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福山雅治 エピソード&プロフィール

福山 雅治(ふくやま まさはる、1969年2月6日 - )は、日本を代表するシンガーソングライター(アーティスト)であり、ラジオパーソナリティ・ラジオDJ、俳優、音楽プロデューサー、写真家と幅広い活躍をしている。所属事務所はアミューズ。


【来歴】
■長崎県長崎市出身。

■私立宝珠幼稚園、長崎市立稲佐小学校、長崎市立淵中学校、長崎県立長崎工業高等学校卒業。

■1988年 「アミューズ・10ムービーズオーディション」に合格、映画『ほんの5g』で俳優デビュー。

■1990年 シングル『追憶の雨の中』で歌手デビュー。

■1991年 TBS系ドラマ『あしたがあるから』でテレビドラマデビュー。

■1993年 シングル『MELODY』で第44回NHK紅白歌合戦に初出場。なおこの回が唯一の紅白出場である。

■1995年 フジテレビ系ドラマ『いつかまた逢える』で初主演。

■2000年 シドニー五輪、2004年のアテネ五輪でテレビ朝日のカメラマンとして活躍。


【人物】
■長崎から上京する時には、自分の本当の目標を周囲の人間に恥ずかしくて言えなかったので、古着屋になると言って出て来た。

■アミューズの先輩の桑田佳祐にはマサジと呼ばれる。ファンの中では桑田佳祐と並んで「下ネタの帝王」と呼ばれることもある。福山と桑田のそれぞれパーソナリティーのラジオ番組は下ネタや放送禁止用語が連発している。アダルトビデオが大好きで、更に桑田の誕生日パーティー(所属事務所のアミューズの2003年実施)に福山が当時人気があったAV女優の及川奈央の二枚組みDVDを桑田にプレゼントしたと、後日『桑田佳祐のキヤノンFMワンダーランド〜やさしい夜遊び〜』で桑田が暴露した。

■AV友達の今田耕司とは時々交換などをしている(文化放送『Come on FUNKY Lips!』にてゲストの福山が事実を認める)。ちなみに今田とは1992年に今田のラジオ番組にゲストとして招待されて以来の古い付き合いであり、1998年リリースのアルバム「SING A SONG」では今田が収録全曲のレビューを執筆した。

■「オナニー公爵」を自称。35歳を超えた今でもよくオナニーをしており現役バリバリだという(魂のラジオより)。ちなみに、初体験については本人も語ったことが無い。

■昔、酒に酔って自宅に帰る途中の道端に女性が倒れており、その(寝ていたらしい?)女性を背負って自宅まで連れ帰ったことがある。ちなみにその女性とは朝起きたときにわかめごはんを食べさせただけで、特になにもない。(HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMPにて本人談)

■福山からオールナイトニッポン木曜1部を引き継いだナインティナインの岡村隆史(2学年下、1970年生まれ)は福山くんと呼んでいる。

■音楽的には浜田省吾、サンハウス、THE MODS、A.R.B. らの影響を受けた。 ちなみに高校時代にA.R.B.に関しては大ファンだったようで同級生たちと組んでA.R.B.のコピーバンドをしていた程である。

■福山自身も学生時代はラジオを愛聴していた。「プレゼントアワー」という、長崎のローカルAM放送局NBCラジオが日曜深夜に放送していた中高生の必聴番組があった(現在では放送終了)のだが、福山もそのリスナーの一人だった。その番組内で「○○高校の△△部の□□君のことを教えてください」「☆☆君の情報ですが、1つ年下の彼女がいます」といった在学校名や実名をあげて個人の情報を依頼・提供し合うという、現在では考えられない、携帯電話はおろかポケットベルすら普及していなかった当時ならではの人気コーナーがあり、当時モテなかった(本人談)福山は自分の名前があがらないかと毎週楽しみに聴いていたが、結局高校を卒業するまで彼の名前が読み上げられることは一度もなかったらしい。

■現在担当しているオールナイトニッポンも学生時代にはよく聴いていて、笑福亭鶴光がパーソナリティを務めた「笑福亭鶴光のオールナイトニッポン」も聴いており、鶴光の巧みな「艶福ネタ」を好み、尊敬している。これはラジオの彼の話術にも影響を与えており、その甘いマスクのルックスに似合わず、自身のラジオ番組では女性ファンもドン引きするような強烈な下ネタを連発、その気取らないバランスさが男性からも高い人気を維持している。

■同郷生まれのSHINJO(新庄剛志)と仲が良く、北海道日本ハムファイターズの試合を見に行ったこともある。2006年シーズンには福山の楽曲の美しき花(milk tea や あの夏も海も空も の場合もある)を登場曲として使用している。他にも、西川貴教や加藤晴彦とはプライベートでも仲が良い。小説家の内藤善弘とはデビュー当時から親交が深く、一緒に旅行したりもしている。

■2000年に同じ事務所のサザンオールスターズが行い、後に伝説として語り継がれる「茅ヶ崎ライブ」では開演前の開会宣言を務めている。同ライブのMCで桑田は「福山が桜坂なんてあんないい曲を作詞出来るわけない。俺がマサジにファックスしたんだ」と発言して場内は爆笑だった。

■ちなみに彼は桑田佳祐の家でパーティーを行ったときにとてつもなく酔ってしまい、飾ってある皿を投げたりなどしたため桑田の家には立ち入り禁止らしい。(泉谷しげる談)

■小学生のとき、ソフトボールをやっていたが、右肩を故障。しかしその経験からか、シドニー、アテネ五輪では取材を行った。

■中学時代、卒業アルバム個人写真撮影時、本人は校則違反による謹慎処分中であったため、坊主頭での撮影を余儀なくされた。本人はそのアルバムを後輩等に見られることを嫌がっていたが、たまにラジオでネタにしている。

■福山自身は子供のころ、今のようにシンガーソングライターとしての成功は無理だと思っていたらしく、音楽の先生になりたかったらしいが、家庭の状況(金銭面)から断念した。結果的には夢が叶った訳である。(福山雅治のオールナイトニッポンサタデースペシャル・魂のラジオで告白)

■高校卒業後、しばらく一般企業に就職し、会社員をやっていたが、音楽への未練が断ち切れず、会社を辞め、単身上京した。(福山雅治のオールナイトニッポンサタデースペシャル・魂のラジオ内で告白)

■上京するとき、夜行列車(さくら)の中でお金を盗まれないように靴下の中に20万円を入れて上京した。そのため、東京に着いたときには、その20万円はしっとりと濡れていたという。ちなみに彼はこれで半年間生活できると思っていた。

■上京したての頃、本人はかなり頑張って標準語を喋っているつもりだったがイントネーションがおかしかったらしく、ついたあだ名は「長崎くん」。

■デビュー当時のキャッチフレーズは「イナカモンばい」

■8月20日はパン・ツ・ゼロということでノーパンの日であるという。夏にノーパンだと気持ちいいらしい。ライヴにもよくノーパンで登場するらしい。

■女性の好きな有名人アンケートにおいて必ずといっていいほど上位にランクされている。このことから、島田紳助はあるTV番組で「日本の女性は福山雅治に支配されている」と発言していた。

■下着メーカー「トリンプ・インターナショナル・ジャパン株式会社」が2005年に行った「ホワイトデーに関するアンケート」で「ホワイトデーに下着を贈られたい男性有名人は?」という質問で第1位、また「自分の下着を一緒に買いに行きたい男性有名人は?」という質問で第3位に選ばれた。

■2006年に表紙を飾った雑誌「anan」のインタビューで40歳前に結婚すると発言している。

■1993年に出演したドラマ「ひとつ屋根の下」でのセリフ「あんちゃん」や「小雪ぃ・・・」は放送から10年以上経った今でもプロアマ問わずモノマネされている。

■1988年8月15日、新宿のライブハウスで、東京での初ライブ。観客はゼロだった。

■昔ライブ中にズボンのチャックが開いていてそこから下に着ていたTシャツがビートを刻む度にとびだすという事件があった。

■ドラマ「美女か野獣」の撮影中に風邪を引いて以来、煙草は吸ってない。それ以来、飲酒の量も減ったという。

■購入したばかりのパンツよりも、使い古してヨレヨレになったパンツのほうが好きらしい。(福山雅治のオールナイトニッポンサタデースペシャル・魂のラジオにて本人談)

■実兄は自衛隊員(陸上自衛隊所属)

■「年齢」「東京に出てきた年(18歳)」「デビュー日(1990/3/21)」「所属事務所(アミューズ)」が全てBEGINと同じ。そのためかBEGINとの共演の際には「BEGINの4人目」と自称する事がある。

■大のバイク好きとして知られ、福山エンヂニアリングの番組内でホンダ・ドリーム CB400FOURを購入し、テリー伊藤や伊藤英明と一緒にツーリングへ行くなどしており、バイクチーム「有楽町crazy horse」を私設している。

■今でもスタジオミュージシャンに強い憧れを持っている。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070803-00000025-nks-ent

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プリンセス・テンコー(2代目・引田天功)エピソード&プロフィール

二代目・引田 天功(ひきた てんこう)は日本のイリュージョニスト。(UFOに乗って地球に降り立った。とアメリカのプロフィールでは紹介されている・公式プロフィールでは、1995年より全てのパーソナル・データが不詳、又は未公開になっている。現在多くのアーティストが、データ不詳としているが、引田天功が日本メディアで初めて、この表記を使用し一般的にさせた。)別名プリンセス・テンコー (PRINCESS TENKO)。日本奇術協会国際交流委員長。初代引田天功の死後1980年12月15日に襲名した。


【人物】
1956(昭和31)年に生まれた。(『1959年6月29日生まれ』はアイドル時代のサバ読みである。)

初代引田天功に1976年から師事。これは親類が初代の事務所の社長だった縁からである。1977年に倒れた初代引田天功の代役で<空中ケーブルからの大脱出/日本テレビ>を行った後、1978年6月21日に『朝風まり(あさかぜ まり)』の芸名で、キャンディーズとピンクレディの制作スタッフが、フジテレビとタッグを組み、マジックを披露しながら歌う異色のアイドル歌手としてデビューさせた。しばらく歌手として活動した(デビューシングルは「ザ・マジック」、セカンドシングル「くせになるから」)。しかし、初代の死去後、初代の後援会の要望で1980年12月15日に二代目を襲名(襲名披露はホテルニューオータニ)し先代の遺志を受け継いで命がけのイリュージョンを展開するようになる。世界各地で公演を展開し「プリンセス・テンコー」の愛称で知られるようになる。朝風まり時代から後援会長は、佐川急便創業者であり会長であった佐川清である。

契約では「引田天功」と「プリンセス・テンコー」は別のキャラクターとして設定されており(例:彼女によれば「引田天功」は日本人だが、「プリンセス・テンコー」はアメリカ出身のアメリカ人と言う設定が与えられている)、演じるマジックやイリュージョンも全く別々のものである。また、「引田天功」は喋らない設定であるため、テレビ番組には「プリンセス・テンコー」として出演する場合が多い。なお、後者は「プリンセス天功」と表記されることもままある。 また、かなりの笑い上戸で、笑っていいとも!に出演したときは大爆笑するシーンがかなり多く見られた。イメージを守るためと安全確保の為に、契約によって電車に乗ったりコンビニに行ったりすることを禁じられている。

北朝鮮の金正日総書記は彼女の大ファンだと伝えられており、1998年4月にはピョンヤンに招聘されてマジックショーを披露し、金正日主催の盛大なパーティーで歓待された。また貴重な天然記念動物豊山犬を贈られ、また彼女の名を冠した奇術専門の劇場が建てられたといわれている(もっとも天功自身は北朝鮮滞在中に原因不明の病気で倒れ入院、帰国の予定が遅れる羽目にあい、帰国後も身辺に連続して奇怪な事件〔愛車の盗難やレア物のミッキーマウスのぬいぐるみ摩り替わり事件等〕が起こったと特番等で証言している)。

ハリウッド俳優ジャン・クロード・ヴァンダムと婚約していると記者会見で自らほのめかしたが、ヴァンダムはテンコーの名前すら知らなかった。彼女自身、結婚の件についてはノーコメントを貫いていたが、2007年GW合併号の週刊文春で初めてコメントを出している。

愛犬家、愛猫家として知られているが、日本に初めてジャックラッセルテリアを輸入し、今のブームを作り上げている。

2007年5月20日発表になった、totoBIGで3等に当たった事が、オフィシャルブログに掲載(5月21日)された。その直後よりブログへのアクセスが殺到。一時アクセスがし難くなった。この日のタレントブログランキング(アメバ)で1位になっている。


【来歴】
■1980年8月、電子戦隊デンジマンにゲスト出演し、マジシャンである父親を殺され、自身がその志を継いでマジシャンになるという女性・朝風まり役(当時の芸名と同名の役)を演じた。

■1982年10月、宇宙刑事ギャバンに本人役でゲスト出演。

■1987年9月、超人機メタルダーに本人役でゲスト出演。

■1990年、米国マジックアカデミー賞の大賞である「90マジシャン・オブ・イヤー」をビバリーウィルシャーホテルで受賞。また同年、米国でインターナショナル・ベストエスケープアーティスト大賞を受賞。

■1995年、米国で、プリンセス・テンコーをモチーフにしたアニメ、Princess Tenko and the Guardians of the Magicが、11月より1放映され、毎回本人が実写で登場し、イリュージョンを演じた。尚#0の回では、本人がこのシリーズの紹介をする、特別編が放映されている。

■1996年、AWF(アフリカ野生動物保護基金)の日本事務局親善大使に就任。

■2000年、2代目引田天功襲名20周年を記念し、フジテレビにより最後の脱出マジックが行なわれた。

■2001年、Jリーグ・J2のヴァンフォーレ甲府を経営危機から建て直すために同球団のユニフォームスポンサー(背番号部分)になり話題を集め、チームもその後躍進を遂げ、2006年シーズンにはJ1に昇格した。2004年からは同リーグのサガン鳥栖を支援、米国では、2006年からプロ野球3Aのチーム、ラスベガス51'sを支援して、地元ラスベガスで話題となっている。

■2003年より、年間約300ステージをこなしている他、テレビのバラエティー番組やワイドショーへの出演も多い。森田一義アワー笑っていいとも!の水曜放送分に、隔週レギュラーとして出演していた(2004年9月まで)。

■2005年11月発売 GQ USA版にて北朝鮮緊急インタビューが掲載された。

■2007年4月1日よりオフィシャルブログを、アメブロにて開始。

■2007年4月16日 イギリスBBCにて特別インタビュー番組(MCジョナサン・ロス)が放送

■2007年7月22日 福井県鯖江市で公演中、機材トラブルに見舞われ重傷を負う。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070723-00000005-oric-ent

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藤本美貴 エピソード&プロフィール

藤本 美貴(ふじもと みき、1985年2月26日 - )は、日本の歌手、アイドル。女性歌手グループ、女性アイドルグループのモーニング娘。の第6期メンバー・第3代サブリーダー・第5代リーダー。北海道滝川市出身。血液型はA型。身長は155cm。芸能事務所アップフロントエージェンシー所属。


【人物・エピソード】
■「負けん気」の強さはハロー!プロジェクトでも随一である。そのためスポーツフェスティバルやフットサル(ポジションはピヴォで、特に突進力に定評あり)では「ファイティングガール」と紹介されることが多い。

■松浦亜弥とは藤本がデビューをした頃に出会い、当時ハロー!プロジェクト内では数少なかったソロ歌手同士ということもあって親交を深め、現在では自他共に認める大親友という間柄である。また、フットサルチームGatas Brilhantes H.P.メンバーとは総じて仲がよく、特に吉澤ひとみとは、キャプテン・副キャプテンという間柄であり、モーニング娘。内でもリーダー・サブリーダーであったため非常に仲が良い。

■トーク番組において持ち味を発揮する。大物芸能人の前でも物怖じせずに話し、共演するハロー!プロジェクトメンバーの魅力を引き出す話術も持ち合わせている。一方、バラエティ番組で出番が回って来ない時等に、珍妙・不機嫌そうな表情が映されることもある。

■絵を描くセンスはあまりなく、ハロー!モーニング。のコーナーで色々と絵を描いたが誰も判らなかった。しかし本人は、絵が下手という自覚はあるものの「藤本画伯」と名乗ったりして楽しんでいるようである。「自分の絵は生きているうちには評価されない」とのコメントも。

■ボーイッシュさを売りにしているわけではないが、中身は吉澤ひとみと並ぶ男前キャラとの声も高い。公衆の面前でも平気で鼻をかんだり、仕事先にボサボサ髪のジャージ姿で来たり、家で寝ながら新聞を読んだりと、アイドルらしからぬ行動をよくする。しかしそんな“らしからぬ”所も魅力の一つと言われる。これらの言動に反して「トイレットペーパーを買うのは恥ずかしい」と語ったことがある。

■子供の頃はお婆ちゃんの影響で演歌歌手になりたかったそうである。

■ソロ時代からの目標は「カッコかわいい人」になること。

■食べ物の好き嫌いが激しい。好きな食べ物は焼肉、特にレバ刺し(滝川駅前の焼肉店「食道園」は親戚が経営している)。同じく焼肉好きな松浦亜弥とは、プライベートで誘い合って食べに行くという。また納豆も好きで、毎日のように食べていたら、納豆が嫌いで食べられなかった田中れいなが少しではあるが食べられるようになったというエピソードもある。逆に嫌いな食べ物は、タマネギを除くネギ系のものやカリフラワー、ブロッコリー、里芋等。ジンギスカンに関しては(地元にはジンギスカンを扱う最大手会社の本社がある)「美少女教育II」で「食べません!」と言っていた(羊に扮していたのもある)。その後りんねが「ラム美味しい!」と言った途端に表情が強張ったが、実際に好きか否かの詳細は不明。しかし地元では、団体活動のイベントにもよるが、場合によって食事がジンギスカンしか出ないこともあるため、全く食べられないわけではないと思われる。

■石川梨華卒業後、モーニング娘。現役メンバーの中で最年長である。

■石川梨華と一時期あまり仲が良くなかった(2005年5月7日石川卒業式での藤本コメントより)。そのために番組に影響が出たことも(「娘DOKYU!」両角プロデューサーのコメントより抜粋)。石川の卒業コンサート以降は仲が修復されたようで、フットサルの試合でPKを決めた石川を藤本が抱きしめる場面等も確認されている。

■2006年新春開催の「Hello! Project 2006Winter 〜ワンダフルハーツ〜」で衣裳に付けられていた番号は「32」。出自は公にはされていないが、説の一つとしては「3(み)き・2(ふ)じもと」の語呂合わせではないか、というものもある。

■2007年5月25日発売の『FRIDAY』で、庄司智春(品川庄司)との交際が報じられた。


【愛称】
■最も知られている愛称は「ミキティ」。ファンから「ミッキー」等の在り来たりな愛称を付けられそうだった為、デビュー前に使われていたミキティと言う愛称を使う様に呼びかけた。ハローキティが大好きである為、ミキとキティを合成したと本人が『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』出演時に語っている。

■もともとの命名者は、デビュー前から「ミキティ」と呼んでいた姉らしい(ラジオ番組「ドキ♥みきNight」での発言より)。

■フィギュアスケート選手の安藤美姫も一部マスコミ等により「ミキティ」と呼ばれているが、これについて藤本は「ミキティと呼ばれる人が増えるのは新しい親戚が出来たみたいでとても嬉しい」と自身のラジオで話している。又、「本家ミキティ」(若しくは「元祖ミキティ」)として頑張るとも言っている。

■仲の良い松浦亜弥からは「みきたん」或いは「たん」、もしくは「みきすけ」と公私共に呼ばれていたが、2005年以降は松浦も「ミキティ」と公の場で呼ぶ様になった。しかし、ラジオ番組でのトークなど”素”の出る場面では今でも「たん」と呼んでいることがある。

■他に普及しつつあるのは新垣里沙が使っていた「もっさん」や、名字が同じFUJIWARAの藤本敏史の愛称を転用した「ふじもん」など。

■その気の強いキャラクターからか、一部のファンから「美貴様」(みきさま)とも呼ばれる事もあり、ここから派生して「美貴様美貴様お仕置きキボンヌ」などというオタ芸も誕生している。なお、本人は「美貴様」と呼ばれることについて、2005年11月20日の横須賀でのコンサートのMCにて複雑な心境を吐露していたが、2006年頃からハロモニなどでネタ的に「美貴様」と呼ばれる機会が増え出し、コーナーで競演していた亀井絵里などは度々「美貴様」と呼んでいる場面が目撃されている。


【モーニング娘。「中途採用」の影響】
2002年のデビューから約1年の間はソロ歌手として活動していたが、2003年1月にモーニング娘。に加入することが電撃的に発表された。

公式発表では「モーニング娘。加入後もソロ活動は平行して行う」とアナウンスされていたが、加入後は個人名義でのCDリリースはなく事実上ソロ活動は休止されている。

よって、加入後のソロ名義での活動は、写真集やカジュアルディナーショーなど非常に限定的であるが、2005年以降はモーニング娘。コンサートにおいて毎回ソロ名義の曲やGAMの曲を歌っており、ソロ歌手藤本美貴を見ることの出来る貴重な機会となっている。


【来歴】
1999年
■8月、「avex dream 2000」に参加。最終選考まで行く。

2000年
■4月、モーニング娘。第3回追加オーディションの最終選考(合宿前)で落選。だが、事務所は将来性があると感じ、レッスン生とした。

2001年
■4月、当時通っていた北海道赤平高等学校(北海道立)を中退し、上京。

■10月、テレビ東京『新・美少女日記』で先ず女優としてデビュー。

2002年
■1月2日〜2月17日、「Hello! Project 2002 今年もすごいぞ」に初出演し、『新・美少女日記』のオープニングテーマ曲『Let's Do 大発見!』を披露(この曲はデビューシングルのC/Wとして収録されている)。

■3月13日、『会えない長い日曜日』でソロデビュー。(オリコン初登場13位)

■3月30日〜4月28日、「モーニング娘。CONCERT TOUR2002春”LOVE IS ALIVE!"」にゲスト出演。『会えない長い日曜日』を披露。

■6月12日、2ndシングル『そっと口づけて ギュッと抱きしめて』リリース。

■9月4日、3rdシングル『ロマンティック浮かれモード』リリース。

■10月、「藤本美貴 ハート・デイズ・レディオ」、「藤本美貴のドキ♥みきNight」のラジオレギュラーが相次いでスタート。

■11月7日、4thシングル『ボーイフレンド』リリース。

■12月、「FOLK SONGS 3」発売記念ライブを中澤裕子、後藤真希と共に全国4会場で行う。

■12月4日、松浦亜弥、後藤真希と共に、ごまっとうとして、シングル『SHALL WE LOVE?』をリリース。

■12月31日、NHK紅白歌合戦に初出場。紅組のトップバッターとして『ロマンティック 浮かれモード』を披露。

2003年
■1月、モーニング娘。への電撃加入が発表される。

■2月6日、5thシングル『ブギートレイン'03』リリース。

■2月、18歳の誕生日翌日に当時放送されていた「藤本美貴 ハート・デイズ・レディオ」を生放送で行い、その後の「矢口真里のallnightnippon SUPER!」にも生出演し、生放送の深夜放送に進出。

■2月8日〜4月29日、初のソロコンサートツアー「藤本美貴 ファーストコンサートツアー2003春 MIKI?@」を行う。

■2月26日、1stアルバム「MIKI?@」をリリース。

■5月、道重さゆみ、亀井絵里、田中れいなと共にモーニング娘。の第6期メンバーとしてお披露目。

■6月、ミュージカル「江戸っ娘。忠臣蔵」に出演。他の6期メンバーより先にモーニング娘。に本格合流する。

■7月、「カントリー娘。に紺野と藤本(モーニング娘。)」としてもデビュー。

■8月16日〜10月18日、「モーニング娘。CONCERT 2003 "15人でNON STOP!"」にて『ブギートレイン'03』をソロで歌う。

■9月、モーニング娘。の一時的な分割(「さくら組」と「おとめ組」)では「おとめ組」に所属した。

2004年
■2月、Gatas Brilhantes H.P.に加入。

■4月17日、「MBSヤングタウン土曜日」にレギュラーとして出演開始。

■12月、明石家さんまのクリスマス特番で久々のごまっとう揃い踏みで歌唱を披露。

2005年
■3月5日〜5月7日、「モーニング娘。コンサートツアー2005春〜第六感 ヒット満開!〜」にてモーニング娘。加入後初めて『ロマンティック 浮かれモード』のソロを披露。場内は大歓声に包まれた。

■7月、日本テレビ系の深夜番組「音楽戦士 MUSIC FIGHTER」内でリーダーの吉澤ひとみよりサブリーダーに昇格していた事が発表される。

■8月31日、第33回フジサンケイクラシックのプロアマトーナメントに出場。

■8月20日〜11月27日、「モーニング娘。コンサートツアー2005夏秋『バリバリ教室 〜小春ちゃん いらっしゃい!〜』」にて『そっと口づけて ギュッと抱きしめて』をソロで歌う。

2006年
■2月25日〜5月7日、「モーニング娘。コンサートツアー2006 春 〜レインボーセブン〜」にて『銀色の永遠』をソロで歌う。

■2月26日、「モーニング娘。コンサートツアー2006 春 〜レインボーセブン〜」ハーモニーホール座間公演。自身初の誕生日公演となる。

■6月15日、松浦亜弥とユニットGAMを結成。9月13日、初シングルとなる『Thanks!』をリリース。

■7月、「Hello! Project 2006 Summer〜ワンダフルハーツランド〜」にて『ブギートレイン'03』を徳永千奈美、中島早貴、須藤茉麻、有原栞菜と歌う。

■8月、「リボンの騎士 ザ・ミュージカル」に出演。魔女へケートを演じる。

■9月30日〜12月3日、「モーニング娘。コンサートツアー2006秋 "踊れ!モーニングカレー"」にて『Thanks!』をソロで歌う(10月21日からは『メロディーズ』に曲目変更)。

■10月29日、「松浦亜弥コンサートツアー2006秋『進化ノ季節・・・』」東京厚生年金会館公演にゲスト出演。GAMとして『Thanks!』を歌う。

■12月13日、モーニング娘。ミニアルバム「7.5冬冬モーニング娘。ミニ!」リリース。「藤本美貴 With 岡井千聖&萩原舞(℃-ute)」名義で『寒いから冬だもん!〜どうもこうもないっすよミキティ〜』が収録される。

■12月26日、「MATSUURA AYA First Dinner Show 2006 Winter」の大阪公演にゲスト出演。

■12月31日、「GAM&モーニング娘。」として第57回NHK紅白歌合戦に出場。史上5人目(女性では3人目)となる「三度目の別名義出場」を達成した。
松浦亜弥と同時の達成となるが、ここでは便宜上初出場が早かった松浦を4人目(女性2人目)とする。

2007年
■1月、現リーダー吉澤ひとみの卒業に伴い、モーニング娘。リーダーに就任することが発表される。

■1月2日〜21日、「Hello!Project 2007 Winter 〜ワンダフルハーツ 乙女Gocoro〜」にて岡井千聖、萩原舞と『寒いから冬だもん!〜どうもこうもないっすよミキティ〜』を歌う。

■3月17日〜5月6日、「モーニング娘。コンサートツアー2007春 〜SEXY 8 ビート〜」にて『幼なじみ』をソロで歌う。

■5月、モーニング娘。第5代リーダーに就任。

■5月26日〜7月3日、「GAM 1stコンサートツアー2007初夏 〜グレイト亜弥&美貴〜」公演。(予定)

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070601-00000166-sph-ent

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藤井隆 エピソード&プロフィール

藤井 隆(ふじい たかし、1972年3月10日 - )は、大阪府豊中市出身のお笑いタレント・俳優・歌手。吉本興業に所属している。血液型はA型。身長 173.8p 。妻はタレントの乙葉。


【略歴】
豊中市立南丘小学校、豊中市立第九中学校(女性シンガーソングライターの矢井田瞳も同校の出身)、大阪市立西商業高等学校(現・大阪市立西高等学校)卒業。高校在学中に阪神百貨店の「学生禁止」のアルバイトにあえて応募、接客テストで学生でない他の応募者より優秀だったのと、「顔が学生的ではない」という特別理由で採用された。

高校卒業後の数年間は化学薬品会社の経理課に勤務していた。1992年、サラリーマンを続けながらYSP(吉本新喜劇プロジェクト)へ。同年、毎日放送の「テレビのツボ」でテレビデビューを果たし、これを機に仕事を吉本興業に一本化。吉本興業の同期にはココリコ・中川家・陣内智則・たむらけんじらがいる。

新喜劇の全国展開が活発になってきた頃、中堅クラスの多くが遠征で不在で座長と二線級以下のYSPメンバーばかりで演じなければならない時期があった。この期間、ある病院で内場勝則の同室の病人が全員オカマというシナリオで、それまでゲジゲジ眉毛しかギャグがなかった藤井がオカマキャラを見事に演じ、出演メンバーの層の薄さに急激に冷め始めていた客席を異常に沸かせることに成功。そのままオカマの藤井として一気にブレイクし、わずか一ヶ月ほどの間に中條健一らと番組の冒頭で番組紹介をするほどになる。

一時オランダを放浪していたが、1997年、全国放送となった超!よしもと新喜劇番組内で演じたオカマキャラでブレイクした。同番組ではダウンタウンがゲスト出演した際に、松本人志の仕掛けにはまって浜田雅功とキスをするはめになった。これがきっかけでブレイクして以来、ダウンタウンの番組にも多数ゲスト出演。2001年には4年ぶりに復活した「ダウンタウンのものごっつええ感じスペシャル」に元々のレギュラー達と並んで出演している。

毎日放送ラジオの人気番組「オレたちやってま〜す」でも活躍し、藤井は、林原めぐみと水曜日を担当。アシスタントには初代に原史奈を迎え、以後周防玲子・藤本綾・加藤明日美と順に交代している。この時に林原と親交を深め、後年、林原が雑誌『NEWTYPE』に連載していた対談コーナーの最終回に藤井が迎えられ、また藤井の結婚式にも林原が出席した逸話もある。

2000年、浅倉大介のプロデュースによるシングル「ナンダカンダ」で歌手デビューし、同年「紅白歌合戦」(NHK)に初出場。この時ほかの出演者から「お前の歌なんて誰も聞かねえよ。」と言われビビっていたとか。翌年もRe:Japanのメンバーとして2年連続出場(ウルフルズとコラボレーション)し、「明日があるさ」を熱唱した。歌手としては2004年上海、ロサンゼルスでワールドツアーをおこなった。

2001年に放送がスタートし、一時はゴールデンタイムに進出した『BEST HIT TV』シリーズ(2006年終了)でマシュー南というキャラクターとして司会を務め人気を集めた(後述)。

2004年、劇場版アニメ「マインド・ゲーム」で初声優を務める。

2005年4月2日から、関西テレビ制作のフジテレビ系列で毎週土曜日の朝8:30からの情報系番組「ベリーベリーサタデー!」(『いつでも笑みを!』の後番組)の司会を鈴木杏樹とともに務めていた。(2007年3月で終了)

2005年5月7日に、乙葉との婚約を発表。同9日に会見を開いた。

2005年7月29日に入籍、翌7月30日に都内のホテルで挙式・披露宴を行った。

2006年6月2日、映画『カーテンコール』(2005年11月公開)の演技で、第15回日本映画批評家大賞 新人賞(南俊子賞)を受賞。


【人物】
■原則的に、ハイテンションで高慢で、ややオカマっぽい口調のキャラクターを常に演じている芸風。実際の性格は全く正反対で、とてもおとなしく礼儀正しい。テレビ出演初期は、その素の部分との落差を先輩に指摘されるというのもネタのひとつとしてあり、ブレイクのきっかけにもなった。ブレイクとともに芸風をスライドさせていったため、現在ハイテンションになることはめったにない。

■左の生え際にある直径1センチほどのホクロが特徴。

■趣味は音楽鑑賞・プラモデル作り・移動などの待ち時間の読書。特に氷点シリーズを愛してやまない。好きな写真集にちんかめシリーズがある。

■持ちギャグはや「フォ――!!」など。2001年ごろまではテレビでの登場の際、ほぼすべての出演番組で「HOT!HOT!」といいながら出演することが多かったが、最近は売れてきたためかあまり言わなくなった(最近では2007年に出演した「恋のから騒ぎ・・・ご卒業SP」「雨上がり決死隊のトーク番組 アメトーーク!」にて披露)。

■「オレたちXXXやってま〜す」初回、藤井隆が中心になる初めての番組という事で心配したよゐこが隠れゲストとしてゲリラ参加した際、よゐことしては、「必要ない!!」とツッコんでほしかったそうだが、藤井は感激のあまり放送中泣き出してしまい、結果その回は最後までよゐこが仕切り、藤井は聞き役に回った。また、この後のスペシャルウィークでは、再びゲストとして登場したよゐこに対し「一人でやって行けることを証明する」と宣言、張り切りすぎた結果、聴いているリスナーにとってはそれが“藤井一人の勝手な暴走”と映ってしまい、ラジオ中から次の週にかけて大量の苦情、批判がよせられ、翌週放送上で謝罪、それでも気がすまないとハガキを送ってきたリスナーに対しては自ら謝罪文を書いて返信するという事態になった。

■2005年10月22日にテレビ朝日系列で放送されたプロ野球日本シリーズ第1戦「千葉ロッテマリーンズvs阪神タイガース」の始球式を「マシュー南」として務めた。しかし、野球、ロッテとは何の関連もない番宣目的での始球式であること、これから試合が行われるマウンドに落書きをしたことなどが一部の野球ファンなどから顰蹙を買った。

■病的なまでに人見知りで、プライベートではスイッチが切れたように大人しくなる。結婚するまでは、仲のいい友人はココリコ田中直樹、ロンブー田村亮、YOU、 吉村由美、西川貴教程度であった。

■また、非常に几帳面な性格でも知られる。きれい好きで有名な今田耕司からも「家政婦みたいや」と絶賛されるほどである。

■母親が阪神タイガースの大ファンであり、藤井の阪神情報は全て「ベリサタ」で共演していた金村義明からではなく母親伝いで入ってくる。

■礼儀正しく、腰が低いことでも有名である。取材でも記者との待ち合わせ時間に遅刻することはまずなく、相手の記者がたとえ5分でも早く来ていたときは「お待たせして申し訳ありませんでした」というらしい。そのため、同僚からもマスコミやスタッフの評判も非常に良い。吉本新喜劇の共演者からも「藤井くんはみんなに好かれているから、いいフリがたくさん来るんや」と評されていた。

■最近は司会の仕事が多いが、彼が司会を務める番組は全て視聴率が今ひとつで、「藤井隆は司会者には向いていない」などと言われる事が多く司会者としての評価は低い。かつて笑っていいとも!のレギュラーの時にタモリにはあまり評価はされておらず、それが当たってしまった形になっている。最近は「藤井は俳優に転向させた方が良いのでは」という声が多い。

■誰に対しても人当たりの良い人柄ではあるが、「HEY!HEY!HEY!」の企画でkiroroの玉城千春と何も知らされずお見合いさせられた時は乗り気ではないリアクションを連発し、最終的には「こっちにだって断る権利はあるのよ!」とややおカマ口調で言い放ち、交換した電話番号のメモを破り捨てるというギャグをかまし玉城を泣かせてしまった。ダウンタウンにも「それはあかん!」と頭をはたかれまくられ、本人もやりすぎた事を自覚し平謝りしていた。また、再度出演した際に、今度はこれまたファンだという花*花と一緒になったが、こじまいづみに対してまたもや乗り気ではないリアクションを見せてしまい、こじまに「もういやや」と散々言われた挙句「(電話番号のメモを)破って捨てるんでしょ?」と突っ込まれていた。

■デビュー曲「ナンダカンダ」の衣装をきた藤井のフィギュアが海洋堂で作られることになったのだが、「サイズ通りのバランスで作ると頭が大きくて倒れてしまうのでサイズを修正してよいか」と言われてショックを受けたらしい。藤井はこのことについて番組で「隆はこれで生きているんです!」と絶叫した。

■オカマキャラは彼の代表作だが、「テレビのツボ」では普通の好青年だった。さらに、このキャラは後の夫人となる乙葉が嫌っていたらしく、一定の人気を得たことと共に徐々にこのキャラ色を消していくことになる。

■オカマキャラだが、なぜか一人称は「わたし」ではなく「僕」。但し、オカマキャラを演じるとき、自分のことを「隆」と呼ぶこともある。

■視力が悪く、コンタクトレンズを使用している。

■非常に髭が濃く、朝に剃っても夕方には青くなっている。


【主な持ちギャグ】
現在はタレント活動が主でギャグを見られる機会は少ない。

■「フォーーーッ!!」
共演者が藤井の胸を触り「アッ、アッ、アッアッアワワワワワワッ・・・」と喘ぎながら手が股間に達した時に叫ぶ。ただし、最後に口を押さえられることがあり、その時は他の共演者が「フォーーーッ!!」と叫ぶことになっている。

■HOT!HOT!ダンス→「○○に出会えてよかった、うれしはずかしオーマイハート、○○に出会えてうれしい僕の体の一部がHOT!HOT!」(共演者に突っ込まれるまで「HOT!HOT!」を繰り返し続ける)。
前振りとして「この喜びを踊りで表現したいと思います!」と言い、ダンスが始まる。
パターンは「○○探して歩いた、右へ左へレフトandライト〜」など複数ある。
トーク番組などで意味を聞かれると、「単に股間が勃起した様子を言ってるだけなんですけどね・・・。」と気恥ずかしそうに答えている。

■「フレーッシュ!」

■(共演者)「お前オカマやろ?」(藤井)「僕はオカマじゃありません、ホモです!」
逆のパターンも存在する。

■退場する時に誰かを紹介するように手を前方に差し出して「誰紹介してんねん」とツッコまれる。

■ヤクザなどに蹴られまくった際に尻を突き出して「も、もっと〜〜!」

■「藤井さん、ハーフなんだって?」(藤井)「ええ、そうなんです。男と女の。」

■「時間が経つごとに髭が濃くなり始める」と言われると口元を隠しながら「12時までのシンデレラ!」


【マシュー南】
マシュー南とは、テレビ朝日系列のバラエティ番組「BEST HIT TV」シリーズ(「BEST HIT TV」→「Matthew's Best Hit TV」→「Matthew's Best Hit TV+」→「Matthew's Best Hit UV」)で藤井が演じたキャラクター。

チェリストである日本人の父と、元伯爵家令嬢であるイギリス人の母との間にイギリスで生まれ、フルネーム「Matthew・G(弦也)・南」。イギリス出身であるにもかかわらず日本の歌謡曲や芸人、80年代アイドルなどに精通しており、特にWinkの振り付けにおいては右に出るものがいない。これは10代を京都に住む父方の祖母のもとで過ごしたためだという。自身が司会する「Matthew's Best Hit TV+」は現在世界28か国で放送されていると主張する。

番組内ではマシュー南と藤井隆が同一人物ではないということになっている(松浦ゴリエと同様)。その為、ゲストもマシュー南と藤井隆が同一人物であるような発言をしないように気を付けなければならない。CGによりマシューと藤井がトークしている映像も収録された。なお、モーニング娘。の高橋愛は、マシュー南がピンで初出演した際「藤井さん」と言ってしまい、マシュー南に「言っちゃだめ」と注意された。マシューのキャラクターぶりでは、やしきたかじん、所ジョージ、ネプチューン、くりぃむしちゅーなどからは、批判を述べることが多い。

要潤を「キャナメ」、上戸彩を「ウェッティ」(当初は「ウェット」)、釈由美子を「シャックス」と呼ぶなど、ゲストを奇妙なあだ名で呼ぶことも多い。

また清涼飲料水、自転車、絵本、文房具などマシュー関連のグッズを何種類か出している。

以下に、マシュー南としての活動を挙げる。

■2004年の米アカデミー賞脚本賞を受賞した映画『ロスト・イン・トランスレーション』に、マシュー南として出演した。

■2004年秋、童話作家ハンス・クリスチャン・アンデルセン生誕200周年を記念した「2005アンデルセン親善大使」の一人にマシュー南として任命される。

■2005年4月6日に放映された「徹子の部屋」にマシュー南として出演した。

■2005年5月11日に「Matthew's Best Hit TV+婚約会見スペシャル」では、ゲストとして招かれた藤井隆がマシュー南と共演。マシュー南が藤井隆に乙葉との婚約について質問した。

■2005年10月22日には、テレビ朝日系列で放送されたプロ野球日本シリーズ第1戦「千葉ロッテマリーンズ vs 阪神タイガース」の始球式をマシュー南として務めた。しかし、野球、ロッテとは何の関連もないキャラクター名義での始球式であること、これから試合が行われるマウンドに落書きをしたことなどが一部の野球ファンなどから顰蹙を買った。特に星野仙一は「あんなピエロみたいな奴に投げさせるとは何事か」と自分のサイト内で苦言を呈した。

■2005年10月28日放送のクレヨンしんちゃんの終盤で、Matthew's Best Hit TV+のゴールデン進出を記念しマシュー南として出演した。

(出典:Wikipedia)


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070507-00000015-oric-ent

福永ちな エピソード&プロフィール

福永ちな(ふくなが ちな 1981年7月28日- )は、日本のグラビアアイドルである。

愛知県出身。血液型はO型。

身長は158cm、スリーサイズは、バスト90cm(Gカップ)、ウエスト56cm、ヒップ83cm。


【出演番組】
■P-1ゴールドラッシュ(テレビ大阪)

■ゴチャ・まぜっ!火曜日(3週間に1回)

■パオパオ・アイドルGAMEバトル(2006年 -、BS日テレ)

■太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。(2007年3月9日、日テレ)


【その他】
■デビュー前は歯科助手をやっていた。また顔がほしのあきに似ていることもあり、よく、ほしのあきに間違われていたらしい。

■以前イエローキャブ名古屋で、「日高ゆかり」の芸名で活動していた。

(出典:Wikipedia)


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070418-00000004-sanspo-ent

船越英一郎 エピソード&プロフィール

船越 英一郎(ふなこし えいいちろう、本名;船越 栄一郎、1960年7月21日 - )は、 日本の俳優。ホリプロ所属。神奈川県足柄下郡湯河原町出身。日本大学三島高等学校、日本大学芸術学部映画学科卒業。父は俳優の船越英二、母は長谷川裕見子。大叔父は長谷川一夫。叔父は三島謙(本名;船越栄太郎)。妻は女優の松居一代。

【来歴】
■1982年にテレビドラマ『父の恋人』でデビュー。

■1986年に、ロックミュージカル劇団「MAGAZINE」を主宰。脚本と演出を担当。1997年には戯曲集「BRAKERS」を出版。

■2時間ドラマへの出演が顕著で、在京民放5局の2時間ドラマ全てに主演作品がある唯一の俳優と言われる。その出演回数の多さから「2時間ドラマの帝王」「ミスター2時間ドラマ」などの異名を持つ。2時間ドラマの初主演は、2003年『火災調査官・紅蓮次郎』であった。

■2001年に松居一代と結婚。船越は初婚だったが、松居は再婚で連れ子もいたため話題になった。しかし、結婚後は夫婦仲・親子仲の円満さが伝えられ、バラエティ番組出演の際なども、家族の話題が取り上げられることが非常に多い。

■2006年、毎年11月22日の「いい夫婦の日」にちなんで贈られる『パートナー・オブ・ザ・イヤー』を松居と共に受賞した。

■芸歴25年を迎えた2007年の4月期に、『その男、副署長〜京都河原町署事件ファイル〜』で、初めて連続ドラマの主演をつとめる。

(出典:Wikipedia)


藤原紀香 エピソード&プロフィール

藤原 紀香(ふじわら のりか、1971年6月28日 - )は、日本の女優、女性タレント。本名、陣内 紀香(じんない のりか)。

兵庫県西宮市出身。所属事務所はサムデイ。身長171.8cm、B 88p、W60p、H89p、血液型A型。神戸親和女子大学文学部英文科卒。ミス日本グランプリ受賞者。資格は、英語検定2級、着物着付け3級など。 趣味は、女磨き、写真、釣り、加圧トレーニング、映画鑑賞、タンゴ、スポーツ全般、アロママッサージ。弟がいる(一般人の為、非公表)。夫はお笑い芸人の陣内智則。紀香の方が陣内より約2年8ヶ月年上。


【来歴】
■1971年、兵庫県西宮市生瀬地区(宝塚市近郊)で生まれる。

■1990年、親和女子高等学校卒業後神戸親和女子大学に進学。

■1992年、神戸親和女子大学在学中に、第24回ミス日本グランプリを受賞。

■1993年、東レ水着キャンペーンガール。

■1993年、朝日放送の関西ローカル番組ナイトinナイト『クイズ!紳助くん』の初代アシスタントに。1997年12月までの長期間の出演。

■1994年、アサヒビールイメージガールとして活躍。

■1995年、阪神・淡路大震災で被災し、「人生、いつ終わるかわからないから」と達観して上京。

■1997年、映画『CAT'S EYE』で、泥棒三姉妹の長女の泪(るい)役を演じる。

■1998年、フジテレビ系テレビドラマ『ハッピーマニア』に出演し高視聴率を記録した。

■2000年、香港映画『CHINA STRIKE FORCE』(邦題:スパイN)に出演。

■CMにも数多く出演し、過去「CMの女王」と言われたこともある(CM総合研究所のCMタレント年度別好感度ランキングで1999年と

■2000年に一位を記録)。特に、J-PHONE(現ソフトバンクモバイル)のCMは衝撃的で、世間の話題を呼んだ。J-PHONEは藤原紀香のCMの効果で、急激にシェアを伸ばした。

■2002年、日韓親善大使。

■2006年12月26日、お笑い芸人の陣内智則と2人そろって記者会見を行い、2006年12月10日に結納を済ませたこと、2007年2月17日に生田神社にて挙式を行うことを発表した。

■2006年、世界で一番ユーザーが多いソーシャルネットワーク、MySpaceをはじめる。

■2007年2月17日、生田神社で陣内智則と挙式(挙式の様子は非公開)。衣裳は十二単におすべらかし(陣内は束帯)、お色直しは白無垢に高島田(陣内は黒紋付袴)。

■2007年3月、ヒロインを務める予定だった舞台「ささやき色のあの日たち」(2007年8月)を「海外で別の仕事がある」として降板。

■2007年4月、「テレビブロス」の「2006年ドラマ版ラジー賞」の「ワースト女優賞」に選ばれた。(「だめんず・うぉ〜か〜」主演女優として)

■2007年4月10日、ホテルオークラ神戸での結婚披露宴(2007年5月30日予定)に先駆けて、加古川市役所にて陣内智則と入籍。この日が、今上天皇の結婚記念日だったため、皇室を意識した行動ではないかと一部から憶測を呼んだが、婚姻届を二人で提出しに行く為に、双方のスケジュールを調整した結果、偶然同じ日になっただけである。


【人物】
■中学時代はバスケットボール部に所属し、高校時代は落語研究会に所属していた。芸名は「親和亭かつお」だった。

■ドラマの役柄なども「悪女タイプ」の配役が多い。

■意外なことにピアスを全くしていない。また仕事で髪を染めることがあってもすぐに黒髪に戻すなど、意外と古風な一面がある。

■体型が峰不二子に似ている(『SRS』の番組内でコスプレした事があり、自身も50歳60歳になっても「峰不二子」の容姿でいたいと2007年2月16日の『スポーツニッポン』のインタビューで語っていた)。

■ミス日本グランプリの審査ではその体型の素晴らしさに、審査員からの質問を独り占めにしたほど。本人も「私ならボンドガールもできる」と自負があった。

■両親が和歌山県出身であり、よく紀ノ川周辺でデートしていたという。紀ノ川の香りが印象に残ったらしく、「紀ノ川」の「香り」からちなんで紀香と命名された。

■母親は紀香よりも大柄で若き日にはミスコンに出場したこともあるが、家族に反対され芸能界入りを諦めた。その為紀香の芸能活動にはとても協力的だという。2006年12月10日に結納の時に、報道陣に車に乗っている影武者として写真を撮られている。

■著書『藤原主義』(幻冬舎文庫、ISBN 4-344-40413-0)によると、芸能界デビュー当初は実家から新幹線や飛行機で仕事場に通っていたが、阪神大震災で親戚や知人を亡くして「やり残したことを後悔しながら死ぬのは嫌だ。これからは自分の夢に向かって生きていこう」と決意し、親元から離れて上京することを決意したとのこと。

■大黒摩季ファンを公言しており、カラオケではかなり歌うらしい。また本人とも親交がある。

■ラジオDJパーソナリティである玉川美沙と同年齢で同じ関西人という繋がりで親交があり、彼女の番組『玉川美沙たまなび』(文化放送)にもゲスト出演した。(2006年10月13日放送)


【国際活動や人道支援への協力】
持ち前の正義感から、国内外を問わず、恵まれない生活環境に甘んじる人々を救済しようという人道的支援や、平和を維持したいとする意欲が極めて高く、これに貢献すべく様々な活動を行っている。

■2002年には、韓国の女優金允珍( キム・ユンジン)とともにサッカー・ワールドカップ日韓共催大会の親善大使に起用され、両国の交流に貢献した。

■内乱後のアフガニスタンに赴き、戦災についてのテレビレポートを行ったほか、元々は趣味から身につけた写真技術を駆使して現地での取材を行い、2004年から2005年にはJICA(独立行政法人 国際協力機構)の『ピース・トーク・マラソン』に賛同して、写真展を日本各地で行い人道支援の寄付募集などのチャリティー活動に努めている。

■2006年には、国連スタッフと共に独立運動の混乱の最中であった東ティモールへ向かって写真取材を敢行し、後にニューヨーク市内で国家支援を訴える写真展を開催し、その開会式においてスピーチを行った。

■作家井上ひさしとの対談の際には、日本国憲法第9条は堅持すべきであるとする立場をとり、反戦平和を主張したが、2007年の東京都知事選挙で日本国憲法第9条改憲を主張する石原慎太郎のマニフェストに応援メッセージを寄せるなど、矛盾を呈している。


【スポーツに対する造詣】
■サッカーに関してはW杯の日韓親善大使以外にも、2002年10月から12月に横浜FCのユニフォームスポンサー(NORIKA NET)に就任したこともあった。現在もトレーニングウェアのスポンサーとなっている。横浜FCがセレッソ大阪と対戦した際(対戦当時はJ2に降格していた)、セレッソ(当時)の大久保嘉人に「(横浜FCのスポンサーに藤原がついたことなんて)関係ないです。おばさんには興味がありませんから」と言われたこともある。この発言には藤原のファンの抗議が寄せられた。

■格闘技にも精通し(格闘技そのものより、「男らしく強い男性(所謂マッチョ)」が好きという見方もある)フジテレビやTBSで放送される『K-1』の中継の司会を務めている(特に年末のグランプリには毎年の様に登場しており、これを見ないと『年を越せない』と言っている)。また、2003年からフジテレビが独占放映中の2年に1度の『世界柔道選手権』の司会も務めている。

■2004年、フジテレビのアテネオリンピックキャスターを務めた。

■中央競馬所属の「ロイヤルキャンサー」という馬の名付け親でもある。キャンサーとは蟹を意味し、藤原の誕生星座「蟹座」にちなんでいる。同馬の馬主は、藤原を支援してくれているイザワオフィス代表の井澤健である。

■高校時代にMBS毎日放送の選抜甲子園のセブンティーンリポーターとして出演していた。

■格闘技情報番組『SRS』の初代ビジュアルクイーンだったが、1999年に卒業。その際、藤原の卒業を祝って、アンディ・フグ、桜庭和志、フランシスコ・フィリォなどの著名格闘家が一堂に会し、それぞれエキシビジョンマッチや演武を披露した。そして、アンディ・フグが藤原に「あなたがこの番組を卒業しても、あなたは格闘技の歴史の一部です。いつまでも格闘技を愛し続けてください。」という言葉を贈った。藤原はそのことに心打たれたと、『ジャンクSPORTS』内で目に涙を浮かべながら語った。

■プロ野球に関しては、以前は巨人ファンの芸能事務所社長に配慮して巨人寄りの発言をしていたが、最近になって夫の陣内により実は阪神ファンだということが明らかにされた。


【お笑いに対する造詣】
■ブレイクする前に関西ローカルの『クイズ!紳助くん』の初代アシスタント(1993年10月から1997年12月)を務めたこともあり、その際に司会の島田紳助とトーク中心に絡んでいたことが彼女のお笑いに対する理解や、女優としてコミカルな演技を求められた際の演技力向上に寄与したとされている。

■才色兼備の女性がオタク青年と出会い最初は嫌悪感を示していたものの、その真摯な求愛姿勢に徐々に心を動かされてついには結ばれるという、ドラマ『59番目のプロポーズ』でお笑いタレント陣内智則とともに主役を演じた際、陣内と息のあったコミカルタッチな演技も披露して、このドラマのハッピーエンド同様に交際を始め結婚するに至った。

■陣内智則以外でも、『あなたの人生お運びします!』ではDonDokoDonの山口智充、『だめんず・うぉ〜か〜』では雨上がり決死隊の宮迫博之と、近年お笑いタレントとの共演が多い。


【雨女】
自身が「雨女」であると公言している。

■内戦後のアフガニスタンに赴いて取材訪問を行った際には、その従前3年間にわたって降雨のなかった彼の地に、恵みの大雨をもたらした。

■乾期のケニアに訪問した際には、例年の通り乾期中の飲料水確保に苦労していた現地の伝統民族マサイ族が大喜びするほどの降雨をもたらした。

■FIFAワールドカップ2002における日韓親善大使を務めた際には、職制上10回以上訪韓したが、晴れる日は皆無で、おしなべて降雨か降水確率の高い曇天であった。

■生田神社で挙式した際、当初の本人の予想通り雨天となった上、挙式後の記者会見が終わった瞬間に雨が降り止んだ。

(出典:Wikipedia)


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070427-00000002-gen-ent

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