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高木美保 エピソード&プロフィール

高木美保(たかぎ みほ、1962年7月29日 - )は、女優。現在は、コメンテーター、エッセイスト、タレント。東京都葛飾区出身。和洋女子大学中退。血液型はA型。


【来歴・人物】
1984年、映画『Wの悲劇』出演で女優としてデビュー。その後、東海テレビの昼の帯ドラマ『華の嵐』『夏の嵐』などの、俗に言う『嵐シリーズ(グランドロマン)』に出演して、女優として人気を集めた。しかし、女優業は自分に合わないと痛感し、タレントに転向、活躍の舞台をバラエティー番組・テレビコメンテーターに移す。1998年、パニック障害の治療をかねて栃木県那須に移住。タレント活動を行いながら農業を営み、農業体験をまとめたエッセー集も執筆している。未婚。本人曰く、男性への嗜好はかなりの面食い、かつ「好きな男性の前ではめちゃめちゃM」(ココリコミラクルタイプ出演時の発言)だそうである。トレードマークとも言える眼鏡を常にかけるようになったのは2001年頃からで、本人曰く近視や老眼ではなく、遠視になったからとのこと。農業を営んでいる事もあり、愛車は軽トラックのスズキ・キャリィ。

本人曰く「マトリックスは200回以上見た」ほどの大のキアヌ・リーブスファン。2005年4月、出演している『とくダネ!』の企画で独占インタビューに成功した。実は同年2月にもインタビューのチャンスがあったのだが、この時はスケジュールが合わず断念し、質問を代理人に託すこととなったので、2ヶ月越しのインタビュー成功となった。

2006年11月22日O.Aの「クイズ!ヘキサゴンII」で来年は子作りをすると宣言した。 また、2007年2月16日O.Aの『ごきげんよう』に出演した際、「イル・ディーヴォを生で見てから周りの男性が里芋にしか見えない」と発言し司会者、共演者に「どうせ里芋ですよ」といわれた。

2007年4月22日O.Aの「たかじんのそこまで言って委員会」では「気取った女優」に「お前バカだろう」トラップをかけたいと、「楽屋に犬を連れてくる、男性経験、恋愛経験で何でも語る」女優への嫌悪を露わにする。 またそのことを司会者の辛坊治郎に指摘されて、「あんた」と呼んで反論していた。 (番組冒頭でも、あくまでも演出としてではあるが、自己のプロフィール「芸農人」を「覚えておけ」と言い捨てる、敬語を使わずに話すなど言葉遣いを悪くして自分を演出した。) 同番組内で「本物の解る男」と出会いたいと主張。司会のやしきたかじんなどに妄想と揶揄される。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20071003-00000159-sph-ent

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田村裕(麒麟) エピソード&プロフィール

田村裕(たむら ひろし、1979年9月3日 - )は日本のお笑い芸人。麒麟のツッコミ担当。所属事務所は吉本興業。大阪NSC20期生。立ち位置は向かって左。相方は川島明。


【概要】
大阪府吹田市出身。大阪府立吹田高等学校卒。身長180cm。血液型O型。
愛称は「タム」、「タムちゃん」(笑い飯の哲夫が呼んでいる)、「タムさん」(主に後輩芸人が呼んでいる)。

NSC願書の自己PRでは「人は笑っている時が一番幸せだと思います。だから少しでも長く、多くの人が笑えるようにしたいのです」と書いている。


【エピソード】
《極貧時代》
■学生時代は貧乏だった(幼少時代は、そこそこ裕福だったという)。幼少期に母を病気で亡くし、中学生の頃に父親が病気を患い、その入院費がかさんだ。それを埋めようと貯金を切り崩すが底をつき、家が差し押さえられてしまい父親が蒸発、家族が『解散』した。しばらく兄、姉、田村それぞれが一人で生活する日々が続いた。この時期に田村は公園に住んでいたことがある(それゆえに当時の家の間取りを1Pと表現した)。その公園は「まきふん公園」と呼ばれ、一風変わった滑り台があり、市は巻貝をモチーフにしてたらしいが、当時、色が茶色(現在は水色)でまきまきのうんこに見えることからそう呼ばれている。その後友人の親の厚意でアパート住まいはできるようになったが、高校卒業まで生活費に苦労する日々が続いた。

■高校時代は昼の弁当を持って来られなかったため、教室で同級生が昼食を摂っている姿を見るのが辛く、昼食抜きで昼休みは一人で体育館でバスケットボールの練習に励み、レギュラーの座を獲得した。

■父を除いた家族3人で、近所のおばちゃんが借りてくれたアパートに住んでいた頃は家具が無く、粗大ゴミ置き場に家具を拾いに行った。その様子を当時の好きな子に見られてしまい「なにやってたの?」という質問に、「家具がないから家具を拾ってた」といったら、口をきいてくれなくなった。

■蒸発した父親は、現在も消息不明である。(田村曰く、「テレビを見られる状況に無い可能性がある」という)クイズ!ヘキサゴンIIに出演した際、「お父さんのことは恨んでないから、どうか僕の前に出てきてください」と再会を訴えていた。

■衝撃の解散の後、たった一度だけ父親に会った事がある。友達の家にいた時、散髪しに行く途中で再会した。だが父親にどこに行くかを尋ねられ、田村が答えた後、再び『解散』した。

■2007年3月15日に放映された「いきなり!黄金伝説」で、田村と同じアトピー性皮膚炎の息子を持つ松居一代に亡き母の自分に対する想いを代弁されて、号泣する場面も見られた。

■昔、川島が弁当のから揚げを公園の砂の上に落とした際、捨てようとした川島の手を止めて、「落ちて1分はありやろ」と言った(通常の「3秒ルール」が田村家では「1分ルール」)。

■ふりかけのせいで親友と絶交したことがある(「明日持って来たる」と言ったのに、友達が忘れてきたため)。

■公園に住んでて食べ物が全く無い時、あまりの空腹に周辺に落ちていたダンボールを水につけて食べた事がある。田村曰く「まずい!!(匂いもダメ)」らしい。しかし学校へ行こう!MAXであらかじめ用意されたダンボールを食べ、「おいしい」と言った。理由はダンボールが新しいと、特有の臭いが無いから。

■公園時代は、雨で体を洗っていた。彼曰く、夕立が一番嬉しかったらしい。逆に腹が立つのは、『やや降り(小雨)』。その際に、天に向かって「降るなら降る!降らへんなら降らへん!」と怒った事がある。


《芸人時代》
■一発ギャグなどでよく滑るが、天然ボケからなるアドリブは得意である。

■タムちゃんダンスと言う変わった踊りのネタがある。

■漫才中、相方川島のオチで笑ってしまい、お辞儀もせずに舞台袖に帰ったことがある。


《極貧時代の影響》
■川島と麒麟東京進出を考え、東京に居を移す計画をするもお金が無く(タクシーに乗るのにはまってしまったためと、後輩の面倒見がよく、おごりすぎたため)断念したことを新年早々生番組である第40回爆笑ヒットパレード2007とメントレGで話している。また、年明け前にも吉本お笑いオーケストラIIなどで話していた。

■お金があることが不安になり、使ってしまうことも告白している。

■M-1グランプリ2006の決勝進出者の記者会見で、賞金の使い道を聞かれて「中学のときに家がなくなって一時期公園に住んでいたので、優勝したら相方と2人でその公園を市から買い取りたいです!」と語った。

■貧乏キャラのため劇団乙女少年団などのコント劇団のキャラでは服が茶色の布に紐でしばったような服やダンボールで作られた服を着せられることが多い。

■「アメトーーク!」では「実家ビンボウ芸人」というカテゴリーで出演。他にメッセンジャー黒田、小沢一敬、中川家、熊谷岳大も出演していたが、エピソードの凄まじさから雨上がり決死隊からは黒田とともに「あの2人だけ別格やわ」と言われた。画面では田村と黒田のところにスポットが当たって「特A」というテロップもつけられていた。

■その壮絶な極貧エピソードの数々はいわゆる「鉄板」であり、人志松本のすべらない話でも披露され、田村は初出演ながら見事その回のMVP(ゴールド印)を獲得した。

■食事をまともにしていなかった為か、かなりの小食であり、味覚も若干おかしい。過去に川島にいたずらで焦げたキャベツを『トリュフ』だといわれ、全く気付かずにとても美味しそうに食べていた。

■2007年8月1日に放送されたクイズ!ヘキサゴンIIクイズパレード夏の超クイズパレード最強おバカ決定戦SPでの「おいしいクイズ」というコーナー内で、同じチームの成績下位4人(田村も含む)が選んだ漢字表記の材料で作ったミックスジュースを、他の人は「マズイ!」と言ったが、田村だけ「全然いける!」と絶賛していた。ちなみに材料は、桜桃(おうとう)・栄螺(さざえ)・韮(にら)・胡桃(くるみ)だった。

■小学校頃から高校ぐらいまでのメディア系の知識にまで影響が及んでいる。音楽に関して言えば、イントロクイズ等はほとんど答えられない。チャゲ&アスカの「SAY YES」、福山雅治の「イッツオンリーラブ」、ゴダイゴの「ガンダーラ」、ブルーハーツしか知らなかった時期がある。


【その他】
■兄はフロントストーリーの清水健次とコンビを組んでいたことがある。コンビ名は「マジェスティ」。

■学生のころ家庭の事情により自殺を考えたことがあり、教師に相談したら「田村君の笑顔でクラスが和むんだよ」と言われ思いとどまる。これがきっかけで芸人を目指すことを決意。

■タクシーが大好きでしょっちゅう乗っている。本人曰くジェットコースターよりおもしろいとのこと。

■ヘビースモーカーであり、銘柄はマルボロライトメンソール。

■体内時計が正確で麒麟・千鳥の二笑流TVではたびたび正確な体内時計を見せた。

■10歳の時サッカー部に入るも、なんとなく退部。以降はバスケット一筋。中学、高校ではレギュラーだった。

■ルービックキューブが得意。三分で六面揃える事が出来る。

■ご飯をずっと噛み続けると甘味が増した後、徐々になくなっていくが、極限まで噛み続けると、ほんの一瞬だけ味が復活する事を発見する。田村家ではそれを「味の向こう側」と呼んでいる。

■現在借りている自宅マンションの前の住人は、フットボールアワーの岩尾望。

■ココリコミラクルタイプで菅野美穂に「田村君は良い子だ!!いいこいいこ!!田村君はほんとに良い子だ!!」とべた褒めされたことがある。

■水をいきなりかけられる事が怖い。

■過去、彼の兄によって布団に包まれたせいで暗い所が苦手。

■高校時代、生徒会長になり意見箱を設置していた。そこに投じられた意見から、女子の体操服をブルマーから膝丈のジャージに変更した(学校へ行こう!MAXより)。

■高校時代の一番の御馳走は、学校の近くの商店街で売っているコロッケだった。

■家族は皆白いにもかかわらず、田村だけが黒い。小学校の低学年から黒いらしい。

■実は皮膚の色が黒い(茶色い)のは、体調不良によるもの。ある日腰痛のため、針治療に行った際先生に「これは地黒ではない。」と言われ、治療してもらった所、すごく綺麗な肌色になった。しかし、着替えて外に出る頃には元の色に戻った。

■死んだ、と思うことが多々ある。昔友人達と酒を飲んだ翌朝、酔った友人達に服を脱がされごみ置き場に放置されていた。裸で人気の無い街を見て死んだと思った。

■他にも川島とネタ作りの途中に田村が別室で鏡を背にして寝ていると、鏡が倒れ頭に引っかかり「人」の字の様になったが、田村は起きなかった。少しして目を覚ますと、自分の体と地面が見え「死んだ!」と思ったと言う話がある。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070925-00000046-sph-ent

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ダイノジ エピソード&プロフィール

ダイノジは、大地洋輔 と 大谷ノブ彦 によるお笑いコンビである。吉本興業所属。同期にはモリマンなどがいる。

専門は漫才だが、コントもこなす。コントの場合、大地と大谷の担当が逆転する場合がある。


【メンバー】
■大地洋輔(おおち ようすけ、1972年7月13日 -)
本名…大地 洋介(読みは同じ)
血液型A型。主にツッコミ担当、但し、太った体型を武器にコントではボケに回ることもしばしばある。漫才でオレンジのつなぎをよく着ている為「オートバックスの店員」と呼ばれている。相方のすすめでボウズにしていた頃があったが最近は短めのマッシュルームカットをしている。
TBS「ビー・バップ・ハイスクール パート1・2」(2004年6月16日・2005年8月17日、大前均太郎役)
2006年、2007年エアギター世界チャンピオン。

■大谷 ノブ彦(おおたに のぶひこ、1972年6月8日 -)
本名…大谷 伸彦
血液型B型。主にボケ担当だが、コントではツッコミに回ることもある。
佐伯鶴城高校-明治大学文学部日本文学専攻卒
ここ数年でかなり太っている。
島田紳助の暴行事件の際には、それを正当化するかのような発言をした。

大地はダイチ→大地洋介→おおち→大地洋輔、大谷はビック谷→大谷伸彦→大谷ノブヒコ→大谷ノブ彦と4度改名している。理由は2006年に開運アドバイザー安斎勝洋に「今のままだと良いことが起きてもすぐ悪いことが起きる」とアドバイスを受けたからと、大地がエアギター世界大会2006で優勝したがその後、左足を骨折して「やばい」と思ったから。


【エピソード】
■共に大分県佐伯市出身。中学校時代の同級生である。卒業後は別々の道に進んだが、銀座で偶然肩がぶつかり再会したことがきっかけとなりコンビ結成。両方とも既婚である。

■コンビ名の由来は、「大地」、「大谷」、「大分県」の3つの「大」の字があったため。なおケツメイシの涙のPVでは大地が大谷にダイノジに寝るなよ、といったときに思いついたとされている。

■英語でコンビ名を表記する場合、よく使用される「dainoji」は誤った表記であり、「dienoji」が正しい表記である。「die」は文字通り日本語で「死」を表している。

■大地の母の名前は紀世(キヨ)。「大地のお母さん」では幾度も大谷から「キヨ」が連呼された。爆笑オンエアバトルの福岡収録に出演した際は、大地と大谷の母、共に会場に足を運んだ。

■大地は大谷に、ライブ中に大きな会場で大地の携帯電話番号を叫ばれた事があるが帰って確かめた大地の携帯には一件の留守録しか入っていなかった。それは小学生の声で「…良かった」の一言だったと言う。(九州の学園祭ライブのトークにて)

■大地は小学生の頃、保健室前に貼る肥満撲滅キャンペーンのポスターのモデルに選ばれた事がある。

■「芸能界ダレについていく?仁義なき派閥抗争スペシャルお笑い国盗りクイズ2006年春の陣」(TBS系)で大地は追放され別室に行かされそうになった時「僕を残してくれたら面白い一発ギャグやります!」と自らハードルを上げ大爆笑をさらった。MCの今田耕司から「自分からハードル上げて爆笑取れる芸人は珍しい、君ら売れるよ!」と絶賛された。

■大谷は怪談話を得意とし、2005年「ぷっちぬき」で怪談話で視聴率の記録を更新しまくった。霊感がまったくないので幽霊を見たことはない。

■品川庄司が1年後輩にあたり、昔はライバル扱いされていた事もある。銀座7丁目劇場終了間際、酔った大谷と品川がケンカになり、大谷は『品川庄司なんて名前くっつけただけのコンビ名じゃ売れるか!』と言ったらしい。

■大谷は大地から「ファンと結婚してんじゃねぇよ!」とツッコまれ、タジタジになったことがある。

■大地の方が大食漢のように思えるが、実際は大地よりも大谷の方がよく食べる。  

■M-1グランプリの決勝に出場した実力者。「M-1グランプリ2002」で決勝進出者が決定する時、審査員たちは最後の8組目を選出するにあたってダイノジにするか、スピードワゴンにするか意見が分かれ、この論議だけでかなり長引いたらしく、長い議論の末、僅差でダイノジの決勝進出が決定し、吉報を受けた瞬間大谷は号泣した。それを聞いて1番最初に「おめでとう!」と大谷に駆け寄ったのは、大谷の大親友で、不幸にも同じ当落路線にいたスピードワゴンの小沢一敬であった。スピードワゴンは自分達が決勝にいけない悔しさを惜しみ、ダイノジの決勝進出を称えた。だが、スピードワゴンは、ワイルドカード(敗者復活戦)で決勝進出。その発表は、ダイノジの出番直前で、それを聞いた大谷は「スピードワゴン、きたー!」とガッツポーズをとっていたという。決勝ネタはネタを一つ飛ばすなどのミスをしてしまい大スベり。翌年から仕事が減ってしまい本人達も相当引きずっていたらしい。


【虎のイラストのトレーナー】
■2005年ころから、2人そろって虎のイラストが大きく描かれた、大阪のオバチャンが着るようなトレーナー(あるいはセーター)を舞台衣装として着ることがある(通信販売で売られている物)。

■大谷は「キャラクター作りに迷っているところなんです」と言ったことがある。

■大地はその衣装を着て「エアギター世界大会2006」に出場した。

■通信販売の広告では「世界チャンピオンも着ている!」「紅白出場歌手も着ている!」という内容のうたい文句が出てきているらしい。


【ネタ・ギャグ】
■自分の芸風や世界観を大事にしているせいか、あまりテレビに出てくることはない。しかし、テレビに出ると、うきうきしている。その為、単純にテレビの仕事がないとも言われている。代表的なネタは「小西君」「大地のお母さん」など。漫才にも定評があり、若手のころにベテランといわれていた。

■ツカミとして「ウーン」と溜めて呼吸を合わせてジャンプしながら「ダーイッ!」と言って「大」の人文字をやる。ただし、たまに「ウーン」と溜めてからダチョウ倶楽部のツカミのギャグである「ヤー!!」(指をきちんと伸ばした両手を胸の前に出すポーズをとる)をやるというフェイントもする。

■「爆笑オンエアバトル」のチャンピオン大会決勝のネタで、大地がNHKのマスコットキャラであるどーもくんに襲われ、大谷がそのどーもくんにドロップキックをするというネタがあった。

■「爆笑オンエアバトル」の計量の場面では大谷は看護師の扮装(椎名林檎「本能」のPVを意識したもの?)で出たことがある。しかし、その回行ったネタでは看護師とは全く関係ないものだった。

■大地の体格を生かしたボケ・ツッコミが多く、「ほらこんなに額からとんこつスープを出しちゃって」というボケに「汗だよっ!!」というツッコミや、「その前足が…」というボケに「前足じゃなくて、手!」というツッコミ、「ヘイ、タクシー!」「手がみじけーよ!」などなど。

■「もてる〜」というネタがスピードワゴンの「甘い言葉」のネタと似ている為、ファンの間で議論された時期があった。先にやったのはダイノジでスピードワゴンがパクッたとよく言われるが、両コンビともに「別物」と考えている様で、和解もしている。

■最近は大地のエアギターをネタにしたり、同じ服で登場したりしている。

■また、やすしきよし、ツービート、青空球児・好児等の昭和の漫才師のパロディを意識したアレンジネタも行うようになっている。


【ダイノジと音楽】
■大地の兄がロックバンド(fOUL、ex.コーパスグラインダーズ,ex.BEYONDS)のドラムだったため、多数のインディーズ系バンドとの交友がある。また、スピードワゴンとネタに共通点があるせいか仲がよい。

■大谷の音楽に対する知識はハリガネロック,山口智充(DonDokoDon),恵俊彰(ホンジャマカ)などよりも豊富で、芸人一であるといわれ、MUSIC ON! TVにてナビゲーターを務める番組「ASAHI SUPER DRY THE LIVE SHOW」ではその知識を巧みに活用し、音楽好きの視聴者を唸らせている。

■茨城県ひたちなか市で行われる「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」には2003年にDJブースに芸人パフォーマンスの枠ができるようになって以来、全て出演しているが、2006年には芸人ではなくゲストDJとして出演し、大谷のナイスな選曲とおおちのダンスでDJブースを満杯にした(DJ前には漫才を披露した)。「COUNTDOWN JAPAN 05/06」でも他の若手芸人たちが大晦日生放送のテレビ番組でお茶の間を沸かせるなか、ゲストDJとして出演した。

■ヨシモトファンダンゴTVでは「DRF」(「Dienoji Rock Fes」の略)という番組を担当した。これは「俺たちのロックフェスを開催したい!」という願望から始まったもので、交流のあるロックバンドに交渉し、2004年に実際に番組タイトル名のロックフェスをクラブチッタ川崎でオールナイトイベントとして開催された。

■このイベントには怒髪天、ZAZEN BOYS、銀杏BOYZ、フラワーカンパニーズなどが出演した。

■2007年には「DRF vol.2」が同所で開催され、TRICERATOPS、小谷美紗子、銀杏BOYZ、フラワーカンパニーズ、THE COLLECTORS、THE BACK HORN、曽我部恵一などが出演した。

■2人ともかつてはコピーバンドを組んでいた。大谷はユニコーンのコピーバンドでギターを担当し、大地はBOØWYのコピーバンドでドラムを担当した。大地は「本当はギターをやりたかったのだが、体格のせいでドラムに追いやられた」と言ったことがある。

■大谷はブログでキャプテンストライダムを絶賛している。彼らのアルバムのCMに起用された。


【エアギター】
■大地は「エアギター日本大会2006」に出場し、2年連続世界大会4位の金剛地武志と同点優勝。その様子は「めざましテレビ」(2006/8/14放送)にて一部紹介された。さらに日本代表としてフィンランド・オウル市で行われる「エアギター世界大会2006」に出場し、初出場にして初優勝の快挙をとげた。

■披露した曲はJETの「Are You Gonna Be My Girl」。

■エアギター歴は日本大会の時点で2日だった。ギターについては全く弾けない。

■現地TV局でのインタビューでは「ニホンノサムライタマシイ」とコメントした。

■本人は「ずんぐりむっくりな体型がちょこちょこ動いている様が海外の人にウケたのでは?」と勝因を語った。

■「優勝後、スイスから営業の依頼が来た」らしい。また、ドイツからCMの専属キャラクターの話があったそうだが年間2万数千円のオファーであったため受けなかったらしい。

■帰国後、おかずが1品増えたらしい。

■JETの新アルバム「SHINE ON」の日本版CMに起用され、CMには大谷も「エアボーカル」として参加。

■2006年10月、大地はルミネtheよしもとの舞台で左足を骨折し、しばらくは動きの少ないスタイルや座ってできるスタイルでパフォーマンスをした。

■2006年紅白歌合戦にゲスト出演し、大地のエアギターと大谷のエアボーカルが披露された。「キムタクとハイタッチした!」と興奮気味に話していた。

■2007年2月、JETの武道館ライブにおいて、エアギター世界大会で使用した曲である「Are You Gonna Be My Girl」で共演を果たし、本人たちの前でエアパフォーマンスを披露した。

■2007年9月、「第12回エアギター世界選手権」で史上2人目となる大会2連覇を達成した。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070908-00000001-oric-ent

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たむらけんじ エピソード&プロフィール

たむらけんじ(本名:田村 憲司、1973年5月4日 - )は大阪府阪南市出身のお笑い芸人。吉本興業大阪本社所属。吉本総合芸能学院(NSC)大阪校11期生。大阪府立和泉高等学校卒業。愛称「たむけん」。A型。

【略歴】
■同期にはココリコ、陣内智則、ケンドーコバヤシ、中川家、ハリガネロック、烏川耕一などがいる。

■既婚。1998年生まれの長男と2002年生まれの長女がいる。

■高校時代の同級生(大北貴洋)とLaLaLa(ラララ)というコンビを組んでいたが、1999年8月に解散。以降はピン芸人として活動している。劇場アンケートネタなどが代表作。

■以前は心斎橋筋2丁目劇場やbaseよしもとの中心人物で、同期や後輩を集めたライブをプロデュースするような立場であったが、2001年頃よりヘタレキャラに転身。

■2001年9月にbaseよしもとを卒業後、東京に進出。主にルミネtheよしもとの舞台でピン芸をやったり、新喜劇に参加していた。また、『いきなり!黄金伝説。』(テレビ朝日系列)の人気企画「1ヶ月1万円節約生活」や、同番組の「夫婦で節約生活」に妻とともに挑戦した。2003年大阪に本拠を戻し、以降はうめだ花月を拠点に活動中。

■2002〜2004年放送の「オールザッツ漫才」での、獅子舞を片手にふんどし姿で他の芸人を罵倒するネタで注目を浴びる。特に同期の中でも売れっ子である陣内智則を標的とし、「陣内死ね!」を連発(見ていた陣内は大爆笑)。2005年放送の「オールザッツ漫才」ではキョンシーの格好をしてネタを披露した(内容は過去の年とほぼ同じ)。ある意味究極の「スベリ芸」である。また、2006年のオールザッツ漫才では陣内と藤原紀香との結婚について毎度ながら激しくツッコんでいた。

■また「めちゃ×2イケてるッ!」の笑わず嫌い王決定戦に出演。「東京で売れてる芸人、全員死ね!」というオールザッツとほとんど変わらないネタを披露した(ただしこの回の大阪吉本芸人のネタは、たむらと同じくほぼ前年のオールザッツのコピーであった)。同番組内では紹介時、堂本剛に『かわいそうさん』と言われた。「笑わず嫌い王決定戦」に出場した若手芸人はその後ブレイクすることが多いが、たむらは出演後半年以上経ってもなぜか全くブレイクの兆しがなかった。

■その後、同番組の「めちゃイケファンド」(めちゃイケ参照)で「投資対象芸人」となり、雛形あきこにネタをコピーされた挙句、本人よりも笑いを取った。

■「笑いの金メダル」のワンミニッツショーなどで徐々に東京での露出も増え、全国区の階段を昇りつつある。ただ、地元関西の番組では特にキャラクターを作らず素顔で出演するのに対し、東京の番組では「獅子舞」「ふんどし」「サングラス」の色物キャラが定着してしまったため、この扮装で出演することが圧倒的に多い。関西と関東でキャラクターを巧みに使い分けている。そのため「関西では手ぇ抜いてんねやろ」と陣内に言われる(なるトモ!より)。本人曰く、関ヶ原を境に関東モードに切り替わるという。

■ギャグは「○○ちゃ〜。」が一般的。

■最近ではヘタレキャラに加え、嫌われキャラも。また、白いふんどしにサングラスがいわば彼の芸人としての「正装」であり、リアクション芸人顔負けのスタンスでテレビ番組への露出も多くなってきている。

■視力が悪い。コンタクトレンズを装用した上にサングラスをかけている。まれにめがねをかけてTV番組に出演することもある。

■2007年年明けにテレビ東京系で放送された「2007年最も売れる吉本NO.1伝説」にて、占い芸人小笠原まさやによる占いで「2007年最も売れる芸人1位」に選ばれた。(ちなみに最下位は山下しげのり)

■2006年末に発売されたPS2ソフト「桃太郎電鉄16 北海道大移動の巻!」では、たむけんのパロディ「たむらぎんじ」(スリの銀次の変装パターン)が登場した。

■大阪の城東区(蒲生四丁目)に焼肉の店『炭火焼肉たむら』をオープン(元々は妻の親が焼き肉屋をやっており、田村名義に変更)。なお、開業資金の一部を妻の親に援助してもらった。

■自宅は大阪市東成区深江南。愛車はメルセデスベンツ(7年ローンのML350)の白。

■2006年末に放送されたガキの使いの罰ゲームでは変質者として出演した。建物の屋上に上がり、しゃくれ署の警官達から「早く降りて来い!」と促されるものの、たむらは「お前らが俺のことおもんない言うからこんなことしとるんやないか〜!分かった、じゃあこうしよう。俺がおもんなかったら降りたる」。とネタをいくつか披露した。

■ジャイケルマクソンの「芸人だらけの水泳大会」において、楽屋での休憩中、たむらは一輪車の練習中に、食事中だったブラックマヨネーズ小杉竜一に激突してしまい、「ごめん、ごめん」と謝った。小杉はたむらに「たむらさん、みんな何て言ってるか知ったはりますか?高島屋の前にいる若者と、い、一緒やって言ってますよ。」と突っ込んだものの肝心な箇所をかんでしまい、たむらは「かむなよ、大事なとこ」と逆に突っ込んだ。

■2007年2月17日の陣内智則と藤原紀香の結婚式に、吉本の芸人仲間として出席(他にはなるみ、海原やすよ・ともこ、ケンドーコバヤシ、シャンプーハット小出水)。結婚式会場でのカメラ撮影は禁じられていたにも関わらず、陣内の親戚達がカメラで写真を撮り始めたので、たむらも写真を撮った。

■藤原紀香の弟に電話番号を一方的に渡したらしい。また結婚式終了後に藤原紀香がたむらのネタ「ちゃ〜。」を演じてくれるハプニング?があった。

■陣内家から「うちに野菜を採りにこーへんか?」と招待され、楽しみにしている子供たちを連れて出かけていくと、案内されたのは果樹園ではなく何と裏庭の家庭菜園だった(NGKでの末成由美還暦記念イベント中での発言)。


【人物】
■「陣内死ね!」というたむらお得意のネタについて、ケンドーコバヤシに「お前も俺のこと見捨てた。東京行く前は一緒に陣内いじっとったのに、帰ってきたらやっとらんし」と言ったところ、コバヤシに「あれは俺がやってウケてるの見て、あんたが乗ってきたんですやん。だから俺やらなくなったんですよ」とバラされた。

■プライベートではたむけんファミリー・通称TKFの主宰者。TKFのTシャツを貰った人は自動的にファミリー加入となり、加入した芸人らはTKFのイベントに強制参加となっている。

■間寛平・$10・サバンナと共にユニットコントライブ『宇宙ターザン』を不定期に開催している。DVDも発売された。

■『M-1グランプリ2005』予選のために結成された山崎邦正とカンニング・竹山隆範の「竹山崎」に、2006年度は新たにたむらが加入、「たむらけんじと竹山崎」として参戦した。結果は予選三回戦敗退。

■身体能力はそれなりにあり、中学・高校とソフトテニス部に在籍。中学時代には大阪のインドア大会で1位になった。またTKFでスポーツ大会を頻繁に開催している。

■笑福亭鶴瓶と初対面した時、いきなり本人が大便するところを見せられた。

■ケンドーコバヤシ曰く、雨上がり決死隊・宮迫博之、宮川大輔に並ぶドSキャラである。若い時、後輩芸人を道頓堀に投げ落としたことがあるらしい。しかし、後輩に対してしているSな行動は、「俺等のパクリや!」と宮迫に言われる(芸人が集まる居酒屋 たこしげより)。

■ヨシモトファンダンゴTVのM-1優勝特番で、優勝者のチュートリアルの福田の声を聞いたとたんに、感極まって泣いてしまう気の優しい一面も垣間見せた。

■クイズ!ヘキサゴンIIの予選ペーパーテストでは、初登場で3位と意外と好成績を残している。しかし、他のゲストから「納得がいかない」「バカのイメージが強いくせに」と批判されてしまった。その後の2007年2月21日の放送分では35点で1位を記録したため、その時もカンニングしたのではないかと評判は散々なものであった。

■妻との仲は一時期相当ギクシャクしていたらしいが、現在は修復しているとのこと。

■バッファロー吾郎主催のダイナマイト関西2003で、スペシャルマッチに登場。次長課長の河本準一としょっきり形式で大喜利を行なう。スベりに行ったときと、本気で笑いを取りにいったときの客の反応が両方とも同じだった。

■プライベートでは破天荒なところは一切なく、礼儀正しくコツコツとした性格である。家での姿はスウェットに眼鏡で、テンションはかなり低い。

■炭火焼肉たむらのオーナーとして、平均年齢20歳の店長・店員をまとめている。店の清潔に常に気を配っており、店の掃除が行き届いていないことを楽屋から店長に電話で注意するほど。店員のたむらへの評価は「真面目」「厳しい」「テンションが低い」。店に来た客へサービスで「ちゃ〜」を披露することも。店で使う野菜は、後輩の土肥ポン太が経営する八百屋から仕入れている。2007年1月の売り上げはM-1グランプリの優勝賞金額1千万円を超えた。

■2007年3月に行なわれた末成由美還暦記念イベントの休憩中、炭火焼肉たむらの従業員を電話で説教した。

■長男に、「パパ〜、今日学校で『お前ん家のお父さんおもんない』って言われた〜。」と後輩もいる席で突然言われ、「そいつに『お父さんと大喜利で勝負させ!』って言うとけ!」と返したらしい。

■かなりの綺麗好きで、洋式トイレでは男でも必ず便座に座って小用を足すよう勧めている。立って小用を足すと、尿が飛び散って掃除しなければならないから。


【たむけん語録】
「東京で売れてる芸人全員死ね!」
「放り込め!放り込め!かーねーもとっ!」(←金本知憲)
「放り込め!放り込め!はーまーちゃん!」
「放り込め!放り込め!なかむらゆたかっ!」
「何やー!?家で飼うてるウーパールーパー死んだんか?」
「アホか東京!」
「東京で売れてる芸人の妹、売れてないバンドのドラマーと付き合え!」
「東京で売れてる芸人の肌荒れろ!ブツブツになれ!」
「東京で売れてる芸人の近所のコンビニ潰れろ!」
「東京で売れてる芸人の親の浮気ばれろ!些細なことでばれろ!」
「東京で売れてる芸人のおかんパーマ失敗しろ!」
「東京で売れてる芸人の飼うてる犬死ね! 知らんトリマーの腕の中で死ね!」
「東京で売れてる芸人のマネージャー風邪ひけ!そして長引け!」
「東京で売れてる芸人 この時期 鍋食うな!」(冬季限定ネタ)
「東京で売れてる芸人死ぬ前にこれだけは食うとくんやて決めとる大好物食えられへんで死ね!」
「東京で売れてる芸人 犬に噛まれろ!ホステスが寂しさを紛らわすために飼うてる犬に噛まれろ!」
「東京で売れてる芸人が乗ったタクシーの運転手 芸人にめっちゃ話し掛けろ!」
「東京で売れてる芸人 漆でかぶれろ!」
「東京で売れてる芸人 刀狩りされろ!」
「東京で売れてる芸人 今どきセガサターン貰え!」
「東京で売れてる芸人 逆剥けヒジまで行け!」
「陣内のことおもろいと思てるプロデューサー浮気ばれろ!」
「最後ネタしまーす」
「ダメ押しでネタしまーす」
「もう疲れたんでネタしまーす」
「よし売れた!!」
「あんなもんおかしいやろ」
「あんなもんいらん、いらん」
「あそこのひな壇、ボカーンなれ!」
「しいたけは洗うな」
などがある。

【ネタ】
・「同期の嫁は金持ちや〜」(同期であるココリコの遠藤章造の妻、千秋の事を言っている)
・「嫁の実家が金持ちや〜」
・「同期が紀香と結婚や〜」(同期である陣内智則のこと)
・「いきますかー!? イーチ、ニー、サーよいしょ、チャ〜」
・「ごめんチャ〜」
・「アドベンチャ〜」(アニメ「ドラゴンボール」の主題歌をフルコーラスで歌い、最後に言うパターンもある)
・「ピッチャ〜」
・「うわっ 俺って器小っチャ〜」
・「ビッグモッコリ」(稀)
・「誰が王JAPANや!!」(笑いの金メダルでスピードワゴンとコラボを組んだ際、井戸田潤の「世界一絡みづらいですね」という言葉に対し)
・「誰がボブ・デービッドソンや!!」(上記の行動でミスったとき)
・「誰がジーコJAPANや!!」(笑いの金メダルでスピードワゴンと組めなくて、井戸田潤からの言葉に対し)
・「イナバウチャ〜」
・「母チャ〜」
・「かぼチャ〜」
・「また俺のギャグ取られチャ〜」
・「緑チャ〜」
・デッカチャン口調になり「たむらけんじだよ」
・「今からここで、面白いネタしま〜す」
ネタが無くなったときはパソコンを取り出し「大抵の人にウケる事」などと検索するギャグもある。
なお、「チャ〜」という一発芸はたむらけんじの息子が考案したものである。実際にたむらけんじの息子が、テレビで「チャー」をしたことがある。
基本的に自虐的なネタが多いと言われている。

【出で立ち】
獅子舞・サングラス・ふんどし姿(なおかつ髪がカールしている)で登場し、上半身に旬な文字を書いている。東京のUHF放送局のTOKYO MXでやっている「水野キングダム」ではスーツ姿で、獅子舞・サングラス・ふんどし姿は一切していない。(サングラスも外している為、デッカちゃんに似ている。)

下記は上半身に書いている旬な文字集
「話芸の神」
「楽屋でおもろい!」
「愉快な人」
「ネッシーは いてる」
「ブリには大根」
「マムシに注意」
「海からの恵み」
「よそはよそ うちはうち」
「かな縛りは夢なのか」
「やっぱり家が一番」
「子どもは国の宝」
「夢は(サッカーボールのマーク)四年後に」
「ちかん あかん」
「ツンドラ気候」
「今日はざっくばらんに」
「風力発電が一番」
「美空の前に美空なし 美空の後に美空なし」
「海の幸VS山の幸」
「M-1獲るぞ」
「年賀状はお早めに」
「炭火焼肉 たむら」
「おもち何個入れる?」
「笑いのシンデレラボーイ」
「金魚は意外とデカくなる」
「おもち食べすぎた」
「軽い気持ちでチョモランマ」
「寝起きの口は誰でも臭い」
「自費で春季キャンプ」
「犬やったら六才」
「リズムアンドブルース」
「ボールはともだち」
「薬局界のスギ様」 (スギ薬局プレゼンツ、「元気∞!よしもと笑いスギLIVE」のみ)
「しいたけは洗うな」
「百円玉で買えるぬくもり」
「シンクロ王国ロシア」
「メガネのマーチ」
などと書いている。ちなみにこれ等はたむらが「お前字が上手いか?」と聞き、上手いと言った芸人に書かせている。(ミサイルマンのウラモン!より)

・登場時に出てくる獅子舞は自前だったが、2006年に吉本興業から50万円の獅子舞を買ってもらった。
・芸を見せるときの風貌については「髪型で笑いを取るな」と若手芸人たちに言われたことがある。笑いの金メダルでスタッフが家を訪れたときはカメラが回っているのを見て、10分ほど家にこもり髪をセットして褌姿で玄関に出てきた。

【その他の事柄】
■HGと同様、サングラスを掛けているため、『HGの様にサングラスを外す事を事務所から禁止されている』等と思っている人も多いが、実際にはその様な事は無く、サングラスは外しても良いという事になっている。そのため、東京の番組「笑金」等ではサングラスを掛けふんどし姿で出ているが、関西圏ローカル局の番組(なるとも!等)では、サングラスを取り素顔で出演している場合が非常に多い。関西でサングラスにふんどし姿のたむらを見ることは稀である。

■ネタでキツイ事をかなり言うため、子供にも容赦無いと思われがちだが、なるトモ!の企画で幼稚園に行った時、幼稚園児に優しく振舞っていた。(しかし、子供を使い、陣内の悪口をネタで言っていたが)。

■最近の若手芸人の中では珍しく、エンタ派生からの芸人(エンタ芸人)ではなく、笑金の活躍で一気にテレビへの露出がアップした芸人である。(その為最近の芸人としては珍しくエンタには一回も出た事が無い)。

■最初に笑金の「ワンミニッツショー」に出演した際、ちょうどその頃HGが旬の頃であったため、奇声で喋るネタやサングラス姿であることから、「HGのパクリ」等と批判されたが、実際には彼の方が芸歴は上であるため、ファンからは「それはおかしい」等と逆に批判されることもある。

■たいがー:りーやですよ。等が大手の芸能人に「体を張らない」、「何も面白くない」などとマスメディアやネット上で酷評されバッシングされる中、彼は笑いの面では批判されたことは少ないが、それでもやはりおかしな姿で番組に出演している為か女性ファンは少ないようである。

■移動には必ず獅子舞を持参するため空港では搭乗前の手荷物検査を受けると言う。

■「タムケン」と言う放送作家がいるが、全くの別人である。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070825-00000045-spn-ent

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ダルビッシュ有 エピソード&プロフィール

ダルビッシュ 有(だるびっしゅ ゆう、ペルシア語 یو درویش ローマ字転写[Yū Darvīsh]、正式氏名:ダルビッシュセファット・ファリード・有、1986年8月16日 - )は、北海道日本ハムファイターズに所属するプロ野球選手(投手)である。背番号は11。通称はダル。大阪府羽曳野市出身。東北高等学校卒業。


【人物】
母親は日本人、父親はイラン人で元サッカー選手。イラン・日本の二重国籍。「有」は、イスラム教のカリフ「アリー・イブン=アビー=ターリブ」に因む。弟が二人いる。エイベックスとマネジメント契約をしている。

好きな言葉と決め台詞は「いつか必ず道は開ける。俺は、やるぜ!」である。

2005年までは変化球主体のピッチングだったが、WBC日本代表壮行試合で肩を痛めたのをきっかけに、試行錯誤を繰り返しながら新しいピッチングスタイルを模索する事になる。2006年シーズン後半からスライダーを筆頭に、ツーシーム(解説者などからはシュートと言われることもある)、カーブ、フォーク、カットボールなどの多彩な変化球を使ってカウントを稼ぎ、MAX153kmのストレートを決め球とするピッチングに切り替えた。するとそれが功を奏し、好成績を残した。ダルビッシュ自身、「あれをきっかけに今季は肩に負担のかかるシンカーを封印し、その代わりにカットボールを増やした。これが効果的だった。肩のケアに気を使うようにもなったし、肩のトレーニングを増やしたのも、投球に良い影響を与えていると思う」と話している。

プロ入り後はフルスタ宮城、千葉マリン等の野外球場が苦手で、ドーム球場を得意としている特徴が露になった。


【プロフィール】
■身長・体重:196cm・84kg
■投打:右投右打
■血液型:A型
■出身地:大阪府羽曳野市
■球歴:羽曳野ブラックイーグルス-オール羽曳野-東北高等学校−北海道日本ハムファイターズ(2004年ドラフト1巡)


【来歴】
《ドラフト指名前・生い立ち〜高校野球まで》
小学校2年生から野球を始め、羽曳野ボーイズで全国大会ベスト8、世界大会3位という成績を収め、50以上の高校からスカウトがあったが、環境面等を理由に東北高等学校に入学する。強気な発言とクールな顔立ちから、甲子園では既に女性ファンの注目を集めていた。

1年生の時から高井雄平(東京ヤクルトスワローズ)の後をついでエースに。195cmの長身から繰り出す直球は当時から150km/h近くを計測。2年春夏、3年春夏と4度甲子園に出場。2年夏は準優勝、3年春の熊本県立熊本工業高等学校戦では史上12度目・10年ぶりとなるノーヒットノーランを達成する。最後の夏の甲子園では、3回戦では千葉経済大学附属高等学校に敗れたものの、高校生No.1ピッチャーとの呼び声もあった。

2004年ドラフト高校生では、涌井秀章(西武ライオンズ)・佐藤剛士(広島東洋カープ)と並ぶ目玉投手。メジャーリーグの球団も獲得の意思を示す(父親の意向が強かった)が、本人は日本球界を希望していた。

2004年11月17日、ドラフト会議において日本ハムがダルビッシュを単独1位指名。12月17日、父親同席のもと、2004年ドラフト指名選手の中で最後に仮契約を結んだ。


《プロ入り後》
■2005年(1年目)
キャンプ開幕当初は、自主トレーニング中に痛めた右ひざの関節炎の影響もあり、2軍でのスタートとなったが、キャンプ会場の東風平町(現・八重瀬町)には多くのファンが集まった。

しかし、写真週刊誌で未成年にもかかわらず喫煙していたことが報道されると、「ワルビッシュ」と揶揄され、各種メディアに取り扱われた。球団は同日、本人に対して、2月21日に鎌ケ谷市の球団寮へ送還・無期限謹慎と謹慎中の社会貢献活動を命じる処分を言い渡した(2月28日の12チーム合同新人研修会は出席)。また、これを受けて東北高校は2月22日に本人を停学処分とした(3月1日の卒業式は停学処分期間中でまだ十分でないとして参加させず。3月8日、停学解除を以って他の生徒より1週間遅れで卒業)。ダルビッシュはそれ以前(2004年9月)にも喫煙している写真が週刊誌に掲載され、高野連より厳重注意処分を受けたことがあった。

2005年6月15日、広島東洋カープ戦(セ・パ交流戦、札幌ドーム)でプロ初登板初先発し、9回途中まで2失点の好投で高卒ルーキーとしては松坂大輔(西武)以来6年振り12人目の初登板初勝利を挙げる。

9月18日、東北楽天ゴールデンイーグルス戦で2安打プロ初完封勝利。高卒ルーキーの完封勝利は1999年の松坂大輔(西武)以来、6年ぶり。


■2006年(2年目)
5月18日、阪神タイガース戦(甲子園)でレフト前にプロ初安打を放った。試合前に先輩の新庄剛志からバッティンググローブをもらい、試合後に「読み勝ちです。新庄さんのおかげで打てました」と話した。

6月6日、阪神タイガース戦(札幌ドーム)では毎回三振を奪い、プロ入り初となる二桁奪三振(計12奪三振)で完封勝利する。また7回1死までノーヒットピッチングであった。10代投手の毎回奪三振は1999年9月2日の松坂大輔(18歳11ヶ月)(西武)以来7年ぶり8人、9度目の記録。

中日ドラゴンズとの日本シリーズで第1戦と第5戦に登板した。10月21日の第1戦では敗戦投手となったが、10月26日の第5戦では7回1/3を失点1に抑え、勝利投手となり、この勝利で北海道日本ハムは前身の東映以来44年ぶり2度目の日本一を決めた。1956年の稲尾和久(西鉄)が19歳4ヶ月で勝利投手になったのに次ぐ、日本一決定勝利投手となった。

11月12日、アジアシリーズ決勝・台湾代表La Newベアーズ戦(東京ドーム)に先発し、8回途中まで、無失点と好投し、勝利投手となった。またシリーズのMVPも獲得し、2年目は飛躍の年となった。


■2007年(3年目)
2007年3月24日、千葉ロッテ戦(千葉マリン)でプロ入り初の開幕投手を務めた。

また監督推薦によりオールスターゲームに初出場し、7月20日の第1戦に先発登板し、2回を無安打無失点に抑え、優秀選手賞に輝いた。元チームメイトの小笠原道大との対戦では、全て直球を投げ、セカンドゴロに打ち取った。


【エピソード】
■父ファルサは有に何をさせようかと迷っていた。3歳のころ枕元に野球とバスケットとサッカーのボールを並べた。有が最初に手に取ったのが野球のボールだった。ファルサはサッカー選手であったため、サッカーのボールも蹴って渡したがそれも投げてしまった。それが野球人生の始まりだった。

■ファルサの実家は事業を手広く扱っている名家であり、ファルサ本人は野球人口が1,000人未満とされるイラン野球連盟の顧問に就任、現職。ファルサが共同経営するジャイレックス(兵庫県・芦屋市)が「ダルビッシュ」の名称の商標登録を出願、2004年8月に特許庁に受理されている。

■2005年1月30日、地元大阪のホテルで行われた「励ます会」に出席。その席で中学時代に所属したボーイズリーグ「オール羽曳野」にマイクロバス購入のため200万円を寄付した。

■2006年7月7日の西武ライオンズ戦(インボイスドーム)では先発を任されたが、ビジター用のユニフォームを札幌ドームのロッカーに置き忘れ、八木智哉のユニフォームを借りて登板した。ダルビッシュはこの失態に動じることなく、7回1失点の好投でチームを勝利に導いた。この日の日本ハムは前身の東映フライヤーズが1961年9月に達成して以来のチーム11連勝(球団タイ記録、当時)がかかった試合だった。ちなみにそのとき本人は「これで負けたら最悪です」とコメントしている。

■同期入団の涌井秀章(西武)とは、一緒に食事をする、携帯メールを送るなど仲が良い。また、1期下の炭谷銀仁朗や涌井と帯同し、3人で行動していることも多い。ダルビッシュは涌井に強いライバル心をもち、シーズン中も勝ち数がどちらが上かなどを気にする。

■2006年3月23日に、公式戦で1勝するごとに10万円を寄付し、発展途上国の井戸掘りやポンプ設置などの資金に充てる「ダルビッシュ有 水基金」の設立を発表。

■「オール羽曳野」時代の先輩である金森敬之が初勝利した際は、金森の部屋に枕を持って訪れ、そのまま語り明かしたという一面も持つ。

■多彩な変化球は彼の器用さが生んでいる。本人が「コツさえ掴めば何でも投げられる」と言うほどで、佐藤義則投手コーチが現役時代に考案し、他の投手では習得が難しいと言われるヨシボールさえ数日でマスターしてしまった。

■少年時代はアイスホッケーもやっていた。

■2007年8月7日現在では女優のサエコと熱愛が発覚、翌日8日には、サエコが妊娠3ヶ月であるとスポニチが報道した。シーズンオフに入籍予定。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070808-00000004-ykf-ent

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高橋健一(キングオブコメディ)エピソード&プロフィール

高橋 健一(たかはし けんいち、1971年3月30日 - )はお笑い芸人でキングオブコメディのツッコミ担当。愛称は「パーケン」。スクールJCAの6期生出身で、同じく6期生である現在の相方の今野浩喜と出会いコンビ結成。

2007年7月11日午前8時頃、満員電車内での痴漢行為の容疑で逮捕された。それにより、芸能活動全般を当面自粛。


【プロフィール】
■1971年3月30日生まれ
■東京都出身
■身長170cm
■血液型AB型


【特徴】
■主にコントをやっている。今野のハイテンションとは反対に冷静なツッコミが特徴。

■意外に滑舌が悪く、たまにセリフをかむことがある。「俺」というのが「おで」と言っているように聞こえてしまう。

■そこそこのイケメンだが,今野のキャラクターが目立っているため地味な存在になっている。

■焼きそばをストローで食べる、バイクにパーケン号とつけるなど、意外に不思議ちゃんである。(お笑いスタイルラフ!vol.3より)

■一見クールに見えるが、話し始めたら止まらないタイプ。

■縦笛演奏が得意。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070717-00000002-oric-ent

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高島彩 エピソード&プロフィール

高島 彩(たかしま あや、1979年2月18日 - )は、東京都江東区出身(目黒区出生)でフジテレビアナウンサー。


【プロフィール】
■バラエティから報道までオールラウンドをこなすアナウンサーである。

■愛称:アヤパン(#経歴参照)。なお、後輩の女性アナウンサーからは“彩さん”と呼ばれることが多く、先輩や男性アナウンサーからは“高島さん”“高島君”が多い。

■身長:162.8cm

■血液型:B型

■好きなもの・こと:窓を開けてのお昼寝、ショッピング、カラオケ、ドライブ(お気に入りは、深夜の首都高ドライブ)。

■嫌いなもの・こと:ちょうちょ、鶏を触るのが苦手。

■好きな本:死に行く妻との旅路、マザー・グース

■好きな映画:アイデンティティー、キューブ、アイ・アム・サム、火垂るの墓

■ファッション:スカートよりパンツの方が好み。

■髪形:髪をサイドテール状に束ね、左肩から前に持ってきていることが多い。

■趣味・特技:ショッピング、競馬、麻雀、パチスロ、風船アート、手話、飲酒、スクーバダイビング、料理、等々、多彩な趣味・特技を持つ。また、最近はもの集めが好きと語ったことがある。

■長短所等:いいかげんな所(特に直す気はないとのこと)、負けず嫌い。

■その他:人を驚かすのが好きであると語っていた。(なお、当人は入社後しばらく番組内でだまされ続けた経験がある)

■父親は、故・竜崎勝で、5歳の時に父と死別。


【経歴】
■成蹊小学校・中学校・高等学校、成蹊大学法学部政治学科卒業後、2001年4月フジテレビにアナウンサーとして入社。

■入社1年目にして、自らの名前を冠した番組「アヤパン」を担当した。これにより「アヤパン」という愛称で呼ばれるようになった。前番組が千野志麻担当による「チノパン」であった。このチノパンは、千野とパンツの一種「チノパン」をかけたもの。後番組担当が高島彩であるためアヤパンという名前が作られた。共にフジテレビ編成制作局バラエティ制作センター室長(港浩一)が命名したものである。

■アヤパンの企画で歌ったことをきっかけに、「着信のドレイ」でCDデビューを果たすことに。それ以後は多くの番組・特別番組等で起用された。

■2003年4月から「めざましテレビ」の司会を担当。同年12月3日、“K&T/T.N.T”としてCDをリリース。

■2005年1月から「平成教育予備校」の助手を務めるほか、現在、多くの番組・特番で活躍している。クイズ番組では、他の女子アナウンサーやタレントより高い正解率を出すことが多い。「クイズ!ヘキサゴン」では他人の心理を読みとり、1回も失格になることなく勝率は100%となった。番組自体が現在の形(「クイズ!ヘキサゴンII」)にリニューアルしたため、現在もこの記録は破られていない。


【人物・エピソード】
■雑誌社の知人に誘われ、高校時代などは雑誌の読者モデルを経験した。その経験からかめざましの「早耳トレンドNO.1」でファッション関係を取り上げると、商品のモデルになる事が多い。また秋元康のオーデション受験経験もある。

■文章を書くことが好きで、雑誌記者志望であった。大学時代に、出版社でアルバイトをした経験もある。

■テレビ朝日アナウンサー試験の最終面接(3次面接試験)を受けた帰り、フジテレビから内定の電話をもらったため、テレビ朝日に断りの電話をした。(実際に局アナになる人は、2局以上、3次面接試験に進むことが多い)

■経歴の通り、"アヤパン/K&T/T.N.T"としてCDをリリースした経験があり、高く澄んだ声と共に歌唱力もかなり高く評価されている。続編がリリースされなかった理由は、ニュースが読めなくなると危惧した上層部の判断によるものである。

■普段はコンタクトを着用しているが、「めざましテレビ」ではごく稀に眼鏡姿を披露する事もある。ちなみに兄である元・俳優の高島郷は現在眼鏡店を経営している。

■入社以前から先輩アナウンサーの小島奈津子を目標にしていたと語り、めざましテレビのキャスターになることを志望していた。就任後、バラエティー番組の中で、「このポジションは誰にも渡しません」と宣言している。

■めざましで共演している中野美奈子とは年が近いことや血液型が同じB型で息が合うのか、フジテレビアナウンス室のサイトにて「めざまし双子姉妹(ツインズ)」と表現されるほどの仲の良さである。双子ぶりとしては、鞄が同じだった、携帯が同じだった、着メロまで同じだった等々。また、ここ数年共に年賀状の写真を撮りあったり、めざまし以外の番組で共演することが多い。

■2007年3月9日放送の「めざましテレビ」において、アンジェラ・アキの結婚報告のブログを読み上げ生本番中であるにも拘らず涙している。さらに、2007年3月30日放送の「めざましテレビ」で4月からの新テーマソングを披露するためにアンジェラ・アキが生出演し、熱唱したときにも思わず涙していた。

■新人時代、「とんねるずのみなさんのおかげでした」の宝くじ企画で、アナウンサーの立場を忘れて人一倍興奮していたことがある。

■「SMAP×SMAP」の「BISTRO SMAP」に出演した際、試食の時のコメントで、『お皿がそのまま春みたいですね。』や『草原に迷い込んだ人魚姫のような味です。』などとたとえたが、最後に木村拓哉から「普通に言えよ!」とツッコミを入れられた。また、中居正広からは「たとえがわからなくて真実味がない」と冗談交じりに言われた。

■武幸四郎、野尻佳孝などとの交際が雑誌などにスクープされるなど、社外交際でも人気がある。

■26時間テレビで共演した中居正広とロビーですれ違った際、中居のことを「ばんどうさん」と言ったことがある。

■「爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル」の「顔だけそっくりさん」のコーナーで唐沢寿明のそっくりさん(幼稚園児)に「好きな子いる?」などと質問攻めをして困らせたことがある。東野幸治から「先輩おかしい!」と突っ込まれた。

■お酒好きで酒豪。「日刊フジアナBB」(現在のフジテレびーびーの前身)に森本さやかと共に出演した際には、森本に「同期でお昼ご飯を食べに行くと、この人だけやたら酒飲むんですよ」とその酒豪っぷりを暴露されていた。(ただ早朝番組を担当する高島にとっては、昼食が一般のサラリーマンにとっての晩酌に相当することに留意が必要である)

■「めざましテレビ」出演の関係で、通常勤務の場合午前3〜4時ごろ出勤し、昼12時過ぎに帰宅する勤務体系になっていることから、夜8時に寝て、深夜2時40分頃に起きる。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070525-00000005-oric-ent

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滝沢秀明 エピソード&プロフィール

滝沢秀明(たきざわ ひであき、1982年3月29日 - )は日本の俳優、タレント、歌手。東京都八王子市出身。ジャニーズ事務所所属。愛称は「タッキー」(Tackey)で、タッキー&翼としても活動している。身長169cm 血液型A型。最初はO型だったらしいが、調べなおしたらA型だったらしい。(本人談)


【来歴】
1995年、13歳でジャニーズ事務所に入った。 ちなみに同期は今井翼と屋良朝幸で事務所に入所した日が同じである(滝沢・今井談:ザ少年倶楽部プレミアムより)。同年フジテレビ系の『木曜の怪談』における主演を経て、1998年、鈴木保奈美と共演した『ニュースの女』で特に一般主婦層の間で美少年と認知され人気を得た。

その人気はジャニーズJr.始まって以来の中でも最も高いものの一つになるとも言われ、ジャニーズJr.を詳しく知らない人でも滝沢秀明と言う名前を知っているほどであった。

2002年9月、同期で当時同じくジャニーズJr.内で人気を得ていた今井翼とタッキー&翼として歌手デビュー。その後も俳優・バラエティの仕事も並行して精力的に続けている。2005年にはNHKの大河ドラマ、『義経』の主役に抜擢された。

2007年、鼻筋の骨が折れる事件があった。


【参加ユニット】
・怪談トリオ
・TOKYO
・タッキー&翼
・NO BORDER
・ジャニーズ草野球チーム


【人物】
●家族
■3人姉兄の末っ子。家族には「秀明」、親戚には「秀君」と呼ばれている。

■兄弟けんかばかりしていたが「お兄ちゃん大好き」「お姉ちゃん大好き」でもあり、いつも一緒に遊んでいた。今でも家族の事を「お姉ちゃん」「お兄ちゃん」「お母さん」「おばあちゃん」と呼んでいる。

■中学2年生からギャラを貰い16歳で1人暮らし開始、10代の頃から諸先輩方と長者番付に名を連ねていた。「1度でいいから孫と住みたい」という祖母の願いを聞いて、23歳で3億円とも言われる豪邸を都内に建て、親と祖母にプレゼントした。

■地元八王子市を愛しており、公式携帯サイトの自身の日記でもたびたび「八王子大好き」という発言をしている。

■小学生の頃は八王子市内の少年野球チームに所属していた。当時のチーム監督が経営しているラーメン屋には彼のサインや写真が飾ってある。

■作詞・作曲するときは「LaVenDer」という名前を使うことがある。

●趣味・嗜好
自分では「綺麗な男性」「美形」「美少年」といわれるのはうんざりしているらしく、自称「もっと男っぽい」との事。 理想の女性のタイプは「華奢な肩」「気配りの出来る人」で、巨乳には興味がなく、信号待ちの内股に女らしさを感じるとの事。理想のタイプの芸能人としては松下由樹の名をあげている。また、ズバリ言うわよ!内でヤンキー系が好きと発言しており、自分の顔の前で放屁されても構わないという。無邪気で何でもぶつけてくれる子が好き。(Myojoより)

又、業界でも有名なプロレス好きで、小学生の頃大仁田厚の追っかけをしていたほか、2000年には「力道山メモリアル」でアントニオ猪木とエキシビジョンマッチで戦い(レフェリーを務めた藤原喜明の高速カウントの助けもあって)勝利したこともある。

既に解散したがヴィジュアル系バンドPIERROTが好きだったとのこと。自身のPVや振り付け、衣装などにその片鱗をちりばめるなど、リスペクトしている。

かにが大好きで、よく富山に食べに行くらしい。

靴下が大嫌いで家に帰るとすぐに脱ぐ。

●特技・資格
18歳で普通自動車免許取得し、母親を乗せて1人暮らしの兄宅を訪ねた(「お兄ちゃんより先に免許をとった」と言う事を兄に自慢したかったらしく、悔しそうな兄を見て満足したとの事)。

●相棒・今井翼との関係
今井翼曰く「滝沢は、白い国の白い王子」「スターになるために生まれてきた」そうである。

●他の芸能人との関係
■ジャッキー・チェンと映画共演の構想がある(2006年1月20日に中国マカオ「グランド・エンペラー・ホテル」開催セレモニーにおける共同会見、および2006年3月3日に東京都内で開かれたジャッキー・チェン主演の「THE MYTH 神話」プレミア上映試写会における舞台挨拶より。特に後者では「脚本構想中」とジャッキー・チェンは述べている(デイリースポーツより)が実現するかどうかはまだ未知数である)

■バラエティー番組で共演している作家、タレント、占星術師である細木数子のお気に入り。

■大河ドラマ『義経』での共演者たちとは今でも仲良しで飲み会や旅行をしたりしてている。特に南原清隆、伊藤淳史とは仲良しな模様。

■NO BORDER(佐藤アツヒロ、山口達也、山下智久、村上信五、堂本光一、松本潤、Jr.の生田斗真)のメンバーでよく中飲み会をしているらしい。(支払いは割り勘との事)

■山下智久の山P、北山宏光のキタミツというニックネームは、タッキーがつけた。

■内館牧子とはプロレスマニア仲間。2006年7月3日に大田区体育館にて開催された全日本プロレスの興行「CROSSOVER'06最終戦」を並びの席で観戦している。

●その他のエピソード
■V6の三宅健に騙され、『学校へ行こう!』で素人の女性と合コンをさせられたことがある。ちなみに本人は最初乗り気だったらしい。

■当時の主題歌「One Day,One Dream」を歌った縁で日本テレビのTVアニメ『犬夜叉』147話・148話「めぐり逢う前の運命恋歌(さだめのこいうた)」声優を務めた(2004年4月)。本編から50年前を描く特別篇におけるシャコ(「珊瑚」の祖父にあたる妖怪退治『里の当時の統領)役である。ただし2005年01月19日に発売されたDVD版では他の声優で吹き替えられている。

■Mステでオリジナル曲を歌う等、ソロとしても十分な人気を誇っていたが本人は5人程度のグループを結成してデビューすることを夢見ていた。

■一時期、関西Jr.時代の渋谷すばる(関ジャニ∞)と人気を2分し、「東の滝沢」「西の渋谷」と異名をとっていたこともある。

■2006年、病院の待合室の椅子で生まれたことや学生時代の苦労など、自分自身の生い立ちなどテーマにした舞台「one」を上演。

■2007年2月に階段から落ちた際に顔を床に強く打ちつけ、鼻骨にヒビが入る全治1ヶ月半の重症を負ったが、本人の意向でタッキー&翼としての全国ツアーを続行した。その影響でファンを魅了した。

■2006年放送の「里見八犬伝」で共演したYa-Ya-yahの山下翔央が、最初なじめなかったとき、出演者全員で食事に誘い、それで打ち解けたという。(ザ・少年倶楽部より)

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070513-00000030-dal-ent

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玉木宏 エピソード&プロフィール

玉木 宏(たまき ひろし、1980年1月14日 - )は、日本の俳優、歌手。

愛知県名古屋市中村区出身。株式会社アオイコーポレーション所属。


【プロフィール】
身長:180cm
靴のサイズ:27.5cm
血液型:A型
趣味:カメラ
特技:水泳
高校:名古屋市立富田高等学校
中学:名古屋市立豊正中学校
小学:名古屋市立稲葉地小学校


【略歴】
■高校生の頃、サカエチカで買い物をしていたときにスカウトされた。

■1998年、ドラマ『せつない』で俳優デビュー。以後、『ウォーターボーイズ』(2001年映画、2003年テレビドラマ)『愛し君へ』などのドラマや映画に出演し、注目を集める。

■2003年、映画『ROCKERS』でギタリスト役を演じたことをきっかけに、2004年6月2日ファーストシングル『Seasons』で歌手デビューを果す。

■2006年、NHK連続ドラマ氷壁がABU賞テレビ・ドラマ番組部門を受賞。

■2006年、ドラマ『のだめカンタービレ』でコミカルかつシリアスな「オレ様」役、千秋真一を好演したことにより、再び注目を集める。

■2007年、エランドール賞 新人賞を受賞。


【人物】
■さくらももこのファンでもある。

■性格はドSで、悪戯をするのが好き。(本人談)

■逆に自分が悪戯をされると「本気でキレる」らしい。(本人談)

■罰ゲームが大好きで自ら進んで罰ゲーム付きのゲームをしたがる。(よく玉木のマネージャーが被害にあっている)

■実際は中々の天然であるが、本人はその事実を認めようとしない。

■食べ物の好き嫌いが多い。梅、納豆、ユズ、ウニ、メロンが嫌い。

■スイカも実は苦手(種が嫌らしい)であるが、某雑誌の撮影の為に豪快にスイカにかぶりつくという迫真の演技(?)を見せた。

■基本的に肉が好き。ハラミや甘い物が好物。

■朝食は食べないでチョコレートを食べる。

■飲み物ではカフェオレが好きで、1日5杯は飲める。

■飲む酒はテキーラのみで大量に飲む。元々酒が強い訳ではないので、すぐに酔っぱらってしまうらしい。ノリが体育会系なので酒が入ると周りの人間に酒を勧めないと気がすまない。そして周りが飲まないと許せなくなってどんどん勧めるようになるらしい。

■将来は『サザエさん』の磯野家のような平屋に住むのが理想。

■血液型は長らくB型と思いこんでいたが、25歳になった記念に行った人間ドックでA型と分かった。(ちなみに25年間「B型である」と信じていたのは親からの情報と、25年間大きな怪我等したことがなかったので血をとられるということがなかった為)

■手がとても大きく、指もとても長い。ピースサインの時の指が異常に開く(野球のボールはスカスカらしい(本人談))

■指の付け根の関節が外れるらしく変な動きができる。(『おしゃれイズム』でアシスタントの森泉から「気持ち悪い」と言われ苦笑いしていた)

■おならを燃やした事がある。ちなみに本人のコメントは「本当に燃えるので注意して下さい」らしい。

■飽きっぽい性格らしく髪型をよく変える。役作りの為に髪型を変えることも多い。

■2002年に放送されたポカリスエットのCMでは、髪を剃り上げハート型に残すという役を演じた。 (ハート型の頭はケーキ等を焼く型を頭に乗せられて徐々にハート型に仕上げた。なので最後に全部ツルツルに剃った時、ハート型の格好悪い日焼けが残ってしまったらしい)

■ファースト・キスは12歳(中学1年生)だった。

■初デートは中1の秋。

■佐藤隆太、塚本高史らと共に、映画『ROCKERS』内で結成された同名のバンドの一員として『ミュージックステーション』等の音楽番組に出演したことがある。

■『笑っていいとも!』の「テレフォンショッキング」に出演した際に「(名古屋弁が恥ずかしくなったのは)タモリさんのせいですよ」とタモリに言ったことがある。

■『SMAP×SMAP』に出演した際、SMAPから「玉木くんって偉い」「玉木さんはすごい良い人だ」「勉強になりました」と褒められていた。番組終了後、玉木宏の公式HPにアクセスが集中しHPが一時パンクした。

■美形にも関わらず「変顔」が得意で、『おしゃれイズム』出演時には渾身の変顔を披露しスタジオを爆笑の渦に巻き込んだ。

■ペグという名の9歳のオスの犬(チワワ)を飼っている。

■猫アレルギーなので飼うなら絶対に犬らしい。

■ラッキーナンバーは23(本人談)。

■妹がいる。2006年のクリスマスプレゼントに手帳をプレゼントした。母親にはストールをプレゼント。

■自分がクリスマスに貰って嬉しいプレゼントはタバコ(1日3箱吸う為)

■扁平足で土踏まずが無いことが悩み。健康サンダルや、土踏まずの部分が出っ張っている靴を履くともの凄く痛くなってイライラしてしまう(現在はちゃんとあるらしい。痛くなるのは左足。)

■もの凄く暑がり。靴下が大嫌いで年間を通して基本的に素足にサンダルで過ごしている。女の人が靴下を履いて寝たりするのが考えられないらしい。(毎日のようにサンダルで過ごしている為にエランドール賞の授賞式の際、映画の撮影場所である雪山から一時東京に戻り、自宅に寄ってから会場に行ったときに間違って家からいつものサンダルで来てしまい、サンダルのまま雪山に戻っていった。)

■20歳過ぎくらいから霊感が強くなり、頻繁に「何か」を見てしまう体質になってしまったらしい。

■ミスタードーナツでは学生の頃から「ココナツチョコレート」がお気に入り。

■18歳から23歳ころまで俳優業を続けながら、目黒区碑文谷にあるゴルフ場内にあるレストランの厨房でアルバイトをしていた。(その他に掛け持ちで、引っ越し業と深夜のコンビニの店員)

■レストランでアルバイトしていたとき、客として来ていた明石家さんまやタモリ、浜田雅功達を接客したことがある。

■レストランの厨房でアルバイトをしていた為、料理は得意でよく作るらしい。

■スポーツ系(ボール投げ・アーチェリーなど)は左利き。お箸、包丁、字を書くなど文科系は右利き。

■幼稚園を改造した借家に家族と住んでいる。自室の広さは40畳あり、その一部を暗室に改造してあるとのこと。また、暖房は使わないそう。

■名古屋から上京してきた当時はその昔植木等も住んでいた牧子荘という築約50年の3畳のアパートに住んでいた。朝起きるとトイレに羽虫が沢山ういてたらしい。(その後、耐えられなくてすぐに引っ越した。)

■2007年1月、自身のフォトブック発売記念イベントの記者会見で恋人がいると発言した。

■ドラマ『のだめカンタービレ』では、ピアノとバイオリンがプロ級の腕前の上に指揮者を目指す千秋役で、3つの練習が大変だったと語っている。 特に難曲とされるブラームス 「交響曲第1番」を指揮する場面の為に、この曲を千回以上聴いたらしい。

(出典:Wikipedia)
タグ:俳優 玉木宏

高岡早紀 エピソード&プロフィール

高岡早紀(たかおか さき、1972年12月3日 - )は神奈川県藤沢市出身の日本の女優。本名は高岡佐紀子。フロムファーストプロダクション所属。堀越高等学校卒業。血液型A型。実妹は、モデルの高岡由美子。


【略歴】
1988年の4月、岡田眞澄と共演した「マドラス」CMでTVデビューすると、同月30日にはビクターレコードより「真夜中のサブリナ」で歌手デビューを果たす。

1989年「cfガール」で映画デビュー。1990年に出演した「バタアシ金魚」で本格的に女優としての道を歩み始める。 1994年の映画[[忠臣蔵外伝 四谷怪談]]では、その豊満な乳房を惜しげもなくさらし、日本映画史に名を残した。 1995年から放映された、「アパガード」のCMでは俳優の東幹久との共演を果たし、「芸能人は歯が命」というキャッチフレーズを流行させる。

翌1996年には、テレビドラマの共演が切っ掛けで知り合った俳優の保坂尚輝と僅か4ヶ月の交際を経て結婚。2男を出産するも一部のマスコミからは不仲説が報じられるようになる。当初は保坂の女性関係などが原因とされていたが、2004年6月にギタリストである布袋寅泰との不倫の様子が写真週刊誌フライデーに報じられると間もなく離婚が成立した。これにより、やしきたかじん、和田アキ子は、布袋を擁護し、高岡、保阪を非難した。離婚後半年間の同居を経て完全別居。親権は保阪・養育は高岡。子供達とは高岡が一緒に生活している。

ジャズピアニストの山下洋輔は叔父にあたる。また、義弟には元サッカー日本代表で、Jリーグ・鹿島アントラーズに所属するキャプテンの本田泰人(2006年に現役引退)を持つ。

(出典:Wikipedia)


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070410-00000147-sph-ent

タモリ エピソード&プロフィール

タモリ(本名:森田 一義(もりた かずよし)、男性、1945年8月22日 - )はお笑いタレント・司会者。福岡県福岡市南区出身。血液型はO型。 身長161cm(*ジャングルTV〜タモリの法則〜の測定にて発覚)。靴の大きさ24cm。田辺エージェンシー所属。女優の伊佐山ひろ子は実の従妹。


【概要】
1980年代後半以降、ビートたけし、明石家さんまと共に、日本のお笑い芸人BIG3の一人として数えられている。特に『笑っていいとも!』の司会者として知られ、同じ司会者による最長寿テレビ番組としてギネスブックに登録されており、2007年現在においても記録を更新している。多芸、多趣味であるが、特定の師匠や修行経歴を持たず、素人芸を極めて一家を成した。作家の小林信彦は、この点でトニー谷に近いと評したことがある。弟子希望者が来ても「自分の芸は誰かに教えてもらったものではないので、人に教えようが無い」と断った。

芸名である「タモリ」は、本名の「森田」の前後を入れ替えたもので、元々は学生時代の愛称である。通常「タモリさん」「タモさん」と言われ、和田アキ子、愛川欽也、おすぎとピーコといった親しい芸能人からは「タモちゃん」と呼ばれている。また、トリビアの泉で品評会会長に就任以降、高橋克実、八嶋智人、ビビる大木の3人からは会長と呼ばれている。


【趣味】
タモリの趣味は多岐にわたる。ジャズをはじめとした音楽以外にも、鉄道、料理、坂道、BCL、アマチュア無線、武道、オーディオ、ダム、船舶などに造詣が深い。「日本坂道学会」副会長、「日本変態協会(略してNHK)」会長、「オッパイ星人」などの肩書きも自称している。

音楽は主にジャズを好む。後述の早稲田大学在学中における実績があるほか、植草甚一の死後、膨大なレコードコレクションの散逸を防ぐために、その全てを一括して引き取っている(約5000枚)。自身も森田一義名義で早稲田大学応援歌「ザ・チャンス」の作詞を担当したり、トム・O・リーの名でトランペット演奏のレコードを出すなどの音楽活動も行っている。フュージョンバンド「ザ・スクェア(現Tスクェア)」の初期アルバムにはトランペットやヴォーカルでゲスト参加している。

鉄道ファンとしての分野は、線路そのものが連なるさまや分岐器の複雑な造形、またそれらを列車が通過する際の音を好む「線路マニア」であると称している(一部では『鉄道の事情通』とも言われる)。自身が司会を行う『森田一義アワー笑っていいとも!』の楽屋にも、いつも時刻表と地図が置かれているという。自身が司会を担当する『タモリ倶楽部』でしばしば鉄道関係の企画を行っている。 ゲームソフト『電車でGO!』の腕前は、自他共に認めるハイレベルである。また船舶にも造詣が深く、一級小型船舶操縦士免許を所有するほか、船舶が映る画面を凝視するシーンがしばしば目撃されている。

料理はプロ級の腕前であると評される。共演したタレントを自宅に誘って食事会を開くことも多いが、タモリ自身はキッチンにこもって料理に没頭するため、番組と違ってトークで盛り上がることは稀であるらしい。 なお、当人は和食以外一切食べない和食党である。

坂道については、2000年には山野勝と「日本坂道学会」を結成し副会長を自称する。同会副会長として、休日には、好みの坂をまわり、坂道の写真を撮る。過去には「TOKYO1週間」誌上に『TOKYO坂道美学デートNAVI入門』を連載し、2004年にはその活動が『タモリのTOKYO坂道美学入門』としてまとめられた。

「日本変態協会」(NHK)会長を名乗り、「創作は全て変態である」という『創作変態論』を唱えている。また、バストが大きい女性が好きであると公言し、「俺はオッパイ星人」と発言している。

アマチュア無線では、コールサイン「JA6CSH」を取得していた(現在は失効)、当時、通話表での言い替えの代わりに「JA6・Cyah・Sukebe・Hentai」(キャースケベヘンタイ)と言っていたと言う。また、過去にラジオたんぱでBCL番組を担当していた実績も持つ。

武道にも造詣が深く、高校時代に柳生新陰流居合二段を取得している。

また、芸能人仲間らの証言によれば、自宅では緑色のビキニブリーフ1枚になりイグアナの生態のまねをし、週末は沼津のマンションに泊まり、釣りを楽しんでいるという。


【経歴】
1945年8月22日、福岡県福岡市南区に生まれる。福岡市立高宮中学校、福岡県立筑紫丘高等学校を卒業後、九州英数学舘にて1年間の浪人生活を送る。1965年に早稲田大学第一文学部西洋哲学科へ入学[1]。その後学費未納のため抹籍処分となる[2]。1968年に帰郷後、保険外交員・喫茶店従業員・ボウリング場支配人等の職を経て、ジャズピアニストの山下洋輔や赤塚不二夫らと出会い、再度上京。30歳で芸能界入りする。テレビ・ラジオで「ハナモゲラ語」や「イグアナ」のモノマネといった独自の芸を披露する。ラジオにおける発言等から各方面からの反発も受けたが、1982年から『笑っていいとも!』の司会に起用され、2007年現在に至るまで番組司会の長寿記録を更新しており、ラジオ・CM等においても芸能活動を続けている。

福岡市立高宮中学校出身の芸能人としては他に高橋真梨子、森口博子、氷川きよし、博多華丸がいる。

●デビュー以前
森田家は黒田藩の家老の家系で立派な塀に囲まれた屋敷を持ち、代々の当主は「森田のお殿様」と呼ばれている。 本名は「一義」だが生まれる前までは「義一」と名付けられる予定だった。これは祖父が尊敬している田中義一(陸軍軍人、昭和初期に立憲政友会総裁として首相をつとめる)にあやかって名付けようとしたが、「畏れ多い」と名を逆にしたもの。後年タモリは「俺は姓名ともに逆さにされたからひねくれてんだよな」と語っている。

幼少時代はおゆうぎが嫌だったために幼稚園入園を拒否し、小学校入学に至るまで、毎日、一日中坂道に立って人間観察を行っていた[3]。このため坂道好きとなり、後に「日本坂道学会」を設立する遠因となっている。大学浪人中はしばしば押入に潜り込み、韓国や中国からのラジオ放送を長時間聴いていた。これが藤村有弘以来と言われた「インチキ外国語芸」へとつながった。

早稲田大学在学中はモダン・ジャズ研究会に在籍し、トランペットを演奏。同期に増尾好秋、鈴木良雄らがいる。「マイルス・デイヴィスのラッパは泣いているが、タモリのラッパは笑っている」などの批評を受け、主にマネージャー・MCを担当することになった。このことは、後の話芸の基礎ともなった。早稲田大学を去った理由は、2年次の5月の連休、友人2人と旅行を計画し、学費用に仕送りされた資金を旅行用に一旦充てたが返済されず、自分の授業料が払えなくなったためである。学費未納のため抹籍という処分となった。ただし、モダン・ジャズ研究会のマネージャー役は続行し、かなりの収入を得ていた[1]。

早稲田大学では吉永小百合と在学時期が重なっており、学生食堂で吉永と遭遇した際、彼女が食事を済ませ立ち去った後に食べ残した食パンの端を見つけ、食べたい衝動に駆られ理性と欲望の狭間で暫し様子を窺ったが、勇気が無くて結局諦めたという。現在に至るまでサユリストを貫いている。
福岡県に帰郷した後は、保険外交員・喫茶店従業員等の職を転々とする。保険外交員(朝日生命)時代は営業成績がトップクラスであり、表彰されたこともある。この時期に同僚の女性と結婚した。また、喫茶店の雇われマスターだった頃は、ウィンナ・コーヒーを注文すると、ウィンナーソーセージが入ったコーヒーを出すなど、地元では奇妙なマスターとして有名であった。

山下洋輔との出会いは、1972年、タモリが大分県日田市のボウリング場支配人だったときに始まる。当時の山下はライブ後ホテルで乱痴気騒ぎをすることを常としており、渡辺貞夫のツアーメンバーの1人として福岡を訪れた際も同様であった。サックス奏者(資料によってはドラムス奏者とする場合もある[1]がこれは間違い)の中村誠一が部屋にあったゴミ箱を頭にかぶり、メンバーで虚無僧ごっこをして遊んでいた。タモリは渡辺貞夫のマネージャーと学生時代の友人同士であったために同じホテルで飲んでいたところ、廊下まで響くその騒ぎを聞きつけ、部屋へと乱入し、ゴミ箱を取り上げて自ら踊り始めた。中村はその非礼をインチキ朝鮮語でなじったところ、タモリがそれより上手なインチキ中国語で返答したために双方が意気投合したという。「この男はジャズファンに違いない」と確信した山下らジャズメンは、博多のジャズバーに片っ端から問い合わせた結果、とあるジャズバーで発見された。その後、新宿ゴールデン街のバー「ジャックの豆の木」の常連で結成された「伝説の九州の男・森田を呼ぶ会」のカンパによって、1975年6月に上京を果たす[1]。開かれた独演会では「四ケ国語麻雀」や、「中国で作られたターザン映画に出演した大河内伝次郎の宇宙飛行士が宇宙船の中で空気洩れに苦しんでいる様子」などのリクエストを含めた即興芸を披露し、筒井康隆、山下洋輔ら臨席した全員を感動させる。臨席したうちのひとりである漫画家の赤塚不二夫は、「この男を博多に帰してはいけない」と引き留め、自らの家に居候させた。

バーでの一件の直後、赤塚不二夫自身が出演する生放送にそのまま連れて行って同様のパフォーマンスを演じさせたところ、黒柳徹子からその夜のうちに照会があったそうで、彼女の感性の鋭さに感心したと赤塚不二夫がコメントしている。タモリの居候生活は、住居は家賃17万円で4LDKのマンションであり、車はベンツが乗り放題、赤塚からは月に20万円の小遣いが渡されるというものだった[1]。赤塚本人は下落合の仕事場のロッカーを倒し、布団を敷いて寝ていた。赤塚以外ではこんな関係は成り立たなかっただろうとタモリも認め、大恩人だと語っている。ちなみに赤塚は自書の漫画で、「これだけ一緒に暮らしているんだから愛し合うことも出来るんじゃないか」と、2人で同性愛に挑戦して抱き合ったが、全く興奮せず、何もなかったと描いており、タモリも同様の趣旨の発言をしている。

●芸能界入り
30才で芸能界入りする。東京12チャンネル(現:テレビ東京)の深夜番組『空飛ぶモンティ・パイソン』でデビュー。その後、日本テレビの棚次隆プロデューサーの目に留まり、『金曜10時!うわさのチャンネル!!』(日本テレビ系列)でレギュラーの座を獲得し、『オールナイトニッポン』で人気を不動のものとする。

「戦後最大の素人芸人」を自称していたデビュー当時は常にアイパッチ(眼帯)を使用していた。お笑いタレントでありながら愛想笑いやヨイショ芸をせず、どこかインテリ風で何を考えているか分からないという革命的な芸風だった。サブカルチャー好きの若年層には好評を博すが、中高年層には強い印象を与えつつも「薄気味が悪い」と不評だった。「密室芸人」という評も与えられていた。

当時の芸は「中洲産業大学芸術学部西洋音楽理論教授」や「タモリ教授」、「森田一義助教授」といった架空の肩書きをしばしば名乗り、「ハナモゲラ語」、「イグアナのモノマネ」、「4カ国親善麻雀」などを披露するというものだった。当時はあまりモノマネの対象とされていなかった朝鮮語やベトナム語も取り上げている。特に評価の高いモノマネに「寺山修司」がある。これはしゃべり方や身振りの模写のみならず、話す内容自体はタモリ自身が考えたものでありながら「いかにも寺山修司が語りそうな物言い」をするという点で画期的であり、それ以前の政治家のモノマネや歌手の歌真似を中心とする「声帯模写」芸とは題材やアイデアの面で一線を画し、後の「モノマネ」に多大な影響を与えた。

1976年10月から1983年9月まで水曜1部に出演したラジオ番組『タモリのオールナイトニッポン』では、当時人気だったオフコースや、フォーク歌手のさだまさし、名古屋及び名古屋人などに対しての批評を行い、ファンとの対立を起こした。オフコースについては「軟弱なフォーク、根暗なヤツが聞く音楽」、さだまさしは「女々しい、わざとらしい、歌よりトークが長い」、そして名古屋と名古屋人は「東京と大阪に挟まれ独特のコンプレックスがある、田舎なのに都会ぶる、人間がずうずうしい、エビフライをごちそうだと思っている、名古屋弁は響きが汚い」等とそれぞれに対して評した。名古屋出身者からも猛反発を受けたが、逆に名古屋の認知度上昇に貢献したとの意見もあり、肯定的に見る向きもある。その他、特産物や観光地が少ない埼玉県をダ埼玉と発言している。

ラジオ番組以外においても、『ザ・ベストテン』に臨時司会者として出演したことがあり、この際に当時アイドルであった田原俊彦をネタにしたことでファンからの抗議が殺到した。ただし『ザ・ベストテン』の司会者の1人であった黒柳徹子とは親交が深く、長寿トーク番組『徹子の部屋』では、年末のタモリ出演とその際黒柳に新作モノマネを披露するのが恒例になっている。

こうした活動のほか、1977年には赤塚不二夫、滝大作、高平哲郎らと「面白グループ」を結成する。週3回以上の宴会を催し、その成果を何らかの方法で発表することを目的にした団体である。団しん也や小松政夫も参加し、一時はビートたけしも参加していた。また、山本晋也監督の映画『下落合焼とりムービー』に所ジョージや大ブレイク前のアルフィーらと共に出演している。

●『笑っていいとも!』以降
1982年からフジテレビ系列の平日お昼の生放送バラエティ番組『森田一義アワー笑っていいとも!』(以後『いいとも』と略)の総合司会者に就任。この番組で人あしらいのうまさと知性を買われるようになる。関口宏、大橋巨泉らと並ぶ1980年代の名司会者と評する向きもある。以降は各種バラエティー番組の司会者としての活動が主となる。1980年代初頭までの個人芸をテレビ番組で見る機会は少なくなるが、『タモリ倶楽部』でその点を補っているとする向きもあるが過激さを失った、という批判も根強く出ているのも事実である。しかし、「くだらなさ」についてはますます磨きがかかっているとの評価も多い。

『いいとも』におけるタモリの起用理由については、プロデューサーの横澤彪が「夜の顔だったタモリをあえて昼にもってきて意表をついた」と語っている。そのため当初は視聴者にとって違和感のある人選だったが、番組はヒット。1986年に4周年を迎え放送1000回を、1990年に8周年を迎え放送2000回を、1994年に12周年を迎え放送3000回を、1998年に16周年を迎え放送4000回を、2002年に20周年を迎え放送5000回を、2006年には24周年を迎え放送6000回を達成した。

『いいとも』出演以降は、眼帯の着用をやめ、主にレイバンサングラスを使用している。これが2007年現在に至るまでタモリのトレードマークになっている。『いいとも』以前は片眼に眼帯をしていることが多かったが、昼の帯番組ではイメージが良くないという配慮から変更されたらしい。このサングラスは、昼番組と夜番組を併せて1983年、1990年、1991年、1996年、2001年、2002年の6回変わっている。『いいとも』開始当初から1996年までは「昼の番組で真っ黒なサングラスはどうか?」ということもあって、目元がほぼ見える薄茶色のサングラスを着用していた。いいとも以外の番組では黒色のサングラスを着用しており、1996年から2007年現在の『いいとも』を含む全番組出演時は黒色に統一されているが、同型でレンズカラーの違うスペアサングラスを所持しているようだ。また現在着用しているサングラスは俳優の内藤剛志からのプレゼントである。

ラジオにおける活動は、『いいとも』出演以降も行われている。『オールナイトニッポン』のパーソナリティを務めた過去から、ナイターオフシーズンにはニッポン放送にレギュラー番組を持つ。2005年に起きたライブドアによる一連のニッポン放送に関する騒動に対し、「仮にニッポン放送がライブドアに買収された場合は、ニッポン放送への出演を取りやめる」と所属事務所を通じて公言していたが、この事件が解決したことで、同年秋からはブリタモリ大百科事典に出演した。

その他、1983年12月31日にはデビュー8年目にして『第34回NHK紅白歌合戦』の紅白総合司会を務める。2006年現在に至るまで、現役・元アナウンサー以外の紅白総合司会者はタモリのみである。1986年には、タモリの半生を描いた『歌と笑いの41年 戦後タモリ史』という番組が放送された。また、『いいとも』のフリートークで「疲れてるときにユンケル(栄養ドリンク)はいいよね」と発言したところ、ユンケルを発売している佐藤製薬からユンケルを大量に贈られ、これをきっかけにユンケルのテレビCMにも出演するようになった。

いいともではよく、ゲストと話す際、「んなーこたーない」と言うことがあるため、コージー冨田などによくネタにされる。これは現在、アスキーアートにもなっている。


【事件・事故】
■1985年5月14日、筒井康隆全集全24巻の完結を記念したパーティーにおいて、「君が代」が演奏されるたびにタモリが昭和天皇の声帯模写をし、パーティーの最後にはそのままになり、二次会、三次会、翌朝5時までそれを続けた。 このパーティーの様子は翌週の「週刊読書人」にバッチリと掲載されることになり、それ以降タモリは右翼から脅迫を受け続け、最終的にはタモリの所属事務所、田辺エージェンシーの社長田邊昭知が監禁される事態にまで至った(筒井康隆もエッセイ「笑犬樓よりの眺望」にこのパーティーの様子を書いているが、一部の固有名詞が『伏字』になっている)。

■1990年某日、ヨットの柱に額をぶつけた。この事故でタモリは髪型を7:3分けから、現在のオールバックへ変えた。

■2000年5月6日、東京・目黒区で人身事故を起こした。タモリの車が左折した際、右から直進してきたオートバイと接触、オートバイは弾みで別の車にも接触した。運転していた男性と同乗女性が足に軽い打撲。タモリに怪我は無かった。

■2001年11月4日関東近郊のゴルフ場でプレイ中、ボールがサングラスのつるに当たり、左こめかみ付近を負傷。都内の病院に検査入院。1995年の小型船舶免許取得時以来、6年ぶりの番組欠勤となった。『いいとも』は当時の各曜日レギュラー陣が代役を務め、「ミュージックステーション」では、タモリとともに司会を務めているテレビ朝日アナウンサー武内絵美(2000年4月 - 2004年3月まで担当)とこの日出演したアーティストが交代で特別司会を務めた。

■このほか、バイクでの事故経験もある。乗っていたバイクが竿立ち状態になりコントロールできず、無関係の家の垣根を通り抜けて庭に突っ込み、食事中の一家から「どなたですか?」と言われた、とトークで語っている。


【『いいとも』におけるタモリ】
『いいとも』開始後間もなく、「たけし(ビートたけし)は大包茎。オシッコが真っ直ぐ飛ばない」と発言した。そのすぐ後の放送日に、「タモリさんさぁ、俺のこと包茎とか言ってたって?そりゃマズいだろ!」と、ビートたけしが番組に乱入した。当時レギュラーだった田中康夫に対しては「お前のことは前から気にいらねえんだよ!」と首を絞めて押し倒すなど、番組内で暴れた後に退散した。この件は、それまでタモリとビートたけしの共演がほとんどなかったこともあり、『いいとも』に興味を示さなかった視聴者層や芸能マスコミにも広く話題を呼んだ。この件について、ビートたけしは後に「あれはプロデューサーの横澤さんに頼まれたこと」と、ヤラセであることを暴露した。元来ビートたけしはタモリより先に『いいとも』の司会を頼まれたが辞退した経緯があり、開始当初人気が安定しなかった『いいとも』へのテコ入れとして、タモリと不仲説のあったたけしを番組に乱入させたらしい。ちなみにビートたけしは自分が包茎であることを『オールナイトニッポン』などでは何度もネタにしていたが、タモリの『オールナイトニッポン』に自分の歌を宣伝するために出演した折、番組に参加していた女性達に自分の局部を露出し、それを見た女性達に笑われた挙げ句タモリにも見せると「すごい包茎」と散々に突っ込まれていた。

出演者等の条件によって、タモリが必ず行う恒例の行事がいくつかある。間寛平が出演すると、お互いに猿の真似をしながらスタジオ中を駆け回る(それだけでテレホンショッキングの時間のほとんどを使ったことがある)。テレホンショッキングでユースケサンタマリアから花が届くと「カタカナの人」と言う。また、毎年フジテレビ系列で放送しているFNSの日の「笑っていいとも!増刊号生スペシャル」では、(自身が昨夜から総合司会を続けてきたかのごとく)「まあ、毎年この時間が一番、眠いんですよね」とタモリが発言し、他の出演者にツッコまれることも恒例となっている。

2003年6月27日のミュージックステーション(テレビ朝日系)で、t.A.T.u が番組を途中放棄するという事件が起きる。その後約1年間にわたり、「いいとも!」出演者からt.A.T.uの話が出るたびに「タトゥーの話はするな!」と怒っていた。

2004年7月25日にフジテレビの27時間テレビの中で行われた『笑っていいとも!増刊号生スペシャル』のテレフォンショッキングのコーナーでは自分の番組にゲスト・森田一義として登場した。この時、司会は27時間テレビの総合司会を務めていたナインティナインの岡村隆史が行った。同じく総合司会だった矢部浩之と中居正広は観客席にいた。

2007年1月24日、アンジャッシュがゲスト出演し、流れの中で自然に「あるある」と言った際、「あんまり今、「あるある」って言うと…」と、渦中の納豆ダイエット問題の不祥事で放送自粛となり打ち切りとなった(2007年1月24日時点では打ち切りではなかった)「発掘!あるある大辞典II」を匂わす失言をし(増刊号では未放送)、後番組の「スタ☆メン」にレギュラー出演している爆笑問題の田中裕二が、「そういうことを言うことによって、またいろいろあるでしょ!」と、それ以上コメントをさせない様にした。失言に気付いたタモリはその後、お得意のデタラメ語を連発し、事態を揉み消した。

モーニング娘。に対しては5期加入してから「名前覚えるのもうやめる」「憶えるのやめた」とコメントしていた。以後、出演ゲストにはタモリの前ではモーニング娘。の話は禁止となっている。


【その他】
■座右の銘は「適当」「現状維持」「やる気のある者は去れ」など

■公式サイト・田辺エージェンシーの所属タレントでは、タモリのみ写真が掲載されていない。

■当初自分の独特の芸風が壊されるという理由で師匠につかず事務所に入らずの方針で活動していたが、田邊昭知が芸風は自由にやらせるという条件付で自ら直々に口説き落としたという。

■タモリ最初の所属事務所は、非公式ではあるが山下洋輔と「ジャックの豆の木」のA子女史が設立した「オフィス・ゴスミダ」。テレビと文化祭の二度の仕事だけで解散。このへんのタモリデビューのいきさつは『ピアノ弾き翔んだ』(山下洋輔、徳間書店、1978年)に詳しい。

■1980年代初頭においては、タモリとビートたけしの間に不仲説が存在した。タモリは「俺とたけしは仲が悪いと思っている人もいるみたいだけど、実は仲がいいんだよ」、たけしも「タモリさんの奥さんと俺の女房は仲がいい」などと発言したことがある。ただし、たけしは「タモリさんの奥さんが物凄く大きなダイヤの指輪をしていて、俺の女房の目に刺さりそうだった」と続けて笑いを取る場合が多かった。

■音楽番組の司会を長く勤めているため、玉置宏、芳村真理、黒柳徹子と並び、日本の歌謡曲歌手の事をよく知る芸能人、とする意見がある。

■よく言う冗談は「俺はジャニーズシニア」「俺は『ZOO』にKAZU(カズ)の名前で所属していた」など。特に後者に関しては、ZOO解散前の最後のテレビ出演がMステとなったため、タモリも曲中のダンスに参加しスタジオを沸かせたという逸話を持つ。また、EXILE新メンバー募集の際には『MUSIC STATION』にて自らKAZUの加入を推奨していた。

■横澤彪によればタモリは30歳を超えて芸人に転向したこともあり驕り高ぶった所も見せず、「俺たち芸人なんか世間でまじめで働いてる人から見れば詐欺師稼業みたいなもんだ」というのが持論だという。

■普段は温厚であるが、かつて森脇健児が焼肉の網に肉を隙間なく並べたことに激怒した、と数回発言したことがある。しかしいずれも、本当に心から激怒していたとは思えない口調であり、とかく温厚なのだろうという見方もある。

■今の携帯はナインティナインの岡村隆史にプレゼントされたものであり、それまでタモリは携帯電話を持っていなかった。

■雑誌などの取材やインタビューはあまり受けないが、過去に「週刊朝日」の取材に答えた事がある。そのとき「いいとも」の長寿の秘訣について、「番組についての反省を一切しないこと」と答えている。実際に、「いいとも」では反省会を行っていない。

■俳優業にも一時期チャレンジしたが、今はやっていない。ナインティナインの岡村隆史が、ジャングルTVでタモリ主演のビデオカセットを見せたとき、「止めてくれ」と言った。どうやら、俳優業は自分に不向きだと思っているようである。最近ドラマに出たのは1991年の『世にも奇妙な物語』のエキストラ出演以来だか、他には2004年の『X'smap〜虎とライオンと五人の男〜』にデビュー当時のサングラスを外し、眼帯をつけた姿で一瞬だけ出演し、さらに2007年の『和田アキ子殺人事件』に本人役で出演した(ちなみにTBSのテレビは久々の出演である)。

■佐藤製薬のユンケル黄帝液シリーズに新発売当時からCMキャラクターとして起用されていたが降板後は同社の歯槽膿漏治療薬のアセスのCMキャラクターとして起用されている。同社にとって手放すには惜しみある存在。(注:タモリ降板後はイチローがユンケル黄帝液のCMキャラクターに起用されている。)

■ダウンタウンがいいともに初出演した際、ダウンタウンがいいとものコーナーにケチをつけまくったため、「うるさいなぁ…」とタモリが小声で言うと、浜田が「司会者が「うるさい」って!かなわんなぁ」と言い返したため、「本当にうるさいなあ!!」と怒鳴った。

■若いころは度のきつい丸型のメガネをかけていて、容姿は将棋の大山康晴名人に似ているとタモリ本人が認めている。

■小学校時代のあだ名は、なで肩だったことから「矢印」。(「いいとも!」にて自ら発言)

■「いいとも!」に要潤がゲスト出演した際、タモリは「俺は要潤に似ている」と自信に満ちて言って憚らなかった。

■新宿厚生年金会館横にあるJAZZ SPOT J(1978年開業)の設立メンバーで、80年代はよく顔を見せていた。オーナーと間違えられることが多かったが、タモリは取締役宣伝部長である。

(出典:Wikipedia)

竹内結子 エピソード&プロフィール

竹内 結子(たけうち ゆうこ 、1980年4月1日 - )は、日本の女優。本名:小川 結子(旧姓:竹内)。スターダストプロモーション所属。

埼玉県浦和市(現 さいたま市南区)出身。浦和市立(現、さいたま市立)白幡中学校卒業。埼玉県立新座北高等学校卒業

身長162cm。 サイズ B80cm, W60cm, H82cm。血液型 A型。


【人物・来歴】
■1996年、フジテレビ系列にて放映されたドラマ『新・木曜の怪談「CYBORG」』にてデビュー。 1999年にNHK連続テレビ小説「あすか」のヒロイン、2001年にはTBS「白い影」でブレイク。ランチの女王で月9初主演を務める。その後 数々のドラマや映画等に出演。

■2005年5月10日にオフィシャルサイトで、歌舞伎役者・2代目中村獅童と結婚を前提にした交際をしている事を発表。又、同日、中村が会見を行い、妊娠3ヶ月である事を公表した。映画『いま、会いにゆきます』での共演が、交際のきっかけとなった。6月25日に婚姻届を提出。2005年11月21日、東京都信濃町にある慶應義塾大学病院にて、第一子となる男児を出産した。

■2006年に入り、CMの仕事を再開している。

■2006年11月1日に離婚協議中であること、離婚に際して中村獅童に対して、慰謝料や養育費などを請求しないことが報道された。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070623-00000026-dal-ent

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タカアンドトシ エピソード&プロフィール

タカアンドトシは、北海道出身の漫才コンビである。1994年に結成し、吉本興業札幌事務所(札幌吉本)からデビュー。北海道で活動した後、2001年に上京し、吉本興業東京本社の所属となる。正統派しゃべくり漫才を繰り広げる。略称「タカトシ」

札幌時代のコンビ名の表記は「タカ&トシ」で、2001年の東京進出の際に「&」を「アンド」に変更した。


【メンバー】
タカ(本名:鈴木 崇大(すずき たかひろ)1976年4月3日 - ) ボケ担当。私立北海高等学校卒。
トシ(本名:三浦 敏和(みうら としかず)1976年7月17日 - ) ツッコミ担当。北海道札幌南陵高等学校卒。


【経歴】
・中学時代にコンビを組む。コンビを組む切っ掛けとなったのは、タカが通っていた中学校にトシが転校してきたことから。お互いに違う高校に進学するも、週末にはお互いの家でネタ作りを続けアマチュアとして活動。高校3年生の時に吉本興業札幌事務所主催のオーディションを受け、本格的にプロとして活動を始める。(吉本では次長課長などNSC13期がほぼ同期にあたる)

・当初は「北海道のお笑いを盛り上げよう!」を目標に、後輩のBコース、アップダウンらが次々と東京に進出する中、ローカルに根ざした堅実なお笑いで、今の札幌吉本の礎を築く。

・「欧米か!」のフレーズで有名だが、「欧米か!」の由来は漫才のツッコミのセリフからであり、「高校の旧友と再会」という漫才のなかでトシが「欧米か!」と頻繁にツッコむパターンがフィーチャーされたことから。そしてこのフレーズを足がかりにして2006年は結成以来最も忙しくなり、最高の年になった。

・平成19年2月10日に放送された日本テレビの「怪答紳士」において、初のMCに挑戦した。


【受賞歴】
■テレビ静岡主催 全国吉本若手漫才 優勝(1997年)
■笑いの金メダル(ネタバトル時)第10回金メダリスト(2004年6月)
■M-1グランプリ2004 決勝進出(4位)(2004年12月)
■爆笑オンエアバトル第7回・第8回チャンピオン大会優勝(2005年3月、2006年3月)


【芸風】
●最初は普通の掛け合い漫才だったが、「面白いけど、何かが足りない。」と言われ続けたため、現在のトシが連続で「○○か!」(欧米か!・女子か!・子供か!など)とつっこむパターンを生み出した(だが最近でも極稀に普通の掛け合い漫才もする)。最近では「○○か!」のネタを量産しているため「芸が荒くなった」、「普通の掛け合い漫才の方が好き」などの批判や意見もある。これ以外に、「笑っていいとも!」などゲスト出演の時は、ショートコントを披露する時もある。

●この「欧米か!」はお笑いでは明石家さんま、とんねるず、ナインティナインの岡村隆史、ウッチャンナンチャン、落語界では、三遊亭楽太郎、お笑い以外ではSMAPの中居正広や香取慎吾、丸山和也、吉幾三など色々な芸能人に気に入られている。しかしさまぁ〜ずの三村とかぶっているのか「欧米かよ!」と真似られることもあった。「欧米か!」以外にも「○○か!」には色々な種類がある(「昔か!」「大人か!」「子供か!」「女子か!」「居酒屋か!」など)。

●中盤からタカがトシに対してネアンデルタールや正岡子規、ガンジー、タピオカなどと茶化したり、ゴロの似たパターンやツッコミボケを披露する(「欧米」→「南米」、「女子」→「上司」など)。ちなみに、この時トシは上を向いている事が多い。

●また、ネタの中盤から終盤まで韻を踏んだツッコミボケをする(「子供か!」のツッコミに対して「衣か!」や「児玉か!」など)。加えて、オチでは2人で同時にツッコミを入れて終わる場合もある。

●この形式で漫才を作る際はツッコミのフレーズ(「○○か!」の○○の部分)を先に作ってから、それに合ったボケを付けるという形をとっている。

●このスタイルを確立するまでの漫才もかなり評価されていた。爆笑オンエアバトルでは無敗。M-1グランプリでは開催開始の2001年から連続で準決勝へ進出。2004年のラストチャンスでは遂に決勝へ進出し笑い飯と同率4位へ輝いた


【逸話】
■遠足のネタのオチは2種類ある。1つは「迷子になった後藤君が陰からひょこっと水死体で発見され、先生が『OH MY 後藤』と言う」パターン。もう1つは「迷子になった後藤君が陰からひょこっと出てきて『恥ずかしげながら帰ってきました』と言って敬礼する」パターン。前者は爆笑オンエアバトルで9回目の挑戦の時(結果:453KBで2位通過)などで披露。後者は爆笑オンエアバトルで16回目の挑戦の時(結果:509KBで1位通過)など今では殆ど後者を使用。

■テレビで披露する漫才の他にも単独ライブ等ではコントも披露する(ちなみにエンタの神様でのコントでは漫才と同じように「○○か!」ツッコミのコントをやっているが単独ライブ等で行うコントでは「○○か!」ツッコミのコントはほとんどない)。他にも2006年6月の漫才ツアーでは「ナルシスト漫才」「噛んだら終わり漫才」なども披露(このツアーで披露した「英語漫才」は2006年10月1日放送の笑いの金メダル2時間スペシャル内のコーナー「ボケモン」で披露)。

■ 2006年10月19日放送のうたばんでとんねるずの石橋貴明に「パプリカか!」、「赤ピーマンか!」と茶化された(パプリカは2人とも、赤ピーマンはトシのみ)。

■最近は「そーなんだ」が今年の新ネタとして定着しつつある。

■2006年10月に発売したDVDの「タカアンドトシ新作単独ライブ タカトシ寄席 欧米ツアー2006」が6万枚以上のセールスを記録。番組をまとめたもの(ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!など)以外では2005年2月に発売したアンガールズの「アンガールズ 単独LIVE 〜88〜」4万超え以来の快挙。

■最近はタカのつく嘘もネタになってきている(島田紳助にロシア人っぽいと言われ、お父さんがロシア人といって嘘をつくなど。直後にトシが「欧米か!」と突っ込む)。その嘘は特徴があり、実際にあったかのような嘘である。

■「お笑い芸人歌がうまい王座決定戦スペシャル」でタカは歌がうまいがトシは下手だということが分かった。

■同番組で2回目出場したときには「トシに歌わせたから負けた」というようなことをMCたちに言われていた。

■「いきなり!黄金伝説。」(テレビ朝日系)でのカラオケで100点を目指すというコーナーにタカアンドトシが挑戦したところ、周囲の予想に反して最終的に100点をとったのはタカではなく森山直太朗の「さくら」を歌ったトシで、同曲を14回も歌ってやっとのことだった。

■2007年1月2日放送の芸能人格付けチェックにおいて、芸人からの選抜として、バラエティチームに選ばれるも、「映す価値なし」となってしまい、画面から消えてしまった。

■先輩として次長課長河本を慕っているが、実はほぼ同期である。(年齢は下)

■札幌吉本出身のタカアンドトシは、福岡吉本出身の博多華丸・大吉と何かにつけ比較される。

■両者共、吉本興業の地方事務所の1期生であり、看板タレントであった。タカアンドトシは吉本興業札幌事務所開設時のオーディションを経て、1994年に1期生としてデビューし、やがて札幌吉本を担う主力芸人となった。華丸・大吉も、吉本興業福岡事務所開設時のオーディションにより、1990年に1期生としてデビューし、瞬く間に福岡吉本を代表する売れっ子芸人となった。因みに両者共、吉本入りする際には、1回目のオーディションで落とされている。

■両者共、同期や後輩が先に東京進出を果たす中、近年満を期して上京し、2006年前後から全国区でブレークした。タカアンドトシは、後輩のBコース、アップダウンらが次々と東京に進出する中、2001年にようやく活躍の場を東京に移し、2006年前後から「欧米か!」のツッコミで、全国区でブレークした。華丸・大吉も東京進出では同期の竹山隆範(カンニング)や後輩のヒロシに先を越されたが、2005年にようやく上京し、とりわけ華丸が児玉清のモノマネを武器に、2005年にとんねるずのみなさんのおかげでした内のコーナー、博士と助手 〜細かすぎて伝わらないモノマネ選手権〜で優勝したことや、2006年の『R-1ぐらんぷり』で優勝したことにより、コンビ揃ってテレビに出る機会も爆発的に増え、一躍全国区の人気者となった。

■両者共、ツッコミ役に交際歴の長い彼女が存在する。タカアンドトシのトシには2007年2月現在で交際歴13年の彼女がおり、写真誌でも熱愛ぶりが報じられた。華丸・大吉の大吉も、交際して11年の彼女がいることを2007年1月のテレビ番組出演時に明らかにした。両者共、結婚間近とも言われている。

■2007年3月1日放送の「とんねるずのみなさんのおかげでした」では、タカが海外ロケの集合時間に約2分遅れてしまったため出川哲朗が「ドッキリしましょうか」と提案。石橋貴明がタカに激怒するドッキリを敢行。怒られたタカは一生懸命謝ったが聞いてもらえず、石橋が出川を殴ったりテーブルを蹴飛ばすなど怒りが収まらないまま時間が過ぎた(もちろん石橋の演技である)。しばらくしてから謝りに行った後、石橋がトシに突っ込まれネタばらしをし本人はようやくドッキリと知るが、緊張の糸が切れたタカは号泣してしまった。なおこのドッキリは突発的なものであったため、2人のマネージャーもドッキリと知らずに本気で謝っていた。

■テレビ朝日の「いきなり黄金伝説。」で、せんべいを1000枚食べる伝説に挑戦した。

【爆笑オンエアバトル】
■2001年に爆笑オンエアバトルの札幌収録で初出場するまで、全国ネットの番組での仕事は殆ど無かった。後に、東京に上京するきっかけになった番組と話している。

■2001年の初出場時は4位、その後は4回連続5位と綱渡りの状態だったが、第6戦以降からキロバトルが上昇。第11戦以降は1位が定位置と言えるほどまでになり(第17戦のみ2位で、1位はキャン×キャン)、第13戦から現在まで6連続オーバー500の記録も保持している。さらに、番組最多連勝の18連勝の記録も打ち立てている。チャンピオン大会ではルート33に続く2連覇を達成した。

■第9回チャンピオン大会では、「○○か!」を強調しない正統派漫才を披露したが、番組史上初の3連覇達成は成らず、後輩のNON STYLEにその座を譲り渡した。その後、タカはずっと下を向いて悔し涙を流していた(タカは漫才が絡むとやたら本気になる傾向がある)。

(出典:Wikipedia)


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070406-00000062-sph-ent








高橋尚子 エピソード&プロフィール

高橋 尚子(たかはし なおこ、1972年5月6日 - )。マラソンランナー。2000年9月、シドニー五輪女子マラソン優勝。この時の優勝タイム2時間23分14秒は現在も五輪記録。またこの五輪金メダルは日本の女子陸上種目としては初の快挙であり、この功績により国民栄誉賞を受賞。2001年9月、ベルリンマラソンで当時の世界最高である2時間19分46秒をマーク。女子選手として初めて2時間20分を切った選手として陸上界にその名が永久に刻まれることになる。爽やかな笑顔と前向きな生き方から誰からも愛され、Qちゃんの愛称で親しまれている。2006年大阪学院大学教授に就任。


【来歴】
岐阜県岐阜市出身。血液型はO型。母親は青森県出身。

岐阜市立藍川東中学校から陸上競技を始める。岐阜県立岐阜商業高等学校を経て大阪学院大学商学部卒業。

1997年1月26日の大阪国際女子マラソンが初マラソン。翌1998年3月8日の名古屋国際女子マラソンでは、2時間25分48秒という、当時の日本最高記録を4秒更新してのマラソン初優勝を果たす。同年12月6日のバンコクアジア大会女子マラソンは、最高気温30度を超す猛暑のレースとなったが、2時間21分47秒の驚異的な日本最高記録(当時)を達成。一躍シドニーオリンピック女子マラソンの金メダル最有力候補として注目される。2000年3月12日、シドニー五輪の選考会となった名古屋国際女子マラソンで優勝。これにより、五輪代表の切符を獲得。

2000年9月24日のシドニー五輪女子マラソンでは、ルーマニアのリディア・シモンと激しくデッドヒートを演じるが、34Km過ぎで銀メダル獲得のシモンを突き放し、そのままトップでゴール。つねにレースを引っ張る堂々たる走りは、ゴール後のさわやかな笑顔とともに、世界のマラソンファンに強い印象を与えた。高橋の五輪での金メダル獲得は、日本マラソン界の長年の悲願達成であるとともに、日本女子陸上界においても史上初の快挙だった。またゴールタイムの2時間23分14秒も五輪最高記録である。これらの功績により、女子スポーツ選手として初めて国民栄誉賞を受賞。

2001年9月30日にベルリンマラソンで女性初の2時間20分突破となる、2時間19分46秒の世界最高記録(当時)をマーク。

2005年5月、リクルート時代から約10年に及ぶ小出義雄監督との師弟関係を解消。2005年6月、ファイテンと2009年5月までの4年間の所属契約を結んだ。なお同社陸上部とは別に「チームQ」として活動。

2005年11月20日、「2005東京国際女子マラソン」に出場。体調は万全ではなかったが、2時間24分39秒の1位でゴール、2年ぶりのマラソン復帰レースを優勝で飾る。2006年11月1日には、1年間の期限付きで母校大阪学院大学の特任教授に就任。

2006年11月19日、「2006東京国際女子マラソン」に出場したが、右足ふくらはぎに抱えた怪我もあり3位という不本意なフィニッシュとなった。本来なら、調整ミスのため、不参加の決断が適切だった同大会であったが、スポンサーとの関係などのため強行出場だった。しかし、重要な大会を前に毎回何かしらの故障を起こす現状に、チームQ、ひいては高橋自身の自己管理の甘さを指摘する声も挙がった。翌2007年3月11日の名古屋国際女子マラソンへは欠場したため、同年9月2日に開催される世界陸上大阪大会女子マラソンの出場を断念。2008年北京オリンピック女子マラソン代表入りは、その後の国内選考レース(2007年11月東京国際、2008年1月大阪国際、同3月名古屋国際)で挑戦する事となった。

高校の同級生にはプロ野球選手の和田一浩がいる。ただ、高橋と和田は高校時代は互いに面識こそあったものの会話をしたことは一度もなかったという。母校では高橋と和田一浩、高木守道の3人をまとめて“ビッグ3”と呼ばれている。2004年11月23日、地元の岐阜メモリアルセンターでこの3人のトークショーが行われ、このイベントは大盛況のうちに終わった。ただ、“ビッグ3”と言われながらもこの3人が顔を合わすことは滅多になく、3人がトークをするシーンが斬新だったと言う人も多かった。


【戦績】
■1997年1月 大阪国際女子マラソン 2時間31分32秒 7位

■1998年3月 名古屋国際女子マラソン 2時間25分48秒(当時の日本最高記録) 初優勝

■1998年12月 バンコク・アジア大会 2時間21分47秒(当時の日本最高記録) 優勝

■2000年3月 名古屋国際女子マラソン(大会記録) 2時間22分19秒 優勝

■2000年9月 シドニーオリンピック 2時間23分14秒 優勝、五輪金メダル獲得

■2001年2月 青梅マラソン(30km) 1時間41分57秒(当時の日本最高記録)

■2001年9月 ベルリンマラソン 2時間19分46秒(当時の世界最高記録) 優勝

■2002年9月 ベルリンマラソン 2時間21分49秒 優勝

■2003年11月 東京国際女子マラソン 2時間27分21秒 2位

■2005年11月 東京国際女子マラソン 2時間24分39秒 優勝

■2006年11月 東京国際女子マラソン 2時間31分22秒 3位

(出典:Wikipedia)

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田波涼子 プロフィール&エピソード

田波 涼子(たなみ りょうこ、1974年10月8日 - )は、ファッションモデル・女優。東京都出身。星座はてんびん座、血液型はAB型。インセント、イデア所属。

短期大学卒業後、それまで、“のほほ〜んと、普通に事務職のOLをしていた”のが、オーディションをきっかけに、JJモデルに。CLASSYの表紙を飾っていた他、OL誌のカリスマモデルとして人気。ニベア花王や、オンワード樫山などのCM、最近では、映画主演も話題に。

2007年3月13日、「ヒルズ族」の有名実業家として知られるウエディング関連会社株式会社テイクアンドギヴ・ニーズ社長野尻佳孝氏と、結婚を前提とした真剣交際が明るみに出る。2007年4月1日付けで野尻氏と入籍。


【プロフィール】
愛称: 涼ちゃん
生年月日: 1974年10月8日
現年齢: 32歳
出身地: 日本・東京都
血液型: AB型
【公称サイズ】(2006年時点)
身長: 168 cm / 5′ 7″
体重: ― kg / ― lb
スリーサイズ: 87 - 60 - 88 cm
【活動】
デビュー: 1997年
ジャンル: ファッション
モデル内容: 一般
他の活動: 女優
【その他の記録】
1997年アサヒビールキャンペーンガール

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070402-00000002-oric-ent

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