Google
 

布袋寅泰 エピソード&プロフィール

布袋 寅泰(ほてい ともやす、1962年2月1日 - )は、群馬県高崎市出身のミュージシャン、ギタリスト。

IRc2 CORPORATION所属。身長187cm。血液型はB型。


【活動概観】
キリスト教の新島学園高校中退。卒業直前での退学のため卒業生名簿には名前が載っている。この中退というのは学校側から髪型を指摘されたことが原因によるものである。その際、教師に向けて言い放った「イエス様の方が僕より長い。」の台詞はファンの間であまりにも有名。

1981年、BOØWYのギタリストとしてデビューし、BOØWYでの活躍でギタリストとしての地位を確立する。BOØWY解散後はソロ活動の他、COMPLEX(吉川晃司とのユニット)、他ミュージシャンへの楽曲提供など幅広い活動をしている。また、レコーディングではギターだけでなく、ベース、ドラムス、キーボードも演奏する。ソロ作品の代表曲は『さらば青春の光』、『POISON』、『スリル』など。

また、海外ではHOTEI名義で、イギリス、ドイツなどでアルバムをリリースしている。イギリスのロックバンド、ジーザス・ジョーンズと親交があり、双方がライブ演奏のゲストに招いている。近年は映画やCMへの出演等、俳優としての活動も行っている。

3歳年上の歌手、山下久美子と結婚していたが、離婚。その後1歳下の女優・歌手、今井美樹と再婚して、一人娘がいる。

「最新のHOTEIが最高のHOTEI」がモットー。ポルシェ社のキャッチコピーから。現在の愛車はベントレーのアルナージT、AMGのE63T、シボレーのエクスプレスバン。


【人物】
幼少時代にピアノを始める。14歳の時、マーク・ボランのポスターを見て感銘を受けギターを始める。初めて買ったギターはストラトキャスタータイプで、この時の資金は母親の財布から失敬した一万円だったという。

A-ROCK本選会アイデア賞を受賞し、17歳(高校3年時に中退後)の時上京。

1981年に氷室京介らと共に暴威(後に「BOØWY」と改名)というバンドを結成。翌1982年にリリースしたアルバム『MORAL』にてプロデビューする。バンド時代は彼自身のスタイル(『8ビート』の『カッティング』など)が確立されていった時期であるといえる。『B・BLUE』、『ONLY YOU』、『MARIONETTE』などその過程においてBOØWYの代表曲となる作品が多数生まれている。BOØWYは1987年12月24日渋谷公会堂で解散し、翌1988年4月に行われた東京ドームでのライブをもって活動に終止符を打つ。

BOØWY時代から現在に至るまで愛用されている白黒の幾何学模様のテレキャスターは市販されている数あるアーティストモデルのギターの中でも特に有名である。ちなみにあの模様は酒を呑んで酔っ払った勢いで「あっみだくじぃ〜」と口ずさみながら書いたらしい。

初期の活動と平行して、演劇型アプローチのロックバンド、AUTO-MOD(他に、高橋まこと、PERSONZの渡邉貢らが在籍)に在籍していたり、またその個性的なギタースタイルから他のアーティストのレコーディングに呼ばれる事も多く、鈴木雅之のソロデビュー曲『ガラス越しに消えた夏』をはじめ、吉川晃司・中島みゆき(後藤次利プロデュース)、『風の谷のナウシカ』サウンドトラック、山下久美子(吉田建プロデュース)などのアルバムに参加している。

BOØWYでの活動を終えて、氷室京介が1988年7月21日にソロデビューしたのに続き、半年後の同年10月にソロ1stアルバム『GUITARHYTHM』をリリースし、ソロ活動を開始。藤井丈司・ホッピー神山とのコラボレーションによるギターとコンピュータの融合で歴史に残る斬新なアルバムとして注目された。イギリスにおいてシングルを発表するも注目されることはなく、同年12月に吉川晃司とCOMPLEXを結成し、シングル『BE MY BABY』でデビュー。2枚のアルバムを発表したが、音楽性の違いで吉川と対立し、1990年11月8日に行われた東京ドームでのライブをもって無期限活動休止に入る。

COMPLEX休止後は一貫してソロ活動に専念する。ミュージシャンであるだけでなく、音楽プロデューサーとして今井美樹、相川七瀬、TOKIO、藤井フミヤ、JILL(PERSONZ)や江角マキコなどのアーティストに楽曲を提供したり、『新・仁義なき戦い』や『KT』、『キル・ビル』などの映画音楽も手掛ける。また『新・仁義なき戦い』や『サムライ・フィクション』等では俳優としても活躍。その長身と強面を生かし、永瀬正敏とのコマーシャルにも出演。

1996年にはマイケル・ケイメンからのオファーでアトランタオリンピックの閉会式に出演。1994年の奈良東大寺でのイベント「AONIYOSHI」をきっかけに交流を深めたケイメンとギターとオーケストラとの融合作品『GUITAR CONCERTO』に参加したり、『THANK YOU & GOOD BYE』のプロデュースをケイメンに依頼した事もあった。

楽曲製作に関しては、作曲を優先(曲先)にする。ギターリフから作ったもの、ベースリフから作ったもの、メロディから作ったもの、リズムパターンから作ったものとバラエティに富んでいる。

BOØWYのライブで氷室にキスをされたことがある。


【活動履歴】
■1979年
・A'ROCK本選会に入賞し、上京する。その後、氷室京介らと共に暴威(BOØWY)を結成する。

■1981年
・5月11日 新宿ロフトにてBOØWYとして初のライブを行う。以後ここ拠点にライブ活動を開始。

■1982年
・3月21日 BOØWYのギタリストとしてアルバム『MORAL』でデビュー。

■1985年
・12月24日 渋谷公会堂公演のアンコールで、ロック歌手の山下久美子と結婚を発表。翌1986年1月に結婚。

■1988年
・4月4日・5日 『“LAST GIGS”』東京ドーム2daysでBOØWYとしての活動を終了。
・10月5日 アルバム『GUITARHYTHM』をリリースし、ソロデビュー(初登場2位)。
・10月26日 初のソロライブ『GUITARHYTHM LIVE』国立代々木競技場。
・11月15日 『GUITARHYTHM LIVE』大阪城ホール。
・12月 歌手の吉川晃司とのユニット、COMPLEXを結成する。

■1989年
・1月11日 VHS『GUITARHYTHM』リリース。
・4月8日 COMPLEXとしての1stシングル『BE MY BABY』リリース。以後、COMPLEXとして活動。

■1990年
・11月8日 『COMPLEX 19901108』東京ドームをもってCOMPLEXとしての活動を無期限停止。
・12月12日 マキシシングル『Déjà-Vu』リリース(初登場2位)。 以後、ソロとして本格的に活動。

■1991年
・6月29日 シングル『BEAT EMOTION』リリース。初登場1位。
・8月6日 『GUITARHYTHM REPRISE』富士急ハイランド。悪天候にも関わらず一万人を動員。
・9月27日 アルバム『GUITARHYTHM U』リリース。初登場1位。
・9月30日〜 『GUITARHYTHM active TOUR』スタート。
・12月4日 カットシングル『YOU』リリース。初登場12位。

■1992年
・3月25日 ライブVHS『GUITARHYTHM active tour'91-'92』リリース。
・4月8日 ライブアルバム『GUITARHYTHM active tour'91-'92』リリース。初登場2位。
・7月22日 シングル『LONELY★WILD』リリース。初登場5位。
・9月23日 アルバム『GUITARHYTHM V』リリース。初登場2位。
・10月12日〜 『GUITARHYTHM WILD TOUR』スタート。
・12月 右手骨折のため、ライブスケジュールを延期する。

■1993年
・2月25日〜 『GUITARHYTHM WILD TOUR』再開。
・4月28日 ライブアルバム『GUITARHYTHM WILD』リリース。初登場2位。
・6月16日 ライブVHS『GUITARHYTHM WILD』リリース。
・6月28日 ロンドンで行われたANC60周年記念イベントに出演。
・7月28日 シングル『さらば青春の光』リリース(初登場8位)。TBS系テレビドラマ『課長さんの厄年』の主題歌として使用され、初のタイアップとなる。

■1994年
・3月30日 シングル『サレンダー』リリース。初登場2位。
・5月21日・22日 奈良県の東大寺で行われたUNESCO世界文化発展の10年計画の公式イベント「GME'94 AONIYOSHI」に参加する。
・6月1日 アルバム『GUITARHYTHM W』リリース。初登場2位。
・6月10日〜 『GUITARHYTHM SERIOUS? TOUR』スタート。
・7月27日 VHS『SERIOUS CLIPS』リリース。
・9月20日〜 『TOMOYASU HOTEI vs JEJUS JONES W-HEAD LINE TOUR』5公演。
・11月21日〜 『GUITARHYTHM SERIOUS! CLIMAX ARENA TOUR』スタート。
・12月14日 カットシングル『薔薇と雨』リリース。初登場13位。

■1995年
・1月25日 シングル『POISON』リリース(初登場2位)。ブティックJOYのCMソングとして使用され、89万枚の大ヒットを記録。
・2月17日 ベストアルバム『GUITARHYTHM FOREVER』Vol.1&Vol. 2を同時リリース(初登場1位&2位)。この作品をもって「GUITARHYTHM」プロジェクトが終了。
・5月17日 ライブVHS『GUITARHYTHM SERIOUS! CLIMAX』リリース。
・7月4日 ヨージヤマモトプールオムの'96春夏パリコレクションにモデルとして出演する。
・10月18日 シングル『スリル』リリース。初登場1位。
・12月20日・21日 『TOKYO Inter-Live サイバーシティーは眠らない』横浜アリーナ2days。

■1996年
・1月24日 シングル『ラストシーン』リリース。初登場3位。
・2月28日 アルバム『King & Queen』リリース。初登場1位。オリジナルアルバムとしては89万枚という最大ヒットを記録。
・3月9日 『King & Queen TOUR』スタート。
・5月13日 リハーサル中 右鎖骨を骨折、5月の9公演を延期。
・5月24日 カットシングル『命は燃やしつくすためのもの』(初登場13位)、ライブVHS『サイバーシティーは眠らない』リリース。
・6月4日・5日 デビッド・ボウイのJAPAN TOUR オープニングアクトを務める。5日の公演のアンコールで、デビッド・ボウイと「ALL THE YOUNG DUTES」で競演。
・6月8日〜 『King & Queen TOUR』再開。
・8月4日 マイケル・ケイメンの依頼により、アトランタオリンピックの閉会式のセレモニーにてフロント・ギタリストを務める。
・10月9日 VHS『H』リリース。
・10月23日 シングル『CIRCUS』リリース。初登場3位。
・11月7日〜 『SPACE COWBOY TOUR』スタート。
・12月24日 マキシシングル『BATTLE ROYAL MIXES』リリース。初登場7位。

■1997年
・3月19日 ライブアルバム『HOTEI PRESENTS SPACE COWBOY SHOW』リリース。初登場3位。
・4月25日 ライブアルバム『HOTEI PRESENTS SPACE COWBOY SHOW ENCORE』(初登場8位)、ライブVHS『HOTEI PRESENTS SPACE COWBOY SHOW』リリース。
・5月28日 ライブDVD『HOTEI PRESENTS SPACE COWBOY SHOW』リリース。
・8月1日 シングル『CHANGE YOURSELF!』リリース(初登場6位)。日清食品のCMソングとして自身も初出演。
・10月14日 ギタリストコンピレーションアルバム『Merry Axemas』を全世界発売(10月22日 国内盤リリース)。日本人としてただ1人参加し、『Happy Christmas(War is over)』をカヴァー。
・11月 山下久美子と離婚。

■1998年
・1月28日 シングル『THANK YOU & GOOD BYE』リリース。初登場9位。
・4月29日 アルバム『SUPERSONIC GENERATION』リリース。初登場4位。
・5月9日〜 『SUPERSONIC GENERATION TOUR』スタート。
・5月21日 Play Stationソフト『Stolen Song』が発売される。
・6月1日 マイケル・ケイメンの壮大なオーケストラとのコラボレートアルバム『GUITAR CONCERTO』を全世界発売。
・6月23日 マキシシングル『BATTLE ROYAL MIXES U』リリース。初登場18位。
・7月18日 FNS27時間テレビ夢列島でSMAPの木村拓哉と共演。
・7月23日 アルバム『SF(SAMURAI FICTION)サウンドトラック』リリース。初登場29位。
・8月8日 シネアミューズにて初出演映画『SF(サムライフィクション)』が公開される。
・10月7日 ライブVHS『SSG LIVE "ROCK THE FUTURE"』リリース。

■1999年
・4月16日 シングル『バンビーナ』リリース。初登場2位。
・5月1日 故hideのトリビュート・アルバム『hide TRIBUTE SPIRITS』で『ROCKET DIVE』をカヴァー。
・5月12日 シングル『NOBODY IS PERFECT』リリース。初登場10位。
・6月6日 今井美樹と再婚。
・6月23日 ベストアルバム『GREATEST HITS 1990-1999』リリース(初登場1位)。111万枚を記録する大ヒットアルバムとなる。
・7月16日 VHS『GREATEST VIDEO 1994-1999』リリース。
・8月15日〜 『GREATEST HITS TOUR』スタート。

■2000年
・1月26日 アルバム『TONIGHT I'M YOURS / B-SIDE RENDEZ-VOUS』リリース。初登場4位。
・2月23日 ライブVHS『TONIGHT I'M YOURS』リリース。
・3月16日 ライブDVD『TONIGHT I'M YOURS』リリース。
・8月25日 シングル『VAMPIRE』リリース。初登場8位。
・10月25日 シングル『LOVE JUNKIE』リリース。初登場11位。
・11月25日 映画『新・仁義なき戦い』に豊川悦司とともに主演、音楽監督も担当する。
・11月29日 アルバム『fetish』リリース。初登場8位。
・11月29日 アルバム『新・仁義なき戦い/そしてその映画音楽』リリース。初登場41位。
・12月20日〜 『HOTEI ROCK THE FUTURE 2000-2001 "fetish"』スタート。

■2001年
・1月1日 シングル『BORN TO BE FREE』リリース。初登場14位。
・3月16日 ライブアルバム『ROCK THE FUTURE TOUR 2000-2001』リリース。初登場15位。
・3月23日 ライブVHS/DVD『ROCK THE FUTURE TOUR 2000-2001』リリース。
・7月25日 ライブDVD『HOTEI LIVE JUKEBOX』リリース。
・8月〜 サントリーBOSSのCMにシリーズ出演開始。永瀬正敏と共演。
・11月30日 大阪城ホールにて開催されたライブイベント『Act Against Aids』に出演。Charと初共演。

■2002年
・1月1日 ネットワークメンバーズサイト『hotei.com beat crazy』スタート。
・2月6日 シングル『RUSSIAN ROULETTE』リリース。初登場9位。
・3月6日 アルバム『SCORPIO RISING』リリース。初登場6位。
・5月 宮崎で転倒した際受けた頭部の怪我により、5月17日からのTOURを延期。
・5月22日 アルバム『KT ORIGINAL MOTION PICTURE SOUNDTRACK』リリース。
・7月26日 長女が誕生。
・8月16日〜 怪我で延期となっていた『HOTEI ROCK THE FUTURE 2002 SCORPIO RISING TOUR』がスタート。
・10月17日 シングル『DESTINIY ROSE』リリース。初登場8位。
・12月26日 ライブアルバム『ライブ in 武道館』リリース。初登場18位。

■2003年
・1月29日 ライブVHS/DVD『ライブ in 武道館』リリース。
・5月21日 ライブDVD『beat crazy presents live@AX』リリース。
・8月27日 シングル『NOCTURNE No.9』リリース。初登場13位。
・9月26日 アルバム『DOBERMAN』リリース。初登場9位。
・10月30日〜 『HOTEI ROCK THE FUTURE 2003-2004 DOBERMAN TOUR』スタート。
・12月3日 DVD『DOBERMAN DVD』リリース。

■2004年
・3月31日 インストアルバム『ELECTRIC SAMURAI』日本・韓国でリリース(国内盤〜 初登場24位)。(4月5日 イギリスでリリース。)
・6月30日 ライブDVD『THE LIVE!DOBERMAN』、カットシングル『アナザー・バトル』リリース(初登場17位)。(7月23日 アナログ盤リリース。)
・10月29日〜 『MIKI IMAI DREAM TOUR』スタート。COMPLEX以来、14年ぶりにギタリストとして参加。
・11月10日 井上陽水のトリビュート・アルバム『YOSUI TRIBUTE』で『東へ西へ』をカヴァー。

■2005年
・2005年、旧友であるブライアン・セッツァーとバンド結成する予定だったが、ブライアン側の都合で中止となる。そのためブライアン・プロジェクト用に空けていた2005年度のスケジュールが白紙になったため、ブライアン・プロジェクト用に書きためていた曲を含むオリジナルアルバム『MONSTER DRIVE』を急遽リリース、TOURを行う運びとなった。
・2月23日 シングル『IDENTITY』リリース。初登場21位。
・3月30日 DVD『Top Runner 完全版』リリース。
・4月27日 シングル『LIBERTY WINGS』リリース。初登場15位。
・6月15日 アルバム『MONSTER DRIVE』リリース。初登場10位。
・7月2日〜 『HOTEI ROCK THE FUTURE 2005 MONSTER DRIVE PARTY!!!』スタート。同TOURのオフィシャルブートを期間限定受注販売開始。
・9月2日 『HOTEI ROCK THE FUTURE 2005 MONSTER DRIVE BIG PARTY!!!』さいたまスーパーアリーナ。
・9月14日 ライブアルバム/DVD『MONSTER DRIVE PAERTY!!!』リリース。アルバム〜 初登場25位。
・12月7日 ベストアルバム『ALL TIME SUPER BEST』リリース。初登場5位。

■2006年
・1月25日 HOTEI vs RIP SLYMEでシングル『BATTLE FUNKASTIC』リリース。初登場8位。
・2月18日〜 『HOTEI 25th Anniversary ALL TIME SUPER BEST TOUR』スタート。同TOURのオフィシャルブートを期間限定受注販売開始。
・3月26日 DVD『ALL TIME SUPER CLIPS』リリース。
・6月28日 ライブDVD『ALL TIME SUPER BEST TOUR』リリース。
・8月23日 BRIAN SETZER vs HOTEIでシングル『BACK STREETS OF TOKYO』リリース。初登場19位。
・11月8日 Hotei vs Charでシングル『Stereocaster』リリース。初登場17位。
・12月6日 アルバム『SOUL SESSIONS』リリース。初登場15位。
・12月31日 『第57回NHK紅白歌合戦』に初選出された今井美樹のサポートギタリストとして出演。テレビ初の夫婦共演を果たす。

■2007年
・1月14日・20日・21日 『HOTEI presents "SUPER SOUL SESSIONS" BRIAN SETZER vs HOTEI vs CHAR』3公演。布袋、Char、ブライアン・セッツァーの3人が競演。
・6月18日 同月13日、芥川賞作家でロック歌手の町田康が千葉県富津市内の布袋の別荘に行き、車に同乗して東京に戻る途中布袋に殴りかかられたとして、顔や上半身に2週間の怪我を負ったという内容の診断書を添えて、千葉県警君津署に被害届を提出。
・6月27日 ライブDVD『HOTEI presents "SUPER SOUL SESSIONS" BRIAN SETZER vs HOTEI vs CHAR』、ライブアルバム/DVD『MTV UNPLUGGED』3タイトル同時リリース。
・8月7日 上記の件で千葉県警が届を受理し、傷害容疑で書類送検される。
・10月1日、傷害罪で罰金30万円の略式命令。


【備考】
■自身による著書「秘密」によると、父親は韓国人で、韓国にも家庭があり、母は日本での妻という立場だったとのこと。また、母親はロシア(樺太)生まれの日本人とロシア人とのハーフで日本国籍とのこと。

■BOØWY加入について「氷室京介は当時地元で有名な不良少年で、怖くて断れなかった」らしい。その一方、氷室がテレビ出演をあまりしないことについて不満を述べることもある。氷室とは対照的に布袋は、特にここ数年テレビ番組にも積極的に出演しており、特に「HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP」では、ダウンタウンとの掛け合いトークは強面とは対照的なユーモアあふれる内容で、新しい布袋の一面を見せた。これがきっかけとなり、コミカルなTVCF等にも出るようになった。ダウンタウンとの掛け合いはファンの間でも好評である。

■強面とは裏腹の明快な人物で、NHK-FM『ミュージック・スクエア』木曜日分のパーソナリティを務めた(1990年-1993年)際などは、自分の好きな古今東西の音楽(ジャンルはロックに留まらない)を流れるようなトークを合間にはさみつつかけ続けるスタイルで、多くのリスナーを獲得した。またCM出演もイメージ通りのハードなものからどこか自分を茶化しているようなコミカルなものまで様々である。

■BOØWY解散後、氷室京介と直接会話したのはGUITARHYTHMU完成時。布袋が作品を持って行くと氷室は聴いたよと答え、感想として「なげーよ」とコメントしたという。「いいけど長い」「長いのつくりたかったんだからいいんじゃない?」と氷室は答え、率直な感想をもらえたとして布袋はうれしかったとコメントしている。なお、布袋と氷室はGUITARHYTHMU完成より前に、偶然、横浜の中華街の店で遭遇し布袋は「何かこっちは緊張したね」とミュージック・スクエアで話していた。

■1996年 デヴィッド・ボウイが来日した際、共演するためにデヴィッド・ボウイへ想いを綴った手紙を渡している(ホテルのドアの隙間から差し入れた)。この共演時の曲は『ALL THE YOUNG DUTES』。

■『スリル』がすっかり江頭2:50が登場する際のテーマソングになっている。きっかけは矢部浩之が『笑っていいとも!特大号』のモノマネ歌合戦に登場した際に布袋の『スリル』をBGMに江頭のモノマネをやったところ好評で、そのまま江頭本人も自身のTV出演の際に『スリル』で登場するようになったためである。ちなみに、『イケてるCDTV』のコーナーで、布袋のシングル『CIRCUS』のPVのパロディーが、アーティスト『布袋2:50』の名で披露されている。後に布袋は江頭を自身の横浜アリーナでのコンサートに招待したが、その席で「俺のイメージがボロボロだぁ…。」と冗談ぽく言ったらしい(尾ひれが付いて、胸倉を掴んだり、暴言を吐いたりなどの噂はあるが、実際にはそのような事はなかったらしい)。

■ミュージックステーション(テレビ朝日系列)で、入社したてだったアシスタントの堂真理子アナウンサーが、名前を読み間違えたことで彼のファンからクレームが殺到したが、布袋は、自身のHPでそのことをフォローした。

■「NOCTURNE NO.9」「RUSSIAN ROULETTE」「バンビーナ」はプレイステーション2ソフト『GuitarFreaks&DrumMania』シリーズに収録されている。

■『MTV TOYOTA MASH UP PROJECT』で、RIP SLYMEとのコラボレーションが実現された。布袋の「BATTLE WITHOUT HONOR OR HUMANITY」とRIP SLYMEの「FUNKASTIC」を、マッシュアップと呼ばれる手法で互いの楽曲を混ぜ、HOTEI vs RIP SLYME名義で「BATTLE FUNKASTIC」を2006年1月25日にシングルとして発売した。また、別バージョンとして、RIP SLYME vs HOTEI名義で「FUNKASTIC BATTLE」を同日発売のシングル「Hot chocolate」のカップリング曲として収録。この楽曲はトヨタ自動車のコンパクトカー・bBのCMソングとして起用された。

■永瀬正敏とのコラボレーションCFは布袋が永瀬をひたすら追っかけるが、その対象のCF会社がだんだん変わっていくと言う当時としては極めて斬新な内容だった。このCFの収録は月一回のペースで行われたが、布袋自身も楽しんで収録していたらしく、特にフジカラーの時は、岸本加代子・木稀樹林とも競演し、往年の名シーン「お正月を写そう・・・」の再現が行われた。後に布袋は「この収録が一番楽しかった。本物の「お正月を…」も聞けたし。と語っている。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20071001-00000925-san-ent

[PR]

PCソフト、PCゲーム、写真集、動画から音楽まで無料お試し版や有料ダウンロードが楽しめる総合ショップ。おすすめ商品からランキングまで何でも揃う人気・実力ナンバー1の本格的な総合ダウンロードショップ!

ホリ エピソード&プロフィール

ホリ(本名、堀 裕人(ほり ひろひと)、1977年2月11日 - )は、千葉県白井市出身のものまねタレントである。ホリプロの関連事務所、ホリプロコム所属。血液型B型。千葉県立船橋西高等学校、日本大学法学部新聞学科卒業。


【経歴・人物】
■高校時代はハンドボール部に所属したスポーツマンである。大学時代は広告学研究会に所属し、4年次には会長を務めた。大学卒業後、広告代理店で半年あまりのサラリーマン生活を経て、芸能界入り。

■芸名はそのまま苗字から。ホリプロコム所属だが、それとは全く関係ない。

■物まねのレパートリーは、コージー冨田をも凌ぐ多さである。テリー伊藤、木村拓哉、えなりかずき、城島茂などが有名。また、ものまね芸人である松村邦洋やイジリー岡田なども得意。どちらかと言うと一発出落ちのようなものまねスタイルである。最近では、その人の「絶対言わないこと」のモノマネをよくやる。

■性格は非常に真面目と評判。

■テレビ初出演は素人時代に経験した『笑っていいとも!』の素人ものまねコーナー。因みにその時のネタは出川哲朗。現場で大受けしたことから、後の芸能界入りへのきっかけともなった。

■サラリーマン時代は『ワンダフル』『ダウンタウンDX』のノベルティグッズを作っていた。

■2005年4月16日、レギュラー番組の生放送終了間際に結婚を発表した。相手は北海道出身の家事手伝いの女性。しかも乙葉似らしい。

■金曜ロードショーの『ルパン三世 天使の策略 〜夢のカケラは殺しの香り〜』で、声優に挑戦したことがあった。ただ最初の1シーンだけだったためか、それに気づく人は少なかった。

■最近の悩みは、先輩芸人である原口あきまさに自分のネタを堂々とパクられることである。

■年末特番「お笑い芸人大忘年会」でスピードワゴンの小沢一敬から楽屋ネタのほうが面白いと暴露された。そのネタは武田鉄矢の絶対言わないことで「俺この年になってこんなにオナニーするとは思わなかった」「はい!はい!はい、イッタ〜!」などのSEX描写ネタらしい。他にも、テレビではやらないSEX系のネタがいくつか存在する(たとえば「キャバクラでのえなりかずき」)。因みにモノマネレパートリーの中にスピードワゴンも入っている。

■渡る世間は鬼ばかりのファンで、同ドラマの登場人物のモノマネも得意としている。

■笑いの金メダルの替え歌大賞では、えなりかずきの封印ネタを用いた替え歌で勝負するが、勝ちたいという執念が功を奏し、五位入賞を果たした。

■2006年2月20日から同年4月20日まで、MSNの企画で「ホリの爆笑ものまね100連発」が開始。MSNサーチの検索で、「芸能人の名前+スペース+ものまね」と入力して検索をかけると、検索結果ページのスポンサーサイトの欄に芸能人のものまね動画が出てくる。

■一時期、俳優座に所属していた。ミュージックステーションの美術スタッフに携わっていた為に笑いの金メダルの企画では米村でんじろうが得意の科学知識を総動員したドミノに対抗する、芸人たちによるオリジナルドミノを作る際は奇抜なアイディアで大活躍し、渡り廊下を担当。倒れたドミノによってロウソクが発火し、ヒモを燃やし切った反動でサッカーボールが渡り廊下を突き抜けて次につながるドミノを倒すというギミックを考案するが、サッカーボールが思う通りに標準に合わずうまく発射できなかった為に結局自らが人間大砲の要領で渡り廊下間を滑る役目になった。


【ものまねレパートリー】
《あ行》
阿藤快
荒木経惟
石倉三郎 
石橋貴明(とんねるず)
イジリー岡田
市原悦子
いっこく堂
井戸田潤(スピードワゴン)
井上聡(次長課長)
岩尾望(フットボールアワー)
上田晋也(くりぃむしちゅー)
内村光良(ウッチャンナンチャン)
ウド鈴木(キャイ〜ン)
えなりかずき
太田光(爆笑問題)
大竹一樹(さまぁ〜ず)
岡村隆史(ナインティナイン)
岡田圭右(ますだおかだ)
小沢一敬(スピードワゴン)

《か行》
掛布雅之
片岡鶴太郎
桂小枝
桂ざこば
加藤和也
加藤茶
加藤善博
香取慎吾(SMAP)
金子賢
金子貴俊
菊地秀規(いつもここから)
木村匡也
木村拓哉(SMAP)
クロちゃん(安田大サーカス)
劇団ひとり
小杉竜一(ブラックマヨネーズ)
小林稔侍
後藤輝基(フットボールアワー)

《さ行》
佐藤祐造(インスタントジョンソン)
サンプラザ中野
城島茂(TOKIO)
清水よし子(ピンクの電話)
清水圭
志村けん
笑福亭鶴瓶
杉山とく子
鈴木紗理奈

《た行》
滝口順平
滝沢秀明(タッキー&翼)
武田鉄矢
田中卓志(アンガールズ)
田中直樹(ココリコ)
田中康夫(新党日本代表)
田中裕二(爆笑問題)
田村正和
団長(安田大サーカス)
津川雅彦
つぶやきシロー
寺門ジモン(ダチョウ倶楽部)
テリー伊藤
出川哲朗
徳井義実(チュートリアル)
ドクロベエ(アニメ「ヤッターマン」)
トシ(タカアンドトシ)

《な行》
長井秀和
中尾彬
中川家礼二(中川家)
中山秀征
永沢君男(アニメ「ちびまる子ちゃん」)
西川貴教
西村雅彦 
野村昭子

《は行》
橋下徹
はなわ
花輪和彦(アニメ「ちびまる子ちゃん」)
濱口優(よゐこ)
浜崎憲孝(アニメ「ちびまる子ちゃん」) 
速水もこみち
原田泰造(ネプチューン)
板東英二
パッション屋良
東国原英夫(宮崎県知事)
東野幸治
肥後克広(ダチョウ倶楽部)
ビートたけし
ビビる大木
福山雅治
フリーザ(ドラゴンボールZ)
藤井隆
藤岡琢也
藤木茂(アニメ「ちびまる子ちゃん」)
蛍原徹(雨上がり決死隊)
堀内健(ネプチューン)
ボヤッキー(アニメ「ヤッターマン」)

《ま行》
前田吟
増田英彦(ますだおかだ)
松岡昌宏(TOKIO)
松村邦洋
松本人志(ダウンタウン)
みのもんた
三村マサカズ(さまぁ〜ず)
宮迫博之(雨上がり決死隊)

《や行》
薬丸裕英
八嶋智人
山里亮太(南海キャンディーズ)
山口智充(DonDokoDon)
山崎邦正
山崎弘也(アンタッチャブル)
山田一成(いつもここから)
山本晋也
ユースケ・サンタマリア
吉幾三

《ら行》
ラッシャー板前
ルー大柴


【絶対に言わないこと】
その人が絶対に言わないであろう事をモノマネで言う、ホリが開発したあらたなモノマネ芸である。「ホリネタ」には、「中尾彬が絶対に言わないこと」が収録されている。

■金八先生(武田鉄矢)…「世の中なあ、金さえあれば何でもできるんだぜ!」「あ〜あ、みんな死ねばいいのに!」「おれさぁ、この年になってこんなにオナ○ーするとは思わなかったよ」「塾に行け、塾に」」「あ〜あ、下ネタしか思いつかねぇ」

■木村拓哉…「ホリくん、番号交換しない?」

■えなりかずき…「先にシャワー浴びて来いよ」「俺が女にしてやろうか」「お前ババくせぇなあ」「お前服のセンスねぇなあ」

■中尾彬…「お掃除終わりました」

■ビートたけし…「ダンカンありがとう」「ダンカンごめんな」

■福山雅治…「だっふんだぁ!」

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070718-00000204-jij-soci

[PR]

《セゾン》が発行する最大300万円までご利用いただけるカードローン。実質年率8%から選べて安心。スピード審査で、お支払日、お支払方法も自由に選べる便利なセゾンのカードローン。

本上まなみ エピソード&プロフィール

本上 まなみ(ほんじょう まなみ、1975年5月1日 - )は、日本のタレント・女優。本名:沢田まなみ(旧姓:本上)。公式ニックネームはほんじょ。


【人物】
■身長168cm、足のサイズ26cm。血液型はB型。

■山形県鶴岡市生まれで、大阪府茨木市育ち(なおプロフィール上では東京生まれの大阪育ち扱いをされているケースが多い)。

■4歳から20年間大阪府と兵庫県で過ごし、その後は東京都在住。

■茨木市立東中学校→大阪府立高槻北高等学校出身。池坊短期大学卒業。

■特技は足指ジャンケン(両足ともパーができる)。

■近視であり、普段は眼鏡をかけている。

■カメラ、写真が趣味。

■虫がとにかく大好きで、昆虫図鑑も数冊所有している。


【経歴】
■学生時代にはモデルとして活動していた。('92年の大阪ガスの広告など。)

■1993年7月、フジテレビ系ドラマ『じゃじゃ馬ならし』秋野リカ役で本格的にデビュー。

■1995年にユニチカサマーキャンペーンガールに起用され、グラビアアイドルとして本格的に活動を始める。

■1995年、当時の日本テレビ系列深夜枠の30分番組だった「鉄腕!DASH!!」(後の「ザ!鉄腕!DASH!!」)に、一時期出演していた。

■その後『爽健美茶』『NTT DoCoMo関西』他多数のCMに出演して本格的にブレイクする。『癒し系』という言葉の先駆け的存在ともいわれている。

■1998年10月7日、フジテレビ『笑っていいとも!』テレホン・ショッキングのコーナーに初出演。以降、テレビ番組・テレビドラマに出演する一方、エッセイストとしても活躍している。

■2002年12月に、18歳年上の雑誌編集者である沢田康彦と結婚した。なお、沢田は短歌グループ「猫又」を主宰しており、本上も「鶯まなみ」というペンネームで「猫又」の雑誌に投稿していたこともある。

■NHK教育テレビ(日本放送協会)放映の『トップランナー』司会者(第3代・第4代)、BS日テレ(日本テレビ)放映の『トラベリックス〜世界体感旅行〜』のナレーター役、『ザ・ベストハウス123』のレギュラー司会を担当。産休中は各レギュラー番組に代役が立てられた。

■2006年8月、自身のホームページ上で第一子妊娠を公表。同年12月29日、2600グラムの女児を出産。

(出典:Wikipedia)

[PR]
もっとスリムに もっと美しく

堀北真希 エピソード&プロフィール

堀北 真希(ほりきた まき、1988年10月6日 - )は、日本の女優。 愛称は真希ちゃん、まきまき。

東京都出身。スウィートパワー所属。

身長160cm、スリーサイズはB78 W58 H80。血液型はB型。


【来歴】
■2002年 - 中学2年生の時、部活動の帰り畑道でジャージ姿でスカウトされる。当初断ったものの、1ヶ月程して関係者による自宅訪問を受け芸能界入りが決まる。

■2003年1月 - ドラマ『いつもふたりで』でテレビ初出演。(この作品がデビュー作となるが、出演シーンは最終回のエンディングのほんの数秒だけ。)

■2003年7月 - 映画『COSMIC RESCUE』のヒロイン役オーディションに合格し、同作で映画デビュー。

■2003年10月 - ドラマ『ケータイ刑事 銭形舞』でテレビドラマ初主演。

■2004年2月 - 映画『渋谷怪談2』で映画初主演。

■2004年3月 - レミオロメンの3rdシングル「3月9日」のプロモーションビデオに出演し、話題を呼ぶ。

■2005年3月 - 公式ファンクラブ「ほりきたコレクション」発足。活動開始。

■2005年6月 - ドラマ『電車男』では、主人公の妹役を好演。

■2005年10月 - 『野ブタ。をプロデュース』小谷信子(野ブタ)役で一般への知名度が大幅にアップする。

■2006年4月 - 『クロサギ』吉川氷柱役でヒロインを好演。

■2006年10月 - 『鉄板少女アカネ!!』で、地上波のテレビドラマ初主演。


【賞詞】
■2006年2月 - 2006年エランドール賞新人賞受賞。

■2006年2月 - 第10回(2005年度)日本インターネット映画大賞新人賞受賞。

■2006年3月 - 第29回日本アカデミー賞新人俳優賞受賞。(『ALWAYS 三丁目の夕日』)

■2006年3月 - 第43回(平成17年度)ゴールデン・アロー賞新人賞受賞。


【人物像など】
■中学時代は生徒会で副会長を務め、部活動においてもバスケットボール部に所属し副キャプテンとして活躍した。が、高校では芸能活動の事もあり部活等には参加していない。

■スポーツマンという父の影響もあってか、幼少時より数々のスポーツに取り組んでおり、基本的にアウトドア派。現在もジムへ通っている。しかし朝は弱く、起きられないとの事。

■趣味は読書で、江國香織や恩田陸、アレックス・シアラーなどを愛読。漫画はさほど読まないが2007年4月から出演している『生徒諸君!』は好きとの事。

■浴衣や着物が好きで、着付けも自分でできる。絵を描くことは苦手。

■意外にも爬虫類は平気であり、頭をなでるくらいかわいがる。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070609-00000000-oric-ent

[PR]
オリコOrihimeカード

細木数子 エピソード&プロフィール

細木数子(ほそき かずこ、1938年4月4日 - )は日本の作家・タレント。テレビ出演の際の肩書きは心照学研究家・人間学研究家などと称する場合もある。下記のようにかつては実業家でもあった。東京都渋谷区出身。東京成徳高等学校中退。


【人物】
高校を中退し、17歳でコーヒー店を経営し、20歳で銀座にクラブを開くなど、若い頃から実業家として活躍していた。21歳の時に結婚し、主婦業の傍ら子ども洋服店を開店。たが、その後間もなく離婚。

1970年には不動産詐欺にひっかかり、10億の借金を抱えたが、赤坂のクラブの経営が成功し、1975年には借金に目途をつけ、ディスコをオープンし大いに儲ける。 1977年には、借金の連帯保証人になっていた人物の失踪により、数億もの借金を抱えることになった人気歌手島倉千代子の後見人となり、島倉の個人事務所を設立し、3年間で借金完済させたことで、"島倉の命の恩人"とマスコミで話題となる。[1]

そのような波乱万丈の人生を経て、1982年に、独自の研究で編み出したとされる“六星占術”という占いに関する本を出版。1985年に出した『運命を読む六星占術入門』がベストセラーとなり、以降、「六星占術」に関する著作を次々に発表、「六星占術」の一大ブームを巻き起こし、一躍人気占い師となる。

銀座でクラブのママだった時代に(1983年)に、政財界の陰の指南役として知られる陽明学者の安岡正篤と知り合い、結婚の約束を取り交わす。安岡の親族が猛反対する中で、安岡と交わした「結婚誓約書」なるものをもとに単独で婚姻届を提出し、受理されたが、当時、安岡は85歳と高齢であり、入院先の病院での検査では認知症の症状があったとも言われ[2](細木はわざとボケたフリをしていると反論[3])、安岡の親族が「婚姻の無効」の調停申し立てを行った翌月、安岡は他界した。調停により、婚姻は無効であるとした和解が成立し、初七日には籍を抜くこととなった。

また細木が相談者に勧めていたお墓に関する先祖供養に対して、1993年には「人の不幸、不安につけんで不当に高額な墓を買わされた」と損害賠償を求める訴訟が起こった[4]ことなどから1990年代にはテレビに出ることはなくなった。

その後、2003年頃から、細木が人生相談を行う特別番組が20%前後の高視聴率を挙げるようになったことから、各局が争奪戦を繰り広げ、多くのレギュラー番組を持つようになり、「視聴率の女王」とまで呼ばれるようになった。そして野村沙知代・デヴィ・スカルノらに代わって、熟女タレントの代表的存在とされるようになった。

その著書は今日まで100冊以上に上り、その売り上げは総計6500万部以上(KKベストセラーズ発表による)と言われ、「占いの本を世界一売った人」としてギネスブックにも掲載されている。

京都府内に豪邸があり、多数の高価な骨董品等を『ウンナンの気分は上々。』等のテレビ番組で紹介されている。

K-1ファイターの魔裟斗と仲がよく、魔裟斗からは「カズー」と呼ばれている。他にも横綱の朝青龍関、元プロ野球選手の佐々木主浩とも親しい。


●テレビ出演
番組に共通する特徴として、ウッチャンナンチャン・くりぃむしちゅー・ネプチューン・雨上がり決死隊といったお笑いタレントが司会を担当していることが挙げられる。

2004年後半にはブームのピークを迎え、8月には『ズバリ言うわよ!』(TBS系)、10月には『幸せって何だっけ〜カズカズの宝話〜』(フジテレビ系)と2本のレギュラー番組が始まった。出演タレントはくりぃむしちゅー、ネプチューン等。

タレントなどに対して改名を促すことでも度々話題となる。改名については、丁半コロコロや緑友利恵のように成功例もある一方で、テレビ番組やインタビューなどで「すぐにでも名前を元に戻したい」と発言していたモンキッキーや、ハッピハッピー。、映画「ゴーストシャウト」など、改名してもその後の進展があまりないものもあることから、賛否両論の声がある。また、突飛な発言についても注目される。その歯に衣着せない余りに率直過ぎる発言は毒舌と非難されることも多い。主な発言としては「地獄に堕ちる(地獄に行く)」「私を誰だと思ってる」など。

番組ではしばしば、男女の性差についての発言をしている。男性については、「女子供を養うことは当然の義務」と論じ、女性については、「女は男に尽くすべき」「女は料理ができなければいけない」など昭和期までによく見られた、いわゆる古い家庭像を論じる亭主関白支持者である。また、男女同権ではあるが男女同質ではないと説き、独身女性に結婚を促す発言もしている。

仏教思想も重視しており、仏教の教えや正しい先祖供養の方法なども同時に説いている。


●共演者の傾向
演歌歌手をゲストに呼ぶことが非常に多く、細木がゲストに対してアカペラで歌わせることも恒例になってきている。お笑い芸人も共演することが多いが、若手には「面白くない」と厳しくダメ出しするのがほとんどで、逆に加藤茶、月亭八方、島田洋七などのベテラン芸人には絶賛する傾向がある。

基本的に、細木より年上の有名人をゲストに迎えることはない。(例外として、日本テレビの特番で石原慎太郎をゲストに迎えて鑑定したことがある)

ホリプロの所属タレントと共演することが多く、特に「ズバリ言うわよ!」では井森美幸が準レギュラーで出演しており、運命のカルテなどのコーナーでもホリプロのタレントが多く出演している。吉本興業の所属タレントも共演が多いものの、若手芸人か関西を拠点に置くベテラン芸人がほとんどで、逆に明石家さんま、ダウンタウン、ココリコなどは一度も共演したことがない。

一方、スターダストプロモーション、アップフロントエージェンシー、サンズエンターテイメントなどの所属タレントとはあまり共演しない傾向が強い。スターダストに関しては、坂東英二と野々村真ぐらいしか共演がなく、女性タレントでは「めちゃ×2イケてるッ!」で梨花と一度共演したのみである。アップフロントに関しても、林マヤとソニンしか共演がなく、モーニング娘。やつんくとは一度も共演したことがない。サンズに関しても、雛形あきこと一度共演したぐらいである。

「ズバリ!言うわよ」の裏番組「ロンドンハーツ」のレギュラー出演者の中で、国生さゆり、山口もえ、安めぐみ、青田典子とは細木と一度も共演がない。


【主なエピソード】
■2004年1月2日に放送されたクイズ$ミリオネアスペシャルに初挑戦し1000万円がかかった15問目で失敗するも、2度目の挑戦となる2004年12月30日放送の回で1000万円を獲得し、新潟県中越地震の義援金として全額寄付した。

■TBS系Mr.マリック対芸能人大スター軍団で、Mr.マリックの超魔術のトリックを見破り、その賞金200万円を全額寄付した。

■2005年4月9日に放送されたフジテレビ系めちゃ2イケてるッ!の「め茶の水女学園」の抜き打ち期末テストでは、モアイをへモア、メロスをメディスなどの珍解答を出した。この時の細木の成績は6位であった。

■2005年9月5日に第44回衆議院議員総選挙自民党公認の比例近畿ブロック候補柳本卓治へ自ら志願して行った応援演説の際には「私と握手した人が自民党に入れないと交通事故を起こす」と発言した。

■2005年9月27日(火)18時55分〜22時54分の『いつもよりズバリ言うわよ!細木数子vs教育問題女子高生&男子高生&現役教師総勢300人!メッタ斬りスペシャル!!』では、細木は泉谷しげるのアウトローな言動に激怒し途中退出した。その後、その他のゲスト小川直也、蛭子能収、パク・ソルミは予定通りオンエアーされたが、泉谷しげるだけはオンエアーが無かった。

■2006年5月1日にフジテレビ系列にて放送されたドラマ『トップキャスター』の第3話に高圧的なインチキ占い師が登場する話があり、これに対して自分をモデルにしているとの抗議を行った。フジテレビ側はこの話をDVDボックスから削除した。

■レイザーラモンHG(住谷正樹)のハードゲイの芸(細木の前で自らの下腹部を前後運動させるもの)に激怒し、自ら鑑定拒否した。

■ヒロシのネタに対して「みっともないからポケットから手を出してネタをやりなさい」と促した。

■弟の久慶はかつて新自由クラブ推薦やスポーツ平和党公認で衆議院選挙に数回立候補し、数子も支援したが落選した。

■料理番組愛のエプロンでは、その腕前をジャッジマンから「最高だ」と評価された。

■2006年9月12日放送のズバリ言うわよ!で「占い師ではない」と発言した。

■2006年12月のズバリ言うわよ!で、「大殺界だから、レギュラーは2本しか持っていない」と大殺界中であることを告白した。

■嫌いな食べ物はリゾットとスッポン。『SMAP×SMAP』でよりにもよって香取&稲垣ペアと木村&草なぎペアがそれぞれを出してきたため、「よくも私が食べられないものを当ててきたわね。」と呆れていた。この放送には、負けた香取が(いつもの扮装で)細木に化けた状態で細木をキス攻めにし、「額は残っているね。」と中居が突っ込んだ所、「ここは吾郎ちゃんに残しているの。」と答えた瞬間、香取に額を思いっきりキスされる、というオチが付いた。


【的中した占いの例】
2004年1月に放送した『史上最強占いバトル』で「プロ野球の優勝チームは西武」と占い、的中させた。

また、アテネオリンピック水泳日本代表の北島康介を「金メダルの可能性大」と占い、的中させた。


【ズバリ的中しなかった占いの例】
昭和64年に株が大暴落すると占ったが、昭和64年はわずか7日しかなく、その期間に大きな値動きは起きていない。

2004年1月に放送した『史上最強占いバトル』で、アテネオリンピック柔道日本代表の谷亮子を「相当努力しなければメダル獲得は無理」と占ったが、谷は金メダルを獲得した。

2005年7月に行われた川嶋勝重対徳山昌守のタイトルマッチの勝者を川嶋と占ったが、徳山が勝利した。

ライブドア元社長・堀江貴文と2006年1月のテレビで競演した際、ライブドアの株価について「これから5倍に上がる」と予言し、堀江のパイオニア精神を賞賛したが(人間性については批判している)、また『女性関係に気を付けないとスッテンテンになる』と助言した。後に堀江は逮捕されライブドアは上場廃止となった。また、ライブドア・ショックの際に細木数子の予測でライブドア株を購入したと発言した人もおり、「風説の流布」に当たるのではないか?との指摘があった。

内閣が第89代小泉純一郎内閣から次期内閣へと移る際、武部勤を次期内閣総理大臣になると2度に渡って占ったが、実際には武部勤は立候補すらせず、安倍晋三が第90代内閣総理大臣となった。安部の総理就任後に収録された幸せって何だっけ〜カズカズの宝話〜では「安倍さんは種子だから運気がいい」と自らの2度に渡って発言した内容を事実上覆す発言している。

2006年1月にその年のペナントレースを予想。セ・リーグについて「中日(の優勝)はないね」と占ったが、中日がリーグ優勝した。

くりぃむしちゅーを「ブルー&ピンク」への改名をしないとコンビ解散となると占ったが、現在でもレギュラーを多数抱えておりコンビ解散の危機もささやかれていない。

結婚出来ないと占われたが実際には結婚出来た主な芸能人:細川直美・セイン・カミュ・出川哲朗・渡辺満里奈・だいたひかる・神田うの

モンキッキーを旧芸名の「おさる」から現芸名へ改名することで「人気が出て1、2年で冠番組が持てる」と占ったが改名を行った2004年から2007年にかけた現在でも冠番組は持てていない。細木は後に「ズバリ言うわよ!」にモンキッキーが出演した際に、結婚したことを引き合いに出して「改名したことが功を奏した」というような発言をしているが、これは論点のすり替えであり占いを的中させることは出来ていない。


【批判】
細木に対しては過去の経歴やメデイアでの言動に多くの賛否がある。以下はその主な批判の例。

■安岡正篤と結婚しようとした時期は、細木自身が新しいことを始めるのはよくないと説明している六星占術における「大殺界」の真っ最中であったことから、細木自身が六星占術のタブーを守っていないとの批判がある。

■かねてから細木の勧める先祖供養に対し、墓石業者や仏壇業者と組んだ“霊感商法”的な商売ではないかという批判があるが、細木は自著で、業者と組んでいるわけではないと否定し、「そうした疑問を抱く方もときおりおられますが、心が曲がっていることを残念に思います」と述べている。[5]

■月刊誌 『サイゾー』 は島倉千代子との過去や、占い師業界の中での評価を理由に批判を行っている。

■2005年の11月に番組内で養鶏産業について触れ、「現在の養鶏場は24時間明かりをつけて夜をなくし、鶏1羽につき1日に2〜3個もの卵を産ませている」「鶏卵を含め、ほとんどの食品が薬でつくられている」などの誤った内容の発言をし、養鶏協会から抗議を受けた。フジテレビは「事実誤認や、誤解を招く可能性のある表現があった」として陳謝し、翌年1月の放送で訂正放送をおこなうと共に、細木自身が養鶏業者を訪れて実際の現状を確認した。

■2006年5月から、暴力団を初め、タブー視されるものに関する著作で知られるフリージャーナリストの溝口敦が『週刊現代』で「魔女の履歴書」と題した細木の半生を批判的に綴ったルポの連載を始め、暴力団との深い関係や過去の売春斡旋疑惑や占い盗作疑惑などを指摘した。細木は『週刊文春』誌上で反論したが、溝口はこれに対する反論を行った。細木は、溝口がこの連載を止めさせるために細木が暴力団を介して圧力をかけたと書いた記事を「事実無根」として、名誉毀損で6億円余の損害賠償を起こしたが、相手は講談社で、筆者の溝口は被告には含めなかった。

■2006年11月10日、自身の番組内で、「世界を取った後に『もういいや』と辞めたのが悪い。」と、ゲストの竹原慎二を批判したが、竹原が引退した理由は世界チャンピオンになったからではなく網膜剥離であったため、ボクシングファンから批判された。

■『細木数子の参拝作法』などで放送した、神社の参拝の方法が間違っている(音を立てないように拍手を打つなど)として、全国の神社・氏子などから苦情が寄せられ、東京練馬・石神井の「氷川神社」のホームページのトップには、2007年2月現在、「ある占い師が、間違った方法を教えたために、葬儀用方法で柏手を打つ人が増えている」という内容の文章を記載している。また神社本庁はJ-CASTニュース[1]の取材に対し、「間違った参拝作法をテレビで公言している。(細木さんサイドに)指導してほしい、という苦情がかなりきています」 とあかしている。

■以上のように、個人・団体・業界に関しての認識不足が多々あるにも関わらず、本人から謝罪のコメントが出る事は殆ど無い。

また、細木に限った事ではないが、数多くのテレビ番組に出演して占いをしていることについても疑問の声がある。ちなみに日本民間放送連盟の定める放送基準には「占い、運勢判断およびこれに類するものは、断定したり、無理に信じさせたりするような取り扱いはしない」とある。

(出典:Wikipedia)

細川ふみえ エピソード&プロフィール

細川ふみえ(ほそかわ ふみえ、本名:細川 典江(ほそかわ ふみえ) 、1971年9月2日 - )は、日本のタレント、女優。愛称はフーミン。


【プロフィール】
愛称: フーミン
生年月日: 1971年9月2日
現年齢: 35歳
出身地: 青森県
血液型: O
公称サイズ(2007年4月時点)
身長 / 体重: 163 cm / ― kg
スリーサイズ: 90 - 59 - 87 cm


【来歴】
青森県むつ市田名部にて出生。父親が海上自衛官(防衛大学校卒、定年退職時は海将補)であったため転勤が多く、4歳までは広島県江田島で育ち、その後約1年をハワイ、中学生まで青森県むつ市大湊、千葉県我孫子市などを転々とした。我孫子市立湖北台中学校卒業。千葉県立柏南高等学校中退。

デビューは1990年12月。雑誌オーレの巻頭で、眼帯ブラと呼ばれたビキニ姿を披露。そのおびえきったような、困惑しきったような、たちすくんだような表情も男ごころに訴えた。デビュー時から野田義治氏が社長を務めていた当時のイエローキャブに所属していたが、2000年6月に個人事務所「ウェルメイド」を設立し独立。

デビュー後数年は、94cmのバストとあどけない表情を武器に、セクシーなアイドルタレントとして活動し、巨乳グラビアアイドルの草分けとされているが、独立の前後からバラエティー出演を減らし、舞台や映画などの女優業に専念している。

現在に至るまで未婚である。アメリカ人の大道芸人であるブライアン・ホルスとの交際が報じられたこともあった。


【エピソード】
■青森で一番長く育ったが、デビューからプロフィール上は千葉県出身とされ、以前のインタビューなどでは、広島やハワイにも住んだことがあるとは話していたが、青森に住んだことは隠しているようなところがあった。しかし近年は本人みずから「本当は青森県出身であり、故郷が青森県である(と思う)」という内容のことをTBS「アッコにおまかせ!」およびNHK「おーいニッポン 今日はとことん青森県」にゲスト出演した際に話している。

■2006年9月30日放送のTX「出没!アド街ック天国」の「下北大間」の回に下北出身者としてゲスト出演した際には、釜臥山を誇りに思う内容のことを述べている。出身中学である大湊中学校が釜臥山のふもとにあることから愛着があるようである。

■CX「ごきげんよう」で、「マンションの1階に住んでいた時、風呂からあがり、洗面台の前に立ってドライヤーで髪を乾かしていると、鏡越しに覗き魔と目が合った。風呂の設計上おそらく入浴中も覗かれていた」と語る。また、風呂に入っていると、風呂場にゴキブリが現れ、細川の体を足から肩にかけて這った。

■1995年、TBS「アッコにおまかせ!」で、電車内での痴漢撃退法を披露。嬉しそうに痴漢役を買って出た峰竜太を相手に、手を掴み「触っていいかどうか聞いてから触ってください」と注意。電車で痴漢によく遭うと話す。

(出典:Wikipedia)


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070428-00000001-gen-ent

「ポリス」プロフィール&エピソード

ポリス (The Police) はイギリスのロックバンドである。1970年代後半から80年代半ばにかけて活躍した。ロックの枠組みの中に、レゲエの要素を加えるいう斬新な音楽性は、ホワイト・レゲエとしばしば呼称される。ジャズバンドの経験を持つベーシストでボーカリストのスティング、プログレッシブ・ロックの経験を持つドラマー、スチュワート・コープランド、ギターリストのヘンリー(アンリ)・パドゥバーニの3人で結成。のちに元後期アニマルズのギターリスト、アンディー・サマーズが加入し4人編成となるが、ヘンリー(アンリ)が脱退しトリオとなる。当初は、パンクブームを利用する形でデビューした。

1977年に結成。1978年に『アウトランドス・ダムール』でアルバムデビューを飾る。1979年には「孤独のメッセージ」 (Message in a bottle:アルバム『白いレガッタ』に収録) が大ヒットする。その後も「ドゥドゥドゥ・デ・ダダダ」(De Do Do Do, De da da Da:1980年)、「高校教師」 (Don't Stand So Close to Me:1980年)、「マジック」 (Every Little Thing She Does Is Magic:1981年)など、順調にヒット曲を重ねる。

1983年には5枚目のアルバム『シンクロニシティー』 (Synchronicity)(ビルボード誌アルバムチャート17週連続1位を記録) 発表、その中の「見つめていたい」 (Every Breath You Take) がビルボード誌シングルチャート8週連続1位を記録。そして、この年の年間1位にも輝いている。3人の抜群のアンサンブルが大人気を呼んだのだが、グループの求心力は弱まり、1984年1月に活動停止を宣言した。

しかし、1986年に新作アルバムを製作する為、再び3人は集まった。ところが製作は順調に進まず、3年振りの新作シングル「高校教師’86」を発表するに留まり、これを境に再び活動を停止。3人はそれぞれソロキャリアを歩むことになる。

2003年にロックの殿堂入りを果たした。このとき、「ロクサーヌ」、「孤独のメッセージ」、「見つめていたい」の3曲を演奏した。1992年、スティングの結婚式の際に集まって以来、11年ぶりのことである。

2007年デビュー30周年を記念し、再結成。第49回グラミー賞の幕開けに「ロクサーヌ」を演奏した。 また、2007年3月31日(土)から、ポリスのドキュメンタリー映画『ポリス インサイド・アウト』が2週間限定でTOHOシネマズ六本木ヒルズ他にて公開される。スチュワートがバンド活動期に撮り続けた映像を集めて作ったもので、自ら監督もしたという。


【日本との関わり】
■1980年に初来日。京都大学西部講堂のライブはプロモータ主導に反発する自治会学生の乱入などで喧騒と化し、半ば伝説化している。

■アルバム『ゼニヤッタ・モンダッタ』に収録されている曲「De Do Do Do, De Da Da Da」には日本語バージョンが存在する。日本語詞は湯川れい子が担当した。この日本語バージョンは、1997年発売の『ザ・ヴェリー・ベスト・オブ・スティング・アンド・ザ・ポリス』のボーナスCD(日本国内版のみ)に収録されている。

■アルバム『アウトランドス・ダムール』に収録されている曲「So Lonely」のプロモーションビデオ撮影は、東京の地下鉄車内や駅構内(都営浅草線)で行われた。


【日本公演】
■1980年
2月14日・15日 中野サンプラザ、17日 渋谷公会堂、18日 愛知県勤労会館、19日 大阪フェスティバルホール

■1981年
1月20日 宇都宮市文化会館、21日 宮城県民会館、23日 北海道厚生年金会館、25日 名古屋市公会堂、26日,27日 大阪フェスティバルホール、29日 京都会館第1ホール、30日 倉敷市民会館、31日 福岡九電記念体育館、2月2日 日本武道館

■1982年
4月17日・18日 日本武道館
日程の告示がされたが、チケット発売前に中止

■2007年

(出典:Wikipedia)

ほしのあき エピソード&プロフィール

ほしの あき(1977年3月14日 - )は、日本のグラビアアイドル、タレント、女優。

東京都世田谷区出身。A-team(エーチーム)所属。本名及び女優としての名前は星野 亜希(ほしの あき)。

【プロフィール】
愛称: アッキー
生年月日: 1977年3月14日
現年齢: 30歳
出身地: 日本・東京都
血液型: O型
公称サイズ(2005年時点)
身長: 165 cm / 5′ 6″
体重: 47 kg / 104 lb
スリーサイズ: 88 - 56 - 87 cm
ブラのサイズ: F
靴のサイズ: 23 cm


【来歴】
■高校時代、ティーンズ雑誌『プチセブン』(小学館)の専属モデルを務め、その後は女優として『三姉妹探偵団』(日本テレビ)や『愛の劇場』(TBS)といったテレビドラマや映画、CMなどで活躍。現在はグラビアアイドルとして写真集、DVD、テレビの深夜番組を中心に活躍中。

■実はドラマデビューと前後して、広末涼子の後任としてP&G「クレアラシル」のCMに出演していたが、CM終了後はかえって鳴かず飛ばず状態に陥ったそうだ(本人がMBSの『痛快!明石家電視台』にて公言した)。なお、あっぱれ!!さんま大教授に出演した際に、そのCMを流したのだが、主役と譲らないほしのは明石家さんまからは「主役じゃなくて店員さんでしょ」と突っ込まれていて(実際に女子高生を相手にする店員役である)、自ら営業に回ったことなども明かしている。

■有料サイトも含め長らくグラビア系の仕事が活動の中心であったが、2004年後半頃から急激に仕事を増やしテレビのバラエティ番組への出演も多くなった。

■2006年、日本テレビ系「ドラマ・コンプレックス」内放送ドラマ『都立水商!』出演より、テレビドラマ出演など女優としての活動の際には本名の「星野亜希」名義を使うことになった。バラエティ番組やグラビアなどではこれまで通り「ほしのあき」の名義を使用する。2006年4月1日に放送されたTBS系『オールスター感謝祭'06超豪華!クイズ決定版』では、ドラマ『弁護士のくず』出演者としての出演だったため「星野亜希」名義だった。

■今の様にテレビに頻繁に登場する前の2002年から2003年頃は、プロレス団体WEW(故・冬木弘道の設立)の月1興業のエンターテイメント部門の常連で、リング上でマイクを持ちレスラーを相手にコスプレ衣装で迫真の演技をしていた(2003年の冬木弘道の死去後にWEWの後に設立された”冬木軍プロモーション”{現在のアパッチプロレス軍}からは姿は見えなくなり、グラビアやテレビの出演が多くなった)。

■「2006FIFAワールドカップドイツ大会」のパブリック・ビューイング記者発表会で日本代表を応援する「F組応援団」の団長として出演した。

■2006年5月7日に、横浜スタジアムのプロ野球・横浜ベイスターズ対阪神タイガース9回戦では「星野亜希」名義で始球式を務めた(スポーツ紙の報道では『ほしのあき』と『星野亜希』、『ほしのあき(女優名・星野亜希)』と各紙によって表記がまちまちだった)。

■以前まで『1978年生まれ』と1歳サバを読んでいたが、2006年から『1977年生まれ』と公式プロフィールなどに掲載されている。

■2007年4月2日からお昼の人気番組『笑っていいとも!』(フジテレビ系)のレギュラー(毎週月曜日)。


【特徴】
■30歳を迎えながら少女っぽい顔立ちで、自ら『永遠の少女』と称している。また、「ロリエロ隊長」の異名を持つことでも有名。
■陰毛が濃いのが悩みで、現在はエステで腋とともに脱毛している(本人がMBSの『痛快!明石家電視台』にて公言した)。
■2005年、『笑いの金メダル』に出演した際、「まだちゃんとした彼氏が出来たことがない」と暴露。
■一時期はモデル時代の写真との比較から、豊胸疑惑が持ち上がったが、テレビ番組中で自らCTスキャンによる検査を受け、その疑惑を否定した。だが、その検査画像が本物であったとしてもシリコンおよび生理食塩水を注入した可能性を否定できたのみであり、専門家は「スキャンを使っても、最終的には直接触らないと分らない」と発言しているため疑惑が晴れていない。現在では、ややそれを自虐ネタとして扱うことも多い。
■おそらく史上最年長のグラビアアイドルであろうと言われている。2007年現在、事実上最年長のグラビアアイドルは31歳の沢地優佳と同じく31歳のインリン・オブ・ジョイトイだが、インリンは事務所公認で実際よりも若く年齢詐称をしているためである。多くのグラビアアイドルはタレントや女優に転向するなどしているため、ほしのあきは珍しいタイプである。
■検索ランキングでは十代のアイドルを抑えて1位になるなど、依然人気は衰えを知らない。その一方では、グラビアを引退する年齢の規定は厳密に存在しないとは言え、従来ならばグラビアを引退するであろう大学卒業年齢を超越してもなおグラビアに拘る人間も多数続出し、彼女の活躍が、近年見られるグラビアアイドルの高齢化の元凶という批判も出ている(余りに「最年長グラドル」に拘りすぎているために、若手グラビアアイドルから「もう、いいんじゃないですか?」と言われた事もある)。また巨乳、ロリータ系ファンを中心に様々な層から支持されているが、逆に一部の清純派や正統派を中心としたアンチも多いのも事実である。
■2006年度ゴールデン・アロー賞「グラフ賞」を受賞。代々受賞者が務める「雑誌愛読月間」のイメージガールを“ロリエロ”な“30歳”(=2007年に迎える年齢)が務めることとなった。 
■本人いわく胸は3割がた(谷間から数えて)見られても平気だそうで、胸が揺れるのを見られたからといって別に恥ずかしくもないそうだ。巨乳アイドルの中でも抜きん出たプロ意識とエンターテイナー性を持ち、その姿勢は「プロ巨乳」と呼ばれる。また『ジャイケルマクソン』で自らパンストを被るというガッツの持ち主。後に外国サイトで動画が流される(その時書いてあったのは『日本の豚顔』)。
■ただでさえ痩せすぎが指摘されているが、未だにグラビアの撮影前は減量に励んでおり、ファンから健康面を懸念する声も少なくない。
■あまり裕福でない家庭に育ったらしく、高校時代は友人からブラジャーを貰っていた。(『くるくるドカン』にて)

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070520-00000000-sanspo-ent


[PR]
食べるフレグランスカプセル(バラの香り)

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。