Google
 

小島よしお エピソード&プロフィール

小島よしお(こじま - 、本名:小島義雄、1980年11月16日 - )は、沖縄県出身のお笑い芸人。サンミュージック企画所属。千葉市立稲毛高等学校、早稲田大学教育学部国語国文学科卒業。


【プロフィール】
身長178cm、血液型O型。星座はさそり座。左利き。元WAGEのメンバーで、WAGE時代に事務所の先輩後輩の間柄であったことから ポルノグラフィティと仲が良く、新藤晴一の野球チーム・桜丘クロゴスに所属。晴一によると、HEY!HEY!HEY!のゆかりゲストとして出て欲しかったが、小島の知名度が低かったため断念。


【芸風】
筋肉質な「ブーメランパンツ」姿で、体験談などを話すも途中で失敗(言葉を間違えたり先にオチを言ってしまったり)に気付き「下手こいたー!」と落ち込んで、床にひざまづき頭を垂れた後、BGMが流れると尻から立ち上がり、軽快なリズムに合わせてネタを始める。尺が短い場合はBGMを流しながら登場する事もある。

BGMは、Woodyの「hype 'o' tek」、TWIN PITCHの「GHETTO BLASTER」を使用している。

ネタは、失敗談のあと「○○○、だけども だっけぇど、×××、でもそんなの関係ねぇ!、そんなの関係ねぇ!」と拳を振りながら力説する。「だけども だっけぇど」は言わない場合もある。その後「はい(セイ(say))!オッパッピー」と叫んで白目をむきながら左腕と右脚を斜めに伸ばして“イ”に似たポーズを取り、「チントンシャンテントン チントンシャンテントン」と唱えながら軽妙な踊りを見せる。『でも「そんなの関係ねぇ!」×3→「はい!オッパッピー」→「チントンシャンテントン」×2』が基本の流れとなる。

たまに「おー(O)!(おー!)ぴー(P)!(ぴー!)えー(A)!ぴー(P)!あい(I)! オッパッピー」と盛り上がろうとする。尺が長い時、お客の対面で行う事がある。「おー」「ぴー」はお客との交互、「えーぴーあい、オッパッピー」は一緒に言う。 あいうえお作文を行い、小島の「こ」こんなに大勢の前で、小島の「じ」人生懸けて、小島の「ま」まさかの人任せと言う。よしおの「よ」よせばいいのに、よしおの「し」しらけた空気を、よしおの「お」オッパッピーとも言う。

必ずといっていいほどネタの途中でグダグダになる。

初期の頃は「はい!オッパッピー」ではなく、「○○○オッパッピー」と言っていた。現在も締めで「暗転下さいオッパッピー」等を用いる事がある。司会者に「オッパッピーってなんですか?」と質問されると「なぜ知らないの?」という顔をして「オーシャン・パシフィック・ピース(太平洋に平和を)」の略だと応える所までがネタ。ただし、正式な太平洋の英単語のスペルは(The)Pacific ocean(パシフイック オーシャン)である。ちなみに、Ocean pacific peace(オーシャン パシフィック ピース)を直訳すると大洋平和平和となり、ゴロとしてはおかしい。これは、もともとのオッパピーは、卑猥な言葉だったらしいが、他の芸人にダメ出しを受けて「オーシャンパシフィックピース(Ocean Pacific Peace)」に変更したためだといわれている。 かつては怖い話などをしながら、体中にオイルを塗りたくり肉体をアピールするネタを披露していたが、上記のネタでブレイクした。

最近では「そんなの関係ねぇ!そんなの関係ねぇ!はい!オッパッピー!」がTOKYO FMのラジオ番組SCHOOL OF LOCK!のメインパーソナリティの1人であるやましげ校長(山崎樹範)が番組中にこのネタを使用し始め、同番組内で大ブームとなっている。


【エピソード】
■本名の小島義雄名義で出演していたこともあった。あだ名は「よしピー」。

■はいているブーメランパンツは3種類あり、初期の海パンがゆるくなった為現在の緑色の海パンになったと発言。なお3代目の海パンはGyaOの超サンミュージックで視聴者プレゼントされた。
本人のネタに祖父はブラジル人と登場するが、本当は日本人だと自身で暴露する。

■2007年3月4日に茨城県・取手市民会館において行われたライブで、桜塚やっくんに気に入られ、その日のブログで紹介されている。

■2007年5月の第5回お笑いホープ大賞決勝進出。審査員特別賞を受賞。

■2007年5月25日放送の日本テレビ『ぐるぐるナインティナイン』に出演し、多くの人に知られるきっかけとなった。

■2007年5月27日放送のABCテレビ系『笑いの金メダル』で新郎役・上田晋也の友人という設定で出演も初めに「はじめまして」といってしまう天然でもある。その回で仲人役・西川きよしに「短期間かもしれないけど、これは流行るかも」と言われ、同じく仲人役・北斗晶からは「あんなバカ見たことない」と言われた。結果、その回にネタ出しで出演した芸人の中からMVPに選ばれた。

■『笑いの金メダル』でネタをやる時は必ず「地球温暖化…」と言いかけたところで幕が閉まっていた。

■2007年6月14日放送の日本テレビ『ラジかるッ』に出演し、早稲田大学時代、番組MCの宮崎宣子アナと同じオールラウンドサークル所属だったと発言。

■2007年6月14日放送のTBSラジオ『カンニング竹山の生はダメラジオ』にゲストで出演し、元高校球児だったと発言。小学校から高校まで野球をやっていたという。そして、「自分は野球選手になるか芸人になるか悩んでいた」と発言。ドラフト会議で自分の名前がいつ呼ばれるかを待っていた(もちろん実際に指名される事は無かった)。

■2007年6月21日放送のTOKYO FM『Wonderful World』に出演時間よりも早く登場し、ゲストとして来ていたビリー・ブランクスの前で持ちネタを披露。ビリーに「オッパッピー」と言わせることに成功。

■2007年7月6日放送の日本テレビ『ぐるぐるナインティナイン』に出演し、滝沢沙織と知り合いである事を明かした。

■2007年7月22日に行われたTAICHI MASTERの結婚式、披露宴、ライブに、DJ TATSUTA、MCU、CMJK、LITTLE、宇多丸、wyolica、ハナレグミらと共に出席し、芸を披露した。

■2007年7月31日放送の爆笑レッドカーペットで、YouTube週間再生ランキングが世界5位になったことがあるということが明かされた。

■2007年8月8日放送のTBS『明石家さんちゃんねる』で、本人曰く、「そんなの関係ねぇ!」のネタは学生時代DJであった先輩が、いきなりマイクをフッてきたが、面白い事を言えなかった。そんなときに「そんなの関係ねぇ!」という言葉が降ってきたらしい。

■音楽戦士 MUSIC FIGHTERの明るいニュースでポルノグラフィティの新藤晴一と同じ野球チームのチームメイトであり後輩だという事を明かした。

■2007年8月16日放送のGyaOの超サンミュージックで持ち込み企画を行っていたが、小島の「キンタマ」連呼に腹をたてたスタッフが注意を行う。この後、小島とスタッフの口論が始まり、放送事故(風のコント?)のような状況になる。結局、番組の最後で例の音楽が流れだし、ネタが始まる。番組最後の告知中に「これはフィクションでした」と説明が入り番組は終了する。

■2007年8月18日放送の日本テレビ系列24時間テレビ 「愛は地球を救う」の1コーナー(熱湯コマーシャル)に登場した際、アドリブで浴槽内にて持ちネタである「そんなの関係ねぇ!」「オッパッピー」を披露した。小島が浴槽内で平然とネタを続けた事で、実際には熱湯ではない事が露呈してしまうというハプニングが生じた(昨年も小阪由佳が熱がるリアクションを取らなかった為、熱湯ではない事を露呈されている)。若槻千夏のブログによれば、その後、楽屋でカンニング竹山から「関係ある時もあるんだよ」というアドバイスをもらったようである。また放送内で「熱いという前提が壊れちゃったよ」とあえて火に油を注ぐようなことを言って笑い飛ばしていた爆笑問題の太田光は後に「竹山とかがさんざん冷やかしたら本気で落ち込んじゃって」と茶化した上で「最高だった。腹抱えて笑った」「あれをきっかけに大ブレイクするぜ、多分」と絶賛している(『爆笑問題カーボーイ』8.22放送)。この事件を放送事故と見做す者もいるようだが、若槻や太田は笑い話として扱っていた、その後2007年8月27日放送の笑っていいとも!で小島はダチョウ倶楽部と再共演を果たし「こう見えても僕、熱さに強いんです!でもそんなの関係ねぇ!」と自身のギャグを交えてこの日の事を堂々とネタにしていた、その際肥後克広から「関係あるだろ!」とツッコミを受けている。

■2007年8月28日 TOMORROW(J-WAVE)にて例の事件(24時間テレビにて)について話しを振られた。どうやらあの後は頭が真っ白になったらしく、唯一覚えているのはたむらけんじの獅子舞で隠させてもらったこととカンニング竹山に言われた言葉ぐらいらしい。ちなみに、多少引きずっているらしい。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070902-00000046-spn-ent

[PR]

PCソフト、PCゲーム、写真集、動画から音楽まで無料お試し版や有料ダウンロードが楽しめる総合ショップ。おすすめ商品からランキングまで何でも揃う人気・実力ナンバー1の本格的な総合ダウンロードショップ!

郷ひろみ エピソード&プロフィール

郷 ひろみ(ごう ひろみ、1955年10月18日 - )は福岡県糟屋郡須恵町生まれの歌手・俳優で、新御三家の一人として、1970年代に日本を代表する程の絶大な人気を誇った男性アイドルである。本名:原武 裕美(はらたけ ひろみ)。所属事務所はバーニングプロダクション、所属レコード会社はソニー・ミュージックエンタテインメント(旧・CBSソニー)。公表身長は178cm。血液型はA型。日本大学法学部二部中退。


【略歴】
■1972年1月にNHK大河ドラマ『新・平家物語』で俳優として芸能界デビュー後、同年8月1日に『男の子女の子』で歌手デビューを果たす。ジャニーズ事務所に所属し、当時人気絶頂だったフォーリーブスの後継者としての活躍が期待された。芸名の「郷」は、「5人目のフォーリーブス」という意味もかけていると言われる。女の子に間違えられる位に甘美で可愛らしいルックスと、鼻にかかった独特の歌声が、若い女性に絶大なる人気を博し、一躍トップアイドルになる。野口五郎、西城秀樹とともに新御三家と呼ばれ、音楽番組以外に日本テレビ系『カックラキン大放送』などのバラエティ番組でも共演した。またテレビドラマにも多数出演し、まさに男性アイドルの典型でかつ象徴的な存在として、1973年、1977年の「ブロマイド」の年間売上実績でNo.1に輝いた。

■『小さな体験』、『愛への出発』、『裸のビーナス』(1973年)、『花とみつばち』、『よろしく哀愁』(1974年)、『誘われてフラメンコ』(1975年)、『マイレディー』(1979年)、『How many いい顔』(1980年)、『お嫁サンバ』(1981年)などがアイドル時代の代表的なヒット曲。また、TBS系ドラマの挿入歌で、共演の樹木希林とのデュエット曲『お化けのロック』(ムー・1977年)、『林檎殺人事件』(ムー一族・1978年)が大ヒットした。

■1976年、ジャニーズ事務所からバーニングに移籍。ジャニーズ事務所社長のジャニー喜多川はこの騒動で体調を崩すほどショックを受けたと言われている。この間の経緯については郷の著書『たったひとり』(1980年)に記述がある。

■1978年には、ベストドレッサー賞の特別賞を受賞している。

■1980年代には、『素敵にシンデレラ・コンプレックス』(1983年)、『2億4千万の瞳』(1984年)などのヒットもさることながら、西城秀樹の『YOUNG MAN (Y.M.C.A.)』の大ヒットに刺激されて『哀愁のカサブランカ』、『哀しみの黒い瞳』(1982年)、『ケアレス・ウィスパー』(1984年)などの洋楽でバラード曲のカヴァーを次々と発売し、アイドル歌手から大人の魅力を持った本格派歌手への脱皮を図る。またこの頃ボイストレーニングに渡米し、ブレス使いを学んで力まずに声を出す手法を会得し、スローバラードも聴かせられるほど歌唱力がアップした。この事は1990年代のバラード3部作のヒットにも大きな影響力をもたらしたと言えるだろう。

■1982年に音楽番組「ザ・ベストテン」への出演を拒否して話題となった。「僕にとっては僕の歌は全部1番、他人に僕の歌のランク付けされるのは嫌だ!」という理由からと説明されたが、絶大な人気を誇っていたテレビ番組への出演拒否は人気の面に悪影響も及ぼしたとされる。

■1984年、初代ベストジーニスト賞に輝く。

■1985年、交際を公にしていた歌手・松田聖子と破局。1987年、女優の二谷友里恵と結婚(二谷は引退)。以来、生活の拠点を主にニューヨークに置く。

■1986年、主演した映画「鑓の権三」(篠田正浩監督)がベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞する。

■1990年代に入るとTBS系ドラマ『お見合いの達人』の主題歌『言えないよ』などのバラードがヒット。

■1998年、二谷と離婚。告白本『ダディ』を出版し、ミリオンセラーとなり出版元の幻冬舎の躍進に大きく貢献したとされる。

■1999年、リッキー・マーティンの世界的ヒット曲『Livin' La Vida Loca』の日本語版『GOLDFINGER '99』のプロモーションとして渋谷でゲリラライブを行い、警察の許可を取っていなかったため交通渋滞を引き起こし渋滞に巻き込まれた都バスが数本運休する騒動になり、レコード会社社員が書類送検される事件に発展し話題となった。デビューの年にレコード大賞の新人賞、さらに1976年『あなたがいたから僕がいた』で同賞の大衆賞を受賞して以来、賞には余り縁がなかったが、この年同賞の最優秀歌唱賞を受賞している。

■2000年、再婚。2001年の紅白歌合戦を最後に活動を休止し、新妻と共に再びアメリカに移住。日本では「高須クリニック」のCMでのみ姿が見られる状態に。院長の高須克弥とは30年来の付き合い。

■2005年3月、久々の活動再開を宣言。しかし同年4月、二度目の離婚。

■2006年5月、埼玉スタジアムで行われたキリンカップ2006「日本VSスコットランド」戦において国歌独唱。全身ブルーのスーツで登場し歌い終わった後には、JFAのフラッグを縫い付けたお得意のジャケットプレイでパフォーマンス。スタジアムをどよめきで沸かせた。

■2006年9月、デビュー35周年記念ライブとして、東京・日比谷野外音楽堂など全国6カ所で8公演を開催。

■2007年5月、『Come On Baby』を国土交通省の「ビジット・ジャパン」のキャンペーンソングとして楽曲提供したことにより表彰された。

■2007年5月30日、藤原紀香と陣内智則の結婚披露宴でスペシャルゲストとして「お嫁サンバ」を披露した。同披露宴は日本テレビで中継され、熱唱場面は高視聴率をたたき出した。

■15年以上前から「ボランティア」「チャリティ」活動に従事する。これまでにフィリピンに学校を4つ設立した。そして日本テレビ「トシガイ」という自分の年齢の数だけ(51歳×1万円)好きなものに使えるという番組で、初めてフィリピンを訪問し子供たちから熱烈な歓迎を受ける。51万円で子供たちに文房具、Tシャツなどをプレゼントした。これからもライフワークにしていきたいと熱く語った。


【エピソード】
■高校を5年かけて卒業した後、日大法学部夜間部に入学したが、授業料を払わなかったので、除籍になった。

■フォーリーブスの一員だった江木俊夫は、自著の中で「ジャニーズ事務所に最大の利益を与えたのはSMAPだろうが、ジャニー喜多川さんが今でも理想のアイドル像として思い描いているのは郷ひろみだろう」と述べている。

■デビュー当時、週刊誌に自分はマザコンで童貞であることを明らさまに告白して話題となった。

■20代の頃、山口百恵に密かな恋心を抱いていたが、無視され続けたという苦い経験を持っている。

■アイドル水泳大会では競泳など多くの競技に出場し「ミスター水泳大会」と呼ばれた。しかし、若い女学生ファンの間では、スポーツ部の西城秀樹、文化部の野口五郎に対して、帰宅部の郷ひろみと評されることがあった。

■『2億4千万の瞳』は当時の国鉄のキャンペーンに使われたが、これは郷の父親が国鉄職員であった縁によるとされる。その後、郷の父親は昇進試験を受け、東京駅の助役を勤めあげた。

■KINCHOの「キンチョール」のCMで横山やすし・柄本明らと共演。中でも「ムシムシコロコロ キンチョール」「ハエハエカカカ キンチョール」のセリフは流行語になった。

■2005年フジテレビFNS歌謡祭に出演、アメリカでの休養後、久々のテレビ出演。ヒットメドレー数曲歌った。彼独特のパワフルなステージパフォーマンス「高速でジャケットを脱いだり着たり」「櫛で髪をとく」「首を左右に動かす」なども健在で、メドレー中盤『2億4千万の瞳』『Livin' La Vida Loca』を歌い出だしたころには会場に居るジャニーズの後輩たちが立ち上がって彼に声援を送る程、会場が一体となって盛り上がった。

■2007年5月21日放送の『SMAP×SMAP』のエンディングでSMAPと競演、5月23日放送の『めざましテレビ』で生ライブを行い、5月25日放送の『僕らの音楽-OUR MUSIC-』では話題のDJ OZMAと対談するなど、フジテレビの各番組で新曲の『Boom Boom Boom』の発売をアピールした。

■NHKの「英語でしゃべらナイト」に出演し、流暢なニューヨーク仕込みの英語を披露した。司会のパックンには「大学生レベルの英語」と絶賛される。 日本語の質問にも英語で答え「考える、行動する、継続する」という人生の哲学を語った。NHKの要望もあり同番組内で『Come On Baby』の英語バージョンを披露した。


《夜のヒットスタジオ》
郷ひろみの芸能活動の足跡を語る上で外せない音楽番組にフジテレビ系の『夜のヒットスタジオ』がある(フジテレビはこれ以外にも様々な番組で郷ひろみをメインに取り上げ、支援し続けている)。

■番組への初出演は1972年の末、デビュー作の『男の子女の子』ではなく、2作目の『小さな体験』での出演であった。ジャニーズ事務所の「アイドルを夜の番組にはあまり出演させたくない」という方針から、同じ新御三家でライバルの西城秀樹・野口五郎と比べて出演機会が少なかったが、1976年のバーニングプロ移籍を機に、原則として月1回のペースで出演するようになった。1982年にランキング番組への出演辞退を表明した後も、夜ヒットに限っては、大抵は本編・オープニングメドレーでトリをつとめたり、派手な演出を用意されるなどの厚遇を受け、1970年代後半〜1980年代にかけて、出演回数の多さ、番組への寄与度の大きさなどから布施明・五木ひろし・沢田研二・田原俊彦・西城秀樹と肩を並べ、その中でも「ミスター夜ヒット」として最も重要視される存在であった。そのため、番組内では数多くのエピソードを残している。

■ジャニーズ所属時代、オープニングメドレーの際に、次にバトンを渡す橋幸夫を「舟木一夫さん」と間違って紹介してしまい、放送終了後、橋サイトから相当にクレームが付いた。

■雨に打たれながらの歌唱や、副調整室からスタジオに繋がる階段の上から飛び降りるなどの過激かつ派手な演出が多かったことから、当時の週刊誌に、「郷ひろみは夜ヒットに虐げられている」との記事が書かれたこともある。

■1981年2月16日、司会の井上順が休みのため、代打司会者として芳村真理の相手役を務める。この際、郷は歌を披露せず、司会役に徹した。

■「哀愁のカサブランカ」を披露する際には必ず後姿の女性の肩を抱きながら歌を披露する演出が行われていた。特に1982年8月2日放送では郷の大ファンであることを公言して憚らない古手川祐子とテレビドラマさながらのワンシーンを演じた。

■1981年から1984年にかけて、当時交際中であった松田聖子とセットで出演することも多く、お互いに歌の際には、あえて、歌っている姿を後ろで見ている時のそれぞれの表情がアップで映し出されるという演出が取られたり、1コーナーを使って二人の曲をつなげて披露させる(1982年の「野ばらのエチュード」(聖子)→「哀愁のカサブランカ」(郷)など)といった演出が行われることもしばしばあった。特に1984年10月8日の特別版の際に聖子が小坂明子の名作「あなた」を披露していた最中で感極まり号泣した際には、二人の交際の進展具合と併せて様々な憶測を呼んだ(結果として、1985年初頭に二人は破局を迎えてしまう)。

■松田聖子が神田正輝と結婚して間もなくの頃、海外から衛星中継で出演。その際、司会の芳村真理から「結婚式での聖子ちゃん、綺麗だったわよ」と呼びかけられると、郷は「そうですか…」と一言だけ残して、そのまま中継先から「哀愁のカサブランカ」を披露した。このシーンは現在も郷、聖子それぞれのファンの間でも「伝説のシーン」として語り草となっている。

■女優・二谷友里恵との結婚を控えた1987年5月には自身2度目となるマンスリーゲストとして出演。基本的には出演期間は1ヶ月間のみとの原則を打ち破り、郷は結婚式2日前の1987年6月10日放送まで6回連続で出演。特にマンスリー最終日の6月10日放送では二谷が特別出演し、結婚記念の特別企画として彼女に捧げる歌として製作された『REE』を披露している。

■1988年2月3日、番組放送999回を記念してロンドンから全編衛星生中継を行った際、その翌週に番組を勇退する「恩人」芳村真理へ感謝の意を込めて、(当時たまたまロンドンに滞在中であったこともあり)夫婦そろって特別出演、『千年の孤独』を披露した。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070830-00000007-oric-ent

[PR]

《セゾン》が発行する《セゾン》プラチナ・アメリカン・エキスプレス・カード。プラチナメンバーだけの特別なご優待サービス!世界450ヶ所以上、国内15ヶ所で最高の歓びをプラチナメンバーだけにプレゼント。

小室哲哉 エピソード&プロフィール

小室 哲哉(こむろ てつや、1958年11月27日 - )は、日本の東京都府中市出身の音楽家。音楽プロデューサー、作詞家、作曲家、編曲家、キーボーディスト、シンセサイザープログラマー、ミキシングエンジニア、DJ。

日本国内のマネージメントは2001年から吉本興業が行っていたが、2007年6月末で契約満了に付き終了した。妻はglobeのボーカルのKEIKO。 愛称は「先生」「てっちゃん」「TK」など。


【略歴・概要】
1986年に渡辺美里へ提供した「My Revolution」で日本レコード大賞作曲賞を受賞。自身のユニットであるTM NETWORKは、1987年に発表した「Get Wild」で一躍人気バンドとなり、1988年には第39回NHK紅白歌合戦に出場した。

自身のバンド活動と平行して、渡辺美里をはじめ、岡田有希子、荻野目洋子、おニャン子クラブの福永恵規、堀ちえみ、中山美穂、松田聖子、小泉今日子、宮沢りえ、観月ありさ、牧瀬里穂、中森明菜などに楽曲を提供し、作曲家としても活躍した。

1989年に自身がリードボーカルを担当したソロ作の「RUNNING TO HORIZON」、「GRAVITY OF LOVE」が連続でオリコンシングルチャート1位を記録。1985年〜1992年の間には、アニメーション映画の「吸血鬼ハンターD」、実写映画の「ぼくらの七日間戦争」、「天と地と」、月9テレビドラマの「二十歳の約束」、舞台ミュージカルの「マドモアゼル・モーツァルト」の劇中音楽を手掛けた。

1994年のTMN終了前後から、観月ありさ、篠原涼子、trf、hitomi、内田有紀、H Jungle with t、dos、globe、華原朋美、安室奈美恵、鈴木あみなど、多数のプロデュース活動を行い、1994年から1999年の間に数々のミリオンセラーやヒット曲を打ち立て、その様子から各メディアにおいて、「小室ファミリー」、「小室サウンド」、「小室系」といった独自の名称でカテゴライズされるなど社会現象となった。

小室哲哉がこれまでにプロデュースしたシングル・アルバムの総売上枚数は、約1億7000万枚に達する。


【人物】
■早稲田実業学校高等部商業科卒業後、早稲田大学に進学し5年ほど在籍するが除籍、現在は推薦校友になっている。2001年に早稲田実業学校開校百周年記念に百周年記念歌『ワセダ輝く』を作曲(作詞は奥島孝康)。母校の早稲田実業学校には『小室哲哉記念ホール』がある。早稲田実業時代は音楽活動に没頭していた。

■かつてはファミリーレストラン好きの一方で大の魚嫌いなど、かなりの偏食でも有名であった。「小室の魚介類嫌いはあまりにも有名だ。それを最初に吹聴して回ったのは、誰であろう、僕(木根尚登)とウツ(宇都宮隆)である。」(『続・電気仕掛けの預言者たち』 木根尚登著より)

■TM NETWORK時代にラジオ「小室哲哉のSF Rock Station」(東海ラジオ)の企画で結成したユニット「ハンバーグ&カニクリームコロッケ」は、当時お気に入りだったすかいらーくのメニューから名づけたほど。以前は全く魚が食べられず、本人曰く「父親に座敷のぼりを使って脅かされたのがきっかけ」らしい。魚は嫌いというよりもむしろ「魚を見るのが怖い」(本人談)だったようだ。イマジネーション旺盛な事が影響してか「(魚の)串焼きってあるじゃないですか。もしそれが人間だったら…って考えてしまうとだめなんですよね…」とおしゃれカンケイ出演時、また、「水族館に行った時目の前で魚が破裂したのを見て以来ダメ」とも「笑っていいとも」語っていた。

■ただ最近は結婚生活のせいか、魚も普通に食べられるようになるなど、偏食から脱してきているという。1994年TMN終了時に出演した「笑っていいとも」では栄養ドリンクが好きであると語っていた。

■楽曲提供や音楽プロデュースと並行して、TM NETWORK、globe、GABALLなどのユニットの一員としても活動する。

■現在は国連薬物犯罪事務所(UNODC)の親善大使も務めており、2007年4月から尚美学園大学の芸術情報学部・音楽表現学科・特任教授に就任している。担当授業は音楽特論(新世紀音楽概論)。


【バイオグラフィー】
■早稲田実業学校時代より複数のバンドで活動。

■1974年
・ニューミュージックのアマチュアバンド「哀婉」で活動。

■1975年
・プロ・ミュージシャンとしての活動を開始。
・あのねのね、白竜、原田真二等のバックバンドを経験。

■1980年
・SPEEDWAYに参加。
・月光仮面の主題歌をロック調に編曲したCMソング「ROCKIN' ON THE 月光仮面」で手腕を発揮した。
・2nd.アルバム『BASE AREA』で数曲を作曲した。

■1983年
・安岡力也の『ホタテのロックン・ロール』でアレンジを担当。
・ミス・オレンジショックをプロデュース。
・SPEEDWAYのメンバーであった木根尚登と新ユニットを組むことに合意。
・村田バンドに参加。
・宇都宮隆を誘い「TM NETWORK」を結成。リーダー、作曲・編曲・シンセサイザー演奏を担当。
・コカ・コーラ フレッシュサウンズコンテストに応募。「1974 (16光年の訪問者)」で史上初の審査員全員満点のグランプリを受賞する。

■1984年
・4月21日にTM NETWORKがアルバム『RAINBOW RAINBOW』とシングル「金曜日のライオン」同時リリースでデビュー。
・7月に大江千里「ロマンス」の編曲。
・11月に大江千里「十人十色」の編曲を担当した。(※CMバージョンは小室哲哉の編曲である)

■1985年
・アニメ映画「吸血鬼ハンターD」サウンドトラックを担当する。

■1986年
・渡辺美里に曲提供(作曲)した「My Revolution」がヒット。
・精力的にライブをこなす。

■1987年
・TM NETWORKのアルバム『Self Control』、シングル「Get Wild」がヒット。
・ロサンゼルスでアルバム『humansystem』をレコーディング。
・Bernie Grundman Masteringにマスタリングを初めて依頼した(Bernie Grundman本人が担当)。

■1988年
・角川映画「ぼくらの七日間戦争」サウンドトラックを担当。
・単身渡英し、アルバム『CAROL 〜A DAY IN A GIRL'S LIFE 1991〜』の楽曲制作を開始。
・アイドルデュオ、キララとウララのキララ(大谷香奈子)と結婚。

■1989年
・「Running To Horizon」で歌手としてソロデビュー、オリコン週間シングルチャート第1位を獲得。
・続く「GRAVITY OF LOVE」も第1位を獲得した(松田聖子の連続1位記録を途切れさせた)。
・アルバム『Digitalian is eating breakfast』をリリース。ソロツアーも開始。
・シンクラヴィアを本格的に使い始めた。

■1990年
・当人プロデュースによるシンセサイザー(キーボード)EOS B500発売
・角川映画「天と地と」サウンドトラックを担当。
・TM NETWORKが「TMN」にリニューアル。

■1991年
・「SPACE WORLD」で「Think Of Earth」を披露。
・X JAPANのYOSHIKIと「V2」を結成。
・V2「背徳の瞳」をシングルリリース(オリコン最高位第2位)。一度だけライブを行った。
・ミュージカル「マドモアゼル・モーツァルト」の音楽を担当。

■1992年
・提供楽曲のセルフカバーを中心としたソロアルバム『Hit Factory』を製作。
・初の全面プロデュースユニットとしてtrf(Tetsuya komuro Rave Factory)を結成。
・trfが横浜ベイサイドクラブなどでイベント。小室哲哉がtrfとしてステージに参加したのは、1993年の「avex rave '93」まで。
・大谷香奈子と離婚。

■1993年
・trfがシングル「GOING 2 DANCE」でデビュー。
・2ndシングル「EZ DO DANCE」で、洋楽中心であった日本のダンスシーンに大変革をもたらした。
・米国でRadikal Recordsより「TRF Rave Factory」名義で12インチアナログ「OPEN YOUR MIND」を発売。

■1994年
・TMN"終了"。
・海外向けプロジェクトEUROGROOVEを開始。
・篠原涼子 with t. komuroとして「恋しさとせつなさと心強さと」で初のシングル売上200万枚突破。
・hitomi、大谷健吾、ANISSのプロデュースも同時期に開始した。
・trfのアルバム『WORLD GROOVE』から民族音楽への関心を示す。
・trf「BOY MEETS GIRL」やEUROGROOVEの楽曲などでトライバル・ハウスに積極的に取り組んだ。

■1995年
・trf、内田有紀、マーク・パンサー、MOON TRAP、伊藤彰などが出演したミュージカル「1999...月が地球にKISSをする」の音楽を担当。
・ミュージカルの楽曲は多くが商品化された。
・ジャングル・シークレット・イベント「t jungle m」を開催。
・H Jungle with t「WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント」でシングル売上200万枚を突破。
・「ジャングルで世界一の売上を記録したプロデューサー」として海外の雑誌でも取り上げられた。
・マーク・パンサー、KEIKOとともに、自身が参加するユニット「globe」を結成。
・trfの「Overnight Sensation 〜時代はあなたに委ねてる〜」で日本レコード大賞を受賞。
・自身のレーベル「ORUMOK RECORDS」をスタート。
・華原朋美、H.A.N.D.をデビューさせる。(1996年にはdosがORUMOKからデビュー)。
・公式ウェブサイト「Planet TK」をスタートさせた。

■1996年
・globeのシングル「DEPARTURES」で売上200万枚を突破。
・globeのアルバム『globe』で売上400万枚突破。オリコン歴代アルバム記録を更新。
・華原朋美のアルバム『LOVE BRACE』が売上250万枚を突破。オリコン歴代ファーストアルバム初動記録を更新。
・安室奈美恵のアルバム『SWEET 19 BLUES』が売上300万枚を突破。オリコン歴代アルバム初動記録、累計記録(女性部門)を更新。
・安室奈美恵のシングル「Don't wanna cry」で日本レコード大賞受賞。
・4月に嘉門達夫が小室哲哉プロデュースの曲を替え歌にした、TK替え歌メドレーが発売された。その五ヵ月後の9月、TK替え歌メドレー2も発売となった。
・4月15日付けオリコンシングルチャートで1位から5位までを自身がプロデュースする楽曲で独占した。
・1月より「Planet TK」でNTTの音楽圧縮技術「Twin VQ」を用いた実験。
・カラオケソフトウェア「TK's karaoke engine」の販売がスタート。
・12月、小室哲哉とルパート・マードック氏率いるニューズ・コーポレーションが百万ドルづつ出資し、香港に合弁会社「TK NEWS」を設立。アジア進出の足がかりとなり、2年後に台湾からRingをデビューさせるきっかけとなった。マードックは1998年に撤退したが、TK NEWSはRojam Entertainmentの母体となった。

■1997年
・4月6日、祖父の出身地、福島県西白河郡中島村に小室アレンジの「ヨカッペ音頭」が流れるからくり時計を寄贈。
・「TK presents こねっと」として『YOU ARE THE ONE』をリリース。収益金は「こねっと・プラン」参加校に寄付され、教育現場へのインターネット普及に貢献した。
・安室奈美恵のシングル「CAN YOU CELEBRATE?」で売上が200万枚を突破、レコード大賞を受賞。

■1998年
・ニューヨークでインディーズレーベル「True Kiss DiSC」(1999年正式に設置)を始動。
・元dosの吉田麻美とともに「TRUE KiSS DESTiNATiON」を結成。
・鈴木あみ、甲斐よしひろ、Ring、白竜などをプロデュースした。
・globeのシングル「wanna Be A Dreammaker」でレコード大賞を受賞。
・香港にアジア最大の総合音楽プロダクションを目指す会社「Rojam Entertainment」を設立。
・東京にメディアファクトリーなどとの合弁会社「factory ORUMOK」を設立。
・トーコが、小室哲哉と日向大介の共同プロデュースでデビュー。
・未来玲可が小室哲哉と久保こーじの共同プロデュースでデビュー。
・サッカー・W杯フランス大会の公式アルバムにジャン・ミッシェル・ジャールとともに「TOGETHER NOW」で参加。
・パリ祭のメインイベント「RENDEZ-VOUS '98 ELECTRONIC NIGHT」。

■1999年
・TM NETWORKを再結成し「GET WILD DECADE RUN」を発売した。
・TRUE KiSS DESTiNATiONがTOTOの代表曲「AFRICA」をカバー。
・TLCのLeft Eyeが名付け親のBLAQUE IVORYを「ADORE ME」の作曲とアレンジを担当した。

■2000年
・TM NETWORKとKiss DestinationがTRUE KiSS DiSCレーベルから撤退。
・Rojamよりネット配信と通信販売により新曲を発表した。
・RojamからはzoieとCELINA。
・factory ORUMOKからは坂口実央、MIYUKI、清水まなぶ、ステレオリキッドなどがデビュー。
・ネット販売とコンビニ販売を視野に入れた両社であったがレコード販売以外はほとんど実現できなかった。

■2001年
・factory ORUMOKから撤退、5月、吉本興業とマネージメント契約を結ぶ。
・同日Kiss DestinationのASAMI(吉田麻美)と再婚。
・DJ DRAGON、原田大三郎とともに「GABALL」結成、トランス・ミュージックへの傾倒が始まる。
・Rojamのレコード販売事業は縮小。
・吉本興業により設立されたR and C(後にRojamの完全子会社となる)へ移籍。
・TRF、BALANCeなどとともに、クラブ・イベント「zento」を開催した。
・10月より放送を開始したアニメ「サイボーグ009 THE CYBORG SOLDIER」の音楽を担当。

■2002年
・トランス・イベント「SHYNTHESIZED TRANCE」を主催。
・3月に吉田麻美と離婚。
・11月22日、globeのボーカルKEIKOと再婚。globeにはX JAPANのYOSHIKIが加入した。

■2003年
・4月より3年間「CAT・ミュージックカレッジ専門学校」の名誉校長に就任した。
・初のピアノ・インストアルバムを3枚発表した。
・新型肺炎や鳥インフルエンザの流行などにより、韓国での開催を予定していた黄砂対策チャリティライブが中止。
・globeにYOSHIKI加入後初の東京ドームライブが中止と、不運が相次いだ。

■2004年
・Rojam株を全て売却し、Rojamの経営から撤退した。
・音楽プロダクションとイベント運営を行う会社として「トライバルキックス社」を新たに設立。
・サッカー・Jリーグの大分トリニータのスーパーバイザーに就任。
・4月21日 TM NETWORKデビュー20周年を記念して横浜アリーナでライブを行った。
・11月2日 globe結成10周年を記念して2年半ぶりの全国ツアーを行う。ツアー中に新曲「judgement」を披露。

■2005年
・avexの手掛ける高音質ネット配信の研究プロジェクト「HD Sound Lab.」のアドバイザーに就任。
・「@MUSIC HD」にてglobeの楽曲の高音質配信を開始した。

■2006年
・ロサンゼルスを拠点とした活動を再開。
・DJ TK名義で丸山茂雄運営の「mF247」に楽曲の提供を開始。
・小室哲哉と吉本芸人がコラボレートを行った。「TKプロジェクト ガチコラ」と題して、11組のお笑い芸人に楽曲を提供した。
・10月には米ロックバンド・Stevie Salas Colorcodeのアルバム『Head On Collision』に参加。
・楽曲「cherokee girl」にシンセサイザーで参加した。
・音楽配信を主として新たなサイト「TKCOM」を立ち上げ、音楽配信を開始した。

■2007年
・Kimeruの「with you」をプロデュース。男性ソロアーティストのプロデュースは自身で9年ぶりとなる。
・4月、尚美学園大学芸術情報学部音楽表現学科特任教授に就任。
・6月、所属事務所の吉本興業と契約満了。
・11月、楽器フェア2007に、TM NETWORKとしてライブ出演予定。


【作詞】
1997年11月1日の朝日新聞の記事で「Can you celebrate?」という英語の表現や、詞の文法がおかしいなどの指摘があるが、小室哲哉は『たけしの万物創世紀』で「科学で作ったミリオンヒット曲」の項目の時にVTRでのコメントで、サウンドにハマる言葉を選んでいたと発言した。作詞において特に影響を受けたのは渡辺美里との仕事であるという。彼女の詞の世界を参考に、自身の視点から同じテーマを書くとこうなるというアプローチ的手法で作詞していたと、TKMCの渡辺美里との対談で明らかにした。


【ヒット曲】
1994年、小室哲哉は、trfの「survival dAnce 〜no no cry more〜」で初めて100万枚以上のヒットを達成。

1997年の華原朋美のHate tell a lieまで20曲のミリオンヒット曲を世に送りだした。(小室ブーム参照)。

※下記は主な小室哲哉プロデュース作品の売上枚数 (オリコン調べ)。


☆ … ミリオン ☆☆ … ダブルミリオン

■1993年
  「EZ DO DANCE」trf 78万枚
  「寒い夜だから…」trf 67万枚

■1994年
 ☆「survival dAnce 〜no no cry more〜」trf 137万枚
 ☆「BOY MEETS GIRL」trf 128万枚
☆☆「恋しさとせつなさと心強さと」 篠原涼子 with t.komuro  202万枚

■1995年
 ☆「CRAZY GONNA CRAZY」trf 158万枚
 ☆「masquerade」trf 138万枚
  「もっと もっと・・・」 篠原涼子 with t.komuro 62万枚
 ☆「Overnight Sensation 〜時代はあなたに委ねてる〜」trf 106万枚
☆☆「WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント」H Jungle With t 213万枚
 ☆「GOING GOING HOME」H Jungle With t 125万枚
  「Lady Generation」 篠原涼子 53万枚
  「Feel Like dance」globe 95万枚
  「Joy to the love (globe)」globe 81万枚
 ☆「I BELIEVE」華原朋美 102万枚
  「BRAND NEW TOMORROW」trf 67万枚
  「Body Feels EXIT」安室奈美恵 88万枚
  「SWEET PAIN」globe 90万枚
 ☆「Chase the Chance」安室奈美恵 136万枚

■1996年
☆☆「DEPARTURES」globe 228万枚
 ☆「I'm proud」華原朋美 139万枚
 ☆「Don't wanna cry」安室奈美恵 138万枚
  「FRIENDSHIP」H jungle with t 68万枚
 ☆「You're my sunshine」安室奈美恵 109万枚
  「Is this love」globe 88万枚 
  「save your dream」華原朋美 92万枚
 ☆「Can't Stop Fallin' in Love」globe 131万枚
 ☆「a walk in the park」安室奈美恵 106万枚

■1997年
 ☆「YOU ARE THE ONE」TK presents こねっと 122万枚
 ☆「FACE」globe 132万枚
☆☆「CAN YOU CELEBRATE?」安室奈美恵 229万枚
 ☆「Hate tell a lie」華原朋美 105万枚
  「How to be a Girl」安室奈美恵 77万枚
  「LOVE IS ALL MUSIC」華原朋美 65万枚
  「Wanderin' Destiny」globe 87万枚


【チャート記録】
1996年4月15日付けのオリコンシングルチャートで、小室哲哉が作詞・作曲・プロデュースを行った楽曲が1位から5位を独占した。同一作家、兼、プロデューサーによる上位5曲独占は全世界音楽史上初。

1位 安室奈美恵 / 「Don't wanna cry」
2位 華原朋美 / 「I'm proud」
3位 globe / 「FREEDOM」
4位 dos / 「Baby baby baby」
5位 trf /「Love & Peace Forever」


1995年度のJASRAC発表の著作権使用料の分配額ランキングでは、小室哲哉が作詞・作曲を行った楽曲が国内作品の1位から3位を独占した。同一作家による上位3曲独占は史上初。

1位 「WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント」
2位 「CRAZY GONNA CRAZY」
3位 「Overnight Sensation〜時代はあなたに委ねてる〜」

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070806-00000042-nks-ent

[PR]

19800円〜より変則ギア付きビーチクルーザーの完全オリジナルカラーをご用意しており、大胆な色使い等、遊び心のあるデザインも大きな特徴。これからの季節にぴったりのビーチクルーザーがそろってます。

小西真奈美 エピソード&プロフィール

小西 真奈美(こにし まなみ、1978年10月27日 - )は鹿児島県川内市(現・薩摩川内市)出身の女優、元・モデル。本名同じ。CATAMARAN所属。旧所属はユマニテ。

愛称はこにたん(リリー・フランキーが命名)。薩摩川内市立川内中央中学校、鹿児島県立川内商工高等学校卒業。


【プロフィール】
愛称: こにたん
生年月日: 1978年10月27日
現年齢: 28歳
出身地: 日本 鹿児島県
血液型: AB型
公称サイズ(出典不明)
身長 / 体重: 168 cm / 55 kg
BMI: 19.5(普通体重)
スリーサイズ: 80 - 59 - 88 cm


【来歴】
エリートモデルルック日本代表を経て雑誌などでファッションモデルとして活躍。

その後、当時同じ事務所であった牧瀬里穂が演技講習を受けていた関係から「北区つかこうへい劇団」に入団し女優に転向、「寝取られ宗介'98」で女優デビューする。同劇団在籍時からテレビでの活躍が多くなり、フジテレビ系『ココリコミラクルタイプ』で一躍人気を獲得。女優としても、同時期にNHK朝の連続テレビ小説『ちゅらさん』に出演し、ヒロインの恋敵となるクールな女医を好演。同ドラマがブームとなったこともあり、認知度も高まった。清純な女性役が多いが、『ココリコミラクルタイプ』におけるコントでのボケ役などを始め、多面的な演技者としての顔を見せている。

2002年公開の初出演映画「阿弥陀堂だより」において、2003年第26回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。喋ることができない難病を抱える少女役を演じた実績が認められての受賞。

2006年6月16日に、2000年頃から6年をかけて撮影した、自身初の写真集「27」を発売。ただし本人曰く「写真集は一生に一回でいい」とのこと。

香川県の讃岐うどんをテーマにした映画『UDON』(2006年8月26日公開:東宝、フジテレビ)ではユースケ・サンタマリアと共に主役を演じる。また、この映画のカンヌ映画祭の新作映画ラインナップ発表会が2006年5月20日(日本時間21日)に行われ、ユースケ・サンタマリアと共に出席した。

2006年より出演したアサヒビール製造・販売の第3のビール「ぐびなま」のCMが反響を呼び、売り上げの向上に貢献したのではないかと言われている。このCMの影響からか日本地ビール協会によるアンケートで2006年の「ビールが似合う女優」第1位([1])、2006年6月のCM好感度調査でも第2位に選ばれた。

2007年にはTBS系列のドラマ『きらきら研修医』で連続ドラマ初主演を果たす。その役作りのため、デビュー以来では初めてショートカットになった(本人によれば、40cm近く切ったとのこと)。同年2月より九州新幹線「つばめ」のイメージタレントとして起用される。

2007年3月28日、前述のココリコミラクルタイプはこの日の放送をもって卒業となった。


【人物】
■趣味は夜間にドライブをすること。愛車は4WDであるが今現在明らかにはなってはいない。

■きらきら研修医の撮影中、共演のウエンツ瑛士が話しかけても「さらっと笑顔で人の話を聞いていない(ウエンツ談)」ことがしばしばあるらしい。(ハプニング大賞内のVTRより)

■理想の男性はジョン・カビラで、小西があっぱれさんま大教授(フジテレビ)出演時に本人が登場し、驚きを隠せなかった。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070523-00000002-sanspo-ent

[PR]

■SEO対策ドットコム & SEO対策キーワード辞典





【SEO対策ドットコム】



SEO対策ドットコムは、SEO対策方法をテキストによる説明ではなく、

FLASH動画で説明している点が一番の特徴です。



FLASH動画の説明がある事で、従来のテキストによる説明より

わかりやすくSEO対策方法を学ぶことができます



SEO対策ドットコム





【SEO対策キーワード辞典】





SEO対策で最初につまづくのは、難しい専門用語ではないでしょうか?

SEO対策キーワード辞典では、SEO対策に関連の高いキーワードを解説しています。



キーワード検索機能もついていますので、辞典としてご利用いただけます。



SEO対策キーワード辞典





SEO対策に強いホームページ制作会社をお探しの方はホームページ制作 検索ドットコム

小池栄子 エピソード&プロフィール

小池栄子(こいけ えいこ、1980年11月20日 - )は、東京都世田谷区出身のタレント、女優。所属事務所はイエローキャブ。血液型はAB型。

イエローキャブの系列会社であるサンズに所属していたが、2004年11月に両社の社長であった野田義治がイエローキャブを辞任したことをきっかけとして、イエローキャブへと移籍した。

左利き。若干、右も使える。


【プロフィール】
・生年月日: 1980年11月20日
・現年齢: 26歳
・出身地: 東京都世田谷区
・血液型: AB型
・公称サイズ(2006年時点)
 身長 / 体重: 166 cm / 50 kg
・スリーサイズ: 91 - 59 - 87 cm
・靴のサイズ: 25 cm


【人物像】
場に応じた物怖じしないトークが印象的なためかバラエティタレントというイメージが強いが、女優としての仕事も多く、特に”狂った女”の演技には定評がある。

実家は幼少期はパチンコ店で、現在ゲームセンター。世田谷区立代沢小学校、和洋九段女子中学校・高等学校卒。中学・高校時代に創作ダンス部に所属していたこともあり、ダンスが特技。

デビュー後しばらく水着のグラビア仕事が多かったことからは信じ難いが、幼児期に溺れかけた体験があるため現在でも水恐怖症である。

ちなみにデビューはグラビアアイドルながらも、スカウト時に水着はやらない条件で芸能界入りしたのに、実際にはグラビアアイドルとしてデビューさせられたため「事務所に騙された」とTVでコメントしている。デビュー当時のキャッチフレーズは「宇宙一のメロンパイ」

巨乳ブームの火付け役的存在。だが、デビュー当時のグラビア写真では、現在のような巨乳はない。巨乳ブームが訪れたときに突然巨乳アイドルとして活躍を始めた。これによって世間には小池栄子偽パイ疑惑が存在するが、野田義治社長は「X線写真を撮ってでも偽パイ疑惑を晴らしたい」と言っている。実際に「アッコにおまかせ!」の中でX線写真を撮ったことがあり、偽パイではないことが証明されたが、乳が垂れていることが発覚してしまった。

井上和香とは同じ畑で活動していることから時折ライバルとしてネタにされるものの、実際はプライベートでMEGUMIと3人で一緒に食事することが多い。また、グラビア系ではないが矢沢心とは高校時代からの親友である。巨乳グラビア系ではカリスマ的存在で、乙葉、熊田曜子、磯山さやかも彼女が近くに来ると必ず挨拶をしていると言う。あからさまな巨乳のため、某ページで胸の手術を受けたのではと掲載され、これに小池が激怒し、裁判沙汰になったことがある(その後掲載者に不利な証言が多数得られたため、地裁判決直前に掲載者が謝罪して和解)。また、この間に、テレビに出演する女性の肖像権を管理すべきと発言し、2004年に肖像権を守る会設立の裏の主役となり、更に、CMやポスターでモーニング娘。らと共演。

顔に関しては、島田紳助からよく新幹線やウミガメに似ていると言われている(“癒し系”ならぬ“威圧系”の顔とも言われる)。また、テレビ番組「SMAP×SMAP」にゲスト出演したとき木村拓哉からミートくん(漫画・キン肉マンに登場するキャラクター)似と言われた。その他「悪いウルトラマン」「仏像」などと言われることも多く、本人も時折トークでネタにしている。他に米倉涼子に似ているとも言われる。そして山口智充によく顔真似をされている。

岡村隆史などからよくいじられる。

余談だが、小池がレギュラーおよびゲスト出演した直後の一部の番組は出演後1年以内に終了してしまうという妙なジンクスがある(例:日本テレビ「ウリナリ!!」や毎日放送「ジャングルTV〜タモリの法則〜」、フジテレビ「クイズ$ミリオネア」(ミリオネアにいたっては末期にあたる2007年3月8日にゲスト出演)など)。

歌うことについてはかなり音域が狭く声がひっくり返りやすいため、強い苦手意識を持っている。また、ウリナリの社交ダンス部ではゴルゴ松本とのコンビでは1級を獲得し、国内タイトルも獲得した。2005年にイギリスで開かれたブラックプールダンスフェスティバル(全英オープン大会 杉本彩・南原清隆組も)に出場する快挙も成し遂げた。

現在の恋人は、リングス(前田日明主宰、現PRIDEヘビー級王者エメリヤーエンコ・ヒョードルなどが在籍した総合格闘技団体)出身で、現在はDSEのハッスルを主戦場とし、ZERO1-MAXにも定期参戦するプロレスラーの坂田亘。実際、ZERO-ONE(ZERO1−MAXの前身団体)の会場に小池を観戦させ、リング上で坂田が告白したという時があった。(実際は小池がプライベートで坂田に告白した)

PRIDEでゲスト解説をしており、アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ(ノゲイラ兄)の熱烈なファンでも有名。解説者として仕事をするには、建前上、公平な解説をするのが原則なのだが、小池が、あまりにもノゲイラ兄を一方的に応援する為、それを非難する格闘技ファンも少なくない。ノゲイラ兄とミルコ・クロコップが対戦した時、ノゲイラ兄は一方的にミルコに攻められピンチに陥るが、見事な逆転勝利を収めた。その直後、小池は大声で奇声をあげながら泣き喚いた。不快に感じる視聴者は多く、小池への非難意見が殺到した。放送サイドからも相当叱られた(叱られた趣旨の話をジャンクSPORTSで話していた)のか、それからの小池は解説席でもめっきり大人しくなった。そのおかげかノゲイラ兄vsミルコ戦の時と比べると、小池への非難の数はかなり減ってきている。

「ワンナイR&R」でSせんと言うキャラを演じていたほか、「堂本剛の正直しんどい」で躊躇なくアンガールズの田中卓志をビンタする姿から実際にSなのでは?といわれることもある(「めちゃ²イケてるッ!」でも同じようなことがいわれた)。ただ、「ロンドンハーツ」の「格付けしあう女たち」コーナーに出演した時は「私は極上のM」と発言している。それを裏付けるかのように「踊る!さんま御殿!!」では「彼氏にはお前と呼ばれたい。(彼氏の)所有物になったような気がしてすごくいい」とも発言したこともあった。

CHAGE and ASKAのASKAの大ファンであり、本人によると小学生のころは「絶対結婚するんだ」と言っていたらしい。2005年11月に自身のラジオ番組にASKAがゲスト出演した時はとても感激し、放送終了後も暫くスタジオ内で余韻を味わっていたという。またその時の番組内のトークで2004年8月に行われたCHAGE and ASKAの「熱風コンサート」にひとりの客として聞きに行っていたことが判明。ASKAは「全然分からなかった」と驚いていた。

「結婚を夢見ていた」ほど浅草キッドの水道橋博士の大ファン。

ブレイク後も長らくグラビアを続けていたがイエローキャブ分裂を機に事実上グラビアからは引退した。


【エピソード】
■本人曰く、中学三年生までおねしょをしていたらしい。

■以前、爪を噛む癖があった。

■2007年2月現在、自動車の運転免許を持っていないが、本人曰く「2007年中に取る」とのこと。 

■「徹子の部屋」(テレビ朝日系列)に出演した際「日本の女優は演技人が少ない、私は(演技で)求められればヌードになっても良い。」と演技にかける情熱を語った。この熱意が高い演技力と評価に繋がっている。

■初体験は高校生らしい。(2006年9月20日放送「水10!ワンナイ3時間超人気者全員集合SP」より)

■好きな体位は基本的に正常位らしい。

■祖父はパチンコ屋の創業者。(2006年11月20日放送「カンブリア宮殿」より)

■現在は、ゲームセンターとなっている。これも小池の実家の経営。

■幼少時は一輪車に乗るのが得意で、地元の下北沢中を一輪車で走り回れるほどの腕前だったらしいが、テレビで再び挑戦したところ乗れなくなっていて本人も相当のショックを受けていた。(2007年2月7日放送「わたしが子どもだったころ」より)

■今まで生きてきた中でアルバイトはわずか5時間しか経験しなかった。(2007年2月15日放送「ダウンタウンDX」より)

■ベッカムがかっぱ巻きを食べた箸を持って帰った。(2007年3月18日放送「ジャンクSPORTS」より)

■芸能界デビュー前にカットモデルの仕事をしていたことがある。また15歳のとき「バスト93センチGカップ女子高生」として、雑誌及びTV番組「1億人の大質問!?笑ってコラえて!」に出たことがある。

■「ワンナイR&R」で共演した宮迫博之とは仲が良く「彼氏ができたときは必ず宮迫さんに紹介している」と「あっぱれさんま大教授」出演時に語っている。

(出典:Wikipedia)



[PR]
☆★☆新規お申込みの方15〜18%!!☆★☆

◎こんなに便利なライブドアクレジット◎

☆使い道は自由!

ご利用使途はお客様のライフプランは併せてご利用下さい。

☆パート・アルバイトの方でもOK!

20歳以上の方で定期的な収入のある方であればお申込出来ます。
もちろん自営業の方やご主人がお勤めに出られている主婦の方でもお申込み
できます。

☆会員の方にはお電話1本でお振込!

ご契約後もお電話一本でご登録頂いたお口座へお振込いたします。

★お申込みはココ★
http://ad.affipa.ne.jp/LK00078066/PS00026557/click.cgi
あのライブドアのクレジットサービスです!
[PR]

後藤真希 エピソード&プロフィール

後藤 真希(ごとう まき、1985年9月23日 - )は、日本の歌手、女優である。ハロー!プロジェクトの一員で、元モーニング娘。のメンバー。日出女子学園高等学校中退(普通科中退→通信制編入→中退)。アップフロントエージェンシー所属。東京都江戸川区出身。血液型はO型。身長は158.8cm(本人談)。愛称はごっちん、ごっつぁん、ごまちゃん。


【人物・エピソード】
■ハロー!プロジェクトメンバーの中でも「スタイルが良い」と評されることが多く、写真集等のグラビア媒体でも活躍している。二十歳(はたち)を過ぎてからはセクシー路線を打ち出している。

■モーニング娘。加入当時は金髪だったが、本人いわく「学校が夏休みだったから金髪に染めた」と言う。その後、グループ黄金期の中心格メンバーとなったこともあり、象徴色として金色(ゴールド)が使われていた(#アルバム・#コンサートのタイトルを参照。ただし後述の「可愛らしい一面」を大事に考えるファンからは支持されない場合がある)。

■モーニング娘。に加入した当初、「教育係」として市井紗耶香が就いた。ちなみに、これが初の「教育係」であった。翌年の次の新メンバー加入時には一人一人に教育係が就くことになり、後藤は早くも加護亜依の教育係に指名された。

■歌う時のマイクの持ち方が特徴的で、ほとんどの場合、左手の小指をマイクに沿わして平行に伸ばして持つ。松浦亜弥によれば、ごまっとうでこの持ち方に合わせる事になったため、苦労したとの事。ちなみに、田中れいなも同じ持ち方をしている。

■マスコミや一般人から「ゴマキ」と呼ばれることが多いが、かつて後藤久美子が「ゴクミ」と呼ばれることを快く思っていなかったのと同じく、後藤本人も「ごっちん」「ごっつぁん」と呼んで欲しいと語っており、ファンも「ゴクミ」をもじって造られた呼称である「ゴマキ」とは呼ばない。ただ、後藤本人や事務所の意向をかなり尊重しているものの、ハロー!モーニング。のキャラクターで「ゴマキペンギン」「ゴマキスズメ」の様に使われることがある。なお、本人は自分のことを「後藤」と言う。

■ハロー!プロジェクトの中でもトップクラスの運動神経の良さを持ち、ハロー!モーニング。での運動神経テストではパーフェクトの数値を記録したことがある。

■腕相撲は辻希美と1・2位を争う強さを誇り、矢口真里が両腕でやっても勝てないほどである。ライブ等でも筋肉質の鍛えられた肢体を披露しているが、本人はむしろ女性らしい体型を望んでおり、筋肉がつくことを嫌がっている。

■デビュー時の印象や外見から、クールで大人っぽいという一般的なイメージがあるが、それとは裏腹に、無邪気な言動や料理やお菓子作りが趣味というかわいらしい一面がインタビューやラジオ番組などで明らかにされている。

■他にメジャーな愛称があるハロー!プロジェクトのメンバーを独特の愛称で呼ぶ傾向がある。例えば、松浦亜弥(「あやや」)を「まっつー」(この愛称は、安倍なつみも使用していることから、「後浦なつみ」内での共通の愛称であると推察される。)、吉澤ひとみ(「よっすぃ〜」)を「よし子」、新垣里沙(「豆」「ガキさん」)を「ニイニイ」、道重さゆみ(「さゆ」「しげさん」)を「ミッチー」と呼んだりしている。

■ソロデビュー曲「愛のバカやろう」によって、オリコン初登場1位最年少記録(15歳6ヶ月)保持者となった。

■視力は両眼とも2.0。カラーコンタクトを着用しているのはオシャレのため。

■アナゴのにぎりが苦手。とんねるずのみなさんのおかげでしたの食わず嫌い王決定戦に出演した際に判明した。

■イグアナを3匹飼っている(ただし、2007年2月現在は家族に子供がいるため預けている)。名前はパパ(雄)、ママ(雌)、アベちゃん(雄)。アベちゃんはうたばんの企画でプレゼントされた、後藤真希と同じくらいの身長のグリーンイグアナで、名前は番組プロデューサーの阿部龍二郎から。散歩に連れて行ったり、テレビ番組やコンサートでイグアナのかわいさを熱弁したりするイグアナ好きだが、イグアナ以外の爬虫類は特に好きではなく、ヘビなどは苦手。


【略歴】
●1999年
・8月 -モーニング娘。第2回追加オーディションに合格してモーニング娘。第3期メンバーになる。
本来2人追加される予定だった(1999年9月9日に9人になると発表された)が、つんく♂曰く「10年に1人の逸材」「才能が飛び抜けていた」と言う理由で後藤1人が合格した。

・9月 - 加入直後にリリースされたシングル「LOVEマシーン」で、いきなりグループのセンターポジションを担当。

・11月 - 保田圭・市井紗耶香と3人でグループ内ユニット「プッチモニ」としてもデビュー。シングル「ちょこっとLOVE」は110万枚の売上げを記録。

●2000年
・4月 - テレビ東京系列にて「ハロー!モーニング。」スタート。初代司会者に就任。

●2001年
・3月 - シングル「愛のバカやろう」でソロデビュー。オリコン初登場1位。

・7〜9月 - 連続テレビドラマ初出演「マリア」(TBS系)で、4姉妹の末っ子の役を担当。

●2002年
・9月23日 - 17歳の誕生日にモーニング娘。を卒業。前日の9月22日にはテレビ東京系列にて「生中継!後藤真希・モーニング娘。卒業!ファイナルステージ」という特別番組が組まれた。中山秀征・中澤裕子の2人を司会に据え、更に夏まゆみ・市井紗耶香の2人をゲストに迎えて13人での最後のテレビ出演を無観客状態の横浜アリーナから生中継で行なった。

・11月 - 松浦亜弥・藤本美貴とユニット「ごまっとう」を結成。シングル「Shall We Love?」をリリース。

●2003年
・ミュージカル「けん&メリーのメリケン粉オンステージ!」、映画「青春ばかちん料理塾」でそれぞれ初主演。

・12月31日 - ソロとして「第54回NHK紅白歌合戦」初出場。

●2004年
・10月 - 安倍なつみ、松浦亜弥と、ユニット「後浦なつみ」を結成。シングル「恋愛戦隊シツレンジャー」をリリース。

・10月、12月 - テレビ朝日の音楽特番で特捜戦隊デカレンジャーとの夢の競演を安倍なつみと松浦亜弥とで果たす。

・12月31日 - 「後藤真希&松浦亜弥」として「第55回NHK紅白歌合戦」に出場。2回連続の出場を果たす。

●2005年
・大河ドラマ「義経」出演(能子役)。

・1月10日 - 「110番の日」、警視庁にて一日通信指令センター長を務める。110番通報を受けるデモンストレーションを行う。

・10月 - 安倍なつみ、松浦亜弥、石川梨華と共に「DEF.DIVA」を結成、シングル「好きすぎて バカみたい」を発売。オリコン初登場1位(5つの名義での首位獲得を達成)。しかし、このユニット名で「義経」の裏番組「歌笑HOTヒット10」に出演した。

・12月31日 - 「DEF.DIVA」及び「モーニング娘。ドリームチーム」として3回連続のNHK紅白歌合戦出場。

●2006年
・2月 - 急性腸炎を発症し、舞台「ハロ☆プロ オンステージ!」(2月15〜19日)を降板して休養。同21日に復帰。

・6月 - 「後藤真希シークレットライブ」(シングル「ガラスのパンプス」購入者特典イベント)において、初めてライブハウスでのソロライブを行なった。

・9月 - 韓国で現地のファン1200人とイベントを行なった。併せて韓国で発売するベストアルバムのプロモーション活動を実施。

・11月 - 韓国で自身初の海外ライブを行なった。

・12月 - SanDisk(デジタルオーディオプレーヤーSansa、フラッシュメモリ製品)のイメージキャラクターに起用された。

●2007年
・1月24日 - モーニング娘。結成10周年を記念するユニット「モーニング娘。誕生10年記念隊」に3期メンバーとして参加、シングル『僕らが生きる MY ASIA』をリリース。

・3月13日 - 北京で行われた「日中スーパーライブ」(日中国交正常化35周年を記念する「日中文化・スポーツ交流年」の開幕イベント)に参加した。

・4月11日 - 総理大臣官邸で行われた中国の温家宝首相来日の歓迎夕食会に参加し、温家宝首相や安倍晋三首相の前で『僕らが生きる MY ASIA』をソロで披露した。


【紅白との数奇な縁】
■1999年 - 2001年
デビュー以来、モーニング娘。として『NHK紅白歌合戦』(以下『紅白』)に連続出場した。

■2002年
9月23日の誕生日を期にモーニング娘。を「卒業」した後、ソロ第1弾として予定されていたシングルリリース予定をキャンセルして「ごまっとう」を急遽結成、「Shall We LOVE?」をリリース。これは俗に「紅白出場必勝体勢」と噂された。しかし結局、ハロープロジェクトとしては、藤本美貴がソロとして、モーニング娘。・松浦亜弥とともに紅白初出場となり、この年は出場を逃す結果となった。

■2003年
「後藤真希」名義での初出場。ただし、オリジナル曲ではなく杏里の往年のヒット曲「オリビアを聴きながら」を歌う。この曲選択はモーニング娘。のオーディションで歌った曲ということで「本人の意向」とされている。後に,ベストアルバム「後藤真希プレミアムベスト1」にてCD化された。イントロには「LOVEマシーン」を彷彿とさせるアレンジを用い、曲中の衣装替え(黒子として安倍なつみらモーニング娘。のメンバーを従えて衣装を脱ぐパフォーマンスを行った)は、モーニング娘。からの「卒業」が暗示されていると見られる。

■2004年
後浦なつみで出場決定。しかし決定直後の11月下旬になって安倍なつみの活動自粛が決定し、安倍は出演辞退、後浦なつみ名義は取り消され、「後藤真希&松浦亜弥」として出場。この時の歌は童謡と二人それぞれの持ち歌である「手を握って歩きたい」「奇跡の香りダンス。」をメドレーにして歌った。結果的に、ソロの持ち歌を初披露することとなった。事件の顛末としての話題性もあったせいか、毎分視聴率でこの年の紅白としては非常に高い数字を叩き出した。

■2005年
DEF.DIVAとしての出場が決定。3回目の「初出場」となり、「紅白最多初出場」のタイ記録と言う珍記録を達成した(女性では新記録。前年の松浦とのコンビがユニットとして認定されていれば全体の新記録であった)。さらに、モーニング娘。卒業メンバーとして、総勢19人での「LOVEマシーン」に参加した。

(出典:Wikipedia)


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070505-00000027-dal-ent

小向美奈子 エピソード&プロフィール

小向 美奈子(こむかい みなこ、1985年5月27日 - )は埼玉県蓮田市出身の女優、タレント。リップ所属。血液型はAB型。日本音楽高校中退。


【プロフィール】
生年月日: 1985年5月27日
現年齢: 21歳
出身地: 日本・埼玉県蓮田市
公称サイズ(2006年時点)
身長: 156 cm / 5′ 2″
体重: ― kg / ― lb
スリーサイズ: 86 - 58 - 85 cm
靴のサイズ: 23.5 cm


【略歴・人物】
■15歳の時にグラビアアイドルとしてデビュー。以降バラエティ番組への出演や女優活動も行っている。

■デビューのきっかけは、渋谷センター街のマクドナルド店内において、友人ら5名ほど(但し、小向以外は全員男性だったとのこと)といた際に、後に所属することになる芸能事務所のマネージャーが突然小向の真隣りに座り、話し掛けた(スカウトした)ことだった。あまりの唐突さに小向自身を含むその場にいた全員がドン引きだったという。ちなみに、その際の小向は金髪で外見は完全なヤンキーだったという。

■2000年終盤に第1期プチエンジェル、2001年にフジテレビビジュアルクイーンの一員として選出された。

■昼ドラ『冬の輪舞』ではウェディングドレス姿を披露している。(スペシャルのみ)

■サッカーアニメ『ホイッスル!』では、主人公・風祭将の声優も務め、主題歌も担当。

■関西ローカルのとある番組で、阪神ファンの出演者が多い中「私は巨人ファンです」と言ってのけた。ちなみに好きな選手は高橋由伸。

■2005年夏頃に水着卒業を発表。本格的にタレント・女優業にシフトするかと思われたが、2006年7月発売のDVD「REVOIR」で、グラビア活動再開。

■バラエティ番組『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』のチキンNo.1決定戦というコーナーで行われている「女だらけの10m高飛び込み」の女性芸能人最長記録保持者(1時間2分32秒)。

■グラビアを中心に活動していた10代の頃は、少しぽっちゃりした印象があり、グラビアでもそのイメージで売っていたが、20代になってからは、スリムな印象に変わった。そのためか、10代の頃と20代の顔の印象があまりにも違うため、整形疑惑も持たれている。

■前田耕陽の事が本当に好きだったという(関西テレビ『たかじん胸いっぱい』2006年10月21日放送分、本人談)。

(出典:Wikipedia)


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070409-00000001-sanspo-ent

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070409-00000020-spn-ent

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070408-00000160-sph-ent

小林麻央 プロフィール&エピソード

小林 麻央(こばやし まお、1982年7月21日 - )は、平成期の女性タレント、女優、キャスター。セントフォース所属。新潟県小千谷市生まれ、東京都出身。血液型はA型。姉はTBSアナウンサーの小林麻耶。


【略歴】
・愛称:まお、まおちゃん
・出身地:東京都(一部では新潟県出身)
・新潟県小千谷市生まれ→埼玉県与野市(現:さいたま市中央区)→兵庫県西宮市→東京都荒川区
■来歴:
 ・國學院高等学校卒業
 ・2005年3月、上智大学文学部心理学科卒業
 ・2003年10月1日からセントフォースに所属している
・身長:164p(姉・麻耶よりも7p高い)
・資格:普通自動車免許(2006年取得)
・趣味・特技:社交ダンス
・動物占い:チーター
・好きな食べもの:肉じゃが、あなご、えび、つくね、焼肉、クリームパスタ
・好きなスイーツ:桃、メロン、マンゴー、フォンダンショコラ、クレームブリュレ、シュークリーム、モンブラン、アイスクリーム(一番よく食べるのは、ヨーロピアンシュガーコーン)、クッキーなど
・苦手な食べもの:ピクルス
・好きな色:ピンク、白
・好きな花:マーガレット、カスミソウ、スイートピー
・好きな動物:猫、犬
・特徴:左利き、声の独特なトーン
・視力が悪く、コンタクトレンズを使用している。
・目標:将来は鈴木京香のような女優を目指している
■その他:
・俗に「癒し系女優」に分類される。彼女の笑顔が多くのファンをとりこにしているといえよう


【来歴・人物】
■上智大学生時代から恋のから騒ぎに出演して最前列で人気を独り占めにする。

■2003年10月、「めざましどようび」お天気キャスターとして本格的に芸能界デビュー。

■2004年放送の深夜ドラマ「ピンクヒップガール」(フジテレビ関東ローカル)、2005年に発売された大塚愛主演のビデオシネマ「東京フレンズ」出演後、2005年7月〜9月放送のフジテレビ系月9ドラマ「スローダンス」で本格的に女優業に進出。

■「めざましどようび」出演開始以降、テレビ番組や女優業に関してはほぼフジテレビ専属状態が続いていたが、2006年1月3日放送の日本テレビ系「太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。」で、久しぶりにフジ以外の他局の番組に出演したのを皮切りに、同年春のスペシャルドラマ「Happy!」(浦沢直樹原作、相武紗季主演)で遂に姉の勤め先であるTBSのドラマに出演。その後「おいしいプロポーズ」「タイヨウのうた」と立て続けにTBSの連続ドラマに出演し、年末には「小学生クラス対抗30人31脚」でテレビ朝日にも進出と、出演局の幅を大きく広げた。

■2006年8月23日に会見を開き、「めざましどようび」のお天気キャスターを同年9月をもって涙の卒業することを発表した。なお、会見では10月から後任を務める山縣苑子も同席した。ちなみに、めざましどようび卒業後もフジの番組には出演している。

■2006年10月2日からは日本テレビ系の新番組「NEWS ZERO」(月〜木曜後10時54分、金曜後11時30分)の月〜木のサブキャスターを務めている。

■フジテレビ系の人気バラエティ番組「奇跡体験!アンビリバボー」の新進行役として、佐藤藍子の後を受けて2007年4月12日から出演する。初の収録で「 - アンビリバボー」のファンであることを明かした。


【姉および家族に関するエピソード】
■TBSアナウンサーの小林麻耶は実姉。

■かなり仲の良い姉妹で、「麻央ちゃん」「お姉ちゃん」と呼び合う。

■麻央の方が身長も高く、大人びていて、姉妹が逆(麻央が姉、麻耶が妹)に見られることもある。

■恋愛の事から仕事の悩みまで、何でも麻耶に相談し、麻耶を尊敬。麻耶も麻央を非常に可愛がっている。

■今でも時間さえ合えば、姉妹そろって一緒にお風呂に入ると王様のブランチに出演したときに語っていた。

■ちなみに、麻耶は母親似、麻央は父親似であると、麻央のファンサイトやはなまるマーケット「はなまるカフェ」で麻央自身が語る。

■姉の麻耶に勧められた事がきっかけで在学中に「恋のから騒ぎ」に出演。麻耶同様に、いくつかのファンサイトがあり、その中で、自分自身のプライベート写真、プリクラ等を公開した事もあり、今となっては幻の貴重な画像である。

■姉の麻耶も母も7月生まれ(麻耶は12日、母は19日、麻央は21日)。

■小さい頃は自分の名前“麻央”が好きでなかった、というのは「魔王、魔王」とからかわれる事があったためと話している。そのため、小さい頃は姉の名前“麻耶”の方が良かったと思うことがあったと話したこともある。

■前置胎盤だったため、帝王切開で予定日より1ヶ月早く生まれた。なお、前置胎盤で多量出血をした母は奇跡的に助かったらしい(「まお日記」より)。

■観葉植物のベンジャミンは小林家の家宝。麻央が小さい頃から母親が大事に育てている。今では麻央の背丈を越して、175cmにもなった。クリスマスにはベンジャミンに飾り付けをする。ただ、大事な物だから24、25日の2日間だけ飾る。

■母親はいつも姉妹の朝ごはんを作ってくれる。また姉妹で料理もする。

■父親は割りとシャイで、買い物に誘っても一緒についてこない。テニス好き。男の子が欲しかったようで、麻央(麻耶も?)が小さかった頃、野球を習わされた。

■一緒に買い物に行ってもお互いが好きな物を買うためはぐれてしまう事もある。

■アイスを食べた食べないのような些細な事で喧嘩しても姉が謝ってくる。

■姉妹で洋服を貸し借りしあう。ただ、新品の洋服は姉が汚すから、麻央は貸さない。新品は貸さないまでも、麻央は姉が会社に着ていけるように派手で無い洋服を買う。

■2006年、TBS系列の「月光音楽団」に出演した際、理想の兄弟像は“姉・麻耶−兄−麻央”と語っていた。

■なおTBS、セント・フォース、小林家による取り決めか、テレビ・ラジオ・雑誌での麻耶との直接共演は実現していない。尤も、麻央本人のTBSへの出演も、(ゲスト出演等を除けば)キャスター業ではなく女優としての出演が殆どである。


【エピソード】
■「めざましどようび」の共演者で、同じ事務所所属の高樹千佳子と仲が良く、一緒に受けたインタビューでは高樹のことを「お姉ちゃんみたい」と答えている。2人は週刊プレイボーイの39周年企画で「いつまで寝てるの?男たち。」のキャッチフレーズで都内65箇所の街角の看板を飾った。

■めざましテレビのお天気キャスター皆藤愛子と初めて共演した際、皆藤の印象を聞かれると「妹ができたような感じ」と答えている。

■フジテレビのドラマ出演、CMの出演、本人の写真集発売などの際には、「めざましどようび」のコーナーで紹介されることが多い。また、「めざましテレビ」や「めざにゅ〜」でも取り上げられることがある。ちなみに「めざましどようび」、「めざましテレビ」、「めざにゅ〜」の各メインキャスターは、小林麻央の話題になると比較的コメントすることが多い。

■2004年のお台場冒険王では「めざましどようび」から「まお人形」が発売された。

■2006年5月27日の「めざましどようび」で、友人の大塚愛が”まおのフレッシュ☆ホリデー”(通称:フレ☆ホリ)に出演した。

■2004年9月15日、クイズ!ヘキサゴンのめざましファミリーSPに出演した一人である。

■本人の共演者、友人、グルメなどの情報が詰まったオフィシャルサイト「まお日記」は数日おきに更新される(一時期、1ヶ月以上更新しなかったことがある。その際、大学の先輩に「早く更新するように」と言われて、更新した。なお、更新が遅れたのは卒論の準備と仕事のためであった)。

■上智大学の卒業論文は「精神テンポ」について(日常生活におけるその人らしい精神テンポ)。麻央本人は自分のことを普通の人よりはゆっくりなテンポであると自覚をしている。

■焼肉が好物で、「ご褒美に食べる」。

■お酒は飲めるのかもしれないが、ソフトドリンク派であると発言している。

■セントフォースに入った理由は、憧れの吉田恵が所属していたことが大きいと語っていた。

■私服はスカート7割、パンツ3割とまお日記で発言していた。

■漫画「BASARA」は麻央の愛読書。人生のバイブルとも言うべき書物。高校生の時に感動して泣きながら読んでいた。

■麻央は犬と猫を比較すると、犬派である。しかし、「めざましどようび」で企画作成した「ニャン子THEムービー」にふれ、猫も好きになった。

■大塚愛のライブDVDに、2回も映っている。また、大塚愛とはドラマ共演以来の友人であり、普段でも大塚愛から声マネをされたりしている。東京フレンズの収録中は大塚愛に加え、真木よう子にもマネされたようである(2006年7月31日放送のHEY!HEY!HEY!より)。

■2006年8月24日、「めざましテレビ」の芸能・エンタメコーナーで、「めざましどようび」のお天気キャスター卒業を発表した記者会見の模様が放送された。メインキャスターの大塚範一が、「卒業後はどこに行けば会えるの?」と伊藤利尋アナに聞くと「教えないよ。」と答えていた。

(出典:Wikipedia)

倖田來未 プロフィール&エピソード

倖田 來未(こうだ くみ、本名・神田 來未子(こうだ くみこ)、1982年11月13日 - )は、日本の女性歌手。京都府出身。エイベックス・rhythmzone所属。身長154cm。

歌手のmisono(元・day after tomorrow)は実妹である。


【来歴】
●2000年 デビュー
ドリカムに憧れ芸能界入りを志す。1999年、京都精華女子高等学校在学中にテレビ東京で放送していたオーディション番組「ASAYAN」内「モーニング娘。追加メンバーオーディション」において、後藤真希とその座を争ったが、先行して行われていたエイベックス(エイベックスエンタテインメント)主催のオーディション「avex dream 2000」にて準グランプリを受賞。これにより同社でレッスンやトレーニングを無償受講できる権利、同社との専属契約権を獲得した。

2000年12月6日、エイベックスのrhythm zoneレーベルよりデビュー決定。先にアメリカで「KODA」名義でデビューし、1枚目のシングル『TAKE BACK』は全米で先駆けて発売。全米ビルボードダンスポップセールスチャートで初登場19位、最高18位を記録。更に2枚目のシングル『Trust Your Love』がビルボード総合セールスチャート初登場39位にランクイン、日本人のチャートインとしては7人目で、またダンスポップセールスチャートでは初登場1位を獲得した。

●2000年-2002年 下積み・ヒットの出ない時代
華々しく「凱旋デビュー」を飾る予定だったが、その目論見は外れ、オリコンチャートでは『TAKE BACK』が初登場59位、『Trust Your Love』が初登場18位でスマッシュヒットという結果に終わった。さらに続く3枚目のシングル『COLOR OF SOUL』、4枚目のシングル『So Into You』でも、高い歌唱力と定評のあるダンス力で着実にファンを増やすものの、ヒットとはならなかった。当時は音楽番組に出演しない路線をとり、専らクラブなどで歌っていた。本人はその時を振り返り「辛かったけど夜中3時ごろに歌ったりして、声帯が強くなったり度胸が据わったりした。下積み時代に感謝している」と述べている。

●2003年-2004年 ヒットによる浮き沈み
そんな彼女に転機が訪れた。2003年にスクウェアソフト(現スクウェアエニックス)から発売された大作ゲームソフト「ファイナルファンタジーX-2」のテーマ曲で7枚目のシングル『real Emotion/1000の言葉』がオリコンチャート初登場3位で累計23万枚のヒットで知名が急上昇。しかしその後の8枚目のシングル『COME WITH ME』や9枚目のシングル『Gentle Words』はセールスには余り恵まれなかった。元来太りやすい体質であったが、当時の彼氏の励ましもあり8kgのダイエットに成功したのはこの頃で、現在の「エロカッコいい」とマスコミから呼ばれる彼女のスタイルが確立されたのは、10枚目のシングル『Crazy 4 U』(TVアニメギルガメッシュ主題歌、avex mode)の頃。この頃から、クリスティーナ・アギレラなどの海外アーティストから大きな影響を受けるようになり、露出度の高い服装やPVなどがマスコミによって大きく話題にされた。

そして2004年、本人も友情出演した映画「キューティーハニー」の主題歌「キューティーハニー」を収録した11枚目のシングル『LOVE & HONEY』が久々のオリコンチャート初登場4位を記録。13枚目のシングル『奇跡』(NHK2004〜2006年サッカー中継テーマソング)もTOP10入りを果たし、徐々にマスコミによって大きく取り扱われるようになっていった。しかし、この頃から初期の正統派路線が失われたことを嘆くファンも多く、コンサートでコンドームを客に投げつけるといった日本ではやりすぎの演出も指摘されている。

●2004年-2005年 ブレイク、BEST〜first things〜
2004年の末頃から人気音楽番組に出演するようになり、4枚目のアルバム『secret』がオリコンチャート初登場3位、累計50万枚のスマッシュヒット。ライブやPVではバストや美脚を強調した露出度が高い服装や、バニーガール、女教師などのコスプレを披露し、その独特のスタイルが「エロカッコイイ」「エロかわいい」「エロカッコかわいい」と形容される。

2005年になって16枚目のシングル『Butterfly』が初登場2位と自己最高記録を更新。その勢いに乗り5年間の集大成となるベストアルバム『BEST〜first things〜』を発売。倖田は総合的に人を楽しませるエンターテイナーを目指しており、ベストアルバムの発売時に「ベストアルバムがミリオンセラーしたら、クラブのママをやります」と宣言した。ベストアルバムの純売り上げ枚数はミリオンを記録、1日限定で銀座に「club 倖田」を開店。セールスは更に伸び続け累計は140万枚を記録した。この頃から、浜崎あゆみと肩を並べるエイベックスの稼ぎ頭となる。

●2005年-2006年 12週連続リリース、BEST〜second session〜
そんな中、彼女が取り組んだのが、同年12月7日から2006年2月22日まで、原則として毎週水曜日ごとに12週連続で新作シングルをリリースする世界初の試み"12週連続シングルリリース"である。第一弾シングル『you』は、自身初のオリコンチャート初登場1位(初動7.2万枚)を記録。続く『Birthday Eve』(5万枚限定生産)『D.D.D. feat. SOULHEAD』(5万枚限定生産)も好セールスを記録した。

同年12月31日、「Butterfly」で第47回日本レコード大賞を受賞、NHK紅白歌合戦にも初出場。しかしレコード大賞受賞には、レコード大賞が掲げる『大衆に影響を与えた楽曲』という条件を満たしていないのではないか(「Butterfly」は最高2位・年間85位)という指摘があり、本人もレコード大賞終了後に「今年は露出で注目されたけど、来年はもっと音楽で注目されたい」と発言している。

2006年も年明け早々オリコンチャートで3楽曲同時Top10入りという2003年のB'z以来、そして女性アーティストでは初の快挙を成し遂げた。同年3月8日に12週連続発売シングルを全て収録した(但し「Boys♥Girls」、「Sweet Kiss」は未収録)ベストアルバム『BEST〜second session〜』を発売する。

●2006年- Black Cherryの発売、そして現状
その後も『恋のつぼみ』『4 hot wave』などタイアップ色の強いCDリリースや初の写真集「MAROC」の発売、そして12月には5枚目のオリジナルアルバム『Black Cherry』を発売。勝負作として150万枚を初回出荷したこの作品は、初動売上枚数50.2万枚(オリコン)を記録した。これは、2006年発売の女性アーティストのオリジナル盤としては最高となっている。

同年12月16日には第39回日本有線大賞、12月30日には、日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞。2005年に続いてのレコード大賞V2は達成できなかったものの、2005年は衣装などで注目されたが2006年は「歌唱」の分野での受賞なため、倖田は受賞時にその旨語り涙して喜んだ。

ただし、初期のファンは既に離れつつあり、リリースラッシュによる楽曲そのものの低下や過剰なエロ路線への方向転換により、「決して売れないけれども作りこまれた音楽」であった最初期を好むものは既に現在の体制に対しては厳しい意見を述べるものも多い。こういったブレイク前のファンとブレイク後のファンとの間で見解に食い違いが生じているのが現状である。また、ベストアルバムのようなアルバムをほぼ半年に1回という驚異的なペースでリリースし続けたことから、音楽ファンからは「商業主義的」として忌み嫌われる傾向もある。


【豆知識】
■3歳頃より、尺八を教えていた祖父と琴を教えていた母親の勧めで、日本舞踊の演者として初舞台を踏んでいる。

■プロ野球・阪神タイガースの赤松真人外野手は藤森中学校時代の同級生。

■とんねるずの大ファン。元々母親がとんねるずのファンだったことに影響されたという。「うたばん」(TBS)に出演するといつも石橋貴明と、「とんねるずのみなさんのおかげです」(フジテレビ)の懐かしのギャグで盛り上がるほどである。また「とんねるずのみなさんのおかげでした」(フジテレビ)内の「新・食わず嫌い王決定戦」に出演し石田純一と対決した際には「10年間イメトレを重ねてきました」とも発言している(が、結果は「ゴルゴンゾーラのピザ」を一発で石田に当てられ敗北。罰ゲームとして「キューティーハニー」をア・カペラで歌わされた)。

■敬愛しているアーティストはDREAMS COME TRUEと岡本真夜。歌手を目指すきっかけは中学時代にDREAMS COME TRUEのライブを見たことで、エイベックスのオーディションで歌った曲は岡本真夜の「Alone」だという。

■2005年のNHK紅白歌合戦のリハーサルでは、ノーブラ衣装でのステージを宣言したが、むしろ紅白歌合戦に先立つ日本レコード大賞ステージでの衣装がマスコミから大きく注目を集めた。豊満な胸を強調するファッションは衝撃的としてマスコミから報道された。

■2005年12月から12週間連続でシングルをリリースしているが、5万枚限定リリースである9枚は発売前から予約が殺到し、500円だったシングルがオークションで価格の数十倍にまで膨れ上がるなど、入手困難な状態になっていた。

■12週連続リリース作品の全ての裏ジャケットを並べると1つの絵が出来上がるようになっている。また背帯にも、リリース順に並べてもひとつの絵が出来上がる。

■ミュージックステーションスーパーライブにパンツをはかずに出演した事がある。

■PVやCDジャケットでは、クリスティーナ・アギレラを中心にビヨンセ、ブリトニー・スピアーズなど海外アーティストの作品の衣装や構図を模倣しているともいわれることもある。またクリスティーナ・アギレラのステージ衣装のカラーデザインを変えたものを着ているときもあった。倖田自身は「アギ(クリスティーナ・アギレラ)のような強い女性に憧れる」「私も少しアメリカで売れたから、PVも恥ずかしいことはしたくない。海外を意識している」と偶然の一致ではないとする発言をしている。

■「今までテレビとかで表に出ないでここまで売れた自分を誉めたい」、「昔あこがれてた歌手はいましたけど、自分の中で越せた感があるので、今は海外のアーティストに注目しています」、「ヒップホップなのかポップスなのか分からない、中途半端なのが最近多いじゃないですか?そういうの気持ち悪いから、私は自分で確立したバリバリのエロポップですよ!」、「日本で歌って踊れる歌手っていないじゃないですか?私が先陣きっていけたらいいなと思って」といった多くの矛盾やビッグマウスっぷりは有名である。

■DJ OZMAのホームパーティーで森山直太朗・神奈月と知り合いになった。

■テレビ欄では「倖田来未」である。(來は常用漢字外。)

■携帯電話料金の支払いを忘れることがあり、3か月に1回ほど止まるらしい。

■過去に154しかないんですよおと語ったことがある。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070504-00000002-sanspo-ent

国分太一 エピソード&プロフィール

国分 太一(こくぶん たいち、1974年9月2日 - )は、日本のキーボディスト・タレント。ジャニーズ事務所所属の男性アイドルグループTOKIOのメンバー(キーボードを担当)。元平家派。苗字は「こくぶ」ではなく「こくぶん」(昔はかなりの確率で名字を間違えられたらしい)。


【人物】
■血液型O型。身長166p

■餡子、カボチャ、サツマイモ、味噌カツ、パクチーが苦手。

■箸の使い方があまり上手ではなかったが『ザ!鉄腕!DASH!!』の番組内の特訓企画により改善された。なお、本来は右利きであるが、箸は左利きである。

■司会業に定評があり、TOKIO全員が出演する番組以外にも、スポーツ番組やバラエティ番組で司会を担当することが多い。

■城島茂と共に、どちらかと言うとメンバー内ではお笑い担当。

■デビュー当時はメンバーの中で足があまり速くなかったが、最近俊足になったらしい。(山口・松岡と走る特訓をしたといわれる)

■後輩では、嵐の相葉雅紀、二宮和也、関ジャニ∞の村上信五と仲が良い。


【経歴】
東京都東久留米市出身。団地出身が多いTOKIOだが、彼は東久留米市上の原団地の実家へ帰るときは駅から普通にバスで帰っている。バラエティなどの露出も多く色々な層のファンを持っているにもかかわらず、なかなかの庶民派。

公式携帯サイトで国分太一の日記「タヒチ」は毎日更新。

東久留米市立東中学校卒業、豊島学院高等学校中退。

TOKIOとしてデビューする前はSMAPとして雑誌に出たことがある。


【参加ユニット】
・平家派
・SMAP学園
・SMAP(Jr.時代)
・J-FRIENDS
・トラジ・ハイジ
・TOKIO
・ジャニーズ草野球チーム


【エピソード】
■天然ボケで、出演番組で河豚を見た際「甲羅は?」と発言した。

■番組で共演しているナインティナインとは仲が良い。

■岡村隆史に、「お前、(キーボードを)弾いてるフリしてるだけやろ!!」とよくネタにされる。

■同じく岡村隆史に、名前を「国を分けるほどの太い一物」とよく揶揄された。

■(食べ物に関連した仕事が多いためか)『ぐるぐるナインティナイン』の人気コーナー「ゴチバトル」では、無敗伝説(20連勝達成)を作り出したほど、食に関する金銭感覚が優れている。ただし、負けるときはかなり大きな額を負けるため、浮き沈みが激しい。また、2007年に同じ番組で神奈月が、彼が出演している『オーラの泉』の美輪明宏の物真似をしたとき、岡村隆史が、「今年ゴチレースでクビになる人のイニシャルを教えて」と神奈月に言ったところ、なぜか名字で「国・分」といわれてしまった。

■『ぐるナイ』での扱いはすでに芸人。国分自身が「僕一応アイドル(またはジャニーズ)ですよ!!」と主張しても効果はない。

■『メントレG』や『ぐるぐるナインティナイン』でとてもおいしそうに食事をするため、食べ物や飲み物のCMのオファーが増えた。

■美輪明宏や江原啓之と共演しているうちに、とてもいいオーラになったらしい。

■KinKi Kidsの堂本剛と共にトラジ・ハイジとして『ミュージックステーション』で踊った際、「(太一の踊りは)気持ち悪い」「(太一の顔が)一瞬、稲川淳二に似ている」などと言われた。SMAP中居からは「基本がしっかりしているだけに踊りが古臭い」と言われていた。

■Jr.時代、木村拓哉のスニーカーリーボックが紛失、木村は国分が盗んだと発言している。

■少年隊・東山のマンションにメンバー山口とともに居候していたが、部屋を掃除しないことにより自ら家出した。

■ジャニーズの寮にいたとき、田原俊彦のプリンを盗み食いし、売れなさそうなメンバー専用の寮に移されたという。

■嵐の二宮和也と相葉雅紀に「飯おごってくださいよ」と言われたことがある。そのときに「ご飯いきましょうよでしょ」って言い返した。

■V6の長野博においしい焼肉屋さんを電話で聞いたら長野君にどこの部位が食べたいのと聞かれた。(本人談)(『メントレG』 楽屋訪問 2007年2月2日放送分より)

■『メントレG』に八嶋智人が出演した際、「シンパシーを感じる」「できればその(国分の)ポジションにいたい」と言われ、また、国分の鋭いツッコミを体感した際には「流石ですね。」と評された。

■『オーラの泉』で江原啓之から「前世は陶芸家」と言われ、以来、DASH村で焼き物を焼き始める。

(出典:Wikipedia)

コブクロ プロフィール&エピソード

コブクロは、日本の2人組J-POP・フォークデュオ。

【メンバー】
■小渕健太郎(こぶち けんたろう、1977年3月13日 -)
宮崎県出身。O型。身長168.2cm。宮崎県立宮崎工業高等学校卒業。通称「コビィ」・「主任」・「ケン坊」。
ギター・ボーカル 担当。他にブルースハープ、三線、指笛を演奏することもある。コブクロの楽曲の多くを作詞作曲している。アーティストグッズやツアーTシャツのデザイン、イラストも手がける。中学時代は水泳部に所属。高校時代には、ギターを持ちあちこちのバンドを掛け持ちして文化祭やライブに出ていた。高校卒業後、大阪で就職していた。サニックスというシロアリ駆除会社のセールスマンをしながら弱冠20歳で主任に昇格し、多くの部下を抱えていたと言われる。音楽活動専念の為退社すると言ったときには、会議室に閉じ込められ8時間もかけて説得された。現在のトークもセールスマン時代に培われたもの。ダーツにはまっていて、ダーツの大会にも参加したことがある。しかし、すごい運動音痴らしくライブ前に黒田とキャッチボールをしたところ黒田曰く「右利きの人が左手でボールを投げたくらい下手」と言われるほど。好きな食べ物はオムライス。視力が悪く、コンタクトレンズを使用している。涙もろい。結構お笑い好き。初の紅白歌合戦で黒田が歌詞を間違えるがなぜか正月に実家に帰ったら親戚にさんざん「お前が歌詞を間違えたんやろ?」と言われた。名前を知らない一般人からは「コブクロの小さいほう」と呼ばれる事が多い。しかし小さいほうとは言いつつも168.2cmと平均的で、身長はさほど低くない。小学生の頃に、地元のテレビ局の番組「なぜなぜ九州」に出演していた。絵を描くのが得意で、大阪でストリートをやっていた頃、商店街のシャッターに車が突っ込み、その車は逃走したが小渕が一瞬で車の運転手の顔を記憶し、その運転手の似顔絵を書き、警察に提供したところ、車の運転手は後日逮捕された。

■黒田俊介(くろだ しゅんすけ、1977年3月18日 - )
大阪府堺市(現在の)南区出身。O型。身長193.4cm。大阪体育大学浪商高等学校卒業。通称「黒ちゃん」・「ロダー」。
ボーカル担当。今ギターは小渕の担当だが、出会った頃は、黒田もギターを弾いていた。当時、指弾きは、小渕より上手かったとか。小渕に比べて作曲した曲数は少ないが、9thシングル「DOOR」などは詞曲ともに彼により手がけられた楽曲である。野球部に所属していた。その後、大阪社会体育専門学校に進学。体育系の様々なライセンスを持つ。食欲旺盛。牛肉が好物で自らの育ての親は牛だと豪語するほど。好きな食べ物はカツカレー。昔、カルボナーラが好きで毎日食べていて飽きる。納豆も同様。野菜全般、青魚、練り物、あんこ等、苦手なものは多様。テレビゲームが趣味で、スキマスイッチの常田真太郎にウイニングイレブンで勝負を挑まれた。キン肉マン、北斗の拳、キャプテン、キャプテン翼など、ジャンプ漫画が好き。漫画喫茶へ行ったら仕切りから頭が出てるのに誰も興味を持たれない。視力は極めて良好。ビートルズ、スティービー・ワンダー、レッド・ホット・チリ・ペッパーズなど洋楽全般を好む。特にスティービー・ワンダーの大ファンで朝日新聞21STREET では自称「難波のスティービー・ワンダー」と言っていた。初の紅白歌合戦で歌詞を間違え、朝日新聞21STREET でさんざん反省していた。「コブクロの大きいほう」と呼ばれる事が多い。


【概要】
1998年5月、サニックスという会社のセールスマンの傍ら路上ライブをしていた小渕と、ストリート・ミュージシャンをしていた黒田が、堺市の銀座通り商店街で出会い意気投合。 同年9月、小渕が黒田に曲を書いて、黒田から一緒に組もうと声をかけた。小渕はこれを「出来ちゃった結成」なのだと「笑っていいとも!」の「テレフォンショッキング」出演時に話していた。 この時の曲がのちに代表曲となる「桜」である(インディーズ盤「Root of my mind」・5thアルバム「NAMELESS WORLD」に収録)。

ユニット名は、2人の名字、小渕(コブチ)と黒田(クロダ)から名づけた。のちにそのネーミングのアイデアは吉本興業所属のお笑いコンビ、FUJIWARAから来ていることを明かしている。(過去に心斎橋筋で演奏中にFUJIWARAの原西孝幸にからまれたこともあるらしい)ちなみに小渕が黒田に初めて作った曲の歌詞カードに「コブチとクロダでコブクロでええか」と書いていたのがきっかけ(子宮の意味があることは知らなかった)。SPOON(スプーン)という候補もあった。フォーク以外もでき、ナイフ(ロック)みたいに鋭くなく、人の心を掬うという意味。

二人の身長差は25cmあり、黒田が大柄で小渕が小柄であると思われているが、前述の通り黒田が193cmと極めて身長が高いため、168cmの小渕が小柄に見えるだけである(ちなみに彼らとは逆に爆笑問題やナインティナイン、中川家は片方が身長が低いためもう片方の身長が高く見える)。

ライブやメディア上でのトークの面白さに定評があり、ライブのMCをみたファンからは「ネタ帳があるんですか?」と聞かれるほど。また、ナイナイサイズ!に出演した際にはナインティナインに「M-1グランプリに出ろ!」と言われたり、HEY!HEY!HEY!に出演した際もダウンタウンの松本人志に「もうコブクロじゃなくて笑い袋でしょ?」と言われるなど、大物芸人からの定評も高い。

ストリート時代、神戸の三ノ宮で歌っていたらその日はいつも以上に客が多かった。それは向かい側にストリート漫才をしているコンビの客を取ってしまったからである。そのストリート漫才をしてたコンビが当時アマチュアだったお笑いコンビのNON STYLEである

彼等の昔からのファンを「コブファミ」と呼ぶ。これはFM802のDJ・ヒロ寺平が命名した。

ミノスケオフィスコブクロという個人事務所に所属しているが、研音と業務提携している。


【来歴】
・1998年9月、コブクロ結成。

・2000年3月、 梅田のバナナホールライブにて、初のワンマンホールライブ

・2000年12月、大阪厚生年金会館 芸術ホールライブ

・2001年、「YELL〜エール〜」でメジャーデビュー。オリコン初登場10位、最高位4位のヒットとなった(彼らの地元大阪チャートでは、1位を獲得)。この頃は19やゆずに次ぐ「第三のネオ・フォークデュオ」と言った紹介がなされていた。

・2002年2月14日、 シングル「風」をリリース、関西での人気を不動のものとする。

・2002年12月24日、Live☆Rally 2002"grapefruits"ファイナルは大阪城ホール。

・2003年12月30日、"Live☆Rally 石の上にも2003年"大阪フェスティバルホールを皮切りに全国15公演を行う。

・2003年12月30日、Live☆Rally 2003"STRAIGHT"ファイナルは大阪城ホール。

・2004年3月24日、メジャーデビュー後、初の映像作品であるDVD「コブクロ!LIVE!GO!LIFE!」を発売。エンドロールに19671人の方のお名前を掲載し、ギネス記録として申請。

・2004年9月23日、歌手でタレントの所ジョージと組んでトコブクロ結成。毎朝、ボクの横にいて。 をリリース。

・2004年12月26日、大阪城ホールにてKOBUKURO LIVE TOUR '04"MUSIC MAN SHIP"終了。(全11公演)ワンマンホールライブ100、101回目はツアーファイナルの大阪城ホールで達成。

・2005年5月11日、「ここにしか咲かない花」がシングルとして自身最大のセールスを記録。

・2005年11月2日、「桜」で自己最高初動セールスを記録。

・2005年12月21日、アルバム「NAMELESS WORLD」がオリコンウィークリーチャートで1位を獲得。

・2005年12月31日、NHK紅白歌合戦に初出場(歌唱曲は「桜」)。

・2006年5月6日、初の武道館公演を行う。関東地方での人気も不動のものとなる。

・2006年9月27日にはシングル(両A面含む)コレクション「ALL SINGLES BEST」を発売し、オリコンウィークリーチャートで4週連続1位を獲得。累計売上が200万枚を超える大ヒットとなる。

・2006年9月30日、テレビ朝日系にて「風」、「Million Films」、「永遠にともに」の3曲の歌詞、世界観を原作にオリジナルストーリーを書き下ろしたオムニバス形式のドラマ「一生忘れない物語」が放送されている。

・2006年の第57回NHK紅白歌合戦に昨年に引き続き、二度目の出場が決まった(歌唱曲は、「風」)。

・2007年1月8日から放送中のフジテレビ系月9の速水もこみち出演連続ドラマ「東京タワー〜オカンとボクと、時々、オトン〜」の主題歌「蕾(つぼみ)」を書き下ろし、2007年3月21日に発売。

・2007年2月28日に同じレコード会社の所属である、絢香と組んだスペシャルユニット「絢香×コブクロ」としてのシングル「WINDING ROAD」を発売。

・2007年3月13日、「ALL SINGLES BEST」が第21回日本ゴールドディスク大賞でアルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞。

・2007年6月16日〜8月12日、KOBUKURO LIVE TOUR '07 “蕾”開催予定
  (全24公演・大阪城ホールは史上初の6公演決定、ファイナルはさいたまスーパーアリーナ)。


【エピソード】
東京で初めて路上ライブをした際、人が全然集まらず「東京の人は冷たいな〜。」と思っていたら、実は大雨で渋谷が冠水して大変なことになっていた。次のハチ公前での路上ライブでは人が100人以上集まり「俺らすごいやん!」と思っていたら、実は郷ひろみの路上ゲリラライブ (GOLD FINGER '99) だった(黒田は背が高く、野次馬の中で頭一つ飛び出ていたため、テレビで見て自分がすぐわかったらしい。これが初のワイドショーデビュー)。

コブクロがメディアに出るきっかけになったのは、京都で路上ライブをしているときに、森脇健児から「自分ら歌うまいなあ。ラジオで歌って見いひんか?」と声をかけられ、KBS京都に出演したのがきっかけである。


【交友関係】
多くのミュージシャンとの交流がある。佐藤竹善とはスターダストレビューの「木蘭の涙」をカバーもしている。また馬場俊英の再デビューシングル「ボーイズ・オン・ザ・ラン」のレコーディングにも参加。 ちなみに、「ボーイズ・オン・ザ・ラン」は自身のアルバム「MUSIC MAN SHIP」でカバーしている。

Kiroroと親交が深く、「KiroroKobukuro」というイベントライブも開催。

●小渕のコブクロ外の活動
■渡辺美里
2001年11月24日、フジテレビ系「ミュージックフェア21」にて初共演。小渕が美里の歌の中で最も好きな「悲しいね」を、黒田とともに3人で熱唱。この共演が、小渕の曲提供へと繋がる。
「YOU 〜新しい場所〜」提供 2002.4.24 シングル「YOU 〜新しい場所〜/花 〜このぼくで生きてゆく〜」、2002.7.10 アルバム「ソレイユ」収録
「MUSIC FLOWER」提供 2005.11.23 アルバム「Sing and Roses〜歌とバラの日々〜」収録
また2003年8月9日の美里の西武ドームライブで、オープニングアクト(YELL, blue blue, 風の3曲を歌う)を務めた。その後のライブ本編にもゲスト出演し、「YOU 〜新しい場所〜」および美里の「いつか きっと」を3人で熱唱。

■矢野真紀
「大好きだったんだよ」提供 2005.5.25 アルバム「いい風」収録

■夏川りみ
「さようなら ありがとう」提供 2005.11.2 シングル「さようなら ありがとう」収録
※2006.8.23に「さようなら ありがとう 〜天の風(アマノカゼ)〜」として再レコーディング、リリースされた。

■竹仲絵里
「サヨナラ サヨナラ」サウンドプロデュース 2006.1.25 シングル「サヨナラ サヨナラ/gerbera」収録

■松浦善博
「Hey Hey What do ya say?」ギター&コーラスで参加 2006.7.5 アルバム「Slidin'&Slippin'」収録

■馬場俊英との共作
「三つ葉のクローバー」 『一緒に曲を作ろう』という提案から始まった初の共作。この曲は双方のライブで歌われている。
「風に吹かれて」 毎年万博公園で行われている同名のイベントのテーマソングとして作られた。
「心の中へ」 Troubadour Night Special!で小渕がシークレットゲストとして馬場と共演するにあたって作られた。

現時点では3曲のいずれとも音源化の予定はない。
同じレコード会社所属の絢香とはミュージックフェアでの共演をきっかけに、「WINDING ROAD」という楽曲を共作した。この曲は2006年夏のライブにて初披露され、コラボレーションユニット「絢香×コブクロ」として、2007年2月28日にリリースされた。

■みつきへのプロデュース
現在女優として活動しているみつきが平成19年6月20日に歌手デビューが決まり、彼女のデビュー曲を小渕がプロデュースすることになった。曲名は「大切なもの」でこの曲は、映画「ドルフィンブルー フジ、もういちど宙へ」の主題歌として採用された。


(出典:Wikipedia)


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070403-00000008-sanspo-ent

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。