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ビリー・ブランクス エピソード&プロフィール

ビリー・ブランクス(Billy Blanks、1955年9月1日- )は、アメリカのエクササイズの指導者で格闘家、俳優。そして独自のトレーニング「タエ・ボー」の考案者である。日本においてビリーズブートキャンプで一躍、時の人となった。


【プロフィール】
1955年アメリカ合衆国ペンシルベニア州エリーにて15人兄弟の四男として生まれる。14歳から格闘技の研究を始め、急速な上達をみせ、7度の空手世界チャンピオン、テコンドーの七段黒帯所持者となり、そのほか七種の武術で黒帯を取得する。1980年代、アメリカアマチュア空手チームのメンバーであり、アメリカ空手の殿堂であるアスリート・オブ・ザ・イヤーに選出。また、俳優としてのキャリアも歩み始め、近年では「ER」などにも出演している。1980年代後半、マサチューセッツ州クインシーで空手道場を開いていた頃にムエタイや空手、テコンドーの型を基にタエ・ボー・トレーニングを考案。格闘技とボクシングをミックスした「タエボー(Tae Bo)」という名前はテコンドーとボクシングを組合わせたもの。彼はこの新しいフィットネストレーニングを広めるためにロサンゼルスに自らのフィットネスセンターを開き、ポーラ・アブドゥルなどのクライアントを持つことに成功。このエクササイズの人気は急速に高まっていった。その後、陸軍の新兵のインストラクターの経験を生かし「ビリーズブートキャンプ」を発案、アメリカ国内に紹介する。そして近年日本にも紹介され、一大ブームを起こしている。劇団ひとりや島谷ひとみなどの芸能人が実践しているほか、その独特の動きや機械やサプリメントに頼らない、有酸素運動によるダイエットが逆に一番効果的であることや、メタボリックシンドロームや生活習慣病などに敏感になっていたという現状も日本においてブームとなった要因といえよう。また、もう一つブームの要因となったものとしてはビリーの言葉が上げられる(「ビリー語録」)。ビデオの中で「ここをどこだと思ってるんだ!」「声が小さい!」などと叱咤するかと思えば「僕は君の力になりたいんだ!」「ゆっくりでいい、とにかく続けるんだ。そうすれば必ず勝てる!」などと励ましの言葉も微妙に織り交ぜている。それが今までダイエットを途中でリタイヤした人にやる気を起こさせるというのだ。特に日本においてはビリー当人のファンまで出現し、今やダイエット・フィットネス界の「鬼隊長」として君臨している。現在、家族は妻に息子、娘・シェリーの四人。シェリーは「ビリーズブートキャンプ」のビデオに出演している。


【脚注】
■子供の頃に原因不明の失読症にかかったという。

■日本では「ビリーズブートキャンプの人」だがアメリカではTae Boで一世風靡しており、当時芸人がパロディのネタにする程有名だったため、今でもアメリカ人の間では「Tae Boの人」などと呼ばれることが多い。

■「ビリーズブートキャンプ」を始める事を「入隊する」という(ビリーがビデオの中で「入隊おめでとう!」と言う事から)。

■カプコンの格闘ゲーム「ストリートファイター」のキャラクター・ディージェイはビリーがモチーフとなっているという。


【ビリーと日本】
■「ビリーズブートキャンプ」は2006年7月の日本語字幕版発売以来、日本国内のネットコミュニティ上では社会現象となるまでに人気は高まり、ビデオは売れ続けている。またTVショッピング内で紹介される宣伝に興味をもって買う人もいる。

■日本での人気を受け、2007年6月20日にロサンゼルス発の日本航空機で来日した(初来日ではなく、2度目であるとインタビューで答えた。)成田ではピンク色の法被を着ていた。6月21日の日本テレビ系「ズームイン!!SUPER」へのテレビ出演を皮切りにマスコミめぐりが1週間に亘って予定されている。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070623-00000019-spn-ent

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島谷ひとみ エピソード&プロフィール

島谷ひとみ(しまたに ひとみ、本名:島谷 瞳、1980年9月4日 - )は、日本の女性歌手、女優。広島県呉市(旧安芸郡音戸町)出身。所属レコード会社はエイベックス。所属事務所はバーニングプロダクション。


【人物】
■清水ヶ丘高等学校卒業。血液型O型。身長161cm。

■基本的には、左利きだが、字を書くときと、箸は、右である。

■歌唱力と透明度の高い歌声、表現力とリズム感のあるシンガー。

■幅広い楽曲を歌いこなすことができる器用さが彼女の持味であるため、リリースされた曲は、激しいアッパーチューン、切ないバラード、異国情緒な雰囲気を醸し出しているもの、ロック、ミドルナンバー、アップテンポナンバー等幅広い。彼女のヴォーカルによる新しい楽曲を提案した、2005年2月23日リリースの「スペシャルコンセプト・アルバム」『crossover(クロスオーバー)』から、島谷ひとみの持ち味を最大限活かす為に現在この「crossover路線」をメインに活動している。

■ロングヘアーがトレードマークで、美髪の持ち主。ORICON STYLEが2006年5月18日に発表した『髪の毛がキレイな女性タレントランキング』にもランクインしている。

■歌手の中でもドラマや映画などへの出演が比較的多く、女優業にも力を入れている。

■ファンからの主な愛称は「ひとぴょん」また『僕だけのマドンナ』出演時には共演していた長谷川京子や小西真奈美らから「亜麻色ちゃん」と呼ばれて親しまれていたという。

■実家は親族一同で牡蠣の養殖産業を営んでいる。家族構成は父、母、4つ年上の姉、犬2匹。

■初めて買った音楽ソフトは、Winkのカセット。

■オーディションではDREAMS COME TRUEの『未来予想図II』をアカペラで歌う。また吉田美和を尊敬するとの発言もたびたびしている。『堂本兄弟』出演時にこの曲を歌ったこともある。

■中学時代はソフトテニス部に所属。地元の大会では優勝の経験もある。

■好きな男性ができても告白できない等の話を度々テレビで語っている。その反面、AMラジオ番組「島谷ひとみのkeep up spirits!(文化放送他)においては番組あてに寄せられる恋愛にまつわる相談の指南役をやっていたりする(主にティーンエイジャー向け)

■ケツメイシのファンであり彼らのライブを一般席から見ることもあるという。

■トイプードルの「モア」という名の愛犬は、現在は広島の実家に預けてあり、”娘”(メス)の顔を見に実家に戻るらしい。

■以前ミュージック・フェア(フジテレビ)で、共演した川嶋あいが自叙伝「最後の言葉」を上梓したという事で、川嶋から貰ったその本に一読三嘆し、島谷ひとみのkeep up spirits!(文化放送他)でも島谷がリスナーにもその本を読んで欲しいと紹介した。その後同番組でも川嶋がゲストで登場した(4月9日放送)。また同日の笑っていいとも(フジテレビ)のテレフォンショッキングでは島谷が紹介した川嶋が出演した。(ちなみに島谷の同コーナーの出演(4月6日)は新山千春からの紹介であった。)

■シングル「亜麻色の髪の乙女」のヒットにより島谷=亜麻色というイメージが出来上がってしまい、島谷本人の髪の色が「亜麻色」というイメージが浸透してしまっているが、本人の髪の色が亜麻色だった事はない。(亜麻色は灰がかったかなり薄い黄土色で、島谷の髪の色はシングルのヒットから今日まで常に「深い栗色」に近いといえる)


【来歴】
■1997年に『第1回ザ・ジャパン・オーディション』で歌手部門に応募総数約20万人の中から合格。それから高校卒業までの間は、週末にレッスンに通いに東京へ足を運び、広島と東京を往復する生活を送っていた。

■1999年に関西テレビ放送(KTV)の『紳助の人間マンダラ』の企画で、島田紳助プロデュース、紳助、高原兄(元アラジン)楽曲提供の演歌『大阪の女』でエイベックスからデビュー。同曲はオリコンの演歌チャートで初登場1位を記録(同チャートでのデビュー曲初登場1位は城之内早苗、中澤裕子に続き3人目。但し2人共それ以前にアイドルグループでデビューしており、純粋な新人としては史上初)。読売テレビ放送(YTV)の全日本有線放送大賞で新人賞を獲得。

■2000年9月27日に発売された『解放区』からJ-POPに転向。

■2001年2月7日に『パピヨン〜papillon〜』をリリース。週間オリコンチャートの最高順位は14位でありながらも、50位内に20週以上ランクインするロングセラーとなり20万枚以上を売り上げた。

■2002年1月30日にTBSのドラマ『プリティガール』の主題歌『シャンティ』を発売し、週間オリコンチャート初登場7位を記録。自身初のオリコンTOP10入りの作品となった。

■2002年に、ヴィレッジシンガーズの『亜麻色の髪の乙女』をカバー(自らがモデルとして出演した、花王エッセンシャルダメージケアシャンプーのCMのイメージソング)して大ヒットし、オリコンのカラオケチャートで新記録となる18週連続1位を記録。オリコン年間カラオケチャート1位、週間オリコンチャート最高位4位、売り上げ枚数37万枚、年間オリコンチャート22位となった。

■2002年6月12日に発売された2ndアルバム『シャンティ』では週間オリコンチャート初登場1位を記録し、シングルアルバム通じて初の1位取得作品となった。

■2002年の『第53回NHK紅白歌合戦』に初出場し『亜麻色の髪の乙女』を披露。紅組後半(第二部)のトップバッターを務めた。以後4年連続で出場している。

■2003年には『僕だけのマドンナ』で初の月9ドラマへの出演となり、映画『ドラえもん のび太のワンニャン時空伝』では初の声優に挑戦した。

■2004年春に仲間由紀恵、今井絵理子らとミュージカル『スター誕生』でトリプル主演を務める。ちなみに舞台の公演初日である2004年3月17日は島谷の14枚目のシングル『Viola』の発売日でもある。

■2004年10月23日に起きた新潟県中越地震の当日は同県の震源地に近い巻町(合併後の現・新潟市)でのコンサートの為、新潟県内に滞在していた(公演は延期。後日無事開催された)その時の模様を取材しようと島谷ひとみに、TVワイドショーのレポーターが殺到し、島谷は「道端にいるどの犬も異常な程よく鳴いていた」、と地震が起きる直前の奇妙な光景を伝えた。また後日、日本音楽事業者協会の、震災に対する義援金1000万円の寄付の代表を北島三郎と共に務めた。

■2005年からポップスとクラシックとの融合を目指したcrossover路線へと移行し現在に至る。

■鈴木雅之から突然デュエットのオファーがあり2007年1月24日に『ふたりでいいじゃない』をリリース。「彼女(島谷)の声に以前から興味を持っていて、いつか一緒に歌いたかった。」と鈴木はコメントしている。

■2007年8月にミュージカル『赤毛のアン』に3代目のアン役で主演することが決定した。


【交友関係】
■国仲涼子
デビュー前の東京でのレッスンの時、宿泊部屋が国仲涼子と相部屋だったことで知り合う。お互いに親友と呼べる仲であり、東京に出てきて一番初めに出来た友人である。東京に出てきて初めて住んだマンションが国仲と同じマンションだった。現在は島谷が引っ越したため、お互い違うマンションで生活している。国仲とはドラマ『探偵家族』(2002年、日本テレビ系)の第8話で初の共演を果たす。その後、『さんまのまんま2005新春編』に二人揃って振袖で登場。

■仲間由紀恵
ミュージカル『スター誕生』(2004年)の共演がきっかけで仲良くなり、今では二人だけで食事に行ったり、海外旅行に行くほどの仲である。AMラジオ番組「島谷ひとみのkeep up spirits!(文化放送他)では、仲間由紀恵との意外なエピソードを島谷が暴露することもある。2006年3月17日放送の『ミュージックステーション』では『春待人/Camellia-カメリア-』と『恋のダウンロード』の発売日が同じこともあって、テレビで初の共演となった。

その他、島谷ひとみのkeep up spirits!(文化放送)にもゲスト出演し、笑っていいとも(フジテレビ)のテレフォンショッキングに島谷が出演時に花を贈った上原多香子など。偶然?にも国仲、仲間、上原と共通して沖縄出身者。また年齢は離れるものの森公美子と仲が良いらしく、前述の「テレフォン・・・」の出演時に森から花束が届き、2人揃って「うたばん」(TBS)出演し「森食堂」と称される森の家で、芸能人が集うパーティーに仲間由紀恵と共に(共演のミュージカルの打上げとの事)現われるらしい。と話していた。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070623-00000002-sanspo-ent

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クリスタル・ケイ エピソード&プロフィール

クリスタル・ケイ(Crystal Kay 本名:Crystal Kay Williams 1986年2月26日 - )は、日本の女性歌手。ソニー・ミュージックエンタテインメント(エピックレコードジャパン)所属。身長172cm。横浜市出身。


【プロフィール】
確かな歌唱力を持ち、日本で生まれ育ったがアメリカンスクール出身のため英語も堪能である。

誰とでも友だちになれるのが特技で、PVで共演した成宮寛貴、BoAや、アメリカの女性歌手エイメリー(Amerie)とも交友がある。

愛称は「クリ」。「ケイ」はミドルネームなので、本来ならば「クリスタル」か「ウィリアムズ」で呼ばれるべきだが、付き合いの浅い人からは日本語と語感の近い「ケイちゃん」と呼ばれることもある。

愛車はフォルクスワーゲン・トゥアレグ。


【来歴】
《誕生〜2000年》
ニューヨーク出身のベーシストであるアフリカ系アメリカ人の父と、在日コリアンシンガー、shunkay(シュンケイ)との間に1986年2月26日に生まれる。

初めての仕事は4歳のころで、PCエンジンDuoのCMソングである。1999年、13歳の時に『Eternal Memories』(作曲・編曲:菅野よう子)でシングルデビュー。菅野美穂出演のサントリー「ビタミンウォーター」CMソングとして起用された。

その後、2000年頃は歌手としての目立った活動を控えていたが、2001年に映画「サトラレ」主題歌『LOST CHILD』を歌ったことで、知名度を上げた。また同じ頃にm-floと知り合いFMフェスティバル'01のファイナルライブでは、TAKU(m-flo) meets Crystal Kay meets YOU THE ROCK☆として、m-floの「come again」をセッションして出場を果たした。


《2002年〜2003年》
2002年8月にリリースした、m-floの☆Takuプロデュースのシングル『Hard to say』がロングヒットとなった。同年10月に、T.Kuraなどを制作陣に加えた3rdアルバム『almost seventeen』がオリコン最高2位を記録。最も成長が期待される、若手女性アーティストの1人として注目された。

2003年、LISAの脱退によってボーカル不在となった、m-floのゲストボーカリストとして、シングル『I LIKE IT』(Crystal Kay loves M-FLO 名義) と、その客演返しとしてシングル『REEEWIND!』(M-FLO loves Crystal Kay 名義) を同時にリリース。2枚共にオリコン10位以内に入るヒットとなった。

2003年の4thアルバム『4 REAL』以降、R&B路線からポップスにシフトしていった。

元々、全米進出を希望していたクリスタル・ケイだが、同年、世界進出を視野に入れた全英語詞曲収録の『NATURAL -World Premiere Album-』を発表し、アジア市場への進出を試みた。


《2004年〜2005年》
デビュー5周年を迎えた2004年、シングルでは初のバラード『Motherland』を発売。人気アニメのエンディングだった効果もあり、シングルチャートでトップ10入りを果たす。 そして6月には、デビュー5周年を記念し、ファン投票によって収録楽曲を決定した企画アルバム『CK5』を発売。

学業においては、アメリカン・スクールで就学後、2004年10月からは上智大学国際教養学部(旧比較文化学部)に進学。安良城紅とはアメリカン・スクールからの同級生で親友でもある。

『CK5』リリース後はボイストレーニングとダンスレッスンを受けるためニューヨークへ渡る。帰国後、同年11月にシングル『Bye My Darling! 』、2005年1月には『Kiss』をリリース。そして3月に、プロデューサーに、Des’reeやCHARAを手がけたAshley Ingramを迎えた5thアルバム『Crystal Style』を発表し、4作連続でオリコンWEEKLYチャート初登場2位を記録。

5月には同タイトルのドラマ主題歌となった16thシングル『恋におちたら』を発表。それまでのクリスタル・ケイの楽曲に無かった、キャッチーで誰にも歌いやすい、いわゆる歌謡曲調の楽曲は、彼女の歌に今まで触れたことの無かった広い層にも知られ、最大のヒットとなった。同年、CHEMISTRYとのコラボレーション曲『Two As One』が発売された。


《2006年〜現在》
トリノオリンピックで沸く2006年、2月8日に17枚目の両A面シングル『Kirakuni / Together』を発表。大人のチルアウト(だらだらした)・チューンと銘打たれたジャム&ルイスプロデュースのダンスナンバー『Kirakuni』。PVでは、和をモチーフにした世界観に和服姿で登場し、久々にダンスも披露した。カップリングの『Together』は テレビ東京系「トリノ2006」テーマソング。このシングルリリースから2週間後には、『恋におちたら』や『Kirakuni』を収録した6thアルバム『Call me Miss...』をリリースし、5作連続でオリコン初登場2位を記録した。アルバムリリース後は新曲リリースがなかったため目立った活動がなかった。

2007年、1月17日に約1年ぶりとなるシングル『きっと永遠に』をリリースした。話題の映画「僕は妹に恋をする」主題歌のバラード曲となっている。 また、2007年2月28日には2ヶ月連続リリースとなる新曲『こんなに近くで...』が発売された。この曲はコミックス、ドラマともに大きな話題を呼んだ「のだめカンタービレ」のアニメ版のエンディングテーマであり、ベートーベンの交響曲第七番第一楽章を曲全体にフィーチャーした楽曲となっている。

(出典:Wikipedia)

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友近 エピソード&プロフィール

友近(ともちか、1973年8月2日 - )は、日本の女性お笑い芸人、女優。本名:友近 由紀子(ともちか ゆきこ)。

愛媛県松山市出身。松山東雲高等学校から松山東雲女子大学卒業。吉本興業東京本社所属。吉本総合芸能学院(NSC) 23期生。血液型はB型。星座は獅子座。愛称「ともちー」。姉がいる。

大学在学中にローカル番組のリポーターから芸能界へ転身、その後旅館の仲居を経て一念発起して芸人を志しNSCに入学、通天閣のエレベーターガールをしながら芸を磨く、現在は吉本所属の女性芸人の中でトップのレギュラー番組数を抱える人気芸人となる。


【概要】
人物描写に優れ、旅館の女将&仲居さん、学校の先生、街中のお姉ちゃん・おばちゃん・おっちゃんネタ、クラブのママといった水商売の女、極道の妻などになりきる「ひとりコント」を持ちネタとしている。 将来はシュールなお笑いも出来る事を目指しているという。歌唱力には定評があり、2004年には『Tokyo』で歌手デビューもしている。

同時期にメディア露出が増えた青木さやかと比較される事があるが、本人は「自分は芸人なので、しっかりとネタを披露できる場で仕事をしていきたい」と語っており、トーク中心の青木とは異なり自らのネタに対する大きなこだわりを持っている。そのため「マルチタレント」と呼ばれるのを嫌がっている。オールナイトニッポンのスペシャル「渡辺美里のオールナイトニッポン」でゲスト出演した際には「毒舌は言う気にならないんですよね」と語っている。ただしラジオ番組ではその限りではなく、芸能人や放送局批判なども行っている。

腹部が肥満気味であり、OLを演じる時などは、肉付きのよい太ももにミニスカートをはき、脚を広げて舞台で演じるため、中が見えそうになる事がある。毎日放送のラジオ番組「ゴーゴーモンキーズ」の企画で撮影会をやる事になり(後述)そのために減量をしたが、間もなくしてリバウンド。又、2005年7月9日に放映されたTBS系のテレビ番組「爆笑問題のバク天!」でも1週間の短期集中ダイエット企画を行った。この時はウエストのサイズを78cmから69cmへ落とした。2007年1月現在は、唐辛子ダイエットにはまっている。

東大阪にある高校の学園祭への営業の最中、近くのビデオ屋で及川奈央がサイン会をやっていることを聞いたケンドーコバヤシは、ネタ15分のところを5分で切り上げ、同じ営業グループだったサバンナにも5分で切り上げるよう無理強いして、残りの40分を友近に任した。この時、同行していた吉本社員も怒るどころか一緒にサイン会へ駆けつけたため、友近はひとり学園祭会場に残された。

また、ケンドーコバヤシは「及川奈央の電話番号を聞き出すように」と友近へ指示。友近は及川から電話番号を聞いたものの、「他人のプライバシーを勝手に教えることはできない」、と拒否したため、コバヤシの怒りを買った。

お笑いブームに乗り知名度が全国区になった後も大阪在住(姉と同居)を続けていたが、2006年春に活動及び生活の本拠を東京に移した。ただし、現在も定期的に大阪のうめだ花月などに出演している。

地元・愛媛県には、彼女の後援会がある。ちなみに友近という姓はこの愛媛県(特に松山市などの中予)に多い。

友近の母(友近千鶴)は地元愛媛でアートコーディネータ・占い師・不登校の小学生の支援活動などを行っていて、最近は地元の南海放送でラジオのパーソナリティー(ママ友近)としても活躍している。

爆笑問題太田光は友近を「美人」として見ており、「友近ちゃん」と呼んでいる。

近藤真彦の大ファンである。

仕事で和服を着るときには、「和服を着慣れた人しか着ない渋好みの服」(美輪明宏談)を選んで着る。

関西テレビのロケ弁当がまずいとクレームをつけた事が未だにゴチャまぜのネタにされている。


【ものまね】
ひとりコントのほか、ものまね(喋りまね、歌まね、擬音)も得意とし、フジテレビの「爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル」などで披露している。ひとりコントの中でものまねを織り交ぜる事もある。

■桜田淳子のモノマネで「リップスティック」を歌い「似ている!!」と大絶賛された。

「主なものまね」
■外国映画の吹き替え(キャサリン)

■中森明菜・・・中森本人から「自分と区別がつかない」と言われた。やたら声が小さい。また、「車庫入れを語る中森」が十八番。

■黒柳徹子

■幸田シャーミン

■竹井みどり・・・映画『ミナミの帝王』で矢吹麻子の会話

■十朱幸代・・・「いってらっしゃい」のみ

■浜木綿子

■矢井田瞳

■KEIKO(globe)

■渡辺美里

■加藤みどり・・・大改造!!劇的ビフォーアフターのナレーション

■『平成教育委員会』、並びに『熱血!平成教育学院』の「天の声」=ナレーションの平野文(「○○君の答え」などの真似)

■ニワトリ

■山口百恵

■桜田淳子

■ドアが閉まって発車するバス

■ユンソナ・・・大笑いする時の真似

■中山美穂・・・『毎度おさわがせします』の時の「トオル、オレの部屋でレコードでも聞かないかっ?」というセリフ

■小柳ルミ子・・・記者会見時、大澄賢也の事に触れられた時の「その質問、聞こえませ〜ん」という発言

■工藤静香

■ラジオのDJ『チャーチャ』

■都はるみ

■南野陽子


【略歴】
少女時代、歌手を夢見て地元の数々のカラオケ大会に出場。14歳の時、全国ジュニア歌謡選抜全国大会準優勝の経験もある。

大学時代から『とにかく愛媛5:00』(テレビ愛媛)のレポーター、『特盛鴻上丼』(あいテレビ)のアシスタントなどとして活躍。一時期は多くのレギュラー番組やCMを抱える「愛媛のスター」となるが、お笑い好きの血が騒いだのか、VTRでお笑い演出に走りすぎたため、やがて地元の視聴者やテレビ局スタッフから「不真面目だ」と総スカンを食らい、レポーターの仕事を降ろされてしまう。大学卒業の前後には、地元の愛媛県内で、実際に旅館の仲居さんをしていた事もある。

地元でのレポーターの座を追われてしまったが、芸能界の夢を捨てきれず2000年8月に大阪に移り、吉本興業の若手タレント養成所・NSCに入学(23期生)する。この頃、通天閣のエレベーターガールのアルバイトをしながら大阪のおばちゃん達の生態を徹底研究。

2001年3月、NSC卒業。以後baseよしもとを中心に活動するも鳴かず飛ばず。 この頃、関西ローカル「吉本超合金F」で自室をガサ入れされ私服のセンスがない事をバラされる。これを見たFUJIWARA原西孝幸は「うわっ、オレのオカンと同じセンスや!」「彼女がデートに着てきたらビリー破るで!」などと酷評。又、「イカせてSEX中毒素人娘」なる秘蔵AVを発見・その場で再生され、藤本敏史に「友近、お前いきなり3Pやないか!」とつっこまれる(30秒後、実は4Pだったことが発覚し「友近、お前3Pや思たら4Pやないか!」と更につっこまれる)。

2002年、ピン芸人NO.1を決める「R-1ぐらんぷり2002」でファイナル進出。2003年、第33回NHK上方漫才コンテストで優秀賞、NHK新人演芸大賞で大賞をそれぞれ受賞。徐々に世間に認知され始め全国区タレントへ。

「爆笑問題のバク天!」(TBS)に出演。主に「恐怖のバク天芸人」「パラパラ日本昔ばなし」などのコーナーを担当。2006年1月21日の放送では「完全メイド宣言」に一日メンバーとして入団した。

2004年1月、第25回ABCお笑い新人グランプリ優秀新人賞受賞。同年7月、ラジオ「ゴーゴーモンキーズ」(毎日放送)の企画としてビキニ水着やレースクィーン、チアガールなどのコスプレ写真撮影会が実施された。(関連記事)

2006年11月19日、MBSゴチャ・まぜっ!の企画による第2回友近ビキニ撮影会が開催された。

2006年12月20日、なるトモ!で、かねてから噂のあったなだぎ武(ザ・プラン9)との交際を認める。これを逆手に取り、なだぎと友近は2人で「ディラン&キャサリン」(ビバリーヒルズ高校白書のパロディー)としてTV出演・舞台公演を行っている。ただしキャサリンという人物はビバリーヒルズ高校白書シリーズには登場しておらず、アメリカドラマに登場するステレオタイプな女性を演じているに過ぎない。 2007年2月28日、なるトモ!で「抱かれたい芸人ランキング」でなだぎ武が一位なのに対し「誰にも抱かせませ〜ん」という発言をしている。

ちなみに、2007年5月14日のフジテレビ・笑っていいともの目指せぴったり21というコーナーには「ディラン&キャサリン」として出演し、次のドカンワードのコーナーにはカツラ等を外し友近&なだぎ武として出演した。

(出典:Wikipedia)

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ハリセンボン エピソード&プロフィール

ハリセンボンは、吉本興業東京本社所属の女性お笑いコンビ。東京NSC9期生。2003年結成。略称「ハリセン」。

実年齢とはかけ離れているおばちゃん顔が2人の特徴。


【メンバー】
■箕輪はるか(みのわ はるか、1980年1月1日-)
東京都北区出身
早稲田大学第二文学部卒業。ちなみに2006年8月23日放送の『ワンナイR&R』にて、奨学金と自分で稼いだアルバイト代のみで卒業したことが明らかになった。
高校時代、バドミントンで都大会ベスト16になったことがある。
趣味はサッカーと剣玉とミニカー<トミカ>集め。
けん玉1級。図書館司書の資格を持つ。
あだ名は死神。歯が特徴で、前歯のうち一本の神経が死んでいる。
身長160cm、体重45kg。
血液型A型。

■近藤春菜(こんどう はるな、1983年2月23日-)
通称「春菜」(はるかと同じく先輩にそう呼ばれる)
東京都葛飾区出身。
国本女子高等学校、桐朋学園大学短期大学部(現・桐朋学園芸術短期大学)卒業。
趣味は音楽鑑賞とインターネット。
身長155cm、体重65kg。
血液型A型。


【略歴】
■吉本興業所属の若手芸人ユニット「劇団ガッツ」を結成。メンバーはハリセンボンの2人の他にミルククラウン・犬の心・グランジ・もう中学生。

■2005年、TBSテレビの芸人オーディション番組「ゲンセキ」にて、1年後輩のオリエンタルラジオらと共にコント番組「10カラット」のメンバーに選抜される。

■「10カラット」をきっかけに2006年からブレークし、様々なテレビ番組に出演。週刊誌「フラッシュ」では『久々に現れた大型女性コンビ』と評されるなど、森三中ら女性芸人を脅かす存在となった。近頃はレギュラー番組も増えてきて、いわゆる「売れっ子」の仲間入りを果たした。

■2007年3月7日にシングル「ともだちのうた」を発売しR and CからCDデビュー。「吉本のPUFFY」を目指している。オリコン最高195位。発売3週間の売上がわずか400枚であることが「オールスター感謝祭」(2007年3月31日放送)で出題されたことで明らかになった。


【エピソード】
■箕輪はるか
・通称「はるか」。

・アンガールズの山根良顕に似ていて、テレビに出演し始めた頃は女版山根良顕と言われていた。

・相方の春菜には「しゃれこうべ」などと呼ばれることがある。

・水道メーターの検針員のアルバイト経験がある。不審者と間違えられたことがある。

・『Goro's Bar』の企画で、整形外科医に「とんでもない原石」とコメントされた。

・初キスは2006年5月15日放送『アメトーク』のイケメンディレクターと。

・大学時代に友達が一人も出来なかったので、性格を明るくするために芸人を志した。

・前歯の一本が黒ずんでいるのは、前歯の神経が死んでいるから。(小学生の頃に道に転がってた鉄パイプに乗って転がして遊んでたら、顔面からこけて前歯の神経が死んだらしい。)

・前歯だけでなく奥歯も虫歯による欠損が多く、唐揚げを一個食べるのに1時間を要すほど咀嚼に時間がかかる。

・スレンダーでスタイルが良く、2006年8月3日放送『うたばん』では倖田來未のメイク指南により美人に変身した。その時の本人の発言→「女って綺麗じゃなきゃ意味無いし」

・エジプトの壁画の女性のものまねをする。フィフィにも似ている。
口元を隠すと堀北真希に似ていると言われるらしい。

・大喜利系に強く、『ダイナマイト関西』では女性初の決勝進出者となった。女性初の優勝も期待されている。

・2007年1月2日放送の『芸能人格付けチェックこれぞ真の一流品だ!!'07お正月スペシャル!』内、本職の映画監督と素人が製作した作品を見極めるという主旨の問題で、素人側として短編作品を製作。本職の方は阪本順治が監督したものだったが、多くの出演者が箕輪の作品を選び、彼女のクリエイターとしての才能を窺わせる結果となった。

・母は看護婦。幼少時代から母の仕事の都合上一人で過ごすことが多く剣玉をやっていた結果、とても剣玉がうまくなった。いまでも剣玉は良くやる。

●箕輪の入国審査トラブル
・番組の企画でアメリカに行った時、春菜やスタッフは通過できたがはるかが入国審査に引っかかり、取り調べを受けた。空港側には「日本人に見えない」「職業は何だ」と疑われていた。

・春菜が近づいてみると、空港側が「Are you Mexican?(あなたはメキシコ人ですか?)」とはるかに聞いていた。はるかはそれに対し「私は日本人です」と言うつもりで「I'm Japan!(=私は日本だ!)」と言ってしまった。さらに職業を聞かれ「Picture (写真です)」(これは本人曰く「人に見られる仕事だということを言いたかった」)。しかし当然のごとく理解されず、それどころか取調室へ連行されてしまった。

・取調室では日本語を少し話せる女性職員が出てきて「本当の事言わないとあなた二度と日本に帰れないよ!」と空港中に響き渡るほど声を荒げたという。挙句の果てに、女性職員がいたにも拘らず男性職員がはるかボディチェックし始め、日本人女性であるのにメキシコ人男性と思われていたことが発覚。本人は「もう二度とアメリカに行きたくない」と言っていた。

・2007年1月25日のダウンタウンDXと1月26日のライオンのごきげんようでこのことについて語っていた。


■近藤春菜
・顔はおろか、喋り方もおばちゃんそのものである。持ちギャグは「じゃかぁしいわ」(「誰々(主に角野卓造か彼に関わるフレーズ、「角野卓造じゃねぇよ!!」は鉄板ネタ。)さんですか?」と聞かれたあとに)「〜じゃねぇよ!」。まだ24歳だが実年齢よりかなり老けて見られるため30代と思われる事も多い。

・中学時代はバスケットボール部に所属していた。

・相方とは対照的に食べるのが早い。また、食事中に邪魔されることを極端に嫌うらしい。

・初キスは2005年12月6日、ヨシモト∞の生放送中の罰ゲームで。相手はリットン調査団の水野透。後日彼女はこの時のことを「ビジネスキス」と呼んでいる。

・2006年4月以降、『ロンドンハーツ』では「同じ言葉を返すだけで面白い」として注目されている。

・クイズプレゼンバラエティー Qさま!!の企画・10m高飛び込みでは、2時間悩んだ末リタイアした(女性チャレンジャーのリタイアは番組史上初。男性を含めるとロバート・馬場裕之、スピードワゴン・小沢一敬に次いで3人目)。その後「誰もやったことないことだからいいじゃないですか!」と逆ギレし、進行のアンタッチャブル・柴田英嗣にプールに落とされた。

・父親は警察官。

・グアムで「スモウレスラー?」と聞かれたことがある。

・また春菜、はるか共に二人とも嵐の二宮和也がタイプらしく、「嵐の宿題くん」ではるかは妄想デートを楽しんだ。


【ものまね】
■箕輪
死神
エジプトの壁画の女性
山根良顕

■近藤
角野卓造
仲本工事
カンニング竹山(竹山自身も近藤の顔を見て「他人とは思えない」と言うほど似ている。ちなみに二人はメガネの度も一緒だそうである。)
サンボマスター(山口隆)
マイケル・ムーア
吉村作治
古田敦也(東京ヤクルトスワローズ)

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070623-00000001-oric-ent

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川村ゆきえ エピソード&プロフィール

川村ゆきえ(かわむら ゆきえ、1986年1月23日 - )は北海道出身のグラビアアイドル、タレント、女優。血液型O型。本名は川村雪絵。ジャパンアート所属(タレント・モデル事務所のケイポイントとマネージメント提携)。


【プロフィール】
愛称: ゆっきー
生年月日: 1986年1月23日
現年齢: 21歳
出身地: 日本・北海道
公称サイズ(2006年時点)
身長 / 体重: 158 cm / 48 kg
BMI: 19.2(普通体重)
スリーサイズ: 87 - 59 - 87 cm
ブラのサイズ: E
靴のサイズ: 24 cm


【来歴】
北海道小樽市生まれで、神奈川県横浜市を経て、千葉県で育つ。[1]2003年に芸能界デビューし、週刊ヤングジャンプ・制コレ2003で準グランプリを受賞。清純さをイメージさせる顔立ちとグラマーな体型により人気を博し、雑誌のグラビア、写真集、DVDなどに多数出演。

グラビアアイドルのトップを走っていた[2]2005年、ラグスタープロモーションから10-POINTへ所属事務所を移籍するが、その後、芸能活動を1年余りにわたって停止した。理由については具体的に公表されていないが、移籍をめぐる両事務所間の法的なトラブルを指摘する報道もあった。

2006年7月に株式会社ジャパン・アート内プロダクションJへと所属事務所を移籍し、活動を再開。同年12月には映画『気球クラブ、その後』で女優デビューし、2007年4月より放映が開始された連続テレビ小説『どんど晴れ』(NHK)で初の連続ドラマ出演を果たした。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070623-00000136-sph-ent

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矢部浩之 エピソード&プロフィール

矢部 浩之(やべ ひろゆき、1971年10月23日 - )は、日本のお笑い芸人。漫才コンビ「ナインティナイン」のツッコミ担当である。相方は岡村隆史。大阪府吹田市出身。吉本興業所属。最新の健康診断によると、身長173.2cm、体重58.1kg。独身。

愛称は「やべっち」、「ベーヤン」(堀内孝雄の愛称と同じだが、こちらは矢部から)、「ヒロくん」、「一郎(「花嫁は厄年ッ!」の役名)」。相方・岡村隆史からは以前は「矢部」だったが、最近は「矢部さん」や「相方」と呼ばれている。(高校時代は「矢部ジュニ」(岡村ほか高校時代の先輩から)、「信雄」)

実兄は元・お笑いコンビ「ちゃんねるず」のメンバーでファンタスタープロモーション代表取締役社長の矢部美幸(よしゆき)である。


【人物・来歴】
■小学生4年の時にサッカーを始める。当時の夢は、ヤンマーディーゼルサッカー部(現セレッソ大阪)に入団する事か、動物園のオオカミの飼育員であった。サッカーの腕前は本物らしく『めちゃイケ』においていくつかの大学からの誘いがあったことが明らかにされた。吉本博物館には『サッカー地区選抜』のセレクションに挑んだが周りのレベルの高さを知り、挫折したと紹介されている。

■吉本印天然素材時代、メンバーの中で一番の問題児であり、稽古中いつもふざけていた。夏まゆみ先生に「ちゃんとやってよ」と怒られ、逆ギレした矢部は「お前のためにやってんちゃうねん。ボケ。」と悪態を吐き、彼女を泣かせてしまった。

■吉本印天然素材時代は目立たない存在で、ボケもツッコミも上手くできず、いじられキャラだったという。

■その後ナインティナインがブレークするに従い、若手随一の「仕切り」の名手となり現在に至る。

■勉強は不得手で、大学受験に失敗し進学を諦めてお笑い芸人の道を選んだという経緯がある。「めちゃ×2イケてるッ!」のテスト企画では、常に最下位から数えて3番目。このため、同番組ではことあるごとに「プッチバカ」「御三家」等と言われている。特に英語が苦手とされ、それを示す具体例として、国際線の機内で機内食の希望について『肉か魚か』と英語で質問され、矢部は『鮭(salmon)』を頼むつもりで『Japanese shake(シャケ)』と答えたため、意図と全く無関係な『日本酒(sake)』を出され、訂正することもできずに仕方なくその日本酒を飲み、同行していた周囲のスタッフらから不思議な目で見られた、というエピソードが相方から度々紹介されている。

■後輩の芸人たちに対して面倒見のいい親分肌であり、羽振り良く食事に連れて行くことが多い。後輩たちからは「兄様(にいさま)」と呼ばれ慕われている。矢部が主催する芸人の飲み会は「矢部会」と言われる。矢部会のメンバーは原口あきまさ、アンバランスの2人、元おはよう。の2人、品川庄司の2人など。

■「ホアッ」という明石家さんまのような笑い方(引き笑い)をする。

■一時はテレビのバラエティ番組で落とし穴に落ちる芸が多かった。

■爪を噛む癖があり、手を口の前に持ってきたまま笑っている姿がよく見られる。また、甲高い笑い声が特徴的で、よくものまねの対象になる(原口あきまさ、山口智充ら。また、岡村に対する「岡村っさ〜ん」という呼びかけもよくものまねされる)。

■以前は高校の先輩である岡村に対し敬語で喋っていたが(「岡村さん」という呼び方もその名残である)、先輩芸人からのアドバイスを受け、タメ口にした。しかし、高校時代の思い出話になると途端に敬語に戻ってしまう事をタモリに突っ込まれていた。

■髪の色を茶色に染めているが、これは若白髪で白髪染めを使用しているためである。また以前は八重歯があったが、差し歯にし歯列矯正を行なった。

■自身のラジオ番組では、時期外れの映画の話題作を賞賛したり、突然「落ち武者を見たことがある」「俺は身体が柔らかい」「俺ソーセージは焼かなあかんのよ」などと口走るなど、奇妙な言動をしては相方やリスナーたちにからかわれている。

■大のサザンオールスターズファンで、好きな曲は「マンピーのG★SPOT」。カラオケでは最後に桑田佳祐のモノマネをしながら「旅姿六人衆」を歌うらしい。

■好きなファッションブランドは 「Number(N)ine」「SOPH.」「HYSTERIC GLAMOUR」など。相方・岡村隆史からは「ステューシーさん」「ポロラルフローレン君」「ローレックス」「吉本のブラピ」 「ヒステリックグラマー」などとネタにされている。

■映画『メッセンジャー』(ホイチョイプロダクション)で平成11年(1999年)第23回日本アカデミー賞 話題賞(俳優部門)を受賞。

■ラジオ『ナインティナインのオールナイトニッポン』のコーナー「矢部浩之のどりちんクラブ」では青少年の悩みを聞いて真剣に答えている。得意な体位は「立ちバック」。

■2006年7月から9月まで放送されたドラマ『花嫁は厄年ッ!』でドラマでは仲の悪い親子役だったが、母・安土幸恵役を演じていた岩下志麻とメル友になり、2007年のバレンタインデーにチョコメールをもらった。

■「第2の石原裕次郎オーディション」の書類審査を突破したことがある。

■布施明や錦野旦と同じ美容室に通っている。布施には「ドラマで共演している篠原涼子と仲良くなれない」などと漏らしていた、と暴露された(「めちゃイケ」2007年1月20日放送)。

■約15年交際していた女性(一般に「ひとみちゃん」と言われる)がいたが、未だ結婚していない事を他の芸人や岡村に度々いじられてきた。一方で合コンで女性をお持ち帰りする現場などが写真週刊誌に度々報道された。2007年6月に破局し、その記者会見を6月20日に開いた(「めちゃイケ」の収録を兼ねて)。破局の原因は、矢部曰く「プロポーズしたが、遅すぎた」とのこと。

■好きな食べ物は納豆。

■嫌いな食べ物はきのこ(「ぐるぐるナインティナイン」の企画で毒キノコを食べさせられたのが原因)。「ぐるぐるナインティナイン」の企画で「催眠術できのこ克服」というのをやり、見事えのきを食べていたが、のちに「かかったフリをしていた」ことを『オールナイトニッポン』で暴露。

■岡村よりもピンの仕事が多いが、それをうらやむ岡村に対して気を使うそぶりは見せない。しかし逆に岡村のピンの仕事の話が出ると人一倍うらやむような発言をしている。


【プロフィール】
■兄・美幸(当時・高2)が相方・岡村隆史(当時・高1)を自宅へ連れてきた際に知り合う(当時・中3)。その後大阪府立茨木西高等学校に進学し、サッカー部に入部。岡村と先輩後輩の間柄となる。

■14歳下の弟がおり、矢部が出演する番組にしばしば登場する。2006年11月18日放送の『めちゃ²イケてるッ!』では、兄・美幸と出演し、何も知らされていなかった浩之を驚かせた。

■自宅は港区・六本木ヒルズ内の高級マンションであり、いわゆるヒルズ族。

■愛車はメルセデス・ベンツ E55AMG(桃)。その前はピンクのポルシェ(ひとみちゃんとのツーショットをスクープされたのはこの車に乗車中である)やボルボにも乗っていた。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070623-00000007-sanspo-ent

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川島なお美 エピソード&プロフィール

川島 なお美(かわしま なおみ、1960年11月10日 - )は、日本の女優、タレント。 愛知県守山市(現・名古屋市守山区)出身。身長158cm。血液型AB型。 愛知県立中村高等学校卒業、青山学院大学文学部第二部英米文学科卒。


【来歴・人物】
■夜間大生時代に芸能界にデビュー。当時カンニング事件で週刊誌ネタとなる。そのうえ「カンニングなんてみんなしている」とラジオ出演時に開き直り顰蹙を買う。

■文化放送がセイ!ヤングの後番組として、1981年10月からスタートさせたミスDJリクエストパレードの初代DJに抜擢される。これにより、深夜の顔となるが彼女の人気により裏番組であるTBSラジオのパックインミュージックが1982年7月限りで打ち切りに追いやられる。そのため直前頃には永六輔から彼女の真裏の時間に出演されるという形で嫌がらせを受けてしまった。その影響から今でも永の名前を出すのを憚るほど苦手としている。(※ 永は前番組時代にも(裏番組の)レギュラーを持つか、聴取率低迷期に出演して嫌がらせをしている。)

■1982年に『お笑いマンガ道場』のレギュラーを獲得し、「だん吉・なお美のおまけコーナー」で大ブレークするが、本人は一時この出演歴に触れられるのを嫌がっていた。その理由として、お見合いのときに高飛車な態度を取ったため、相手から「『お笑いマンガ道場』に出ていたくせに」と言われたことがトラウマになっていたという説があるが、真相は定かではない。インタビューは、『お笑いマンガ道場』の話をしないことを条件に引き受けていたという。近年では心境の変化があったのか、『ろみひー』に出演した際、同番組がマンガ道場と同じスタジオで収録されていたことから、懐かしいという話を自分からする等、出演当時の話題にも徐々に触れるようになった。

■キャンパス・クィーンのイメージがいつまでも抜けず、同世代の人間からは人気者だが出る番組は限られた感じで(実際休息期間もある)不遇な時代が長く、現在の様に広い世代で知名度が上がるまでにかなりの時間を要するが、1997年『失楽園』(TV版)主演で、現在の地位を確立した。

■30代にしてヘアヌード写真集『WOMAN』で復活。裸体も辞さないセクシーな女優として知られるようになった。ヘアヌード黎明期に出版され大ヒットを記録した当作品は、後発のヌード写真集にも大きな影響を与えたと言っても過言ではない。

■『おしゃれカンケイ』にゲスト出演した際、通常スタジオの観客は番組スポンサーの方針で女性と決められているが、川島が出演する回に限り、観客は男性に限られた。

■ワインと犬(ダックスフント)と葉巻をこよなく愛する。ワインブーム時には、ワインタレントとしても活躍した。川島が飼っている犬の名前は「シナモン」と「ココナッツ」。

■ワインタレントとして活躍中、エスカレーターで転倒し足に縫うほどの怪我を負った事がある。

■1989年、京都府内で『水戸黄門』の撮影中にロケバスが川底に転落。第七頚椎の骨折という全治三ヶ月の重傷を負った。

■なお、カラオケのバック映像に、川島なお美と思われる女性が出演している作品が多数存在するが、真偽は不明。カラオケ好きでよくよく話題になる。

■本人曰く、女優の松嶋菜々子、酒井法子と友達だと言う。

■プロ野球で好きな球団は中日ドラゴンズ。

■実家は地元では有名な病院という噂もあったが、実父は元簡易裁判所判事である。

■料理は非常に得意で、テレビ朝日系『愛のエプロン』では出演の度に高評価を得ている。

■自身のHPで、腹違いの14歳年上の姉がいたことを公表した。生後すぐに生き別れており、2006年に46年ぶりの再会を果たした、とのこと。


●発言
■私の体はワインで出来ている。

■私の血はワインが流れている。

■私の出発点はお笑いマンガ道場である。


【略歴】
■1979年 - 歌手デビュー。

■1981年 - 『ミスDJリクエストパレード』に、DJとして出演。

■1982年 - 『お笑いマンガ道場』にレギュラー出演(長期間レギュラーであったにもかかわらず、公式サイトには出演歴として記載がない)。

■1999年 - 日本ソムリエ協会ワインエキスパート資格取得。

■2001年 - 日本ソムリエ協会名誉ソムリエ)

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070618-00000902-san-soci

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本上まなみ エピソード&プロフィール

本上 まなみ(ほんじょう まなみ、1975年5月1日 - )は、日本のタレント・女優。本名:沢田まなみ(旧姓:本上)。公式ニックネームはほんじょ。


【人物】
■身長168cm、足のサイズ26cm。血液型はB型。

■山形県鶴岡市生まれで、大阪府茨木市育ち(なおプロフィール上では東京生まれの大阪育ち扱いをされているケースが多い)。

■4歳から20年間大阪府と兵庫県で過ごし、その後は東京都在住。

■茨木市立東中学校→大阪府立高槻北高等学校出身。池坊短期大学卒業。

■特技は足指ジャンケン(両足ともパーができる)。

■近視であり、普段は眼鏡をかけている。

■カメラ、写真が趣味。

■虫がとにかく大好きで、昆虫図鑑も数冊所有している。


【経歴】
■学生時代にはモデルとして活動していた。('92年の大阪ガスの広告など。)

■1993年7月、フジテレビ系ドラマ『じゃじゃ馬ならし』秋野リカ役で本格的にデビュー。

■1995年にユニチカサマーキャンペーンガールに起用され、グラビアアイドルとして本格的に活動を始める。

■1995年、当時の日本テレビ系列深夜枠の30分番組だった「鉄腕!DASH!!」(後の「ザ!鉄腕!DASH!!」)に、一時期出演していた。

■その後『爽健美茶』『NTT DoCoMo関西』他多数のCMに出演して本格的にブレイクする。『癒し系』という言葉の先駆け的存在ともいわれている。

■1998年10月7日、フジテレビ『笑っていいとも!』テレホン・ショッキングのコーナーに初出演。以降、テレビ番組・テレビドラマに出演する一方、エッセイストとしても活躍している。

■2002年12月に、18歳年上の雑誌編集者である沢田康彦と結婚した。なお、沢田は短歌グループ「猫又」を主宰しており、本上も「鶯まなみ」というペンネームで「猫又」の雑誌に投稿していたこともある。

■NHK教育テレビ(日本放送協会)放映の『トップランナー』司会者(第3代・第4代)、BS日テレ(日本テレビ)放映の『トラベリックス〜世界体感旅行〜』のナレーター役、『ザ・ベストハウス123』のレギュラー司会を担当。産休中は各レギュラー番組に代役が立てられた。

■2006年8月、自身のホームページ上で第一子妊娠を公表。同年12月29日、2600グラムの女児を出産。

(出典:Wikipedia)

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上岡龍太郎 エピソード&プロフィール

上岡 龍太郎(かみおか りゅうたろう、本名:小林 龍太郎、1942年3月20日 - )は日本の元漫才師・タレントである。旧芸名は横山パンチ、伊井パンチ。京都市出身、血液型はAB型。現在は芸能界を引退し、一般人。長男は映画監督の小林聖太郎。


【人物】
芸風としては、立て板に水を流したような流暢な口調と、理路整然とした語り、その一方で切れ味鋭い毒舌を吐きつつ、芸人としてバカを演じてオチをつける、というスタイルである。また、司会業に優れ、出演者のボケや主張に対してうまくツッコみつつ、ひとつの作品(仕事)を仕上げていくということができた。西条凡児以来の「知性で笑わせられる芸人」との評がある。

本人による自身の芸評

■「僕は知的だといわれますが、適当なことばっかり言ってるんです。もっと知識のある人が僕を見て、『愛い(うい)やつじゃ』と嗤ってくれればいいんです」
■「僕はしょうもないことはよく覚えてて、大事なところの知識がない。これを僕は『知識のドーナツ化現象』と名付けてます」
「インテリ」「知性的」「理論派」の芸風で人気があり、いわゆる上方お笑いの「コテコテ芸」からは逸脱していた。偏屈で、屁理屈をこねては鋭い毒舌を吐く印象がある一方で、言動に一貫性の無い部分もあり、それを洒落と受け止められない人もいたため、関西でも好き嫌いは分かれていた。

番組で自己紹介をする際、「『私が』上岡龍太郎です」と、常に私がを付け、更に強調していたのが特徴であった(ちなみに探偵!ナイトスクープの現局長の西田敏行もこれを踏襲して「私が局長の西田敏行です」と自己紹介している)。それ以前には、「芸は一流、人気は二流、ギャラは三流。恵まれない天才、上岡龍太郎です」と自己紹介をしていた時期もあった。この変遷は、後の東京進出によりギャラが一流になってしまったため、もう「ギャラが三流」とはいえないと本人が判断したことによる(EXテレビ内での発言)。

横山ノックは上岡より10歳年長であり、上岡の師匠だと思われがちだが、実際は師弟関係ではなく、漫画トリオ(1959年〜68年)結成時からの仲間である。ただし、漫才や演芸については知識はあっても素人だったため、特にツッコミの入れ方でノックから厳しく指導された。ネタの構成等で上岡のセンスが必要でノックから声をかけられた。ノックのわがまま(参院選出馬)で解散となり、吉本にも戻れず干された時期があっただけに、ノックに対しては愛憎ともにあるといったところである。上岡曰く、ノックは自分の一番弟子(二番弟子が板東英二。もちろん、師弟関係ではない。正式な弟子は後述)。

売れ初めのころは自分のことの出た新聞・雑誌の記事をスクラップしていたが、たまたま見つけたノックが「そういうのはちゃんと残してくれる人が出てくるよ」と注意されたことに感動し、「残してもらえる芸人になろう」と発起したという。

夫人はパンチ時代のファンである。上岡に集まってきたファンの中から感ずるところがあり、「君は将来、ぼくと結婚する」と口説き続けていたと言う。当時、夫人はまだ中学生(上岡とは7歳年下)であり、それを知った笑福亭鶴瓶からは、「あんた犯罪者や」と突っ込まれた(上岡夫人に関しては、テレビ番組で一度だけ、自宅で後姿が写った写真が公開された事や横山ノックのお通夜へ上岡と一緒に参列した時に報道陣から車で去っていく写真を撮られたことがある)。

女性にはよくもてた。「囁けばみんな落ちる」と言われていた。これは、女性を左耳から囁けば右脳が反応し恋に落ちやすくなるという話を聞き、実践していたからだと言われている。黒柳徹子が徹子の部屋でやってほしい、と振ったことがあるが、これは理屈を並べて断った。

落語立川流の門下(Bコース)でもある。立川流での芸名は上岡自身が大ファンでもある市川右太衛門にちなみ立川右太衛門。また、上方お笑い大賞の大賞を受賞したときの授賞式のプレゼンターとして市川右太衛門が登場し、大感激の授賞式となった(市川右太衛門がプレゼンターでなければ断っていた、とは本人の話。もともとが賞嫌い)。

様式美を好むところがあり、前述の市川右太衛門のように、様式美の中で心躍らされるチャンバラ映画を深く愛している。そのため、リアルさを出していった黒澤明を非難し、黒澤以降の近年の映画のほとんどには否定的である。また、松竹新喜劇にも強い敬意を払い、「変化座」構想を練り上げ、気の合う仲間たちと引退前の数年、新喜劇興行を行った(藤山寛美自身の賛同も得、寛美本人の演出も予定されていたが《演目は「愚兄愚弟」》、これは寛美の急逝のため、実現しなかった)。

九州王朝説=邪馬台国とは九州の邪馬'壱'国《小国》説の熱心な支持者としても知られる。

仕事以外では非常におとなしく、紳士然とし、後輩には優しいらしい。そのために芸人仲間や後輩の人望を集めているのだが、一方で、芸にはかなり厳しく、気に入らないことや人物に対しては本人の前だろうが、公衆の面前であろうが、カメラの前であろうが、本番中であろうが、容赦なくいじり倒した。これが「毒舌」と呼ばれ、人気も出たのだが、反面、敵が多かったのも事実である。

「某県は盗人が多い」「某県はほら吹きが多い」「(京都市の区のうち)某区は京都と認めない」など、一定の地域をステレオタイプ的に揶揄したりすることがあり(しゃれ、芸風だが)、真に受けた県議や知事らに抗議されたこともある(マスコミが煽ったきらいやこの件が引退のきっかけになったのではないのかとの説もある)。

眼鏡を掛けていないときの顔がミッキーマウスに似ており、また、眼鏡を掛けたときの風貌が横山やすしに似ていた為、「理性ある横山やすし」と比喩されたこともある。


●東京進出
関西では長い間人気芸人であったが、東京を含め全国的には知名度は低かった。1990年代以前にもラジオや、テレビ番組「ラブアタック!」などの全国ネット番組に出演していたが、お笑い芸人としての人気は皆無に等しいほどであった。その時期に、ノックからの紹介で「笑っていいとも!」に出演したことがあるが、キャラをつけなければと思ったのか、テンガロンハットをかぶりカントリー&ウエスタンを歌う姿にタモリも観客も戸惑うばかりだった。上岡もずっと「東京が嫌い。東京では仕事をしません」「全国ネットでやってる笑いは程度が低い。僕がアホに合わせる必要はない」と公言していた。1987年に朝の連続ドラマ「見上げればいつも青空」に出演、甲斐智枝美扮する主人公が若いころに勤めていた美容室の店長の役柄で、おかま口調の関西弁を使って好演したことをきっかけに、東京だけではなく全国での知名度が徐々に上がっていく。関西で人気深夜番組だった「鶴瓶上岡パペポTV」が1988年から東京で放送されるようになると、「鶴瓶の横にいるあの芸人はだれだ」と関心を集めるようになり、一気にブレイクした。

東京で仕事をするようになると、これまで「東京は嫌い」と言っていたことからその一貫性のない言動に反感を覚える人もいた。上岡が東京でのギャラについて、「びっくりしました。東京と大阪じゃギャランティの明細の額がゼロ3つ違うんですわ」と当時吉本興業取締役だった林裕章(後に社長・会長、故人)に言ったのは有名な話である。ギャグとして「(全国ネットの視聴者も)やっと僕の笑いが分かるようになった」とうそぶいていた。


●マラソン
かつては、テレビで堂々と「僕はゴルフはやりません」と公言しながら現在ゴルフを楽しんだり、「マラソンなんかしません」と言いながらマウイマラソンに参加している(95年の25回大会から冠スポンサーに。2006年10月現在でも、上岡の功績は大会HPで讃えられている)。ゴルフは番組で「番組でホールインワンをしたので、プロゴルファーになる」と発言、芸能界引退後にアメリカへ単身ゴルフ留学した。1995年には豪州のゴールドコーストにも挑戦しており、この時には一般ランナーの壁とも言える、4時間以内のタイムを大幅に上回り、3時間48分25秒で走破した。また、マラソン熱が高じてサロマ湖100kmマラソンのようなウルトラマラソンにも挑戦し完走している。「オールスター感謝祭」の「赤坂5丁目ミニマラソン」ランナーの常連、またはハンデキャッパーでもあった。

ゴルフやマラソンを始めるなど考えが変わったことについては、やしきたかじんが「東京進出で収入に余裕が出来たのでは」と分析、実際にいずれも東京進出後に始めている。


●阪神タイガース
かつては大の阪神ファンで、自称「金は出さぬが口は出す、阪神タイガース陰のオーナー」として、長期にわたって独特の視点で応援し続けた。だが、広澤克実の阪神入団が決まった際に、球団が背番号31(元ミスタータイガース掛布雅之の付けていた番号)を与えたことに激怒し、「陰のオーナー辞めます」と宣言し阪神ファンを“廃業”した。それ以後は近鉄を応援するようになり、「大阪市長選挙に出馬して当選したら大阪市で近鉄を買い取る」と嘘とも本当とも取れる発言をたびたびしていた。


●オカルト嫌いによる騒動
短気で妥協を許さない一面があり、番組出演中に納得がいかないことがあれば番組を途中で降りたり、役割を忘れることがあった。特に心霊モノや霊媒師・超能力・オカルト現象などを採り上げると、この傾向は顕著に出た。

その背景には、上岡の実体験が大きく影響している。上岡の実母が乳ガンにかかった際、霊媒師・占い師などが詰め掛けて食い物にしようとしたことを目の当たりにしたため、上岡は心霊モノを嫌うようになった。

(占い師銀座ジプシーの著書では、「ある占い師が夫人に『あなたのご主人は浮気しています』と吹き込んだから」とも書かれている)

■朝日放送「探偵!ナイトスクープ」で心霊モノが取り上げられたとき、激怒して収録を途中で放棄して帰宅する。その際「テレビという科学的なものが霊媒師や霊を証明もしないのにさもあるかのように表現してはいけない。霊媒師も証明しないのだから、『「自称」霊媒師』と表現するべきだ」と語っている。

■「上岡龍太郎にはダマされないぞ」では司会の役割を半ば忘れ、同じ心霊モノ否定派の大槻義彦、大竹まことと共に、織田無道と乱闘寸前になった。そのため、ゲストコメンテーターだったデーモン小暮閣下が各々の意見を冷静に取りまとめつつ番組進行としての調整を行ったほどであった。

■ユリ・ゲラーの超能力にも懐疑的であった。ゲラーと共演していた際、初めは興奮を抑えつつ応対をしていたが、ゲラーが超能力について語りだすと上岡は次第に興奮し、矢継ぎ早に「今すぐこのカメラを壊してください、今すぐに!」とゲラーに激昂した。その激昂ぶりに驚いたゲラーは「こんな否定的なことに能力を使いたくない」とコメント、収録を途中で放棄した。その模様もカットされずにそのまま放送された。その番組の後半でゲラーが帰ったのは自分(上岡)が興奮したからと自らオチをつけた。

■Mr.マリックがなかば超能力者的に売り出されたころ、過去のマリックの姿勢を引き合いに出して、強烈な批判を加えた。後にマリック自身が「超能力的に見えるマジックである」という姿勢に戻ったため、和気あいあいと共演するようになった。

■泉アツノが白蛇占いでブレイクしたときには、「この間までお茶子やってた奴が、なぜ突然霊が見えるようになったんや」と非難した。

■ラジオ番組で、共演した占い師の顔に「×」の文字を書いた。占い師なら×を書かれるのは予見できるはず、という考えからそういった行動を起こした。(後にEXテレビでも同様のことをし、このときは視聴者に顔を向ける形で謝罪をした)

■ほかにもEXテレビでは「超能力選手権」という企画を語る際、「厚さ1メートルのコンクリートの壁で取り囲まれたものが何か透視で当ててもらう」という企画を出した。また、上岡に占いを信じさせるためプロの占い師にその仕組みを説明する企画が実施されたが、上岡は科学的・論理的な根拠をとことん求める姿勢に徹した。結局その占い師は「昔の人がそう決めた」という回答しかできず、最後には「あなたにではなく視聴者に説明しているんです」と激昂してしまうことになった。


●政治姿勢
「政治家でない以上、青臭いくらいの立場でいい」とのことで、「左派的」かつ「判官びいき的」姿勢である。90年代前半までは平和:市民を支持していた(ただし、立川談志を深く尊敬するように右傾姿勢の者に対しても議論さえしなければ許容している)。

普段の発言と異なり、翼賛的な風潮があると判断した場合は批判的になる。横山ノックに対しても例外ではなく、ノック2期目出馬の際、ノックではなく日本共産党推薦の対立候補で哲学者の鯵坂真を支持した。その後のセクハラ事件の際も、疑惑発覚当初から現職大阪府知事でもあったノックを正面から批判した(「あれはやっとる」と発言し、府議会でもノックへの質問に取り上げられた。しゃれであった可能性もあるが、明確にはされていない)。

また横山ノックが大阪府知事時代、「大阪市の市長選挙に出馬するのでは?」という噂が流れたように、政界進出の噂もあったが、現在のところ、本人はヤル気ナシのようである(当選してから『勉強します』と言う議員が多く、見苦しいと感じていたため、『勉強してから出馬する』と言っていた時期もあったが、立川談志から『勉強したほうがだめだよ』と言われ、やる気をなくしたようだ)。


●アナウンサー批判
上岡が舌鋒をアナウンサーに向けた時期がある。逸見政孝、徳光和夫などがフリーになり、自分たちのテリトリーであるバラエティ番組の司会をレギュラーとして多く持ち始めた1980年代後半である。「正確な日本語、事実やニュースを伝えるべきアナウンサーが言葉を崩して、芸人たちに向かって口を利くこと」「(司会業はプロでも)突っ込みの素人がバラエティで下手な突っ込みをやる」などについてあからさまな嫌悪を示していた。また逸見に関しては「大阪出身なのに大阪弁を捨てた」と非難した。とはいえ、若手時代に出演していた「底ぬけ脱線ゲーム」の金原二郎などには敬意を持っていたようで、矛盾があり、結局、前述のように議論さえしなければ、和気あいあいと共演した。徳光とは敬称で呼び合い、パペポTVでも徳光に関するエピソードを披露している。逸見に至っては両名の冠で番組も持った。

一方で、讀賣テレビ放送報道局局次長の辛坊治郎には嫌う素振りを見せていた。これはもともと好意が無かったのに加え、讀賣テレビの感謝祭と位置づけた特別番組の1コーナー(元番組はときめきタイムリー)でアナウンサーへの批判を加えた際、辛坊の名を挙げたところ(シャレの要素が強かったようだが)、スタッフに促されて辛坊が登場し、激論に至ってしまったことがある。このとき、辛坊が「会社の命令だから」と言ってしまい、それについて「言論のファッショ」と断じている。また、一説では辛坊がメディアで「正しい日本語」に関する話をした際、「大阪弁は正しい日本語ではない」と発言し、それが日本語の起源などに深いこだわりを持っていた上岡の耳に入ったことが原因と言われている。

これらのエピソードでも見られるように、時折、上岡はタレントという立場を離れて、マスコミへの批判を強烈に加えることが少なくなかった。特に阪神大震災の際にはマスコミの無能、低能を鋭く指摘、「テレビは最早、『道』を失い、『報道』機能を失った」とまで断じた。


●引退
上岡自身は「ボクの芸は21世紀には通用しない」との言葉を残し、2000年3月をもって芸能界を引退する。

引退前は『シニアプロゴルファーになって、戸張捷よりも良い解説をする(選手や解説者であって、タレントではないから)』『ジョギングで桜前線とともに北上し、紅葉前線とともに南下する』『みんなが止めようとしないからやめざるを得ない』と発言していたため、それまでの転向癖もあって、周辺の中には「翻意するのでは」とする向きもあった。だが、現在のところ、一部の著述や発言を除いて、芸能の表舞台に現れてはいない。

また、引退を前にほとんどのレギュラー番組は終了したが、唯一継続した「探偵!ナイトスクープ」(上岡が局長<司会>役)のメインプロデューサー松本修は翻意したときを想定して約8カ月、局長役を空席にしていた(その後、2代目として西田敏行を迎える。まったく異なるカラーへの転換だった)。

ごくまれに横山ノックなど知人の芸能人のパーティーやゴルフ大会などに顔を出すこともある。特に現在でも親交のあるオール巨人のブログには、芸人仲間との宴会・イベントの写真に見切れ出演することがあり、ファンにとって上岡の近況が確認できる貴重な情報源となっている。またやしきたかじんとゴルフを打ちに行っていることも、たかじんが自身の番組などで明かしている。

2002年2月9日に行われた出版記念サイン会では、「今の関西のテレビは上沼恵美子ばかり出ているから、出る気がしない」とテレビ復帰を否定していた。

島田紳助から心の師として尊敬されており、紳助が2004年に暴力事件を起こして謹慎中だったとき真っ先に相談したのが上岡だった。紳助の「僕はこれからどうすればいいのでしょう」との言葉に、「悪いと反省しているなら誠心誠意相手の女性に謝れ。でも自分から『引退する』などとは絶対に言うな。周りのスタッフのことを考えろ」と、引退を決めようとしていた紳助を諭した(後日紳助が会見を開いた際、告白)。

そして、2007年5月3日に亡くなった横山ノックの通夜に参列するため、約7年2カ月ぶりにテレビカメラの前に姿を現わした(青芝フックや月亭八方ら現役芸人と共に会場入り、そしてマイカーで夫人とともに会場を後にするところ)。だがマスコミの質問には終始無言のまま会場を去ったが、会場で大号泣していた。同年6月7日に大阪市内のホテルで開かれた「横山ノックさんを天国に送る会」では、「横山パンチ」の名前で追悼のあいさつを行い、涙ぐみながら感謝の言葉を述べた。その時、記者からのインタビューで、「抗がん剤使ってんの?」「使ってない」「でもハゲてるやん」「もとからやがな」などと見舞いに行った際の会話の内容を吐露した。

2007年6月17日に行われた桂雀々芸能生活30周年記念『雀々十八番』(会場:シアターBRAVA!)最終日のパネルトークに、シークレットゲストで出演した。


●その他
■20歳頃に三代目桂米朝の弟子になろうとしたが、米朝宅で十代目桂小米(のちの二代目枝雀)を見かけ、かなわないと思い、あきらめた。(上岡は枝雀を「幻の兄弟子」として尊敬し続ける。自身が司会の「EXテレビ」にて笑いの理論「緊張の緩和」についてのインタビューを行ったこともある。)

■引退後も米朝一門とは縁が深く、自身のコメントなどの管理窓口を米朝事務所に委託しているほどである。

■ラブアタックで一緒に司会をしていた和田アキ子とは和田の素人時代からの知り合いである。


【経歴】
■父親は、京都で活動を行っていた庶民派弁護士・小林(旧姓・上岡)為太郎。日本共産党公認で衆議院総選挙に出馬したこともある(落選)。母親は厳しく、上岡が10歳の頃に早世したこともあり、あまり記憶にないという。しかし、巨乳であったことだけは覚えている。父への尊敬の念が強いようで、「上岡」を芸名として名乗る。姉が一人、義妹が一人いる。

■小学校時代によく映画(特に時代劇)に触れ、友達とはよく相撲をとっていた。また、この頃から鴨川から春画集(いわゆるエロ本)を拾って、四十八手などについて解説していたらしい。

■他に、美空ひばりのエピソードに倣って、百人一首を覚えたり、露天商の口上を覚えたりと、この時期に吸収したものが彼の芸に存分に発揮されている。

■私立京都西高校(現:京都外大西高等学校)第一期生として卒業。入学時にOTV(現:ABCテレビ)のニュース映像に写っており、「探偵!ナイトスクープ」でも放送された。現在もABCに報道資料映像として保存されている。しかし、立命館大学の受験には失敗している。

■京都でバンドボーイ、ジャズバンドの司会などを経験。

■1959年 ロカビリーバンド「田川元祥&リズムワゴンボーイズ」加入。

■1959年 横山ノックの誘いにより「横山パンチ」の名前で横山フック(初代。後に現在の青芝フックが2代目として加入)と共に漫画トリオを結成。

■1968年 横山ノックの参議院議員選挙出馬により漫画トリオ活動停止。以後、「上岡龍太郎」に改名しピンで活動(同時期に香川登枝緒によって命名された「伊井パンチ」としても活動していた)。当初はほとんど仕事が無く「ホサれていた」時期として有名。(食いつなぐため、作詞などの仕事も請けている)

■70年代、「ノックは無用」「ラブアタック」「花の新婚・カンピューター作戦」などで上岡は関西の司会者として認知される。

■1987年 「鶴瓶上岡パペポTV」開始。翌年から東京圏でも放送。全国的にも注目を受け始める。88年、「探偵!ナイトスクープ」開始。

■90年代には、上岡演劇祭なる小劇場系の演劇賞を主宰していた。九十九一などを見出したとのことだが、小劇団の限界を感じて、手を引いていく。

■2000年4月 惜しまれつつ芸能界を引退。

(出典:Wikipedia)

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徳光和夫 エピソード&プロフィール

徳光 和夫(とくみつ かずお、1941年3月10日(戸籍上、実際は3月3日) - )は、東京都目黒区出身のフリーアナウンサー。SMAエンタテインメント所属。元日本テレビアナウンサー。現在は神奈川県茅ヶ崎市在住。血液型B型。海城高校、立教大学社会学部卒業。


【経歴・人物】
■実際の表記はコ光 和夫(徳が旧字体、初期の『ズームイン!!朝!』のテロップでもこの表記)。次男はタレントの徳光正行。なお、日本テレビ系列局で福島中央テレビアナウンサーの徳光雅英、声優の徳光由禾とは無関係である。

■愛称は徳さん。趣味は野球観戦と駅伝観戦と音楽観賞など。

■戸籍上の生年月日は1941年3月10日だが実際の生年月日は同年3月3日。これは厳格な父・寿雄が、“男児が3月3日、桃の節句の生まれでは格好が悪い”と1週間後の10日生まれにしたと、番組の中で本人が明らかにした。戦時中は福島県田村市に疎開。もともとは落語家志望であった。

■フジテレビも受験したが筆記試験で不合格となり(下記詳述)、日本テレビには縁故入社である(本人談)。

■昭和30年代後半、日本ではハワイアンバンドが全盛を極めていた時期であり、当時大学生だった徳光も立教大でデキシーランドの司会者をやっていた。その時同じく早稲田大学のナレオハワイアンズの専属司会者だった露木茂とはその頃からのライバル関係であり、偶然にも2人はフジテレビの一次(筆記)試験の日に出くわし、一緒に試験を受けている。当然ながら露木は一次通過し、徳光は不合格となってしまったのだが、当時のテレビ業界は“ブンヤ”と呼ばれた新聞業界同様に敬遠され、不人気な業種であったため、東京キー局でさえ広告などでアナウンサーを公募するほどの人材難に陥っていた(競争倍率が数千倍の“超難関”となった今では信じられない話なのだが)。そのため、徳光の筆記試験の結果がいかほどのものであったかを伺えるエピソードとも言える。

■父・寿雄は日本テレビの役員を務めていたが、当時財団法人日本科学技術振興財団のテレビ局で赤字経営に苦しんでいた東京12チャンネル≪現:テレビ東京≫を立て直すべく、1967年に日本テレビがTBS・フジテレビ・NETテレビ≪現:テレビ朝日≫の在京民放3社とNHKと共に設立した「科学テレビ協力委員会」の委員となり退社。現在のテレビ東京の土台を築き上げている。和夫もフリーに転向後「にっぽんの歌」などテレビ東京の番組に出演し、息子の徳光正行も「レディス4」の司会に起用され、親子3代に渡ってテレビ東京に関与することとなった。

■現在でこそ読売ジャイアンツのファンとして有名だが、中学時代までは西鉄ライオンズ(特に大下弘)のファンだったことを週刊ベースボールで告白している。しかし、私立海城高等学校在学中に「人生のすべてを長嶋茂雄にささげよう」と決意。立教大学の全学部を受験し、辛うじて社会学部に補欠合格。大学では放送研究会に所属。大学の先輩に長嶋茂雄、同期に土居まさる、後輩に古舘伊知郎、久保田光彦、放送研究会の後輩にみのもんたがいる。

■「人生のすべてを長嶋茂雄にささげ」、信仰、崇拝していた徳光であったが、長嶋と接見した際、「どなた様?」と言われ徳光はショックで一週間寝込んだという。

■著書の企業内自由人のすすめによれば、日テレを受験をした際最終選考に残った二人が学生運動に関与していたことが判明し選考を辞退した影響で徳光が採用されたという。しかし、前述のように巨人の熱狂的なファンであったためプロ野球中継の担当にはなれず、プロレス中継を中心に受け持った。また、夏木陽介主演のドラマ『青春とはなんだ』でラグビー中継のアナウンサー役で出演したことがあり、アニメ『ルパン三世』にも自動車レースを中継するアナウンサー役で声優として出演したこともあった。その後、『紅白歌のベストテン』で人気を得、1979年3月からスタートの『ズームイン!!朝!』、1988年4月からスタートの『ニュースプラス1』のそれぞれ初代のメインキャスターを務めた後、1989年に退職し、フリーとなる。

■1978年からスタートした『24時間テレビ』に第1回から参加しているが、わかっている限りで第1回から皆勤している唯一の人物といえる。

■1980年にスタートした『NNSアナウンス大賞』の第1回最優秀賞受賞者である。

■2001年6月に狭心症を患い緊急入院し、生死をさまよったが同月末に現場復帰。実子の著書によれば年齢不相応の不養生が原因であるという。「健康に気を使うということが、既に不健康である」というのが自身のモットーであったが、後にこの認識は改めざるを得なかった、とレギュラー番組で語っている。


【エピソード】
■1989年に日本テレビを辞めてフリーになって以来、最近までNHKで仕事をしたことがなかった。これは、入社間もない頃、集金人に日本テレビしか映らないテレビ受像機を見せた後「受信料は払わない」と通告した事が、NHKの上層部の逆鱗に触れたかららしい。しかし、NHK衛星第2テレビで2005年8月に放送された『ハワイアンのすべて〜大橋節夫ファイナルコンサート〜』(NHKホールでおこなわれた)の司会としてNHKの番組にも出るようになった。

■1968年、『キユーピー3分クッキング』で初の男性アシスタントに抜擢されるも、「見てるだけで何もしなかった」(一説によると当時の担当講師である名古屋にある調理師専門学校の講師に向かって「先生、ハゲてますね〜」と言ってしまった為とも言われている)ため、また徳光本人が某トーク番組で明かしたところによれば、「味噌汁は水を入れて作るんですね」という失言をしてしまったため3か月で降ろされてしまった。

■メロンパンが好物。『第10回アメリカ横断ウルトラクイズ』で成田空港での腕相撲の敗者と一緒にグアム(当時、巨人はグアムでキャンプを行っていたため目的地がグアムとなった)へ向かい(この時は勝者と敗者が別便でグアムへ向かう途中で機内400問ペーパークイズを行い、勝者の点数が敗者の最低成績者の点数を下回れば失格、勝者が1人失格するごとに敗者の成績上位5人が復活するシステムになっていた)、ペーパークイズ終了後の機内食としてメロンパンが登場した際、ペーパークイズの成績が気になる解答者とは対照的に、徳光は至福の表情でメロンパンを頬張っていた。『ズームイン!!朝!』担当時も常に自分の立ち位置の裏にメロンパンを常備し、CMの合間にほおばっていた。

■『徳光のTVコロンブス』では、CMに入る前には「ここで、トイレタイムです」との決め台詞を用いた。これ以来、CMを諷刺する語として「トイレタイム」が使われる。又、これと似た決め台詞を使う芸能人には、井ノ原快彦や乱一世(これが原因で問題を起こした一人)がいる。

■アメリカ横断ウルトラクイズ上でも、数多の人格を疑われるような発言をしている。成田予選に負けた出場者を引き連れて勝ち残った人の乗った飛行機が離陸するとき、1982年のレバノン紛争を引き合いに出して「いい気になるな」「お前たちはニッポンの恥だ!」「飛行機よ、落ちろ」「生命保険は入ってるのか!」「ハイジャックが潜んでいるぞ」「お前たちの行く先はニューヨークじゃなくて、レバノンだ!」「思いとどまるなら今のうちだぞ!外務省が泣いてるぞ!」や、1984年、カラシレンコンの食中毒事件が起きたとき、その年のウルトラクイズのグアムに飛び立つ飛行機に向かって「機内食はカラシレンコンだ!」と発言した。ただし番組サイドに言わされていた可能性もある。

■愛車は日産・シーマ(F50型)。しかし本人は運転免許を持っていない(運転免許取得のために自動車教習所に通った事あるが、指導員とのトラブルで断念したらしい)。

■大の箱根駅伝好きである。大会前に独自に入手した選手のデータを手に実況を行うほどの熱の入れようで、今は復路8区の茅ヶ崎の名物になっている。この模様は新年1回目の「THE・サンデー」で毎年必ず放送されるが、本人は「あくまでプライベートで応援しているものであり、撮影クルーは勝手に収録している。」と語る。

■何故か結婚式で彼が司会を務めた芸能人は離婚することが多いため、一時期話題になった。

■テレビでは感涙することが多く(特に24時間テレビ)、「かなり涙もろい」というキャラクターで知られる。しかし息子の正行いわく、「ギャラをもらわなければテレビでは絶対に泣かない」とか。そのためウソ泣き説が囁かれている。そして波田陽区に「涙も仕事のうちですから!」と切られた際、「そう、そうなんだよ。俺だって色々大変なんだよ」と番組で語った。

■プロレス担当時代、リングサイドリポーターを担当していた徳光は、試合中にも関わらずジャイアント馬場に詰め寄りインタビューしようとした。そして「頑張れ馬場、頑張れ」と、大声で応援。ちなみに本人は「長嶋さんの次に尊敬する人は馬場さん」と発言している。

■同じように1984年2月23日、ニック・ボックウィンクル対ジャンボ鶴田のAWA世界ヘビー級選手権の試合中、鶴田の入場時に近寄ってコメントを求め、試合中にもリングサイドに詰め寄りマイクを向けようとし、「頑張れジャンボ」と絶叫した。

■1980年代前半に小林完吾アナ(当時)とのタッグで「おもしろまじめ」として売り出したこともある(徳光が「おもしろ」、小林が「まじめ」として)。

■日テレ時代の後輩である福留功男とは親友関係にあるが、仕事上では互いに「犬猿の仲」キャラクターを演じていたことがあった。

■主なエピソードに、徳光がウルトラクイズで阪神ファンにピコピコハンマーで殴打され気絶した際、福留は「巨人ファンが阪神ファンに殴られてるよ」と発言。徳光に「留さん」と間違って声をかけた人間に「あんなヤツと一緒にするな!」と激怒したり、互いに日テレ在籍時には「俺は部長級、アイツは課長級」と肩書きで見下したり、各番組で他の出演者が福留に関する話題を振ると激怒するポーズを見せたり、「(福留の)お嬢さんはいい人なんだけどねぇ」と徳光vs福留のエピソードには事欠かない。

■仕事以外では、福留が「ズームイン!!朝!」の司会に就任する時のインタビューで、徳光を「各局のリポートをきちんと受け止める名キャッチャーだった」と高く評価し、1991年にフリーになった理由のひとつが「先輩であり親友でもある徳光が退社してフリーになったこと」であったほど、徳光とは仲がよい。徳光も「トメはアナデューサー」だと福留を評価している。

■明石家さんまとは全くといっていいほど共演しない。1999年3月末に放送された日本テレビの『スーパークイズスペシャル』で「覆面クイズ正解は多数決!!」というコーナー(進行今田耕司・東野幸治)での解答者として参加し、「この方の司会だけはご遠慮いただきたい」という問題でテレビの視聴者には超大物司会者・Sと答え、「この方の司会で笑った事がない」や「今田さんや東野さんは一緒に仕事していて、どこが面白いんですか?」や「笑っているように見えて、他の事を考えている」と批判していた。約3ヶ月後、さんまが司会を務める『恋のから騒ぎ』でさんまがオープニングで「『24時間テレビ』は今年から出ません」と発言していたことから、徳光がさんまを嫌っている事がわかる(このため、福留功男と違って、徳光とさんまとは本当に犬猿の仲である。そんな徳光は島田紳助や笑福亭鶴瓶を大変気に入っている)。

■クイズ番組において、パネラーの答えを公開する時に「(せ〜の)ドン!」と掛け声をするのが癖。これはもともと大橋巨泉がクイズダービーで解答を開ける際に使用していたコールであり、司会が徳光に変わった後もそのまま引き継がれ、クイズダービー終了後も徳光が各種クイズ番組で使用し続けているものである。

■2000年にNTV系列で放送された特番でB'zと対談。その中で稲葉浩志とプロレス談義で花を咲かせ、共同MCのユースケ・サンタマリアから「段々別の番組になってきた!」と突っ込まれるまで続けていた。

■『24時間テレビ』で長年総合司会を務めているが、続けられるのは徳光の意欲やスタッフの要望もさることながら、徳光に匹敵する大物司会者陣が揃いも揃って24時間テレビの裏番組にレギュラーを持っていて、徳光の後任を狙えないことも大きいのではないかと思われる(例: 伊東四朗…『脳内エステIQサプリ』、草野仁…『世界ふしぎ発見!』、福留功男…『ブロードキャスター』、堺正章…『チューボーですよ!』、関口宏…『サンデーモーニング』、タモリ…『笑っていいとも!増刊号』、島田紳助…過去に『サンデープロジェクト』など、森本毅郎…『グレートマザー物語』など、小倉智昭…過去に『いまどき!ごはん』、明石家さんま…『さんまのSUPERからくりTV』、みのもんた…『どうぶつ奇想天外』)。

■担当している番組が終了の際「番組をお休みします」という(決して「終わり」「終了」とは言わない)。これは、よほどのことでもない限り復活の可能性があるとして視聴者を配慮してのことだろう。

■現在の妻はまさか自分がこの人と結婚するとは思っていなかったらしい。おせじにもいい男とはいえない徳光とは最初ほんの軽い気持ちでの付き合いであったという。なお、徳光は一番最初のデートで何故か兵隊やくざの映画に連れて行ったことを暴露している。

■元ABCアナでフリーの山本モナの不倫に関して「最近のアナウンサーはまともな生活をしていない」とコメント。その山本とは2007年にテレビ朝日の特番で司会コンビを組むことに。

■後輩である日テレの船越雅史アナのセクハラについては、「私は、彼を信じていたのに。」とコメントしていた。

■かつては前述のような過激な言動が物議をかもしたが2001年に大病を患ってからは年相応の穏やかな言動が目に付くようになった。

■動物占いは"たぬき"である。

■一連の年金問題において、社会保険庁に支払い確認を行ったところ、「死亡扱い」を受けていたことが判明。「なぜ僕が殺されなければならなかったんだ?」って、半分泣きながら職員に抗議したという。2007年6月14日発行のスポーツ新聞では、「徳光和夫 社会保険庁に殺される!」とのトップ記事が並んだ。


【読売ジャイアンツ関連】
前述の通りプロ野球は熱烈な巨人ファンである。故に「ジャイアンツおやじ」とも称される。しかし、強烈なジャイアンツ愛ゆえに他球団をこき下ろす、または侮辱する発言をすることも多い(特に長嶋巨人時代に)。そのため、時折人格を疑われるような暴言を吐くこともあり、他球団のファンならず身内からも痛烈な非難を浴びることがしばしばある。

■1982年、この年中日と巨人が熾烈なデッドヒートを展開。こうした中「巨人軍が優勝できなかった場合、私は丸坊主になります」と発言。結局中日が優勝し『ズームイン!!朝!』の番組内で板東英二らによって公約通り丸坊主にされた(板東英二を参照)。

■1984年、広島優勝の直後のズームイン朝で1982年の日航機逆噴射墜落を引き合いに出して「優勝は日本シリーズの第1戦が始まるまであきらめない。だって広島の選手が乗った飛行機が墜落するかもしれないでしょ?」と発言し広島ファンのひんしゅくを買った。

■1985年のウルトラクイズで当時快進撃を続けていた阪神に対して当時話題を呼んでいたハレー彗星を引き合いに出して「阪神の好調はハレー彗星がくるのと同じくらいの珍事」と発言。これがきっかけで、阪神ファンから当時絶好調だったランディ・バースの応援歌「ライトへレフトへホームラン」の次に「徳光倒せオー!!」と歌われ、ピコピコハンマーでたたかれたあげくに(アメフトのヘルメットをしていた)気絶してしまった。

■1985年、阪神の優勝が迫った時に『ズームイン!!朝!』の中で読売テレビから「どないしよう、タイガースが優勝してしまう」という企画が放送されたが、モニターに背を向けて報知新聞を読んでいた。そして阪神優勝特集がズームインで放送され徳光は画面の右下でへこんでしまった。

■1989年に、久米宏がニュースステーションのスポーツ企画「ジャイアンツエイド'89」で、巨人が優勝したら「とりあえず丸坊主」になり、日本一になったら「徳光さんの番組(ニュースプラス1)で万歳する」と宣言した。日本シリーズの結果は巨人が3連敗から4連勝で大逆転の日本一。そのため丸坊主の久米が徳光の番組に出演し、「ジャイアンツ万歳」と万歳三唱を行った。

■1989年の日本シリーズで、初戦から3連勝した近鉄の加藤哲郎投手が、「巨人はロッテより弱い」と発言した(正しくは「シーズン中のほうがきつかったですからね。相手も強いし」と言っていたのだがいつしか改竄された)ことに対して、翌週のニュースプラス1で「君のようにふって沸いて出た三流ピッチャーに、ジャイアンツを侮辱する資格はない!!」と激怒した。
※ 余談だか加藤哲郎の発言はのちにロッテとの公式戦勝越し年度ゼロという形で証明された格好となった(ただし2006年終了時点)

■1996年に東京巨人軍応援団から依頼され、ジェフ・マントの応援歌を作詞した(マントは開幕から10試合出場したものの27打数3安打、打率.111と成績不振に陥り、5月初旬にあっさりと解雇されてしまったため、すぐにお蔵入りとなってしまった)。

■ヤクルトスワローズの野村克也監督(当時)を自身の番組で「麻原彰晃」呼ばわりした上で、ヤクルトのファンをオウム真理教の信者と呼び、散々に非難した(自身が崇拝している長嶋茂雄をこき下ろしていたのに腹が立っていたからだという)。

■2000年に巨人が東京ドームで優勝した時に胴上げされる長嶋監督(当時)を見て、飲んでいたビールを自分の頭にかけ(本人曰く一人ビールかけ)さらに「巨人軍万歳」と絶叫した。その後、行われたビールかけにも参加(というよりも乱入)した。

■2001年9月30日・長嶋茂雄が巨人軍の監督を勇退する日、「THEサンデー」の放送中に本人から生電話が届く。徳光は当然のごとく号泣し長嶋から「泣かないでくださいよ」と慰められる。その後、東京ドームで勇退セレモニーを見てまた号泣。隣にいた長嶋の息子一茂にも慰められる。

■2002年9月24日に巨人のリーグ優勝が決まった当日にタキシードを着てビールかけに乱入。また、翌日の9月25日、サントリーの広告に「1リーグ時代からの巨人ファンで良かった」という意見広告を出した。

■2003年6月22日のザ・サンデーで巨人が阪神相手に11失点で大敗したことについて「きのうの巨人の大敗が、あさま山荘事件のようで悲しかったです」とコメントし、あさま山荘事件の被害者の遺族を激怒させた。

■2005年7月3日、脳梗塞でリハビリ中だった長嶋が東京ドームで行われた『巨人対広島戦』を観戦、1年4ヶ月ぶりに姿を見せた際、観戦に来ていた徳光は長嶋の顔を見ると思わず号泣した。翌晩(7月4日)放送の日本テレビ『スーパーテレビ情報最前線 緊急特集・長嶋茂雄復活までの父子物語』に生出演。奇しくもテレビ東京で司会を務める『徳光&コロッケの“名曲の時間です”』が裏番組にあり、出演すべきか悩みに悩んだ結果、出演を決めた。

■王貞治の最後のホームランとなった868号のバットを所有している(以前テレビ東京の開運!なんでも鑑定団に出品している)。

■2006年10月8日放送のジャンクSPORTS(フジテレビ系列)のスペシャルで相席していたという事もあるが「星野仙一を将来の巨人軍監督に」と巨人監督就任を熱望する発言をした。ちなみに2005年に堀内恒夫監督が不成績の責任をとり辞任した際次期候補として取りざたされた際は「星野さんは中日で活躍し、その後監督になってからも『打倒巨人』で今の地位を築いた人。巨人ファンはみな歓迎していない。」と反対していた。

■長嶋茂雄の熱心な信者で1980年に一度目の巨人監督辞任(※事実上の解任)の際黒幕とされた川上哲治を自身の番組で批判したり1998年に自身が嫌っていた野村克也を引き合いに出して采配批判を行った豊田泰光を痛罵した。また、痛罵こそしないが週刊朝日誌上で長嶋を揶揄する絵を掲載していたイラストレーターの山藤章二を忌み嫌っていてテレビ番組で共演するのを拒絶するほどである。

■上記の一件から豊田泰光はテレビでの解説の仕事が減ったが意外な所からしっぺ返しが来てしまったようで2002年には豊田の出演している文化放送のスポーツ番組に永六輔が出演。結果永の援護射撃により息を吹き返すという形で報復を受けてしまった。しかも2004年のプロ野球再編問題が追い討ちをかけてしまった。今年に至るまで徳光が巨人の応援に消極的になっていたのは今までの言動が永の耳に入ったら大叱責を食らうのではと恐れていたという説があり実際徳光は口にするのを憚るほど永を苦手としている。

■2002年、日テレG+のテレビCMで長嶋と共演。(内容は、滝のような涙を流し号泣している徳光に、「徳光さん、ハンケチ。」と長嶋がハンカチを差し出し「ありがとうございます」と言いながら徳光はそのハンカチを手に取ると2人そろって泣くと言うもの)

■また、あまりにも巨人軍を賛美するあまり「石井は何やっているんだ。取れ馬鹿」「松井空振りしてんじゃねーよ」「落合と駒田と広澤と石井は裏切り者だ!清原と川口と大久保を見習え」と発言し、良識あるプロ野球ファンの怒りを買った。なお「裏切り者」の件に関しては落合は(FAで後から入団した)清原との兼ね合い、駒田はやはり落合との兼ね合い、広沢は自由契約、石井はトレードで巨人を出たのであり、自分の勝手な都合で出て行ったわけではなく、主に球団の都合(戦力補強など)によるところが大きい移動なので、「裏切った」とは解釈し難いのである(それにこの論ではFA自体が成り立たない)。

■2001年、大阪近鉄バファローズ在籍(当時)のタフィ・ローズ外野手が王貞治のシーズンホームラン記録55本の記録を塗り替えようとしているとき、(結果としては王貞治本人が監督を務める福岡ダイエーホークスの敬遠責めもあり、記録更新はならず。)生放送中に「肌の色が違って、血液型もよくわからないような奴に王さんの記録を抜いて欲しくない」と発言する。この事件は日本ハムファイターズ(当時)のファンとして知られるえのきどいちろうから、彼の連載していたコラムにて某タレントの人種差別発言として「他国では絶対に許されない、社会的に抹殺されておかしくないくらいひどいこと」として非難される。

その奔放すぎる言動から、ジャイアンツファンからも批判が出ている。


【ギャンブラー徳光】
■温和な顔で有名な徳光だが、大のギャンブルファンである。

■競馬・競輪・競艇・オートレース全てで顔を見たという人が多数。しかし、あまり勝てないらしい。

■1997年には船橋競馬で20万馬券を的中させた(WINS新橋の場外発売で馬券を購入)。これは当時南関東の地方競馬としては配当の史上最高記録だったこともあり大々的に報じられた。ちなみにその際、徳光の馬券予想コーナーを掲載していたスポーツ報知では「徳さん万馬券的中!」と1面で報じられたが、別のスポーツ新聞には「初老の男性が換金に来た」(つまり、そのスポーツ新聞は『初老の男性』が徳光であることに気づかなかった)と書かれたことがある(これは、『タモリのネタでNIGHTフィーバー!』でも発表)。また、この時徳光は約800万円の配当を手にしているが、新聞で大々的に報道されてしまったために税務署にその分を申告しなくてはならなくなってしまった。

■ギャンブルでは特に競艇が大好きであり、選手の心理状況や家族構成まで調べるくらいに熱中している。また局アナとして「ズームイン!!朝!」を担当していた時は、番組が終わると毎日のように平和島競艇場に直行していたと言われる。またアナウンサーを引退したら競艇場で予想屋をやりたいと語っている。

■競馬ではウインズ後楽園に出没する。競輪では自宅のある茅ヶ崎に程近い平塚競輪場を訪れるようで、2007年の日本選手権競輪など、当地でのTV中継のゲストとして呼ばれたこともある。

■公営ギャンブル4種以外にも麻雀も打つ。

(出典:Wikipedia)

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佐藤江梨子 エピソード&プロフィール

佐藤江梨子(さとう えりこ、本名: 佐藤榮利子、1981年12月19日 - )は、女優、タレント。元グラビアアイドル。所属事務所はイエローキャブ。血液型はAB型。愛称「サトエリ」。


【プロフィール】
愛称: サトエリ
生年月日: 1981年12月19日
現年齢: 25歳
出身地: 日本・東京都江東区
公称サイズ(2006年時点)
身長 / 体重: 173 cm / ― kg
スリーサイズ: 88 - 58 - 88 cm
股下 / 身長比: 83 cm / 48 %
靴のサイズ: 25 cm


【人物】
■東京都江東区出身(本籍は札幌市)。父親の転勤で、神戸・大阪・千葉などで育つ。堀越高等学校卒業(同級生には安達祐実など)。内藤陽子とは、高校時代からの親友。

■姉は舞台女優で劇団ふるさときゃらばん所属の水香。弟もおり、佐藤本人によれば、ネプチューンの名倉潤にそっくりだという。

■バレエをやっていたため身体が柔らかく、210度まで開脚出来ることが特技。

■高校時代に、毎日新聞主催の学展に「線の構成」という作品(鉄屑と木材と針金を使用、それらを黒い箱に突き刺したオブジェ)を出展し、入賞したことがある。

■映画に関しての造詣が非常に深く、単なる映画好きには留まらないシネ・フィルであることは有名。2003年時点で2000本を超える作品を観ており、作品を観る基準は監督とのこと。好きな監督の代表は小津安二郎とフランソワ・トリュフォー。

■趣味の一つは詩や小説を書くことで、著書『気遣い喫茶』(扶桑社)としてまとめられた。また、「週刊プレイボーイ」誌で書評の連載を持っていたことがあり「世界一美しい書評家」と呼ばれた。また、一時期ゴーストライターを使っていた時期があった事を公表し、波紋を呼んだ。

■かなりの美巨乳の持ち主である。

■天然ボケである。

■「MSN」のインタビュー記事で、「豆柴を飼ったが、大きくなったので人に上げた。」「チワワを飼ったが、気が強かったので人に上げた。」「フレンチブルドッグを飼ったが、部屋が臭くなったので人に上げた。」「ティーカッププードルを飼ったが、生後2か月で考えていたサイズより大きくなったので人に上げたら、2週間後に死んだ。」など発言。このような発言、言動で動物愛護者などから、かなりの反発をされている。

■野田義治は佐藤と折り合いが悪かったと発言しており、分裂後は佐藤の性格を批判している。


【来歴】
■神戸市東灘区に住んでいた中学1年生の時、阪神・淡路大震災で被災。その際、聴いていたKiss-FM KOBEのラジオ番組のパーソナリティにあこがれて芸能界入りを目指す。

■高校在学時の1999年、大磯ロングビーチキャンペーンガールに合格(なお、大磯ロングビーチのキャンペーンガールには2001年も選ばれており、2回選ばれたのは日本人キャンペーンガールとしては唯一)。その後、イエローキャブからスカウトされる。

■映画『プレイガール』、『キューティーハニー』に主演。

■雑誌『Frau』2003年6月24日号とその年の「たかの友梨ビューティクリニック」のCMではセミヌード写真を披露したが、実際にはCGで作られた物である。本人はヌードになることには拒否しており「脱ぐ位なら芸能界は辞める」などと発言している。

■2003年度のJRA(中央競馬)CMモデルとして明石家さんまと共演。

■2004年夏、月曜9時ドラマ『東京湾景』(フジテレビ)レギュラー出演するなど、女優としても活動している。

■2005年1月、読売テレビの阪神・淡路大震災10周年記念の特集「震災10年・10Days」のメインキャスターを務めた。

■2005年の兵庫県知事選挙の啓発広告に起用された時には、投票日の7月3日にちなんで髪を七三分けにしたことで話題となり、啓発ポスターがインターネットオークションに出品されたという報道もされた。しかし、県選管の追跡調査によると、啓発広告を見て投票に行こうと思った有権者は3割に留まったという。

■「サトエリのホムピー」という自身の公式サイト・ブログを持っていたが、2005年末に終了。その後ブログは「SATOERI TIMES」と名を変えて復活した。

■フジテレビの情報プレゼンター とくダネ!ではコメンテーターを務めていたが、政治の話題についていくことができずにほとんどコメントすることが出来なかった。現在は降板している。

■2006年12月、市川海老蔵と正式に交際宣言。

■2007年3月9日、市川海老蔵との交際破局がブログから明らかになる。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070613-00000012-oric-ent

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三原じゅん子 エピソード&プロフィール

三原 じゅん子(みはら じゅんこ、本名:宮谷 順子(みやたに じゅんこ)、1964年9月13日 - )は、東京都板橋区出身の女優、元歌手。以前は「三原順子」として活躍。血液型はB型。明治大学付属中野高校夜間部中退。


【来歴・人物】
小学校時代に「東京宝映」に入団し、「燃えろアタック」等に出演。後に1979年に「3年B組金八先生」に出演し、「山田麗子」役で役柄からの「つっぱり」のイメージで人気が急上昇した。リンチをするシーンでは自分では殴らず大人数を指揮し、「顔はやめな、ボディボディ(腹)を狙え」の名セリフはあまりにも有名で、三原を表す代名詞になった。

1980年にはビーイング創設者の長戸大幸が作曲した「セクシー・ナイト」で歌手デビューし、1986年までコンスタントにシングルを発表した。デビュー・シングル「セクシー・ナイト」は売り上げ30万枚を超える大ヒットとなった。デビュー年はアイドルブームに火が点いた年であり、同期歌手デビューには松田聖子、河合奈保子、柏原芳恵、岩崎良美、浜田朱里、甲斐智枝美などがいる。当時は山口百恵引退直後だったため、”ポスト百恵"と言われていたが、まもなくデビューした中森明菜にあっけなくその座を譲り渡すことになった。しかしながら、1982年には「だって・フォーリンラブ・突然」のロングヒットで第33回NHK紅白歌合戦にも出場。紅組トップバッターを「ホンキでLove me Good!!」で務めた。1984年二十歳の誕生日を機に「三原順子」から現在の「三原じゅん子」へ芸名を改める。お笑いコンビ「アニマル梯団」のコアラ(のちにハッピハッピー。と改名)こと宮谷信也と再婚。夫のダイエット記録本を出版して好評だったり、かなりのおノロケぶりであった。

1987年〜1999年、カーレーサーとしても活動。国際B級ライセンスを持つ。レース中の事故による骨折も7回経験しているという。2005年からはレーサー時代の経験を活かし、二輪レースチーム「weave×MIHARA PROJECT」のオーナー兼監督を務める。

現在は「ケントス」等でライブ活動の傍ら、バラエティ、女優業に幅広く活躍している。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070612-00000008-nks-ent

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江口洋介 エピソード&プロフィール

江口 洋介(えぐち ようすけ、1967年12月31日(※1968年1月1日説もあり) - )は東京都豊島区巣鴨出身の日本の俳優、歌手。駒込高等学校卒業。血液型O型。妻は歌手の森高千里。一男一女の父親である。


【人物】
映画『湘南爆走族』主役でデビュー。江口の芸名は本名であり、また映画の原作はすでにヒットしていた漫画作品であることから、この役名「江口洋助」との類似性は全くの偶然(ただ、役名と本名の読みが一緒だから当てられた可能性も考えられないことも無い)。当初は「えぐっちゃん」の愛称で知られていた。1987年の単発ドラマである『翼をください』(NHK)はドラマ主演デビュー作で、話題になった名作である。

実質的なデビュー作品はTVドラマ『早春物語』であり、他にも数本『湘南爆走族』以前の出演映像作品がある。が、初主演作ということや本人の思い入れが強いことからか、雑誌等での公式プロフィールでは『湘南爆走族』がデビュー作品扱いである。

1990年代初頭、『東京ラブストーリー』『愛という名のもとに』などトレンディドラマの常連として脚光を浴びた。当時は独特の長髪がトレードマークであり、アイドル的な人気を誇った。

1993年、1997年に放送された『ひとつ屋根の下』シリーズでは、それまでのクールな二枚目とは異なる役柄を好演し、俳優としての幅を広げていくきっかけとなる。その後は演技派俳優としての地歩を築いていった。

近時の役柄としては医師の役になることが多く、1999年、2001年、2002年・2005年(スペシャル)、2005年に放送された救命病棟24時シリーズではクールな進藤一生役を、また『白い巨塔』において高く評価された里見医師役に象徴される善人役が多い。映画『凶気の桜』の殺し屋役はどちらかといえば異色である。

もともとはシンガーソングライターで、『恋をした夜は』『愛は愛で』などのヒット曲もあるが、最近はあまり歌手としての活動はしていない。

趣味でバスフィッシングをたしなみ、かつてはシマノの釣り具のCMにも出演していた。また、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』において毎年一度行われるコーナー「芸能人釣り選手権」の常連でもある。1996年放映の第2回大会から、2004年の第10回大会まで毎回参加していたが、一度も優勝の経験はなく、そのことを毎度出演者たちにいじられている。ここ2年ほどはスケジュールの関係からか参加していない(2006年6月放映分現在)。

三谷幸喜に「見栄えがする」ということで出演打診をうけ、『12人の優しい日本人』に出演。舞台俳優としてデビューした。このときには「稽古には浴衣を着るのですか」「楽屋には暖簾をかけるのですか」という質問を三谷にした、というエピソードを三谷は自身の新聞連載に載せている。

アルバイト情報誌『fromA』に「有名人のアルバイト経験」を掲載するコーナーがあり「チラシ配りのバイトをしたが、面倒になって川に全部捨てた」という逸話を話していた。

(出典:Wikipedia)

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小倉優子 エピソード&プロフィール

小倉 優子(おぐら ゆうこ、1983年11月1日 - )は、千葉県茂原市出身のグラビアアイドル、女性タレント、バラエティアイドル。血液型はB型。アバンギャルド所属。

【プロフィール】
愛称: ゆうこりん
生年月日: 1983年11月1日
現年齢: 23歳
出身地: 日本・千葉県茂原市
血液型: B型
公称サイズ(2006年時点)
身長 / 体重: 162 cm / 43 kg
BMI: 16.4(低体重)
スリーサイズ: 80 - 56 - 83 cm
ブラのサイズ: C
靴のサイズ: 23 cm


【来歴】
■2002年、日テレジェニック2002に選ばれる。4月〜9月、MBSラジオ「オレたちやってま〜す」10代目パーソナリティを隔週で城島茂、極楽とんぼ、眞鍋かをりと務めた。同年から2005年まで4年連続でミスヤングアニマルに読者投票で選出される。

■2005年京楽産業イメージガール。2005年から日本小型自動車振興会のCMにも出演している。


【人物】
■愛称は中学生の頃のニックネームである「ゆうこりん」。

■言葉の語尾に「○○りんこ」、「○○りんこだプー」と付ける。

■家族は両親と兄、弟で3人兄弟の真ん中。

■幼稚園からピアノを学んでおり、他にフルートも吹ける。

■身長は161.2cmであるが、145cmくらいだったら良かった、と雑誌のインタビューで答えたこともある(→ジンクス)。デビュー当時はO脚であることを気にしていた。

■プロサッカー選手でコンサドーレ札幌所属の関隆倫は従兄。阪神タイガースやオリックスブルーウェーブで監督を務めた中村勝広は遠縁の親戚。中村は、最近まで小倉がタレント活動をしている事を知らなかった。

■名古屋のローカル番組『ノブナガ』(CBC)出演時にムチや木馬などを体験しマゾであることを自覚した。写真集では手錠シーンを撮影した。

■地元球団千葉ロッテマリーンズの始球式で登板したことが縁となり同球団のファンになる。2005年『THE・サンデー』の番組内においてパ・リーグ球団のファンとしては初めて巨人ファンの徳光和夫との応援バトルを展開した。結果は、同年の千葉ロッテの絶好調ぶりも手伝い小倉優子の圧勝。徳光は完全にぼやきモードに入り自棄食いをした。同年千葉ロッテのキャンプ地へ訪れ、ボビー・バレンタイン監督にチョコレートを贈呈した。

■テリー伊藤や秋元康からは、セルフプロデュースの上手なタレントと評価されている。

■好きな色は黒。普段の服装でも「黒が無難かな」と服装について語っている。近年は黒いオーバーニーソックスを穿くことが増えている。


【エピソード】
■デビュー当時からしばらくは雑誌インタビューなどで「主食はお菓子(特に甘物)」と発言していた時期があり、実際に他の食事を殆ど取らなかった。しかし仕事が忙しくなった途端に仕事先で貧血で倒れるなどが頻発したため、事務所の勧告を受けて食生活を改めた。自身のブログ「こりん星のお食事って?」も主に小倉の日々の食に関して書かれたものになっている。

■デビュー直後のセルフプロモーションビデオでは、笑顔で「うんちっ」と言ってポーズをとったり、当時出演した『THE夜もヒッパレ』(日本テレビ系)では、「三宅裕司さんとお泊まりしちゃったんです!キャー!!…でも、全部ウッソピョーン」といったネタを披露。

■ゆうこりんとしてのキャラが確立されていない当時、ある番組での小倉の態度に、関根勤が苦言を呈した事がある。「お父さんもいびきうるさい?」などと彼女の性格を知らずプライベートな事柄に触れた質問をし、「その話は置いといて」などと的確に答えようとしない彼女に、関根が不快感を抱き口をきかなくなった。「礼儀がなってないから本当はアタマにきてたんですよ〜」と、関根が後日『笑っていいとも!増刊号』(フジテレビ系)のトークの中で明かした。なお、現在では和解をし、関根が小倉の真似をしたり、『笑っていいとも!』のレギュラーとして共演したりしている。また、『さんまのスーパーからくりテレビ』(TBS系)で小倉が関根にゴルフの助っ人を頼んだ際、初めは「やだよ、何で俺が」と断られたが、バレンタインデーのチョコレートを渡すと、彼は張り切って助っ人を引き受けた。

■『愛のエプロン』に出演する際は、甘い食材を使うことが多い。代表的なものに、ビーフシチューやコロッケへのチョコレート、肉団子甘酢あんかけの甘酢あんへの蜂蜜など。審査員の藤田まことには「戦争が終わって砂糖の配給がきたとき母が作った甘いものをふんだんに使った料理の味だ」と評された。2006年6月14日の放送で、麻婆豆腐に水飴を入れた時は、自分で食べてみて「飲み込めない…」と言った。この時、VIP食材の豚肉を使わず、間違えて牛挽き肉を使ったため、下位ランクに降格した。

■2007年2月18日放送の『世界ウルルン滞在記』で南イタリア・プーリア州にある手打ちパスタで有名なレストランへ弟子入り。本当は料理上手なことを証明するも、最終日に料理評論家を前に緊張したのかオイルソースににんにくを入れ過ぎる、という失敗をしてしまった。なお、この時、衣類などを入れた荷物が誤ってベルギーに送られてしまった。

■2004年12月31日放送の『ビートたけしのTVタックル・嵐の大ゲンカ超常現象ファイナルウォーズ』で、早稲田大学名誉教授の大槻義彦が、フォトンベルトについて「フォトンとは光子のことで、これは電磁波の一種です」と説明している途中、「もっと簡単な言葉がいいな〜」と発言して話を中断させ、真剣に聞いていたビートたけしに「解んないなら黙ってろ!うるさい!」と一喝された。

■財団法人警察協会が作成したストーカー対策ビデオ『なくせ! ストーカー』に主演している。同級生からストーカー被害に遭う女子大生を演じている。ちなみにビデオの進行役は、竹中直人である。

■自称かなづちだったが、2005年11月27日放送の『さんまのスーパーからくりTV』において息継ぎを練習したところ、あっという間に25メートルをクロールで泳げるようになってしまったことから、明石家さんまや他の出演者から泳げないふりをしていたのではないか、とからかわれたため、収録後局内のトイレに2時間立てこもり、さんまらが小倉が出てくるまで楽屋で待機したというエピソードを持つ。同番組では、この企画を連続ものとして放送し、年末の特別番組までに小倉は泳げるようになるかという企画を予定していた。

■2005年10月30日、『がっちりマンデー!!』内で布団乾燥機の話題になった際、うっかり「日本人なんでお布団で寝ようと思って」と発言したところ、経済評論家の森永卓郎に「えっ!こりん星人じゃなかったんですか?」とツッコミを入れられ、司会の加藤浩次に「今、日本人って言ったろ?」と聞かれ「言ってません」と否定した。

■2006年4月2日の『さんまのスーパーからくりテレビ』で浅田美代子とゴルフ対決をした際、「ゴルフクラブに触るのは生まれて初めて」と語ったが、デビュー直後のセルフプロモーションビデオには楽しそうにゴルフをする小倉の姿が収録されている。ゴルフ歴の長い浅田は「絶対負けたくない」と語ったが、浅田に不利な条件で試合は行われたため、小倉が勝利し、浅田はショックで髪を切ってしまった。その後、浅田はリベンジを果たそうとしたが、助っ人の横峯良郎の不参加などの偶然も重なり、結局またもや浅田は敗北した。浅田の罰ゲームは同番組の「ご長寿早押しクイズ」に50歳の浅田が出場するという屈辱的なもので、「私は浅田さんのことが大好きですよ」と言う小倉に、浅田は「もう嫌い!顔も見たくない!」と半泣きで言った。そして、10月1日放送の特別番組で、小倉・横峯組はさんま・浅田組との対決に敗北。罰ゲームとして、替え歌で有名な元印刷業の酒井さんと一緒に替え歌コーナーに出演した。

■2006年7月29日の『恋のから騒ぎ』にゲスト出演した際、「生まれ変わったら何になりたい」という問いに「幼稚園(の先生)」と答え、さらに「(芸能活動に)疲れちゃった。でも現場に優子が行かなかったら大変なことになるから、行かなきゃなんない」と発言。司会の明石家さんまが「かわいいねぇ。でも裏で“よし!”とか思てるんでしょ?」といじられると、「そういうこと言うから芸能界を辞めたくなるんですよ」と返した。

■2006年8月24日、よゐこの濱口優との親密交際が報じられた。週刊誌「女性セブン」が2人のデート現場をスクープしたもの。この日、東京・六本木で行なわれたDVD自動レンタル機「アスタラビスタ」のお披露目会見に小倉が出席した際、取材レポーターが交際について尋ねるべく「濱口さん」の名前を出した瞬間、突然DVD販売会社のスタッフが、マイクコードを投げ飛ばし、「はい、終わり終わり!」と大声を出して取材陣に手をかざして遮るなどして、小倉を舞台袖に連れ去り強制撤収した。

■2006年10月25日放送の「笑っていいとも!」で、コーナ―の成り行きで千秋に嫌われていると告白した。不思議キャラがかぶるので止めるように言われているらしい。

■『運命の数字』(テレビ朝日系)でビビる大木が「レギュラー番組5本の内3本がバーター出演(業界用語で抱き合わせ出演)」である事を告白すると、自身も同事務所の先輩眞鍋かをりのバーターであった事を明かし、大木と共感し合った。

■最近ではメイドのコスプレをしてSDメモリーカードのキャラクターにもなっている(参照:BARKS「限定販売! 萌え萌えめがねメイド姿のゆうこりん[1]」ほか)など、アキバ系男子からの人気が根強い。

■酒井彩名とは実家が近所(父親同士が飲み仲間という説もある)であり、「(同郷の芸能界の先輩として)尊敬している」と言っている(年齢は酒井のほうが年下)。また、デビューの頃から一番尊敬しているタレントは、元モーニング娘。の辻希美である。

■テレビ番組での共演をきっかけに知り合った加藤美佳と仲が良く、互いの家に泊まりに行ったりしたこともある。本人曰く「よっちー(美佳=「よしか」から)は優子の彼氏」とのこと。

■ブログでは、同じ事務所の後輩・浜田翔子とのツーショット写真がたびたび掲載されている。ブログに登場する友達の芸能人としては、杏さゆり、スザンヌ、相沢真紀、マギー審司の妻・吉田有希などがいる。


【こりん星】
小倉は自らのことを「こりん星」という星からいちごの馬車でやってきた「りんごももか姫」だと事あるごとに発言している。これは小倉のキャラクターを語る上で外せないフレーズで、彼女なりのユーモアの1つであり、トーク番組などで自ら笑いのネタに使うこともある。

■「ももか姫」とは、中学の頃、自分に別名を付けることが流行り、「友達から『ももか』っぽい」と言われたのを気に入ったため使っている。

■こりん星での物語は、千葉県内にある自宅から東京まで電車で通勤する暇な時間に膨らませた空想であると、『グータン』(フジテレビ系)で発言した。

■前述の千葉ロッテキャンプ訪問の際、たまたま外気温が低く、小宮山悟選手から「こりん星から寒波を運んできたな」と言われた。

■岡村隆史がラジオ番組で「いちご姫と食事した際、いちご姫が「今の小倉優子は私のキャラをパクった」と発言した」と語った。ちなみにいちご姫は、「イチゴの馬車に乗りトイレではイチゴの用を足す」などと公言しているものの、真偽は不明である。

■『クイズ!日本語王』で、「ゆうこりん」の区切り方は「ゆう・こりん」なのか「ゆうこ・りん」なのかと言うことを司会のウッチャンナンチャン内村光良に問われたところ、後者が正しいと答えた。

■『謎を解け!まさかのミステリー』で、「こりん星から来てない事くらい承知してます」と発言し、スタジオに衝撃を呼んだ。しかし、本人はその後この発言を完全に忘れてしまい、後にこの時のVTRから「この後小倉優子は何と言ったでしょう」という問題が出た際はまったく違う答えを書いていた。

■『行列のできる法律相談所』で上記の『まさかのミステリー』での発言がVTRで放送された際に、こりん星の質問をしつこくしていた品川庄司の品川祐や磯野貴理子に、「バカ!」「うるさい!」と言い、他の出演者から総ツッコミを受けた。

■2005年11月27日放送の『さんまのスーパーからくりTV』では、こりん星は「(東京都)港区」にあると発言。

■2005年10月30日、『がっちりマンデー!!』内で布団乾燥機の話題になった際、うっかり「日本人なんでお布団で寝ようと思って」と発言したところ、経済評論家の森永卓郎に「えっ!こりん星人じゃなかったんですか?」とツッコミを入れられ、司会の加藤浩次に「今、日本人って言ったろ?」と聞かれ「言ってません」と否定した。

■2005年12月12日放送の『ネプリーグ』で、こりん星の王子は「みのる」であると発言。

■2005年12月24日放送の『明石家サンタ』で、こりん星から番組に電話を掛け、こりん星は「港区」にあると再び発言。『さんまのスーパーからくりテレビ』で明石家さんまに「あほんだら」と言われたことをネタに、八木亜希子から合格の鐘を鳴らされた。さんまは反対したが、中国旅行のプレゼントを手にした。

■2006年5月31日放送の『ザ・チーター』で、「こりん星から来たなんて嘘なのは知っている!!」と光浦靖子から突っ込まれ、「うそつきチーター」の烙印を押され、ゲーム追放決定直後に大泣きした。山崎邦正らの「これが演技だったらすごい」との意見に対し、「私、小倉優子は…うそつきチーターです!!」と告白。さらに泣きじゃくる小倉は、出演者全員になぐさめられ、一番当惑していた司会の田村淳も、「これはバラエティーだよ。もう俺にはどうする事も出来ないよ…」とフォローするのがやっとという状況に。淳が「スタジオまで何に乗ってきたの?」と質問しても「エスティマです」、「今日は何処に帰るの」と質問しても「マンション」と答え、こりん星の話題が出来ない程落ち込んでしまった。追放後の負け犬部屋ではなぜか腹痛を訴えた。

■2006年6月28日の『クイズ!ヘキサゴンII』に出演した際、「小倉優子がこれまでについた最大のウソは?」というお題が出され、他の出演者のほとんどがこりん星のこと自体がウソであると答えたのに対し、小倉本人は、こりん星は生まれた所ではなく育った所であり、こりん星出身であることがウソである、と答えた。当然ながら、出演者から一斉にブーイングを受けた。

■2006年2月19日開催のファンの集いで、「ゆうこりんが“萌え〜”となるときは?」の質問に「汗をかくのが大好きなので、暖かい所がいいですね〜」と回答。

■2007年2月18日放送の『世界ウルルン滞在記』で南イタリア・プーリア州にある手打ちパスタで有名なレストランへ弟子入りした際、「出身地は?」とホームステイ先に聞かれて「こりん星です」といつものように返事をするも、「こりん星って何?」と、通訳の人から突っ込まれて、「私は日本では『ゆうこりん』とよばれていて・・・」としどろもどろに解説するも結局、こりん星は星であるどころか「東京のどこかの地名だろう」とホームステイ先に結論付けられる破目となった。

■2007年4月17日、ネットプライスドットコムが企画したチャリティーオークション『熱闘プライス』のイベントが東京都港区白金台のアーフェリーク白金で行われた。その第1回目のゲストとして、小倉が出品した。その商品は『こりん星』の土地(およそ東京ドーム1個分相当とのこと)と3分間生電話できる権利、サイン付き写真集、小倉が描いたこりん星の絵の3点セット。落札したお金は地球温暖化対策を推進する国際環境NGO団体「FoE Japan」に全額寄付される。同年4月27日に入札が終了し、503,000円で落札された。

■2007年4月21日に放送された『恋のから騒ぎ』にゲスト出演した時に「マネージャーさんに、そろそろ、"こりん星は爆発させたいんだけど"と言われた」と発言。放送当時、こりん星の土地販売の入札中で、2ちゃんねるを始めとする多くの匿名掲示板やブログで波紋を呼んだ。 2007年5月9日放送の『クイズ!ヘキサゴンII』でも同様の発言をしたが、司会の島田紳助に「そんな相談はもうええねん。」と相手にされなかった。

■2007年5月3日の『ライオンのごきげんよう』に出演した際も、「こりん星が爆発される。マネージャーから小倉優子と呼ぶように指示されているかもしれないが、ゆうこりんと呼んで欲しい」と発言した。しかし、司会者の小堺一機は番組の開始直後、小倉の名前を呼ぶときに「ゆうこりん」と呼んだ後、わざわざ「小倉優子って呼ぶんだった」と独り言を言っているので、「演技なのでは?」という指摘もある。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070612-00000022-rbb-ent

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小倉優子/陽〜ひなた〜

小倉優子/陽〜ひなた〜

市川海老蔵 エピソード&プロフィール

11代目市川 海老蔵(いちかわ えびぞう、1977年(一部では1972年生まれとも言われる)12月6日 - )は、日本の歌舞伎役者、俳優。本名は堀越孝俊(ほりこしたかとし)、星座は射手座、血液型はAB型。

海老様こと祖父の市川團十郎 (11代目)譲りの一声、二顔、三姿を揃えた美青年。市川宗家の御曹司として、近年その活躍ぶりは目ざましいものがある。古典の大役に挑み、初役づくしの中でいずれも周囲の期待を上まわるできばえを見せた。現代の歌舞伎を担う若手スターのひとり。また、NHK大河ドラマ『武蔵 MUSASHI』で主役をつとめるほか、現代劇にも挑戦している。本格的な肉体トレーニングを行っておりターザン (雑誌)などの表紙を飾る。


【年譜】
■1977年(1972年生まれ説あり)12月6日 東京都に生まれる。市川團十郎 (12代目)の長男。祖父は海老様こと市川團十郎 (11代目)。

■1983年5月 歌舞伎座にて『源氏物語』の春宮で初お目見得。

■1985年5月 歌舞伎座にて『外郎売』の貴甘坊で七代目市川新之助を襲名。

■1996年3月 青山学院高等部を卒業。在学中はバスケットボール部に所属していた。

■2000年 歌舞伎座にて『源氏物語』の光君を演じ、会場は連日満員、チケットは発売初日に完売するほどの人気を得る。尾上菊之助 (5代目)、尾上辰之助 (2代目)と『平成の三之助』と呼ばれ、新たな歌舞伎ブームを起こした。

■2003年2月 元歌手の女性(当時29歳)との間に、女児(当時1歳)の隠し子がいることが判明。子供を認知して養育費を支払っていることを会見で説明。

■2004年4月4日 成田山新勝寺で襲名披露、奉告の「お練り」。京成上野駅〜京成成田駅間では、「海老蔵号」が運行され、それに乗車した。また記念パスネットカードも販売された。

■2004年5月 歌舞伎座にて、『助六由縁江戸桜』の助六、『暫』の鎌倉権五郎ほかで十一代目市川海老蔵を襲名。

■2004年10月 パリのシャイヨー宮劇場にて市川新之助改め十一代目市川海老蔵襲名披露フランス公演。フランスの政財界のトップも観劇し、ルモンド紙が全面を使って「17世紀末以来の日本の伝統的演劇の中で名をとどろかせてきた一族の出身」「26歳のスター」「若くて美男で特に“必殺の視線”を持っている」と報じるなど、現地でも大きな話題を呼んだ。

■2005年12月 女優の米倉涼子との交際が破局。

■2006年9月7日 映画「出口のない海」の宣伝も兼ねてクイズ$ミリオネア出場。

■2007年3月9日 タレントの佐藤江梨子と3ヶ月の交際の末破局。


【エピソード】
隠し子が発覚した際に行った会見で、「周り(歌舞伎界以外)がどうかはわからないが、(自分の生活は)普通のことだと思っている。(相談した)父(團十郎)は、『まあがんばりなさい。君がきちんとやればそれでいいのではないか』と言っていた」というコメントをしており、現代にも続く梨園での常識を窺わせる。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070609-00000001-sanspo-ent

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阪急電鉄グループ『スタッフィ』。約10秒で一次審査の結果をメール回答

堀北真希 エピソード&プロフィール

堀北 真希(ほりきた まき、1988年10月6日 - )は、日本の女優。 愛称は真希ちゃん、まきまき。

東京都出身。スウィートパワー所属。

身長160cm、スリーサイズはB78 W58 H80。血液型はB型。


【来歴】
■2002年 - 中学2年生の時、部活動の帰り畑道でジャージ姿でスカウトされる。当初断ったものの、1ヶ月程して関係者による自宅訪問を受け芸能界入りが決まる。

■2003年1月 - ドラマ『いつもふたりで』でテレビ初出演。(この作品がデビュー作となるが、出演シーンは最終回のエンディングのほんの数秒だけ。)

■2003年7月 - 映画『COSMIC RESCUE』のヒロイン役オーディションに合格し、同作で映画デビュー。

■2003年10月 - ドラマ『ケータイ刑事 銭形舞』でテレビドラマ初主演。

■2004年2月 - 映画『渋谷怪談2』で映画初主演。

■2004年3月 - レミオロメンの3rdシングル「3月9日」のプロモーションビデオに出演し、話題を呼ぶ。

■2005年3月 - 公式ファンクラブ「ほりきたコレクション」発足。活動開始。

■2005年6月 - ドラマ『電車男』では、主人公の妹役を好演。

■2005年10月 - 『野ブタ。をプロデュース』小谷信子(野ブタ)役で一般への知名度が大幅にアップする。

■2006年4月 - 『クロサギ』吉川氷柱役でヒロインを好演。

■2006年10月 - 『鉄板少女アカネ!!』で、地上波のテレビドラマ初主演。


【賞詞】
■2006年2月 - 2006年エランドール賞新人賞受賞。

■2006年2月 - 第10回(2005年度)日本インターネット映画大賞新人賞受賞。

■2006年3月 - 第29回日本アカデミー賞新人俳優賞受賞。(『ALWAYS 三丁目の夕日』)

■2006年3月 - 第43回(平成17年度)ゴールデン・アロー賞新人賞受賞。


【人物像など】
■中学時代は生徒会で副会長を務め、部活動においてもバスケットボール部に所属し副キャプテンとして活躍した。が、高校では芸能活動の事もあり部活等には参加していない。

■スポーツマンという父の影響もあってか、幼少時より数々のスポーツに取り組んでおり、基本的にアウトドア派。現在もジムへ通っている。しかし朝は弱く、起きられないとの事。

■趣味は読書で、江國香織や恩田陸、アレックス・シアラーなどを愛読。漫画はさほど読まないが2007年4月から出演している『生徒諸君!』は好きとの事。

■浴衣や着物が好きで、着付けも自分でできる。絵を描くことは苦手。

■意外にも爬虫類は平気であり、頭をなでるくらいかわいがる。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070609-00000000-oric-ent

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黒木瞳 エピソード&プロフィール

黒木 瞳(くろき ひとみ、本名:伊知地 昭子、旧姓:江上、1960年10月5日 - )は、日本の女優。福岡県八女郡黒木町(くろぎまち)出身。

■宝塚歌劇団の元月組トップ娘役。

■芸名は出身地の黒木町に因んで同郷の五木寛之(福岡県八女市出身)が命名した。宝塚歌劇団在団時の愛称はショーコちゃん。

■身長163 cm。血液型はA型。オフィス稲垣所属。


【略歴】
福岡県立八女高等学校在学時映演部長として九州大会進出。音楽大学への進学が決まっていたが記念受験で受けた宝塚歌劇団に合格。高校卒業後の1979年4月に、宝塚音楽学校に入学。1981年に宝塚歌劇団に入団し『宝塚春の踊り』で初舞台。宝塚時代の同期には、北原遥子、真矢みき、涼風真世、毬藻えりらがいる。

下級生時代、1982年1月より朝日放送の情報ワイド番組『おはよう朝日です・土曜日です』に北原とともにレギュラー出演、レポーターなどをこなした。

入団2年目(研2)の時に史上最速出世記録で、大地真央の相手役として月組トップ娘役に就任。
黒木のトップ就任については技量の未熟さや時期尚早ではとの異論もあったが、顔が小さく男役としては細身だった大地が、同じく顔が小さく華奢、さらに「おはよう〜」で度胸ある番組進行をこなしていた黒木に着目、相手役にしたいと申し出て就任が実現したという。

『あしびきの山の雫に』『シプーレット』『ガイズ&ドールズ』などに出演。

1985年、『二都物語/ヒート・ウェーブ』の東京公演で大地と同時退団、女優に転進した。


【退団後の活躍】
退団後は女優に転身。映画デビュー作「化身」が評価され、妖艶な、それでいて清楚な美人女優として、ドラマの時代劇やサスペンスなどを中心に活動を続けていたが、1997年に映画「失楽園」に出演し、不倫の恋を大胆に演じて大きな話題となった。原作とともに社会現象となったこの作品をきっかけに知名度が一気に広がり、活躍の場が広がった。なお、この作品で日本アカデミー賞、最優秀主演女優賞を獲得している。現在も時代の最先端を行く女優として、第一線で活躍を続けている。

またこれ以降、各種の好感度調査などで上位の常連となり、「理想の上司」「働くママのファッションリーダー」「主婦のおしゃれのお手本(大垣共立銀行付属総合研究所の調査結果)」といった評価がなされている。

KIRINの付属研究所が実施した「会社(職場)の人とのお酒の飲み方に関する意識調査」では「一緒にお酒を飲みたい女性上司」の第一位に選ばれた(同期の真矢みきも10位に選ばれている)。また、産業能率大学が2007年度新入社員に対し、「こんな女性上司の下につきたい、と思う人」のベスト5に同期の真矢と共にランクイン。

1991年に電通勤務の伊知地俊夫と結婚。1998年に長女を出産(38歳での比較的高齢出産)。詩集やエッセーの出版もしている。

平成18年11月19日、大相撲九州場所にゲスト解説者として出演し、毎年初場所を観戦し、座布団を投げる逸話を紹介。夫と相撲をとるとも。1999年1月場所の初優勝以来、千代大海の大ファン(千代大海のエピソード項参照)。

2007年8月18日8月19日放送予定日本テレビの24時間テレビで元プロ野球選手新庄剛志と共にチャリティーパーソナリティーを務めることになった。

自身のホームページではファンからの質問や感想に目を通し、多くのファンに返事を書き、それをホームページに載せている。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070609-00000000-sanspo-ent

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宮尾すすむ エピソード&プロフィール

宮尾 すすむ(みやお すすむ、1934年3月8日 - )は、日本のタレント、俳優。本名は山口 進(やまぐち すすむ)。旧満州(現・中国東北部)で生まれ、終戦後は鹿児島県阿久根市で育つ。


【来歴・人物】
鹿児島県川内市(現・薩摩川内市)で洋服店を経営し、その後、上京して漫談家の宮尾たか志に師事。歌手の司会などを務める後、タレントとしてテレビに進出。バラエティ番組の司会やリポーターなどの仕事を中心に活躍。

登場する時、顔の前で両手を交差させて、右手の平を右アゴに乗せて『....ハイッ!』と叫びながらとる決めポーズで一躍有名になり、井手らっきょをはじめとするお笑い芸人に真似されている。近年では太田光が、物真似という形ではないのになぜかこのポーズを使っている。




芸能界にデビューしてから永らく、「1939年生まれ」と年齢をサバ読みしていた。これはデビュー当時、事務所の意向で「昭和ヒト桁生まれでは若々しさがない」といわれたからだそうである。

リポーターを務めたテレビ朝日系『モーニングショー』の人気コーナー『宮尾すすむのああ日本の社長』は、日本各地の会社の社長、すなわち経営者・創業者に密着リポートする長寿シリーズとなった。イカ天ブームの時に、これにちなんだ宮尾すすむと日本の社長というバンドがデビューしている(宮尾自身は無関係)。

また、上記「'宮尾すすむのああ日本の社長」のパロディコーナーである「宮尾すすむの社長のお嬢さん」というコーナーを、1990年〜1991年にかけて放送されたバラエティ番組「GOB」(日本テレビ)で担当、こちらも密かな人気を得た。

その他、俳優としてテレビドラマや映画、テレビコマーシャルにも出演。

1994年夏、愛妻である山口明美が47歳の若さで他界。

長男でタレントの山口雅史は新日本プロレス実況ナビゲーターとして活躍。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070602-00000039-sph-ent

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渡辺満里奈 エピソード&プロフィール

渡辺 満里奈(わたなべ まりな、1970年11月18日 - )は、日本の女性タレント、司会者。本名、名倉 満里奈(なぐら まりな、旧姓:渡辺)。


【人物像】
東京都大田区出身。エイプリル・ミュージック→SMAエンタテインメント所属。

血液型はB型。中延学園女子高等学校卒業。

「満里奈」という名は、父親がヨット好きだったため、マリーナに因んで命名されたといわれている。

『夕やけニャンニャン』の「ザ・スカウト アイドルを探せ」では、月曜日の登場から圧倒的な存在感を示し、金曜日には高得点で合格を果たした。その際、とんねるずに「おニャン子は君のものだ!」とまで言わしめた。それほどまでの逸材であったが、後に本人曰く、この合格以前にいくつものオーディションで落選していた、とのことである。

翌週の1986年3月27日におニャン子クラブ会員番号36番としてデビュー。とんねるずの予言を具現化するように、所属早々より人気を博し、後期おニャン子クラブの主力メンバーとなった。また、とんねるず(と秋元康)にかわいがられ、妹分的な位置づけとなった。おニャン子クラブ時代は同じ渡辺姓の渡辺美奈代とともにW渡辺、ワタナベズと呼ばれた。(ただし、二人は不仲であるというのが定説で、満里奈自身はほぼそれを認めている)

おニャン子クラブ在籍中のソロデビュー曲『深呼吸して』は、当時のオリコン初登場1位最年少記録(15歳11ヶ月)であり、2001年(平成13年)3月27日、当時モーニング娘。だった後藤真希のデビュー曲『愛のバカやろう』(15歳6ヶ月)が登場するまで、約15年間この記録は破られなかった。

ただ、歌唱力の不安定さは否めず(同じ年の工藤静香と比べても大きな差がある)自曲のほかアルバム曲『避暑地の森の天使達』をテレビで歌った際には、他の2人のメンバーに苦笑いを入れられながら歌いきった。

おニャン子クラブ解散後も歌手としてアイドル番組やバラエティーなどに出演。当初はアイドルとして、事務所の意向に沿った形で当時のアイドルらしい衣装や楽曲で出演していたが、途中から満里奈自身のセンスが事務所に買われ、独自の路線で曲や衣装なども変わっていき、他のアイドルとはまったく別の方向性で同性からも人気を得た。

その後、とんねるずと秋元康の縁から『とんねるずのみなさんのおかげです』にレギュラー出演、お笑いの資質も見出され芸歴に幅が拡がり、後の司会業をはじめとする様々な番組の出演への道が開けた。

また、その頃から本人の意向により、おニャン子メンバーであったことを表に出したがらないようにもなる(コンサートでもファンに対し、おニャン子時代の応援グッズは持ってこないように通達が出ていた)。そのため、他のメンバーとも積極的に関わろうとはしなくなったが、フジテレビがお台場に移転した際の特番で、一度だけ『セーラー服を脱がさないで』を元メンバー達と一緒に歌っている。

1990年代前半はアンテナ系タレントとしてサブカル系人脈と交流を深めるが、サブカル好きの女子には嫌われていた。またナンシー関や町山広美、山田美保子などのコラムニストから「なぜあんなに売れているんだ?」とバッシングを受ける。

現在では、彼女のファッション、旅行、健康などの本人の趣味による本が同性に好評で、その方面での人気が強まってきている。特に台湾通として知られている。

訪台が高じて(よく食べ、飲んでいたのであろう)一時的に体格が豊かになっていた時期があったが、現在はピラティス・メソッド(これに関しても著書「ピラティス道」を上梓)の実践でシャープな体型を維持している。

バラエティ番組においてタモリ、ビートたけし、みのもんた、とんねるず、古舘伊知郎といった強烈な個性の持ち主たちと堂々と渡り合う姿から「猛獣使い」の異名を持つ。

メントレGのメントレレストランの時に、城島茂に「30越えても恋人おれへん奴に負けられへんねん!」と言われたことがある。(その当時はまだ独身で、名倉潤と付き合っていたのかも不明。しかも城島とは同じ年で、渡辺が後に結婚したが、城島は現在も独身、彼女すらいない。)

夫はお笑いトリオ・ネプチューンの名倉潤。2005年4月5日、テレビ朝日の番組『銭形金太郎』で、共演している名倉との結婚を発表した。2005年5月5日に婚姻届を提出し、10月23日に東京プリンスホテルにて披露宴を行った。なお、自身の公式HPでの日記に度々書かれている「彼」「だんなはん」とは、たいてい名倉のことである。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070601-00000155-sph-ent

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1日1粒飲むだけで吐息がカラダがバラの香りに。
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香取慎吾 エピソード&プロフィール

香取 慎吾(かとり しんご、1977年1月31日 - )は、日本の男性アイドルグループSMAPのメンバー。神奈川県横浜市鶴見区獅子ヶ谷出身。ジャニーズ事務所に所属。

血液型はA型。愛称は慎吾くんまたは慎吾ちゃん。また、香取慎吾の特上!天声慎吾の影響から、王子と呼ばれることもある。元光GENJIの諸星和己からは「グレムリン」と呼ばれていた。 その親しみやすさは、慎吾ママ、NIN×NIN忍者ハットリくん(忍者ハットリくん実写版)でのハットリくん役、西遊記での孫悟空役等でジャニーズ随一とされている。身長180cm。イメージカラーは緑。


【来歴・人物】
■ジャニーズ入りのきっかけは母親が事務所に履歴書を送ったこと。ちなみに母親はジャニーズかボーイスカウトか中学受験で迷った。

■ジャニーズ事務所に入所したのは、偶然にもその後同じグループになる木村拓哉、稲垣吾郎と同じ日であり、後々にもこの「出会った頃の印象」はこの3人の中で良く交わされている。尚、木村から見た当時の印象は「子供」、稲垣から見た印象は「中性的で女の子みたい」。

■幼少時から、最年長(リーダー)で同郷の中居正広になつき、よく面倒を見てもらっており、いつも中居の後をくっついていた。1993年頃からのSMAP売り出し時期には、中居とペアで仕事をすることが非常に多く、自らを「バラエティ班」と呼び、アイドルながら数多くのバラエティ番組に出演。同年4月には、中居・香取にとってもSMAPにとってもターニングポイントとなった仕事の1つである笑っていいとも!のレギュラーにジャニーズ事務所のタレントとして初めて抜擢された。レギュラーとなった2人は、その後も何度となく特番でコンビを組み、1998年〜2003年まではフジテレビ系列のサタスマ、サタ☆スマ、デリスマ!、スマ夫とレギュラー番組を持った。

■また、2人で「ナカチャンカトチャン」というコンビを組んだり、「ナカトリ」と自分たちのことを呼んでたりもしたが、サタ☆スマが始まってからは、中居が「これが俺らのコンビ名だから」と言ったことから、サタ☆スマコンビと呼ばれる事が多い。また身長差からデコボココンビと言われることも。

■憎めないキャラクターが売りで、メンバーの中居正広はある雑誌で『慎吾のことを嫌いな人はいないと思う。』と語っていた。

■忙しい芸能活動の一方で、創作活動も盛んに行っており、過去にイラスト集を出すなどしている。絵はかなり巧い。ぷっすまにゲスト出演した時は、画廊の人から高値で買値が付く程実力も兼ね備えている。おしゃれイズムでは、心の黒いウサギを書いている。津軽鉄道の車輌をペイントした模様は「SMAP×SMAP特別編 香取慎吾ガンバります!」で放映された。

■又、大の映画好きであり、10代後半からプライベートで映画を撮っている(2004年には「ある人」に、スポンサーになるので映画を撮らないかとも言われた)。

■料理・グルメに関しては、大好物がマヨネーズというのは非常に有名であり、小さい頃は雑草などにマヨネーズをかけて食べていたという逸話も。話が有名になり、味の素がCM出演を打診し、現在までおよそ10年以上出演し続けている。

■一方作る方においては、SMAP×SMAP放送開始当初、料理はキャベツの千切りすら危うかったものの、番組が回数を重ねるごとに技術も向上しSMAP×SMAP内のコーナー、ビストロSMAPでは、デザート職人と称されている。ただ現在も、鮮魚を扱うことは全くの不得手のままである。他のバラエティ番組で腕前を披露したところ、個人指導を受けても扱いきれなかったことがある。このことからビストロコーナーでは、少なくとも香取が担当する食材の下ごしらえに関しては、江上料理学院のサポートが大きな比重を占めていることが判る。また、ビストロSMAPでは出演者が試食の際「おいしい」と言うと、中居正広がそれを叫び、彼がゲストにちなんだ仮装をする等の大げさなリアクションをする点も名物の一つとなっている。

■織田裕二の長年の大ファンだった。ずっと憧れていたので初共演の際は感激で打ち震えてたとか。台本が真っ白だったため、織田裕二に「赤ペンを買え」と言われた話はその後ネタにするほど有名。

■笑っていいとも!では毎回、衣装が変わる。衣装は、その週に起きる時事や当日から始まる月9ドラマ、SMAPの活動にいいとものコーナー等、最新の話題にちなんだものが殆どである。最初に着た衣装は、1993年に初めていいともレギュラーに抜擢された際に着た金色を基調とした派手なものであった。なお2007年上半期現在、メンバーの中では最年少ながら(同学年にほしのあき、劇団ひとりがいる)最古参である。

■2003年は15kgのダイエットに成功し、ダイエット記を綴った本「DIET SHINGO」はベストセラーとなり、この年の年間ベスト6位となった[ちなみに現在はリバウンドしている。生来の食いしん坊のうえ面倒臭がり屋である性格と、多忙なスケジュールが重なった結果(そうではあるが、多忙を極めるスケジュールにあっても体型を維持している人物は数多くいる。「同僚」がその好例であろう)。西遊記のロケでオーストラリアの砂漠に赴いた。過密日程と猛暑の上に、アクションシーンの連続という過酷な撮影環境となった。が、香取のみ2キロの体重増で帰国している。また、同書に記されている「過度」のダイエット方法にもリバウンドの原因があると考えれられる。

■2005年からはテレビ朝日のサッカー日本代表応援団長としても活躍。香取がスタジアムへ行けば日本は負けないというマスコミに作られた「不敗神話」がある。神話の実態として、アジア予選はほとんどが日本よりも世界ランクの低い格下が相手であり、勝つことは当然の試合がほとんどであった。また、イランのような強豪国の試合を観戦していなかったことも要因である。サッカーにおいては、負けに等しい引き分け、という試合が制度上多くなる傾向がある。不敗といえば聞こえはいいが、不敗=常勝ではなく、勝ちきれない、消化不良の試合を重ねている証拠でもある。

■史上最年少で大河ドラマ「新選組!」の主演に抜擢された。脚本家の三谷幸喜氏の強い要請を受け、何度も説得された後に出演を快諾したという。初回視聴率は26.3%と近年にない好スタートを切る。平均視聴率は17.4%で、歴代41位。ワースト4位となる。最高視聴率と最低視聴率の差も過去最大であった。

■2005年8月に放送された24時間テレビでは、メインパーソナリティーに草?g剛と共に選ばれた。同24時間テレビオリジナルTシャツもプロデュース上最高の売り上げとなった。この年の平均視聴率も歴代1位となった。

■身長については諸説があるが、テレビ朝日のニュースステーションにゲスト出演した際、久米宏に対して、「180cmです」と本人が自ら答えている。

■2007年1月31日、ついに三十路になり、SMAP全員30代になった。

■2007年7月28日〜29日に放送予定の「FNS27時間テレビ みんな“なまか”だっ!ウッキー!ハッピー!西遊記!」の総合司会を務めるが決まっている。


【参加ユニット】
・スケートボーイズ
・SMAP


【エピソード】
■SMAP結成当初、まだマネージャーがついてなかった頃、小学生の香取がSMAPのメンバーからの「明日のスケジュール」の連絡係をしていた(※半分ネタ、半分真実)

■幼少のころ、ザリガニを釣って食べたことがある、しかしおなかの紫色の筋をとらなかったため、おなかを壊したと本人がテレビで発言している。また、「アリはなぜ行列を作って歩くのか」を調べ、アリのお尻から甘い汁が出ていることを知り、本当に食べてみたら甘かったということも話している。

■家族でグアム旅行した際、帰りの税関で「ピストルが入ってるよ」と何度もいい、香取ファミリーを真っ青にさせる。(5歳の慎吾少年が言ってたのは「水鉄砲」のことだった)。

■尚、この旅行話は中居正広が「お前は金持ちで5歳からグアム行って…」と金持ちネタでよく話題にする。

■ファーストコンサートのリハ中にバク宙を練習していて着地に失敗し右足を複雑骨折、コンサートに不参加、結局松葉杖姿で1曲(ビートルズの「LET IT BE」の日本語版)だけ泣きながら歌っただけに留まり、彼にとって苦いファーストコンサートとなった。

■10代の頃はよく寝坊遅刻をしていた。最大の遅刻は97年笑っていいとも!の50分遅れ。チーフマネージャーは中居に電話をし、彼と一緒じゃないと確認すると、次に木村に電話をし「あんた、慎吾どこに連れてったの!」といきなり木村を怒鳴りつけたらしい。マネージャー女史はとにかく「かつてないほど動転」していたという(遅刻の理由は本人が全く起きなかった+担当マネージャーの寝坊だったとか)。

■「ドラゴンボール」(特に孫悟空)、大友克洋とその著作「AKIRA」(特に鉄雄)の大ファンである。

■スタジオジブリ作品が大好き。DVD「風の谷のナウシカ」の販促タレントに選ばれたが、その会見で実はジブリ作品では「天空の城ラピュタ」がもっとも好きだと漏らす。2003年スタジオジブリから「日本一のジブリファン」に認定される。木村拓哉がハウルの動く城の声優に選出された時には「正直言って悔しい」と語った。

■声優としてのデビュー作は赤ずきんチャチャのリーヤ役。アニメ声優らしい演技ではなかったが、素朴な狼少年という役どころにはぴたりとはまっていた。後に監督インタビュー内で「彼の代役はどの声優にもできない」とまで言わしめている。

■2002年春、サッカー好きに目覚めた。しかし現在に到るまで、Jリーグの試合を観戦したことはない。あくまで日本代表のみの関心となっている。代表選手の顔と名前もほとんど一致しない状態であった。W杯以降サッカーの話題をすることはほとんどなくなっていが、自宅内でサッカーボールで戯れることはあるという。

■中田英寿のファンになったきっかけは、フランスワールドカップで世の中がヒデ一色だった時に、同い年であることで興味を持ったことから。また、プロ意識の高さなども好きな理由だという。(香取自身にプロ意識があるというわけではない)あまりに好きすぎて、会うことを拒否していたが、2004年プライベートで訪れたミラノで偶然出会う。中田に「一緒に食事しませんか」と誘われたが「緊張しちゃうのであなたと食事するのは絶対無理です」と断るも、ホテルに中田が現れたため、朝までホテルのバーで2人きりで色んな話をした。本人はその思い出を宝物と語る(※後日この話はテレビで語られた)。

■海外旅行が大好き。年に1度、生放送の笑っていいとも!を休み、丸1週間休暇をもらい旅行をする。毎年、タモリが本日休みであることを伝えるが、なぜか旅行の為に休むという理由を公表することは無い。また、レギュラー陣もこの話題に触れようとしない。ちなみに笑福亭鶴瓶が旅行で休む際は、タモリはきちんと「夏休みでお休みです」と説明している。尚、10代の頃はハワイ専門だったが、20代半ばからはヨーロッパびいきに。

■世界遺産、美術館が大好き。これが彼が年に1度海外旅行をする理由の1つ。2006年に出版された写真集の中に自身で撮ったとされる海外旅行の写真も掲載されたが、その中に、自分自身では撮れない角度から撮られた香取の写真が掲載されていた。また、旅の土産話や同行者の話を全くしようとしないことから、交際女性と旅行に行っていることが判明している。

■とても口が大きい。握りこぶしが口に入る(このことで同じ逸話を持つ「新選組!」の近藤勇役に指名されたという噂がある)。また、ハーモニカを口の中に入れて音を出してみたり、CDを入れてみたり、太巻きなどを無理やり口にすべて入れたり、ハンバーガー1個、ナゲット4個を口に詰め込んだりすることもでき、この芸を生かしたSMAP×SMAPのコントも、「オギャリン」等、数々登場した。

■マジックが大好き。ドラマ「ドク」の撮影でベトナムに行った際には、現地の子供たちにマジックを披露した。最近はスマスマなどの撮影の合間にも見せているらしい。Mr.マリックにも数度教えてもらっている、お墨付き。しかし彼の現在の憧れはクロースアップマジックの奇才前田知洋(2006年現在未対面)。

■めざましテレビは「僕のゴールデンタイム」らしい。

■ドラマの台本を、ドライリハ前までに現地で覚える(これには賛否両論あるが、この癖がついた理由は幼い頃から芸能界にいて、コント台本を当日その場で覚えることからついてしまったと言われている)。

■極度のめんどくさがり屋で携帯番号などを人に教えない。香取曰く「最初は意味が無かったけど、最近それが楽しくなってきた(2000年発言)」らしい。ちなみにメンバー以外で携帯番号を自ら教えたのは俳優の織田裕二のみというのは有名。

■だが「新選組!」で共演した山本耕史には最初に携帯の電話番号を、後に携帯のメールアドレスを「盗まれた」。なお、メールアドレスに関しては「盗めるものなら盗んでみろ」という意識だったらしい。

■上記にあるように、何事も面倒がる側面があり、アイドルとして俳優業もこなしているが、他人の作品や舞台を見て研究したりすることはない。黒澤明やチャップリンの作品も未見のままとなっている。しかし映画そのものは好きなようで、北野武作品等はかなり好きらしい。番組で北野本人と対談を行った時にもその事を強調していた。

■一度寝たら起きない、また、起きたらなかなか寝ない。かつてはよく父に蹴り起こされていたという。

■SMAP×SMAPの総集編内のクイズにて、中居正広がマツケンサンバの一部歌詞を「テロテアリーナ」と間違えた事をからかい、クイズで優勝した香取が、最下位だった中居への罰ゲームとして、自身が監督をするコントで中居を「テロテアリーナ」という架空の化け物に扮装させた。

■藤村俊二氏のニックネーム「オヒョイさん」をいたく気に入り、御本人の目の前で「僕もオヒョイさんと呼ばれたいです、2代目オヒョイさんを名乗っていいですか?」と真顔でもちかけた。絶句したものの、快く「い、いいですよ。どうぞどうぞ」承諾を得たことある。

■香取とチェ・ジウが対談した際に、チェ・ジウが好きな日本語を聞かれ、香取を見つめながら「愛してる」と即答すると、香取は珍しく照れまくった。そして「ラブストーリーじゃなくて、僕がサル(孫悟空)の役でもいいから共演したい」と猛烈アピールした事がある。

■昔HEY!HEY!HEY!にSMAPで出演したときに松本人志にあだ名「ヒバゴン」とつけらてしまった。


【慎吾ママ】
慎吾ママ(しんごまま)は香取慎吾がテレビ番組で演じたキャラクター。

フジテレビ系列「サタ☆スマ」での女装した香取が慎吾ママとなり、一般公募で選ばれた視聴者の母親と一日交替し、家事や子育てをするというコーナー。コーナー冒頭で、慎吾ママが眠たげな表情でする「おっはー」という挨拶が2000年流行語大賞に選ばれた。因みにこのパロディーキャラとして、元お笑いコンビ・極楽とんぼの加藤浩次が演じた加藤ママがいる。

その後、慎吾ママは、歌手デビューなどをし、歌番組にも多数出演している。番組では、香取慎吾と慎吾ママは別人であると言っている。

●「おっはー」
2000年の流行語大賞を受賞した語。元々は、テレビ東京系列の朝の子供番組「おはスタ」でMCの山寺宏一らが行う挨拶の「OHA!」から来ている(当時は「おーはー」「おっはー」の明確な区別はなかったがこの騒動の後「おはスタ」では「おーはー」と明記するようになる)。慎吾ママのロケの最中に子供が「おはスタ」を見ていたため香取はこれを気に入り使うようになった。オリジナルの手の動きまでそのまま使用しながら独自の考案物であるような振舞いが見られたため、「おはスタ」ファンを中心に物議を醸した。香取が「おはスタ」に生放送出演し、山寺から事後承諾の形で使用許可を取り付けることで問題は表向き収束した。その年に出したシングル『慎吾ママのおはロック』は130万枚を売り上げる大ヒットとなった。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070601-00000061-sph-ent

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石立鉄男 エピソード&プロフィール

石立 鉄男(いしだて てつお、1942年7月31日 -2007年6月1日 )は日本の俳優。神奈川県横須賀市出身。私立三浦学苑三浦高等学校卒業。現在、アクターズプロモーション所属。本名は同じ。


【来歴・人物】
俳優座養成所第13期生、文学座座員を経て、テレビドラマ『おくさまは18歳』の主演で大ブレイクを果たす。1970年代を中心に、アフロヘアー(1970年頃になって髪を伸ばしてゆるいパーマをかけていたが、数年後にアフロヘアーになった)に独特の声・言い回しで人気を博し、『雑居時代』、『水もれ甲介』『気まぐれ天使』など主演作多数。特に日本テレビ系『パパと呼ばないで』における杉田かおるの「パパ」役などが有名。石立の最も有名であろう台詞「おいチー坊」などは、竹中直人や柳沢慎吾の物真似のネタにもなっている。

『噂の刑事トミーとマツ』、『スチュワーデス物語』など大映テレビ制作ドラマの常連俳優でもあった。人生のペーソスを感じさせる軽妙さとシリアスさを兼ね備えた幅広い演技力をもつ実力派の大物俳優であるが、副業のドッグブリーダーとしても有名であった。

女優吉村実子と結婚していたが、長い別居生活を経て離婚。離婚会見では「子供の顔が分からない」と発言した。

将棋の腕前もなかなかのもので、NHKの将棋対局などに出演したことがある。また、宮田利男を初めとするプロ棋士達と、プライベートでも交流があった。

2007年6月1日、急性動脈りゅうで熱海市にて死去した。亡くなる3週間前に『ウラネタ芸能ワイド 週刊えみぃSHOW』(ytv、関西ローカル)に「あの人は今?」コーナーに出演したのが最後の仕事だった。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070601-00000124-mai-soci

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