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花田勝 エピソード&プロフィール

花田 勝(はなだ まさる、1971年1月20日 - )は、実業家、タレント、スポーツキャスター、元大相撲力士(第66代横綱)、アメリカンフットボーラー。東京都中野区出身。力士時代の四股名は若乃花 勝(わかのはな まさる)。父は元大関・貴ノ花利彰(本名・花田満)、母は女優の藤田憲子、弟は第65代横綱・貴乃花光司。義妹(弟の妻)に元フジテレビアナウンサーの河野景子、親戚に米米CLUBの石井竜也・金子美奈子兄妹がいる。得意料理はナスの浅漬け。


【来歴】
上背はなかったものの、強靭で巧みな足さばきを生かして多彩な技を繰り出し、技能派の名人力士として知られた。また人当たりのよい性格で話術にも長け、力士時代から「お兄ちゃん」の愛称で親しまれる。容姿や相撲の内容は実父・貴ノ花健士よりも伯父の初代・若乃花を髣髴とさせた。

1988年3月場所初土俵。弟の貴花田光司(貴乃花)と共に順調に出世し、1990年3月場所新十両。同年9月には新入幕を果たした。入幕して最初の頃は天性の勝負勘と強靭な足腰で相手の攻撃を凌いで技を繰り出して勝つという勝ち方が多かったが、1992年後半頃からおっつけに磨きがかかるようになり、成績も伸びていった。そして1993年3月場所に小結で初優勝。同年7月場所には13勝2敗で曙、貴乃花と共に優勝決定巴戦に出場。優勝は逃したものの、場所後大関に昇進した。

大関昇進後も順調に土俵を務めていたが、1994年11月場所前に右腰を痛めてからしばらく低迷する事になる。この間曙を倒して弟貴乃花の優勝の援護射撃をするという場面は見られたものの、自身が優勝を果たすまでにはいかなかった。1995年11月場所に弟貴乃花との優勝決定戦を制して漸く2回目の優勝を果たすが、翌場所は不調で一つも勝てずに途中休場してしまい、周囲をヤキモキさせた。しかし1996年中盤頃から復調の兆しが見え、1997年1月場所は初日から完璧な相撲で14連勝して14日目に3回目の優勝を決めた。千秋楽は武蔵丸に敗れて全勝優勝はならなかったものの、若乃花の土俵人生の中で最高の相撲を見せた場所となった。綱取りが大いに期待され、その期待に応えるように翌3月場所も絶好調だった。しかし3日目の旭鷲山戦で右大腿二頭筋を断裂し、途中休場で綱取りは全くの白紙となってしまった。しかも全治3か月の重傷で、7月場所に復帰したものの、序盤に3連敗する等、絶不調で引退を囁かれるまでになってしまった。

この場所は何とか勝ち越して引退の危機は乗り切ったが、怪我の箇所を考えると「もう上は望めないのではないか」と言われるまでになってしまった。しかし、1998年3月場所、突如爆発するかのように、初日から完璧な相撲を取り、14勝1敗で4回目の優勝。翌5月場所も中盤苦戦したものの、千秋楽に武蔵丸を破って何とか連続優勝を果たし、横綱昇進を決めた。12勝という低いレベルでの優勝だった為、「もう一場所見るべきではないか」という声もあったが、横綱審議委員会で反対論は全く出ずに、あっさり決まった。横綱土俵入りでは「短命」のジンクスと言われる不知火型を選択。隆の里が中心となって、琴櫻や初代若乃花までが登場して土俵入りを指導した。若乃花らしい切れのあるきびきびとした土俵入りであった(当初は弟貴乃花が土俵入りを指導するものと思われていたが、貴乃花は姿を見せなかった。そしてこの頃から二人の確執が噂されるようになり、これが明らかになるのは1998年9月場所前の事である)。

史上初の兄弟横綱として多くのファンに活躍を期待されたが、一方で約5年間の大関在位で多くの怪我に苦しんだ事も有り、また不知火型のジンクス通りに短命になるのではないかという懸念の声も聞かれ、その悪い予想は的中してしまう事になる。1998年9月場所と1999年1月場所は最後まで優勝を争ったが、それ以外の場所は故障等でガタガタで、1999年3月場所以降3場所連続休場する事になる。復帰した9月場所は10日目に左足の肉離れを起こしてしまい、周囲の休場勧告を無視して強行出場、結局7勝3敗から終盤5連敗して負け越した。横綱の皆勤負け越しは15日制が定着してからは史上2人目(大乃国以来10年ぶり)の不名誉な記録で、この場所限りでの引退を勧告する声もあったが、本人は現役続行を志願し、翌場所から2場所連続休場して再起を図った。そして2000年3月場所に復帰したものの、満足な相撲が取れず、5日目に栃東に敗れたのを最後に遂に引退を発表した。年寄藤島を襲名し、当初は後進の育成に専念するような発言をしていたが、引退相撲を終えて間もない2000年12月18日に突如日本相撲協会を退職し、タレントに転身した。

横綱時代は休場の方が多く十分にその役目を果たせなかったが、大関時代は大型力士が台頭する中で小兵の若乃花は下手をすると大負けしかねない状況だったが、休場明け等の場所を除いた場所では概ね二桁以上の成績を上げており、大関としては強かったと言える。その為に一部で「横綱に上がらなければ名大関として名を残せた」という声もある。また、力士生命にとって致命的になった足の怪我の容態は引退後も回復しておらず、後にテレビ番組において「将来、車椅子の生活になる事は避けられない」と医師から告げられた事を告白している。また、長男誕生直後に出演した『おしゃれカンケイ』(日本テレビ系)の中で、産まれて間もない長男とゲスト出演し「息子はお相撲さんには絶対させません」と笑っていたが、目は真剣そのものだった。

この若乃花の昇進を最後に日本生まれの横綱は誕生していない(2007年3月場所時点)。この間魁皇・千代大海・栃東が綱取りに挑戦しているが、いずれも失敗している。横綱昇進後は実弟・貴乃花光司との不仲や離婚問題等ワイドショーを賑わす騒動に巻き込まれることが多かったが、本人によると「(ワイドショーで)騒がれた場所ほどかえって相撲に集中出来た」らしく、実際に騒がれた場所は好成績を残している(1998年9月場所12勝3敗・準優勝、1999年1月場所13勝2敗・優勝同点)。

日本相撲協会退職後はスポーツキャスター、タレントとして活動するとともに、全国に店舗展開する「Chanko Dining 若」、さらに「Korean Dining 66亭」、「&kitchen」、「Onii Chan and Kitchen(おにいちゃん&キッチン)」をプロデュースし、運営母体ドリームアーク社の代表取締役として実業家として成功している。


【プロフィール】
■東京文化小学校卒。1988年3月 - 明治大学付属中野高等学校を中退し、藤島部屋(のちの二子山部屋、現在の貴乃花部屋)に弟の光司と同期入門、四股名は若花田 勝(わかはなだ まさる)。ほかに同期の力士は曙太郎、魁皇博之ら。名前は父で師匠の藤島親方が兄の勝治(伯父)にちなんで「勝」と名づけた。

■1990年3月 - 十両昇進

■1990年9月 - 幕内昇進

■1991年11月 - 小結昇進

■1993年1月 - 初の幕内最高優勝

■1993年5月 - 関脇昇進、四股名を若ノ花 勝(わかのはな -)に改める。

■1993年9月 - 大関昇進、伝達式口上で「一意専心の気持ちを忘れず相撲道に精進する」と述べる。

■1994年6月 - 元ファッションモデルで日本航空客室乗務員の栗尾美恵子と結婚。

■1994年11月 - 四股名を若乃花 勝(わかのはな - )に改める。

■1995年11月26日 - 十一月場所千秋楽、史上初の兄弟による優勝決定戦で、弟貴乃花を破り幕内最高優勝を果たす。

■1998年7月 - 横綱に昇進、史上初の兄弟同時横綱が実現する。横綱土俵入りは不知火型を選択。伝達式口上で「堅忍不抜の精神で精進していく」と述べる(この際、綱取りのかかった場所で12勝3敗という成績が昇進に値するかどうかで議論され、「全勝優勝を求めるべし」と昇進を見送る意見もあった)。

■1999年1月 - 千秋楽まで単独首位であったが、本割と優勝決定戦で関脇・千代大海に敗れ、横綱初優勝ならず。

■1999年9月 - 十日目の闘牙戦で、左太腿の肉離れを起こす。協会からの休場勧告を無視して千秋楽まで出場するも、7勝8敗で負け越し(横綱が皆勤しての負け越しは史上4人目(5例目)、15日制が定着してからは大乃国に次いで2人目)。

■2000年3月16日 - 三月場所5日目に現役引退を表明、年寄藤島を襲名する。最後の対戦相手* 2005年7月7日 は、奇しくも明大中野高校の後輩でもある、関脇(当時・のち大関)の栃東大裕だった。本人は高校の後輩として面倒を見ていた栃東ならば、最後の対戦相手として不足はない、と考えていたという。実際、現役最後の白星となった4日目玉春日戦の取組後、翌日の対戦相手が栃東と決定した時に、女将(当時)で実母の憲子から電話で「明日栃東でしょう。良かったわね」と話すと、若乃花も「そう。よかったよ、ダイスケで」と喜んだ。しかし、この電話で二人は「栃東戦が最後の相撲」と、通じ合っていたという。

■2000年9月23日 - 断髪式。若乃花最後の横綱土俵入りには太刀持ちに曙、露払いに貴乃花と両横綱が務めた。日本テレビ系列での中継は関東地区22.6%、関西地区25.6%(ビデオリサーチ調べ)の高視聴率を記録する。実弟、光司が鋏を入れた後、そっと勝の肩に手を掛けるシーンが涙を誘う。

■2000年12月18日 - 日本相撲協会を退職。

■以降、アメリカンフットボール選手を目指し渡米、さらに本名の花田 勝でタレント・スポーツキャスターとして活動を行う。

■2005年5月30日 - 実父で師匠の二子山親方(花田満、元大関貴ノ花)死去。6月2日に東京都港区の青山葬儀所で行われた告別式で喪主を務めた。その頃、弟の貴乃花親方との確執が再び明らかとなった。この一件では、貴乃花親方が一種の舌禍騒動の様な状態に陥ったのとは対照的に、何を言われても頑なに沈黙をつらぬいた。

■現在は東京都、大阪府、愛知県などでちゃんこ料理屋「Chanko Dining 若」を経営し、大相撲の本場所では懸賞の提供企業にもなっている。このちゃんこ屋は2006年8月現在兵庫県姫路市や岡山県、京都府、神奈川県などに進出し、遂には韓国にも出店した事で店舗数は23店舗。また、最近は「Korean Dining 焼肉66亭」「WAKAS' GRILL AND SEAFOOD」をオープンし、テレビのキー局でもコマーシャルを打つ程に至って盛業であり、自身のタレント活動も含めて、角界出身の実業家としては実に大谷米太郎以来の大成功とまで言われている。

■2005年7月7日 「Chanko Dining 若」が新宿にもオープン、それと同時に父の遺産の放棄を宣言している。遺産放棄の理由は明らかにされていないが、彼のタニマチによれば、「現在は実業家として、父親より稼いでいるから放棄した」と言われている。

■2007年10月2日 美恵子夫人と離婚。「正式に書面を提出し離婚という道を選ぶ事になりました。2人で時間をかけて話し合い、このような結果となりました。出逢えたこと、4人の子供を授かったことなど13年間の結婚生活に感謝しています。これからも2人を温かく見守って頂けると嬉しく思います」と所属事務所を通じてFAXでコメントしている。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20071003-00000002-oric-ent

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