を獲得した。2ndシングル『SIGNAL』は5位、3rdシングル『僕らの街で』も13位にランクインして発売した3枚すべてがTOP20にランクインした。

●2007年
■4月11日、ライブDVD『Live of KAT-TUN "Real Face"』を発売。初動売上17.5万枚でDVD総合チャート初登場首位を獲得。

■4月18日、2ndアルバム『cartoon KAT-TUN II You』を発売。

■4月19日、活動を休止していた赤西仁が帰国。20日に6人で会見を行った。

■4月10日〜、田口がドラマ『花嫁とパパ』(フジテレビ)に出演

(出典:Wikipedia)


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070422-00000031-dal-ent

玉木宏 エピソード&プロフィール

玉木 宏(たまき ひろし、1980年1月14日 - )は、日本の俳優、歌手。

愛知県名古屋市中村区出身。株式会社アオイコーポレーション所属。


【プロフィール】
身長:180cm
靴のサイズ:27.5cm
血液型:A型
趣味:カメラ
特技:水泳
高校:名古屋市立富田高等学校
中学:名古屋市立豊正中学校
小学:名古屋市立稲葉地小学校


【略歴】
■高校生の頃、サカエチカで買い物をしていたときにスカウトされた。

■1998年、ドラマ『せつない』で俳優デビュー。以後、『ウォーターボーイズ』(2001年映画、2003年テレビドラマ)『愛し君へ』などのドラマや映画に出演し、注目を集める。

■2003年、映画『ROCKERS』でギタリスト役を演じたことをきっかけに、2004年6月2日ファーストシングル『Seasons』で歌手デビューを果す。

■2006年、NHK連続ドラマ氷壁がABU賞テレビ・ドラマ番組部門を受賞。

■2006年、ドラマ『のだめカンタービレ』でコミカルかつシリアスな「オレ様」役、千秋真一を好演したことにより、再び注目を集める。

■2007年、エランドール賞 新人賞を受賞。


【人物】
■さくらももこのファンでもある。

■性格はドSで、悪戯をするのが好き。(本人談)

■逆に自分が悪戯をされると「本気でキレる」らしい。(本人談)

■罰ゲームが大好きで自ら進んで罰ゲーム付きのゲームをしたがる。(よく玉木のマネージャーが被害にあっている)

■実際は中々の天然であるが、本人はその事実を認めようとしない。

■食べ物の好き嫌いが多い。梅、納豆、ユズ、ウニ、メロンが嫌い。

■スイカも実は苦手(種が嫌らしい)であるが、某雑誌の撮影の為に豪快にスイカにかぶりつくという迫真の演技(?)を見せた。

■基本的に肉が好き。ハラミや甘い物が好物。

■朝食は食べないでチョコレートを食べる。

■飲み物ではカフェオレが好きで、1日5杯は飲める。

■飲む酒はテキーラのみで大量に飲む。元々酒が強い訳ではないので、すぐに酔っぱらってしまうらしい。ノリが体育会系なので酒が入ると周りの人間に酒を勧めないと気がすまない。そして周りが飲まないと許せなくなってどんどん勧めるようになるらしい。

■将来は『サザエさん』の磯野家のような平屋に住むのが理想。

■血液型は長らくB型と思いこんでいたが、25歳になった記念に行った人間ドックでA型と分かった。(ちなみに25年間「B型である」と信じていたのは親からの情報と、25年間大きな怪我等したことがなかったので血をとられるということがなかった為)

■手がとても大きく、指もとても長い。ピースサインの時の指が異常に開く(野球のボールはスカスカらしい(本人談))

■指の付け根の関節が外れるらしく変な動きができる。(『おしゃれイズム』でアシスタントの森泉から「気持ち悪い」と言われ苦笑いしていた)

■おならを燃やした事がある。ちなみに本人のコメントは「本当に燃えるので注意して下さい」らしい。

■飽きっぽい性格らしく髪型をよく変える。役作りの為に髪型を変えることも多い。

■2002年に放送されたポカリスエットのCMでは、髪を剃り上げハート型に残すという役を演じた。 (ハート型の頭はケーキ等を焼く型を頭に乗せられて徐々にハート型に仕上げた。なので最後に全部ツルツルに剃った時、ハート型の格好悪い日焼けが残ってしまったらしい)

■ファースト・キスは12歳(中学1年生)だった。

■初デートは中1の秋。

■佐藤隆太、塚本高史らと共に、映画『ROCKERS』内で結成された同名のバンドの一員として『ミュージックステーション』等の音楽番組に出演したことがある。

■『笑っていいとも!』の「テレフォンショッキング」に出演した際に「(名古屋弁が恥ずかしくなったのは)タモリさんのせいですよ」とタモリに言ったことがある。

■『SMAP×SMAP』に出演した際、SMAPから「玉木くんって偉い」「玉木さんはすごい良い人だ」「勉強になりました」と褒められていた。番組終了後、玉木宏の公式HPにアクセスが集中しHPが一時パンクした。

■美形にも関わらず「変顔」が得意で、『おしゃれイズム』出演時には渾身の変顔を披露しスタジオを爆笑の渦に巻き込んだ。

■ペグという名の9歳のオスの犬(チワワ)を飼っている。

■猫アレルギーなので飼うなら絶対に犬らしい。

■ラッキーナンバーは23(本人談)。

■妹がいる。2006年のクリスマスプレゼントに手帳をプレゼントした。母親にはストールをプレゼント。

■自分がクリスマスに貰って嬉しいプレゼントはタバコ(1日3箱吸う為)

■扁平足で土踏まずが無いことが悩み。健康サンダルや、土踏まずの部分が出っ張っている靴を履くともの凄く痛くなってイライラしてしまう(現在はちゃんとあるらしい。痛くなるのは左足。)

■もの凄く暑がり。靴下が大嫌いで年間を通して基本的に素足にサンダルで過ごしている。女の人が靴下を履いて寝たりするのが考えられないらしい。(毎日のようにサンダルで過ごしている為にエランドール賞の授賞式の際、映画の撮影場所である雪山から一時東京に戻り、自宅に寄ってから会場に行ったときに間違って家からいつものサンダルで来てしまい、サンダルのまま雪山に戻っていった。)

■20歳過ぎくらいから霊感が強くなり、頻繁に「何か」を見てしまう体質になってしまったらしい。

■ミスタードーナツでは学生の頃から「ココナツチョコレート」がお気に入り。

■18歳から23歳ころまで俳優業を続けながら、目黒区碑文谷にあるゴルフ場内にあるレストランの厨房でアルバイトをしていた。(その他に掛け持ちで、引っ越し業と深夜のコンビニの店員)

■レストランでアルバイトしていたとき、客として来ていた明石家さんまやタモリ、浜田雅功達を接客したことがある。

■レストランの厨房でアルバイトをしていた為、料理は得意でよく作るらしい。

■スポーツ系(ボール投げ・アーチェリーなど)は左利き。お箸、包丁、字を書くなど文科系は右利き。

■幼稚園を改造した借家に家族と住んでいる。自室の広さは40畳あり、その一部を暗室に改造してあるとのこと。また、暖房は使わないそう。

■名古屋から上京してきた当時はその昔植木等も住んでいた牧子荘という築約50年の3畳のアパートに住んでいた。朝起きるとトイレに羽虫が沢山ういてたらしい。(その後、耐えられなくてすぐに引っ越した。)

■2007年1月、自身のフォトブック発売記念イベントの記者会見で恋人がいると発言した。

■ドラマ『のだめカンタービレ』では、ピアノとバイオリンがプロ級の腕前の上に指揮者を目指す千秋役で、3つの練習が大変だったと語っている。 特に難曲とされるブラームス 「交響曲第1番」を指揮する場面の為に、この曲を千回以上聴いたらしい。

(出典:Wikipedia)
タグ:俳優 玉木宏

金子昇 エピソード&プロフィール

金子 昇(かねこ のぼる、1974年10月18日 - )は、長崎県長崎市出身の俳優、タレント。ZONE(芸能事務所)→オスカープロモーション所属。長崎総合科学大学工学部建築学科卒業。血液型O型。178cm、60kg。

【来歴・人物】
大学卒業後、一度はサラリーマン生活を送るが、役者を目指し各種オーディションに挑戦し、1999年ドラマ「女医」でテレビデビュー。2001年、スーパー戦隊シリーズ『百獣戦隊ガオレンジャー』の主役ガオレッドこと獅子走役に大抜擢され、一躍脚光を浴びた。放送開始当時26歳ということで最近の特撮作品に出演した俳優と出演当時の年齢を比べると年長である。

彼はガオレンジャーに出演したことを誇りにしている。特撮ものに出演した縁からか、その後東宝の「ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS」でも主演を務めた。ただ、2007年正月のある番組で久々にガオアクセスを披露したときは、結構照れていた。また、「ぷっ」すまの「ザ・ギリギリマスター」に出演したとき、ビビっていたのを「元戦隊ヒーローとは思えないビビりっぷりです」と表現されていた。

テレビドラマ、バラエティー、映画、舞台などでマルチに活躍する俳優。妻子あり(ガオレンジャー放送中に結婚)。

(出典:Wikipedia)
タグ:金子昇 俳優

杏子 エピソード&プロフィール

杏子(きょうこ、1960年8月10日 - )は、日本の歌手。オフィスオーガスタ所属。

音楽活動の他にもラジオパーソナリティやテレビドラマ出演など幅広く活動している。姉御肌のキャラクターも人気である。


【来歴】
本名 関原京子。 長野県松本市生まれ。後に千葉県へ移り住み、同地で青少年期を過ごす。千葉県立長生高等学校、大妻女子大学卒業後、OLを経て、1980年代の人気バンドBARBEE BOYSのツインボーカルの一人として活動。 低くハスキーな声にあこがれ、その昔アパートで連日のように枕に顔を押し付け、長時間に渡って絶叫することで、わざとのどを潰したという。ハスキーな歌声で人気を博す。1992年のバンド解散後はソロのアーティストとして活動。1998年に同じ事務所所属の山崎まさよし、スガシカオらとスペシャルユニット福耳を結成。2003年にはLIVE EPIC 25にてBARBEE BOYSが同イベント限定で再結成された。

(出典:Wikipedia)
タグ:杏子 歌手 女優

山口智充 エピソード&プロフィール

山口 智充(やまぐち ともみつ、1969年3月14日 - )は、日本のお笑いタレント、俳優。大阪府四條畷市出身。吉本興業所属。「ぐっさん」の愛称で親しまれている。身長175.7cm。血液型O型。既婚。本来は平畠啓史とのお笑いコンビ・DonDokoDonでボケを担当するが、現在は単独での仕事が多く、俳優、司会など幅広い分野で活躍中。


【経歴】
最終学歴は大阪府立四條畷北高等学校卒業。高校時代には友人とコンビを組んでコントのような事をしていた。芸能活動を始める前はマツヤデンキで営業担当として働き、優良社員賞を受賞するほど優秀な社員だった。ミュージシャンを目指す為に退職した後は職を転々とし、宝塚ファミリーランドで働いている時に相方の平畠と知り合い、お笑いの道へ進んだ。

全国区の知名度を得たのは『明石家マンション物語』(フジテレビ系列)から。同番組内では芸達者なラテン歌手「ガルシア」というキャラクターで登場。その多芸ぶりが好評を博し、以後、バラエティ番組を中心に活躍するようになった。 声帯模写や効果音など多彩なものまねを得意とする(後述)。またミュージシャン志望だっただけあり、その歌唱力はお笑い芸人屈指(その他ギター演奏もこなす)。宮迫博之(雨上がり決死隊)とのデュオ「くず」として音楽活動(作詞・作曲も担当)も行っている。くずの楽曲中では、演奏面でも「ギターを弾きながらハーモニカを吹き、同時に足の先に括り付けた鈴を鳴らす」という器用さを見せている。また、大阪・四条畷市の小学校(山口本人の母校が統合した先の小学校)の校歌を作詞・作曲した。他にも演歌歌手に楽曲を提供したり、『いただきマッスル!』(中京テレビ制作・日本テレビ系列) の挿入歌を作詞作曲するなどしている。なお、現在日本テレビ系列の音楽バラエティ番組『MusiG』においても、自身のボーカル、佐野元春の作詞作曲、山本耕史のギターによる「The Whey-hey-hey Brothers」として、1枚のシングルを出した。


【人物】
■プロレスラーのようながっしりとした体型をしており、周囲からは「芸人の身体じゃない」と言われる程だが、スポーツや格闘技を本格的にやったことは無いとのこと。久本雅美にその肉体形成の不可思議さをネタにされ、「ラグビーをしたことがないラガーマン」と表現されたこともある。自称:ナチュラル・ボーン・マッスル。

■腕力はかなり強く、特に左腕を用いた腕相撲は「黄金の左腕」と言われ、今まで誰にも負けたことがないという(自衛隊員にも勝ったことがあると本人談)。リンカーンにおいて出演者全員を相手にその力を披露し、連続20人斬りを達成していた。(ダウンタウン・さまぁ〜ず・雨上がり決死隊・品川庄司・FUJIWARA・おぎやはぎ・バナナマン・フットボールアワー・スピードワゴン・中川家の20人だが、そのうち礼二・品川・原西・宮迫・松本はかなり粘らせて負かした)

■味覚が鈍感らしく彼の舌には「美味しい」と「すごく美味しい」の二通りしかないということである。宮迫によれば「ぐっさんにとっては高級蒸しアワビも牛丼もおいしさは一緒」。リンカーンにて高級食材を使って作った中華料理で4品作り、2品のスープは山口は味見して「旨い」と言ったが、試食したダウンタウン、さまぁ〜ず・雨上がり決死隊からはマズいと評された。ちなみに他の2品はとても旨く作れたらしく、ウド鈴木に大絶賛された。

■笑っていいともの「スポンサーはあなた!」のコーナーでは抜群のバランス感覚を見せた。「人差し指に傘を乗せたまま維持」「両手の指にハンガーの柄の部分をかけて回し続ける」、「お好み焼きのヘラでピンポン玉を弾き続ける」等のゲームで、ほとんどその場を動かないという余裕をもって成功している。

■『ぐっさん家〜THE GOODSUN HOUSE〜』(東海テレビ)の番組企画として名古屋の平針運転免許試験場にて大型自動二輪免許を取得。

■テレビ番組で度を越えた下品なものまねを披露し、一時干されそうになったことがある。

■「四角い物フェチ」である。角張った感触と、物がスッポリ収まる感覚(「スフォ感」と形容)がたまらないとのこと。『アメトーク』に出演した際には、四角いものに囲まれ終始興奮していた。中でも最も気に入っている四角いものは「天突き(ところてん切り器)」で、四角いところてんを四角い天突きに入れ、四角い棒で押すと四角がたくさん並んだ網から四角いところてんがたくさん出てくるから、とのこと。

■芸人には珍しく、大の愛妻家。松本人志からは、「ぐっさんだけはホンマに真面目や」と感心されている。

■習字や絵画なども趣味で行なっており、バラエティー番組やCMなどでその腕を披露している。

■野外のロケに出ると雨天となることが多く、自他共に認める雨男である。リンカーンの特番では浜田に「テンション上げたら雨が酷くなるからテンション上げんな!」と言われていた。


【エピソード】
■ギャグ路線からシリアスなものまで様々なものまね芸を持つが、かつてテレビ番組の本番中に大失敗をしたことがある。『爆笑そっくりものまね紅白歌合戦』(フジテレビ系列)においてデーモン小暮閣下のものまねをした際、歌い出しのタイミングを間違えフライングをしてしまった。その時はものまねをされた本人として登場した閣下に軽く突っ込まれていたが、後にこの出来事は『ものまね紅白』のエポックメイキング的出来事になった。

■『新選組!』(NHK)の劇中、芹沢鴨がオウムに馬鹿にされるというシーンにおいて、オウムに台詞を覚えさせる調教が撮影に間に合わず、スタッフは急遽山口にオウムの吹き替えを依頼。山口は見事にオウムを演じ切り、このシーンは無事放送された。

■2006年7月16日に放送された『FNS26時間テレビ』内の『笑っていいとも』増刊号生放送スペシャルで、小学生女子300人に聞く好きな男性レギュラーランキングで1位になった。その理由として「歌う姿にキュンときます」などがあった。

■四条畷の小学校の校歌の作詞曲は、母校が統合したために新校歌を作らなければならず、友人が山口本人に頼んだことで実現した。小学校には直筆の歌詞表が飾られた。しかし、書き間違えたのか、紙で貼って上書きされたような形跡があったことを、テレビ上でハイヒール・リンゴに指摘された。

(出典:Wikipedia)

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。