Google
 

井ノ原快彦 エピソード&プロフィール

井ノ原 快彦(いのはら よしひこ、1976年5月17日 - )とは、日本の男性アイドルグループV6のメンバーである。ジャニーズ事務所に所属。血液型はA型。V6でのメンバーカラーは青。愛称は「イノッチ(いのっち)」。本人も気に入っているのかコンサートの自己紹介でも使っている。 トニセンのメンバー等からは「ヨッちゃん」と呼ばれる事も。 また、J-Eleven時代はメンバーから「爆弾野郎」と呼ばれていた。

生まれは東京都台東区浅草だが、幼少の時に引っ越したため、育ちは品川区の団地。「嵐」主演の映画「ピカ☆ンチ」シリーズは、彼が過ごしたこの品川の巨大な団地でのエピソードを描いている。


【来歴】
■小学生の時にジャニーズ事務所に入る。八潮小卒。品川区立八潮中学校へ進む。

■1995年11月1日:「MUSIC FOR THE PEOPLE」でデビューする。当時19歳。

■この頃、東海大学付属望星高等学校通信制中退。

■2004年4月:高校卒業という父親との約束を守るために科学技術学園高等学校に入学。2005年3月、28歳で卒業。

■2007年9月28日:かねてから交際中であった女優の瀬戸朝香との結婚を発表。


【性格・特徴】
■昔は連続ドラマの出演が多かったが、最近は舞台やミュージカルの出演が多くなっている。

■Jr.時代ではSMAP学園に在籍。

■トイレが近く、CMに入る時にトイレに行く仕種が時々見られる。他、同様の芸能人には徳光和夫がいる。

■V6の中でも坂本昌行と並ぶ歌唱力を持っているため、ソロパートが多い。

■交友関係が広く、特に森山直太朗と御徒町凧と武蔵は親しい友人である。DJ OZMAとも親交があるが、例の件に関しては知らされていなかったが、OZMAの関係者から、「サンバで使う羽持ってませんか?」というメールが来たという(2007年2月3日放送のチューボーですよ!による)。

■TOKIOの国分太一とは「たいのっち」というコンビ名で「たいのっちのオールナイトニッポン」(2003年7月24日、12月19日)を行い、現在はR30という番組のホストを務めている。

■TOKIOの山口達也とは唯一事務所入りが同期である。

■TOKIOの松岡昌宏とは親友である。

■V6のムードメーカーであるが一人のときは静かであるという。また、トニセンといるときは静かだがカミセンといるときはうるさい(坂本・長野談)とも。

■大のWWE好きで、特にヒールレスラー・トリプルHが大好き。2005年2月4日・2月5日さいたまスーパーアリーナでのテレビショー日本公演では、フジテレビで確保した最前列に陣取って観戦。

■5歳上の姉、1つ下の妹、15歳下の弟がいる。

■イクラアレルギー。

■島田紳助に「あいつは凄いえぇ奴、性格が男前や!」と絶賛されたことがある。

■意外に肉体派である。『スポーツマンNo.1決定戦』の第4回芸能人サバイバルバトルに出場した事があり、見事4位に入った(ちなみに3位はTOKIOの山口)。

■デビュー直前の頃は、大友克洋原作のアニメ映画『AKIRA』の大ファンであった。東京-大阪間の新幹線での移動の最中、スタッフと延々『AKIRA』だけの話題で語れるほどであった。ただし、本人曰く『ガンダム』などほかのアニメにはあまり興味がなく、あくまでも『AKIRA』のファンであるとのこと。

■実は一番最初に坂本昌行とグループを組みたかった。

■ミニチュアダックスフントのネルを飼っている。

■体が弱い。(インフルエンザや肺炎等で入院多数)

■「学校へ行こう!MAX」でのコメントカラーは赤。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070928-00000190-sph-ent

[PR]

19800円〜より変則ギア付きビーチクルーザーの完全オリジナルカラーをご用意しており、大胆な色使い等、遊び心のあるデザインも大きな特徴。これからの季節にぴったりのビーチクルーザーがそろってます。

稲垣吾郎 エピソード&プロフィール

稲垣 吾郎(いながき ごろう、1973年12月8日 - )は、日本の男性アイドルグループSMAPのメンバーである。ジャニーズ事務所に所属。血液型はO型。愛称はゴローちゃん。最近は「ほんとにあった怖い話」の影響か吾郎さんと呼ばれる事も。 身長176cm。 SMAPでの初期からのイメージカラーはピンクだが、ビストロSMAPの時のみブルーである。


【来歴】
■東京都板橋区の高島平団地で育つ(稲垣がTV番組の中で発言)。

■ジャニーズ事務所のオーディションを受けたのは、同グループの木村拓哉・香取慎吾と同日。姉が黙って写真を送り、「ゲームを買ってあげる」と言って連れて行かれた場所がオーディション会場だった。この時の稲垣の様子を香取が何度か再現している。香取によると香取がオーディション会場に向かう途中に前を歩いていたのが稲垣と、稲垣の姉と、稲垣の姉の友達の、計3人で、稲垣が「お姉ちゃん、ファミコンのカセットをレンタルするところに連れてってよ〜」と言っていたのを聞いた香取は「こいつファミコン好きなのか、俺と友達じゃん」と思ったとのことである。

■SMAP内では一番早く世に知られブレイクした。

■1988年 スケートボーイズの12名の中からSMAP結成。

■1992年、堀越高校卒業。

■1993年映画関連として初のソロCD「If You Give Your Heart」を発売。

■2001年 8月24日 東京都渋谷区内で、放置駐車に端を発した道路交通法違反、公務執行妨害罪、傷害罪で現行犯逮捕された。

■2002年1月14日謹慎明け。

■2004年1月 ドラマ『僕と彼女と彼女の生きる道』(草g剛主演)の主題歌『WONDERFUL LIFE』を&G(アンジー)名義で歌う。オリコン初登場1位を獲得。

■2006年、映画『ONE PIECE カラクリ城のメカ巨兵』に声優として出演。

■同年、日本で開催されたFINAシンクロワールドカップの公式サポーターとしてマーメイドプリンスを務める。これは自身初の単独公式サポーターである。2007年も世界競泳2007の公式サポーターとしてマーメイドプリンスを務める。


【性格】
■イメージアイテムともなっているワインとはドラマでソムリエの役を演じたことをきっかけに出会い、かなりの知識を持っている。この知識は数々のバラエティ番組で披露されている。お酒は飲んでも全く酔わず、お酒での失敗もないらしい。歴史マニアという一面も持ち、平安時代や戦国時代など日本史が得意で、草g剛が時代劇に出演するようになってからは知識指導していた。

■基本的にSMAP内では比較的控えめな性格である。しかし多少天然ボケなところもあり、番組ではよくいじられている。クールでナルシストなイメージがあるが、実際は自他共に認めるおしゃべりで、メンバーの中でも陽気な性格である。最近は自身の番組などで「クールかと思ったらお喋りな方なんですね」とゲストによく言われている。

■癖毛な為、髪型を気にしている。SMAPライブのMCやバラエティなどでそのことで頻繁にいじられており、本人も「この髪質で生まれてきたこと自体が失敗」と語る。髪の毛をセットしていなかったり寝癖がついたりしたままTVに出ることはありえないらしく、SMAPライブの舞台裏を放送した番組ではセットをしていないという理由からか本人の帽子のみの出演となっていた。

■デビュー当時はスポーツ歴で「散歩」と言っていたほどスポーツには縁が無い。しかしマラソンはSMAP内で一番速く、体力がある。また、近年はゴルフに熱をあげていて時間を見つけてはゴルフ場や練習場に出かけているらしい。メンバー内で同じくゴルフを嗜む木村拓哉とは何度か一緒に練習場に出向いている。いずれは共にゴルフ場へ行くこと、更にはSMAP杯を開くことを目標にしているらしい。

■踊りに癖があり、ほかのメンバーの踊りを見ながら踊っている。このことでは髪の毛ネタと同じくらいいじられていて、ライブMCの定番ネタである。特に特徴のあるその移動方法はメンバーに鳩移動と名づけられ実演された。SMAPメンバーの中居正広は「疲れた時は吾郎のダンスだけを見る。そうすると元気が出る」と語っている。これはネタの可能性もあるが、このように彼の踊りの隠れファンもいる。近年はゴルフやマラソンを始めたことからか大分改善されてきているのだが、このネタの浸透率は高く、それはそんぽ24CMのオリジナルキャラクター・ハナコアラの中の踊りの苦手なコアラがゴローと名づけられていることからも分かる。(その他の2匹はセンタロー・ライタローといい、この方式でいえば本来もう1匹はレフタローと名づけられるはず?)

■利き腕は左。

■SMAP内では比較的女性関係が華やかで話題を振りまいてる。しかし、30歳を超えた頃からは落ち着いてきており、以前のような話題提供は減っている。

■中居正広とは合宿所仲間でもある。当時、協調性がまるでなかった稲垣はよく中居に怒られていた。そのことを今では感謝しているらしい。

■プライベートでは、幼少時から現在まで木村拓哉とよく遊んでいる。

■草g剛とは同じ堀越高校に通っていたことがあり、当時先輩アイドルにいじめられていた稲垣を草gがいつも助けていた。ちなみに草gは稲垣より1学年下である。また、SMAP×SMAPの楽屋は草gと一緒である。近年草gが稲垣のことを「吾郎ちゃん」ではなく「吾郎さん」と呼び始めており、よくそのことをツッコまれている。

■香取慎吾とは同じ日に事務所入りしたこともあり、入所後はよく遊んでいたらしい。現在は気が合うのか合わないのか分からない不思議な関係を確立している。趣味は意外と合うようである。

■意外と大食い。しかし腹八分目を心がけている。

■貴公子のようだが、おもしろい一面もある。

■よくMっぽいと言われるが、本人いわくSでもなくMでもないN(ニュートラル)らしい。

■家族仲が非常に良く、毎年新年は両親や姉家族と共に旅行に出かけている。ゴルフを始めたのも両親とコミュニケーションをとるためだったとか。番組内でも家族のことをよく語っていて、お姉さんに子供が出来た時は様々な音楽番組などでそれを報告していた。甥っ子にゲームを買ってあげるなど良い叔父さんぶりを披露している。この時買ったWiiを稲垣は「ウィル」だと思っていたらしい。

■稲垣のお姉さんが木村拓哉のサインを貰った初めての人だという。

■幼いころは奔放な性格(いわゆるわがまま)だったが、何故か許されてしまう得な性分だったので他のメンバーに羨ましがられていた。その奔放ぶりからジャニー喜多川氏に「Youこの世界に入って正解だよ」(つまり他の世界ではやっていけない)と言われた。ちなみにジャニー氏はその頃稲垣が木村拓哉のファッションを真似している事について、木村に「Youが吾郎をだめにする」と苦言を呈していたらしい。

■現在はマイペースぶりはあいかわらずだが、ユーモアを持った大人の男性へと成長している。落ち着いた態度で場を取り成すこともしばしばあるようで、木村に「カウンセラーのようだ」と評されている。聞き上手である。

■話をする時「意味わかる?」と聞く癖があり、草g剛にそれがちょっとイヤだと指摘された。この癖は堂本兄弟に出演した時にも話題となり、「意味わかりる?」と言ってみてはどうかと提案された。今現在稲垣が「意味わかりる?」を使っているかどうかは謎である。

■中居いわく、最初稲垣はSMAPのメンバーではなかった。

 SMAP5人(中居、木村、草g、森、香取)が取材で呼ばれたときに吾郎が呼ばれてもないのに来ていて、取材陣が「せっかくきたのに何もしないのはかわいそうだ」といって、一緒に取材を受けたのだという。それからずっと吾郎がついてきてSMAPに入ったのだという。


【演技】
■初期の頃は顔立ちから育ちの良いお坊ちゃん役が多かったが、以降のドラマでは悲劇的な男の役や、いじめられ役が多い。世にも奇妙な物語の「顔を盗まれた」で主演した際には、共演女優の国分佐智子から引っ叩かれた挙句に濡れ衣を着せられなじられるというシーンも見られた。最近はシリアスよりもコミカルな演技の評価が上がっている。

■10代の頃よりSMAP内でいち早くドラマ出演、多くのドラマや映画に出演してきた。NHK、映画出演はSMAP内で一番多い。

■ドラマや映画もクールでナルシストな役所が多いので一般的にもそのイメージが定着しているが、実生活のイメージもそれに近いもので、基本的にクールでマイペースな人柄。近年のドラマ・映画では女性にいたぶられる役柄も多い。

■近年は実話に基づいたヒューマンドラマ路線も開拓しており、9.11(2004年9月11日 フジテレビ系)飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ(フジテレビ系)などでの家族を愛するヒューマニティ溢れる父親役での評価も高い。

■片岡鶴太郎からの引継ぎとなった金田一耕助シリーズ(フジテレビ系)が新たな代表作になりつつある。以前には明智小五郎も(テレビ朝日系にて)演じており、岡譲司、小野寺昭に次いで金田一・明智の両方を演じた史上3人目の役者となった。なお、2007年1月から片岡がSMAP×SMAPの準レギュラー(「ろくろの王国」の師匠役)となったため、珍しい金田一経験者同士の共演が実現している。


【特徴】
■ワイン好き。家にワインセラーを持っている。

■ダンスが苦手。だが覚えるのは意外に早い。

■愛車はシトロエン・DSである。

■クールなイメージだが意外によくしゃべる。

■髪型をよく気にする。湿気などの具合や風向きが分かるらしい。

■デビュー当時から他のメンバーに比べてほとんど髪型が変わっていない。だが本人は変わっていると言っている。

■モーニング娘の新垣里沙に似ていると言われるらしい(2003年の年末のスマスマにて)。新垣が「ガキさん」と言われる前までは、彼が、ナインティナインの矢部浩之に「ガキさん」と呼ばれていた。

■石原良純・椎名林檎・平井堅などのものまねをたまにする。SMAP×SMAPでは彼が即興(風?)でものまねをするコントが増えている。

■フジテレビ系列の春及び秋の新ドラマ対抗で優勝を争う「笑っていいとも!春・秋の祭典スペシャル」の名物コーナー・いいともアーチェリーでは、2005秋・2006春の史上初の連覇を達成。2006春は前回王者という事もあってか大トリを担当した。

■中学の同級生に4コマ漫画家のみずしな孝之がいた。いまも交流がある。

■高校の同級生に夏川りみ、佐藤アツヒロ、赤坂晃、桜井幸子がいた。

■クラゲに刺されたことがある。

■普通自動車運転免許はオートマチック限定である。

■東京ヤクルトスワローズのファンであり、日テレでの野球中継にSMAP全員で出演した時、野球に疎い香取がヤクルトのマスコットを「スズメ」と言った後に激怒したほどである。

■機動戦士ガンダムの熱狂的ファンであり、宇宙世紀の歴史に大変詳しい。しかし一番好きなのは機動戦士Ζガンダム。Zガンダムの映画三部作ならば月イチゴローで問答無用で1位にしたがるくらい好きである。いつかどういう形でもいいからガンダムに関わりたいらしい。

■装甲騎兵ボトムズに対しても熱い思いを語っており、芸能人でファンを公言する数少ない人物として、一般のボトムズファンにも知られている。実写化の際には主人公のキリコ役を是非演じたいと発言している(作品ファンからは、より容姿が近いライバルのイプシロンが適役との声も強い)。

■声が甘いエンジェルボイス(木村拓哉命名)。

■合宿所時代、城島茂と同じ部屋だった。ちなみに二段ベットの上と下。

■視力が悪い。メガネを多数持っている。

■爪を噛む癖がある。

■メールについては「博士」。(Goro's Barで言われる。)

■料理が好き。その腕はSMAP×SMAPで披露している通りだが、番組だけでなく家でも凝った料理を作る。

■シンクロワールドカップ2006公式サポーター「マーメイドプリンス」である。シンクロソムリエ等自身で考えた候補の中からスタッフと話し合うも自分で決断、命名。本人がライブMCで公表。話すほど客がひき、木村に指摘された。

■2006年9月9日、SMAP15周年の国立競技場ライブでは、10周年時は活動を休止していたため、10周年に参加できなかったため感慨深い、嬉しい、とコメント。

■SmaSTATION-5の「月イチゴロー・イナガキベスト5」のコーナーでは、映画に対して非常に含蓄のある鋭いコメントをしており、SMAPでの活動とは違う面が伺える。

■映画鑑賞も趣味としており、映画批評関連の仕事もあることから月に何本も映画を見ている。基本的にホラー映画は好まず(怖いから)自主的に見ることはあまりなかったようだが、月イチゴローで香取慎吾がホラー映画をよく選ぶため最近は慣れて怖くなくなったらしい。クリント・イーストウッドが好きで、幼いころは1人でダーティー・ハリーごっこなるものをしていた。

■子供のころから読書をよく嗜んでいた。

■中学時代はテニス部に入っていたが、坊主にするのが嫌で1週間でやめた。


【逮捕事件】
2001年8月24日、東京都渋谷区内で、車を30分ほど停めてたが、警察の駐車違反の取り締まりにあった。運転免許の提示を求められても車に籠城して婦人警官がいるにも関わらず車を動かし、婦人警官に全治5日間のケガを負わせたため、道路交通法違反と公務執行妨害容疑、傷害罪で逮捕された。

翌8月25日は名古屋でSMAPの10周年のコンサートがあったが、稲垣を除いた4人で行った。ツアーグッズ売場からは稲垣関連商品は除かれた。ステージ上ではSMAPの4人が稲垣の不祥事と4人だけのステージになってしまったことをファンに詫びた。また、当面は4人でSMAPのコンサートを完遂することを宣言した。稲垣が出演していた様々な番組への出演は取りやめになった。

8月26日、稲垣は処分保留のまま釈放され、記者たちを交えた謝罪会見が行われた。ここで、稲垣は無期限の謹慎になることが発表された。

この事件を受けて、SMAPの冠番組「SMAP×SMAP」は稲垣が出演予定であった放送を中止し、4回分を稲垣が出演していない過去のスペシャル企画を放送した。「SMAP×SMAP」が稲垣抜きで再開したのは10月8日からであった。9月21日、容疑に起訴猶予処分が下った。

2002年1月9日、稲垣は「SMAP×SMAP」のビストロスマップの収録(放送は1月21日)で芸能活動を再開する。翌週の1月14日、「SMAP×SMAP」で「稲垣がいなかった4カ月」をテーマに稲垣抜きの4人で踏ん張ったSMAPを回想した後で稲垣が視聴者やファンに向けて生で謝罪する場面を設けて、本格的に復帰した。

この事件報道の際、通常は「稲垣容疑者」とされるところであるが、テレビ局では、ジャニーズ事務所への配慮から「稲垣メンバー」なる不自然な呼称が用いられた(報道におけるタブー、推定無罪を参照。新聞などでは「稲垣容疑者」と記された)。2ちゃんねるでは利用者がこの「稲垣メンバー」という呼称を朝日新聞社主催「ワード・オブ・ザ・イヤー2001」にランクインさせようという動きが起こり、結果3位にランクインされた。呼称としては風化しているが、ネット上では蔑称として現在も使用されている。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070927-00000006-sanspo-ent

[PR]

敏間肌だけど美白したい!そんな悩みをお持ちのアナタ、諦めないでください!優しいだけじゃなく、美白効果もキチンと実感できる!ぜひミラクルホワイトお試しキャンペーンであなたの望みを叶えてください♪

石塚英彦 エピソード&プロフィール

石塚 英彦(いしづか ひでひこ、1962年(昭和37年)2月6日 - )は、日本のお笑いタレント。所属事務所はワタナベエンターテインメント。お笑いコンビ「ホンジャマカ」のボケ担当。愛称は「石ちゃん」。神奈川県横浜市保土ケ谷区出身。血液型O型。横浜市立岩井原中学校、横浜市立桜丘高等学校卒業。2年間の休学期間を経て、関東学院大学経済学部卒業。


【経歴】
高校時代に自主制作映画で才能を開花させ、20歳のときに劇団ひまわりに入団し、基礎からレッスンに専念する(現在でも俳優業などでは、当時の役者志向の片鱗を見せることがある)。

大学卒業後は渡辺プロダクションに所属し、お笑い集団「ホンジャマカ」のメンバーとしてデビュー。当時は痩せた二枚目タイプで、立花理佐のバックダンサーをしていたこともある。しかし当初男女混合の10人組グループだったホンジャマカだったが、次々とメンバーが脱退し、最終的に相方恵俊彰とのコンビとなり、その後人気を爆発させる。

現在でもホンジャマカとしての単独ライブなどで活躍しているが、近年ではソロ活動も目立つようになり、個性を発揮する。特に見た目を活かしてグルメ番組にピンで出演することが多い。ただ食べるのではなく、「駄洒落」を言いながら食べることが視聴者に受け、更にテレビ東京で放送していた深夜番組『debuya(現:元祖!でぶや)』での「まいうー」(「美味い」の業界用語)という言葉を世に広めるなど、「駄洒落とデブ」のポストを確保している。

ビデオリサーチが春と秋の年2回に行う「テレビタレントイメージ・男性部門」の2007年秋の調査でイチロー、明石家さんまを抑えて初の好感度1位に選ばれた。


【人物】
■その好人物そうな顔つきとキャラクターで、近年はビデオリサーチによる「テレビタレントイメージ」調査の上位に定着。2007年8月期調査では男性タレント部門の1位となった。[1]

■周囲の証言では実際に普段から好人物であるらしいが、車の運転中は性格が一変してしまい、歩くのが遅い老人に対して「バカ野郎!!」と怒鳴ることがあると暴露された。また相方の恵によると、ロケで車移動をする際も、自分が乗るロケバスの前を走る車が遅いと、放送禁止用語を連発するらしく、運転に限らず車に乗車するだけで性格が変わるようである。

■尊敬している人はウガンダ・トラであると称している。彼の「カレーは食べ物ではなく飲み物」という発言を受けてのこと。

■柏原芳恵の大ファン。2005年7月の元祖!でぶやの奄美大島編において、収録途中に周囲から柏原芳恵がゲストだと聞かされ「冗談だろ。こんな所に来たんじゃ仕事が釣り合わないだろ。どうせまた斎藤こず恵さんが・・」と言った瞬間に「石ちゃん」の掛け声と共に本人が現れ、何とも言えない素の石塚が垣間見えた。

■野球好きで、地元横浜ベイスターズのファンであることが、2005年8月5日放送の元祖!でぶやにて石塚本人の口から語られた。その日のでぶやで、ついに念願叶って、横浜スタジアムの始球式を、石塚が担当した。

■テレビ出演時は、真冬でもタンクトップとオーバーオール(柄はホルスタイン柄や迷彩柄など様々)を着るのが基本。たまにタンクトップ無しのオーバーオールのみ(上半身は裸)の場合がある。

■一年の内約半分は番組のロケで日本全国を食べ歩いており、仕事柄ありとあらゆるものをこれまで食べてきて嫌いなものはまず無いらしいが、唯一駄目な食べ物は長ねぎだと言う。ラーメンや蕎麦といった麺類の薬味として、少量の刻んだネギがのっているだけでもテンションが下がる。ただ、自由が丘にある漢江という焼肉屋のネギタン塩にのっかっているネギだけは食べられる。(TX「石塚英彦&パパイヤ 大東京!秘密の裏メニュー食べまくり大作戦」で放送)

■そのため料理にネギが使われている場合、平静を装い誰にも分からないようカメラの死角にネギを隠し、料理を食べるというテクニックを独自に習得している。だが2007年3月20日放送の、でぶや二時間スペシャルの伊勢編にて、伊勢うどんを食べるシーンで、薬味の青ネギをパパイヤ鈴木に取って貰っている場面が、偶然にも画面に映り込んでしまった。


【エピソード】
■体格の変化については、今の夫人とデートしていた際に、作ってくれた弁当を多いと思いながらも全部食べているうちに弁当の量がどんどん増えていき、結果太り始めたというのが石塚の弁。なお相棒の恵が痩せてからは「彼の分まで食べたので太った」というネタを披露することもある。

■関東学院在学中にラグビー部春口監督に入部を勧誘された事があるらしい。

■仕草にいくつか癖がある

■駄洒落を言った後に、笑いながら人差し指を前に出す。

■おちょぼ口にして少しずつ食べ物をほおばっていったり、舌を出し、舌の上に乗せてから口の中に運ぶ食べ方をする。

■手のひらが地面に平行になるように手首をそらして歩いていることが多い。

■テレビ番組で食べ物を食べる時に、よく『まいうー』を使うが、本当においしかった時は普通に『うまっ』と言ってから『まいうー』を使っている。すぐに「まいう〜」と言う時はあまり美味しいときではないらしい。なお大食いキャラとはいえ、流石に全部は食べきれずに料理を残すこともあるらしく、その処理をスタッフがしている事が明らかになっている。

■お笑いウルトラクイズの人間性クイズで、ホモ役のポール牧に迫られるという設定のどっきりにはまり、覚悟を決めて布団にもぐりこんだこともある。

■伊集院光・松村邦洋と共に「デブタレ御三家」、さらに内山信二、またはパパイヤ鈴木を加えると「デブタレ四天王」と呼ばれている。年齢順では石塚が最年長だが、体重順からいくと伊集院光の次に重い、125kgである(松村邦洋も以前は体重が最高140kgあったが、2006年初頭から大幅な減量を行っており、現在は石塚よりも体重は軽く90kg台になっている)。テレビでこの4人が揃って共演することはめったにない。伊集院、松村とは2001年12月29日放送・日本テレビの『マジカル頭脳パワー!! 復活スペシャル』(『スーパースペシャル'2001 マジカル頭脳パワー!! 21世紀芸能界No.1頭脳決定戦スペシャル』)やキリンビールのCMで共演していた。又、内山とは『元祖!でぶや』で共演中である(内山は現在レギュラーでない)。

■デブタレ界で伊集院は『反町隆史』(内山談)、石塚は『横綱』、松村邦洋は『KING』、ウガンダ・トラは『会長』、高木ブーはデブタレの間でも別格で『神様』という序列がある。

■元祖でぶやでは共演のパパイヤ鈴木から「お父さん」と呼ばれている。

■以前元祖でぶやの横浜編で、番組出演した地元のタカナシ乳業の担当者が石塚の高校の同級生で、石塚が「君はタカナシに入っていたの?俺ホンジャマカに就職しちゃった。」と言い爆笑を誘っていた。

■創造性IQが高く、フジテレビの「IQサプリ」で好成績を残している。ただ問題に納得がいかないとモヤッとボールの入った箱ごと投げる事も(通称「箱投げ」)。さらに石塚の娘が石塚に内緒で問題を考えたサプリ文字を今田耕司が答えてしまい、不機嫌そう(番組内では顔に怒りマークが付いていた)にモヤッとボールを投げていた。

■生放送中、自分の股間に虫刺され薬を塗り、悶絶したことがある。

■ある肉の名産地にロケに行き、肉を店頭で焼いていた店員に「肉は好きですか」と質問された石塚は「肉が嫌いでこんな体格をしている訳がないじゃないですか。」という周囲や視聴者を納得させる答えで即答。爆笑を誘っていた。

■よく母校である関東学院大学をネタにする事がある。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070927-00000066-sph-ent

[PR]

「豆乳クッキーダイエット」祝1500万食突破!2006年、楽天年間ランキング総合第1位受賞商品です!!12秒に1箱売れてます☆
たったの146キロカロリーなのに、栄養も満足感も◎!!

今井絵理子 エピソード&プロフィール

今井 絵理子(いまい えりこ、1983年9月22日 - )は、日本の歌手・女優である。沖縄県那覇市出身。八雲学園高等学校卒業。沖縄アクターズスクール出身。血液型O型。

結婚、出産を経てelly名義で音楽活動を再開。


【人物】
■1996年 SPEEDのメンバーとしてデビュー。

■1998年 SPEEDのシングルのカップリング曲でEriko with Crunch(エリコ・ウィズ・クランチ)として初ソロ曲を出す。

■1999年4月-6月 TBS系テレビドラマ「L×I×V×E」でドラマ初主演(新垣仁絵と共演)。

■2000年 SPEED解散後、ソロ歌手としての活動を開始。2000年発売のマキシシングル盤「in the Name of Love」より歌手活動名義も今井絵理子で統一。

■2004年5月 人気ロックバンド175R(イナゴライダー)のヴォーカル・SHOGOとの結婚を発表(当時妊娠5ヶ月)。出産と育児のため一時休業。2004年10月18日、第1子(男児)を出産した。

■2005年6月 elly名義で音楽活動を再開。

■2006年2月 ミドリカワ書房とのデュエットCDを発売。

■2007年7月 2歳の長男とともに夫SHOGOと別居していることがわかった。

■2007年9月24日 自身の公式ウェブサイト上で正式に離婚を発表した。


【交友関係】
女性芸能人では、宇多田ヒカルや中島美嘉、安達祐実など。男性芸能人では、自身のLIVEでChorusを務めるteam-Fなどがいる。女子プロレスラーの伊藤薫選手とも7年近い付き合いになる。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070924-00000902-san-ent

[PR]

「豆乳クッキーダイエット」祝1500万食突破!2006年、楽天年間ランキング総合第1位受賞商品です!!12秒に1箱売れてます☆
たったの146キロカロリーなのに、栄養も満足感も◎!!

イ・ビョンホン エピソード&プロフィール

イ・ビョンホン(李炳憲, イ・ビョンホン, 1970年7月12日 - )は、韓国の俳優である。漢陽大學校仏語仏文学科卒。中央大学新聞放送学科大学院卒。身長は177pで、体重は72s。仏教徒。渾名はビョンホンシ、ビョンビョンなどがある。


【経歴】
1992年にドラマ『アスファルト、我が故郷』で俳優としてデビュー。以降演技派として、人気・実力を兼ね備えた俳優として着実にキャリアを重ね、1990年代は主にドラマで活躍。2000年の映画『共同警備区域JSA』では韓国軍兵士を演じ、印象的な演技が注目を集め、第1回釜山映画評論家協会賞・主演男優賞を受賞。2005年主演した「甘い人生」で映画評論家協会賞をはじめ3つの主演男優賞を受賞。確かな演技力に加え、どんなジャンル・キャラクターも演じられることから、「千の顔を持つ俳優」と称され、国内だけではなく海外からの出演オファーが来ている。

ハリウッドの大手エージェンシーの一つエンデヴァー・タレント・エージェンシーと契約。韓国人俳優でアメリカのエージェンシーと契約したのはウィリアム・モリス・エージェンシーと契約したキム・ユンジンに次ぎ2人目、男優では初めてとなる。


【日本では】
チェ・ジウと共演したテレビドラマ「美しき日々」で、主に中高年の女性たちから支持されて人気を獲得した。また、NHKが同ドラマを放送した縁もあり、2004年の紅白歌合戦にゲストとして出演し、スピーチを行った。 独特のユニークな顔立ちと、役作りに対する徹底的な拘りから「韓流四天王」と称され、韓流を象徴する芸能人の1人として、頻繁にメディアに取り上げられている。


【その他】
■2000年「公益勤務要員」として6ヶ月間軍役。

■会った人誰もをファンにする「キラースマイル」と呼ばれる笑顔で有名。

■実妹は、韓国でモデル・タレントとして活動しているイ・ウニ(イ・ウンヒ, ???)。(1996年度ミスコリア真(グランプリ)受賞。)

■北野武のファンで、パジャマをプレゼントされたことがある。

■10年以上ユニセフの活動に参加、2003年からユニセフカード広報大使を務め、2005年12月にユニセフ特別代表にも任命され、活動している。

■2006年、韓国映画産業を保護する「スクリーンクォータ制廃止」反対のデモに参加した。

■2006年5月3日 、「Lee Byung Hun in Tokyo Dome」開催。東京ドームにて日本では初めてのファンミーティングを行った。4万2千人のファンが集まった。

■2006年10月、フランスまたは世界の芸術と文化に著しく貢献したとして、フランス政府から文化芸術勲章を授与された。

■2006年12月、カプコンのゲームソフト「ロスト プラネット エクストリーム コンディション 」に主役として出演(発売わずか1ヶ月で100万本を出荷)。

■映画「甘い人生」での演技が高く評価され、韓国の映画賞で、映画評論家協会賞など、最優秀主演男優賞3冠。

■日本のジュエリーメーカーサマンサ・タバサと契約し、ビョンホン自身がデザインしたジュエリーを販売している。

■2007年7月12日、日本武道館にて写真集発売記念イベントを行った際、武道館アリーナに掲げられた日本国旗を白旗に改変した写真をイの所属事務所が著作権表記をした上で通信社に提供し、議論を呼んだ。7月17日になり、「手違い」により日本国旗に修正を加えたことを事務所側が認め、謝罪した。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070921-00000059-mai-soci

[PR]

敏間肌だけど美白したい!そんな悩みをお持ちのアナタ、諦めないでください!優しいだけじゃなく、美白効果もキチンと実感できる!ぜひミラクルホワイトお試しキャンペーンであなたの望みを叶えてください♪

井上陽水 エピソード&プロフィール

井上 陽水(いのうえ ようすい、1948年8月30日 - )は、日本のシンガーソングライター。血液型AB型。身長178cm。


【人物】
福岡県嘉穂郡幸袋町(現・飯塚市幸袋地区)出身。本名は井上陽水と書いて「いのうえ あきみ」と読む。1970年代には吉田拓郎、かぐや姫と並んでフォークソングあるいはニューミュージックの中心人物だった。その後も1984年のアルバム『9.5カラット』が売り上げ100万枚、1999年のベストアルバム『GOLDEN BEST』は売り上げ200万枚を達成するなど、長いキャリアを通して高い人気を維持している。

フランスのミッシェル・ポルナレフに強い影響を受けており、ミッシェルを真似てモジャモジャの長いカーリーへアーをし、決してサングラスを取らないというスタイルを70年代は通していた。また、特徴の強い歌詞と歌い方でも知られている。1976年ごろまで、歌詞は繊細で切実な感情を素直に表現したものが多く、高く細い声を絞り出すようにして歌っていた。時代を下るにつれて、歌詞は言葉の響きを重視した一見ナンセンスなものになり、ねっとりとした独特の発音で甘く歌うようになった。

デビュー前からビートルズの熱狂的なファンである。コンサートやテレビ番組の中でしばしばビートルズの作品を歌うほか、ビートルズの影響は数多く指摘される。

2人目の妻である石川セリとの間に一男二女がおり、次女は作詞家として活動し、歌手デビューが決定した依布サラサである。


【経歴】
《デビュー前》
陽水の父、井上若水は福岡県の歯科医であり、元は軍医でもあった。1948年に福岡県嘉穂郡幸袋町目尾(現飯塚市)で生まれた陽水は若水の長男にして唯一の男子であり(ほかに姉1人、妹1人がいる)、家業を継いで歯科医になることを期待されていた。なお、五木寛之などにより、陽水と幸徳秋水に血縁があるとの説が唱えられたことがあるが、真相は不明である。

1953年、福岡県田川郡糸田町に引っ越す。以来、デビュー時の上京まで約15年間を糸田町で過ごす。糸田小学校、糸田中学校、西田川高校と進学する。 糸田小学校時代に陽水の大好きだった大きな瞳の月森先生の為に町内会の「のど自慢大会」で合格の鐘を鳴らした事がある。同時に宿題を忘れたことを帳消しにしてもらっている。また、糸田中学時代にラジオのFM放送を聞こうとして アンテナを設置する際、自宅の屋根から隣の友達宅の庭先に転落した事もある。しかし無傷だったらしい。 西田川高校時代に所属していた「弓道部」では男性用の弓ではなく女性用を使っていたとのこと。 その弓で昇段試験に挑んだが、会場が小高い丘の上にある田川体育館だった為、強風にあおられて 矢がひどく揺れ、悲しい結果となってしまった。1963年、ラジオで知ったビートルズに熱中する。1966年前後に、はじめて歌を作る。この歌は当時付き合っていた女の子を歌ったもので、ごく短く、題名もついていないが、デビュー後にはコンサートでときおり歌われることになる。1967年、九州歯科大学を受験するも失敗し、予備校に通い始める。この年は小倉育英館に通ったが、翌年には九州英数学舘に変える。浪人時代も音楽に熱中していた。このころ「帰ってきたヨッパライ」(ザ・フォーク・クルセダーズ)を聞いて、「これなら自分にもできる」と思ったのが、のちに歌手を目指すきっかけになったという。1968年、再度の受験にも失敗する。1969年、3度目の受験に失敗し、大学進学を諦めて歌手を志す。受験に失敗した原因について、のちに「天才的頭脳がない」「裏口入学させられるほど金持ちの親がいない」(『断絶』の歌詞カード)「ビートルズ」「女性」「受験慣れ」(『もどり道』のインナースリーブ)などとコメントしている。


《アンドレ・カンドレ時代》
1969年6月に生活の本拠を東京に移すが、しばらくは転々と居所を変えていたらしい。

同年、RKB毎日放送のラジオ番組「スマッシュ!!11」が放送開始される。この番組には視聴者が作った音楽を流すコーナーがあり、それを知った陽水は「カンドレ・マンドレ」を自宅録音し、4月16日、テープをRKB毎日に持ち込む。このとき陽水は「マンドレ」という芸名を考えていたが、「スマッシュ!!11」のディレクターの野見山実が難色を示し、芸名は「アンドレ・カンドレ」に決まる。「カンドレ・マンドレ」は「スマッシュ!!11」で放送され、数多くのリクエストを受ける。ただしリクエストのかなり多くは、陽水が友人にはがきを配って頼んだためのものだったという。

この(仕組まれた)反響から、「カンドレ・マンドレ」は東京で改めてレコーディングされ、同年9月1日、CBSソニー(現・ソニー・ミュージックエンタテインメント)からアンドレ・カンドレのデビューシングルとして発売される。演奏は六文銭、編曲は小室等が担当した。陽水は「カンドレ・マンドレ」のヒットを確信していたが、実際にはほとんど注目されず、続く「ビューティフル・ワンダフル・バーズ」も、松山猛と加藤和彦から楽曲提供を受けた「花にさえ、鳥にさえ」(1970年)も不振に終わる。

シングル3枚でアンドレ・カンドレの活動は終わることになるが、これらの作品では、以後にない、無理をしない甘い歌唱が聞ける。またジャケットの写真にはいずれもサングラスをかけ、髪はなでつけて写っている。

この時期に知り合った小室等、安田裕美(六文銭のギタリスト)、星勝(モップスのギタリスト)、RCサクセションの忌野清志郎などとは以後長く深い交際になる。特に小室等からは、以後のヒットに恵まれるまでの間にさまざまな形で援助を受ける。


《ポリドール時代》
1971年、ポリドール・レコードのディレクター多賀英典に誘われて移籍し、初のアルバム『断絶』のレコーディングを始める。このとき来生たかおがフォークギターで参加している。翌1972年、芸名を井上陽水(ようすい)と改めて、シングル「人生が二度あれば」で再デビューを果たす。ここで陽水は歌唱に嗚咽を交えるなど、感傷を強調しており、『氷の世界』(後述)までの作品は同様の作風で貫かれることになる。また「人生が二度あれば」を編曲した星勝は、以後しばらく、陽水の作品の大部分を編曲することになる。5月に『断絶』がリリースされると、『断絶』に収録された「傘がない」は富澤一誠などの批評家に注目される。翌1973年3月のシングル「夢の中へ」が初のヒット作(オリコン17位、以下売り上げ順位はすべてオリコン)となり、同年7月には初のライブアルバム『もどり道』がリリースされるに至る。人気上昇の切り口となった「夢の中へ」は、自身が「みんなで歌えるように作った」とコメントしているとおり、単純で明るく、親しみやすい曲である。

同年12月のアルバム『氷の世界』が陽水をトップスターの座に押し上げることになる。『氷の世界』はリリース直後から1年半にわたってチャート1位を争い続けるなどした結果、1975年に、アルバムとしては日本初のミリオンセラーとなる。1974年のアルバム『二色の独楽』も10週連続1位を獲得する。これらのことによって、陽水は「フォークの帝王」と呼ばれるに至る(しかし本人はビートルズが大好きだったことがあり、「フォーク」と呼ばれることに釈然としていなかった)。1980年代、1990年代にも人気のピークがある(後述)が、陽水がポピュラー音楽の世界でもっとも重い位置を占めていたのはこの時期である。それはチャートの順位によってもわかるし、以後のベストアルバムに収録される頻度、カバーされる頻度がこの時期の作品で特に高いことなどにも現れている。

『氷の世界』の影響で以前の作品が注目され、「人生が二度あれば」「愛は君」「傘がない」「つめたい部屋の世界地図」「東へ西へ」「夜のバス」「夏まつり」「神無月にかこまれて」「紙飛行機」「能古島の片想い」などが人気を博する。これらの作品は四畳半フォークに通じる叙情的な色合いを持っている。また「東へ西へ」などには超現実主義的な歌詞がすでに現れている。これについて陽水は「ボブ・ディランの影響を受けた」と語っている。さらに「たいくつ」「自己嫌悪」など内省的な作品が多いこともこの時期の大きな特徴である。ただし『二色の独楽』はロサンゼルスでレコーディングされ、演奏にジャック・ニッチェやジーン・ペイジを迎えたものであり、サウンドが『氷の世界』以前のフォーキーな作風から一転してロック色を帯びている。

以後の「癖毛にサングラス」というイメージは、1974年前後から始まったものと思われる。陽水はポリドール時代には一度もテレビに出演せず(理由は諸説あり)、外見が一般の目に触れる機会はレコードのジャケット写真がもっとも多くを占めていた。シングル「人生が二度あれば」から『氷の世界』までのジャケットでは、髪型がアフロヘアー、サングラスはなしで写っている。しかし『氷の世界』のインナースリーブにある写真の一枚ではサングラスをかけており、サングラスなしの写真は1975年のシングル「御免」を最後に見られなくなる(のちに著書『綺麗ごと』のために撮られたものなど少数の例外がある)。

1974年1月17日、熊本県出身の女性と結婚する。同年のシングル「闇夜の国から」はこの結婚を意識した作品とされている。

1975年、陽水・吉田拓郎・泉谷しげる・小室等が中心となって、フォーライフ・レコードを発起する。また、後に結婚する石川セリと出会う。


《フォーライフ時代〜第二次陽水ブームまで》
1976年2月、離婚する。2年余りの短い結婚生活だった。同年にフォーライフからリリースした『招待状のないショー』は9週連続1位を獲得する。1977年、石川セリのアルバム『気まぐれ』に「ダンスはうまく踊れない」ほか2曲を提供する。「ダンスはうまく踊れない」は、陽水の部屋に遊びに来たセリの目の前で30分ほどで作られたという。同年9月10日、大麻所持容疑で逮捕される。同時に芋づる式に内藤やす子、ジョー山中、内田裕也、にしきのあきら、桑名正博ら60人余りが逮捕される芸能界大スキャンダル事件に発展。井上は9月22日に保釈され、10月11日には懲役8ヶ月、執行猶予2年の判決を受ける。この事件が大きなきっかけとなって急速に人気を失い、シングル「青い闇の警告」は100位、「ミスコンテスト」はチャートインしないというセールス不振に陥る。

1978年8月30日、石川セリと入籍する。入籍日は陽水の誕生日である。入籍からおよそ3ヵ月後の12月16日には長男の准介が産まれている。

1979年のアルバム『スニーカーダンサー』では高中正義が5曲の編曲を努め、1980年のアルバム『EVERY NIGHT』では星勝が編曲から外れるなど、この時期にはサウンドが大きな転換を遂げている。さらに1981年のアルバム『あやしい夜をまって』から編曲に加わった川島裕二は、その後BANANAなどの名前で陽水の作品に多く携わり、星勝と並んで重要な位置を占めるようになる。上述のとおりセールスは伸びなかったが、この時期の作品には後に代表作とされる「なぜか上海」「海へ来なさい」「ジェラシー」「とまどうペリカン」「カナリア」「リバーサイドホテル」などが含まれており、創作面は充実していたとも言える。この時期の歌詞には、英語を多用する、語呂合わせなど音韻を重視する、その結果として意味がわかりにくいものになる、性的な含みがある、などの特徴がある。曲は明るく、ポリドール時代から比べるとかなり複雑なものが多く、歌唱は伸びがあって力強い。

1982年、陽水のバックバンドを務めていた安全地帯がデビューし、1983年には陽水の作詞による「ワインレッドの心」をヒットさせる。さらに1984年には安全地帯に歌詞を提供した「恋の予感」、中森明菜に歌詞と曲を提供した「飾りじゃないのよ涙は」、そして自身の「いっそセレナーデ」がヒットする。12月10日付のチャートでは「飾りじゃ〜」が2位、「恋の予感」が3位、「いっそ〜」が4位と、陽水の手がけた作品が上位を占める。同月21日にはこれらのヒット曲をはじめとする提供曲を陽水が自ら歌ったアルバム『9.5カラット』がリリースされ、翌1985年にかけてヒットする。『9.5カラット』は1985年のアルバム年間売り上げ1位を獲得し、陽水にとっては『氷の世界』以来2作目のミリオンセラーとなる。このヒットにより第27回日本レコード大賞で作曲賞とアルバム賞を獲得する。1986年8月にはライブアルバム『クラムチャウダー』がリリースされ、9月には同じ題名のライブビデオも発売される。さらに8月20日から2日間、安全地帯とのジョイントで「STARDUST RENDEZ-VOUS」と題したコンサートを神宮球場で行う。このコンサートは6万人の聴衆を動員し、同年内にテレビ放映されたほか、ライブアルバム、ライブビデオにも収録される。これらのことは『氷の世界』前後の陽水ブームにたとえて、「第二次陽水ブーム」と呼ばれた。「第二次陽水ブーム」を担った『9.5カラット』の収録曲は、歌詞にも曲にも陽水独特の癖が抑制され、よりポップに作られている。


《フォーライフ時代〜『九段』まで》
1988年9月、日産自動車より新発売されたセフィーロ(初代・A31型)のCMに出演し、アドリブで「みなさん、お元気ですか」と発言する。ところがこのCMが公開されて間もなく、昭和天皇が危篤に陥ったため、陽水の台詞はカットされてしまう。つまり陽水の映像は「口パク」になっていた(昭和天皇の崩御後、元に戻される)。このことが話題を呼び、「お元気ですか」が流行語になる。それから間もない10月、フジテレビ系のドラマ『ニューヨーク恋物語』の主題歌に使われた「リバーサイドホテル」がヒットする(11位)。「リバーサイドホテル」は1982年に発表されていた作品だが、リリースから6年を隔ててのヒットとなった。

翌1990年から1991年にかけて、映画『少年時代』の主題歌として作られた「少年時代」がヒットする。リリース直後はそれほどでもなかったが、ソニー・「ハンディカム」のCMに使われてから売り上げを伸ばした。「少年時代」は夏の終わりを歌った季節感が好まれ、TVでしばしばBGMに使われるほか、音楽教科書に掲載されるなどして、陽水の作品ではもっともよく知られている。特に1980年代以降生まれの世代にとって、陽水と言えば真っ先に連想されるのが「少年時代」だろう。このことは『GOLDEN BEST (井上陽水)』(後述)の1曲目に「少年時代」が置かれていることからも読み取れる。

1993年、フジテレビ系のドラマ『素晴らしきかな人生』の主題歌に使われた「Make-up Shadow」(現在、トヨタ・ブレイドのTVCFソング)がヒットし、日本レコード大賞の金賞を受賞する。2000年代の陽水に見られるような、英語風の発音が、このころから目立ってきている。

このころからリリースのペースが落ちはじめる。1994年にアルバム『永遠のシュール』を発表してから、次のアルバム『九段』(1998年)までには3年半のブランクがある。また、この時期はコンサートも少なく、1994年末から1999年9月までのおよそ5年間は全国ツアーを一度も行っていない。

1996年、PUFFYのデビュー曲として歌詞を提供した「アジアの純真」がヒットする。「アジアの純真」の作曲は、以前から交流のあった奥田民生である(1994年には「月ひとしずく」(小泉今日子)を共作している)。同じく作詞陽水・作曲民生でPUFFYに提供した「渚にまつわるエトセトラ」もヒットする。続いて「井上陽水奥田民生」というアーティスト名でリリースしたシングル「ありがとう」、アルバム『ショッピング』はこれらのヒットを受けたものと言えよう。「ありがとう」はリリースされた1997年にサッポロビール・「黒ラベル」のCMに使われたことも手伝ってヒットする。「アジアの純真」「渚にまつわるエトセトラ」は自演の作品にない元気のよさから、以後のコンサートではしばしば歌われる。


《『GOLDEN BEST』とその後》
1999年、アンドレ・カンドレとしてのデビューから30周年になることを記念して、2枚組のベストアルバム『GOLDEN BEST』がリリースされる。『GOLDEN BEST』は自身3作目のミリオンセラーとなった後も売り上げを伸ばし続ける。このヒットを受け、『GOLDEN BEST』のリリースからちょうど1年後には「裏ベスト」として『GOLDEN BAD』が、『GOLDEN BEST』の売り上げが200万枚を突破した2003年には記念として『GOLDEN BEST SUPER』が発売されている。

2001年、「コーヒー・ルンバ」「花の首飾り」のカバーがヒットし、日本のポピュラー音楽において2003年ごろまで続くカバー・ブームの先駆けとなる。これに続いてリリースしたカバーアルバム『UNITED COVER』は80万枚を売るヒットとなり、その期間のライヴ映像はDVD『UNITED TOUR』として発売される。

『GOLDEN BEST』以後の活動は、『UNITED COVER』とセルフカバーアルバムの『Blue Selection』をリリースし、1999年から2006年まで、2004年を除いて毎年全国ツアーを行うなど、歌うことに関しては活発だが、自作の新曲は少ない。この期間で新曲を含むリリースは、シングルが6枚、アルバムは『カシス』『LOVE COMPLEX』の2枚にとどまる。陽水が作曲とリードボーカルを兼ねた作品は合計25曲である。それが『九段』以後8年間の仕事であり、デビュー以来30年で250曲ほどを作曲・リリースしたことに比べれば、この面の活動は大幅に減ったといえる。近年は、曲のリズムにあわせた詩が多くなってきており、言葉を音で捉えたような作品が増えている。宇多田ヒカルの作品が同様のカテゴリーに入る。


【逸話、関連人物など】
■NHK紅白歌合戦にはキャリアを通じて出演したことがない。1993年に紅白のオファーがきた時には「恥ずかしいから」と断っている。2005年度には、「今年は出る気がない。今後の紅白の出演を検討する。」と語った。

■陽水は「第二次陽水ブーム」を代表として、無数の楽曲をほかの歌手に提供している。経歴で挙げた例のほかには、沢田研二のアルバム『Mis cast.』の全曲を作詞作曲した例が有名である。また一青窈は自ら陽水のファンと称しており、アルバム『一青想』のうち2曲は陽水の作曲による。

■陽水の曲をカバーした歌手には、「夢の中へ」の斉藤由貴、TRICERATOPS、「氷の世界」の筋肉少女帯、「東へ西へ」の本木雅弘、「Make-up Shadow」の上原多香子、「いつのまにか少女は」の持田香織、「カナリア」に英語の歌詞を付けて歌ったジェーン・バーキンなどがいる(本職の歌手でないところでは、お笑い芸人の友近が「Tokyo」をカバーしている)。

■2004年に放送されたテレビ番組「空想ハイウェイ」には、持田香織、三上寛、加川良、高田渡(故人)、友部正人、小室等、押尾コータロー、ジェイク・シマブクロ、山下洋輔、高田漣、菊地成孔に加え、陽水へのトリビュートアルバム『YOSUI TRIBUTE』に参加したトライセラトップス、布袋寅泰、平原綾香、小野リサ、UA、一青窈、奥田民生、忌野清志郎、DOUBLEが出演した。この顔ぶれは陽水の影響力を示すものと言える。ただしこの中の何人かとは初対面だったと思われる。

■陽水は文壇との交際が広い。1976年に『青空ふたり旅』として出版された五木寛之との対談をきっかけに、デビュー前から愛読者だったという色川武大(故人)、吉行淳之介(故人)、黒鉄ヒロシなどと親しくなったのがその始まりである。ほかにも沢木耕太郎は歌詞集『ラインダンス』に、村上龍は『綺麗ごと』に寄稿し、町田康は「新しい恋」を作詞している。活動分野は違ってくるが、三谷幸喜は「You are the top」を作詞しており、またタモリとは同郷でもあって親しい。昨今はリリー・フランキーを週末毎に呑み友達(後輩)として連れまわしているという。

■「ワカンナイ」は宮沢賢治の「雨ニモマケズ」のパロディであり、明らかに賢治を揶揄した内容であるが、賢治の地元・岩手県花巻市でのコンサートでも平気で歌う。

■小室等、吉田拓郎、井上陽水、泉谷しげるによるオムニバスアルバム『クリスマス』収録中「今日のわざ」録音時、4人でマイクを囲んで歌ったが、陽水の声だけ突出して大きく入ってしまうので、陽水だけがまず一歩下がり、それでも変わらず、少しずつ下がり、最後は壁に向かって背を向けて歌ってようやく他の三人とバランスがとれた。

■奥田民生に「僕のようになるにはまだまだ働かなきゃ」といいながら、レコーディング中の彼に電話で「休んでる?休まなきゃダメだよ」と言い、唖然とさせたことがある。にっこり笑った顔文字だけのメールが突然送られてくる事もあるという。

■奥田民生との交流の中で、陽水の息子がファンということで奥田(ユニコーン)の楽曲を聴いたところ、そのうちの1曲「雪が降る町」に感動し、この曲の歌詞を手書きし歌詞のみを「奥田民生様へ」と手紙で送った。受け取った奥田は大先輩である井上陽水から自分の作詞した歌詞のみが送られた事に驚き「陽水さんはボクに何を求めて・・」と困惑した。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070907-00000080-bark-musi

[PR}

PCソフト、PCゲーム、写真集、動画から音楽まで無料お試し版や有料ダウンロードが楽しめる総合ショップ。おすすめ商品からランキングまで何でも揃う人気・実力ナンバー1の本格的な総合ダウンロードショップ!

IKKO エピソード&プロフィール

IKKO(いっこー、1962年1月20日 - )は日本のメイクアップアーティスト・ヘアメイクアップアーティスト。豊田一幸(とよだ いっこう)名義でも活動している(本名は「とよだかずゆき」と読む)。福岡県田川郡方城町(現在の福智町)出身。


【人物】
美容師を経て、1992年に「アトリエIKKO」を設立、主宰。女性誌の表紙・ファッションページや、テレビ・CM・舞台などで、数多くのファッションモデル・女優・女性タレントのヘアメイクを手がける。

最近ではバラエティに出演したり、トークショー等で自らの体験談を披露することも多い。裏方(ヘアメイク)ではなく、自分が表舞台に出るときのメイクはもちろん自分で行うが、それだけでなく衣装のスタイリングも自身が手がけ、最近はほとんどグッチ(GUCCI)で揃えているという。

年に1回ディナーショーを開催しており、メイクのデモンストレーションとトークショーに加え、最近では歌(山本リンダの名曲「どうにもとまらない」をスローにアレンジしたもの)を披露している。

メイクアップアーティストとしての腕は確かであり、司会者の逸見政孝の専属ヘアメイクとして全幅の信頼を受けていた。また、逸見が亡くなった際の死化粧も行った(2006年6月11日放送日本テレビ系『いつみても波瀾万丈』より)。
『とんねるずのみなさんのおかげでした』(フジテレビ)の「MONEY WARS ギャラ High&Low」に出演した際、席を移動するたびに石橋貴明から「背中広っ!」と言われていた。

2006年7月、初エッセイ『超オンナ磨き〜美のカリスマIKKOの幸せを呼ぶゴールデンルール』を出版。「コンプレックスこそオンナ磨きの原点」として、自分の体験から得た誰でもすぐできる実践的なノウハウを伝授。新・美のカリスマとして評判を呼び、テレビや雑誌でブレイクしている。

口癖は「どんだけ〜」である。流行語となっており、若者の間でも使われることがある。 また、「どんだけ〜」ブームを巻き起こしたのはIKKOと言われているが、芸能人で最初に使い始めたのはFUJIWARAの藤本敏史で、藤本がバラエティ番組の仕事で行ったオカマバーでその店の店員の一人が使っていた口癖にまず藤本が食いつき面白がって使っていたのをIKKOも使い始めたものである事をナインティナインの岡村隆史がナインティナインのオールナイトニッポンで語っている。(どんだけ〜の項に詳しく記載)

一時期島田紳助と共演した際、「玉 IKKO」といじられていたが、のちに使われなくなった。


【ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!での発言】
■美しいと思う国はモルジブ

■自分を女としては120点であると思っている

■生まれ変わってもIKKOでありたい

■初恋相手は『いずみ せいじろう君』

■大切なものは家族。

■「やっぱり」のつけかたがおかしい

■去年のクリスマスにどこにいたか覚えていない

■一番押すスイッチはセコムのスイッチ

■裸とすっぴんでは裸の方が恥ずかしい

■ヌード写真集はお金じゃなくて、最高の環境が整えば『絶対にやる』

■下着泥棒にあったら「どんだけ〜」ではなく「ふざけるなっ!!」と言う。

■ガキの使いやあらへんでのレギュラーメンバーの中で一番不潔だと思っているのは田中。

■何事も3回目が肝心らしい。(キスを許すのは3回目のデート。)

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070826-00000024-nks-ent

[PR]

「豆乳クッキーダイエット」祝1500万食突破!2006年、楽天年間ランキング総合第1位受賞商品です!!12秒に1箱売れてます☆
たったの146キロカロリーなのに、栄養も満足感も◎!!

飯田圭織 エピソード&プロフィール

飯田 圭織(いいだ かおり、1981年8月8日 - )は、日本の歌手、タレントである。ハロー!プロジェクトの一員で、モーニング娘。のメンバーであった。血液型はA型。北海道室蘭市生まれ。小学生の時に札幌市手稲区に移る。所属事務所はアップフロントエージェンシー。


【人物、エピソード】
■愛称-かおりん、かおたん(主に石川梨華が使用)、ジョンソン(石橋貴明命名)。他にファンの間で使われるものとしてはいいらさん(辻希美の舌足らずな発音を模している)。本人が自分を呼ぶ場合は「かおり」もしくは「かお」。

■学歴-北海道札幌稲西高等学校(北海道立)中退・東京都立代々木高等学校定時制中退。同級生にはタレント・歌手の上原多香子がいた。

■趣味-絵を描くこと。交信(下記参照)すること。

■好きな言葉-LOVE&PEACE

■身長168 cmと、歴代モーニング娘。メンバーでは最長身。ハロプロ内でも最長身であったのだが、Berryz工房の熊井友理奈が2006年に174.5 cm、℃-uteの梅田えりかが2007年に170cm、と飯田を追い抜くメンバーが現れたため、歴代第3位となっている。「スタイルが良く、美形」と評する意見があり、つんく♂は著書『LOVE論』において「怒った顔がかわいい女」と評している。

■見た目の体格相応に腕力もある。モーニング娘。として『LOVE LOVEあいしてる』出演の際、楽屋レポートにやって来た篠原ともえをひょいと抱き上げてちゃぶ台に乗せたシーンは視聴者にちょっとした衝撃を与えた。

■デビュー当時から長い髪がトレードマークであったが、モーニング娘。卒業を機にショートカットにした。

■2000年まで黒髪にしていた。

■空想が好きで、そのためボーッとしてることが多々あり、メンバーおよびファンの間から“宇宙と交信している”と言われている。彼女が担当したラジオ番組にもそのキャラクターを生かした「飯田圭織・今夜も交信中!」(2001年〜2003年。ニッポン放送等NRN全国ネット)というタイトルがつけられた。

■モーニング娘。3枚目のシングル「抱いてHOLD ON ME!」(1998年9月9日発売)で担当したフレーズ「ねえ、笑って」は、歌番組「うたばん」(TBS系)で、司会の石橋貴明が、彼女の表情をデフォルメしてマネたものが視聴者を中心に広まり、ついには彼女を代表するフレーズとなった。また、石橋に「顔が怖い」と言われ、加入した当時の後藤真希に「怖そうな人」に挙げられていた。

■結成当時のモーニング娘。のリーダーに立候補するが、スタッフの判断により最年長の中澤になる。

■イラストや詩の才能があり、絵本を出版したり、個展を開いている。

■スポーツが得意で、特に足の速さに自信がある(本人いわく「縄跳びの成績は5」)。2001年3月に行われたハロプロ大運動会(ハロー!プロジェクトとしては初めてのスポーツイベント)ではMVPを受賞している。

■ただし、バレーボールについては長年プロフィールで「中学校時代バレー部に在籍していたためバレーボールが得意だ」としていたが、実は1年間球拾いをやっていただけだったため基礎もあまりできていないことが「ハロー!モーニング。」の中で2006年に行われた「ハロモニ。バレー部」企画の中で明らかになった。ガッタス及びメトロラビッツのいずれにも参加経験がないことも加味して考えると、個人競技には強いが団体競技(かつ球技)は不得意、という傾向が見られる。

■ダンスは不得意。モーニング娘。時代はほかのメンバーから笑われるなど、苦労している。「ASAYAN」では、レコーディング中のロボットダンスを放送された。プロモーションビデオでも容易に確認できる。たとえば、マンパワーのPV中に中腰体制で両手を前に出し手のひらを水平と平行になるようにして片ひざずつ上げるシーンでは、飯田だけ手のひらを水平に対して直角にして踊っている。ちなみに最前列に出てきて指先を正面から右に向ける去っていくシーンでは、一瞬だけ左に向けてから右に向けるという天然っぷりも発揮している。

■松浦亜弥の愛称「あやや」の名づけ親。元ネタは恋のダンスサイトの歌詞「アイヤイヤー」。

■演歌歌手の前田有紀をハロプロに引き込んだ(詳細は前田の項目参照)。

■ダジャレ好き。本人いわく「空から次から次へと降ってくる」。本人は面白いと言うのだが周りからは「寒い」と突っ込まれる。

■一時日本酒のCMに出演していたが、実際のところ酒には弱い。矢口真里いわく、酔っ払うと普段の性格からは想像もできないくらいに可愛くなるという。

■デビュー前には地元札幌で乾電池のCMに出演経験あり(この頃、笑っていいともにも出演している)。また、ASAYANの同時期に行われた小室ギャルソンオーディションの最終候補まで残った。なお、このオーディションの自己アピールで「小室さんの彼女にして下さい」と発言している。

■2000年から始まったシャッフルユニットで毎年参加しているのは(2004年も含めて)彼女ただ1人。

■「圭織」の表記が珍しいので間違われがち。特に多いパターンとしては「佳織」だが、「トリビアの泉」で「ラブマの法則」が紹介された際には「香織」と表記されていた。


【略歴】
■1981年
・8月8日 - モーニング娘。の同期メンバー安倍なつみと2日違い(飯田の方が早い)で北海道室蘭市の同じ産院で生まれた。同じ新生児室にいたという。

■1997年
・テレビ東京系「ASAYAN」(現在は終了)内の「シャ乱Q女性ロックボーカリストオーディション」(優勝は平家みちよ)の最終候補に選ばれるが落選。

・同じく最終候補に選ばれた中澤裕子、石黒彩、安倍なつみ、福田明日香と共に、課題曲「愛の種」を5日間で5万枚完売すればメジャーデビューできるという条件のもと、「モーニング娘。」を結成。

・11月30日 - 課題曲を完売(於:ナゴヤ球場)。なお、途中、地元・札幌での手売りの際、コンタクトレンズがずれ、途中で目が見えなくなるというハプニングがあった。

■1998年
・1月28日 -「モーニングコーヒー」でモーニング娘。としてメジャーデビューを果たす。当初の選考ではメインボーカルだったが、学校の試験でレコーディング2日目に参加できず、最終的にハモリを務めた(代わってメインになったのは安倍なつみ)。

・10月 - 石黒彩、矢口真里と共に、グループ内ユニット、タンポポを結成。

・12月31日 - モーニング娘。として第40回日本レコード大賞最優秀新人賞を獲得、NHK『紅白歌合戦』に初出場。

■2000年
・4月 - 4期メンバー辻希美の「教育係」になる。

■2001年
・1月 - 今まで黒髪ロングヘアーだったが、茶色に染髪した。

・4月15日 - 中澤裕子のモーニング娘。卒業に伴い第2代モーニング娘。リーダーに就任。

■2002年
・画文集『心のスケッチブック』を出版。また、『ライオンのマルジャン』(鎌田慧・作)で挿絵を担当。

・初のソロ写真集『飯田圭織写真集 かおりKaori圭織。』を発売。

・「タンポポ」から卒業。

・飯田の絵画展『モーニング娘。〜アート&カラー〜2002』が行われる。

■2003年
・「富久娘」、「資生堂水分ヘアーパックシャンプー」のCMに登場する。特に後者はマラソンランナーの役で自らのトレードマークであるロングヘアーを活かしてPRに努めた。

・zetimaの「地中海レーベル」より、ソロアルバム『オザヴリオ』『パラディノメ』を発表。原語で往年の名曲をカバーする。

・開局50周年を迎えた日本テレビの新ロゴ“日テレ”をデザイン、グラフィックデザイナーの仲間入りを果たす(なんだろうとセットなので、一応は宮崎駿とのコラボレーション作品)。

・飯田の絵画展『モーニング娘。〜アート&カラー〜2003』が行われる。

■2004年
・5月23日 - 石川梨華と共にモーニング娘。からの卒業を発表。
・ソロデビューシングル「エーゲ海に抱かれて」を発表。それに合わせて、握手会を実施。その後、2枚目のソロシングル「ドアの向こうでBellが鳴ってた」、3rdアルバム『アヴニール〜未来〜』を発表。

■2005年
・1月30日 - 『Hello! Project 2005 Winter オールスターズ大乱舞 〜A HAPPY NEW POWER! 飯田圭織 卒業スペシャル〜』の横浜アリーナでのライブを最後にモーニング娘。を卒業。これで、モーニング娘。の第1期メンバーは全て「卒業」となった。そして現役時代続けていたロングヘアーを切り落とし、ショートカットに。

・3月 -ファーストソロライブ『アヴニール〜未来〜』

・4月 -「ハイド・アンド・シーク/暗闇のかくれんぼ」プロモーションキャラクター(ソロ転向後初めてのテレビCM)

・同4月からFMラジオNACK5において「飯田圭織・地中海Sound Stroll」のDJを担当。

・12月21日 - 4thアルバム『プラン・ダムール 〜愛がいっぱい〜』を発表。

・12月31日 - 大晦日の『第56回紅白歌合戦』で、当時のモーニング娘。の現メンバー・旧メンバーと共に、「LOVEマシーン」を熱唱。

■2006年
・4月〜6月 - 安倍なつみのコンサートツアーにレギュラーゲストとして参加。

・8月27日 - 第34回フジサンケイクラシックプロアマトーナメントに近藤智弘プロのチームで出場。安倍なつみも応援として同行した(ちなみに安倍は当初"プレーせず"となっていたが実際は数回打たせてもらっていた)。

・単独でのディナーショー、ソロライブ定期的に行い、ハロープロジェクト内ではコンサートや舞台での活動を中心に行った。FMラジオのDJも継続中。

・デビュー以来続いていた大晦日の紅白歌合戦への歌手としての連続出場は「8」でストップした。

■2007年
・1月24日 - モーニング娘。結成10周年を記念して結成されるユニット「モーニング娘。誕生10年記念隊」に安倍なつみと共に初期メンバー選抜で参加、シングル『僕らが生きる MY ASIA』をリリース。

・2月4日 - 北九州市長選挙で、柴田高博候補を応援。つんく♂・矢口真里が同行。

・3月 - 幸田露伴原作の映画『五重塔』にて、主人公のガッツ石松の娘役として、ソロ活動後初めて映画出演する。

・7月 - つんく♂がプロデュースしたロックバンド「7HOUSE」(2002年に解散)の元ボーカル、ケンジとの結婚を発表。7月6日現在妊娠3ヶ月のできちゃった結婚。発表の翌日7月7日に入籍。


【愛称の由来】
『ジョンソン』
■歌番組『うたばん』(TBS系)にて司会の石橋貴明がデタラメにつけた呼び名に由来する。

■1999年2月16日放送で、当時のグループのリーダー、中澤裕子から「メンバーの名前を覚えていない」と言われ、メンバー一人一人を、「中澤だろ、(石黒彩に)広田、(安倍に)山田、(市井紗耶香に)柴田、(矢口真里に)張本、(保田圭に)高田、(福田明日香に)王、(飯田に)ジョンソン」とデタラメに列挙した。(柴田以降は1976年当時の読売ジャイアンツの上位打線を列挙している。飯田自身もジャイアンツファンだが、父親が阪神タイガースファンだったと後に発覚。なお、過去に特定のチームのファンであると公言したメンバーは他にはタイガースファンの石川梨華のみである)。なお後に加入した後藤真希はライトと名づけられた。

■それが大いに受けて、その後『うたばん』で飯田は「ジョンソン」と呼ばれるようになった。

■このあだ名は定着し、以後、飯田は「ジョンソン」の愛称で親しまれる(ファンの間では「かおりん」、同僚の間では「カオリ」「かおたん」と呼ばれる)。紺野あさ美はモー娘。に加入するまで飯田を「ジョンソン」と呼んでいた。

■2003年の第54回NHK紅白歌合戦でも、石橋と共に『うたばん』の司会をしている中居正広から、飯田はジョンソンと呼ばれた。なお、中居正広は「ジョンソン」を間違って「ジェイソン」と呼んだことがある。

■本人は当初、このあだ名を嫌がっていたが、最近では自分から「ジョンソンで〜す」「ジョンソンと呼ばれる女、飯田圭織です」などと名乗ることもある。


『かおりん』
■1998年9月10日のオールナイトニッポンで、「飯田圭織だけど、“飯田かおりん”て呼ばれたい。ホントはりんごが好きだから飯田かおりんごって言いたいんだけど、でも長いじゃん。だからぁ、かおりんと言われたい」と言った。

■「かおり」と「かお」は「かおりん」をさらに短縮した呼び方。

■飯田によれば「かおりん」の短縮形の「かおり」と普通に名前を読んだときの「かおり」は字面は同じであるがアクセントの置き方で区別する(できる)。後藤真希からは前者で呼ばれることが多い。

■飯田家の飼い犬の名前は「りんご」であるが、飯田によればこれもフルネームは「かおりんご」である。

■飯田によれば「かおりんご」という名前の商品(りんご)は実在するというが、確認はされていない。

■石川梨華(最近では中澤裕子も)からは「かおたん」と呼ばれることが多い。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070728-00000004-oric-ent

[PR]

あなたの毎日を満足なものにするために「キャッシング50」。即日振込みですぐにプランが立てられます。最大限度額も50万円とたっぷり!届きそうで届かなかったあなたの要望に近づくためのプランです。

市川海老蔵 エピソード&プロフィール

11代目市川 海老蔵(いちかわ えびぞう、1977年(一部では1972年生まれとも言われる)12月6日 - )は、日本の歌舞伎役者、俳優。本名は堀越孝俊(ほりこしたかとし)、星座は射手座、血液型はAB型。

海老様こと祖父の市川團十郎 (11代目)譲りの一声、二顔、三姿を揃えた美青年。市川宗家の御曹司として、近年その活躍ぶりは目ざましいものがある。古典の大役に挑み、初役づくしの中でいずれも周囲の期待を上まわるできばえを見せた。現代の歌舞伎を担う若手スターのひとり。また、NHK大河ドラマ『武蔵 MUSASHI』で主役をつとめるほか、現代劇にも挑戦している。本格的な肉体トレーニングを行っておりターザン (雑誌)などの表紙を飾る。


【年譜】
■1977年(1972年生まれ説あり)12月6日 東京都に生まれる。市川團十郎 (12代目)の長男。祖父は海老様こと市川團十郎 (11代目)。

■1983年5月 歌舞伎座にて『源氏物語』の春宮で初お目見得。

■1985年5月 歌舞伎座にて『外郎売』の貴甘坊で七代目市川新之助を襲名。

■1996年3月 青山学院高等部を卒業。在学中はバスケットボール部に所属していた。

■2000年 歌舞伎座にて『源氏物語』の光君を演じ、会場は連日満員、チケットは発売初日に完売するほどの人気を得る。尾上菊之助 (5代目)、尾上辰之助 (2代目)と『平成の三之助』と呼ばれ、新たな歌舞伎ブームを起こした。

■2003年2月 元歌手の女性(当時29歳)との間に、女児(当時1歳)の隠し子がいることが判明。子供を認知して養育費を支払っていることを会見で説明。

■2004年4月4日 成田山新勝寺で襲名披露、奉告の「お練り」。京成上野駅〜京成成田駅間では、「海老蔵号」が運行され、それに乗車した。また記念パスネットカードも販売された。

■2004年5月 歌舞伎座にて、『助六由縁江戸桜』の助六、『暫』の鎌倉権五郎ほかで十一代目市川海老蔵を襲名。

■2004年10月 パリのシャイヨー宮劇場にて市川新之助改め十一代目市川海老蔵襲名披露フランス公演。フランスの政財界のトップも観劇し、ルモンド紙が全面を使って「17世紀末以来の日本の伝統的演劇の中で名をとどろかせてきた一族の出身」「26歳のスター」「若くて美男で特に“必殺の視線”を持っている」と報じるなど、現地でも大きな話題を呼んだ。

■2005年12月 女優の米倉涼子との交際が破局。

■2006年9月7日 映画「出口のない海」の宣伝も兼ねてクイズ$ミリオネア出場。

■2007年3月9日 タレントの佐藤江梨子と3ヶ月の交際の末破局。


【エピソード】
隠し子が発覚した際に行った会見で、「周り(歌舞伎界以外)がどうかはわからないが、(自分の生活は)普通のことだと思っている。(相談した)父(團十郎)は、『まあがんばりなさい。君がきちんとやればそれでいいのではないか』と言っていた」というコメントをしており、現代にも続く梨園での常識を窺わせる。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070609-00000001-sanspo-ent

[PR]
阪急電鉄グループ『スタッフィ』。約10秒で一次審査の結果をメール回答

石立鉄男 エピソード&プロフィール

石立 鉄男(いしだて てつお、1942年7月31日 -2007年6月1日 )は日本の俳優。神奈川県横須賀市出身。私立三浦学苑三浦高等学校卒業。現在、アクターズプロモーション所属。本名は同じ。


【来歴・人物】
俳優座養成所第13期生、文学座座員を経て、テレビドラマ『おくさまは18歳』の主演で大ブレイクを果たす。1970年代を中心に、アフロヘアー(1970年頃になって髪を伸ばしてゆるいパーマをかけていたが、数年後にアフロヘアーになった)に独特の声・言い回しで人気を博し、『雑居時代』、『水もれ甲介』『気まぐれ天使』など主演作多数。特に日本テレビ系『パパと呼ばないで』における杉田かおるの「パパ」役などが有名。石立の最も有名であろう台詞「おいチー坊」などは、竹中直人や柳沢慎吾の物真似のネタにもなっている。

『噂の刑事トミーとマツ』、『スチュワーデス物語』など大映テレビ制作ドラマの常連俳優でもあった。人生のペーソスを感じさせる軽妙さとシリアスさを兼ね備えた幅広い演技力をもつ実力派の大物俳優であるが、副業のドッグブリーダーとしても有名であった。

女優吉村実子と結婚していたが、長い別居生活を経て離婚。離婚会見では「子供の顔が分からない」と発言した。

将棋の腕前もなかなかのもので、NHKの将棋対局などに出演したことがある。また、宮田利男を初めとするプロ棋士達と、プライベートでも交流があった。

2007年6月1日、急性動脈りゅうで熱海市にて死去した。亡くなる3週間前に『ウラネタ芸能ワイド 週刊えみぃSHOW』(ytv、関西ローカル)に「あの人は今?」コーナーに出演したのが最後の仕事だった。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070601-00000124-mai-soci

[PR]
【ライブドアクレジット】年率15.0〜18.0% 最高100万円

インリン・オブ・ジョイトイ エピソード&プロフィール

インリン・オブ・ジョイトイ(Yinling of Joytoy, 垠凌, 本名 顔 垠凌=イェン・インリン、Yan Yinling, 公称1978年2月15日生まれ。 台湾の台北出身(所属事務所は「中国人」と表記している)で、現在は主に日本において活動するタレント、グラビアアイドル、歌手、女優。歌手としてはビクターエンタテインメント所属。

「インリン」は本名の一部である。「ジャイアントロボ THE ANIMATION -地球が静止する日」に登場する銀鈴の中国語読みから付けられたとの説もあるが、俗説に過ぎない。


【プロフィール】
愛称: インリン
生年月日: 1978年2月15日
現年齢: 29歳
出身地: 台北
公称サイズ(2007年4月時点)
身長 / 体重: 163 cm / ― kg
スリーサイズ: 86 - 59 - 86 cm


【経歴】
■実家は写真館を経営していたが、10歳の時、日本に移住する。「エロテロリスト」を自称する。セミヌードであるが、写真集等での過激な衣装やM字開脚が話題となる。

■一時、吉岡美穂や榎木らんの3人で「ミイラン」(ミ=美穂、イ=インリン、ラン=榎木らん)という期間限定ユニットを組んでいた。なお吉岡とはレースクイーン:マリオレーシングギャルズでも同期だった。

■2004年頃からテレビのバラエティ番組に多数出演するようになった。ジョイトイとしては平和主義・戦う女を前面に出した作品が多いが、インリンが単独でマスメディアに出演するにあたっては「大胆なセクシーポーズも取るバラエティアイドル」的なポジションで振る舞うことがほとんど。

■ジョイトイの平和主義的信条から、フジサンケイグループのメディアでは原則として仕事をしないことを表明していた(参考:『「ミイラン」問題の概要』)。だが、2005年春ごろから規制をゆるめたらしく、フジテレビ系『ココリコミラクルタイプSP』(2005年3月30日、2006年1月1日)、『森田一義アワー 笑っていいとも!』(2005年4月26日、7月19日、12月8日、)、『空飛ぶグータン〜自分探しバラエティ〜』(関西テレビ制作。2005年5月11日)にゲスト出演している(加えて、後述する『ハッスル』はフジテレビ系列の東海テレビ(ただし、東海テレビは中日新聞グループ)が主催している。事実、『ハッスル』のPRのため、ニッポン放送の『ナインティナインのオールナイトニッポン』に「インリン様」としてゲスト出演している)。また、2005年7月23日に放送されたフジサンケイグループの文化放送『高田純次・河合美智子の東京パラダイス』にもゲスト出演している。それ以前にも『SPA!』(扶桑社)にグラビアや反フジサンケイグループについても語るインタビューが掲載されたことがあるが、この時は例外措置という断りが付記されていた。

■アニメ『アークエとガッチンポーてんこもり』では、チェルシー役で声優に挑戦している。

■2005年、国際的に活躍する中国系芸術家18人の1人に、アカデミー賞・グラミー賞受賞のタン・ドゥンらとともに選ばれ、台湾金門島にて反戦と反差別のためのパフォーマンスを行う。期間中、金門トーチカ芸術館・18の個展にインリン自身によるオブジェと記録映像作品が展示された。

■2007年、サンテレビほか関東と関西の独立UHF局で放送されるお色気番組『インリンのM時ですョ!』で初の司会を務める。


【人物】
■「ジョイトイ」とはКуратанов(クラタノフ: 写真家・作詞作曲家)とインリンが結成したユニットの名前である。つまり、インリン・オブ・ジョイトイとは「ジョイトイプロジェクトの一員であるインリン」という意味。ユニットとしては、独自の世界観を有し、写真・映像や音楽による表現活動を展開する。

■イメージDVD作品は、テレビではオンエアできないほどに過激で、パンツの中に手を入れて性器を激しく愛撫しながらのオナニーシーン等、男性には性欲の対象(オナペット)として期待通りのパフォーマンスを見せ、女性には性愛の主導が男だけではないとメッセージを与えてくれる。自ら「エロテロリスト」を称しているもののそれは逆説的なパロディであり、本人は礼儀正しく常識的で、年齢の離れたうつみ宮土理との親交もあり、うつみの主催する「生け花会」によく参加しており、常連でもある。

■着衣でのM字開脚は有名。しかし最近テレビ番組で体が硬く、実は苦労していることを告白した。

■普段よく聴く音楽は、Kiroroである(「明石家さんちゃんねる」より)。


【愛のエプロンでのエピソード】
■料理は大の苦手で、出演している「愛のエプロン」では、常に順位が下の方で最下位が多く、その割にはワーストエプロン大賞を取ったことは一回もない。

■同番組内では危険な料理を作る事が多く、いつまで経っても料理が上達しないと紹介されたこともあった。

[例]
・魚介料理で内臓を取ることを全く知らなかった為、見た目が「グロテスク」である。

・番組内で自分が作ったカニクリームコロッケを自分で食べてエチケットタイムになった(= 吐き出した)ことがある。

・和田アキ子がインリンの料理を食べて声を枯らしたこともある。

・酢豚を作った時には、審査員を全員エチケットタイム行きにしたこともあった。

・その上で何がいけなかったのかを全く理解していない。

・ただ見た目はグロテスクだが味は悪くないというものを作ったことが数回あった。

■プライベートで炊飯器の使い方を知らず、壊してしまったこともあるという。その為、エロテロリストをもじって、「食テロリスト」と呼ばれたこともある。

■しかし2006年6月28日放送の愛エプ杯争奪SPの予選で作った海鮮あんかけ炒飯では料理女王杉本彩と2点差(86点)の84点といった上エプクラスの評価を受け、司会の磯野貴理子をはじめとするメンバーを感動させた。本人曰く「お母さんが炒飯を作る姿をいつも見ていた」とのこと。しかし他のメンバーが次々と高得点を出した為、結局予選落ちとなってしまったが総合第5位にランクインするまでとなった。

■現在番組が愛のエプロン芸能界料理頂上決戦の予選となり成績が得点制となっているが、2007年3月21日放送のチャンピオンズリーグへの最後の切符を賭けた敗者復活戦では自身の最高記録である98点(特エプレベル)という高得点を叩き出したが惜しくも青田典子に1点差(99点)でチャンピオンズリーグの切符を逃す。

■2007年1月17日の放送では自宅のキッチンと冷蔵庫が番組内のVTRで初めて公開された、本人曰く「番組内で「料理が下手」だと散々言われ続けてきたので、みんなを見返してやりたいと言う気持ちで最近は料理を頑張っている。」と語っていた。また番組宛てに来たインリンのファンである小学生の女の子からの手紙が紹介され、それを聞いたインリンはとても感激したと言う。

■2007年3月21日のチャンピオンズリーグ予選敗者復活戦では、海鮮あんかけチャーハンでジャッジマンをうならせる出来も見せる。しかも、その前にカニクリームコロッケを作った安藤和津の90点。麻木久仁子の96点。海鮮あんかけチャーハンを作った夏樹陽子の91点を超える98点をたたき出した。これによりほぼチャンピオンズリーグ出場を手中に収めたかと思ったが、最後に料理を披露した青田典子の海鮮あんかけチャーハンが99点になり、まれに見る大逆転の連続に終止符が打たれ、インリンはまたも1位をとることが出来なく悔し涙を見せる。しかし、ジャッジマンたちからはよくがんばったとスタンディングオベーションを受けた。(服部幸応がもらい泣きするほど感動的だった)

■また最近では「インリンより不味いのは恥である」というのが番組で定説になっていて長瀬智也(TOKIOのメンバー)が自身の作った料理が「インリンより不味い」という評価を下されて凹みリーダーの城島茂から料理指導を受けたという逸話もある。


【立ち位置】
■所属事務所、並びにジョイトイは、フジサンケイグループ(フジテレビ、産経新聞社など)を、歴史教科書問題により軍国主義的と看做し、仕事のオファーは原則的に受けず、またその言動は以前からネット上で話題になっていたが、ブログ開設によりインリン本人もブログで同様の考え方で発言している。(インリン・オブ・ジョイトイの日記:S cawaii)政治的発言を行わなかったり、単に前総理大臣小泉純一郎(自民党)を持ち上げる発言をする人が多い日本芸能界にあって、この姿勢・立場は比較的露出の多いタレントとしては少数派であり、今までファンでなかった人が注目し始めたケースも少なくない。なお、コメントに投稿する際「支那」と書くと検閲に引っかかる。

■2006年3月18日、イラク戦争開戦3周年(2006年3月20日)を控え、東京・日比谷野外音楽堂を結集場所として行なわれたデモ「ワールド・ピース・ナウ」にメッセージを寄せ、米国大統領ブッシュの戦争政策とそれに追従する日本政府を批判している。(参考:「ワールド・ピース・ナウ」インリンさんよりいただいたメッセージ)。])。「ワールド・ピース・ナウ(WORLD PEACE NOW)」とは2003年にブッシュ政権によるイラク攻撃に反対するために結成された市民団体・労組・NGOの連合体であり、世界的にイラク反戦運動が高揚した2003年春には最大約5万人が参加した「非暴力」を掲げる反戦運動イベント。公安調査庁の発行する「内外情勢の回顧と展望(平成18年年度版)」によると「(ワールド・ピース・ナウは)過激派が関与する団体(「内外情勢の回顧と展望」によると「JRCL(旧第四インター派),政治グループ・蒼生(旧共労党)などの過激派やアナキストグループ」)や反戦市民団体などで組織(されている)」としているが、「ワールド・ピース・ナウ」の参加構成団体にかつて内ゲバ殺人や爆弾闘争を行ってきた中核派、革マル派、革労協などの左翼政治セクト系列の団体を確認することは出来ない。

■掟ポルシェと、イベント(有)申し訳ナイトで共演した際、「今から登場するオマンコはそんじょそこらのオマンコとは違う!」とインリンを紹介した掟ポルシェの言葉に対し、インリンは楽屋で「下品な表現は明らかなセクシャルハラスメントであり女性に対する侮辱である!」と激怒し、掟はインリン公式ホームページの掲示板で謝罪文を書かされた(現在は削除済み)。このエピソードは、「公式ホームページでの謝罪文」の件も含めロマンポルシェ。のライヴMCで時折聞くことが出来る。ちなみに当日のインリンのパフォーマンスは、自身のバンド「JOYTOY」を従えて「赤いビキニの紅衛兵姿[要出典](毛沢東政権末期、共産党による一党独裁主義の象徴であり、文化大革命による民衆の虐殺と弾圧の象徴である紅衛兵姿は、インリンの出身である資本主義の台湾政権を全面的に否定し、民主主義の弾圧と反対意見者の虐殺を意味する。これはあくまでパロディとする意見が多く、事実その通りと思われる。しかし同様に紅衛兵運動を扱ったジャン=リュック・ゴダールの「中国女」と比較すると、インリンの解釈はあまりに皮相的・表層的に過ぎるとの意見もある。)で反戦反差別メッセージ色の強いオリジナル曲」を歌うものであった。この件について、掟の発言は「性的な表現をする以上、事前の打ち合わせを欠いていた」事が指摘される反面、ロマンポルシェ。ファンの間では、「このイベントは政治色が皆無のJ-POPイベント(モーニング娘。に代表される様々なJ-POPが高速でメドレーされるイベント。インリンはライヴゲストであった)であるため、掟は咄嗟に場を読んでインリンを盛り上げるために発言した。もし、あの場でいきなり紅衛兵姿のインリンが出て来て(さらに紅衛兵とは主旨が正反対の)反戦ソングを歌われては会場は引いていたはず。(掟ポルシェはライヴMCで、ほぼ同趣旨の発言をしている)」と言う擁護意見が多数である。しかし「あくまでファッションにしか過ぎない紅衛兵姿の是非を理屈だてて追求するのは野暮。掟がフォローに回ったとしても、もう少し言い様があったはず。」と言うインリン擁護派も多い。インリンと掟、双方の妥当性について意見の分かれる所である。そもそも、インリンとJOYTOYの世界観を理解した上でゲストとして参加を求めたのか?主催者側の責任が大きいと思われる。なお、補足すると掟ポルシェは日本における代表的左翼パンクミュージシャンである遠藤ミチロウ(表層的ではない政治的思慮がある)と深い交流があり、今後のJ-POPの発展を考えると掟ポルシェとインリンとの和解が望まれる。

■BUBKA紙上にて「日本軍のコスプレが似合う女優」としてインリンを取り上げた辛酸なめ子に、「中国人であり、反軍国主義を標榜している私に対する侮辱である!」と猛烈に抗議。辛酸なめ子はインリン公式ホームページの[要出典]掲示板で謝罪文を書かされた(現在は削除済み)。なお、上記の「掟ポルシェとの確執」にあるインリンの紅衛兵姿を「あくまでファッション」と解釈すると、日本軍のコスプレを持ち出した辛酸にインリンが抗議する理由はなく、インリンのロジックが破綻する。このあたりに、インリンとしては何らかの理由があると推測される。本人のコメントが望まれる。

■クイック・ジャパン52号に掲載されたインリンと菊地成孔とのデート企画での後記で、菊地がインリンに向けて「アメリカは嫌いだが、プレイメイトは素晴らしいと思っている」というインリンの矛盾を興味深く感じている」と発言したところ、インリンは自身の公式ホームページの掲示板で「アメリカ的性愛表現とアメリカの政策はまったく別。私の発言内容に矛盾はなく、菊地の発言は侮辱」と猛反論。菊地がインリン掲示板で反論の書き込みを行ったため、ネットバトルの様相を呈し、菊地サイドから「webでの論争は不毛。公開論争を行わないか?」との提示があったものの、インリンは拒絶。最終的に菊地が謝罪し、論争は収束した。なお、この件以降、クイック・ジャパンではインリンに関する記事はない。

■以上のことから、インリンは、「一方的に他人を落とすことで商売するキャラクター」が嫌いであることが証明された。ただし、ミュージシャンとしてインリンを評価する発言もしていた菊池が、辛酸や掟同様の経緯で行動したかどうかは意見の分かれるところである。

■2006年6月23日、テレビ番組『太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。(NTV系)』にて小泉総理の靖国神社参拝問題に関して不支持を表明し、「東アジアは日本のこの行動に対して好ましく思っていない」と靖国参拝に対し否定的な発言を行った(この発言にそれらの問題に詳しい金美齢は「アジアで靖国神社参拝を好ましくないと思っているのは、韓国と中国だけ。」と反論した。)。


【年齢】
1978年2月15日生まれで2006年に28歳となっているが、2000年、K1ガールをしていた頃は、76年生まれになっている。なので2006年で30歳という事になる。普通この場合事務所は全否定するが「78年生まれというのはあくまで営業用のプロフィールです。このことは公式サイトでも報告していて、ファンならみんな知っています」(担当マネージャー)と語って年齢詐称を認めている。公式サイトを見るとプロフィールの欄に注意書きとして「営業年齢設定を継続使用中」と記されている。事務所側は年齢詐称はプロジェクトの一環と発言している。その為「最年長グラビアアイドル」を標榜するほしのあきよりもインリンの方が年上といった説もあるが、ほしのあきにも同様の年齢詐称説があるので、実際はどちらが年上なのか関係者しか分からない。


【格闘技活動】
格闘技『ハッスル』の地上波放送で進行役を務めたことが縁で、2004年12月の「ハッスル・ハウス クリスマススペシャル」」(12月24日 後楽園ホール)より、悪役集団「高田モンスター軍」のナンバー2であり、同時に高田アマゾネス軍(モンスター軍の女子部門)のトップであるインリン様として登場。入場テーマ曲はモーリス・ラヴェルの『ボレロ』。2006年4月20日のハッスル16(大阪府立体育会館)からはNEWインリン様、略してニューリン様として、よりパワーアップしたキャラクターで参戦中。


●インリン様
インリン様はM字ビターン(M字開脚による洗脳)のスキルはきわめて高いものの、格闘技のスキルが無いために、「体の一部」として鞭の使用が許可されている。ハッスル7(2005年2月11日 愛知県体育館)で、6人タッグマッチながら小川直也との異色の対決が実現、デビュー戦にして小川からM字固めでピンフォールを奪って勝利した。同年7月のハッスル11(7月15日 大阪府立体育会館)では川田利明ともタッグマッチで戦い、こちらはM字固めを回転エビ固めで返されピンフォールを奪われたものの、直前に投げ放った「体の一部である鞭がロープにかかっていた」として奇跡的なロープブレイク・無効試合の裁定が下っている。その後、「ハッスル・マニア2005」(11月3日 横浜アリーナ)ではレイザーラモンHGとの6人タッグマッチが組まれた。結果はレイザーラモンHGがインリン様をHG三角締めで失神させフォール勝ちし、「インリン様」は黄泉の国に旅立った。

それから暫く姿を消していたインリン様は、「ハッスル・ハウス クリスマススペシャル 涙のラストM字ビターン」(2005年12月25日 後楽園ホール)にて「この世界で使えるM字パワーが底をついた」と引退を宣言、ロープにムチを掛けると『さよならの向こう側』に乗せて山口百恵のようにリングを去っていった。なお、この大会でインリン様が最後の力を振り絞って産み落とした卵であるイン卵様から孵化した生命体が、日本のプロレス界を根こそぎ壊滅させるだろうと高田総統は断言した。

格闘家としてのインリンは「インリン様」というキャラクターを演じきり、なおかつ出場した3試合全てで大会のメインイベントを務めたかと思えば、同時にM字開脚によって「暇で(異性に)もてない」格闘技ファンを洗脳するという、WWEに於けるディーヴァの役割を担っていたと言える。(ちなみに彼女がリングサイドで他の試合を優雅な椅子に座り観戦する事を「インリン様がご覧になる試合」、略してイン覧試合という。)そのキャラクターの徹底ぶりや、屈強な格闘家を向こうに回しての大立ち回りという話題性、そして僅か一年という短い期間で電撃的な引退という印象的な活動をして、単なる色物としてではなく、れっきとした格闘家「インリン様」として高く評価する格闘技ファンも少なくない。

東京スポーツ新聞社主催「2005年度プロレス大賞」にて「プロレス話題賞」受賞。


●ニューリン様
その後、興行や会見で披露される度に鶏卵大〜1メートル超にまで成長を続けたイン卵様だが(通常、卵が産み落とされてから大きくなる事はない)、ハッスル16のメインイベントにおいて孵化、インリンはイン卵様から生まれたニューリン様としてハッスルのリングに再登場。生後5分強?にして母の敵であるHGから勝利を奪った。またこの試合は自身初のシングルマッチであり、鋭いミドルキックを放ったり器用に丸め込んだりと、より戦闘的で凶暴なキャラクターに生まれ変わったという設定を表現するためにトレーニングを積んできた様子がうかがえる。

ニューリン様は母であるインリン様と比較して粗暴なキャラクターという設定であり、より攻撃的なファイトスタイルや下品な言葉遣いが特徴。コスチュームもピンヒールから動きやすいブーツに、また卵生であるが故、鳥類の羽をモチーフにした意匠が伺える。しかし粗暴なキャラは対外アピール向きではないとの判断からか、記者会見やイベント等には母であるインリン様が登場する場合が多い。

なおニューリン様はイン卵様の中に居た頃に、外部から何らかの衝撃を受けた影響で額に傷を負っており、その傷を隠すために顔半分を覆うマスクを着用している。その傷はモンスター軍が勝利する度に癒えていくという設定である。

ハッスル18(7月9日 パシフィコ横浜 国立大ホール)のメインイベントで高田総統に反旗を翻しモンスター軍を離脱。その原因は、額の傷が高田総統によるものだと知ったためである。その後ハッスル・ハウスvol.17(7月11日 後楽園ホール)でHGの呼び掛けに応えてハッスル軍に入団、ハッスルポーズとM字開脚を披露した。

ハッスル・マニア2006では、6人タッグマッチでカイヤを撃破するも、高田総統の化身ザ・エスペランサーのレーザービターンを受け右胸が爆発、意識不明の重体のうえ乳輪を失ってしまった。


●再びインリン様
2007年2月16日に都内で行われたハッスルの記者会見において、突如インリン様が復活。この直前に高田総統がハッスルを買収したことから、インリン様は「総統がハッスルを支配する以上、私がお手伝いするのは当然」と語り、3月に行われる『ハッスル・ハウス22』(3月15日、後楽園ホール)及び『ハッスル21』(3月18日、愛知県体育館)への参戦を発表した。なおインリン様によれば、ニューリン様は現在あるところに監禁されており「心変わりするまで外には出さない」という。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070514-00000027-dal-ent



[PR]
合計5万9700円相当の無料プレゼント!
■無料プレゼント1】『裕福になるための10の方法』CD版-ダンケネディ
■無料プレゼント2】海外インターネットマーケティング情報をダイレクトに
仕入れる。“TOPGUNニュースレター”3か月分を無料でプレゼント!
■無料プレゼント3】再販売権付Eブック『100年前から伝わるダイレクトマ
ーケティングの真実』世界No.1のインターネットマーケター-ヤニクシルバー
■無料プレゼント4】音声セミナー『失敗知らずのインターネット起業法』
-インターネットマーケター宮川明(40分42秒MP3)
■無料プレゼント5】一日一分英語で学ぶマーケティング
なくならないうちに今すぐゲットしてください。
>>http://www.123marketing.jp/promo/index.php?jvcd=9909

板倉俊之 エピソード&プロフィール

板倉俊之(いたくら としゆき、1978年1月30日 - )は、お笑い芸人でインパルスのボケ担当。吉本興業所属。東京NSC4期生。兵庫県宝塚市生まれ埼玉県志木市出身。私立獨協埼玉高等学校卒。血液型B型。


【人物】
■同期の堤下敦と1998年インパルスを結成。結成前は、同期で現ロバートの秋山竜次・馬場裕之と「ゼナイル」というトリオを組んでいた。 その時はツッコミをやっていたが、ボケがやりたくなり解散、現在は念願かなってボケに転向する。ネタ作りも担当。ゼナイル時代はくりぃむしちゅーの上田に憧れていた。

■3人兄弟の次男。しかし、兄弟としては下にいくに連れてどんどん馬鹿になっている。板倉曰く「弟は完全にバカ」。

■禁煙に挑戦するも失敗。

■アンガールズの山根良顕の髪を触るのが好き。本人曰く「女の髪みたいでムラムラしてくるから」。またアンガールズよりは年下だが呼び捨てにしている(芸歴では先輩。アンガールズは2002年デビュー)。

■爆笑問題の太田光によく似ていると言われる。たいがー:りーやロシア大統領ウラジミール・プーチン、フードファイターの山本卓弥に似ているとの声もある。(うま年)

■自ら「鶏ガラ」と呼んでほしいと言っていた(番組内)

■「インパルスのブタじゃない方」と呼ばれたことに対して。ちなみに相方堤下はよくブタ扱いされ、「指がヒヅメ」「ブヒブヒ鳴く」「トリュフを探すのが得意」「ヒヅメなのにどうやってモノ持つの?」「ラードの汗が出てくる」等のネタで弄られることが多々ある。この「堤下弄り」は板倉自身もよく使う手。

■中学校の頃は頭は良かったが高校に入学してからは随分変わってしまった(女の子がいないと話にならないということで近くの学校には行かず、少し遠い所にした)卒業式は8人だった(メンバーはバカと問題児) 本人の問題っぷりに、両親が学校に呼ばれてしまったり、家庭訪問もした。しかし、ご両親は「本当に踏み外す事はない」と思っていたので心配はしていなかったそう(ラジオ内で話す)

■かなりの沖縄好きであり、長期の休みがあると毎回のように沖縄へ行く。2007年の年始にも家族で沖縄旅行をしたが、初日にノロウイルスを発症し、そのまま入院した。


【評価】
■コントには定評があり、様々なキャラクターを演じる(女装率高め)。2006年2月放送の「はねるのトびらスペシャル HANETORINO2006 お笑いフィギュア選手権」では、レイザーラモンHGにアドバイスをもらい、「ことわざの先生」というキャラクターを演じて優勝した。

■吉本興業の情報誌「マンスリーよしもと」内の吉本男前ランキングで、2年連続上位にランクされている。これについて「ヨシモト∞」の番組内で本人は「僕が入るのはおかしい、何かの陰謀じゃないかと思う」と発言。

■即席で出た言葉を変え、何気ない言葉を組み合わせ大爆笑を生む事から「言葉の魔術師」と称される。


【エピソード】
■2005年7月に「はねるのトびら」スペシャルにて、「ABUCHANS」でゲストの石橋貴明が打ったボールをエラーしてしまい、罰ゲームとして石橋に前髪を剃られ、東国原英夫或いは矢部太郎、アート・ガーファンクルのような頭になった。それではあまりに格好悪い為、やむなくメンバーによって坊主頭にされた。ようやく髪が伸びてきた10月、「とんねるずのみなさんのおかげでした」の「新・食わず嫌い王決定戦」にインパルスが出演。石橋は開始からバリカンを構えていた。対戦相手の内山理名に、板倉は実食一度目で梅干茶漬けが嫌いである事を当てられる。罰ゲームで石橋に前髪を剃られ、結局2度目の坊主頭になった。テレビ番組上の罰ゲームで1年で2回も丸坊主になったというのはよゐこの濱口優以来の快挙となる。

■「はねるのトびら」の企画「ハッピーバレンタインデー」(2006年2月8日放送、バレンタインデーに因み女装し、俳優達にチョコを受け取ってもらうという企画)で、一番最後までチョコを受け取って貰えなかった為に「お仕置き」としてプチ整形させられ、短期間だが一重になった。

■コントに度々登場するキャラクター、ヨハン・リーベルトは浦沢直樹の漫画『MONSTER』の同名のキャラクターがモデル。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070529-00000001-gen-ent

[PR]
約8割の人が効果ありと認めた消臭サプリメントとは??

岩崎ひろみ エピソード&プロフィール

岩崎ひろみ(いわさき ひろみ、1976年11月23日 - )は、千葉県八千代市出身のタレント、女優。スターダストプロモーション所属。学習院女子短期大学文科国語専攻卒業。本名は同じ。


【来歴】
歌手の岩崎宏美と全く同じ読みの名前だが、生まれた当時、岩崎宏美が人気絶頂だったことから名づけられたらしい。

劇団若草在籍中、ミュージカル「アニー」、「木村家の人々」で話題の子役となる。(※通常芸能界では名前及び読みが同じ場合は後にデビューした方が違う芸名にするのが一般的だが、歌手の岩崎宏美は当時は婚姻中の「益田宏美」を名乗っていた為そういう事にはならず、離婚して「岩崎宏美」に戻した際も変更は無かった。)1996年放送のNHK「連続テレビ小説 ふたりっ子」で、双子のヒロインの一人・香子役を務める。

その後はバラエティー番組に多く出演しているが、その中でもよみうりテレビ「ひろみっ」(関西ローカル)では永田杏奈、羽田実加との共演でメインパーソナリティーを勤め、2001年4月からは元フジテレビアナウンサーの近藤サトとともに、TBSラジオで「ラ・ラ・ラ♪日ようび」のパーソナリティをつとめた。

2007年4月15日には、劇団☆新感線の吉田メタルと結婚した。

麻雀を打つ。千葉の実家(県内ではかなり有名なラーメン屋、八千代台駅前「パンケ」を経営)には全自動麻雀卓があり、家族の影響と思われる。

一度観た芝居の台詞を、全部覚える事が出来るという特技を持っている。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070425-00000033-nks-ent

イ・ビョンホン エピソード&プロフィール

■イ・ビョンホン(李炳憲, イ・ビョンホン, 1970年7月12日 - )は、韓国の俳優である。漢陽大學校仏語仏文学科卒。中央大学新聞放送学科大学院卒。身長は177pで、体重は72s。仏教を信奉している。渾名はビョンホンシ、ビョンビョンなどがある。

■1992年にドラマ『アスファルト、我が故郷』で俳優デビュー。以降1990年代は主にドラマで活躍。2000年の映画『共同警備区域JSA』では韓国軍兵士を演じ、印象的な演技が注目を集め、第1回釜山映画評論家協会賞・主演男優賞を受賞。

■エドワード・ノートン、ダスティン・ホフマン、ケイト・ハドソン、マチュー・カソヴィッツ、桐谷和明らも所属するハリウッドの代理人Endeavor Agencyと契約。


【日本では】
チェ・ジウと共演したテレビドラマ「美しき日々」で、主に中高年の女性たちから支持されて人気を獲得した。また、NHKが同ドラマを放送した縁もあり、2004年の紅白歌合戦にゲストとして出演し、スピーチを行った. 独特な甘さのある顔立ちと、役作りに対する徹底的な拘りから「韓流四天王」と称され、韓流を象徴する芸能人の1人として、頻繁にメディアに取り上げられている。 毎回作品ごとに新たなキャラクターを作り上げ、違った演技を見せ続けるイ・ビョンホンには、彼の演技を高く評価する俳優&女優のファンが多い。また、物作りのプロである監督・演出家・作家が注目するのにもうなずける。


【エピソード】
■2000年「公益勤務要員」として6ヶ月間軍役。

■彼の笑顔は、通称「キラースマイル」と呼ばれている。

■実妹は、韓国でモデル・タレントとして活動しているイ・ウニ(イ・ウンヒ, 이은희)。(1996年度ミスコリア真(グランプリ)受賞。)

■北野武のファンで、パジャマをプレゼントされたことがある

■2006年、韓国映画産業を保護する「スクリーンクォーター制廃止」反対のデモに参加した。

■カプコンのゲーム、「ロスト プラネット エクストリーム コンディション 」に主役として出演。

■2006年5月3日 「Lee Byung Hun in Tokyo Dome」開催。東京ドームにて日本では初めてのファンミーティングを行った。4万2千人のファンが集まった。

■映画「甘い人生」での演技が高く評価され、韓国の映画賞で、映画評論家協会賞など、最優秀主演男優賞3冠達成。

■韓国では2003年からユニセフカード広報大使を務めているが、2005年12月にユニセフ特別代表にも任命され、忙しいスケジュールの中、活動している。

■2006年10月、フランスまたは世界の芸術と文化に著しく貢献したとして、フランス政府から文化芸術勲章を授与された。

(出典:Wikipedia)


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070417-00000045-wow-ent

インパルス エピソード&プロフィール

インパルスは、日本のお笑いコンビ。吉本興業東京本社所属。コンビ名の由来は、1998年のコンビ結成当時に堤下が乗っていたオートバイ(スズキ・GSX400インパルス)の名前から。

【メンバー】
■板倉俊之(いたくら としゆき、1978年1月30日 - )
兵庫県宝塚市生まれ、埼玉県志木市で育つ。B型。身長168cm、体重48kg。(プロフィール上48kgだが最近筋肉質になり、54kg(本人談)ボケ担当。
志木第2中学校卒業
中学時代はサッカー部で汗を流す
獨協埼玉高等学校卒。
2000年、フジテレビの番組「新しい波8」のオーディションでネタを酷評され、ノイローゼになるほど落ち込んだという。
2004年、「マンスリーよしもと」の「吉本男前ランキング」でガリガリの骸骨と言われていたが5位に輝いた。と、同時に「友達にしたくない芸人」2位に輝いた。
2006年、「マンスリーよしもと」の「吉本男前ランキング」でキングコング西野亮廣に次ぐ5位。
今は週に5回、ルミネの1ステと2ステの間でも行く位ボクシングにハマっている。
■堤下敦(つつみしたあつし、1977年9月9日 - )
神奈川県横浜市出身。RhマイナスのB型。身長174cm、体重80kg。ツッコミ担当。
武相高等学校→関東学院大学中退。
ハンバーグなど、こだわって料理をする。(2006年ヨシモトファンダンゴTV「ヨシモト∞」)
日本テレビ「踊る!さんま御殿!!」(※2006年10月17日放送)に於いて、モデルの土岐田麗子が堤下に対して「好きです!」と本気で告白し、さんまを含め茶の間の視聴者を驚かせた。

【略歴・概要】
■東京NSCの4期生。1998年12月にインパルスを結成。同期にはロバート・森三中・POISON GIRL BAND・コンマニセンチなど。
■NSC時代は板倉がBコースの7番、堤下がBコースの38番だった。
■舞台では漫才も披露するが、コントがメインである。ボケの板倉が演じる様々なキャラクターに堤下が鋭いツッコミを入れるスタイルで、ありふれた設定の中に非日常なキャラクターを投入して意外性を生むパターンが多い。ある種シュールな世界が高く評価され、「はねるのトびら」(フジテレビ系)のコントの土台になったネタもある。
■以前2人はビジュアル的に地味と言われていたが、2003年から「エンタの神様」(日本テレビ系)に出演したこともあってブレークする。しかし、「笑いの金メダル」(テレビ朝日系)には、一切出演していない。この背景には、「爆笑問題のバク天!」(TBS系)で太田光が「笑いの金メダル」と「エンタの神様」を「クソ番組」と評し、インパルスの2人がその意見に賛同した経緯があり、多忙という理由もあるが、エンタの神様への出演も減ってきている。
■最近は内村光良と共演機会が多く、可愛がられている模様。また、インパルス側からも「クイズ発見バラエティー イッテQ!」(日本テレビ系)にて、板倉は「内村さんと仕事すると、やりやすいんですよ」と内村が居ない所で発言していた。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070510-00000006-sanspo-ent

岩佐真悠子 エピソード&プロフィール

岩佐真悠子(いわさ まゆこ、1987年2月24日 - )は、東京都練馬区出身のグラビアアイドル、女優、タレント。プラチナムプロダクション所属。愛称はいわまゆ。


【プロフィール】
愛称: いわまゆ
生年月日: 1987年2月24日
現年齢: 20歳
出身地: 日本・東京都
血液型: A
公称サイズ(2005年時点)
身長: 155 cm / 5′ 2″
体重: 42 kg / 93 lb
BMI: 17.5(低体重)
スリーサイズ: 83 - 58 - 86 cm
ブラのサイズ: D
靴のサイズ: 22.5 cm


【来歴】
2003年、16歳の時に講談社主催の『ミスマガジン2003』に選ばれ、芸能界デビュー。小悪魔系ルックスの美少女としてデビュー当初から雑誌グラビアで引っ張りだこになる。

2004年、10月にテレビ東京系ドラマ『Deep Love〜アユの物語〜』のアユ役で初のドラマ挑戦にして主演に抜擢され女優デビューを飾る。なお、この年グラビアでの活躍が評価され、第42回ゴールデン・アロー賞グラフ賞を受賞。

現在はグラビア露出を継続しつつ、女優、タレントとして活躍中。


【人物】
■大人びたルックスとつかみ所のないマイペースなキャラクターで“小悪魔”と呼ばれて人気を博し、小倉優子、安田美沙子(翌年受賞)、若槻千夏(事務所の先輩)らを抑えて日本雑誌協会主催の第42回(2004年度)ゴールデン・アロー賞グラフ賞を受賞。

■プロレスファンとしても知られる。理想の男性のタイプにミスター・プロレス天龍源一郎を上げ、2005年6月1日に、小川直也とのデュエットでCD「勝手に侵略者」(テレビ東京系アニメ「ケロロ軍曹」4代目エンディングテーマ)をリリースしている。クールに見られる事が多いが、プロレスの話になると興奮気味に話す為、共演者を驚かせる。

■3年間、部屋を自分で掃除していない。(グランドピアノの上に物を溜めている状態。母親が掃除して勝手に物を捨てるので喧嘩になるとダウンタウンDXで自ら暴露)。2007年3月14日放映の「今田ハウジング」で実家の部屋が紹介された。帽子やバッグ、コミックス等が散乱し床が殆ど見えない状態だった。寝る時はパイプベッドを広げて使うと、番組で打ち明けた。

■二十歳になったのを機に一人暮らしを決意。「今田ハウジング」で家賃月十五万円(と番組で紹介)のマンションを選び引っ越した。

■当初のキャッチコピーでもあった「ナマイキ」「毒舌」のキャラ通り、バラエティ番組では本音や、やや強気な発言をすることが目立つが、20歳の誕生日を迎えてからは年齢相応の落ち着いた言動も見られるようになった。

■デビューから暫くした頃、年齢に対し非常に大人びたルックスと雰囲気ゆえに「年齢を詐称しているのではないか」と指摘されることが増えた(デビュー前にある雑誌の「素人ファッションチェック」で取り上げられた時に「19歳」と書かれていた事が発端の1つ)。この噂が根強かったことで、とある番組でパスポートを公開し疑いを晴らしたこともある。

■趣味はホルン(吹奏楽)、水泳。

■好きな俳優はジャン・レノ、渡辺謙、憧れの女優はハル・ベリー、また安室奈美恵の熱狂的なファンでもある。

■愛読する漫画はゴルゴ13。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070426-00000004-cine-movi

井上真央 エピソード&プロフィール

井上 真央(いのうえ まお、1987年1月9日 - )は、神奈川県横浜市磯子区出身の女優。seventh avenue所属。身長は158cm。英検準1級。

趣味は、バスケットボール・バドミントン・日舞・音楽・油絵。極度の近眼である。裸眼視力が0.02の為、コンタクトレンズを使用している。年が離れすぎである14歳年上の兄がいる。

2005年3月、日本大学藤沢高等学校を卒業。同年4月、明治大学文学部文学科演劇学専攻に入学(自己推薦入試による)。

大学での第2外国語は中国語を選択。ゼミでシェークスピア、チャップリンを学習。


【略歴】
■母親の薦めで4歳のとき劇団東俳に入ったのがきっかけで芸能界へ。(タレントデータバンク『注目!インタビュー』より)

■5歳の時に子役デビュー。数々のドラマ・CMに出演。

■1999年、CBC製作・TBS系列放送の「キッズ・ウォー」シリーズの今井茜役を演じて有名となる。『キッズ・ウォー5〜ざけんなよ〜』で初主演を果たす。

■2005年、たむらプロより、『救命病棟24時』で共演した松嶋菜々子の所属するseventh avenueへ移籍(以後、松嶋との共演が多い)。同年10月、TBS系列放送の『花より男子』の主人公・牧野つくし役を好演。

■2006年、チェケラッチョ!!で映画デビュー。

■2007年1月、『花より男子』の続編『花より男子2(リターンズ)』に出演。


【特徴】
■火垂るの墓では、戦時中の女学生とその女学生の孫の役を演じてそのイメージの違いの演技に好評を受ける。

■高校3年生の時に家庭教師のトライの個別指導塾部門でマンツーマンで156時間小論文を勉強して、AO入試で明治大学に入学した(2006年に家庭教師のトライのCMに出演)。

■ものまねができる(田中邦衛・いっこく堂など)。

(出典:Wikipedia)

和泉元彌 エピソード&プロフィール

和泉 元彌(いずみ もとや、本名:山脇 元彌(やまわき もとや)、1974年6月4日 - )は狂言師・俳優。東京都板橋区出身。青山学院高等部、青山学院大学文学部日本文学科卒業。A型。身長168.5cm。妻は女優の羽野晶紀。

【人物】
●狂言師として
3歳で狂言の初舞台を踏み、8歳で「三番叟」を披く。16歳で「木六駄」「釣狐」を披く。1994年、秘曲「花子」を披く。1998年に一子相伝の秘曲「狸腹鼓」を披く。社団法人能楽協会から退会命令(後述)を受けて以来、正規の舞台(特に能舞台)に出ることはなくなり、能の間に演じる「間狂言」を演じることは不可能となった。

そういったこともあり、現在、自称狂言師と揶揄されるときもあるが、現在でも渋谷のホテルが所有するセルリアンタワー能楽堂に定期的に出演するほか、恒例となったヒルトン名古屋などでのクリスマス公演をおこない、2005年愛知万博(愛・地球博)にも2回出演し、全国各地で巡業を行ったり、日本の古典芸能界を代表しての中国公演など、国内外の幅広い舞台で狂言を演じている。2006年2月には、東京の国立能楽堂において、娘と競演した。

●狂言以外の活動
■1989年4月からスタートした情報バラエティー番組はなきんデータランドのレギュラーとして出演。

■1992年に映画俳優としてデビュー。藤子・F・不二雄のマンガを実写化した『未来の想い出』で、工藤静香、清水美砂と共演。

■青山学院大学学部在学中に山陽学園大学客員教授に就任。

■名古屋にある放送タレント養成校テレビタレントセンターの外部講師を務める。(青木さやかや在名局のアナウンサーが卒業している)

■2000年末にNHK紅白歌合戦白組司会者(紅組司会者は久保純子)。

■2001年にテレビ・NHK大河ドラマ「北条時宗」で主役の北条時宗を演じる。

■2001年、石井竜也プロデュース・作詞作曲で歌手としてCDデビュー。個性的な歌声を披露。

■2005年にプロレスデビュー(後述)。

■顔が俳優の野村祐人に似ているため、野村自身が兄と勘違いされることもしばしばある。

■現在は髪の毛を伸ばしていて、肩までの長髪である。


【羽野晶紀との結婚】
1998年1月、国際的な演出家ノノン・パディーリャが演出したシェイクスピアの戯曲ロミオ&ジュリエットで舞台初出演(渋谷シアターコクーン)。主役のロミオ役を演じる。ジュリエット役は劇団☆新感線の看板女優だった羽野晶紀。

晶紀が元彌との子を妊娠していることが2001年にわかり、同年婚約。翌2002年結婚(1月に仏前結婚の形で挙式・2月に入籍)。同年第一子である女児をもうける。また2004年に第二子の男児をもうける。なお、娘は2006年2月に、東京の国立能楽堂において、和泉流の伝統を受け継ぐプロ狂言師として初舞台を踏む。


【和泉家】
父は狂言方和泉流十九世宗家で重要無形文化財。幼名を三宅保之といい、もともとは初世野村萬斎の息子である九世三宅藤九郎(六世野村万蔵の実弟で、人間国宝)の長男である(次男は三宅右近)。6歳で、この流派の宗家を継ぐ約束で和泉流十六世宗家山脇元清の娘の養子となり、山脇保之と改名。忘れ去られていた和泉流宗家の地位を継ぎ(十九世)、のちに流派名と名前を一致させるため芸名を和泉元秀とした。

2人の姉もプロの狂言師。長姉の和泉淳子は「狂言界史上初の女性狂言師」としてCMなどにも出演し、一躍話題の人となる。次姉の和泉祥子は十世三宅藤九郎の名跡を継いだが、これは父の元秀と確執があったとされる叔父の三宅右近に譲られると目されていたもので、当時さまざまな物議を醸した。結局、元秀側が「亡き父が死に際に言い残した」として押し通したが、何かと問題の多い元秀の性格と共に、親族との確執の火種の一つとなった。

母親である和泉節子(和泉流宗家・宗家会理事長)は、戦国の軍師竹中半兵衛の末裔であるとされる鉄工業を営む家庭の出身。ちなみに十九世宗家と節子との挙式の媒酌人は尾張徳川家19代当主で、華族の徳川義親侯爵・貴族院議員である。 後述の「宗家継承騒動」を面白がったマスメディアによって、“セッチー”と呼称された。率直な発言で知られ、元彌の人気にあやかって、一時期はテレビのバラエティー番組などに相次いで出演していた。

なお、彼らの本名は山脇姓であり、和泉姓はあくまでも芸名として使用している。

2002年、公演のダブルブッキングやドタキャンが相次ぎ、ダブルブッキングにいたっては、東京と岐阜をヘリコプターで大移動する様子が大々的に報じられた。こうしたことを受けて能楽協会から退会命令が出されるが、元彌はこれを「意見を述べる場などを設けていない、不当な退会処分」として裁判所に訴えたが、1審2審とも請求棄却。そして2006年6月9日、最高裁判所も原告の請求を棄却し、能楽協会退会が正式に決定した。


【宗家継承騒動】
1995年、21歳で父を亡くすと、跡を継ぐと称して「和泉流二十世宗家」を名乗り、即座に襲名披露公演を行う。しかし、きちんとした後見人を立てるなどの手続きもせず、能楽宗家会(和泉節子理事長の「和泉流宗家会」とは別)の了承を得ていなかったため、和泉流の他の狂言師は披露公演をボイコットした。この際、「芸が未熟なので、先輩に学んで実力をつけてからではどうか」という提案がされたが、和泉家側がはねつけたといわれている。流派内の他の狂言師は和泉流職分会をつくり、和泉家に対抗。


【プロレス進出】
■2005年10月、電撃的に記者会見を開きプロレス参戦を表明。「今後は狂言の世界で培った『狂言力』を生かし、本場アメリカのエンターテインメントプロレスに挑戦したい」とのコメントを発言。
■2005年11月3日、横浜アリーナで開催のハッスルマニアでプロレスデビュー。
■彼専属の応援団として、母・節子率いる「セッチー鬼瓦軍団」も登場。セッチー鬼瓦せんべい(6枚1000円)は当日10分で完売した。
■以前バッシングを受けた公演のダブルブッキング・遅刻等を逆手にとり、「ダブルブッキングでも遅刻でもござらん。開場前からずっと上で待っておったのじゃ」と叫びつつヘリコプターの爆音とともに金色の派手な衣装で登場、満員の会場を沸かせた。
■試合では、まず対戦相手の元WWE所属レスラー鈴木健想との攻防を展開、プロレスの師であるAKIRAの援護、健想の妻浩子のパウダー攻撃の誤爆を挿んで、最後に空中元彌チョップを連発してピンフォールを奪うというブックを完璧に遂行し、観客を魅了した。
■TBSのアッコにおまかせ!では和田アキ子が和泉に対し、「絶対ヤラセ。バカみたい」を連発し、抗議を恐れた安東弘樹アナウンサーが異様なほど焦っていた。
■プロレスデビューと言われるが、本人は「飽くまでエンターテインメントの一環で、プロレスの試合ではなく、『狂言』というエンターテインメントの延長である」と発言している。
■世間では参戦に関してイロモノ的な扱いを受けているが、健想との一戦はプロレス的には非常に完成度の高い試合であったために、ワイドショーでの低い評価に怒りを覚えるプロレスファンは少なくない。和田アキ子の発言からわかるように、世間一般にアングル主導のプロレスが浸透していないためか「プロレス≒格闘技」のイメージが深く根付いていることが一因ともされる。


【前歴】
●逮捕
2005年11月25日には、2年半もの間、計6回にわたる駐車違反の出頭要請に応じなかったとして、道路交通法違反の容疑で警視庁に逮捕されていたことが判明、その前日の11月24日に警視庁交通執行課に出向き、2時間半ほど拘束され、その場で東京簡易裁判所から略式命令を受けて罰金1万円を払って即日釈放となった。本人は「忙しくて時間がなかった」とコメント。また、数ヵ月後に発売された女性雑誌において、この事件を振り返り、「全て私の責任であり、弁解の余地もない」と自らの非を認めた。このニュースを報道各社は「狂言師でプロレスラーの和泉元彌容疑者」「和泉狂言師」などといった肩書きを使って報じた。

●所得隠し疑惑
2006年6月27日、和泉元彌らの公演に関する事業運営を行う会社「株式会社和泉宗家」が、東京国税局に2004年度までの5年間で2億円以上の申告漏れを指摘され、そのうち約1億5000万円が簿外口座に収入の一部を入れるなどの悪質な所得隠しだとの報道がされた。「和泉宗家」代表取締役であり元彌の母である和泉節子はこの問題に関し、「税務調査が入り見解の相違があったことは事実だが、簿外口座などは存在しない」と悪質な所得隠しの疑惑を全面的に否定している。なお、「株式会社和泉宗家」は取締役や監査役がすべて身内の和泉家で固められている。
2007年3月21日、これにともなう追徴課税(1億円を越すといわれる)のため、自宅兼事務所が国税・地方税当局から差し押さえを受けるなど、金銭的に厳しい状況にあることが明らかとなった。

●接触事故
更に2006年7月13日、ファミリーレストランに駐車しようと左折したところ、後ろから走って来たバイクと接触。運転していた男子高生に1週間の軽傷を負わせた。警察には和泉が通報。目白署より業務上過失傷害容疑で書類送検処分となった。19日、狂言公演終了後の謝罪会見では男子高生が同席。「17日に自宅に和泉が謝りに来た」「和泉とは以前から顔見知り」「心配してもらったり、狂言に招待してくれて嬉しい」と矢継ぎ早に説明した。被害者と加害者が同席という前代未聞の記者会見に現場は騒然となった。ちなみに今回の報道での肩書きは「狂言師の和泉元彌」。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070520-00000021-spn-ent


[PR]
便利で手軽なオンラインDVD・CDレンタルサービス
ご自宅のポストまで送料無料でお届け
まずは無料でお試し!TSUTAYA DISCAS

飯島愛 エピソード&プロフィール

飯島 愛(いいじま あい、公称1972年10月31日 - (ワタナベエンターテインメントHPより) )は、日本の元AV女優で元タレント。 東京都江東区亀戸出身。元ワタナベエンターテインメント所属。身長161cm。

【芸能界内での遍歴など】
■1992年、AV女優となる。

■生年月日は、当初は1973年8月25日と公表していた。本人の弁によれば、デビューしたのが夏で、すぐに芸能界からいなくなるからその前に誕生日が来ればプレゼントがもらえると思って8月生まれと言ったとのこと。現在でも、1973年8月25日生とする資料がある。

■芸名の由来は、水商売時代、所属していた店のママが「みんなから愛される子になるように」という願いを込めて「愛」という源氏名を命名してくれたことによる(自著「プラトニック・セックス」より)とあるが、以前テレビ番組で「ラブ」という源氏名を自らつけたことを告白している。「本名が垢抜けないから好きではない」と、思い切った名前をつけた。その後に勤めることになったクラブのママが「ラブ」を転じさせ「愛」にするよう指導し、理由は後付で、客に紹介する際に「みんなから愛され〜」のくだりが確立された。

■芸名に「飯島」という姓がつけられたのは、当時の所属事務所社長が飯島直子の大ファンだったため。飯島直子側はこれを快く思っていないと報道されることが多く、「W飯島」と括られることもあるが共演はほとんどなかった。しかし飯島直子が2006年10月に「ウチくる!?」に出演した際、両者が不仲説を明確に否定した。

■1990年代前半、とんねるずのみなさんのおかげですのスタッフと木梨憲武が、飯島のビデオのファンであったことから番組にハプニングゲストで出演(これがテレビ番組初出演になる)。

■1990年代前半、深夜番組「ギルガメッシュないと」(テレビ東京系)で、スカートをめくり、世の男たちに活力をあたえた。『Tバックの女王』と呼ばれる。その後、次第に大人の女性としてトーク番組等でバラエティタレントとして活躍している。近年は気だるく重い口調が特徴。

■1993年、「ナイショ DE アイ!アイ!」で歌手デビュー。オリコン87位。このCDには飯島愛が実際に着用したパンティを細かく裁断した生地が同梱されていた。

■2000年、半自伝的な小説「プラトニック・セックス」でAVや性病感染、整形手術していたこと等をカミングアウトしべストセラーに。映画化やテレビドラマ化もされ、作家活動も行っている。週刊朝日にコラム「飯島愛の錦糸町風印税生活」を執筆。また性感染症予防の啓蒙活動でも知られる。

■ゲスト出演から準レギュラーを経てレギュラーになる事が多い。例としては「スパスパ人間学!」、「決定!これが日本のベスト」、「ロンドンハーツ」等がある。

■胸や顔の整形等について公にカミングアウトしていて、自らのスッピンネタ等自虐系の発言も時々する。そのメイク技術はテレビ番組『くりぃむナントカ』でも、「飯島さん、メイクの本を出すべきですよ!」と言われたほどに絶賛だった。

■2005年にブログを始める。同年、ネット配信番組に連動した株取引に関するブログも、短期間公開された。

■2006年11月11日、個人事務所の経理担当の人間から数千万円もの横領被害に遭ったことをブログで告白した。

■2007年3月31日、所属事務所から正式に芸能界を引退することが発表された。


【引退報道】
■2007年3月3日、芸能界引退の報道が流れる[1]。事務所も(FAXで発表)認めたため、真実であることだろう。生出演したサンデージャポンでは、この件について、いつかは引退すると言うも3月末とは明言しなかった。ただ、翌週(3月10日)で3月いっぱいで引退することを本人が発表した。

■腎臓病(腎盂炎)であることが報道された。それによると「症状が予想以上に重く、仕事を続ける意欲を完全に失っているという。」と理由付けされている。「引退」飯島愛を悩ます腎盂炎の深刻度 日刊ゲンダイ - 2007年3月4日。

■3月末で引退予定のため、その時期にはTBSで引退特番もすでに組まれている。[2]

■彼女のブログには「引退しないでほしい」「芸能界にまた復帰してほしい」など、引退を惜しむコメントが多数書き込まれた。[3]『みんなのコメント読んでるよ』と書かれ、ファンサービスをした。しかしその後3月下旬にかけて、精力的に更新されるようになった。

■サンデージャポン最後の出演は2007年3月25日だが、ちょうど番組放送直前の午前9時42分頃、能登沖でマグニチュード6.9の能登半島地震が発生。TBSは地震の状況を報道。飯島最後のサンデージャポンの放送時間は15分、飯島本人が出演した場面は、わずか3分(予告編だけ)しかなかった。飯島はこのことをブログで「大変な事態です。人命と私の引退は比べるに値しない。今はそっと、被害が最小限に収まるように見守りましょう。」と綴っている。再度引退番組を放映するかは未定。なお、翌日のニッポン放送の生放送ラジオ番組「テリー伊藤のってけラジオ」において、飯島とサンデージャポンで共演しているテリー伊藤が「飯島愛ちゃんの分は収録しました」と話し、来週のサンデージャポンで放送すると明言した。

■だが、2007年3月31日に「目標や夢が見い出せず、芸能界で生き残っていくことは不可能」として所属事務所から正式に引退が発表された。


【逸話】
■人気AV女優・後藤えり子にスカウトされてAV界に入った。

■週刊誌が本人に許可をとらずに勝手にヌード写真を載せたとして争った事がある。

■『元アダルトビデオ出演女優』の肩書き(も同然)でデビューしたにもかかわらず、その後の本人の努力によって、現在ではバラエティー番組・コメンテーター・ドラマ女優・作家・ボランティア活動等をこなすマルチタレントとして老若男女から広く支持を得るという成功をおさめた稀有な例であり、巷間のAVタレントからは憧れの的となっている。

■その後、自著「プラトニック・セックス」で、AV女優経験について語っている。しかしその描写をめぐって当時の関係者に波紋が広がる(「実際以上に酷い世界であると強調している」との主張がある)。しかしAV女優経験のある飯島本人が、AV女優にはならないほうがいい、と暗にメッセージをおくっていることは評価されるべきだろう。

■同書を読んだ大槻ケンヂは本人に対し、「あんた、好きなことやってきただけじゃん」と呆れて、飯島も笑いながらそれを肯定した。

■2002年、サッカーW杯日韓大会の韓国-イタリア戦などでの、「韓国チーム寄りの意図的な誤審では?」との疑惑(当時、ほぼ全てのマスメディアが意図的に無視していたも同然の状況であった)について、テレビ番組の「サンデージャポン」内でも疑惑について言及しない番組進行に激怒。「もうキムチは食べない」などの憤りをあらわにした発言をした(同じ不審感を持っていた一般人の代弁者になったとも言える)。

■「私的(わたしてき)には」というフレーズで流行語大賞をとったことがある。

■TVの前のキャラと違い、共演者・スタッフ達にはプレゼントを欠かさず贈り、営業に余念が無いと(あくまで)自ら告白している。

■TVでは自由奔放で辛口発言や暴言が多いと思われがちだが、実際は非常に繊細で、辛口や暴言を吐いた相手に対し、気遣いとフォローを忘れない。また気が回りすぎて、つい虚勢を張ってしまうタイプであることを、前所属事務所の社長により告白されているが、真実は定かではない。

■知識を要するクイズ番組は苦手だが、運や駆け引きを要するゲーム番組には極めて強く優勝回数も多い。

■かなりのガンダム好きであり、富野由悠季と何度か対談を行っている。

■父親は自民党後援会員を務めている。その縁で都知事選で柿沢弘治を応援したこともある。

■1993年にダウンタウンの番組(「ダウンタウン汁」)にゲスト出演した際、事前にダウンタウン側に「AV女優時代の話はしないで欲しい」との要望(本人、事務所のどちらからのものかは不明)が伝えられた。これを聞いた松本人志はあえてAV女優時代の話をしようと思ったが、生放送ではないためカットされるとみて要望通りトークを行った。これについて松本は自著で「過去の自分があるから今の自分があるのではないか」と憤慨している。また松本は2005年にも自身のラジオでこの件について嫌悪感を露にした発言をしており、現在まで飯島がダウンタウンの番組に出演しない原因になっていると思われる。 

■AV業界でも飯島のこの態度に苦言を呈す人が多く、AV男優の加藤鷹は「嘘ばかり書いた本(プラトニック・セックス)を出して、自分を育ててくれたAV界を足蹴りにしたような女は俺は嫌いだ。」と痛烈に批判している。

■2006年、『ウチくる!?スペシャル』に江原啓之が出演した際に、「“とにかくかわいそうなくらい繊細過ぎる。外見の印象と全く違う人。オーラの色はきれいな紫の色を持ってるが微弱。他人を信じ過ぎて、疑う事を知らな過ぎたために、さんざん、裏切られた事がいっぱいある。他人からの愛を信じられない所がある。他人への施しは程々にして、自分の幸せを考えなさい。去年まで人間関係、ゴタゴタ、色々とあったが、全部、切り捨て、今年から気持ちを切り替えて、新しい方向へ行きなさい。今まで一度も甘えた事が無い。自分自身が甘えられる環境を作る事がこれからの課題。幸せはある”と守護霊からのメッセージがあった」と指摘された。

■芸能人の昔を再現フィルムなどで見せるという特番でなぜか飯島愛だけは中学の写真一枚で終わった。

(出典:Wikipedia)

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。