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L'Arc〜en〜Ciel エピソード&プロフィール

L'Arc〜en〜Ciel(ラルク アン シエル)は1991年に結成された日本のロックバンド。リーダーはtetsu。所属プロダクションはMAVERICK D.C、レコード会社はKi/oon Records。一般的な通称はラルク。


【メンバー】
■hyde(ハイド)Vocal, Chorus, Guitar (和歌山県和歌山市出身 1969年1月29日生)

■ken(ケン)Guitar, Chorus (滋賀県米原市出身 1968年11月28日生)

■tetsu(テツ)Bass, Chorus(リーダー) (滋賀県米原市出身 1969年10月3日生)

■yukihiro(ユキヒロ)Drums (千葉県市川市出身 1968年11月24日生)

《元メンバー》
■hiro(ヒロ)Guitar - 1992年6月12日脱退

■pero(ペロ)Drums - 1992年12月30日脱退

■sakura(サクラ)Drums (東京都練馬区出身 1969年11月20日生) - 1997年11月4日脱退


【概要】
《大要》
1991年2月頃、大阪市でtetsuを中心に結成される。グループ名の「L'Arc〜en〜Ciel」はフランス語では「ラルカンスィエル」「ラフカンスィエル」[lar.kɑ̃.sjɛl]と発音し、「虹」という意味(英語直訳は「the arch in (the) sky」、日本語直訳は「空中のアーチ」)。インディーズ時代は関西を拠点に活動。名前の正式な由来は不明であるが、阪急梅田駅前にあった喫茶店(現在は大丸梅田店の中に移転)の名前をtetsuが気に入り、そこから取ったという説が有力である。

当時のメンバーはtetsu(ベース)、hyde(ボーカル・当時は「Hide」と表記)、hiro(ギター)、pero(ドラムス)の4人。hydeとperoは共に「Jelsarem's Rod」で活動していたが、バンドのメインコンポーザーであったhydeが「行き詰まりを感じて」解散。バンド解散以前にセッション大会で会ったtetsuに「バンドを作ろう」と誘われ続けた結果、tetsuらとセッションをした縁もありL'Arc〜en〜Cielへと加入する[1]。なお、結成時から各メンバーにはそれぞれが加入していた前バンド時代からのファンがそれぞれに相当数付いていたため、5月30日にホームグラウンドとしていた難波ロケッツで行われたファーストライブは、いわゆる「対バン」形式ながらも100人以上を動員、同年9月27日に同所で行われた初のワンマンライブでは、300人以上の動員を記録する異例の事態となった。

1992年6月、hiroが脱退し後釜にtetsuの幼なじみであったkenが加入。直後アルバムレコーディングを行うが、メンバー曰く「出来映えが気に入らなかった」ため、全曲をボツにしアルバムを発売しない意向を取った。しかし、その1件で当時所属していた事務所との間に問題が生まれ、レコーディングに掛かった経費などを支払うように言われたが、これとほぼ同時に、現在の所属事務所であるデンジャークルー(現マーヴェリック・ディー・シー)社長の大石征裕から「うちの事務所に来て欲しい」と誘いがあり、そのままデンジャークルーへ移籍する。この時の借金は事務所間での話し合いがあり全てクリアになった[1]。

1993年、前年12月に脱退したperoに代わって1月にsakuraが加入。この後に約1ヶ月間のレコーディングに入り[2]、初の公式発売音源となる1stアルバム『DUNE』を発売。5月10日付オリコンインディーズアルバムチャートで1位を獲得し、インディーズでの人気を不動のものとする。この年の夏、当時ソニー・ミュージックエンタテインメント内では新規レーベルであった「キューン・ソニーレコード」(現キューンレコード)と契約を結び、1994年7月1日、ビデオシングル『眠りによせて』でメジャーデビューを果たす。

デビュー直後はインディーズ時代からのファンも多かったが、デビュー後初の全国ツアー「Sense of time '94」の東京ベイNKホール公演などではチケットがソールドアウトしないという事態が発生し[3]、以後は「スタッフに任せきり」だったコンサートのプロモーションなどを自分たちで行うようになる。10月21日には1stシングル『Blurry Eyes』を発売、メジャーレーベルでの本格的な活動を開始した。

1995年に入ると積極的にライブ活動を行い、12月27日には「TOUR heavenly '95 final」で初の日本武道館コンサートを開催するなどコンサート中心の活動となった。その後もCDリリース・ライブ活動を中心に徐々に人気を広げ、1996年12月発売のアルバム『True』がデビュー後初のオリコン1位を獲得。『True』はその後発売6週目でミリオンセラーを記録し、同時期には初のアリーナツアーを開催するなど人気は過熱しはじめ、ヒット街道を驀進するものと思われたが、1997年2月にドラマーであるsakuraが逮捕、活動を完全に休止する。

sakuraの逮捕後、「曲作りとリフレッシュ」の名目でイギリスに渡り、レコーディングを含めた数ヶ月間の滞在をする。この間にサポートドラムとして元DIE IN CRIESのドラマー、yukihiroが参加し、同年10月に長い休止から復活。直後発売したシングル『虹』は当時のL'Arc〜en〜Ciel史上第1位のヒット(当時の自己最高初動・最高売り上げを共に更新)を記録。12月23日に自身初となる東京ドームで行った復活コンサート「1997 REINCARNATION」では公演チケットが当時最速の4分で完売と、それまでには無かったほどの爆発的人気を得ることになった。

翌1998年にはyukihiroがドラマーとして正式加入。アルバム『HEART』の初動ミリオンヒット直後から大規模な連続リリースを行うようになり、7月に『HONEY』『花葬』『浸食 〜lose control〜』の3枚同時シングル発売や、それによるオリコンシングルチャート1〜3位独占、10月には『snow drop』『forbidden lover』の2枚2週連続シングル発売、1999年7月には『ark』『ray』の2枚同時アルバム発売などの特異的なCDリリースを行い大きな注目を浴びた結果、デビューがほぼ同時期であるGLAYとともに「邦楽2大ロックバンド」などと呼ばれることもあった。

また、この時期から大々的な広告展開を行うようになり、プロレスラーである藤原喜明の起用を始めとするバラエティに富んだ広告をCM・新聞などで展開していた。その中には「グループ名の『L'Arc〜en〜Ciel(ラルク・アン・シエル)』の正しい読み方を広く認知させる」もの、「『活動予定告知』の告知」、新聞広告での「新曲の着信メロディの作成方法」など、それまでにはない奇抜なものを載せ、注目を集めていった。

2001年、シングル『Spirit dreams inside -another dream-』を発売した後に各自がソロ活動などに入り、実質的な活動休止状態になる。一部では解散説も流れ「もうL'Arc〜en〜Cielとしての活動は無いのではないか」と思われていたが、2003年に行われたライブ「Shibuya Seven days 2003」で大々的な復活を果たし、最終日には2004年3月のアルバム(SMILE)発売発表で解散説を一蹴。翌年2月4日にシングル『READY STEADY GO』を発売し完全復活。翌年からはシングル・アルバムの発売やコンサートツアーを行うなどメインでL'Arc〜en〜Cielとしての活動を行いつつ、各自がCDリリースなどのソロ活動を行っていたが、2005年9月に行われた「ASIALIVE 2005」の後に活動は再び休止され、各メンバーのソロ活動に移行となった。

2006年、バンド結成15周年を記念し「L'Anniversary」と題した企画[4]が行われ、過去に発売された8cmシングルの12cm化再発や『ark』、『ray』のDVD付き再発盤「15th Anniversary Expanded Edition」を発売。11月25・26日には「L'Arc〜en〜Ciel 15th L'Anniversary Live」と題し東京ドームで2日間の公演を行った。同日に公式ホームページ上で2007年春のシングルリリース、2007年6月〜8月にかけて9年ぶりのホールツアーを行うことを発表した。


《音楽性》
メンバーの一人一人が持つ高い演奏技術や楽曲センス、hydeの書く幻想的な詞の内容などがL'Arc〜en〜Cielの人気の一つとなっており、特に活動初期〜中期の詞は「比喩に比喩を重ねた詞」と形容されるほど独特な表現をしている。また楽曲のレンジも幅広く、スタンダードなポップスから激しいハードロック、叙情的なバラードまで様々なバリエーションが存在するが、これはメンバー全員が作曲(・作詞)を行うことからも分かる。

また、カップリング曲をアルバムに収録しないのも有名で、シングル『DIVE TO BLUE』までは「表題曲+カップリング曲(+カラオケバージョン)」という形態で発売していたが、1998年のシングル3枚同時発売時からあまりその形態にこだわらなくなり、2003年には企画盤のベストアルバムとして『The Best of L'Arc〜en〜Ciel c/w』が発売、一部のファンからは批判も出た。なお、2004年からのシングルではメンバーのパートチェンジバンド「P'UNK〜EN〜CIEL」とのスプリットシングルという形態で発売されている。


《L'Arc〜en〜Cielとヴィジュアル系》
1999年4月19日、NHKの音楽番組「ポップジャム」の5月1日放送分を収録中、tetsuが2曲演奏する所を1曲演奏時点で中止するという事態が起こる。事の発端は、当時番組MCを務めていたお笑いコンビ・爆笑問題の太田光がメンバーに対し「ヴィジュアル系」と発言した事から。直後演奏した『HEAVEN'S DRIVE』ではtetsuが本来行うはずのコーラスをやらず、演奏後ベースをぞんざいに扱うなど不機嫌な様子でステージから捌けていった。この事件は一部のファンの間で「ポップジャム事件」と呼ばれている。

この事件を2004年に出版されたtetsuのインタビュー本「哲学。」の中でtetsuは「楽器をぞんざいに扱いキレてそのまま帰ったというのは間違いである」とし、実際は「NHKとL'Arc〜en〜CielのメンバーおよびL'Arc〜en〜Ciel側のスタッフが話し合った結果このまま収録を続行することができないという結論に達したため、スタッフ等に挨拶をし次の仕事へ向かった」といった内容を語っている。

実際L'Arc〜en〜Cielのメンバー内でhydeやkenなどは「ヴィジュアル系と言われるのは仕方が無い」と語っているが、tetsuは「『ヴィジュアル系』というのは差別用語」「楽曲をきちんと聴いてもらっていない証拠」と、これを頑なに否定している。ただ初期のL'Arc〜en〜Cielでのtetsu始めメンバーの容姿はヴィジュアル系の様を呈しているため、この行動や「差別用語」発言に対する批判は多い。


《パートチェンジバンド》
バンド内の遊びも兼ね、不定期でメンバー間のパートチェンジを行うことがある。またそこからの発展型として、過去KIOTO(キオト)、にD'Ark〜en〜Ciel(ダーク アン シエル)、P'UNK〜EN〜CIEL(パンク アン シエル)の3つのパートチェンジバンドが存在した。

■KIOTOは1995年〜1996年にライブのみで披露されたTOKIOのコピーバンドで、「LOVE YOU ONLY」をカバーしていた。ちなみに、このバンドは「TOKIOのリーダー城島茂公認」で「バンドの詳細は謎に包まれている」、という設定である。

■D'Ark〜en〜Cielは全てオリジナル曲のバンド。『the Fourth Avenue Café』参照。

■P'UNK〜EN〜CIELはL'Arc〜en〜Cielが過去に発表した楽曲をハードロック調にカバーするバンド。

また、「Shibuya Seven days 2003」では「trick」の、「AWAKE TOUR 2005」では「STAY AWAY」(「formation A」「formation B」の2パターン)のパートチェンジバージョンを披露している。


【来歴】
■1991年
・2月、大阪で結成。結成当初のメンバーはtetsuを中心にhydehiro、peroの4人。

・4月18日、YANTA鹿鳴館で上記の4人による謎のセッション・バンドとしてライヴを行う。

・5月30日、難波ロケッツ(大阪での活動拠点となったライブハウス)でL'Arc〜en〜Ciel名義での初ライブを行う。

・8月31日、市川CLUB GIOで関東での初ライブを行う。

■1992年
・6月12日に行われた難波ロケッツでのライブでhiroが脱退。その後任としてkenが加入。

・10月1日、コロムビアから発売されたオムニバスアルバム『GIMMICK』に『Voice』が収録される。

・11月25日、初の単独音源であるシングル『Floods of tears/夜想花』を発売し、限定1000枚が予約だけで完売する。

・12月30日に行われた大阪ミューズホールでのライブでperoが脱退。

■1993年
・peroの後任に元The HAREM Qのsakuraが加入。

・4月10日、Danger Crue Recordsからインディーズでアルバム『DUNE』の限定版を発売。4月27日に通常版を発売。

・5月31日付けのオリコンインディーズアルバムチャートで『DUNE』が1位を獲得。

・6月14日〜7月3日、コンサートツアー「Close by DUNE」を開催。8月1日には日清パワーステーションで最終公演「Close by DUNE FINAL」を開催する。

・11月9日〜12月20日、コンサートツアー「FEEL OF DUNE」を開催。

■1994年
・4月3日〜4月15日、インディーズ時代最後のコンサートツアー「ノスタルジーの予感」を開催。

・7月1日、VHSビデオシングル『眠りによせて』でKi/oon Sony Records(現Ki/oon Records)からメジャーデビュー。

・7月14日、2ndアルバム『Tierra』発売。

・7月14日〜8月27日、メジャーデビュー後初のコンサートツアー「Sense of time '94」を開催。

・10月21日、1stシングル『Blurry Eyes』発売。

・12月1日、公式ファンクラブ「Ciel(シエル)」の入会受付を開始する。

・12月1日、コンセプトビデオ『Siesta 〜Film of Dreams〜』発売。

■1995年
・2月1日、「Ciel」が正式に発会。これを受けて1月24日〜2月4日に発足記念ライブ「Ciel/winter '95」を開催する。

・5月21日、2ndビデオシングル『and She Said』発売。

・5月21日〜6月27日、コンサートツアー「in CLUB '95」を開催。

・7月6日、2ndシングル『Vivid Colors』発売。

・7月30日、渋谷公会堂で「Rendez-bous前夜祭」を行う。

・8月22日、NACK5主催のライブイベント「彩の国秩父ミューズコンサート'95 NACK5 GO-ROCK」に黒夢、THE YELLOW MONKEYなどと共に参加。

・8月24日〜8月31日、メンバー自身が全国を回るキャンペーンイベント「Rendez-bous 1995 Summer」を行う。

・9月1日、3rdアルバム『heavenly』発売。

・9月9日〜10月4日、コンサートツアー「TOUR heavenly '95」開催。

・10月3日からNACK5の番組「MIDNIGHT ROCK CITY」の火曜パーソナリティを務める(1996年3月26日まで)。

・10月21日、3rdシングル『夏の憂鬱 [time to say good-bye]』発売。

・12月12日〜12月25日、コンサートツアー「The other side of heavenly '95」を開催。

・12月27日、「TOUR heavenly '95」の最終公演として、初の日本武道館ライブ「TOUR heavenly '95 final」開催。

■1996年
・3月21日、ライブビデオ『heavenly 〜films〜』発売。

・4月3日〜5月29日、コンサートツアー「Kiss me deadly heavenly '96」を開催。5月26日にはそれを挟み東京ベイNKホールで「Kiss me heavenly deadly '96 REVENGE」を開催。

・7月8日、4thシングル『風にきえないで』発売。

・8月26日〜9月4日、コンサートツアー「BIG CITY NIGHTS ROUND AROUND '96」を開催。

・10月7日からTBSラジオで「ボンジュールL'Arc〜en〜Ciel」開始(1997年3月11日まで)。

・10月17日、5thシングル『flower』発売。

・11月21日、6thシングル『Lies and Truth』発売。

・12月12日、4thアルバム『True』発売。初のオリコンアルバムチャート1位獲得とミリオンセラーを記録する。

・12月23日〜(1997年)1月29日、コンサートツアー「TOUR '96〜'97 Carnival of True」開催。sakura在籍時最後のコンサートツアーとなる。

■1997年
・2月24日、sakuraが覚せい剤取締法違反の現行犯で逮捕され(sakura逮捕時の流れや概要参照)、事実上の活動中止となる。

・10月17日、7thシングル『虹』発売。サポートドラムとして元DIE IN CRIESのyukihiroが参加する。

・11月4日付けでsakuraが正式に脱退を発表。

・12月23日、初の東京ドームライブ「1997 REINCARNATION」開催。

■1998年
・1月1日付けでyukihiroが正式なメンバーとして加入。

・1月28日、8thシングル『winter fall』発売。2月9日付オリコンシングルチャートでシングル初の1位を獲得する。

・2月25日、5thアルバム『HEART』発売。

・3月25日、9thシングル『DIVE TO BLUE』発売。

・4月22日、PV・ライブ映像集『A PIECE OF REINCARNATION』発売。

・5月1日〜7月21日、コンサートツアー「Tour'98 ハートに火をつけろ!」前半戦を開催。

・7月8日、10thシングル『浸食 〜lose control〜』、11thシングル
『HONEY』、12thシングル『花葬』を同時発売。同一アーティストが売り上げた最多初動セールスを記録。『HONEY』『花葬』がミリオンセラーを突破し、その中でも『HONEY』は自身最高のセールスを記録した(122.4万枚)。

・9月3日〜10月21日、コンサートツアー「Tour'98 ハートに火をつけろ!」後半戦を開催。

・10月5日からニッポン放送で「OH!DAIBA TO BLUE」開始。

・10月7日、13thシングル『snow drop』発売。通算3作目のミリオンを記録。

・10月14日、14thシングル『forbidden lover』発売。

・11月21日、全日本有線放送大賞を受賞。

・12月4日、日本有線大賞最多リクエスト歌手賞、日本有線大賞を受賞。

・12月23日、ライブビデオ『ハートに火をつけろ!』発売。

・12月31日、第40回日本レコード大賞優秀作品賞を獲得。同時に『HONEY』でNHK紅白歌合戦に初出場。

■1999年
・3月、第37回ゴールデン・アロー賞音楽賞、グランプリ受賞。

・4月3日、「OH!DAIBA TO BLUE」リニューアルスタート(同年6月終了)。

・4月18日〜7月4日、テレビ朝日系「稲妻!ロンドンハーツ」のエンディングで楽曲を演奏するコーナーに出演。

・4月21日、15thシングル『HEAVEN'S DRIVE』発売。ノンタイアップながら通算4作目のミリオンを記録。

・6月2日、16thシングル『Pieces』発売。

・7月1日、6thアルバム『ark』、7thアルバム『ray』を同時発売。両方がダブルミリオンを超える売り上げを記録。同時に8月31日までの62日間期間限定サイト「arkray.com」を展開。

・7月17日〜8月21日、野外ライブツアー「1999 GRAND CROSS TOUR」を開催。東京公演では10万人を超える観客を2日間に渡って動員する。

・8月11日、17thシングル『Driver's High』、PV集『CHRONICLE』を同時発売。

・10月4日からTOKYO FM系「やまだひさしのラジアンリミテッド」内で「FLYING〜L'Arc〜ATTACK」開始。

・10月27日、18thシングル『LOVE FLIES』発売。

・12月1日、ライブビデオ『1999 GRAND CROSS CONCLUSION』発売。

・12月7日、1999年度ベストドレッサー賞受賞。

・12月31日、『HEAVEN'S DRIVE』で2度目の紅白出場。そのリハーサルや出演と平行し、初のカウントダウンライブ「RESET>>LIVE*000」を開催。

■2000年
・公式ファンクラブの名称が「LE-CIEL(ルゥ シエル)」に改名。

・1月19日、19thシングル『NEO UNIVERSE/finale』発売。5作目のミリオンを記録。2007年時点でこのシングルがラルクのラストミリオンセラーシングルとなっている。

・6月28日、yukihiroプロデュースのリミックスアルバム『ectomorphed works』発売。

・7月19日、20thシングル『STAY AWAY』発売。

・8月30日、8thアルバム『REAL』発売。

・10月8日〜10月27日、ライブハウスツアー「CLUB CIRCUIT 2000 REALIVE」を開催。

・11月4日〜12月6日、初のドームツアー「TOUR 2000 REAL」を開催。
東京ドーム4公演のうち12月5日公演はYahoo! JAPAN内の「Yahoo!ブロードキャスト」で、12月6日公演はSKY PerfecTV!のペイ・パー・ビューチャンネルで、通常形態の放送に加え4人それぞれのアングルがチャンネル別(5チャンネル)に生放送された。

・12月31日、『STAY AWAY』で3回目の紅白出場。

■2001年
・3月14日、Yahoo! JAPANとのジョイント企画で初のベストアルバム『Clicked Singles Best 13』発売。

・3月28日、PV集『CHRONICLE 2』発売。

・6月20日、ライブビデオ『CLUB CIRCUIT 2000 REALIVE -NO CUT-』発売。

・9月5日、21stシングル『Spirit dreams inside -another dream-』発売。発売後に活動休止状態に入り、その間は各個人がソロ活動を行う(hydeはHYDE名義、kenはSONS OF ALL PUSSYSとして、tetsuはTETSU69名義、yukihiroはacid androidとして活動)。

■2002年
・3月、「FLYING〜L'Arc〜ATTACK」レギュラー放送終了。

■2003年
・3月19日、企画盤ベストアルバム『The Best of L'Arc〜en〜Ciel』を3枚同時に発売。

・6月28日〜7月6日、国立代々木競技場第一体育館での7Daysコンサート「Shibuya Seven days 2003」開催。最終日はNTTドコモのFOMAを用いた世界初のライブ映像ストリーミング配信を行った。

・12月17日、ライブビデオ『7 Shibuya Seven days 2003 LIVE DVD』発売。また、「DVD Re-PRICE」として『眠りによせて』〜『heavenly 〜films〜』のDVD版、『A PIECE OF REINCARNATION』、『ハートに火をつけろ!』のトールケース仕様廉価版を発売。

・12月26日、日本武道館で行われたマーヴェリック・ディー・シー主催のイベント「天嘉 弐 -DANGER II-」にスペシャルゲストとして参加。

■2004年
・2月4日、22ndシングル『READY STEADY GO』発売。2年7ヶ月振りに本格的な活動を開始する。

・3月3日、23rdシングル『瞳の住人』発売。

・3月31日、9thアルバム『SMILE』発売。

・5月11日〜6月27日、コンサートツアー「SMILE TOUR 2004」を開催。ラルク名義での全国ツアーは3年6ヶ月振りとなる。

・6月2日、24thシングル『自由への招待』発売。

・7月24・25日、大阪ドームと横浜国際総合競技場で行われたロックフェスティバル「THE ROCK ODYSSEY 2004」に出演。

・7月30日、米メリーランド州ボルチモアで行われたアニメコンベンション「OTAKON 2004」の一環で、初の海外でのコンサート「Live in USA」を行う。

・12月14日、ライブビデオ『LIVE IN U.S.A 〜at 1st Mariner Arena July 31, 2004〜』発売。

・12月19日、大阪城ホールで行われた「鋼の錬金術師FESTIVAL」にシークレットゲストとして参加。

・12月25日、「天嘉 参 -DANGER III-」にスペシャルゲストとして参加。

・12月26日、国立代々木競技場第一体育館で行われた「鋼の錬金術師FESTIVAL」にシークレットゲストとして参加。

■2005年
・1月13日、25thシングル『Killing Me』発売。

・4月6日、26thシングル『New World』発売。

・5月18日、27thシングル『叙情詩』発売。

・6月1日、ライブビデオ『SMILE TOUR 2004 〜全国編〜』発売。

・6月22日、10thアルバム『AWAKE』発売。オリジナルアルバムでは『REAL』以来4年10ヶ月ぶりのオリコン1位を獲得する。

・7月20日、28thシングル『Link』発売。

・7月22日、東京国際フォーラムで行われた「『劇場版 鋼の錬金術師 シャンバラを征く者』前夜祭」にゲストとして参加。

・7月29日、大阪城西の丸庭園で行われたイベント「MBS ANIME FES.'05」にシークレットゲストとして参加。

・8月6日〜8月31日、コンサートツアー「AWAKE TOUR 2005」を開催。

・9月3日〜9月25日、韓国、中国、日本のアジア地域3カ国を回るコンサートツアー「ASIALIVE 2005」を開催。

・10月5日、HYDEがソロ6thシングル『COUNTDOWN』を発売し、翌年9月まで再びソロ活動に入る。

・12月14日、ライブビデオ『AWAKE TOUR 2005』発売。

・12月25日、tetsuが元DEAD ENDのボーカルMORRIEのソロプロジェクト、「Creature Creature」にサポートメンバーとして参加することを発表。

■2006年
・6月21日、ライブビデオ『ASIALIVE 2005』発売。

・7月15日から8月31日にかけ、J-POP CAFE SHIBUYAでイベント「L'Arcafe」開催。

・8月30日、『Blurry Eyes』から『forbidden lover』までの14枚のシングルと、未発売だったシングル『the Fourth Avenue Café』を12cmシングル化して発売。この再発で前年にサザンオールスターズが記録した「同一アーティストによるオリコンシングルチャートTOP30入り」記録を12から15へ伸ばした。

・11月25日・26日、東京ドームで結成15周年記念ライブ「L'Arc〜en〜Ciel 15th L'Anniversary Live」を開催。2日間で約12万人を動員する。

・12月13日、1999年に発売されたアルバム『ark』『ray』に特典DVDを付属した『15th Anniversary Expented Edition』を発売。

■2007年
・2月14日、PV集『CHRONICLE 0 -ZERO-』発売。

・4月4日、DVD-BOX『FIVE LIVE ARCHIVES』発売。

・5月30日、29thシングル『SEVENTH HEAVEN』発売。

・6月11日〜8月30日、「ハートに火をつけろ!」以来9年ぶりとなるホール会場を回るコンサートツアー「Are you ready? 2007 またハートに火をつけろ!」を開催。

・8月29日、30thシングル『MY HEART DRAWS A DREAM』発売予定。

・9月12日、ライブビデオ『15th L'Anniversary Live』発売予定。

・10月10日、31thシングル『DAYBREAK'S BELL』発売予定。

・11月、32thシングル、11thアルバム発売予定。

・12月、PV集『CHRONICLE 3』発売予定。


【sakura逮捕時の流れや概要】
■1997年2月24日
sakuraが覚醒剤取締法違反で現行犯逮捕される

■1997年2月27日
裁判所から逮捕の事実の連絡が事務所へ行き渡り、メンバー緊急ミーティングを行う(sakuraは立川署にて身柄を拘束、接見禁止)以後3月11日の読売新聞朝刊で事件の報道がされるまで何度もミーティングが行われる

■1997年3月11日
読売新聞朝刊で今回の事件が報道され、以後他の夕刊やスポーツ紙などでも事件の報道をされる

■1997年3月29日
前日にsakuraが仮釈放になったのを受け事件後初の4人でのメンバーミーティングを行う

■1997年4月17日
東京地裁八王子支部でsakuraの第一回公判が行われる

■1997年4月18日
バンドからオフィシャルファンクラブ「Ciel(現LE-CIEL)」並びマスコミやスタッフなどに今回の事件に関してコメントが発表される

■1997年4月27日
この日以降の各音楽雑誌に18日発表のコメントが掲載される

■1997年5月1日
sakuraに懲役2年、執行猶予3年という判決が言い渡される

■1997年10月17日
シングル『虹』を発売し活動再開 サポートドラマーとしてyukihiroが参加

■1997年11月4日
sakuraが正式にL'Arc〜en〜Cielを脱退(脱退理由は「音楽性の違いのため」となっている)

■1998年1月1日
同日付でyukihiroがL'Arc〜en〜Cielのドラマーとして正式加入


《事件を受けての活動の自粛等》
■3月26日に発売予定だったシングル『the Fourth Avenue Café』発売中止

■同曲はフジテレビ系アニメ「るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-」のEDテーマだったが、以前のEDテーマであるT.M.Revolutionの「HEART OF SWORD〜夜明け前〜」に差し替えられる(ビデオ版では1クール使用)

■旧譜の出荷停止(4月21日に解除する)

■TBS系ラジオ「ボンジュールL'Arc〜en〜Ciel」が3月11日を以て放送終了

■4月に予定されていたファンクラブツアー「ハワイ・アン・シエル」中止(1998年3月31日〜4月6日に行われる)

■夏前発売予定だったニューシングルのレコーディング延期

■夏の野外ライブイベント(フジ・ロック・フェスティバル)出演中止

■各音楽雑誌でメンバーが行っていた連載等が休止

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070730-00000003-oric-ent

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加山雄三 エピソード&プロフィール

加山 雄三(かやま ゆうぞう、1937年(昭和12年)4月11日 - )は、俳優・歌手・作曲家・俳優・タレント。神奈川県横浜市出身(育ちは茅ヶ崎市)。本名・池端 直亮(いけはた なおあき)。ニックネームは若大将。血液型A型。岩倉具視の高孫。

父親は俳優の上原謙(池端清亮)、母は女優の小桜葉子。妻は元女優の松本めぐみ、長男でコンピュータグラフィックの会社を経営する池端信宏、次男で俳優の山下徹大(てつお)、長女でタレント・料理研究家の梓真悠子、次女で女優の池端えみ。


【人物・来歴】
1960年、慶應義塾高等学校から慶應義塾大学法学部卒業後、東宝に入社。同年、『男対男』で映画デビュー。渡辺プロにも一時期在籍。

加山雄三という芸名の由来は、「加賀(百万石)・(富士)山・英雄・小林一三」から一文字ずつ拝借したものと東宝のデビュー会見で報じられている。しかし若大将シリーズの時期には大学時代の成績が可が山ほどあって優が3つしかなかったので「可山優三」をもじって命名したと揶揄された。ただし、慶應義塾大学では成績の評価は「優・良・可」法ではなく「A・B・C」法なので、その説に異を唱える向きもある。

1961年、『夜の太陽』で歌手デビュー。NHK紅白歌合戦出場11回。代表曲多数。のちのフォークソングやニューミュージック全盛時代に先立つ、日本におけるシンガーソングライターの草分け的存在であり、また日本ではじめて多重録音を手がけた歌手でもある。

ソングライターとしてのペンネームは、團伊玖磨と山田耕筰を足して2で割った弾厚作(だんこうさく)であり、同名義で作詞・作曲している (日本テレビ系24時間テレビ 「愛は地球を救う」のテーマソングである『サライ』は谷村新司が代表作詞し、加山が作曲したものである)。

1965年12月に映画『エレキの若大将』主題歌として発売された『君といつまでも』は350万枚の大ヒットになり、1966年の日本レコード大賞の大本命とされていたが、結局大賞は橋幸夫の『霧氷』が受賞することになり、『君といつまでも』は特別賞に留まった。

俳優としては1960年代、東宝の看板スターとして活躍、娯楽映画の『若大将シリーズ』が大ヒットして代表作となるが、一方で黒澤明、成瀬巳喜男、岡本喜八といった名匠の作品にも多く出演している。ブロマイドも爆発的に売れ行きを記録した。

1965年、神奈川県茅ヶ崎市にパシフィックパークホテルを建設。しかし、1970年にパシフィックパークホテルが倒産し、父の上原ともども莫大な負債を抱えてしまう。加えて、後の妻となる女優・松本めぐみとの駈け落ち同然の結婚が世間を騒がせてしまう事態となり、映画界の斜陽で『若大将シリーズ』が終了し、映画出演の減少も重なって、不遇の時代となる。キャバレー回りや1個の卵を夫婦二人で分け合って食事せねばならないほど追い込まれたが、活動をテレビに主軸を移し、『加山雄三ショー』を始めとするバラエティや『大追跡』などのテレビドラマで活躍。加えて、「理想の父親」と呼ばれるほど世間からの好感も高く、ヤマザキナビスコのクラッカー「リッツ」で家族全員でCM出演をするほど、「理想の家族」としても認知度が高い。

1993年にアメリカのMosrite(モズライト)社よりマリンブルーと『若大将シリーズ』で皆の憧れの的だった白の2色にファズを搭載した加山雄三モデルギターが発売された。

1997年4月23日には、加山の60歳の誕生日を祝って石井竜也ら加山を慕う豪華メンバーが集まり、『60キャンドル』というトリビュートアルバムが発売された。

2000年、Mosrite社よりパールブルーの加山雄三・芸能生活40周年記念モデルギターがハイパーランチャーズの「ハイパー」に語呂を合わせた818,000円で限定40本で発売され、即完売した。このモデルは前回のモデルと同様にファズが搭載されていて、ヘッドがイニシャルのKにカットされ、フィンガーボードにはLEDが組み込まれていてスイッチで光るようになっている。ジャックはボディ裏にある。とてもオリジナリティ溢れるものになっている。

2005年4月10日には新高輪プリンスホテルにて、「芸能生活45周年を祝う会」という盛大なパーティが開かれた。関連してヤマハより芸能生活45周年記念モデルギター「SG3KY」が限定45本で発売され、ハワイのセニーザ社(CENIZA)より、加山雄三・芸能生活45周年記念モデルのウクレレが、限定45本で発売された。

2006年3月3日・4日、東京文化会館の45周年と加山雄三の芸能生活45周年を祝うガラ・コンサート(祝典)が大ホールで行われた。同ホールは、クラシック音楽の殿堂・オペラの聖地として名高く、ポピュラー音楽が鳴ることはかつて無かったが、ポップス・シンガーとして初めてステージに上ったのが加山だ。 「加山雄三With大友直人 シンフォニック・ガラ・コンサート」で、千住明をはじめとする5人の編曲家によって加山サウンドをクラシックに蘇らせた。 プロデューサーで構成・演出をしたのは 加山雄三の還暦の祝いに日本初のトリビュートアルバムをプロデュースした木ア徹。彼は東京文化会館の音楽監督である大友直人の古くからの友人であった為に革命的なコンサートが実現した。 この模様はDVDになり現在リリースされている。

2006年8月26日、加山と同じく湘南というイメージや、茅ヶ崎出身の有名人として名の挙がるサザンオールスターズの桑田佳祐の呼びかけにより、『THE 夢人島 Fes.2006』に参加。桑田がバックバンドを務めた。

2007年4月29日、神奈川県茅ヶ崎市の茅ヶ崎駅北口のペデストリアンデッキに加山雄三の手形モニュメント(加山本人の手形及び『海・その愛』という直筆の言葉が彫られたレリーフ)が設置され、服部信明茅ヶ崎市市長を始め、茅ヶ崎市関係者及び市民が参列し、除幕式が盛大に執り行われた。

最近では、テレビタレント・コメンテーターとしても活躍している。


【エピソード】
■母方の高祖父は、500円札にもなった政治家の岩倉具視である。

■『エレキの若大将』の中で『君といつまでも』を歌うシーンについて、加山は「あり得ない展開だ」と主張し、「映画だからいいんだ」と言うスタッフと意見が分かれた。結局、加山が折れることで撮影が行われたが、こうした経緯から加山は歌詞の内容とミスマッチな仏頂面で歌っている。

■1966年6月、ビートルズ来日の際に東京ヒルトン(現在のキャピトル東急ホテル、2007年現在建て替え中)に宿泊していた4人を訪ね、会食した数少ない人物。

■2004年、ニッポン放送のラジオ番組・坂崎幸之助のオールナイトニッポンに生出演をした。彼はすこぶる機嫌の良い様子で坂崎とのセッションで持ち歌の生演奏をした。ギターだけでなくピアノの弾き語りも一流である。

■テレビ朝日系で放送されていたクイズタイムショックではパーフェクトを達成したことがある。

■中学時代にカヌーを造って以来大小10隻以上の船も設計しており、光進丸という、自ら設計した全長30メートルを超える船を所有している。自ら『光進丸』という曲も作るほど、愛着が伺える。現在の船は3代目で、建造費用は5億円と言われている。加山は大型船舶免許や5級海技士免許を所持しており、「海の若大将」では初代光進丸が劇中に登場する。

■大のゲーム好きで、少しでも時間があるとプレイステーション2でバイオハザードシリーズや鬼武者シリーズをやっている。特にバイオハザード1ではナイフ使用限定クリア、鬼武者シリーズでは1作目において57分というクリアタイムを叩き出している。この記録は世間的に見ても、相当上手でないと達成できないことから、その好きさ加減が伺える。ゲームをやりだしたきっかけとしては、老化防止になると友人から薦められたからだと語っている。2006年(平成18年)4月5日放送の『ウチくる!?』スペシャルに出演した際は『ファイナルファンタジー』について熱く語った。ハドソンのスーパーファミコン用ソフト「鮫亀」ではゲーム音楽とイメージソングの作曲を手がけている。

■鉄道マニアでもあり、「加山雄三ミュージアム」には自身の鉄道模型コレクションが多数ある。雑誌・鉄道ファンにインタビュー記事が掲載されたことがある。

■慶應義塾大学在学中にスキーで国民体育大会に出場したことがある。スキューバダイビングも楽しむ。

■JR茅ヶ崎駅南口からかつて加山邸があった場所を経て国道134号に通ずる道は「(加山)雄三通り」と名付けられている。

■1986年(昭和61年)の『紅白歌合戦』で司会者を務めたが、少年隊の『仮面舞踏会』を紹介する際、誤って「…少年隊、仮面ライダー!」と言ってしまった。

■日本のポピュラー音楽界において、数多くの「初」物を行っている。すなわち、日本初のシンガーソングライター (『君といつまでも』、1965年) であり、日本で初めてトリビュート・アルバムが製作されたアーティスト (『60 CANDLES』、1997年(平成9年)4月23日・FHCF-2376) であり、さらに東京文化会館のステージに初めて立ったポピュラー歌手(2006年)となった。

■さだまさしが毎年8月に行なっている平和を祈念したコンサート「夏・長崎から」に共鳴し、1996年から10年間連続でゲスト出演した。今後も機会があれば参加するつもりであるという。

■絵画(油絵)の腕前は玄人はだしで、個展も開いている。料理の腕も一流でまわりの人に手製料理でもてなすこともある。

■UFOに詳しいらしい。

■英語は日常会話には全く不自由しないほど達者である。

■『8時だョ!全員集合』に出演した時、台本上は笑いを取ることになっていなかったが(当時所属していた東宝が「笑いを取らせる様な事をさせない」事を条件に出演を了承していたため)、「馬鹿なことだろうと何だろうと笑いを売りにしている番組に出て笑いを取らないのは、歌番組に出て歌を歌わないのと同じ事」とスタッフの反対を押し切って本番で加藤茶の「ウンコチンチン」を披露した。

■上記以降、特に1990年代以降はバラエティー番組への出演が増えた。その際の有名なエピソードとして、全く親交が無く「たまたま近くにいた」だけで、浜田雅功に「おい雄三、コラァ」といじられ、浜田は後に謝りに行ったが、「なぜ謝る必要があるのか」と返したエピソードはあまりにも有名である。バラエティー番組において、いじられる事に対しては寛容な方で、くわやまゆうぞうとして自分の物まねをしていた南原清隆に「くわやま君とはデビュー以来親友だったんだよ」と茶目っ気たっぷりに返したりしているのだが、あまりに大御所クラスな事もあって、加山を知る一部の芸能人を除き、いじる側もやや遠慮気味である。

■2007年7月29日、東京銀座の山野楽器で自身が過去衆議院・参議院ともに出馬要請が10回以上あったと発言した。ただ「自分には向いてないね」と控えめなコメントできり交わした。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070730-00000018-spn-ent

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町田康 エピソード&プロフィール

町田 康(まちだ こう、1962年1月15日- )は、日本のパンクロック歌手、詩人、俳優、小説家である。旧芸名は、町田 町蔵(まちだ まちぞう)。本名は同じ漢字で「まちだ やすし」である。

大阪府堺市出身。1981年、ロックバンド「INU」のボーカリストとしてアルバム『メシ喰うな!』で歌手デビュー。同バンド解散後も様々な名義で音楽活動を続ける傍ら、俳優としても多数の作品に出演。1996年には処女小説『くっすん大黒』で文壇デビュー。2000年には小説『きれぎれ』で第123回芥川賞を受賞している。以後は主に作家として活動している。


【略歴】
《音楽活動》
大阪府立今宮高等学校在学中の1978年、セックス・ピストルズに触発され、パンク・ロックバンド「INU」を結成。町田町蔵 (まちだまちぞう)の芸名で歌手活動を始動する。「INU」は1981年にアルバム『メシ喰うな!』でデビューするが、間もなく解散してしまう。その後の町田は「FUNA」、「人民オリンピックショウ」、「絶望一直線」、「至福団」、「北澤組」、「グローリー」など、新しいバンドを作っては解散し、いくつかのアルバムを発表した。独特の殺気と洒落っ気に満ちたライブパフォーマンスで有名であった。音楽的には、特に初期にはパブリック・イメージ・リミテッドの影響が濃厚であったが、徐々に初期のニューウェーブ色は薄れオーソドックスなロックに接近していった。1980年代の日本のパンクロックシーンではザ・スターリンなどと並んで高い評価を得たものの、1997年の『脳内シャッフル革命』を最後に新たなアルバムを発表しておらず、活動の重点を小説に移している。ライブ活動は続けており、近年ではギタリストの布袋寅泰の作品の作詞を手がけ、ライブでの共演なども果たした。しかし二人が参加するロックバンドの活動方針について意見の食い違いがあり、布袋寅泰に顔や上半身に2週間のけがを負わされて町田本人が千葉県君津警察署に被害届を提出する事態にまで関係が悪化した。


《俳優活動》
独特の存在感が評価され、『爆裂都市 BURST CITY』(石井聰亙監督、1982年)『エンドレスワルツ』(若松孝二監督、1995年)、『H STORY』(諏訪敦彦監督、2004年)『鏡心』(石井聰亙監督、2005年)などいくつかの映画に出演している。『エンドレスワルツ』ではジャズミュージシャンの阿部薫役で主演をつとめた。そのほか、テレビドラマやCMへの出演もある。

細身な体型に端整な顔立ちで、ギョロリとした大きな目、鋭い眼差しが印象的。たびたび雑誌の表紙を飾ったり、モデルを務めるなどしている。『猫にかまけて』『人生を救え!』など、多くの著書でその姿を見ることができ、小説写真集『俺、南進して』では写真家・荒木経惟の被写体となっている。


《執筆活動》
1992年、『供花(くうげ)』で詩人としてデビューする。すでに「INU」でデビューした頃より特異な文体、鬱屈と反抗性に満ちた独特な詩世界を築いており、のちの小説家としての活躍を予感させるものがあった。

詩とエッセイが渾然一体となった作品集『壊色』(1993年)を経て、1996年、処女作『くっすん大黒』で小説家としてデビューする。自堕落な人間が反省せず、意味を放棄して脱力気味に疾走する勇姿もしくは醜態を描いた同作は、それまでの日本文学の常識を打破する作品だった。

デビュー当時から、独自の文体、スタイル、話法を確立。スラップスティックな笑いに象徴される物語、ナンセンスと馬鹿馬鹿しさの徹底振りは、上方落語を祖先とし、時代劇の影響がある。また、嘉村礒多や近松秋江等の第二次大戦以前の破滅的な私小説を彷彿させると評価されている。織田作之助の系譜に通ずるとの意見もある。

また、無茶苦茶に書いている様で、実は大変に計算高く、堅実でもある。『人間の屑』は、谷崎潤一郎の『猫と庄造と二人のおんな』をモチーフにして、馬鹿な男を更に滑稽に描いた。

2000年に『夫婦茶碗』収録の『人間の屑』、『屈辱ポンチ』収録の『けものがれ、俺らの猿と』を原作とした映画がそれぞれ製作されている。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070727-00000022-dal-ent

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矢井田瞳 エピソード&プロフィール

矢井田 瞳 (やいだ ひとみ、1978年7月28日 - ) は、日本のシンガーソングライター。青空レコード所属。大阪府豊中市出身。

豊中市立第九中学校、大阪府立箕面高等学校国際教養科、関西大学文学部卒業。専攻はフランス語フランス文学。

趣味はスポーツ全般(特に水泳)。愛称「ヤイコ」。血液型A型。


【概要】
人気ミュージシャンとなった現在でも生まれ故郷である大阪に在住の女性シンガーソングライター。地元のお店やCDショップにも平気で行くようである。愛称である「ヤイコ」は、彼女の子供の頃からのあだ名。19歳でギターを始め、2000年5月に関西限定シングル「Howling」を青空レコードよりインディーズでリリース。同年7月シングル「B'coz I Love You」を東芝EMIよりリリースしメジャーデビュー。同年10月に発表したシングル「my sweet darlin'」が全国的に大ヒットし、サビのフレーズが大流行する。

言葉遊びや回文、アナグラムが好きでアルバム「daiya-monde」はdaiya→ヤイダの逆読み+monde→フランス語で「世界」の意味=矢井田の世界や「i/flancy」→I can fly、「Air/Cook/Sky」→Yaiko rocksのようにタイトルとは別に意味を持たせたものがある。

ギターの他にもピアノも弾ける。自身のライブツアーでは1曲だけではあるが、ピアノ弾き語りがある。また、2003年9月にミュージックフェアに出演した際、当時の紅茶のCMに使われていた「チェイン」をグランドピアノで弾き語りをした。

飾らない素直な気持ちを歌った楽曲は多くのファンの心を捉え、2000年10月のファーストアルバムは見事オリコンチャート1位を獲得し、ミリオンセールスを記録。デビューから1年後の2001年には大阪ドームでカウントダウンライブを実施し、翌年には東京ドームでもクリスマスライブを行うまでに成長し、この年も大阪ドームでのカウントダウンライブも成功させた。このライブは恒例になるかと思われたが、大阪ドーム及び東京ドームライブについては自身のサイトにて撤退を発表した(詳しくはこちら)。その後も精力的にCDリリース、ライブ活動を行っている。

2005年4月24日、TOKYO-FMホールにおいてMTVアンプラグドに出演。過去にエアロスミス、マライア・キャリー、ポール・マッカートニーなど数々のビッグネームが出演している伝統のあるこの番組にMTVジャパン制作としては宇多田ヒカル、平井堅に次ぎ日本人として3組目の出演を果たす。

裸足でのライブが有名であるが、理由として本人曰く「気にしぃ」な性格であり、靴やブーツの靴ひもでさえ気になることもあるので、より演奏に集中するために裸足でいるとのこと。

しかし、2005年10月30日に行われた「京都文化祭典'05 京の華舞台 平安神宮幻夜コンサート第2夜公演」ではブーツを履いて登場。同12月13・14の大阪城ホールでのライブは靴を履いて登場した。多くのファンの疑問に対し「エフェクターを踏んだりするのに裸足では感触が悪く、気持ちよく音を踏み変えるには靴を履いたほうがいいので」という主旨の書き込みを自身のサイトでしている。

韓国出身の女優・タレントのユンソナのファンであり、ユンソナがフジテレビの「笑っていいとも!」の名物コーナー「テレフォンショッキング」に出演した際、出演祝いの花を贈った。

また、大のラーメン好きで、デビュー直前までラーメン屋の薩摩っ子ラーメン江坂店でアルバイトをしていた過去がある。

2007年1月12日・1月19日放送分の「探偵ナイトスクープ」にて顧問(ゲスト)として出演。

2007年7月28日、公式サイト上の日記にて結婚を発表。


【関連人物】
■中学校の先輩にお笑いタレントの藤井隆がいる。

■高校の一年先輩に元TBSアナウンサーの有馬隼人がいる。

■関西大学の同期生に現・南海キャンディーズの山里亮太(山ちゃん)がいる。山里はテレビ・ラジオ番組等で矢井田に一方的なラブコールを度々送っている。


【来歴】
■2000年
・5月:関西限定シングル「Howling」リリース。その後、このシングルは全国で発売される。
・6月:心斎橋クラブクアトロで初ワンマンライブ
・7月:シングル「B'coz I Love You」リリースし、このシングルでメジャーデビューを果たす。
・9月:「YAIKO」名義で英国デビュー。
・10月:シングル「my sweet darlin'」全国ヒット、「ダリダリ旋風」巻き起こる。

■2001年
・1月:過労のため一時入院
・3月:関西大学文学部卒業
・3月-5月:全国ツアー、「I'm here…」Tour
・4月:英国ツアー
・8月:ライブイベント「SUMMER FESTIVAL SOUND of CLOVER」を大阪城ホールと横浜アリーナで開催、英国で発売した曲(自身の曲を英国風にアレンジしたもの)なども披露。メイヤと共演。
・11月:全国ツアー「Candle eyes TOUR」(2002年3月まで) 
・12月31日:大阪ドームで年越しライブ(矢井田瞳 COUNTDOWN LIVE 2001-2002)

■2002年
・7月:ライブイベント「summer festival Music Pool 2002」を大阪万博記念公園で開催 
・9月-10月:完全招待制アコースティックライブツアー「秋にはごゆるりと 〜acoustic live 2002 〜」開催
・12月25日:東京ドームでクリスマスライブ(Tokyo/flancy night〜ring your bell 12-25〜)
・12月31日:大阪ドームで年越しライブ(Osaka/lancy midnight〜Countdown live 2002-2003〜)

■2003年
・2月-5月:全国ツアー「i/can fly TOUR 2003」35公演。自身最多の公演回数となる。このうち2月22日の公演(静岡市民文化会館)は中断された。これは、本人の喉の調子が悪く、途中から歌えなくなってしまったためである。この日のライブでヤイコは「今日、喉の調子が悪くて。こんなこと初めてや。」と言ってメンバー全員がステージから引き下がり、緊急会議を行う。その後再び全員が再登場し、ヤイコが「やろうと思えばこのまま続けることができる。でもプロとしてはこのままの状態で音楽を届けるわけにはいかない。」とし、結局この日のライブは3月25日に延期された。
・9月:完全招待制アコースティックライブツアー「秋にはしっとりと〜acoustic live 2003 〜」

■2004年
・2月-6月:全国ツアー「YAIKO/ROCKS/50ROUNDS」50公演を開催し、最多公演回数記録を更新した。
・6月:50公演ファイナル翌日に「YAIKO/ROCKS/BORNUS/ROUND」を札幌で開催。50公演と曲順が異なっていた。
・8月1日:大阪万博記念公園、8月7日は横浜みなとみらい臨港パーク、そして8月8日には大阪城西の丸庭園(追加公演)で野外ライブ「SUMMER FASTIVAL GIRLS TALK 2004」を開催。
・“最後のドーム公演”として「HITOMI YAIDA DOME LIVE 2004 MUSIC IN THE AIR」を12月18日は大阪ドームで、12月23日には東京ドームで開催した。
・12月31日:名古屋レインボーホール(現・日本ガイシホール)で年越しライブ

■2005年
・2月:第54回別府大分毎日マラソンのテレビCMに出演。
・3月:キリンビールの発泡酒「やわらか」のテレビCMに出演。
・5月:アコースティックライブツアー「acoustic live 2005〜オトノシズク〜」
・7月-8月:いくつかの主要都市の野外ライブ(いわゆる夏フェス)に参加。そのうち東京公演(お台場冒険王)に出演した際は、アコースティック編成で登場した。
・10月:東芝EMIとの契約を終了し、インディーズレーベル「青空レコード」での活動に。「青空レコード」の販売はエイベックスグループの「エイベックス・マーケティング・コミュニケーションズ」が請け負う。
・10月30日:「京都文化祭典'05 京の華舞台 平安神宮幻夜コンサート第2夜」(アコースティック編成)公演。裸足ではなくブーツを履いて登場し話題となった。
・「矢井田瞳 HERE TODAY LIVE 2005」を大阪城ホール(12月13日・14日)と日本武道館(12月27日・28日)で開催。

■2006年
・7月-8月:「爽健美茶限定 矢井田瞳 LIVE」(東京2ヶ所2回公演、札幌、仙台、大阪、愛知、福岡、広島)開催
・11月22日:青空レコードで活動開始後初めてオリジナルアルバム「IT'S A NEW DAY」を発売

■2007年
・3月-4月:ライブツアー「矢井田瞳 TOUR 2007 “IT'S A NEW LIVE”」(全国21会場・23公演)を開催。この時も裸足ではなくブーツを履いてライブを行い、また初めてスカートで登場した。このライブツアーは、バンドメンバーが変わり、曲のアレンジが多くなされていた。
・5月8日(ZEPP NAGOYA)、9日(ZEPP OSAKA)、11日(ZEPP TOKYO)に「IT'S A NEW LIVE 追加公演」を開催。
・7月-8月:「矢井田瞳DoCoMoPRIME6 プレミアライブ」(札幌、福岡、大阪2回公演、仙台2回公演、名古屋2回公演、東京2回公演)開催。
・7月28日:自身の誕生日である「ナニワの日」に、音響関係の仕事をしている1歳年上の会社員と2年間の交際を実らせ結婚。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070728-00000018-spn-ent

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飯田圭織 エピソード&プロフィール

飯田 圭織(いいだ かおり、1981年8月8日 - )は、日本の歌手、タレントである。ハロー!プロジェクトの一員で、モーニング娘。のメンバーであった。血液型はA型。北海道室蘭市生まれ。小学生の時に札幌市手稲区に移る。所属事務所はアップフロントエージェンシー。


【人物、エピソード】
■愛称-かおりん、かおたん(主に石川梨華が使用)、ジョンソン(石橋貴明命名)。他にファンの間で使われるものとしてはいいらさん(辻希美の舌足らずな発音を模している)。本人が自分を呼ぶ場合は「かおり」もしくは「かお」。

■学歴-北海道札幌稲西高等学校(北海道立)中退・東京都立代々木高等学校定時制中退。同級生にはタレント・歌手の上原多香子がいた。

■趣味-絵を描くこと。交信(下記参照)すること。

■好きな言葉-LOVE&PEACE

■身長168 cmと、歴代モーニング娘。メンバーでは最長身。ハロプロ内でも最長身であったのだが、Berryz工房の熊井友理奈が2006年に174.5 cm、℃-uteの梅田えりかが2007年に170cm、と飯田を追い抜くメンバーが現れたため、歴代第3位となっている。「スタイルが良く、美形」と評する意見があり、つんく♂は著書『LOVE論』において「怒った顔がかわいい女」と評している。

■見た目の体格相応に腕力もある。モーニング娘。として『LOVE LOVEあいしてる』出演の際、楽屋レポートにやって来た篠原ともえをひょいと抱き上げてちゃぶ台に乗せたシーンは視聴者にちょっとした衝撃を与えた。

■デビュー当時から長い髪がトレードマークであったが、モーニング娘。卒業を機にショートカットにした。

■2000年まで黒髪にしていた。

■空想が好きで、そのためボーッとしてることが多々あり、メンバーおよびファンの間から“宇宙と交信している”と言われている。彼女が担当したラジオ番組にもそのキャラクターを生かした「飯田圭織・今夜も交信中!」(2001年〜2003年。ニッポン放送等NRN全国ネット)というタイトルがつけられた。

■モーニング娘。3枚目のシングル「抱いてHOLD ON ME!」(1998年9月9日発売)で担当したフレーズ「ねえ、笑って」は、歌番組「うたばん」(TBS系)で、司会の石橋貴明が、彼女の表情をデフォルメしてマネたものが視聴者を中心に広まり、ついには彼女を代表するフレーズとなった。また、石橋に「顔が怖い」と言われ、加入した当時の後藤真希に「怖そうな人」に挙げられていた。

■結成当時のモーニング娘。のリーダーに立候補するが、スタッフの判断により最年長の中澤になる。

■イラストや詩の才能があり、絵本を出版したり、個展を開いている。

■スポーツが得意で、特に足の速さに自信がある(本人いわく「縄跳びの成績は5」)。2001年3月に行われたハロプロ大運動会(ハロー!プロジェクトとしては初めてのスポーツイベント)ではMVPを受賞している。

■ただし、バレーボールについては長年プロフィールで「中学校時代バレー部に在籍していたためバレーボールが得意だ」としていたが、実は1年間球拾いをやっていただけだったため基礎もあまりできていないことが「ハロー!モーニング。」の中で2006年に行われた「ハロモニ。バレー部」企画の中で明らかになった。ガッタス及びメトロラビッツのいずれにも参加経験がないことも加味して考えると、個人競技には強いが団体競技(かつ球技)は不得意、という傾向が見られる。

■ダンスは不得意。モーニング娘。時代はほかのメンバーから笑われるなど、苦労している。「ASAYAN」では、レコーディング中のロボットダンスを放送された。プロモーションビデオでも容易に確認できる。たとえば、マンパワーのPV中に中腰体制で両手を前に出し手のひらを水平と平行になるようにして片ひざずつ上げるシーンでは、飯田だけ手のひらを水平に対して直角にして踊っている。ちなみに最前列に出てきて指先を正面から右に向ける去っていくシーンでは、一瞬だけ左に向けてから右に向けるという天然っぷりも発揮している。

■松浦亜弥の愛称「あやや」の名づけ親。元ネタは恋のダンスサイトの歌詞「アイヤイヤー」。

■演歌歌手の前田有紀をハロプロに引き込んだ(詳細は前田の項目参照)。

■ダジャレ好き。本人いわく「空から次から次へと降ってくる」。本人は面白いと言うのだが周りからは「寒い」と突っ込まれる。

■一時日本酒のCMに出演していたが、実際のところ酒には弱い。矢口真里いわく、酔っ払うと普段の性格からは想像もできないくらいに可愛くなるという。

■デビュー前には地元札幌で乾電池のCMに出演経験あり(この頃、笑っていいともにも出演している)。また、ASAYANの同時期に行われた小室ギャルソンオーディションの最終候補まで残った。なお、このオーディションの自己アピールで「小室さんの彼女にして下さい」と発言している。

■2000年から始まったシャッフルユニットで毎年参加しているのは(2004年も含めて)彼女ただ1人。

■「圭織」の表記が珍しいので間違われがち。特に多いパターンとしては「佳織」だが、「トリビアの泉」で「ラブマの法則」が紹介された際には「香織」と表記されていた。


【略歴】
■1981年
・8月8日 - モーニング娘。の同期メンバー安倍なつみと2日違い(飯田の方が早い)で北海道室蘭市の同じ産院で生まれた。同じ新生児室にいたという。

■1997年
・テレビ東京系「ASAYAN」(現在は終了)内の「シャ乱Q女性ロックボーカリストオーディション」(優勝は平家みちよ)の最終候補に選ばれるが落選。

・同じく最終候補に選ばれた中澤裕子、石黒彩、安倍なつみ、福田明日香と共に、課題曲「愛の種」を5日間で5万枚完売すればメジャーデビューできるという条件のもと、「モーニング娘。」を結成。

・11月30日 - 課題曲を完売(於:ナゴヤ球場)。なお、途中、地元・札幌での手売りの際、コンタクトレンズがずれ、途中で目が見えなくなるというハプニングがあった。

■1998年
・1月28日 -「モーニングコーヒー」でモーニング娘。としてメジャーデビューを果たす。当初の選考ではメインボーカルだったが、学校の試験でレコーディング2日目に参加できず、最終的にハモリを務めた(代わってメインになったのは安倍なつみ)。

・10月 - 石黒彩、矢口真里と共に、グループ内ユニット、タンポポを結成。

・12月31日 - モーニング娘。として第40回日本レコード大賞最優秀新人賞を獲得、NHK『紅白歌合戦』に初出場。

■2000年
・4月 - 4期メンバー辻希美の「教育係」になる。

■2001年
・1月 - 今まで黒髪ロングヘアーだったが、茶色に染髪した。

・4月15日 - 中澤裕子のモーニング娘。卒業に伴い第2代モーニング娘。リーダーに就任。

■2002年
・画文集『心のスケッチブック』を出版。また、『ライオンのマルジャン』(鎌田慧・作)で挿絵を担当。

・初のソロ写真集『飯田圭織写真集 かおりKaori圭織。』を発売。

・「タンポポ」から卒業。

・飯田の絵画展『モーニング娘。〜アート&カラー〜2002』が行われる。

■2003年
・「富久娘」、「資生堂水分ヘアーパックシャンプー」のCMに登場する。特に後者はマラソンランナーの役で自らのトレードマークであるロングヘアーを活かしてPRに努めた。

・zetimaの「地中海レーベル」より、ソロアルバム『オザヴリオ』『パラディノメ』を発表。原語で往年の名曲をカバーする。

・開局50周年を迎えた日本テレビの新ロゴ“日テレ”をデザイン、グラフィックデザイナーの仲間入りを果たす(なんだろうとセットなので、一応は宮崎駿とのコラボレーション作品)。

・飯田の絵画展『モーニング娘。〜アート&カラー〜2003』が行われる。

■2004年
・5月23日 - 石川梨華と共にモーニング娘。からの卒業を発表。
・ソロデビューシングル「エーゲ海に抱かれて」を発表。それに合わせて、握手会を実施。その後、2枚目のソロシングル「ドアの向こうでBellが鳴ってた」、3rdアルバム『アヴニール〜未来〜』を発表。

■2005年
・1月30日 - 『Hello! Project 2005 Winter オールスターズ大乱舞 〜A HAPPY NEW POWER! 飯田圭織 卒業スペシャル〜』の横浜アリーナでのライブを最後にモーニング娘。を卒業。これで、モーニング娘。の第1期メンバーは全て「卒業」となった。そして現役時代続けていたロングヘアーを切り落とし、ショートカットに。

・3月 -ファーストソロライブ『アヴニール〜未来〜』

・4月 -「ハイド・アンド・シーク/暗闇のかくれんぼ」プロモーションキャラクター(ソロ転向後初めてのテレビCM)

・同4月からFMラジオNACK5において「飯田圭織・地中海Sound Stroll」のDJを担当。

・12月21日 - 4thアルバム『プラン・ダムール 〜愛がいっぱい〜』を発表。

・12月31日 - 大晦日の『第56回紅白歌合戦』で、当時のモーニング娘。の現メンバー・旧メンバーと共に、「LOVEマシーン」を熱唱。

■2006年
・4月〜6月 - 安倍なつみのコンサートツアーにレギュラーゲストとして参加。

・8月27日 - 第34回フジサンケイクラシックプロアマトーナメントに近藤智弘プロのチームで出場。安倍なつみも応援として同行した(ちなみに安倍は当初"プレーせず"となっていたが実際は数回打たせてもらっていた)。

・単独でのディナーショー、ソロライブ定期的に行い、ハロープロジェクト内ではコンサートや舞台での活動を中心に行った。FMラジオのDJも継続中。

・デビュー以来続いていた大晦日の紅白歌合戦への歌手としての連続出場は「8」でストップした。

■2007年
・1月24日 - モーニング娘。結成10周年を記念して結成されるユニット「モーニング娘。誕生10年記念隊」に安倍なつみと共に初期メンバー選抜で参加、シングル『僕らが生きる MY ASIA』をリリース。

・2月4日 - 北九州市長選挙で、柴田高博候補を応援。つんく♂・矢口真里が同行。

・3月 - 幸田露伴原作の映画『五重塔』にて、主人公のガッツ石松の娘役として、ソロ活動後初めて映画出演する。

・7月 - つんく♂がプロデュースしたロックバンド「7HOUSE」(2002年に解散)の元ボーカル、ケンジとの結婚を発表。7月6日現在妊娠3ヶ月のできちゃった結婚。発表の翌日7月7日に入籍。


【愛称の由来】
『ジョンソン』
■歌番組『うたばん』(TBS系)にて司会の石橋貴明がデタラメにつけた呼び名に由来する。

■1999年2月16日放送で、当時のグループのリーダー、中澤裕子から「メンバーの名前を覚えていない」と言われ、メンバー一人一人を、「中澤だろ、(石黒彩に)広田、(安倍に)山田、(市井紗耶香に)柴田、(矢口真里に)張本、(保田圭に)高田、(福田明日香に)王、(飯田に)ジョンソン」とデタラメに列挙した。(柴田以降は1976年当時の読売ジャイアンツの上位打線を列挙している。飯田自身もジャイアンツファンだが、父親が阪神タイガースファンだったと後に発覚。なお、過去に特定のチームのファンであると公言したメンバーは他にはタイガースファンの石川梨華のみである)。なお後に加入した後藤真希はライトと名づけられた。

■それが大いに受けて、その後『うたばん』で飯田は「ジョンソン」と呼ばれるようになった。

■このあだ名は定着し、以後、飯田は「ジョンソン」の愛称で親しまれる(ファンの間では「かおりん」、同僚の間では「カオリ」「かおたん」と呼ばれる)。紺野あさ美はモー娘。に加入するまで飯田を「ジョンソン」と呼んでいた。

■2003年の第54回NHK紅白歌合戦でも、石橋と共に『うたばん』の司会をしている中居正広から、飯田はジョンソンと呼ばれた。なお、中居正広は「ジョンソン」を間違って「ジェイソン」と呼んだことがある。

■本人は当初、このあだ名を嫌がっていたが、最近では自分から「ジョンソンで〜す」「ジョンソンと呼ばれる女、飯田圭織です」などと名乗ることもある。


『かおりん』
■1998年9月10日のオールナイトニッポンで、「飯田圭織だけど、“飯田かおりん”て呼ばれたい。ホントはりんごが好きだから飯田かおりんごって言いたいんだけど、でも長いじゃん。だからぁ、かおりんと言われたい」と言った。

■「かおり」と「かお」は「かおりん」をさらに短縮した呼び方。

■飯田によれば「かおりん」の短縮形の「かおり」と普通に名前を読んだときの「かおり」は字面は同じであるがアクセントの置き方で区別する(できる)。後藤真希からは前者で呼ばれることが多い。

■飯田家の飼い犬の名前は「りんご」であるが、飯田によればこれもフルネームは「かおりんご」である。

■飯田によれば「かおりんご」という名前の商品(りんご)は実在するというが、確認はされていない。

■石川梨華(最近では中澤裕子も)からは「かおたん」と呼ばれることが多い。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070728-00000004-oric-ent

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パフィー(PUFFY)エピソード&プロフィール

パフィー(PUFFY)は、大貫亜美、吉村由美の2人から成る日本の女性歌手デュオである。複数名の歌手から成るグループは、巧みなハーモニーを駆使する事が殆どだが、「パフィー声」と称される、2人の声が渾然一体となった独特のユニゾン唱法を用いるのが特徴である。ソニー・ミュージックアーティスツ,Ki/oon Records所属。2002年からは北米ツアーを行い、アメリカ合衆国やカナダに於いては"Puffy AmiYumi"(パフィー・アミユミ)名義で活動している。


【来歴】
東京都出身の大貫は、高校在学中に男子生徒と結成したロック・バンド、ハノイ・セックスでカバーしたハノイ・ロックスの曲のデモテープを、「落選通知を受け取る為に」ソニーのオーディションに送った。結果は意外にも合格であったが、応募動機から判る様に気軽なアマチュアバンドであったハノイ・セックスは、進学準備の為解散してしまった。大貫もまた、志望職種であったスチュワーデスに必要な英語学習の為進学を決めたが、彼女の声質に魅力を感じたソニーのスタッフに説得され、神田外語学院に通う傍らソニー・ミュージック・アーティスツ(SMA)に所属して歌唱指導を受ける等、ソロ歌手としてデビューへの準備を進めていた。

大阪府出身の吉村は、当時所謂ヤンキーで、高校を中退して鉄筋工等のアルバイトを転々とする、フリーターの生活を送っていた。特に音楽等の文化活動は行っていなかったが、彼女の優れた容貌を惜しんだ知人によって、ソニー主催「ちょっとそこまでオーディション」に推され、大貫同様、意外にも合格した。どの様な類の芸能活動を行いたいか、と言うソニー側の質問に「歌手」と答えた吉村は、SMA所属のアーティストとして大阪府から上京する事になった。

SMAの事務所で初めて対面した大貫と吉村は、互いに魅力を感じたが、双方の内気な性格から当初は打ち解けなかった。僅かに年長の大貫に対し、吉村が敬語で対応する様な関係が暫く続いた。しかし、歌手として抽んでた能力を持てぬままデビューを待つと言う、同じ境遇にあった両名が抱える不安の解消先が互いの友情に求められる様になり、吉村が大貫の実家に出入りするまでに親密な関係となった。更に、音楽活動に於いても、デュオとして行うことで困難に対処出来ると考える様になった両名は、事務所にこれを提案し、既に大貫のソロ音源(後に吉村のソロも作られ、大貫亜美吉村由美名義のアルバム『solosolo』として発表された)が録音されていたにも関わらず、特に議論される事無く容れられた。同じ事務所に所属する奥田民生がプロデュースに関心を示していた事から、二人は彼に託される事になった。

その頃、米国のロックバンド、ジェリーフィッシュが来日公演を行っていた。そのドラムスを担当し、優れた作曲家でもあるアンディー・スターマーは、才能を認め合う関係である奥田を通じて、SMAと関係があった。バーで大貫と吉村のマネージャーからグループ名の案を求められたスターマーは、"The Puffy"を提案し、これが採られた(後にTheは削られた)。

パフィーとなった大貫と吉村は、ラジオ番組を持つ、真心ブラザーズ『サマーヌード』のミュージック・ビデオに客演する(この時はトレードマークのジーンズではなく、スカート姿だった)、奥田の下でアルバム制作を進める、等を行っていたが、1996年5月、プロデュースと作曲を奥田、作詞を井上陽水が担当したシングル『アジアの純真』でメジャーデビューした。ELOに影響された、煌めく様な曲調と、不可解な歌詞を持つこの曲は、極めて高い音楽性と普遍性、何より気さくなユーモアを備えており、それをジーンズにTシャツ姿のパフィーが、「自然体」「脱力系」等と評された、力みの無い、しかし計算されたパフォーマンスで表現した。これは、当時Jポップシーンを席巻していた小室ファミリーの緊張感や露骨な向上心の対極に位置する物であり、僅かな市場の隙間かと思われたそのニッチは、実はかなり大きな物であった事が、小室ソングに馴染めない、或いは飽き足らない部分を持つユーザーによる支持が生んだ、『アジアの純真』のミリオン・ヒットと言う形で示された。

勢いに乗ったパフィーは、『アジアの純真』を収録したアルバム『amiyumi』、2ndシングル『これが私の生きる道』と相次いで奥田による質の高い作品を発表し、その年の音楽新人賞を総なめにした。NHK紅白歌合戦にも出演が確実視され、実際にNHK側からもオファーがあったのだが、当時レギュラー出演していたsaku saku morning call(TVKテレビ)の年末特番への出演が先に決定していた為、辞退した。ローカル局の為に紅白の出演を蹴った事で「天下のNHKがTVKテレビに負けた」と報道された。尚、この時は吉村が出演直前に自転車事故で左脛骨骨頭剥離骨折による全治6週間の怪我をしてしまった為、saku saku morning callへの出演は不可能となり、番組には大貫のみが出演している。

こうした成功は、単なる音楽的成功と言うより、より広範な文化的成功と呼ぶべき物であり、日本のみならず、台湾等の東アジア地域にも波及した。特に、一部の若い女性達は、パフィーの登場によって、初めて自分を表現出来るスタイルを見出し、安室奈美恵のスタイルを模したアムラーに対し、パフィラーが現れた。とは言え、傾向は大きく異なるものの、安室奈美恵とパフィーは、多くの資本とプロの技術により、巧みに作り出された商品、所謂アイドルであった事に違いは無かった。

しかし、奥田は、パフィーが過去のアイドル達の様に短期間で消費されてしまう事を嫌い、責任ある姿勢で指導に当たった。パフィーもまた、こうした彼の人間性とミュージシャンとしての抽んでた才能を、「先生ちゃん」と呼んで慕った。この様に、基本的には奥田がパフィーのプロデューサーであったが、彼はパフィーが特定の指導者に依って立つことを望まず、1999年のアルバム 『FEVER*FEVER』では、笹路正徳にプロデュースを託した。2003年のアルバム 『NICE.』及び2004年のミニアルバム 『59』 では、アンディー・スターマーがプロデュースに当たった。特に『NICE.』では、彼が全ての収録曲を作曲した。それにより、これまでの、複数の作曲者から作品の提供を受け、おもちゃ箱的な多彩さを持つが、ともすれば全体の脈絡を欠いたアルバムから、統一された雰囲気の中から大人の落ち着きを醸し出す、トータル・アルバムとして完成度の高い、パフィー作品の一つの到達点を実現した。

安定して優れた音楽作品を発表し続けた事が、パフィーの人気を確立した主な要因であるが、大貫と吉村のキャラクターとしての魅力も無視出来ない。シングルCDのジャケット等を担当していた、米国のイラストレーター、ロドニー・アラン・グリーンブラットによるキャラクター商品は人気を博した。又、彼は、1997年10月に放送開始されたパフィーの冠番組である「パパパパパフィー」に於ける、スタジオセットのデザインも行った。この番組は、デビュー直後のHEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP出演時に、内気な性格と経験不足から何も喋る事が出来ないパフィーに対し、「その様な事では、もし冠番組を持つ事になったら、どうするのか」として、司会の予行演習を行わせようとした松本人志が発した架空のTV番組のタイトルを、そのまま採用して生まれた物であった。この番組が、4年間に渡り毎週放送された事は、デビュー時のブームで獲得した認知度を定着させる上で重要な役割を果たした。ホスト役を務める事で経験を積んだパフィーは、徐々に息のあった話芸を見せるようになった。この番組は、音楽活動と併せて、パフィーの活動の両輪とも言うべき重要な位置を占めた。

又、パフィーを直接キャラクター化したものではないが、コナミの音楽ゲーム『pop'n music』に登場するキャラクター『ミミ(ウサギ)』と『ニャミ(ネコ)』は、明らかに大貫と吉村をモチーフとしていた。人気の高さが窺える。

2000年、パフィーは米国テキサス州で行われたロック・フェスティバルSXSW(サウス・バイ・サウスウエスト)に出演した。これは、有望な新人を売り込むショーケース・ギグに類する催しであり、ソニーが擁する日本人アーティストの米国進出のテスト・ケースとして、「本場」のアーティストには見られない個性を持ち、競合を避けられるパフィー達が送り込まれたのである。このSXSWで手応えを掴んだパフィーは、2002年には初の北米ツアーを行い、ソニーの現地レーベルとカナダのBar/None Recordsから、『SPIKE』の現地版と、ベスト盤である『An Illustrated History Of Puffy AmiYumi』を発表し、一定の評価を得た。北米で「Puffy AmiYumi」と名乗るのは、パフィーの愛称を持つラッパー、ショーン・コムズから警告を受けての事である。

2004年には、ツアーを通じてカートゥーン・ネットワークの重役がパフィーの存在を知った事から、同局の「Teen Titans」の主題歌を担当、更にパフィーをモデルにしたアニメ・「Hi Hi Puffy AmiYumi」が制作され、全米で放送された。この番組は低年齢層から高い支持を得て、CN開局以来の高視聴率を記録した。パフィーは、アイドルとミュージシャンの中間点に位置するグループであり、デビュー以来、徐々にアーティスト寄りの方向に進み、『NICE.』で一つの到達点を示していたのだが、"Hi Hi"の成功を受けて、キャラクターとしての魅力を再確認させられる事になった。

2005年、デビュー時から在籍していたEPICレコードからKi/oonレコードへレーベル移籍した。これはソニー・ミュージックエンタテインメント内の配置転換である。また、この年、「Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ」に出演し、ビートルズの「エブリボディーズ・ゴット・サムシング・トゥ・ハイド・エクセプト・ミー・アンド・マイ・モンキー」などを歌った。

2006年1月16日(月)、米国での活躍を認められ、国土交通省が中心となって推進する、2010年迄に日本へ1000万人の外国人旅行者を招こうと言う施策である『ビジット・ジャパン・キャンペーン』の重点市場国の一つである米国に於ける観光親善大使に、国土交通大臣より任命された。又アルバム『Splurge』を発表し、北米ツアー「Splurge! Splurge! Splurge! 2006」を行い、帰国後にロック・イン・ジャパンなどのロック・フェスに参加する等、盛んな活動を続けている。同年結成10周年を迎えた。曰く「こんなに続くとは思わなかった」(10周年記念日比谷野音でのライブMCより)

キャラクターの良さを評価され、近年はCM出演も多くなっている。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070726-00000029-nks-ent

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梅宮アンナ エピソード&プロフィール

梅宮 アンナ(うめみや あんな、1972年8月20日 - )は、東京都出身のファッションモデル、タレント。元スターダストプロモーション所属。父は俳優の梅宮辰夫。母はアメリカ合衆国出身。東横学園大倉山高等学校卒業。血液型はO型。いとこに女優の梅宮万紗子がいる。


【来歴】
1990年代に『JJ』の専属モデルとして活躍。「アンナが着れば売上が伸びる」と言われ、雑誌の発行部数にも大きく寄与して一時代を築いた。専属モデルとしては珍しい雑誌間での引き抜きに近い移籍劇があった。

今となってはあまり知られていないが、羽賀研二との交際以前に、当時人気の絶頂にあったJリーガー、武田修宏とうわさがあり、芸能記者のインタビューに対し、武田本人に告白したことを認める発言をしている。この頃から父・辰夫のアンナの交際相手に関する発言が注目されるようになった。

羽賀研二とは1990年代半ばに交際が明らかになった。交際歴が長く、事実上の婚姻関係にあった。しかし羽賀の借金問題(梅宮親子が連帯保証人になり肩代わりしたと後に述べられている)もあり父・辰夫が結婚に強固に反対していた事と羽賀が借金を重ねる事を止めなかった事などから結局は破局。篠山紀信撮影によるペアヌード写真集を出したこともあり、これは羽賀の借金返済の一環だったとも言われている。

その後2001年に別の男性(飲食店従業員)とできちゃった結婚。翌年に長女を出産するが、2003年に離婚。その後、その男性は2004年7月に違法カジノを経営していたとして逮捕された。長女は梅宮が引き取り、祖父である辰夫と共にテレビ出演することもある。

2005年には既婚者である中日ドラゴンズ内野手の立浪和義と2人きりで東京都内をドライブしている写真が週刊誌で暴露され不倫疑惑が取りざたされた(尚、梅宮がテレビ番組「森田一義アワー笑っていいとも!」のテレフォンショッキングに出演した際に、立浪名義の花輪が置かれていた事がある)。その後、あるインタビューで父・辰夫が「既婚者との交際は認めない」と立浪と交際していることを暗に認める発言をし、その後も立浪との交際は続いていたが、最近になって立浪が球団関係者に不倫関係を指摘され「将来の指導者への道が断たれる事になる」と釘を刺された事などが原因で破局していた事が明らかになった。

2007年6月30日付けでスターダストプロモーションと契約解除したことが7月4日に明らかになった。ちなみに元恋人の羽賀研二が同じ6月30日に恐喝容疑で逮捕されている。

今後は父親である梅宮辰夫が立ち上げた個人事務所に所属する予定(詳細は梅宮辰夫の項を参照)

羽賀との破局後、同じく恐喝容疑で逮捕された吉川銀二と交際していた噂がある。


【人物】
モデル業の他に1990年代半ばからバラエティ番組などで活躍した。2000年代半ば以降はテレビでの活動はほとんど見られなくなった。

2007年、父親の梅宮辰夫がレギュラー出演している特命係長・只野仁(3rdシーズン)最終回(第31話)にゲスト出演し、親子共演を果たす。なお主演の高橋克典とははとこ同士である。

同じくファッションモデル出身のタレント神田うの、梨花とは親友で、テレビやイベント等での共演がよく見られた。

漫才師の海原やすよ・ともことも親交がある。


【羽賀研二逮捕後の言動】
2007年7月9日放送分のスーパーモーニングにてようやく羽賀との交際期間で起こった事に対し、重い口を開いた「もう終わった事ですので」「彼の事を思い出しただけでも辛い」「7月9日発売の週刊誌(週刊ポスト7月20日号)で言った事が全てですので」と述べた上で、羽賀との交際期間中に起こった事を話した、当初は借金の事を否定したがすぐに認めた事、さらに自分にも返済に協力する様求めた上「愛があるなら一緒に借金返せるだろう、アンナ頼むよ」と毎回の様に言われ断り切れずに自分が金策に奔走していた事、融資先の名士に「父親が保証人になるなら」と説得する様に勧められた際、家族を巻き添えにしたくない一心から断っていた事(結局羽賀の策略によりその想いも打ち壊されてしまった)自身の収入を全て羽賀に渡していた事、一時期自分が羽賀の借金の肩代わりをしていた事、父親と共にこれまで渡した金を返還する様求めた所、父辰夫に対し「梅宮家の暴露本でも出しましょうか?」と脅迫めいた事を話した事をきっかけに羽賀とは一切の関わりを断つ事にした事を明かした上で「結果的に家族ぐるみで羽賀に喰い物にされた事になります」と話し、「私達家族以外にも被害者はいると思います」「今後は子を持つ親として自然体で生きていたい、羽賀研二とは二度と関わりたくない」と述べた。

上記の発言に加え、アンナ自身が羽賀にこれまで渡した金を返してもらおうとした所「お前が自分の為にと渡した物だから金は返さない」と反故にされ、借金も含めこれまで渡した金の大半が踏み倒された事も合わせて述べている、その後父である梅宮辰夫と共に羽賀に抗議をした所、上記の脅迫めいた発言が梅宮辰夫の携帯電話にかかってきたきっかけになったという。

沖縄にあった羽賀のレストラン、ブディック、美容室のプロデューサーをしていた、オープン当日に施設側から「残りの4000万円の支払いがまだなので店はオープンさせない」と言われた際に羽賀に偶然自分の知り合いの社長が「梅宮辰夫名義」で保証人になるなら貸してくれると言われ、梅宮辰夫が借用書にサインしようとしたが自分(アンナ)の制止を振り切り、涙を流しながらサインしたと語った、この事に関しては「今思うと話が出来すぎていた」と語っている、後にその名義は当時の所属事務所の社長に頼み自分名義に書き換えた事も明らかにした。

さらに「月の半分はブティックに顔を出す様に、アンナが店にいれば(商品が)売れるんだから」と羽賀に指示された事も明らかにしている、この事に関しては「彼は芸能人であるというより、お金を儲ける事にしか興味が無かった」と述べた。

羽賀と共に協力し合ってその4000万円を返し終えた1999年の初め頃、アンナの元に羽賀の連帯保証人になった会社から内容証明郵便が届き、「すぐに3000万返済しなければ法的手段を取る」という内容の書類が送られた、「借金が次から次へと降ってくる状況はまさに地獄絵図だった」と述べている。

羽賀の逮捕を知ったのは知人からの電話で知ったという、この事に対しては「別に驚く事ではなく、むしろ遅いくらいだと思いました、自分も最後には恐喝まがいの事をされましたから」と羽賀を批判し「今振り返れば、彼の目的は私自身ではなく私のパパであり、梅宮家のお金目的だったとしか思えない、私達家族はいいカモだと思われていたのでしょう」と切り捨てた。

上記の事から羽賀との交際期間中での出来事は、表向きには一見父親に反対されつつもそれなりに幸福そうに暮らしているカップルに見えたが、実態は幸福よりも修羅場の連続であったという事が伺える。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070726-00000008-oric-ent

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益子直美 エピソード&プロフィール

益子 直美(ますこ なおみ, 1966年5月20日 - )は元バレーボール選手で、現在スポーツキャスター。東京都葛飾区出身。175cm。


【人物紹介】
バレーボール歴は中学生時代からで、1982年、地元の共栄学園高等学校に進学。在学中は春の高校バレーに出場したほか、1984年には3年生でバレーボール全日本女子代表メンバー入り。「下町のマコちゃん」のニックネームで美人の誉れが高く、山内美加らと共に1980年代の女子バレーボール界を席巻した。

1985年高校を卒業、イトーヨーカドー女子バレーボール部に入団。その後も全日本代表のメンバーとして活躍するもオリンピックには出場できなかった。

1992年引退後はアシスタントコーチ(イトーヨーカドー)を務め、1993年退社。NHKの『トップランナー』の司会を歌手の大江千里とともに長らく勤めるなど幅広い芸能活動をこなし、現在に至る。

2006年12月5日、12歳年下の自転車ロードレーサー・山本雅道と結婚。自身のホームページ上で報告した。


【エピソード】
■過去に歌手としてCDを発売したことがある。当時はTBSテレビニュースの森に出演していて、番組のエンディングテーマ曲になった。

■左右の眼球を別々に動かすことができる。スパイクの決定率を上げるにはどうすれば良いか悩んだ末、「ボールとコートの開いている場所を同時に見る」ことが目的だった。地道な努力により獲得した能力だったが、実際にはスパイクする際にボールに焦点が合わず生かすことができなかった。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070723-00000002-dal-fight

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プリンセス・テンコー(2代目・引田天功)エピソード&プロフィール

二代目・引田 天功(ひきた てんこう)は日本のイリュージョニスト。(UFOに乗って地球に降り立った。とアメリカのプロフィールでは紹介されている・公式プロフィールでは、1995年より全てのパーソナル・データが不詳、又は未公開になっている。現在多くのアーティストが、データ不詳としているが、引田天功が日本メディアで初めて、この表記を使用し一般的にさせた。)別名プリンセス・テンコー (PRINCESS TENKO)。日本奇術協会国際交流委員長。初代引田天功の死後1980年12月15日に襲名した。


【人物】
1956(昭和31)年に生まれた。(『1959年6月29日生まれ』はアイドル時代のサバ読みである。)

初代引田天功に1976年から師事。これは親類が初代の事務所の社長だった縁からである。1977年に倒れた初代引田天功の代役で<空中ケーブルからの大脱出/日本テレビ>を行った後、1978年6月21日に『朝風まり(あさかぜ まり)』の芸名で、キャンディーズとピンクレディの制作スタッフが、フジテレビとタッグを組み、マジックを披露しながら歌う異色のアイドル歌手としてデビューさせた。しばらく歌手として活動した(デビューシングルは「ザ・マジック」、セカンドシングル「くせになるから」)。しかし、初代の死去後、初代の後援会の要望で1980年12月15日に二代目を襲名(襲名披露はホテルニューオータニ)し先代の遺志を受け継いで命がけのイリュージョンを展開するようになる。世界各地で公演を展開し「プリンセス・テンコー」の愛称で知られるようになる。朝風まり時代から後援会長は、佐川急便創業者であり会長であった佐川清である。

契約では「引田天功」と「プリンセス・テンコー」は別のキャラクターとして設定されており(例:彼女によれば「引田天功」は日本人だが、「プリンセス・テンコー」はアメリカ出身のアメリカ人と言う設定が与えられている)、演じるマジックやイリュージョンも全く別々のものである。また、「引田天功」は喋らない設定であるため、テレビ番組には「プリンセス・テンコー」として出演する場合が多い。なお、後者は「プリンセス天功」と表記されることもままある。 また、かなりの笑い上戸で、笑っていいとも!に出演したときは大爆笑するシーンがかなり多く見られた。イメージを守るためと安全確保の為に、契約によって電車に乗ったりコンビニに行ったりすることを禁じられている。

北朝鮮の金正日総書記は彼女の大ファンだと伝えられており、1998年4月にはピョンヤンに招聘されてマジックショーを披露し、金正日主催の盛大なパーティーで歓待された。また貴重な天然記念動物豊山犬を贈られ、また彼女の名を冠した奇術専門の劇場が建てられたといわれている(もっとも天功自身は北朝鮮滞在中に原因不明の病気で倒れ入院、帰国の予定が遅れる羽目にあい、帰国後も身辺に連続して奇怪な事件〔愛車の盗難やレア物のミッキーマウスのぬいぐるみ摩り替わり事件等〕が起こったと特番等で証言している)。

ハリウッド俳優ジャン・クロード・ヴァンダムと婚約していると記者会見で自らほのめかしたが、ヴァンダムはテンコーの名前すら知らなかった。彼女自身、結婚の件についてはノーコメントを貫いていたが、2007年GW合併号の週刊文春で初めてコメントを出している。

愛犬家、愛猫家として知られているが、日本に初めてジャックラッセルテリアを輸入し、今のブームを作り上げている。

2007年5月20日発表になった、totoBIGで3等に当たった事が、オフィシャルブログに掲載(5月21日)された。その直後よりブログへのアクセスが殺到。一時アクセスがし難くなった。この日のタレントブログランキング(アメバ)で1位になっている。


【来歴】
■1980年8月、電子戦隊デンジマンにゲスト出演し、マジシャンである父親を殺され、自身がその志を継いでマジシャンになるという女性・朝風まり役(当時の芸名と同名の役)を演じた。

■1982年10月、宇宙刑事ギャバンに本人役でゲスト出演。

■1987年9月、超人機メタルダーに本人役でゲスト出演。

■1990年、米国マジックアカデミー賞の大賞である「90マジシャン・オブ・イヤー」をビバリーウィルシャーホテルで受賞。また同年、米国でインターナショナル・ベストエスケープアーティスト大賞を受賞。

■1995年、米国で、プリンセス・テンコーをモチーフにしたアニメ、Princess Tenko and the Guardians of the Magicが、11月より1放映され、毎回本人が実写で登場し、イリュージョンを演じた。尚#0の回では、本人がこのシリーズの紹介をする、特別編が放映されている。

■1996年、AWF(アフリカ野生動物保護基金)の日本事務局親善大使に就任。

■2000年、2代目引田天功襲名20周年を記念し、フジテレビにより最後の脱出マジックが行なわれた。

■2001年、Jリーグ・J2のヴァンフォーレ甲府を経営危機から建て直すために同球団のユニフォームスポンサー(背番号部分)になり話題を集め、チームもその後躍進を遂げ、2006年シーズンにはJ1に昇格した。2004年からは同リーグのサガン鳥栖を支援、米国では、2006年からプロ野球3Aのチーム、ラスベガス51'sを支援して、地元ラスベガスで話題となっている。

■2003年より、年間約300ステージをこなしている他、テレビのバラエティー番組やワイドショーへの出演も多い。森田一義アワー笑っていいとも!の水曜放送分に、隔週レギュラーとして出演していた(2004年9月まで)。

■2005年11月発売 GQ USA版にて北朝鮮緊急インタビューが掲載された。

■2007年4月1日よりオフィシャルブログを、アメブロにて開始。

■2007年4月16日 イギリスBBCにて特別インタビュー番組(MCジョナサン・ロス)が放送

■2007年7月22日 福井県鯖江市で公演中、機材トラブルに見舞われ重傷を負う。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070723-00000005-oric-ent

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光浦靖子 エピソード&プロフィール

光浦 靖子(みつうら やすこ、1971年5月20日 - )は、愛知県田原市出身のタレント、お笑い芸人。大久保佳代子とお笑いコンビ「オアシズ」を組んでいる。 愛知県立成章高等学校を経て、1995年、東京外国語大学外国語学部インドネシア語学科卒業。血液型A型。プロダクション人力舎所属。


【人物紹介】
幼馴染であった大久保佳代子と早稲田大学のお笑いサークル・寄席演芸研究会でコンビ「オアシズ」を組みメジャーデビュー。

高学歴タレントとして著名で、『めちゃ²イケてるッ!』の「抜き打ちテスト」シリーズでは、開始から2004年まで出場した4回全てが優勝と言う前人未踏の大快挙を達成、先生役の岡村隆史等を驚かせた。特に2004年秋に開催された「国立め茶の水女子大学附属高等学校」では、最大のライバルと謳われた天敵・麻木久仁子との頂上決戦をわずか2点差で退けて(光浦453、麻木451)、遂には「デキまん」の称号までも得た、まさに抜き打ちテストシリーズ史上最強の女子生徒と言える。しかし、5回目の出場となった2006年10月7日放送の『めちゃイケ10周年SP』では、麻木の440点に対して光浦は433点と7点差で惜敗し2位となり、V5を逃してしまい屈辱の女王陥落。光浦黄金時代に遂に幕を下ろす形に成ってしまった。

または、2005年4月15日放送の日本テレビ系バラエティ番組『プリティガレッジ』内コーナー「資格家の人々」でさまざまな資格取得に挑戦。なまはげ伝道士の資格を取得した。

さらに2005年9月4日放送の『パネルクイズアタック25』(ABC系列)の特別企画「芸能人・知識人最強ペア決定戦」でモンキッキーとコンビを組み優勝を果たした。

売れない時代から現在まで毒舌系キャラとして地位を確立。特に学歴を活かした表現のボキャブラリーの豊富さは同系統の女芸人の中では随一である。

かつて事務所社長からピン芸人として活動するよう話があったが、「私はオアシズの光浦です。オアシズを解散するときは私が芸能界を辞めるときです。」と言って断っている。

「青木さやかとは犬猿の仲」と噂されているが、愛のエプロンで一緒に餅つきをしたり、ロンドンハーツの「格付けしあう女たち」では、隣同士に座ったり、意気投合したり、テレビ番組で何度も共演している所を見ると、犬猿の仲というのはリップサービスのようである。

愛知県田原市(東三河)出身ということもあり、三河弁も特徴的である。

料理は得意で、愛のエプロンでカニ爪フライとカニクリームコロッケを作ったときには特エプにランクインしたほどの腕の持ち主。特に和食・洋食が得意なのだが、中華・デザートは苦手なようでクリスマスケーキを作った時には、エプロン番付けで最下位になってしまい、チーズケーキを作ったときにはランキングボードに張られなかったりと、料理の腕には当たりはずれが多い。

団鬼六のファンである。

2007年7月20日に頭の血管にしこりが発見され、腫瘍の可能性もあるためその部分を除去する手術をすることとなった。


【光浦の悲しい話】
■裸でエプロンと言うものがどういうものか知らなかったため、風呂あがりに一人で裸エプロンをした。だが、エプロンがスヌーピーのエプロンしかなかったためそのエプロンを着てみたのだが、それは、上京するときに母親がくれたものだと気付き、スヌーピーと、母親の両方を汚してしまったと言う。その話を聞いてロンドンブーツ1号2号の田村亮は、「そんなに泣ける話ではない」と言った。

■妄想で恋愛をすることが趣味であり、SMAPの木村拓哉に誘われた妄想話をしたのだが、放送禁止の内容なため詳細は不明。

■長女なのに赤の他人のお下がりの服を着ていた。

■エレファントカシマシの宮本浩次のファンであるため、頻繁にライブを観に行くが、芸能人オーラがないため、周囲に全く気づかれない。

■大学時代に彼氏を相方の大久保佳代子に略奪されて(と言われている)以降、ずっと彼氏がいない。またお互いに彼氏について仮名で交際し本名を教えてもらえなかったため、「本当に彼氏は存在したの?」とよくツッこまれる。

■クリスマスの日に、一度も彼氏と過ごしたことがない。

■ファーストキスの相手は、ウド鈴木である。(番組の企画上の成り行きによる)

■東京外国語大学から直接手紙で、「『英語ができる』とテレビで言うな」とクレームがきた。

■スタイルは良いらしく、『めちゃ²イケてるッ!』では黒のパーティドレス姿を披露し褒められている。2004年夏期に日本コカコーラ社が発売した爽果発泡のCMでビキニの水着姿を披露したことがある。もちろん前者のめちゃイケはだまし討ちの期末テストというどっきり企画(褒められたのもどっきりと気づいた後)で、このような事が多かったことから後者のCMも実際に放映されるまでは、どっきりではないか? と光浦自身疑っていた。

■想像妊娠したことがある。

■『芸恋リアル』の前身のスペシャル番組で妻夫木聡に告白したが、芸能プロダクションから「光浦さんとお付き合いすることは考えられません」という返事が来た。(妻夫木本人が出演し、返事をするVTRはなかった)

■インフルエンザで寝込んでいたときに誰からも「大丈夫?」などと言われなかった。

■2005年3月8日に放送された『愛のエプロン』で中華丼を作ったときに、試食した勝俣州和から「死んでくれねぇかなぁ…。」と言われ、ショックのあまり涙を流した。ちなみにこの回を最後に愛のエプロンに出演していない。

■『めちゃイケ』の「おかもんたの朝メチャッ!」で、エステに20万円(自身の著書の印税で行ったらしい)をかけたことが発覚。全く変化がなかったため、おかもんたに「そんなところに金を使うぐらいなら夕張市に寄付をしろ」と罵倒された。

■飯島愛から「整形しないとダメ!!」と言われたが、勝俣州和からは「整形してもダメ!!生まれ変わるしかない!!」と言われた。

■小学生の子役に、「カマキリみたい。」と言われた。

■兄嫁に「靖子さん」と言われるだけで嬉しい気持ちになる。

■「光浦ぁ〜!!」と言われ追いかけられながら、石を投げられることがある。本人は「人気がある証拠」としている。

■「一人ぼっちで寂しいためペットを飼いたい」と、マンションの住民アンケートに書いたのだが、ペット禁止のマンションだったため、即刻却下された。

■12時間寝ても寝たりない・訳の分からないことを言う・突然泣き出すなどの症状から34歳で「更年期障害ではないか?」と言う疑いをかけられた。


【メガネのネタ】
■視力は0.1以下。コンタクトレンズは痛いからつけないとのこと。したがって、メガネは度入りで、決して一部で噂されるように伊達メガネではない。また、「メガネが似合う女性ランキング」(オリコン調べ)で、2006年7月、2007年1月の調査において2回連続の総合2位となった。

■両親が目が悪いため、兄と共にその遺伝子を受け継いでしまった。そのため、兄嫁以外の家族(両親・兄)全員がメガネをかけている。

■「メガネをかけてこれ以上ブスになったら困る。」と言う親の思いから2年間眼科に通い続け、よく分からない器具をつけながら視力矯正を図ったが、結局視力が良くなることはなかった。

■2007年6月9日のめちゃイケのシンクロナイズドテイスティング中、ハリセンボンがオアシズに変わって中国チームとして出場、その時に彼女らにテイスティングさせる係として出場し、ハリセンボンが水中に落ちて上がったとき近藤に「何でメガネを落として上がらないのよ!」と罵倒した。しかし、その後自分が水中に落とされて上がるときに顔にメガネがかかっていたことを近藤達につっこまれていた。

■「メガネ塚」と言う、壊れためがねのお墓があり、そこにメガネを保管している。メガネ塚に入っためがねは本人曰く「メガネ戦士たち」。


【外国人との話ネタ】
■若手の頃、相方大久保佳代子と、上野公園でネタの練習をしてたとき、通りかかったイラン人が、「チョットオ話シシテイイデスカ」と言われたので3人で話をしていると、イラン人が突然「ドッチデモイイデスヤラセテクダサイ」と言ってきたため、光浦はナンパをされたと思い込んでいる。

■母親から、「やっちゃんは日本じゃない。外国でモテる。」と言われ育ったため、外国に行けばモテると思い東京外国語大学を卒業したがロンドンハーツの「格付けしあう女たち」で「外国人ビジネスマンに聞いた 彼女にしたい女」で見事ワースト1位。しかし、光浦を第1位に選んだ人は韓国人からは「明るくて素敵」イタリア人から「僕が変えてみたい」と言われ、カナダ人の方は、「1位は光浦さんしか考えられない」と言う理由を書き、1位以外を空欄で書き、電話番号とメールアドレスついては、センスがいいとほめた。また共演した楠田枝里子にも、「光浦のようなタイプは外国の方にモテる」と言われたため、多数の外国語で外国人の恋人を募集した。

■中国の山奥で、「絶世の美女、黄金比率の顔」と言われた。


【その他のネタ】
■愛煙家である。

■自分が出演していない番組において、自分の名前が使われたら2000円、写真が使われたら3000円をもらうことになっているらしい。(島田紳助談)

■よゐこの濱口優に、かねて同性から褒められていた自分の胸が美乳である事を広めてもらおうと、皆に宣伝する事を条件に500円の対価で胸(乳首)を見せたことがある。ちなみに1000円で全裸を見せるとのこと。

■第19回メガネの国際総合展 (IOFT2006) で発表・表彰された、第19回日本メガネベストドレッサー賞〈芸能界部門〉を受賞した。

■グラビアトークオーディション出演時にウエストのサイズを測定した所、シャツとセーターとババシャツの上から測定したにもかかわらず61.5cmしかなかった。

■自宅の居心地の良さを追求していった結果、実家みたいになってしまった。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070720-00000075-sph-ent


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ホリ エピソード&プロフィール

ホリ(本名、堀 裕人(ほり ひろひと)、1977年2月11日 - )は、千葉県白井市出身のものまねタレントである。ホリプロの関連事務所、ホリプロコム所属。血液型B型。千葉県立船橋西高等学校、日本大学法学部新聞学科卒業。


【経歴・人物】
■高校時代はハンドボール部に所属したスポーツマンである。大学時代は広告学研究会に所属し、4年次には会長を務めた。大学卒業後、広告代理店で半年あまりのサラリーマン生活を経て、芸能界入り。

■芸名はそのまま苗字から。ホリプロコム所属だが、それとは全く関係ない。

■物まねのレパートリーは、コージー冨田をも凌ぐ多さである。テリー伊藤、木村拓哉、えなりかずき、城島茂などが有名。また、ものまね芸人である松村邦洋やイジリー岡田なども得意。どちらかと言うと一発出落ちのようなものまねスタイルである。最近では、その人の「絶対言わないこと」のモノマネをよくやる。

■性格は非常に真面目と評判。

■テレビ初出演は素人時代に経験した『笑っていいとも!』の素人ものまねコーナー。因みにその時のネタは出川哲朗。現場で大受けしたことから、後の芸能界入りへのきっかけともなった。

■サラリーマン時代は『ワンダフル』『ダウンタウンDX』のノベルティグッズを作っていた。

■2005年4月16日、レギュラー番組の生放送終了間際に結婚を発表した。相手は北海道出身の家事手伝いの女性。しかも乙葉似らしい。

■金曜ロードショーの『ルパン三世 天使の策略 〜夢のカケラは殺しの香り〜』で、声優に挑戦したことがあった。ただ最初の1シーンだけだったためか、それに気づく人は少なかった。

■最近の悩みは、先輩芸人である原口あきまさに自分のネタを堂々とパクられることである。

■年末特番「お笑い芸人大忘年会」でスピードワゴンの小沢一敬から楽屋ネタのほうが面白いと暴露された。そのネタは武田鉄矢の絶対言わないことで「俺この年になってこんなにオナニーするとは思わなかった」「はい!はい!はい、イッタ〜!」などのSEX描写ネタらしい。他にも、テレビではやらないSEX系のネタがいくつか存在する(たとえば「キャバクラでのえなりかずき」)。因みにモノマネレパートリーの中にスピードワゴンも入っている。

■渡る世間は鬼ばかりのファンで、同ドラマの登場人物のモノマネも得意としている。

■笑いの金メダルの替え歌大賞では、えなりかずきの封印ネタを用いた替え歌で勝負するが、勝ちたいという執念が功を奏し、五位入賞を果たした。

■2006年2月20日から同年4月20日まで、MSNの企画で「ホリの爆笑ものまね100連発」が開始。MSNサーチの検索で、「芸能人の名前+スペース+ものまね」と入力して検索をかけると、検索結果ページのスポンサーサイトの欄に芸能人のものまね動画が出てくる。

■一時期、俳優座に所属していた。ミュージックステーションの美術スタッフに携わっていた為に笑いの金メダルの企画では米村でんじろうが得意の科学知識を総動員したドミノに対抗する、芸人たちによるオリジナルドミノを作る際は奇抜なアイディアで大活躍し、渡り廊下を担当。倒れたドミノによってロウソクが発火し、ヒモを燃やし切った反動でサッカーボールが渡り廊下を突き抜けて次につながるドミノを倒すというギミックを考案するが、サッカーボールが思う通りに標準に合わずうまく発射できなかった為に結局自らが人間大砲の要領で渡り廊下間を滑る役目になった。


【ものまねレパートリー】
《あ行》
阿藤快
荒木経惟
石倉三郎 
石橋貴明(とんねるず)
イジリー岡田
市原悦子
いっこく堂
井戸田潤(スピードワゴン)
井上聡(次長課長)
岩尾望(フットボールアワー)
上田晋也(くりぃむしちゅー)
内村光良(ウッチャンナンチャン)
ウド鈴木(キャイ〜ン)
えなりかずき
太田光(爆笑問題)
大竹一樹(さまぁ〜ず)
岡村隆史(ナインティナイン)
岡田圭右(ますだおかだ)
小沢一敬(スピードワゴン)

《か行》
掛布雅之
片岡鶴太郎
桂小枝
桂ざこば
加藤和也
加藤茶
加藤善博
香取慎吾(SMAP)
金子賢
金子貴俊
菊地秀規(いつもここから)
木村匡也
木村拓哉(SMAP)
クロちゃん(安田大サーカス)
劇団ひとり
小杉竜一(ブラックマヨネーズ)
小林稔侍
後藤輝基(フットボールアワー)

《さ行》
佐藤祐造(インスタントジョンソン)
サンプラザ中野
城島茂(TOKIO)
清水よし子(ピンクの電話)
清水圭
志村けん
笑福亭鶴瓶
杉山とく子
鈴木紗理奈

《た行》
滝口順平
滝沢秀明(タッキー&翼)
武田鉄矢
田中卓志(アンガールズ)
田中直樹(ココリコ)
田中康夫(新党日本代表)
田中裕二(爆笑問題)
田村正和
団長(安田大サーカス)
津川雅彦
つぶやきシロー
寺門ジモン(ダチョウ倶楽部)
テリー伊藤
出川哲朗
徳井義実(チュートリアル)
ドクロベエ(アニメ「ヤッターマン」)
トシ(タカアンドトシ)

《な行》
長井秀和
中尾彬
中川家礼二(中川家)
中山秀征
永沢君男(アニメ「ちびまる子ちゃん」)
西川貴教
西村雅彦 
野村昭子

《は行》
橋下徹
はなわ
花輪和彦(アニメ「ちびまる子ちゃん」)
濱口優(よゐこ)
浜崎憲孝(アニメ「ちびまる子ちゃん」) 
速水もこみち
原田泰造(ネプチューン)
板東英二
パッション屋良
東国原英夫(宮崎県知事)
東野幸治
肥後克広(ダチョウ倶楽部)
ビートたけし
ビビる大木
福山雅治
フリーザ(ドラゴンボールZ)
藤井隆
藤岡琢也
藤木茂(アニメ「ちびまる子ちゃん」)
蛍原徹(雨上がり決死隊)
堀内健(ネプチューン)
ボヤッキー(アニメ「ヤッターマン」)

《ま行》
前田吟
増田英彦(ますだおかだ)
松岡昌宏(TOKIO)
松村邦洋
松本人志(ダウンタウン)
みのもんた
三村マサカズ(さまぁ〜ず)
宮迫博之(雨上がり決死隊)

《や行》
薬丸裕英
八嶋智人
山里亮太(南海キャンディーズ)
山口智充(DonDokoDon)
山崎邦正
山崎弘也(アンタッチャブル)
山田一成(いつもここから)
山本晋也
ユースケ・サンタマリア
吉幾三

《ら行》
ラッシャー板前
ルー大柴


【絶対に言わないこと】
その人が絶対に言わないであろう事をモノマネで言う、ホリが開発したあらたなモノマネ芸である。「ホリネタ」には、「中尾彬が絶対に言わないこと」が収録されている。

■金八先生(武田鉄矢)…「世の中なあ、金さえあれば何でもできるんだぜ!」「あ〜あ、みんな死ねばいいのに!」「おれさぁ、この年になってこんなにオナ○ーするとは思わなかったよ」「塾に行け、塾に」」「あ〜あ、下ネタしか思いつかねぇ」

■木村拓哉…「ホリくん、番号交換しない?」

■えなりかずき…「先にシャワー浴びて来いよ」「俺が女にしてやろうか」「お前ババくせぇなあ」「お前服のセンスねぇなあ」

■中尾彬…「お掃除終わりました」

■ビートたけし…「ダンカンありがとう」「ダンカンごめんな」

■福山雅治…「だっふんだぁ!」

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070718-00000204-jij-soci

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川島明(麒麟)エピソード&プロフィール

川島 明(かわしま あきら、1979年2月3日 - )はお笑い芸人。麒麟のボケ・ネタ作り担当。所属事務所は吉本興業。大阪NSC20期生。立ち位置は向かって右。相方は田村裕。


【概要】
■京都府宇治市出身。京都府立莵道高等学校卒業。血液型は不明。身長179cm。実家近くに住む祖母は漬物屋を運営している。現在は東京在住(相方の田村は、今も大阪在住)。

■あだ名はキラ、アキラ(自称)。しかし、家族からは「あきちゃん、ベリーちゃん」、祖母からは、幼少期に天然パーマのうえに目がクリクリだったことから「ベリーグッドマンちゃん」と呼ばれていた。また、相方から「あきちゃん、あきらちゃん」と時々呼ばれている。

■漫才やバラエティー以外に、ナレーターなどもこなす。

■視力が0.1以下で、小、中、高とビン底眼鏡を掛けていた。現在は、コンタクトを使用。


【芸風】
■漫才時は基本的に黒のスーツに黒のワイシャツを着ている。また、最近では黒のネクタイも装着し、真っ黒である。掴みに「麒麟です」とマイクに近づいて低い声で囁く。また、漫才が終わったあと床に手が付きそうなくらい深いお辞儀をする。

■漫才では、その美声を生かしてさまざまなキャラクターをこなす。レパートリーは、DJ、アナウンサー、MC、近所のオッサン、保育士、うさぎさん(うさぎっつぁん)、りすさん、くまさん、フランス人、おじいちゃんなど。また、靴音、心臓の音、ボイスチェンジャーを通した声、馬の嘶き、お箸箱のスライド音、バイクのエンジン音、風の音、iPodの音もれ、ワニワニパニック、現地人の通訳、ユニクロのCMのナレーター、たなかまきこなどさまざまな音の声帯模写も得意とする。ガッツ石松に関しては、似てないどころか真似る意志も無い。また、単独ライブ「キリン!キリン!キリン!」では川島明之丞、シニちゃんといったキャラを確立した。

■ネタ(ラジオのDJ)内で、「ア ハッピー ニュー イヤー」、「君に伝えたいこと」という歌を出したが、いずれも演奏時間はとても短く、曲調は全く同じである。

■大喜利が得意でダイナマイト関西によく出場している。

■現在は片方の目を隠すような髪型をしているため、「なにわ人情コメディ 横丁へよ〜こちょ!」では、ゲゲゲの鬼太郎のマネをしたことがある。

■トークではツッコミ役となり、毒舌が出ることもある。

■口がとても大きく、VHSのビデオテープ・ルービックキューブが入る。ダウンタウンのガキの使いやあらへんででは、輪切りにしたレンコンを入れた。また、ハンバーガーを食べていた田村に「一口くれ」と言って食べようとしたら、「一口が半分以上やねん!」と叱られたこともある。舞台では、口に入れたビデオテープをパレット替わりにして相方田村の顔の絵を1分で描いた。


【低音】
■持ちネタの低音で囁く「麒麟です」は、タモリや後輩芸人のチーモンチョーチュウの菊地に真似されている。特にタモリは、芸人のギャグを本人の前で行う事はあっても、本人無しで真似することは珍しい。また、顔の前で横に手を動かしながら、「顔の裂け目が長い」と言われたこともある。他にも、とんねるずの木梨憲武にもとんねるずのみなさんのおかげでしたでよくモノマネをされている。

■2007年4月13日放送の史上最強のメガヒットカラオケBEST100 完璧に歌って1000万円!!で寺尾聰の「ルビーの指環」を歌ったところ、女性陣に低音の歌声を絶賛された(終盤で歌詞を間違え歌い切ることは出来なかった)。

■声変わりするまでは女性のようなとても高い声で現在とは正反対だった。

■好きな人にはよりイイ声を出そうとして低音の声がさらに低音になってしまい、バーで女の子を口説いた時には『何を言っているのか分からない』と言われてしまった。

■喉がつぶれた事が一回も無い(田村談)。学祭キングの彼等ではあるが、ネタを七本とフリートークを一時間した日がある。相方の田村裕は声が出なくなったにも関わらず、川島は大丈夫だったらしい。


【相方】
■相方の田村とコンビを組んだのは「アホが好きだから」と語る一方、「相方が一番格好良い」とも語る。相方とは仲が良い。

■夢は年をとっても田村と漫才をする事。将来は旅行しながら2人で漫才をして、旅行先でお金が無くなったらそこら辺で漫才をして、お金を取っ払いで貰ってまた違う旅館に行くこと。その夢を聞いた田村には、『ムリムリ、そんな時代ちゃう今』と笑われた。


【エピソード】
■元々人見知りが激しくいつも楽屋で一人だったが、次長課長の井上に声をかけられた事から心を開き始めた。井上を先輩の中で最も尊敬し、上下関係問わず最も親密な関係にある。現在もゲーマー仲間としてよく一緒に遊んでおり、番組で共演中もよく2人で喋っている姿が見られる。次長課長が東京へ行くことを知った時は、舞台本番中にも関わらず泣き出した。

■中学時代はサッカー部所属。よくしゃべる元気な少年で女の子にもモテたらしいが、その後、女性が苦手になったこともある。今では大分マシになっているようだが、現在でも女性の付爪が嫌い。

■ファーストキスの相手は合コンの相手で、初コンパで行った王様ゲームのお題によって奪われた。女性が苦手だったためかキスの直後に吐き気を催し、トイレに駆け込んだ。

■テンションが上がったり、考え事をしたりしていると周りが見えなくなる。高校時代には、急な坂道をどこまでブレーキをかけずに下れるか数人の友人と競い合い、最後まで競い合った友人がブレーキをかけたのを見て安心し、自分はそのまま電信柱に突っ込んだ。また、ストリークのbase卒業ライブ後、麒麟も含め芸人だけでカラオケ屋で打ち上げをした際、部屋の扉のガラスを拳で割った上、「俺めっちゃ力ある!」とテンションが上がり膝蹴りまでお見舞いした(その後すぐに弁償した)。

■昔男性から痴漢を受けたことがある。(その時は持っていた漫画雑誌を相手にぶつけて逃走した)

■メールで絵文字は使わない。昔同じような物だろうと「卍」をつけてみたところドン引きされたのもひとつの原因らしい。

■NSC20期生時代、服屋に行った時に『何かお探しですか』といわれるのが嫌だったため、身だしなみに一切気を使っていなかった。

■人にいじられるのが嫌いだが、自称M(だが番組などではドSとしか思えないような言動が非常に多い)。

■動物が好きで、中でも犬が大好き。

■口癖は、「今週のファミ通読むとこないなぁ」。


【家族】
■幼い頃は祖母の家に住んでおり、実家は相方(田村)ほどではないが貧乏で、父親が2万円の給料を持って帰ってきたことがある。おばあちゃんっ子。

■「M-1グランプリ2004」でやったネタで「いかがでしたか僕らの漫才」という歌詞に対して、母が真似して「楽しかったよ麒麟の漫才」とメールを送ってきた。しかも、後で電話をかけて、同じ内容を歌ったらしい。

■ある日おばあちゃんが暗い顔をしていたので話を聞いたら実は漬物が嫌いと言う事が判明して(貧乏臭そうで嫌だかららしい)驚いた事がある。(アメトーークにて)


【その他】
■昔、アルバイトでハンバーグ屋に勤めていた。そこで1日3食分のハンバーグを貰ってずっと食べていたのでハンバーグ臭くなった。臭いを気にして銭湯に行き、体を拭いたタオルの臭いを嗅いだら、ハンバーグの臭いがした。

■27歳の時まで、「喪主(もしゅ)」をもぬしと読んでいた。ちなみにこれを漫才中に発言し、田村に突っ込まれたことがある。

■高校生の頃は存在感が全くなく、体育の授業を抜け出したりしても気づかれなかった。

■高校時代、ヒトラーの「我が闘争」を読み、性格が180度変わる。

■2007年6月11日、眞鍋かをりと熱愛中であると週刊誌に報道された。(きっかけは元々眞鍋が川島のファンであり、あるバラエティー番組で田村の貧乏エピソードの3択問題に見事答え川島と話せる権利をゲットする事が出来、アドレスも交換した。)そのため翌日にゲスト出演したラジオ番組東貴博のヤンピースやくりぃむしちゅーのオールナイトニッポンでは、その件で電話やメールなどでリスナーからかなりイジられていた。2007年6月26日の『踊る!さんま御殿!!』のオープニングで明石家さんまに同件を突っ込まれたが『彼女のメイクさんやスタイリストさんなどスタッフも交えて2回ほど食事を共にしただけ』と自ら釈明した。

■雑誌は毎回3冊程買っており、「趣味・ゲーム・女」雑誌。ちなみにファミ通は「ゲーム」のジャンルに入り、とても愛読している雑誌の1つである。(麒麟の部屋 より)


【ランキング】
■2003年、吉本男前ランキング7位
■2004年、吉本男前ランキング7位
■2005年、吉本男前ランキング4位
■2006年、吉本男前ランキング2位
■2007年、吉本男前ランキング2位

ブラックマヨネーズの吉田敬は川島がランキングされることに納得していない。吉田曰く、「若いころの鹿賀丈史」に似ている(余談ではあるが、川島の祖母もTVに出た鹿賀を孫と間違えて録画していた)。

2006年、baseよしもと
■男前ランキング1位
■キスしたいと思う人ランキング1位
■ブサイクランキング13位
■キスされたくない人ランキング15位

「Qさま!!」の10M高飛び込みで2分05秒という好成績を残す(絶叫系の乗り物やバンジージャンプなどは大の苦手にもかかわらずである)。柴田英嗣、KABA.ちゃん、西川晃啓、松本康太に次いで5位。


【特技・趣味】
■習字

■書道五段。

■イラスト

■ダーツ

■ギター(麒麟の部屋でギターを披露)。

■洗濯機が回るのを見ているのが好きらしい。

(出典:Wikipedia)

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高橋健一(キングオブコメディ)エピソード&プロフィール

高橋 健一(たかはし けんいち、1971年3月30日 - )はお笑い芸人でキングオブコメディのツッコミ担当。愛称は「パーケン」。スクールJCAの6期生出身で、同じく6期生である現在の相方の今野浩喜と出会いコンビ結成。

2007年7月11日午前8時頃、満員電車内での痴漢行為の容疑で逮捕された。それにより、芸能活動全般を当面自粛。


【プロフィール】
■1971年3月30日生まれ
■東京都出身
■身長170cm
■血液型AB型


【特徴】
■主にコントをやっている。今野のハイテンションとは反対に冷静なツッコミが特徴。

■意外に滑舌が悪く、たまにセリフをかむことがある。「俺」というのが「おで」と言っているように聞こえてしまう。

■そこそこのイケメンだが,今野のキャラクターが目立っているため地味な存在になっている。

■焼きそばをストローで食べる、バイクにパーケン号とつけるなど、意外に不思議ちゃんである。(お笑いスタイルラフ!vol.3より)

■一見クールに見えるが、話し始めたら止まらないタイプ。

■縦笛演奏が得意。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070717-00000002-oric-ent

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千葉真一 エピソード&プロフィール

千葉 真一(ちば しんいち、1939年1月23日 - )は映画俳優。ゼロ・レインジエンターテインメント所属。

本名 = 前田 禎穂(まえだ さだほ)。福岡県福岡市出身。身長は176cm。血液型はA型。特技である空手(極真カラテ/創立者の故・大山倍達氏から生前に名誉三段を授与される)、少林寺拳法を中心に、スキー、乗馬、武道などあらゆるスポーツに精通する。かつて主宰していたジャパン・アクション・クラブ(通称JAC)出身の井上誠吾が館長を務める、空手道場「誠真会館」の総裁でもある。 現在は日本と米国を股にかけて活動し、日本、米国、東南アジアと世界各国への空手の普及に尽力もしている。 海外ではサニー千葉(ソニー千葉)の名前で知られている。


【来歴・人物】
二男三女の長男で第二子。4歳のとき、千葉県君津市に一家とともに転居。1957年に日本体育大学体育学科に入学。オリンピックを目指すが、俳優に転進するため中退。1959年、東映の第6期ニューフェイスに合格し、TV『七色仮面』(二代目・蘭光太郎役)等に主演。1961年、深作欣二の監督デビュー作「風来坊探偵」シリーズや「ファンキーハットの快男児」シリーズに主演し、後に名監督となる深作とは共に成長する間柄になる。1968年から放送が開始されたテレビドラマ『キイハンター』に出演し、今まで誰も見たことのないスーパーアクションをスタントなしでやって見せ、若者たちの話題をさらう。共演の野際陽子は年上とはいえ役者としては駆け出しであったが、彼女のギャラは多くの映画に主演経験のある千葉より高いことを知って、やる気が失せそうになったこともあった。

この大ヒットにより、アクションスターとして一躍国民的アイドルとなり、「千葉ちゃん」と呼ばれ親しまれる。元来、若年層への教育に関心を持っていた千葉は1970年、アクション俳優の養成を目的としてジャパンアクションクラブ(通称JAC。現在のジャパンアクションエンタープライズ)を設立。真田広之や志穂美悦子といったトップスターを数多く輩出する傍ら、自らも監督や製作を手がけ、アクション映画の全盛期を牽引する。

1970年代は「やくざ刑事」シリーズや「ボディガード牙」シリーズ、「殺人拳」シリーズ、「地獄拳」シリーズ、「けんか空手」シリーズに主演しスーパーアクションを見せ、世界の映画人に影響を与えるようになる。

1973年の『仁義なき戦い広島死闘篇』では事実上の主役である山中正治役をやるはずであったが、北大路欣也がセリフがどぎつすぎる大友勝利役をできないと言い出す。監督の深作欣二から「この役は欣也には絶対にできんだろう。お前ならできると俺は思う」と口説かれ、役を交代し、急遽、千葉が大友勝利役をやることになる。そこで見せた傍若無人な名演技は今でも語り継がれる。大友役は自身代表作の3本のうちの一つと語っている。

1980年に公開された映画『戦国自衛隊』では、監督したアクションが高く評価され、ブルーリボン賞のスタッフ賞を受賞。他にも『柳生一族の陰謀』『魔界転生』『里見八犬伝』といった話題作・大作に数多く出演。日本を代表するアクションスターになる。『柳生一族の陰謀』『魔界転生』の柳生十兵衛や『影の軍団』シリーズの服部半蔵など当たり役の多さには定評がある。

1991年のハリウッド映画『エイセス/大空の誓い』出演を機に米国でも俳優として活動するようになる。米国での活動を開始するにあたり、「ソニー千葉」と称して活動していたが、SONYからのクレームにより「サニー千葉」(Sonny Chiba)の変更を余儀なくされる。出演はB級映画が主であるが長年の経験で培ったそのアクションは高く評価され、日本で関根勤が千葉のものまねを得意としているように海外でも数多くの熱狂的なファンが存在する。(その千葉真一の物真似をする関根勤の真似と称して、関根の娘である関根麻里にまで真似されている。)

1999年に出演した香港映画『風雲 ストームライダーズ/雄覇天下』では、香港若手スターのアーロン・クオック(郭富城)やイーキン・チェン(鄭伊健)らと共演し、「香港のアカデミー賞」とも呼ばれる「香港電影金像奨」の優秀主演男優賞にノミネートされた。ちなみに、この映画は、香港の漫画を原作としているが、千葉が演じた「雄覇」は、原作のイメージにぴたりとはまるほどの怪演ぶりが話題となった。

彼のアクションがスピードのあるギャグと結びついた「直撃地獄拳!大逆転」('75)はコメディの枠を越え「ソニー・千葉」のジャンルを作ったと言っても過言ではない。かつて「空手=ブルース・リー」というイメージが定着していたが、現在は「空手=千葉真一」というのが米国での一般的な認識となっている。千葉真一の熱狂的ファンで今現在は友人であるクエンティン・タランティーノ監督の映画『キル・ビル』シリーズでは、出演はもちろんハリウッドスターへのアクション指導なども務めて大きな話題を呼び大ヒットする(ちなみに同作は深作欣二と共同制作するはずだったが深作欣二が死去した為に出来なかった)。現在は、日本と米国をほぼ均等に行き来し映画出演や後進の育成に尽力している。2005年10月末には、米国で開催されたハワイ映画祭に於いてこれまでの功績を讃えた「マーヴェリック・アワード」を受賞した。

テレビドラマ『キイハンター』で共演した野際陽子と結婚し、娘(女優・真瀬樹里)をもうける。おしどり夫婦として有名であったものの、後に離婚。熟年離婚の走りとも言われる。現在は二度目の妻と生活、二児を設ける。元俳優の千葉治郎は実弟にあたる。

長年薄毛に悩まされ、様々な育毛剤を試したところ最近、髪が生えてきたと言う。

2007年7月7日、ゲスト出演した土曜スタジオパーク(NHK)で、大河ドラマ『風林火山』で演じた板垣信方の死とともに俳優・千葉真一に幕を引く決意を仄めかす「新たな出発」という発言を行った。


【主な出演作品】
《映画・国内作品》
■警視庁物語 不在証明(1961年、東映)
■警視庁物語 十五才の女(1961年、東映)  
■風来坊探偵 赤い谷の惨劇(1961年、ニュー東映)
■宇宙快速船(1961年 ニュー東映)
■ファンキーハットの快男児(1961年、ニュー東映)
■特別機動捜査隊(1963年、東映)
■柔道一代(1963年、東映) 
■網走番外地 北海道篇(1965年、東映) 
■浪曲子守唄(1966年、東映) 
■海底大戦争(1966年、東映) 阿部
■仁義なき戦い 広島死闘篇(1973年、東映)…大友勝利
■やくざ刑事(1970年、東映)
■ボディガード牙(1973年、東映)
■激突!殺人拳(1974年2月2日、東映)
■殺人拳2(1974年4月27日、東映)
■直撃!地獄拳(1974年8月10日、東映)
■逆襲!殺人拳(1974年11月22日、東映)
■直撃地獄拳 大逆転(1974年12月28日、東映)
■少林寺拳法(1975年2月15日、東映)…創始者 宗道臣
■新幹線大爆破(1975年7月5日・東映)…青木
■子連れ殺人拳(1976年4月10日、東映)
■激殺!邪道拳(1977年2月11日、東映)
■ゴルゴ13 九龍の首(1977年9月15日、東映)…デューク東郷 ※犯罪組織がいる九龍で本当にロケした
■柳生一族の陰謀(1978年1月21日・東映)…柳生十兵衛
■宇宙からのメッセージ(1978年4月29日、東映)
■蘇える金狼(1979年8月4日、東映)…桜井光彦
■戦国自衛隊(1979年12月5日、東宝)…伊庭義明 三尉
■復活の日(1980年6月26日、東宝)
■魔界転生(1981年6月6日、東映)…柳生十兵衛
■伊賀忍法帖(1982年12月18日・東映・柳生新左衛門役)
■里見八犬伝(1983年、東映・角川映画)…犬山道節
■必殺IV 恨みはらします(1987年6月6日、松竹)
■せんせい(1989年4月8日、松竹)
■いつかギラギラする日(1992年、松竹)
■ちんちろまい(2000年10月21日、ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメント)…黒田武士
■バトル・ロワイアルII 鎮魂歌(2003年、東映)
■マスター・オブ・サンダー 決戦!!封魔龍虎伝(2006年、日活)


《映画・海外作品》
■武士道ブレード(1980年、米・英合作)
■エイセス/大空の誓い アイアンイーグルIII(1991年、米) 
■風雲 ストームライダーズ(1999年、香港)
■キル・ビル Vol.1(2003年、米 / クエンティン・タランティーノ 監督)
■キル・ビル Vol.2(2004年、米)
■爆裂都市(2004年、香港 / サム・レオン監督)
■ワイルドスピードX3 TOKYO DRIFT(2006年、米 / ジャスティン・リン監督)


《テレビドラマ》
■七色仮面
■アラーの使者
■くらやみ5段
■キイハンター
■ロボット刑事
■ザ・ボディガード
■ザ・ゴリラ7
■燃える捜査網
■服部半蔵・影の軍団シリーズ
■宇宙刑事ギャバン(1982年、東映)ボイサー 役
■徳川無頼帳(1992年・テレビ東京系)
■できちゃった結婚(2001年7月2日〜9月10日・フジテレビ系)
■アストロ球団(2005年9月放送開始・テレビ朝日系)
■柳生十兵衛七番勝負第5話「邪の剣光の剣」宮本武蔵役
■風林火山(2007年、NHK大河ドラマ)板垣信方役

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070716-00000001-oric-ent

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草野博紀 エピソード&プロフィール

草野 博紀(くさの ひろのり、1988年2月15日 - )は、日本の男性アイドルグループNEWSの元メンバー。ジャニーズ事務所所属。2007年1月からは、同事務所の研修生となる。血液型B型。神奈川県横浜市栄区出身。身長170cm。体重55kg。法政大学キャリアデザイン学部キャリアデザイン学科在学中。

2007年7月から上演されている少年隊主演舞台「少年隊 PLAYZONE 2007」で内博貴とともに復帰。


【来歴】
2001年
■2月4日、ジャニーズ事務所に入所。ジャニーズJr.時代はJ-support(のちのK.K.Kity)に所属。

2003年
■9月15日、 NEWSのメンバーに選ばれる。
■11月7日、『NEWSニッポン』(バレーボールワールドカップ2003イメージソング)でNEWSとしてCDデビュー。

2004年
■5月12日、『希望〜Yell〜』(「アテネオリンピックバレーボール世界最終予選」イメージソング)でNEWSとしてメジャーデビュー。

2006年
■2月、芸能活動を自粛(経緯等はノートを参照)。
■12月30日、研修生となり同時にNEWSから脱退することが所属事務所から発表された。

2007年
■5月16日、同年夏上演の少年隊主演舞台「PLAYZONE2007」で現場復帰することが発表された。


【人物】
■愛犬の名前は「リッキー」。

■スポーツは全般的に得意。幼少時代には野球をやっており、入っていた野球団の名前は「オール栄」。

■絶叫マシンが大の苦手。

■憧れの先輩は亀梨和也(KAT-TUN)。

■昔、まるこめ君のオーディションを受けた事がある。

■『ドラゴンボール』が好き。特に好きなキャラはミスター・サタン。

■洋楽が好きで、アッシャー、ジャスティン・ティンバーレイクに憧れている。

■『NEWS Kick and Spin Muzik』で、Amerieに名前を呼ばれたことに感動した。


【参加ユニット】
■J-support
■K.K.Kity
■J2000
■ジャニーズ草野球チーム
■NEWS


【ソロ曲】
■She`s all mine

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070716-00000052-sph-ent

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内博貴 エピソード&プロフィール

内 博貴(うち ひろき、1986年9月10日 - )は、日本のジャニーズ事務所所属の男性アイドルグループNEWS及び関ジャニ∞の元メンバー。2007年1月より同事務所の研修生となる。

同年7月から上演されている少年隊主演舞台『PLAYZONE 2007「Change2Chance」』で草野博紀とともに現場復帰。


【プロフィール】
■身長177cm。
■体重52kg。
■血液型AB型。
■出身地:大阪府羽曳野市(出生地は大阪府門真市)
■特技は野球
■好きなタイプの女性は女優の矢田亜希子。
■家族構成は父・母・3歳年下の妹と自分の4人家族である。
■好きな言葉は「おっぱい」


【愛称】
■うっちー
■内・内くん
■ハニートースト
■ひよこ・ひよ
■ピロキ
■エイトのプリンス
■しゃっくん
■ピンク


【概略・略歴】
■1999年5月29日、ジャニーズ事務所に入所。プロ野球選手になるのが夢だったが、母に500円で説得されてオーディションに行き、事務所入りする。関西ジャニーズJr.時代はV.WESTのメンバーとして活動。バラエティ番組『週刊V.WEST』やCM「焙りコーン」などに出演していたが、2002年12月、それまで出演していたバラエティ番組『J3KANSAI』の中で、関ジャニ8(現関ジャニ∞)のメンバーに選ばれる。

■2003年、テレビドラマ『僕の生きる道』の演技により、「第6回日刊スポーツ・ドラマグランプリ新人賞」を受賞した。同新人賞はこれまで6年連続ジャニーズJr.が受賞してきたが、関西ジャニーズJr.の受賞はこれが初となった。

■2003年9月、『バレーボールワールドカップ2003』イメージキャラクターとして結成されたNEWSのメンバーに選ばれ、11月15日にイメージソング『NEWSニッポン』でデビュー。以降関ジャニ∞と並行して活動していく事となる。

■2004年5月12日、NEWSとして『希望〜Yell〜』(ジャニーズ・エンタテイメント)でメジャーデビュー。

■2004年8月25日、関ジャニ∞として『浪花いろは節』(テイチクエンタテインメント)でデビュー。

■2005年5月、肺気胸にかかり手術を行ったのち、自宅療養を経て復帰する。

■2005年7月16日、本人の不祥事のため、芸能活動の無期限謹慎処分を受けた。

■2006年12月30日、ジャニーズ事務所の研修生となることが公式サイト・Johnnys netで発表された。

■2007年5月16日、ジャニーズ事務所から同年7月9日上演の少年隊主演舞台『PLAYZONE 2007「Change2Chance」』で現場復帰。


【ソロ曲】
■Master key
■believe my story

(出典:Wikipedia)

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長瀬智也 エピソード&プロフィール

長瀬 智也(ながせ ともや、1978年11月7日 - )は、日本の男性アイドル・俳優・タレントでありバンド形態のアイドルグループTOKIOのボーカルを務める。 所属事務所はジャニーズ事務所、所属レコード会社はユニバーサルミュージック。 横浜市青葉区出身。血液型はO型。身長185cm。(公式サイトによる情報)。

テレビドラマ『白線流し』、『ムコ殿』、宮藤官九郎脚本のドラマ『池袋ウエストゲートパーク』や、『マイ★ボス マイ★ヒーロー』などの主演で知られる。


【来歴】
1993年
■連続テレビドラマ『ツインズ教師』でドラマ初出演を果たす。

1994年
■9月21日にTOKIOのボーカルとして『LOVE YOU ONLY』でCDデビューを果たす。

1997年
■Tomoya with 3T 『ETERNAL FLAME』でソロデビュー。
■ドラマ『白線流し』で、定時制高校に通う青年(主人公)役を演じ、認知度を高めた。

2001年・2002年
■2001年、ソウル(映画)で映画初出演を果たす。また、この映画での自身の演技が認められ、2002年に第15回石原裕次郎新人賞を受賞した。

2006年
■自身が主演した『マイ★ボス マイ★ヒーロー』が最高視聴率23.2%を記録。平均視聴率は18.9%を記録した。最高、平均視聴率ともに自身が主演したテレビドラマの中で最高視聴率を記録した。


【人物】
■宮藤官九郎脚本の連続テレビドラマ『タイガー&ドラゴン』では昼は落語家、夜はヤクザの役を演じて落語ブームのきっかけを作った。また、このドラマは、2005年年間ドラマ満足度ランキングで2位にランクインした。ドラマの影響で、長瀬自身も落語にはまり、2006年1月1日放送の『大笑点』では三遊亭楽太郎の指導の下、初天神を演じきった。

■TOKIOではヴォーカルの他にギター、ブルースハープも演奏する。作詞・作曲・編曲を自ら手がけることもあり、シングル曲「明日を目指して!」の他にも、アルバムには「SONIC DRIVE!」「グルメファイター!」など、ハードな曲が収められている。

■長瀬曰く、「何事も自分らしく、格好つけず自然体」が自身のモットーであると公言している。

■フジテレビ月9史上最年少主演者(19歳2ヶ月)であり、連続テレビドラマの出演が数多い。シリアスからコメディまで役の幅が広く、特にダイナミックな演技に定評がある。

■自身が主役を務めた日本テレビの『マイ★ボス マイ★ヒーロー』では長瀬の個性を十分に生かした演技を発揮し、幅広い層からの支持を得た。このドラマのストーリーによって歴代の「ドラマ 高世帯視聴率番組」コメディ部門で第15位にランクインされた。また、夏ドラマ(7月〜9月期)のドラマ満足度ランキングでは2位に、2006年年間ドラマ満足度ランキングでは9位にランクインした。

■KinKi Kidsの2人とは、幼少の頃より親しく接している。堂本光一について長瀬自身、「光一は仕事をしていくうちに、自分の中にたまった埃をぽんぽんと払ってくれる存在」と発言しており、またお互いに最も親しい仲であると公言している。

■幼少のころからカートに乗り、小学1年からサッカー、スケボーを始める。中学ではサッカー部に所属。やりすぎたせいか、スケボーとサッカーで、少年時代だけで13回もの骨折を経験している。現在は、草サッカー&フットサルで数チームに所属している。

■ハードロック、ヘヴィメタル好きだと公言。R&Bが古くはディープ・パープルやラモーンズから、レッド・ホット・チリ・ペッパーズやフー・ファイターズまで。TOKIOのヴォーカルとしての自身の音楽性にも影響を与えた。

■ファッションはアメカジが中心で、ビンテージもの、古着が中心。自分で独自もデザインも手がける。

■2006年夏の初めてのライブハウスツアーを収録したDVD『TOKIO GIGs 2006』では、自身で監督・編集を手がけた。印象的な映像はIWGPを撮影したカメラマンによる。


【参加ユニット】
■SMAP学園
■J-FRIENDS
■TOKIO

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070715-00000003-sanspo-ent

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浜崎あゆみ エピソード&プロフィール

浜崎 あゆみ(はまさき あゆみ、本名:濱崎 歩(読みは同じ)、1978年(昭和53年)10月2日 - )は日本の女性歌手である。福岡県福岡市出身。福岡市立原中学校卒業。堀越高等学校中退。

愛称は「あゆ」。英語表記は「ayumi hamasaki」。芸能事務所・所属レコード会社はエイベックス・エンタテインメント。血液型はA型。日本を代表する女性ポップス歌手のひとりである。


【来歴】
●〜1997年 モデルから女優へ
10代前半から地元福岡のモデル事務所に所属、当時は「浜崎くるみ」の芸名で福岡中央銀行のポスタ−やその他地元商業広告に登場。その後、東京の大手芸能プロダクションサンミュージックにスカウトされ(現在も都営地下鉄浅草線浅草駅のプラットホームにあるタレントスクールの広告に「浜崎くるみ」名で顔写真が出ている)、テレビドラマ『ツインズ教師』で女優としてデビュー(この作品の後、芸名を「浜アあゆみ[『崎』の異体字『ア』]」に改名)、1992年-1997年頃までテレビドラマや映画に出演していた(他のテレビドラマは『未成年』、『同居人カップルの推理旅行』、『闇のパープル・アイ』、著名な映画としては『すももももも』、『渚のシンドバッド』、『学校II』がある)。声優の経験もあり、アニメ『バトルスピリッツ 龍虎の拳』でユリ・サカザキの役を演じた(しかし現在発売中のDVDでは権利等の問題からか浜崎の声は別の声優のものと差し替えられている。なおアニメの原作となったゲームの続編『龍虎の拳2』の実写CMでもユリ役を演じている)。

●1998年〜2000年 歌手デビュー、女子高生のカリスマへ
1998年4月8日にシングル『poker face』でデビュー、オリコン最高位20位を記録し、同年8月3rdシングル『Trust』ではオリコンチャート初TOP10入りを果たす。化粧品会社、製菓メーカーのCMタイアップなどで注目度が上がり、1999年1月1日発売の1stアルバム『A Song for ××』でオリコンチャート1位を初獲得。約150万枚を売り上げた。表題曲「A Song for ××」をはじめ、自作の歌詞が当時の女子中高生を中心に大きな支持を受ける。

同年4月7thシングル『LOVE 〜Destiny〜 / LOVE 〜since1999〜』でオリコン1位を獲得。

同7月、当時ライバルとして挙げられていた鈴木あみ(現:鈴木亜美)との同日発売シングル首位獲得競争(浜崎『Boys & Girls』vs鈴木『BE TOGETHER』)は熾烈を極め、初登場週は鈴木が1位、浜崎が2位となったものの、2週目は浜崎が抜き返し1位に、3週目も1位を獲得した。この『Boys & Girls』と10thシングル『A』がミリオンセラーを記録し、同年NHK紅白歌合戦に初出場。

2000年夏には初めてのコンサートツアー(第一幕、第二幕と題し全国を二巡する)に挑むも、左耳の疾患(内耳性突発難聴)により一部公演を延期。のちに左耳の聴覚が弱くなる後遺症を負ったことを公表している。この頃からマスコミなどで「女子高生のカリスマ」と呼ばれ始め、彼女のファッションや奇抜な行動は女子中学生、女子高校生を中心に多大なる影響を及ぼし、ファッションリーダーとしてネイルアート・大きなサングラス・ヒョウ柄などの流行を生み出す社会現象となった。

●2000年〜2003年 頂点 −レコ大三連覇−
2000年11月、全日本有線放送大賞でグランプリを受賞。以降、2001年と2002年のALL JAPANリクエストアワード、2003年のベストヒット歌謡祭でもグランプリを受賞し、4連覇を達成している。 2000年12月13日発売の19thシングル『M』では初の作曲を手がけ(『CREA』名義)、ミリオンセラーを記録する。また初のカウントダウンライブも開催。以来毎年の恒例となっている。

2001年3月28日、ベストアルバム『A BEST』を発売。 宇多田ヒカルの2ndアルバム『Distance』との同日発売が注目を集めたものの初動・累計ともに宇多田に敗れる。結果的にはどちらも400万枚以上の売り上げを記録した。 同年夏には、女性ソロ歌手としては安室奈美恵以来2人目となる東京・大阪・名古屋・福岡の4大ドームツアーを行った(札幌は完成直後の為、除外)。 同年秋にはアルバムの発売が延期されたとの情報で所属レコード会社エイベックスの株価が下落するなど、エイベックスの看板歌手としての側面も注目されるようになった。また、一時は同社の売り上げの4割を占めたこともあり、同社の経営体質の弱点として「あゆ依存」という言葉も生まれた。

この年の末に24thシングル『Dearest』で日本レコード大賞受賞。 以降2002年に『Voyage』、2003年に『No way to say』で史上初の3連覇を果たす。

2002年7月に発売した27thシングル『H』が、日本のシングルCD売り上げが全体的に低迷した同年において唯一のシングルでのミリオンセラーを記録した(オリコン・日本レコード協会では2002年度チャートでミリオンセラーを記録したが、プラネット・サウンドスキャンでは集計期間の関係上などから2002年度チャートではミリオンセラーを記録できなかった)。

2002年秋にはシングル28thシングル『Voyage』の発売に合わせて短編映画「月に沈む」(監督:行定勲)が公開(後にDVDとして発売)。歌手デビュー以来初めて女優業を行う。2002年10月、初のレギュラー番組「ayu ready?」がスタートする(2004年3月終了)。 ファッションリーダーとしての活躍も顕著であり、ベストジーニストやネイルクイーンでは殿堂入りも果たしている。

●2004年〜現在 松浦氏解任騒動、そして現在
2004年7月28日、エイベックスを退社した松浦勝人が立ち上げる予定の新会社に移籍する考えを明らかにしたが、松浦の復帰によりそれは免れた(→エイベックス参照)。 しかしこのお家騒動を理由に、同年の日本レコード大賞など一連の賞レースを辞退し、以後賞レースからは距離を置く様になる。

同年以降、爆発的なヒットはないものの、CDシングルは30万枚前後と安定したセールスを保っていたが2005年末から2006年初頭に発売された38th『Bold & Delicious/Pride』、39th『Startin'/Born To Be...』の両シングル(両作ともSWEETBOXとのコラボレーション)では、アルバムの先行シングルであったこと、一般受けの悪さなどの要因もあって累計15万枚程度にまでセールスを落とす。

2006年6月21日に発売された『BLUE BIRD』では売上を初動16万枚にまで回復したと同時にソロ歌手および女性ボーカルでは史上初のシングル総売上2000万枚を達成する(ちなみに、総売上2000万枚を達成しているのは他にB'z、サザンオールスターズ、Mr.Children、SMAPの4組のみ)。

2007年3月には、その先月末に発売されたベストアルバム『A BEST 2 -BLACK-』『A BEST 2 -WHITE-』がオリコン・チャート1位および2位を初登場で独占。この記録は、女性アーティストとしては、1970年の藤圭子の記録以来、実に36年ぶりの快挙であった。


【概要】
■名字の「浜崎」の正しい読み方は「はまざき」ではなく「はまさき」である。圧倒的に九州地方に多い名字である。

■家族構成は、母一人子一人。祖母は彼女のデビュー直前に亡くなっている。小学校5年生の3月に、同じ福岡市内を転居した。

■デビュー当初は、五反田に住んでいた。

■犬(小型犬)好きとしても有名でチワワ、ミニチュアダックスフンドなどを飼っている。仕事場に連れてくるのはもちろん2005年のツアーでは、MC中にステージに登場したこともある。

■バンドメンバーには、ギタリストに『よっちゃん』こと野村義男(マネージャーがよっちゃんファン)、ベーシストに元バービーボーイズのENRIQUE(エンリケ)がいる。

■デビュー以来、浜崎あゆみのオリジナル曲は全て自身で作詞している。ほとんどの歌詞は日本語。不得手の英語は使わないと宣言していたが、2002年のアルバム『RAINBOW』以降は英語詞を含めたものも発表している。

■また曲のタイトルは、「Hana」、「kanariya」、「HANABI」が日本語であるほかは、英語不使用宣言中も全て英語を使っている。(ただし「Voyage」は本来、フランス語なら『ヴォワイヤージュ』、英語読みなら『ヴォイージ』であるが、ローマ字読みで『ヴォヤージュ』と読ませている。)

■パチスロ「吉宗」の姫BIGで流れる歌「そこにあるかもしれない…」を歌っているのは浜崎あゆみではなく尼崎まゆみという歌手である。

■CNNのTalkasiaの英語のインタビューでは短い時間ではあったが英語を披露している。

■『人生はギャンブル』であるとしたうえで、自らの半生を『ハイリスク・ハイリターン型』であると語っている。


【主な記録】
●売り上げ記録
■CDシングル
 ・首位獲得数:27作 (歴代2位、女性ソロ歴代1位)
 ・TOP10入り:38作 (女性ソロ歴代1位)
 ・総売上枚数:約2001万枚
(2000万枚突破は史上5組目、ソロ歌手および女性ボーカル歴代1位)

■CDアルバム (ミニアルバム含む)
 ・首位獲得数:11作 (女性アーティスト歴代4位)
 ・8年連続首位獲得 (歴代2位タイ)
 ・ミリオンセラー:8作 (女性アーティスト歴代2位)
(以上オリコンチャートによる)


●受賞記録
主なものを抜粋。

■音楽賞
 ・日本レコード大賞
 ・大賞 (2001年,2002年,2003年)
 ・日本ゴールドディスク大賞
 ・アーティスト・オブ・ザイヤー (2001年,2002年,2004年)
 ・日本有線大賞
 ・大賞 (2001年,2002年)
 ・全日本有線放送大賞→ALL JAPANリクエストアワード→ベストヒット歌謡祭
 ・グランプリ (2000年,2001年,2002年,2003年)
※但し、2002年以降はポップス部門

■その他
 ・紅白歌合戦連続出場:7回 (1999年〜)
 ・ベストドレッサー賞 (2000年)
 ・ベストジーニスト
  一般選出部門 (2000年,2001年,2003年〜2005年)
  ※木村拓哉、草g剛に続いて3人目、女性では初の殿堂入り。
 ・ネイルクイーン (2001年〜2003年)
  ※殿堂入り。

他多数。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070713-00000208-sph-ent


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ヒデ(ペナルティ)エピソード&プロフィール

ヒデ(本名:中川 秀樹、1971年4月7日 - )は、お笑いコンビペナルティのツッコミ担当。吉本興業所属。身長175cm、体重67kg。千葉県船橋市出身で血液型はO型。1994年にコンビを結成した。専修大学法学部卒業。


【プロフィール】
相方のワッキーとは市立船橋高校のサッカー部で出会い、先輩後輩の間柄。同じ専修大学に進むもサッカー部の合宿所から脱走して戻ってきたワッキーを呼び出し、お笑い芸人になろうと説得し、芸能界入り。当時、横浜フリューゲルスからスカウトを受け、さらに内定をもらっていたのにも関わらず、「笑いで人を楽しませる仕事をしてみたい」と内定を断ってお笑いの道を選んだ。(内定を断ったのは「既にサッカーをやる自分に限界を感じていた」という発言もしている。)お笑いを目指すきっかけは、余興でのギャグが周囲から高い評価を受けていたこと。

その為、サッカーには詳しいが、「笑いの金メダル」(テレビ朝日)の結婚式のスピーチを競った際、過度の下ネタに加え日本ではマイナーな海外選手の名前も多用したため、審査の結果30点中12点に終わった。

長い下積み生活を経て、ようやく2003年ごろに人気が出る。しかし、ワッキーの面白さが目立っているため、地味な存在になっている。テレビ局に入る際にも警備員によく止められるらしい。「芝刈り機の持ち主」といわれたことがある。

吉本の若手芸人の中でも司会の上手さには定評があるが、ワッキーが目立つ為かあまり世間一般には知られていない。また「アメトーク」(テレビ朝日)での企画プレゼンでは、短時間で分り易くプレゼンする為、視聴者にも好評。名言(「僕主催のBBQに来た時は手ぶらで結構です。最後は楽しさと思い出でかさばりますから。」など)も残すがこれもワッキーが目立つ為、引き立たない事が多い。

ネタではボケ倒すワッキーに最後にドロップキックでツッコむことで有名(ただし、このとき腰を痛めることがしばしばある)。「笑いの金メダル」にボブ・サップが出演したときにもドロップキックをかましていた。また、「プロの半笑い」の1コーナー「愛のヒデ神様」ではザンゲする若手芸人にもドロップキックをかました。

2007年現在、ジパング上陸作戦のチャド・マレーンを自分の部屋に下宿させている。

節約上手らしく、しばしば「やりくり坊や」や「サラリーマン芸人」と言われることがある。ブレイク前は交通費を浮かせるため基本は徒歩移動、名古屋で仕事のあるときは事務所から渡された新幹線の切符を換金して夜行バス移動したこともあるらしい(約3千円節約できるらしい)。

4年前のお正月に『イボ痔』に悩まされた。自ら『吉本1のベスト・痔ーニスト』と言っていた。「アナオール」という痔を題材にしたコントもある。

アウトドア派で、「僕といったらBBQ」らしい。TBSの「関口宏の東京フレンドパーク」(2006年8月7日OA)では、キャンプのセットをダーツで獲得。出演しているラジオ「ペナルティのゴックンでございます」では「馬部久(うまべひさし、と読み、読み方を変えると『バ・べ・キュウ』となりバーべキューと読める)」というキャラクターに扮しコーナーを持っている。「やりたいと・思ったときが・BBQ」を格言としている。よくチャド・マレーン、くまだまさし、椿鬼奴、指圧野郎、ふくろとじ、グランジ、はいじぃら共に行っているらしい。

アニメ「サザエさん」が好き。

07/06/21放送の「アメトーーク」において、自身の持ち込み企画である「五反田芸人」を実現。蛍原などのツッコミに対して秀逸に切り返すなど、頭の回転が速いところを余すところ無く見せた。前述の司会の上手さを如実に表している。   フジテレビ働くおっさん劇場に関しては芸能人の中で一番ファンだと明言。

2007年7月7日に一般人女性と結婚。


【交友関係】
同期のロンドンブーツ1号2号の田村淳には、『サッカーばか蔵』と呼ばれることが多い。ロンドンハーツ出演時に、度々そのキャラを売りにしている(何事もサッカーに例えて話す、「わかりました」という意味で「ロナウジーニョ」と言う、など)。また、同番組内の「カミングアウト温泉」で、ワッキーの口からガン保険や自動車保険など、多くの生命保険に加入している等、堅実(悪く言えば堅物)な面も発覚した。過去には、女性フットサルチーム「よしもとマラティニーコ」の監督だった(現在はDonDokoDonの平畠啓史)。 後輩のガレッジセールの川田広樹とは仲がよくテレビでもセット扱いだったり たまにつっこみが同時になるなど息がぴったり合う。川田は「コンビ別々にして何ならヒデさんと組みたい」とのこと。 最近ではヒデは川田の事を「広樹」と下の名前で呼んでいる。


【コントキャラクター】
ワンナイR&Rでは、雨上がり決死隊の宮迫博之と共にオカマのサッカー選手ジローちゃん(宮迫はアンコ姉さん)を2人でやっている。その他、中田ヒデ(中田英寿)、ヒデミチお兄さん(佐藤弘道)など、スポーツがらみのキャラが多い。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070712-00000014-oric-ent

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羽賀研二 エピソード&プロフィール

羽賀 研二(はが けんじ、本名:當眞 美喜男(とうま みきお)、1961年7月21日 - )は、フロム・ファーストプロダクション所属のマルチタレントである。旧芸名は羽賀 健二。沖縄県沖縄市出身。父がアメリカ人、母が日本人のハーフ。血液型はB型。身長180cm、体重68kg。代表作は主演した『サギ師一平』シリーズ。


【略歴】
唯一の本土決戦の地であり、多くの戦争犠牲者を出した沖縄で、敵国である米兵と日本人とのハーフとして生まれた彼の幼少年期は凄惨なものであった。

■米兵の子を身ごもった事を知った叔父は、胎児を蹴り殺そうと母親を蹴りまくったそうである。

■生活は貧困を極め、住まいは長らく電気店の納屋であった。その為、早くから新聞配達をして家計を助けていた。

■小学校時代は、ハーフで赤毛であることを理由に執拗なイジメに合う。中学時代は、同様の理由で喧嘩を吹っかけられる毎日を送る。

■国際学園中央高校高等部時代はバスケットボール部に所属し、5番でインターハイ出場歴もある。

■卒業後、1981年にミュージカル『ザ・ファンタスティックス』で芸能界デビュー。また、劇男一世風靡が分裂する前の劇男零心会にも籍を置いていた。(劇男零心会には参加していたが劇男一世風靡に参加していない。)

■翌年フジテレビ系列の『笑っていいとも!』の初代いいとも青年隊に起用されたのを皮切りに、俳優・歌手として活躍。その後もタレントとして、また著書執筆など広く活躍している。

かつて梅宮アンナと長期にわたって交際しており、"ペアヌード"写真集を出すほどの熱愛ぶりだったが、梅宮辰夫の反対や羽賀自身の見栄を張りすぎた性格が災いして借金など数多くの問題を抱えていた。だが「誠意大将軍」と名乗り、梅宮パパや借金に対して誠意ある対応をしたことから次第に周囲から認められる。しかし、梅宮アンナとは仲違いをし1999年に破局することになった。

梅宮と交際していた時期に、グラビアアイドルの桜庭あつこが羽賀との関係をマスコミに告白した騒動があった。一般的には単なる桜庭の売名行為だったと認識されている。

2000年代前半にはあまりメディアに露出せず、宝石販売業で成功し地道に借金を返済した(と思われていたが、当時の金銭トラブルが元で2007年に恐喝事件で逮捕される)。近年はタレント活動よりもこちらの方が本業と言える。

2004年頃から、ケツメイシ『君にBUMP』のプロモーションビデオに出演するなど、再び芸能活動を本格化させるようになる。

2006年、元テレビ制作会社社員で数年間羽賀の身の回りの世話をしていた女性と結婚。梅宮アンナとの破局の真相や妻との出会い、そして結婚式の模様はフジテレビ「Dのゲキジョー」内で紹介された。


《恐喝事件》
2007年6月30日、大阪府警に恐喝容疑で逮捕された。元プロボクサーの渡辺二郎、暴力団山口組系極心連合会相談役、同会関係者ら3人と共に知人男性を脅し、「羽賀容疑者から買った医療コンサルタント会社株が同社の破たんで紙くずになった」という約4億円の賠償請求権を放棄させた疑い。羽賀は容疑を否認している。

さらに、この男性に対し未公開株の価値を3倍高く偽って購入させ、差額を借金返済などに充てていた疑いも浮上。男性から3億7000万円を受け取った2001年は羽賀が借金の返済に追われていた時期で、宝石販売業とは別に違法な手段で金を作り返済していた可能性が出てきた。

他にも、遺言状を書いて借金を重ねたり、土下座や電話を繰り返して5000万円を借り「外部に漏らせばプロダクションから名誉毀損で訴えられる」などと脅して借金を踏み倒した事などが報道されている。


【逸話】
■有名になった後も発表される生年月日がコロコロ変わった。デビュー当時は1961年生まれとなっていたが、その後1964年生まれになっていたこともある。近年は1962年生まれの発表に落ち着いていたが、2007年6月の逮捕時に警察は45歳(1961年生まれ)と発表した。

■数々の伝説を作り上げたと周囲から言われるほど逸話には事欠かない。以下にいくつか例を挙げる。

■いいとも青年隊時代、楽屋で蚊に刺されて無性に刺された箇所がかゆくなった。羽賀は血が多量に出るまでかいたあげく、しまいには焼きごてを自分で用意しその傷口を塞いだ。

■単身でバイク横転事故を起こした後には自分を励ますためになぜか大声で「沖縄」と叫んだ。

■梅宮アンナと交際中、アンナの陰毛を「お守り」として財布の中に入れ常に持ち歩いていた。

■知人の連帯保証人となったため2億4000万円もの借金を背負い、その返済の為に芸能活動の傍ら宝石商として働き続け、商才もあったのか12年かけて完済した。その経験を活かして、今では宝石デザイナーとしての顔も持っている。

■上記の借金問題で野口五郎が怒って説教をした時に、何故か逆に羽賀に説得され、気がついたら野口が羽賀を励ますシチュエーションになっていた。

■ディズニー映画「アラジン」のアラジン役と、人気格闘ゲーム原作の「ストリートファイターII MOVIE」のケン・マスターズ役で本職声優さながらの演技を見せたことから、「声優業でも通用する」との声が未だ根強く聞こえる。

■後者は劇場版での演技が好評だったため、TV版「ストリートファイターII V」でも同じ役で出演。

■ちなみに「ストリートファイターII MOVIE」で共演した清水宏次朗とはプライベートでも親友関係である。

■自動車やレースが趣味で、日本自動車連盟公認の国内競技に出場するための国内A級ライセンスを取得している。

■実質的は母子家庭であり、そのため母親想い。母には家をプレゼントしている。

■沖縄県北谷町のアメリカンビレッジにある「南国食堂」のオーナーでもある。(現在は閉店)

■陰茎が非常に大きく、週刊誌の巻頭ネタにされたこともある(25cm、或いは23cmとも報じられている)。また、ビキニやTバックなどの際どい下着を1990年代まではよく身に着けており、深夜番組でTバック・ビキニ・競泳パンツのモデル役を堂々と務めたこともあった。更に「笑っていいとも!」でかつて共演していたタレントの多く(ドン川上・野々村真など)から、「かならずビキニパンツから大きな"ナニ"がかなりの割合ではみ出していた」と証言されている。
これらの「下ネタ」系の逸話の有無に関し、羽賀は積極的に肯定の立場を取り、更に自らの性生活をオープンにしたりする姿勢を取っている。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070708-00000018-spn-ent

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相武紗季 エピソード&プロフィール

相武 紗季(あいぶ さき、1985年6月20日 - )は、兵庫県宝塚市出身の女優、アイドル、タレント。本名は同じ。愛称は「アイブー」「ぶっちぃ」「さきっちょ」「相武ちゃん」「サキサキ」。

所属事務所はボックスコーポレーション。身長は165cm。血液型はO型。母は宝塚歌劇団卒業生の朱穂芽美(1976年入団、1981年退団)。姉は宝塚歌劇団87期生で星組娘役の音花ゆり。


【来歴・人物】
地元の中高一貫校である雲雀丘学園中学校・高等学校に通学していたが、2002年の夏に朝日放送の「夏の高校野球PR女子高生」に、およそ1,000人の応募の中から選ばれた事がきっかけで現在のマネージャーにスカウトされ、翌年、芸能界デビュー。高校2年の時に単身上京し、日出高等学校に転校して、そのまま卒業。尚「PR女子高生」には相武も含めて3人選ばれたが、残りの2人は芸能界入りはしなかった。

所属のボックスコーポレーションが昔からCMに強かった事もあり、デビュー直後から、いきなり「2ウィーク アキュビュー」(ジョンソン・エンド・ジョンソン)や「C.C.レモン」(サントリー)等のCM出演を果たす。キュートな笑顔と関西出身らしい明るい性格が評判となった。デビュー当初は水着グラビアも行っていたが、2005年に2冊目の写真集を出したのを区切りに水着は封印した。ちなみに、2003年に初のドラマ出演となった「WATER BOYS」や、2005年の「がんばっていきまっしょい」(共にフジテレビ系)では水着姿も披露している。

2004年 からCM出演している「ミスタードーナツ」(ダスキン)では、タカアンドトシ(現在は降板)とのコミカルな掛け合いも話題となり人気を得るきっかけとなった。その一方で女優業にも進出し、17才夏。 〜屋上ガールズ〜(朝日放送)、シナリオ登竜門大賞受賞作『なつのひかり。』(日本テレビ系)などの単発ドラマでは主演経験を積んだ。NHK総合「よるドラシリーズ」の新規作品最終作となった『どんまい!』(NHK総合)では、連続ドラマ初主演を務めた。

2005年以降は声優業にも進出し、アニメ映画『まじめにふまじめ かいけつゾロリ なぞのお宝大さくせん』、映画 『ドラえもん のび太の新魔界大冒険 〜7人の魔法使い〜』ではヒロインの声を務める。準主役クラスで出演したドラマ『アテンションプリーズ』(フジテレビ系)が縁になって起用されたJAL日本航空の「先得割引」(「紗季」と引っ掛けたものと思われる)では、B777の胴体に客室乗務員姿の巨大写真が3機ペイントされたが、これは女優としては史上初である。

現在、12社のCMに出演中。テレビや雑誌の紹介でも「新CM女王」などと評されることが多く、不動の地位を築いている。


【エピソード】
■「相武」という名字は全国的にも珍しく、よく芸名と間違えられる(人名で「武」の文字を「ぶ」と音読みにするのも少ない)。「アイタケサキ」という名前で、KFCデリバリーを頼むなどの工夫をしている。

■また、東京都と神奈川県の都県境付近の地域を指す名称として「相武(そうぶ)」があり、これに関連し相模原市の地名に相武台、小田急小田原線に相武台前駅、相模線に相武台下駅などがあるため、「そうぶさき」と誤読される事もあった。

■特技はシンクロナイズドスイミング、競泳(平泳ぎ)。競泳(平泳ぎ)は中学生の時、宝塚市の大会で一位になった事がある。中学、高校では水泳部で副部長を務め、“鬼の副部長”として恐れられるほど、後輩を厳しく指導していた。練習メニューを作成していたという。シンクロにおいてはオリンピックで見た小谷実可子に憧れて始め、一時期は選手を目指すほど打ち込み、宝塚市の代表を務めた事もある。小学校の時から始めた水泳で鍛えた身体は筋肉質だが、陸上競技は苦手。ただ、持久力には自信を持っている。

■ドラム演奏は中学生時代に父親の影響で始めている。一部雑誌インタビューの手違いで学園祭でバンドを組み演奏したとされているが、実際は計画止まりであった。

■趣味は読書で特にミステリー小説を愛読している。好きな作家は宮部みゆき、恩田陸、伊坂幸太郎など。その他の趣味は音楽鑑賞、料理。特に料理はテレビのバラエティ番組で数々披露している。

■自ら酒好きを公表しており、お気に入りのお店はダーツバーと焼き鳥屋。

■男子高校生や男子大学生にかなり人気がある。理想のタイプとして選ばれることが多い(2006年6月19日放送の芸恋リアル(日本テレビ系)で発表された、「全国一万人大調査 恋人にしたい女性ランキング」では第4位にランクインした)。

■ペットは希少犬のボロニーズ(メス)。名前は『みゅー』。2006年9月に飼い始めた。

■高校2年の時にスカウトされて上京しようとした時、父親から「中学から一緒の友達と卒業出来なくていいのか?」と言われ、説得するのに時間がかかったという。

■上京以来、毎年父親に手編みマフラーをプレゼントしている。

■最近ではサーフィンに夢中になっているという。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070708-00000024-dal-ent

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内山 信二 エピソード&プロフィール

内山 信二(うちやま しんじ、1981年9月25日 - )は日本のお笑いタレント。東京都葛飾区出身。身長174センチ、体重125kg。血液型O型。子役出身で、そのふくよかな体型を売りにしている。いわゆる「デブタレ」。愛称は「内山君」「ウッチー」「うっちゃん」「ウチヤマ」。石井光三オフィス所属。

実家は魚屋だったが閉店した。閉店した原因は本人の弁によると、当時店では鰻の蒲焼きを売っていたが、自分が店番をしている時は、いつも売り物の鰻をすべて食べてしまい経営が悪化したというが冗談であると思われる。


【来歴】
子役時代に『あっぱれさんま大先生』に出演し人気を博す。同番組のレポーターとしても活躍し、8年という長い期間レギュラー出演をしていた。

鉄棒の逆上がりが出来ず、悔し涙を流しながら練習して逆上がりが出来るようになった、というエピソードがある。「授業参観スペシャル」に登場する、個性的な父親も人気であった。また、同番組内で明石家さんまから「お前、大きくなったら何になりたい?」と聞かれた際、「AV監督!」と発言している。

あっぱれ時代にお笑いの基礎(ボケ方、突っ込み方など)を同番組の司会・明石家さんまから教えてもらっていたことは有名。現在のタレント活動の基礎はここから築き上げられた。弟子を取らない方針で知られているさんまが、かつて「内山が唯一の弟子かもな」とテレビで発言したこともある。

子役事務所を転々とし、あるTVディレクターの仲介により、現在所属の石井光三オフィスへ移籍。

その後は、数々のバラエティ番組に出演。今では子役時代以上にふくよかな体型となり、伊集院光、石塚英彦、松村邦洋らとともに日本の「デブタレ四天王」の一人と呼ばれるほどまでになる。若手のデブタレが出てくると、このデブタレ四天王の4人でその若手デブタレについて膝を交えて審議する時があるらしい。内山はデブタレの中では一番若手なので、同士が複数出演するような番組では補佐的な役割をする場合が多い。また、バラエティ番組でゲスト出演の時には、いじられ・おもちゃキャラの役割が強くなっている。デブタレと言われるが食生活は想像するより小食で、バラエティ番組内で牛丼屋ではいつも並を注文していると暴露され慌てる姿を見せた。その一方では『いきなり!黄金伝説。』(テレビ朝日)の高級中華料理店全メニュー食べ尽くす男に挑戦し、全て食べ尽くしたり、月約20万を肉の取り寄せに費やすという一面もある。また、最近では先輩の松村や石塚対策の為にザ・たっち、大地洋輔、関智大を自分が勝手に作った派閥に加え、デブ芸人養成に力を入れている。

髪型は子役の頃にはスポーツ刈りにしていたが、現在はスキンヘッドまたは丸刈りにしている。

子役の頃から「内山くん」と呼ばれることが多く、それが慣れてしまったため今になって後輩の芸能人から「さん」付けで呼ばれるのがあまり好きではないという。

松村邦洋が昔の思い出を語った際、再現VTRで松村の少年時代の役を演じたことがある。

また24時間テレビが大好きであり、19歳の時から仙台のメイン会場でパーソナリティを務めている。

趣味はビンテージ(年代)物を中心とした古着の収集。『あっぱれさんま大先生』では18万円のジーンズを穿いて出演し、それに関する知識を披露したことがある。あっぱれ学園を卒業した頃のテレビ出演では、私物と思われるビンテージの古着をしばしば衣装にしている。『ダウンタウンDX』出演の際にも内山が所有するコレクションの一部が紹介された。

仮性包茎であったが包茎手術を受け、直後に東京フレンドパークに出演しウォールクラッシュで激痛に耐えた。

■平成18年より実兄と訪問介護サービス「まごのて株式会社内山企画」を都内で経営する。
2007年7月、約8年同棲し同年1月に別れた女性(30)から、内山の浮気が原因で精神的苦痛を受けたとして、500万円の損害賠償を求める訴訟を起こされ、訴えられた。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070708-00000043-sph-ent

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柏原収史 エピソード&プロフィール

柏原収史(かしわばら しゅうじ、1978年12月23日 - )は、日本の俳優、ミュージシャン。山梨県甲府市出身。血液型はA型。メリーゴーランド所属。


【略歴】
1993年、実兄である柏原崇の「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」の最終オーディションを見に来ていた所をスカウトされ、芸能界入り。当時の事務所は「トライストーン・エンタティメント」。翌年、TVドラマ「人間・失格」で役者デビュー。その後、「凍りつく夏」において、幼児期に親より虐待を受けたために、成長してからもそのトラウマから脱却できない少年の役を演じ、高い評価を得る。

2000年に公開された映画「スリ」(黒木和雄監督)で日本映画評論家大賞・新人賞を受賞。

兄の崇とはファミリーマートのCMで共演したり、ロックバンド「No'where」を結成(現在、活動休止中)したりしている。

「No'where」の活動休止後、2001年にネスミスと「STEEL」を結成したが、こちらのほうも現在、活動休止中である

2003年、兄と同じ現在の事務所「メリーゴーランド」に移籍。(2005年8月、兄は別事務所に移籍)

2006年に公開された主演映画「カミュなんて知らない」(柳町光男監督)では、カンヌ国際映画祭、ニューヨーク映画祭、台北金馬映画祭などに出品され、東京国際映画祭では「日本映画・ある視点部門」にて作品賞を受賞。全米7都市でも上映され、国際的に注目される作品となった。(2006年度キネマ旬報ベストテン10位にも入賞)

2006年秋、アンナさんのおまめに出演。それまで、多く演じていた神経質で繊細といった役柄とは大きく異なる、様々なコスプレをするなどのぶっ飛んだコメディ演技を披露し、主演のベッキー同様、視聴者から高い評価を得た。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070708-00000002-sanspo-ent

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