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豊岡真澄 エピソード&プロフィール

豊岡 真澄(とよおか ますみ、1983年1月25日 - )は、日本の女性タレント。埼玉県出身。身長147cm、血液型はB。ホリプロ所属。女性(特にヤングアイドル)には稀な、鉄道に関しての見識の深さで注目されている。


【人物】
■1999年に雑誌のオーディションに合格し、ホリプロが身長150p以下の女の子3人(瀧上夕佳・小林美香)で結成したアイドルユニットP-chicksの一員として芸能界入り。

■P-chicks解散後はソロでの活動を始めており、バラエティ番組、ドラマ、映画など幅広く活動している。また映画への造詣も深く、雑誌に評論を寄稿している。

■豊岡のマネージャーである南田裕介は大の鉄道マニアであり、『タモリ倶楽部』(テレビ朝日系)の鉄道企画にも出ていたが、事務所の上司からタレント抜きで出るとは何事かと怒られてからは必ず2人セットで出演するようになった。また、雑誌「アップトゥボーイ」では南田の監修による「美少女鉄道 featuring豊岡真澄」が連載されている。

■豊岡自身は芸能界に入るまで鉄道に関しては全く関心が無かった。マネージャーの南田は豊岡に芸能活動に関することをほとんど教えず、鉄道知識だけをたたき込ませた。結果、豊岡は『タモリ倶楽部』にて「好きな列車は北斗星」と言えるまでに成長した。『個人授業(プライベートレッスン)〜正しい和田アキ子の作り方〜』(TBS系)では「東武鉄道の手描きのダイヤグラムをもらったのでこれで人生が終わってもいいくらい幸せ」と言った。現地リポートのVTRで見せた恍惚の表情は、鉄道ファン以外の視聴者が見ても幸福感に満ち溢れた微笑ましい姿で、鉄道への愛情に満ち溢れた授業であった。

■南田曰く、豊岡真澄を鉄道車両に例えると「タンゴディスカバリー」(北近畿タンゴ鉄道・略称はKTR)で、その理由は「コンパクトなところが似ている」からだという。

■女性鉄道ファンと言う希有な存在のお陰でTBSの鉄道ネタを絡ませたドラマに出演している。BS-jの鉄道模型番組でもコーナーレポートを任されている。その紹介キャプションには『鉄道歴6年(2007年4月現在)』とあったが、タモリ倶楽部での鉄子の初申告は2005年下半期であって、それ以前の出演(VTRも含めて)にはその旨が語られる事が無かった。鉄の道に引き込むのに6年を費やしたと南田がインタビューで答えているので、6年とは鉄道アイドルへのレッスン期間を差していると思われる。

■ナイナイサイズ(日本テレビ系)で、鉄道歴は、2005年4月からだと、はっきりと言っている。

■作者菊池直恵・案内人横見浩彦の実録鉄道漫画『鉄子の旅』でも、第34旅・第35旅で南田と共に道連れゲストとして登場した。横見曰く、「真のレールクイーンはここにいた!!」である。

■同じ事務所の水崎綾女、番組で共演したことのある浅香友紀、りりあんとは仲がよく、本人のブログによく登場する。

■自身の好きな車両は東京地下鉄10000系電車とテレビ雑誌で公言していた。

■鉄道以前から好きだったモノはお城めぐりとガンプラだと「鉄子の旅」作中で述べている。

■2007年7月-9月に開催された大鉄道博覧のイベント、戦隊アトラクションショーでは『スケバンデカ』のパロディ『スケバンデハ』で助っ人として登場して、セーラー服姿を披露している。

■2007年10月10日、東京都の会社員と11月3日に結婚することを発表した。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20071010-00000005-maiall-ent

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時東ぁみ エピソード&プロフィール

時東 ぁみ(ときとう あみ、1987年9月25日 - )は、日本の歌手、タレント、グラビアアイドル。 東京都出身。

愛称は「ぁみにぃ」。 本名は非公開。

旧芸名「小松幸江」、「朝倉ひかる」。 

シャイニングウィル、ジェイピィールーム株式会社、TNX(ティーエネックス)株式会社所属。


【プロフィール】
愛称: ぁみにぃ
生年月日: 1987年9月25日
現年齢: 20歳
出身地: 日本・東京都
血液型: O型
公称サイズ(2006年時点)
身長 / 体重: 154 cm / 46 kg
BMI: 19.4(普通体重)
スリーサイズ: 85 - 58 - 85 cm
ブラのサイズ: D


【来歴】
■家族構成は、両親と姉の4人家族。

■2005年、ミスマガジン2005つんく賞を受賞。それを機に「時東あみ」から「時東ぁみ」に改名。

■2006年11月、オフィシャルファンクラブ発足。

■2007年、社団法人日本ボウリング場協会主催の第14回ボウリング・マスメディア大賞でグランプリを獲得。


【人物】
■バスケットボール部に所属していた。現在「月刊バスケットボール」で連載も持っている。

■芸能人女子フットサルチーム「ミスマガジン」に所属しており、ゴールキーパー(ゴレイロ)を務めている。背番号は1。バスケットボール経験者ならではの反応の鋭さと強肩でスフィアリーグではトップクラスである。

■東大阪市テーマソング『東大阪めっちゃ元気な「まち」やねん』を、作曲を手がけたつんく、稲葉貴子、松井雄飛らと歌っていたこともある。

■「小松 幸江(こまつ ゆきえ)」名義でセントラル子供劇団に所属する子役として芸能活動をしていた。 1998年の小学5年生の時には、TBSドラマ『先生知らないの?』に生徒役でレギュラー出演し、第6話では草g剛演じる担任に告白する役を演じた。

■フジテレビ系『くるくるドカン』の「グラビアアイドル変顔選手権」にて、顔の筋肉のみで「変顔」を表現し、優勝。

■ハロー!プロジェクトの辻希美と交友関係が有る。2007年4月にギャル曽根を含めた3人で、ギャルユニット「ギャルル」を結成している(辻の妊娠脱退により安倍麻美が交代参加)。ここでの芸名は「ぁみみ」

■tvkの「saku saku」の司会者の中村優とは、同年度にミスマガジンを受賞し、フットサルでもチームメイトという仲である。サクサカーである。

■フジテレビ系のトーク番組「ごきげんよう」で、つい最近まで日本の総人口を「2万人」だと思い込んでいたことを明かし、司会の小堺やゲストを驚かせた。他にも「県庁所在地」を「県庁素材地」などと勘違いしていたという。


《メガネ》
メガネは時東を語る上で重要なアイテムであり、メガネに纏わるエピソードは数多い。メガネっ娘アイドルとして著名な存在になったが、本人の公式ホームページでのプロフィールやTV番組出演に於いて、両目とも視力1.5であると自ら公表しているように視力は良い。使用している眼鏡はレンズの入っていない、フレームだけのダテメガネである。本人曰く「眼鏡さえ有れば、恥ずかしくない」とのこと。

■眼鏡にレンズを入れていない理由は、撮影等の際、光がレンズに反射するのを防ぐ為。縁なし眼鏡の場合は乱反射防止コーティングを施している。感激して溢れた涙をレンズの無い眼鏡の上から拭こうとした、等の失敗談も有る。

■眼鏡繋がりで、大相撲力士の高見盛が時東のファンである事を、あるテレビ番組で告白している。それが縁で2006年の夏場所に時東が高見盛を応援に行った事が有る。1度きりの様でそれ以降音沙汰ないと高見盛は語っている。

■ユニセフに寄付する目的で本人使用メガネをオークションに出品したことがある。

■テレビ朝日系バラエティの『アメトーーク』では、アイドルメガネと言っている。

■フットサルの練習時や試合中は、危険防止の為、メガネの替わりにゴーグルを着用。

■タモリのジャポニカロゴスに出演中の言語学者・町田健が番組内で時東ファンである事を番組内で公言している。理由は「眼鏡がいいですね」(町田はメガネフェチである)。

■メガネは芸名を時東ぁみに改名した際に着用し始めたもので、別名義で活動をしていた時期には使用していなかった。そのため「人気取りのために眼鏡を使用しているだけで、本当のメガネっ娘アイドルではない」とする意見もある。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070925-00000049-spn-ent

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土居甫 エピソード&プロフィール

土居 甫(どい はじめ、1936年(昭和11年)10月8日 - 2007年(平成19年)9月14日)は、振付師。愛媛県北宇和郡津島町(現・宇和島市)出身。血液型A型。日本振付家協会常任理事。


【経歴】
1955年、作家の獅子文六を頼って上京し書生をした後、東京芸能学校(一期生)に入学。1957年に東宝演劇部所属となり、東宝ミュージカル・東宝歌舞伎・日劇ダンシングチーム・日劇ミュージックホール・新宿コマ劇場などに出演。

1961年から1969年まで日本テレビ「シャボン玉ホリデー」にレギュラー出演し、ザ・タイガース、ザ・ピーナッツなどの振付を担当。

1971年から「スター誕生!」で、桜田淳子、ピンク・レディーなどの振付を担当。また「笑っていいとも!」のいいとも青年隊の振付を1982年10月の番組開始時から担当している。

「笑っていいとも!」の「テレフォンショッキング」の第1回ゲスト桜田淳子から紹介され出演したのが土居甫だった(1982年10月5日(火))。(お友達紹介は元ピンク・レディーの増田恵子)

パーキンソン病を発症した後も、闘病しながら振付師としての活動を続けていたが、2007年9月14日に悪性リンパ腫で死去。享年72(70歳没)。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070914-00000205-yom-ent

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徳永英明 エピソード&プロフィール

徳永 英明(とくなが ひであき、本名同じ、1961年2月27日 - )は、福岡県柳川市生まれ、兵庫県伊丹市育ちのシンガーソングライター、俳優。血液型はA型。


【略歴】
■高校卒業後、上京し、TBS緑山塾に入る。デビュー前は喫茶店でアルバイトをしながら、デモテープ製作を行っていた。

■1985年、8月第2回マリンブルー音楽祭'85グランプリ受賞。

■同年10月、東郷神社特設ステージにて行われたロックミュージカル「原宿グラフティ」にトニー役で出演。

■1986年1月21日、アルバム『Girl』、シングル『Rainy Blue』でRadio Cityレコードよりデビュー。

■同年1月24日、新宿ルイードで超満員のデビューライブを行う。

■同年2月8日、朝日放送(ABC)「ヤングプラザ」に出演し、「レイニーブルー」を歌う。メジャーデビュー後、初のテレビ出演。

■同年4月15日、オフィシャルファンクラブ「トニーズクラブ」設立。

■同年7月21日、シングル「夏のラジオ」をリリース。

■同年8月21日、アルバム「radio」をリリース。

■同年12月、FM東京リスナーズグランプリ最優秀新人賞受賞。

■1987年、Radio Cityレコードを同じ文化放送と渡辺プロダクションの合弁会社であったアポロン(後のバンダイ・ミュージックエンタテインメント)に統合、業務移管。

■同年4月3日、レギュラーラジオ番組の「フリーキャンパスkyoto金曜日」がKBS京都でスタート。毎週3時間の生放送。

■同年8月、富士フイルム「フジカラー」のCMソングとなったシングル『輝きながら…』のヒットでブレイク。『輝きながら…』が収録されたアルバム『BIRDS』はマイケルジャクソンを抜いてオリコンチャート1位を獲得。

■1988年2月24日、ナショナルエアコン「Eolia」のCMソングとなった「風のエオリア」をシングルリリース。

■同年8月28日、栃木県那須塩原箱の森プレイパークにて野外コンサート「SINCERELY PARTY'88」を開催。雷雨の中で行われたコンサートが伝説となる。後にライブビデオとして発売。

■同年9月10日、自由国民社より初の単行本、徳永英明ストーリー「未完成」発売。由比良著。

■同年9月29日、白泉社より初の写真集「DEAR」発売。

■同年10月、第8回日本作曲大賞にて「風のエオリア」が最優秀作曲賞受賞。

■同年10月25日、シングル「最後の言い訳」発売。翌年より放送の関西テレビ・フジテレビ系ドラマ「直木賞作家サスペンス」の主題歌となる。

■同年12月14日、12月15日、初の日本武道館コンサート。TBS緑山塾時代に宣言した、5年後に武道館でライブをやりたいという目標を実現させた。

■1989年12月、第22回日本有線大賞にて「恋人」が有線音楽賞受賞。

■同年12月、アルバム「Realize」50万枚突破記念として、ゴールドディスク盤「Realize」が限定発売。

■同年12月18日、フジテレビ系ドラマ「悲しいほど好き!」の神崎邦彦役でテレビドラマ初出演&初主演。

■1990年、事務所を独立。シングル『夢を信じて』、『壊れかけのRadio』がヒット、後に自身の代表曲となる。

■同年7月1日、LIVE ALBUM「徳永英明Live1990」発売。(1990年3月16日代々木で収録)初のライブCD・2枚組CD限定発売

■同年7月7日、シングル「壊れかけのRadio」をリリース。本人も出演のTBS系金曜ドラマ「都会の森」主題歌。

■同年10月9日(トクの日)、アルバム「JUSTICE」をリリース。

■1991年3月、初のCM出演。カネボウ「ZENITH」(男性化粧品)。CMソングとして「Wednesday Moon」。

■1992年7月1日、ライブビデオ「Revolution on Film」を発売。

■1993年1月、声帯ポリープ手術のため、ツアーを延期。

■同年2月、児童環境づくりのための期間限定ユニット「USED TO BE A CHILD」に参加。

■同年4月3日、ラジオレギュラー番組 FM東京「徳永英明のRadio days」放送スタート。

■同年8月5日、集英社より単行本「ONE OF THEM 夢の行方」発売。

■1994年9月、元モデルの女性との結婚を発表。

■同年11月9日19th SINGLE「永遠の果てに」をリリース。

■1998年、レコード会社をキングレコードへ移籍。

■2000年、バンダイミュージック解散により、バンダイミュージックから販売されていたCD、ビデオなどが回収される(後に一部再発)。

■2001年、もやもや病(脳血管障害の一種)のため、コンサートツアーを中止。

■2002年、もやもや病を克服。レコード会社をユニバーサルミュージックへ移籍するのと同時に、名前の表記を戸籍に登録されている表記であるコ永英明(正しくは、「英」の草冠の横棒が真ん中で途切れている)に改め、音楽活動を再開。

■2003年2月27日、自身の42歳の誕生日にアルバム『愛をください』を発売。SHIBUYA-AXにてスペシャルライブを行う。

■同年10月1日、初のセルフカヴァーアルバム『セルフカヴァー・ベスト 〜カガヤキナガラ〜』を発表。

■2004年、アルバム『MY LIFE』発表後、10月1日を皮切りにコンサートツアー「MY LIFE」(全国35ヶ所)を行う。

■2005年、映画『シナリオライター☆松本マリコの課題』のエンディングテーマとして、アルバム『MY LIFE』収録の「太陽」が採用される。

■同年9月、女性ボーカルの曲ばかりをカヴァーしたアルバム『VOCALIST』を発表。ロングセラーを記録し、プラチナディスクとなる。

■2006年1月21日、デビュー20周年を迎える。

■同年、映画『旅の贈りもの 0:00発』に町医者・越智太一役で出演(映画初出演)。また、挿入歌「happiness」、「時代」(中島みゆきのカバー)も手がける。「旅の贈りもの」は銀座テアトルシネマ劇場窓口での特別鑑賞券販売数が同劇場の最高記録を更新。台湾でも上映。

■2006年12月31日、『第57回NHK紅白歌合戦』にデビュー21年目にして初出場、「壊れかけのRadio」を披露する。

■2007年8月15日、『VOCALIST 3』発売。約30年3か月ぶり、史上2人目の男性ソロアーティストでカバーアルバム1位を獲得。『VOCALIST』シリーズの累計出荷枚数100万枚突破。


【人物】
■高校時代の交際相手の同級生に松本隆博(ダウンタウン・松本人志の兄)がいた。

■端正な顔立ち(若く見えることから童顔との声がある)の持ち主で、女性のファンを魅了する一方、コンサートでは男性客の客席を占める割合も少なくない。

■音楽活動以外にも、映画『シンガポール・スリング』(1993年公開)の企画・原案、TBS系ドラマ『都会の森』(1990年)出演、ラジオ番組『フロム・シーサイド』の司会、TBS系『スーパーサッカー』の司会(病気のため2001年7月に降板)を行っている。

■ややハスキーで澄んだ高音が特徴。デビュー当初は女性と間違われることもあったという。

■日常会話はコテコテの関西弁。トーク番組などではひょうきんなキャラクターとして知られる。

■2005年に日本テレビ系『いつみても波瀾万丈』に出演した際、かつてヒット曲を連発した時期、天狗になり高飛車に振舞う自分になっていて、周囲のスタッフがそれを改めさせてくれたというエピソードを話した。

■一般的に認知度の低かったもやもや病だが、徳永英明が疾患しそれがワイドショーや女性週刊誌などに取り上げられた事によりもやもや病の認知度を上げた。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070905-00000004-ykf-ent

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友近 エピソード&プロフィール

友近(ともちか、1973年8月2日 - )は、日本の女性お笑い芸人、女優。本名:友近 由紀子(ともちか ゆきこ)。

愛媛県松山市出身。松山東雲高等学校から松山東雲女子大学卒業。吉本興業東京本社所属。吉本総合芸能学院(NSC) 23期生。血液型はB型。星座は獅子座。愛称「ともちー」。姉がいる。

大学在学中にローカル番組のリポーターから芸能界へ転身、その後旅館の仲居を経て一念発起して芸人を志しNSCに入学、通天閣のエレベーターガールをしながら芸を磨く、現在は吉本所属の女性芸人の中でトップのレギュラー番組数を抱える人気芸人となる。


【概要】
人物描写に優れ、旅館の女将&仲居さん、学校の先生、街中のお姉ちゃん・おばちゃん・おっちゃんネタ、クラブのママといった水商売の女、極道の妻などになりきる「ひとりコント」を持ちネタとしている。 将来はシュールなお笑いも出来る事を目指しているという。歌唱力には定評があり、2004年には『Tokyo』で歌手デビューもしている。

同時期にメディア露出が増えた青木さやかと比較される事があるが、本人は「自分は芸人なので、しっかりとネタを披露できる場で仕事をしていきたい」と語っており、トーク中心の青木とは異なり自らのネタに対する大きなこだわりを持っている。そのため「マルチタレント」と呼ばれるのを嫌がっている。オールナイトニッポンのスペシャル「渡辺美里のオールナイトニッポン」でゲスト出演した際には「毒舌は言う気にならないんですよね」と語っている。ただしラジオ番組ではその限りではなく、芸能人や放送局批判なども行っている。

腹部が肥満気味であり、OLを演じる時などは、肉付きのよい太ももにミニスカートをはき、脚を広げて舞台で演じるため、中が見えそうになる事がある。毎日放送のラジオ番組「ゴーゴーモンキーズ」の企画で撮影会をやる事になり(後述)そのために減量をしたが、間もなくしてリバウンド。又、2005年7月9日に放映されたTBS系のテレビ番組「爆笑問題のバク天!」でも1週間の短期集中ダイエット企画を行った。この時はウエストのサイズを78cmから69cmへ落とした。2007年1月現在は、唐辛子ダイエットにはまっている。

東大阪にある高校の学園祭への営業の最中、近くのビデオ屋で及川奈央がサイン会をやっていることを聞いたケンドーコバヤシは、ネタ15分のところを5分で切り上げ、同じ営業グループだったサバンナにも5分で切り上げるよう無理強いして、残りの40分を友近に任した。この時、同行していた吉本社員も怒るどころか一緒にサイン会へ駆けつけたため、友近はひとり学園祭会場に残された。

また、ケンドーコバヤシは「及川奈央の電話番号を聞き出すように」と友近へ指示。友近は及川から電話番号を聞いたものの、「他人のプライバシーを勝手に教えることはできない」、と拒否したため、コバヤシの怒りを買った。

お笑いブームに乗り知名度が全国区になった後も大阪在住(姉と同居)を続けていたが、2006年春に活動及び生活の本拠を東京に移した。ただし、現在も定期的に大阪のうめだ花月などに出演している。

地元・愛媛県には、彼女の後援会がある。ちなみに友近という姓はこの愛媛県(特に松山市などの中予)に多い。

友近の母(友近千鶴)は地元愛媛でアートコーディネータ・占い師・不登校の小学生の支援活動などを行っていて、最近は地元の南海放送でラジオのパーソナリティー(ママ友近)としても活躍している。

爆笑問題太田光は友近を「美人」として見ており、「友近ちゃん」と呼んでいる。

近藤真彦の大ファンである。

仕事で和服を着るときには、「和服を着慣れた人しか着ない渋好みの服」(美輪明宏談)を選んで着る。

関西テレビのロケ弁当がまずいとクレームをつけた事が未だにゴチャまぜのネタにされている。


【ものまね】
ひとりコントのほか、ものまね(喋りまね、歌まね、擬音)も得意とし、フジテレビの「爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル」などで披露している。ひとりコントの中でものまねを織り交ぜる事もある。

■桜田淳子のモノマネで「リップスティック」を歌い「似ている!!」と大絶賛された。

「主なものまね」
■外国映画の吹き替え(キャサリン)

■中森明菜・・・中森本人から「自分と区別がつかない」と言われた。やたら声が小さい。また、「車庫入れを語る中森」が十八番。

■黒柳徹子

■幸田シャーミン

■竹井みどり・・・映画『ミナミの帝王』で矢吹麻子の会話

■十朱幸代・・・「いってらっしゃい」のみ

■浜木綿子

■矢井田瞳

■KEIKO(globe)

■渡辺美里

■加藤みどり・・・大改造!!劇的ビフォーアフターのナレーション

■『平成教育委員会』、並びに『熱血!平成教育学院』の「天の声」=ナレーションの平野文(「○○君の答え」などの真似)

■ニワトリ

■山口百恵

■桜田淳子

■ドアが閉まって発車するバス

■ユンソナ・・・大笑いする時の真似

■中山美穂・・・『毎度おさわがせします』の時の「トオル、オレの部屋でレコードでも聞かないかっ?」というセリフ

■小柳ルミ子・・・記者会見時、大澄賢也の事に触れられた時の「その質問、聞こえませ〜ん」という発言

■工藤静香

■ラジオのDJ『チャーチャ』

■都はるみ

■南野陽子


【略歴】
少女時代、歌手を夢見て地元の数々のカラオケ大会に出場。14歳の時、全国ジュニア歌謡選抜全国大会準優勝の経験もある。

大学時代から『とにかく愛媛5:00』(テレビ愛媛)のレポーター、『特盛鴻上丼』(あいテレビ)のアシスタントなどとして活躍。一時期は多くのレギュラー番組やCMを抱える「愛媛のスター」となるが、お笑い好きの血が騒いだのか、VTRでお笑い演出に走りすぎたため、やがて地元の視聴者やテレビ局スタッフから「不真面目だ」と総スカンを食らい、レポーターの仕事を降ろされてしまう。大学卒業の前後には、地元の愛媛県内で、実際に旅館の仲居さんをしていた事もある。

地元でのレポーターの座を追われてしまったが、芸能界の夢を捨てきれず2000年8月に大阪に移り、吉本興業の若手タレント養成所・NSCに入学(23期生)する。この頃、通天閣のエレベーターガールのアルバイトをしながら大阪のおばちゃん達の生態を徹底研究。

2001年3月、NSC卒業。以後baseよしもとを中心に活動するも鳴かず飛ばず。 この頃、関西ローカル「吉本超合金F」で自室をガサ入れされ私服のセンスがない事をバラされる。これを見たFUJIWARA原西孝幸は「うわっ、オレのオカンと同じセンスや!」「彼女がデートに着てきたらビリー破るで!」などと酷評。又、「イカせてSEX中毒素人娘」なる秘蔵AVを発見・その場で再生され、藤本敏史に「友近、お前いきなり3Pやないか!」とつっこまれる(30秒後、実は4Pだったことが発覚し「友近、お前3Pや思たら4Pやないか!」と更につっこまれる)。

2002年、ピン芸人NO.1を決める「R-1ぐらんぷり2002」でファイナル進出。2003年、第33回NHK上方漫才コンテストで優秀賞、NHK新人演芸大賞で大賞をそれぞれ受賞。徐々に世間に認知され始め全国区タレントへ。

「爆笑問題のバク天!」(TBS)に出演。主に「恐怖のバク天芸人」「パラパラ日本昔ばなし」などのコーナーを担当。2006年1月21日の放送では「完全メイド宣言」に一日メンバーとして入団した。

2004年1月、第25回ABCお笑い新人グランプリ優秀新人賞受賞。同年7月、ラジオ「ゴーゴーモンキーズ」(毎日放送)の企画としてビキニ水着やレースクィーン、チアガールなどのコスプレ写真撮影会が実施された。(関連記事)

2006年11月19日、MBSゴチャ・まぜっ!の企画による第2回友近ビキニ撮影会が開催された。

2006年12月20日、なるトモ!で、かねてから噂のあったなだぎ武(ザ・プラン9)との交際を認める。これを逆手に取り、なだぎと友近は2人で「ディラン&キャサリン」(ビバリーヒルズ高校白書のパロディー)としてTV出演・舞台公演を行っている。ただしキャサリンという人物はビバリーヒルズ高校白書シリーズには登場しておらず、アメリカドラマに登場するステレオタイプな女性を演じているに過ぎない。 2007年2月28日、なるトモ!で「抱かれたい芸人ランキング」でなだぎ武が一位なのに対し「誰にも抱かせませ〜ん」という発言をしている。

ちなみに、2007年5月14日のフジテレビ・笑っていいともの目指せぴったり21というコーナーには「ディラン&キャサリン」として出演し、次のドカンワードのコーナーにはカツラ等を外し友近&なだぎ武として出演した。

(出典:Wikipedia)

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徳光和夫 エピソード&プロフィール

徳光 和夫(とくみつ かずお、1941年3月10日(戸籍上、実際は3月3日) - )は、東京都目黒区出身のフリーアナウンサー。SMAエンタテインメント所属。元日本テレビアナウンサー。現在は神奈川県茅ヶ崎市在住。血液型B型。海城高校、立教大学社会学部卒業。


【経歴・人物】
■実際の表記はコ光 和夫(徳が旧字体、初期の『ズームイン!!朝!』のテロップでもこの表記)。次男はタレントの徳光正行。なお、日本テレビ系列局で福島中央テレビアナウンサーの徳光雅英、声優の徳光由禾とは無関係である。

■愛称は徳さん。趣味は野球観戦と駅伝観戦と音楽観賞など。

■戸籍上の生年月日は1941年3月10日だが実際の生年月日は同年3月3日。これは厳格な父・寿雄が、“男児が3月3日、桃の節句の生まれでは格好が悪い”と1週間後の10日生まれにしたと、番組の中で本人が明らかにした。戦時中は福島県田村市に疎開。もともとは落語家志望であった。

■フジテレビも受験したが筆記試験で不合格となり(下記詳述)、日本テレビには縁故入社である(本人談)。

■昭和30年代後半、日本ではハワイアンバンドが全盛を極めていた時期であり、当時大学生だった徳光も立教大でデキシーランドの司会者をやっていた。その時同じく早稲田大学のナレオハワイアンズの専属司会者だった露木茂とはその頃からのライバル関係であり、偶然にも2人はフジテレビの一次(筆記)試験の日に出くわし、一緒に試験を受けている。当然ながら露木は一次通過し、徳光は不合格となってしまったのだが、当時のテレビ業界は“ブンヤ”と呼ばれた新聞業界同様に敬遠され、不人気な業種であったため、東京キー局でさえ広告などでアナウンサーを公募するほどの人材難に陥っていた(競争倍率が数千倍の“超難関”となった今では信じられない話なのだが)。そのため、徳光の筆記試験の結果がいかほどのものであったかを伺えるエピソードとも言える。

■父・寿雄は日本テレビの役員を務めていたが、当時財団法人日本科学技術振興財団のテレビ局で赤字経営に苦しんでいた東京12チャンネル≪現:テレビ東京≫を立て直すべく、1967年に日本テレビがTBS・フジテレビ・NETテレビ≪現:テレビ朝日≫の在京民放3社とNHKと共に設立した「科学テレビ協力委員会」の委員となり退社。現在のテレビ東京の土台を築き上げている。和夫もフリーに転向後「にっぽんの歌」などテレビ東京の番組に出演し、息子の徳光正行も「レディス4」の司会に起用され、親子3代に渡ってテレビ東京に関与することとなった。

■現在でこそ読売ジャイアンツのファンとして有名だが、中学時代までは西鉄ライオンズ(特に大下弘)のファンだったことを週刊ベースボールで告白している。しかし、私立海城高等学校在学中に「人生のすべてを長嶋茂雄にささげよう」と決意。立教大学の全学部を受験し、辛うじて社会学部に補欠合格。大学では放送研究会に所属。大学の先輩に長嶋茂雄、同期に土居まさる、後輩に古舘伊知郎、久保田光彦、放送研究会の後輩にみのもんたがいる。

■「人生のすべてを長嶋茂雄にささげ」、信仰、崇拝していた徳光であったが、長嶋と接見した際、「どなた様?」と言われ徳光はショックで一週間寝込んだという。

■著書の企業内自由人のすすめによれば、日テレを受験をした際最終選考に残った二人が学生運動に関与していたことが判明し選考を辞退した影響で徳光が採用されたという。しかし、前述のように巨人の熱狂的なファンであったためプロ野球中継の担当にはなれず、プロレス中継を中心に受け持った。また、夏木陽介主演のドラマ『青春とはなんだ』でラグビー中継のアナウンサー役で出演したことがあり、アニメ『ルパン三世』にも自動車レースを中継するアナウンサー役で声優として出演したこともあった。その後、『紅白歌のベストテン』で人気を得、1979年3月からスタートの『ズームイン!!朝!』、1988年4月からスタートの『ニュースプラス1』のそれぞれ初代のメインキャスターを務めた後、1989年に退職し、フリーとなる。

■1978年からスタートした『24時間テレビ』に第1回から参加しているが、わかっている限りで第1回から皆勤している唯一の人物といえる。

■1980年にスタートした『NNSアナウンス大賞』の第1回最優秀賞受賞者である。

■2001年6月に狭心症を患い緊急入院し、生死をさまよったが同月末に現場復帰。実子の著書によれば年齢不相応の不養生が原因であるという。「健康に気を使うということが、既に不健康である」というのが自身のモットーであったが、後にこの認識は改めざるを得なかった、とレギュラー番組で語っている。


【エピソード】
■1989年に日本テレビを辞めてフリーになって以来、最近までNHKで仕事をしたことがなかった。これは、入社間もない頃、集金人に日本テレビしか映らないテレビ受像機を見せた後「受信料は払わない」と通告した事が、NHKの上層部の逆鱗に触れたかららしい。しかし、NHK衛星第2テレビで2005年8月に放送された『ハワイアンのすべて〜大橋節夫ファイナルコンサート〜』(NHKホールでおこなわれた)の司会としてNHKの番組にも出るようになった。

■1968年、『キユーピー3分クッキング』で初の男性アシスタントに抜擢されるも、「見てるだけで何もしなかった」(一説によると当時の担当講師である名古屋にある調理師専門学校の講師に向かって「先生、ハゲてますね〜」と言ってしまった為とも言われている)ため、また徳光本人が某トーク番組で明かしたところによれば、「味噌汁は水を入れて作るんですね」という失言をしてしまったため3か月で降ろされてしまった。

■メロンパンが好物。『第10回アメリカ横断ウルトラクイズ』で成田空港での腕相撲の敗者と一緒にグアム(当時、巨人はグアムでキャンプを行っていたため目的地がグアムとなった)へ向かい(この時は勝者と敗者が別便でグアムへ向かう途中で機内400問ペーパークイズを行い、勝者の点数が敗者の最低成績者の点数を下回れば失格、勝者が1人失格するごとに敗者の成績上位5人が復活するシステムになっていた)、ペーパークイズ終了後の機内食としてメロンパンが登場した際、ペーパークイズの成績が気になる解答者とは対照的に、徳光は至福の表情でメロンパンを頬張っていた。『ズームイン!!朝!』担当時も常に自分の立ち位置の裏にメロンパンを常備し、CMの合間にほおばっていた。

■『徳光のTVコロンブス』では、CMに入る前には「ここで、トイレタイムです」との決め台詞を用いた。これ以来、CMを諷刺する語として「トイレタイム」が使われる。又、これと似た決め台詞を使う芸能人には、井ノ原快彦や乱一世(これが原因で問題を起こした一人)がいる。

■アメリカ横断ウルトラクイズ上でも、数多の人格を疑われるような発言をしている。成田予選に負けた出場者を引き連れて勝ち残った人の乗った飛行機が離陸するとき、1982年のレバノン紛争を引き合いに出して「いい気になるな」「お前たちはニッポンの恥だ!」「飛行機よ、落ちろ」「生命保険は入ってるのか!」「ハイジャックが潜んでいるぞ」「お前たちの行く先はニューヨークじゃなくて、レバノンだ!」「思いとどまるなら今のうちだぞ!外務省が泣いてるぞ!」や、1984年、カラシレンコンの食中毒事件が起きたとき、その年のウルトラクイズのグアムに飛び立つ飛行機に向かって「機内食はカラシレンコンだ!」と発言した。ただし番組サイドに言わされていた可能性もある。

■愛車は日産・シーマ(F50型)。しかし本人は運転免許を持っていない(運転免許取得のために自動車教習所に通った事あるが、指導員とのトラブルで断念したらしい)。

■大の箱根駅伝好きである。大会前に独自に入手した選手のデータを手に実況を行うほどの熱の入れようで、今は復路8区の茅ヶ崎の名物になっている。この模様は新年1回目の「THE・サンデー」で毎年必ず放送されるが、本人は「あくまでプライベートで応援しているものであり、撮影クルーは勝手に収録している。」と語る。

■何故か結婚式で彼が司会を務めた芸能人は離婚することが多いため、一時期話題になった。

■テレビでは感涙することが多く(特に24時間テレビ)、「かなり涙もろい」というキャラクターで知られる。しかし息子の正行いわく、「ギャラをもらわなければテレビでは絶対に泣かない」とか。そのためウソ泣き説が囁かれている。そして波田陽区に「涙も仕事のうちですから!」と切られた際、「そう、そうなんだよ。俺だって色々大変なんだよ」と番組で語った。

■プロレス担当時代、リングサイドリポーターを担当していた徳光は、試合中にも関わらずジャイアント馬場に詰め寄りインタビューしようとした。そして「頑張れ馬場、頑張れ」と、大声で応援。ちなみに本人は「長嶋さんの次に尊敬する人は馬場さん」と発言している。

■同じように1984年2月23日、ニック・ボックウィンクル対ジャンボ鶴田のAWA世界ヘビー級選手権の試合中、鶴田の入場時に近寄ってコメントを求め、試合中にもリングサイドに詰め寄りマイクを向けようとし、「頑張れジャンボ」と絶叫した。

■1980年代前半に小林完吾アナ(当時)とのタッグで「おもしろまじめ」として売り出したこともある(徳光が「おもしろ」、小林が「まじめ」として)。

■日テレ時代の後輩である福留功男とは親友関係にあるが、仕事上では互いに「犬猿の仲」キャラクターを演じていたことがあった。

■主なエピソードに、徳光がウルトラクイズで阪神ファンにピコピコハンマーで殴打され気絶した際、福留は「巨人ファンが阪神ファンに殴られてるよ」と発言。徳光に「留さん」と間違って声をかけた人間に「あんなヤツと一緒にするな!」と激怒したり、互いに日テレ在籍時には「俺は部長級、アイツは課長級」と肩書きで見下したり、各番組で他の出演者が福留に関する話題を振ると激怒するポーズを見せたり、「(福留の)お嬢さんはいい人なんだけどねぇ」と徳光vs福留のエピソードには事欠かない。

■仕事以外では、福留が「ズームイン!!朝!」の司会に就任する時のインタビューで、徳光を「各局のリポートをきちんと受け止める名キャッチャーだった」と高く評価し、1991年にフリーになった理由のひとつが「先輩であり親友でもある徳光が退社してフリーになったこと」であったほど、徳光とは仲がよい。徳光も「トメはアナデューサー」だと福留を評価している。

■明石家さんまとは全くといっていいほど共演しない。1999年3月末に放送された日本テレビの『スーパークイズスペシャル』で「覆面クイズ正解は多数決!!」というコーナー(進行今田耕司・東野幸治)での解答者として参加し、「この方の司会だけはご遠慮いただきたい」という問題でテレビの視聴者には超大物司会者・Sと答え、「この方の司会で笑った事がない」や「今田さんや東野さんは一緒に仕事していて、どこが面白いんですか?」や「笑っているように見えて、他の事を考えている」と批判していた。約3ヶ月後、さんまが司会を務める『恋のから騒ぎ』でさんまがオープニングで「『24時間テレビ』は今年から出ません」と発言していたことから、徳光がさんまを嫌っている事がわかる(このため、福留功男と違って、徳光とさんまとは本当に犬猿の仲である。そんな徳光は島田紳助や笑福亭鶴瓶を大変気に入っている)。

■クイズ番組において、パネラーの答えを公開する時に「(せ〜の)ドン!」と掛け声をするのが癖。これはもともと大橋巨泉がクイズダービーで解答を開ける際に使用していたコールであり、司会が徳光に変わった後もそのまま引き継がれ、クイズダービー終了後も徳光が各種クイズ番組で使用し続けているものである。

■2000年にNTV系列で放送された特番でB'zと対談。その中で稲葉浩志とプロレス談義で花を咲かせ、共同MCのユースケ・サンタマリアから「段々別の番組になってきた!」と突っ込まれるまで続けていた。

■『24時間テレビ』で長年総合司会を務めているが、続けられるのは徳光の意欲やスタッフの要望もさることながら、徳光に匹敵する大物司会者陣が揃いも揃って24時間テレビの裏番組にレギュラーを持っていて、徳光の後任を狙えないことも大きいのではないかと思われる(例: 伊東四朗…『脳内エステIQサプリ』、草野仁…『世界ふしぎ発見!』、福留功男…『ブロードキャスター』、堺正章…『チューボーですよ!』、関口宏…『サンデーモーニング』、タモリ…『笑っていいとも!増刊号』、島田紳助…過去に『サンデープロジェクト』など、森本毅郎…『グレートマザー物語』など、小倉智昭…過去に『いまどき!ごはん』、明石家さんま…『さんまのSUPERからくりTV』、みのもんた…『どうぶつ奇想天外』)。

■担当している番組が終了の際「番組をお休みします」という(決して「終わり」「終了」とは言わない)。これは、よほどのことでもない限り復活の可能性があるとして視聴者を配慮してのことだろう。

■現在の妻はまさか自分がこの人と結婚するとは思っていなかったらしい。おせじにもいい男とはいえない徳光とは最初ほんの軽い気持ちでの付き合いであったという。なお、徳光は一番最初のデートで何故か兵隊やくざの映画に連れて行ったことを暴露している。

■元ABCアナでフリーの山本モナの不倫に関して「最近のアナウンサーはまともな生活をしていない」とコメント。その山本とは2007年にテレビ朝日の特番で司会コンビを組むことに。

■後輩である日テレの船越雅史アナのセクハラについては、「私は、彼を信じていたのに。」とコメントしていた。

■かつては前述のような過激な言動が物議をかもしたが2001年に大病を患ってからは年相応の穏やかな言動が目に付くようになった。

■動物占いは"たぬき"である。

■一連の年金問題において、社会保険庁に支払い確認を行ったところ、「死亡扱い」を受けていたことが判明。「なぜ僕が殺されなければならなかったんだ?」って、半分泣きながら職員に抗議したという。2007年6月14日発行のスポーツ新聞では、「徳光和夫 社会保険庁に殺される!」とのトップ記事が並んだ。


【読売ジャイアンツ関連】
前述の通りプロ野球は熱烈な巨人ファンである。故に「ジャイアンツおやじ」とも称される。しかし、強烈なジャイアンツ愛ゆえに他球団をこき下ろす、または侮辱する発言をすることも多い(特に長嶋巨人時代に)。そのため、時折人格を疑われるような暴言を吐くこともあり、他球団のファンならず身内からも痛烈な非難を浴びることがしばしばある。

■1982年、この年中日と巨人が熾烈なデッドヒートを展開。こうした中「巨人軍が優勝できなかった場合、私は丸坊主になります」と発言。結局中日が優勝し『ズームイン!!朝!』の番組内で板東英二らによって公約通り丸坊主にされた(板東英二を参照)。

■1984年、広島優勝の直後のズームイン朝で1982年の日航機逆噴射墜落を引き合いに出して「優勝は日本シリーズの第1戦が始まるまであきらめない。だって広島の選手が乗った飛行機が墜落するかもしれないでしょ?」と発言し広島ファンのひんしゅくを買った。

■1985年のウルトラクイズで当時快進撃を続けていた阪神に対して当時話題を呼んでいたハレー彗星を引き合いに出して「阪神の好調はハレー彗星がくるのと同じくらいの珍事」と発言。これがきっかけで、阪神ファンから当時絶好調だったランディ・バースの応援歌「ライトへレフトへホームラン」の次に「徳光倒せオー!!」と歌われ、ピコピコハンマーでたたかれたあげくに(アメフトのヘルメットをしていた)気絶してしまった。

■1985年、阪神の優勝が迫った時に『ズームイン!!朝!』の中で読売テレビから「どないしよう、タイガースが優勝してしまう」という企画が放送されたが、モニターに背を向けて報知新聞を読んでいた。そして阪神優勝特集がズームインで放送され徳光は画面の右下でへこんでしまった。

■1989年に、久米宏がニュースステーションのスポーツ企画「ジャイアンツエイド'89」で、巨人が優勝したら「とりあえず丸坊主」になり、日本一になったら「徳光さんの番組(ニュースプラス1)で万歳する」と宣言した。日本シリーズの結果は巨人が3連敗から4連勝で大逆転の日本一。そのため丸坊主の久米が徳光の番組に出演し、「ジャイアンツ万歳」と万歳三唱を行った。

■1989年の日本シリーズで、初戦から3連勝した近鉄の加藤哲郎投手が、「巨人はロッテより弱い」と発言した(正しくは「シーズン中のほうがきつかったですからね。相手も強いし」と言っていたのだがいつしか改竄された)ことに対して、翌週のニュースプラス1で「君のようにふって沸いて出た三流ピッチャーに、ジャイアンツを侮辱する資格はない!!」と激怒した。
※ 余談だか加藤哲郎の発言はのちにロッテとの公式戦勝越し年度ゼロという形で証明された格好となった(ただし2006年終了時点)

■1996年に東京巨人軍応援団から依頼され、ジェフ・マントの応援歌を作詞した(マントは開幕から10試合出場したものの27打数3安打、打率.111と成績不振に陥り、5月初旬にあっさりと解雇されてしまったため、すぐにお蔵入りとなってしまった)。

■ヤクルトスワローズの野村克也監督(当時)を自身の番組で「麻原彰晃」呼ばわりした上で、ヤクルトのファンをオウム真理教の信者と呼び、散々に非難した(自身が崇拝している長嶋茂雄をこき下ろしていたのに腹が立っていたからだという)。

■2000年に巨人が東京ドームで優勝した時に胴上げされる長嶋監督(当時)を見て、飲んでいたビールを自分の頭にかけ(本人曰く一人ビールかけ)さらに「巨人軍万歳」と絶叫した。その後、行われたビールかけにも参加(というよりも乱入)した。

■2001年9月30日・長嶋茂雄が巨人軍の監督を勇退する日、「THEサンデー」の放送中に本人から生電話が届く。徳光は当然のごとく号泣し長嶋から「泣かないでくださいよ」と慰められる。その後、東京ドームで勇退セレモニーを見てまた号泣。隣にいた長嶋の息子一茂にも慰められる。

■2002年9月24日に巨人のリーグ優勝が決まった当日にタキシードを着てビールかけに乱入。また、翌日の9月25日、サントリーの広告に「1リーグ時代からの巨人ファンで良かった」という意見広告を出した。

■2003年6月22日のザ・サンデーで巨人が阪神相手に11失点で大敗したことについて「きのうの巨人の大敗が、あさま山荘事件のようで悲しかったです」とコメントし、あさま山荘事件の被害者の遺族を激怒させた。

■2005年7月3日、脳梗塞でリハビリ中だった長嶋が東京ドームで行われた『巨人対広島戦』を観戦、1年4ヶ月ぶりに姿を見せた際、観戦に来ていた徳光は長嶋の顔を見ると思わず号泣した。翌晩(7月4日)放送の日本テレビ『スーパーテレビ情報最前線 緊急特集・長嶋茂雄復活までの父子物語』に生出演。奇しくもテレビ東京で司会を務める『徳光&コロッケの“名曲の時間です”』が裏番組にあり、出演すべきか悩みに悩んだ結果、出演を決めた。

■王貞治の最後のホームランとなった868号のバットを所有している(以前テレビ東京の開運!なんでも鑑定団に出品している)。

■2006年10月8日放送のジャンクSPORTS(フジテレビ系列)のスペシャルで相席していたという事もあるが「星野仙一を将来の巨人軍監督に」と巨人監督就任を熱望する発言をした。ちなみに2005年に堀内恒夫監督が不成績の責任をとり辞任した際次期候補として取りざたされた際は「星野さんは中日で活躍し、その後監督になってからも『打倒巨人』で今の地位を築いた人。巨人ファンはみな歓迎していない。」と反対していた。

■長嶋茂雄の熱心な信者で1980年に一度目の巨人監督辞任(※事実上の解任)の際黒幕とされた川上哲治を自身の番組で批判したり1998年に自身が嫌っていた野村克也を引き合いに出して采配批判を行った豊田泰光を痛罵した。また、痛罵こそしないが週刊朝日誌上で長嶋を揶揄する絵を掲載していたイラストレーターの山藤章二を忌み嫌っていてテレビ番組で共演するのを拒絶するほどである。

■上記の一件から豊田泰光はテレビでの解説の仕事が減ったが意外な所からしっぺ返しが来てしまったようで2002年には豊田の出演している文化放送のスポーツ番組に永六輔が出演。結果永の援護射撃により息を吹き返すという形で報復を受けてしまった。しかも2004年のプロ野球再編問題が追い討ちをかけてしまった。今年に至るまで徳光が巨人の応援に消極的になっていたのは今までの言動が永の耳に入ったら大叱責を食らうのではと恐れていたという説があり実際徳光は口にするのを憚るほど永を苦手としている。

■2002年、日テレG+のテレビCMで長嶋と共演。(内容は、滝のような涙を流し号泣している徳光に、「徳光さん、ハンケチ。」と長嶋がハンカチを差し出し「ありがとうございます」と言いながら徳光はそのハンカチを手に取ると2人そろって泣くと言うもの)

■また、あまりにも巨人軍を賛美するあまり「石井は何やっているんだ。取れ馬鹿」「松井空振りしてんじゃねーよ」「落合と駒田と広澤と石井は裏切り者だ!清原と川口と大久保を見習え」と発言し、良識あるプロ野球ファンの怒りを買った。なお「裏切り者」の件に関しては落合は(FAで後から入団した)清原との兼ね合い、駒田はやはり落合との兼ね合い、広沢は自由契約、石井はトレードで巨人を出たのであり、自分の勝手な都合で出て行ったわけではなく、主に球団の都合(戦力補強など)によるところが大きい移動なので、「裏切った」とは解釈し難いのである(それにこの論ではFA自体が成り立たない)。

■2001年、大阪近鉄バファローズ在籍(当時)のタフィ・ローズ外野手が王貞治のシーズンホームラン記録55本の記録を塗り替えようとしているとき、(結果としては王貞治本人が監督を務める福岡ダイエーホークスの敬遠責めもあり、記録更新はならず。)生放送中に「肌の色が違って、血液型もよくわからないような奴に王さんの記録を抜いて欲しくない」と発言する。この事件は日本ハムファイターズ(当時)のファンとして知られるえのきどいちろうから、彼の連載していたコラムにて某タレントの人種差別発言として「他国では絶対に許されない、社会的に抹殺されておかしくないくらいひどいこと」として非難される。

その奔放すぎる言動から、ジャイアンツファンからも批判が出ている。


【ギャンブラー徳光】
■温和な顔で有名な徳光だが、大のギャンブルファンである。

■競馬・競輪・競艇・オートレース全てで顔を見たという人が多数。しかし、あまり勝てないらしい。

■1997年には船橋競馬で20万馬券を的中させた(WINS新橋の場外発売で馬券を購入)。これは当時南関東の地方競馬としては配当の史上最高記録だったこともあり大々的に報じられた。ちなみにその際、徳光の馬券予想コーナーを掲載していたスポーツ報知では「徳さん万馬券的中!」と1面で報じられたが、別のスポーツ新聞には「初老の男性が換金に来た」(つまり、そのスポーツ新聞は『初老の男性』が徳光であることに気づかなかった)と書かれたことがある(これは、『タモリのネタでNIGHTフィーバー!』でも発表)。また、この時徳光は約800万円の配当を手にしているが、新聞で大々的に報道されてしまったために税務署にその分を申告しなくてはならなくなってしまった。

■ギャンブルでは特に競艇が大好きであり、選手の心理状況や家族構成まで調べるくらいに熱中している。また局アナとして「ズームイン!!朝!」を担当していた時は、番組が終わると毎日のように平和島競艇場に直行していたと言われる。またアナウンサーを引退したら競艇場で予想屋をやりたいと語っている。

■競馬ではウインズ後楽園に出没する。競輪では自宅のある茅ヶ崎に程近い平塚競輪場を訪れるようで、2007年の日本選手権競輪など、当地でのTV中継のゲストとして呼ばれたこともある。

■公営ギャンブル4種以外にも麻雀も打つ。

(出典:Wikipedia)

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ドリュー・バリモア エピソード&プロフィール

ドリュー・バリモア(Drew Barrymore, 本名 Drew Blythe Barrymore, 1975年2月22日 - )は、アメリカ合衆国の女優。


【来歴】
ロサンゼルス出身。舞台俳優のジョン・バリモアは祖父。大伯父はライオネル・バリモア、大伯母はエセル・バリモア、両親共に俳優という一家に生まれる。

生後11ヶ月からコマーシャルに出演。7歳のときにスピルバーグの『E.T.』に、主人公エリオットの妹役で出演、その愛らしさで一躍天才子役として注目される。一夜にしてスターとなった彼女だが、私生活は荒んでいき、9歳から飲酒を、10歳でマリファナを、12歳の時にはコカインを使用するようになったという。笑顔が可愛らしく愛嬌のある役が多いが10代から20代のはじめには"Bad Girl"として有名で、1995年には『プレイボーイ』誌でヌードにもなっている。

20代半ばからはヒット作に恵まれ、また自身の映画製作会社を興してプロデュース業にも携わっている。

プライベートでは1994年にバーのオーナーの男性と結婚したが1年後に離婚。2001年にはコメディアンのトム・グリーンと結婚したが、1年と少しで離婚している。

2007年4月、タイム・ワーナー社の刊行している雑誌『People(英語)』の『モスト・ビューティフル・ピープル2007』で第1位に選ばれた。


【主な出演作】
・E.T. E.T. the Extra-Terrestrial (1982)
・炎の少女チャーリー Firestarter (1984)
・世にも不思議なアメージング・ストーリー Amazing Stories (1985)
・プワゾンの香り The Amy Fisher Story (1993)
・ボーイズ・オン・ザ・サイド Boys on the Side (1995)
・バットマン・フォーエヴァー Batman Forever (1995)
・スクリーム Scream (1996)
・世界中がアイ・ラヴ・ユー Everyone Says I Love You (1996)
・エバー・アフター Ever After (1998)
・ウェディング・シンガー The Wedding Singer (1998)
・25年目のキス Never Been Kissed (1999)
・チャーリーズ・エンジェル Charlie's Angels (2000)
・ザ・シンプソンズ The Simpsons (2000) 声の出演
・ドニー・ダーコ Donnie Darko (2001)
・サンキュー、ボーイズRiding in Cars with Boys (2001)
・コンフェッション Confessions of a Dangerous Mind (2002)
・チャーリーズ・エンジェル フルスロットル(2003)
・おまけつき新婚生活 Duplex (2003)
・50回目のファースト・キス 50 First Dates (2004)
・2番目のキス Fever Pitch (2005)

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070426-00000107-jij-ent

土岐田麗子 エピソード&プロフィール

土岐田麗子(ときた れいこ、1984年5月31日 - )は、千葉県生まれのファッションモデル。ディスカバリー・エンターテインメント所属。血液型はA型。趣味はショッピング。愛称はトッキー。


【プロフィール】
愛称: トッキー
生年月日: 1984年5月31日
現年齢: 22歳
出身地: 日本・千葉県
血液型: A型
公称サイズ(2005年時点)
身長 / 体重: 157 cm / ― kg
スリーサイズ: 80 - 56 - 80 cm
靴のサイズ: 23.0 cm


【経歴】
■『Cawaii!』にてモデルデビュー。なお『Cawaii!』では毎年2月号で、その年に成人式を迎える「Cawaii! Girls」がそろって振袖を着て表紙を飾るのが恒例になっている。2005年2月号では、大石里紗と共に振袖姿で表紙を飾っている。彼女達はこの号をもって『Cawaii!』を卒業した。

■現在は『JJ』誌上にてモデルとして活躍中。


【エピソード】
■2006年10月17日放送分の『踊る!さんま御殿!!』(日本テレビ系列)に出演した際、インパルスの堤下敦に突然、「好きです」と告白をしスタジオを驚かせた。

■2007年4月22日、日刊スポーツによると堤下敦と年内にも結婚する見込みだと発表。尚、現在も堤下との交際は順調の様で、日刊スポーツによれば年内にも結婚、今秋にも挙式・披露宴を行いたい意向で日程の最終調整に入っているとのことである。

■無料パソコンテレビGyaOにて配信中の『キムサウンドストーリー』でアニメ化された姿で出演中(声も本人によるものである)のほか、「うたブロ」でも熱唱中。

■同じくGyaOで配信された『道徳女子短大 エコ研』や、Dohhh UP!で配信された『おじぎ30度』などで高橋愛や道重さゆみらと共演している。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070425-00000031-nks-ent

戸田恵子 エピソード&プロフィール

戸田 恵子(とだ けいこ、本名;井上 恵子、旧芸名;あゆ 朱美、1957年9月12日 - )は、愛知県春日井市出身の声優、女優。血液型はO型。グランパパプロダクション所属。駒沢学園女子高等学校卒業(後輩は女優の常盤貴子)。

声優としては『ゲゲゲの鬼太郎(3作目)』(鬼太郎役)、『きかんしゃトーマス』(トーマス役)、『キャッツアイ』(来生瞳役)、『それいけ!アンパンマン』(アンパンマン)など、女優としては『ショムニ』などへの出演が知られている。


【経歴・人物】
小学5年からNHK名古屋放送児童劇団に在籍し、『中学生日記』で女優としてデビュー。上京し、あゆ朱美の芸名でアイドル演歌歌手としてもデビューした。しかし、歌手としては成功せず、挫折していたところを野沢那智に声を掛けられる。所属していたプロダクションが解散となり、野沢主宰の「劇団薔薇座」へ入団。本格的に演技の勉強を始め、劇団の看板女優として活躍した。退団後の1989年には舞台『渾・身・愛』で第24回紀伊國屋演劇賞個人賞を受賞。

『無敵鋼人ダイターン3』への出演で声優デビュー。続けて出演した『機動戦士ガンダム』で声優として認知される。当初は『伝説巨神イデオン』、『子鹿物語』など歌手としての色彩が強い出演作品が多かったが、次第に声優に軸足を移してゆく。

『キャッツ♥アイ』の瞳、『きかんしゃトーマス』のトーマスなどの声をあてて人気を集める。洋画の吹き替えも多く担当しており、ジュリア・ロバーツの出演作では殆どをこなしている他、『X-ファイル』のスカリー捜査官なども有名。

金子修介監督の映画『毎日が夏休み』で本格的に映画に出演。その後、三谷幸喜が脚本を手がけた『総理と呼ばないで』、『ラヂオの時間』(日本アカデミー賞優秀助演女優賞を受賞)、『HR』に出演し、三谷作品の常連となる。他にも『ちゅらさん』、『天才柳沢教授の生活』などに出演。舞台には『オケピ!』、『なにわバタフライ』、岸野幸正率いる「劇団岸野組」の公演などに出演。『歌わせたい男たち』では第13回読売演劇大賞最優秀女優賞を受賞した。


【エピソード】
■アイドルから声優に転向して成功した先駆けとも言われ、小山茉美や潘恵子と並ぶ人気だった。池田秀一と結婚するが後に離婚し、その後、俳優の井上純一と再婚した。子供はいない。

■ラスベガスは、一般には「ベガス」と呼ぶのが普通だが、戸田は「ラスベ」と呼ぶことが多い。小堺一機や三宅恵介プロデューサーらと現地を訪れた際も、「ラスベに行くべツアー」と称した(そこで絶叫マシーンに強引に全員を連れて行った上、顔を引きつらせる彼らに対し、彼女は平然と笑みを浮かべ「へぇ、こうなってるのね」とだけ言った)。

■アイドル時代、気球からのリポート撮影で墜落事故にあった経験もある。

■さだまさしの『一人占い』(グレープ時代の作品である)をレコードで発売しているが、全く売れなかった。また三ツ矢雄二とは児童劇団時代からの腐れ縁(全て本人談)。

(出典:Wikipedia)

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